◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)
アベノミックスで第3の矢、「成長戦略」が出た途端、株価は大暴落しました。参院選で従来の自民の票田である既得権層に媚びを売り、肝心の規制緩和にはほとんど手付かず。具体策を欠く一方で、道路など大規模補修を隠れ蓑に「国土強靭化計画」と称して公共工事の大復活です。八ツ場ダムも建設に向けて大きく舵を切りました。これでは借金漬けで、この国はやがて沈没するのではないかと、市場が心配しても無理からぬところです。
前回のこの欄で、官僚・政治家がいかに国民・住民を欺き、利権目当てに無駄な公共事業を押し進めるものか、私が解明を始めた長良川河口堰について、取材の経過を具体的に書いてきました。今回はその続き、二回目です。
建設省が国交省と名前は変わっても、やっていることは、長良川河口堰も、八ツ場ダムも大きな違いがないと、私は思っています。だから、長良川河口堰で、何が行われてきたか。官僚たちにこれ以上無駄な税金を使わせないためにも、朝日が記事を止めたことで、国民・住民に知らせることが出来なかった、その「真実・内情」をぜひ、多くの皆さんに知って戴きたいのです。
◇口実となった安八水害につてのウソ
前回のおさらいをまず、しておきましょう。 長良川河口堰計画が持ち上がったのは、1950年代の高度成長期。河口の南、四日市市に工業コンビナートが造られ、鉄鋼、化学などの重厚長大産業は、大量の工業用水を必要としていたからです。
しかし、1980年年代後半、バブルで経済は隆盛でも重厚長大産業時代は去り、水需要は全く伸びていませんでした。建設省が、河口堰の建設理由・名目を「利水」から、「治水」に大きく転換させたのはこの時です。
格好の理由付けになったのは、1976年9月に起きた長良川安八・墨俣水害でした。何としても着工に漕ぎ着けたい建設省にとっては、「水害から住民の命を守るためには、堰は不可欠」と主張することは、水余りの中で、「税金の無駄遣い」との建設反対運動の高まりに対抗する最も好都合な理由だったという訳です。
安八水害は、台風の影響でシャワーのような大雨が4日間も降り続いたことで起きています。しかし、この時の決壊場所付近の実測最大流量は毎秒6400トン。でも、よく取材してみると、その時の水位は4日間の最高でも、堤防下2メートルに建設省が定めた安全ライン(計画高水位)より、さらに1メートル以上も下。堤防上から見れば、3メートル下にしか水は来ていなかったのです。
このデータから言えることは、毎秒6400トン流れる大水程度では、長良川堤防には十分な余裕はありました。「安八水害は堤防高や川幅、川底の深さが足りない流下能力(河道容量)の不足によって起きた洪水ではなかった」とまでは明確に言えます。それでも大量の濁水が家屋や田畑を飲み込んで、大水害になったのは、堤防に弱い個所があり、その場所に穴が開き、もろくも崩れたのが原因です。
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