1. 徴兵制のないのは若者の既得権、現実論としての憲法9条

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2013年01月28日 (月曜日)

徴兵制のないのは若者の既得権、現実論としての憲法9条

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

前回のこの欄、私は「憲法9条で掲げる平和外交を進めたことのない国が、いきなり9条の改憲を目指すことに無理がある」と指摘しました。その言葉が乾かぬうちに、アルジェリア人質事件です。

この国は、情報がまともに入らない程度の外交能力しか持っていないことを、多くの人々が改めて実感したはずです。憲法9条は理想論に過ぎない。そんな意見もあります。

しかし、憲法9条はこの程度の国ならばこそ、実はもっとも現実的な憲法でもあると私は思うのです。私は現実主義者です。今回は、この国が憲法9条を持つメリットを現実的な視点から考えてみたいと思います。

私は前々回のこの欄「ブレーキ役不在のこの国」で、中曽根政権のブレーキ役だった当時の官房長官、故後藤田正晴氏のことを書きました。私は首相番の後に就いた自民党サブキャップ時代、後藤田氏と数回、直接話す機会にも恵まれました。

元警察庁長官、「カミソリ」と言われるほど近寄り難い雰囲気を漂わせる人でした。私が官房長官時代の発言を踏まえ、恐る恐る憲法問題を後藤田氏に聞くと、凛とした声で、「君、この国が軍隊という『暴力装置』を使いこなせるほど、成熟した国だと思うかね」と、逆に尋ねられました。

そこには戦前からの官僚として、軍部が暴走する時、止められない官僚の無力……。その中で国民の命・生活が奪われていくことを目の当たりにした後藤田氏の強い思いがあったような気がしています。現実論を踏まえない観念的な軍備増強論者の危うさ、その勇ましい言葉に踊らされる一部の国民・若者たちの成熟度に対する深い懸念も感じました。

◇護憲を貫いた保守本流の後藤田正晴

「憲法9条は、この国の政治にも国民の意識にも、それなりに定着している。この国は、それを現実の利益としてそれを享受してきた。改正するデメリットはあっても、改正するメリットが私には分からない」

「この大量破壊兵器時代に戦争に勝者も敗者もない。それは国と世界の破滅だけだ」

「軍隊を海外に出すと、それにどんなに意味があっても、必ず一部の人の反発を買う。それがこの国を危うくする危険も考えなくては」とも話してくれました。

後藤田氏は、何も自民の中でも異端ではありませんでした。むしろ、強烈な保守本流意識に立脚していたと、私は思っています。確かに自民は結党以来、改憲を党是の一つとして来たのは間違いないでしょう。しかし、保守本流を自認して来た人たちが本気で改憲を目指して来たのか。私はそうではなかったと思っています。

吉田茂氏が首相当時、朝鮮戦争で自衛隊の前身である警察予備隊の派遣を米国から強く要請されながら、憲法9条を盾に朝鮮半島に行かせることを断り続けたのは、あまりにも有名な話です

前回のこの欄でも言ったように、米国の外交は崇高な理念と、現実を読んでしたたかな計算で自らの国益に繋げる政策の組み合わせです。押し付けかどうかはともかく9条を策定した裏には、大戦の反省から平和な世界を願う理想がありました。

それと共に、占領軍による戦後の日本統治を考えた巧みな打算に裏付けられていたことも、最近になって開示された米国の各種文書からも読み取れます。

ごく簡略化して言えば、天皇制を維持する方が国民の反感を買わず、占領軍が安定的に支配出来る。しかし、日本が再び天皇を中心とした軍事国家に先祖返りしないようにするには、戦力を保持しない条項を憲法に盛り込む。米国の計算は、こんなところにあったのでしょう。

しかし、占領を始めてみて、日本国民は思いよりはるかに温和な人たちであることに気づきました。敵視される心配は少ないと見た米国は、米ソ対立が深刻になる中、日本に独自の平和外交をさせるより米国の軍事戦略に組み込み、ソ連に対抗する補完勢力にしていこうという方向に舵を切りました。

でも、戦後、空襲により多くの工場も働き手も失ったこの国には、米国の要求をおいそれと受け入れ、軍備に国家予算を回す余裕はありません。

やっと戦後復興に目途がつき始めた時、政権を担う保守本流にしてみれば、何とか限られた税金・予算を効率的に使って、経済の底上げにさらに弾みをつけたいと考えても無理はありません。米ソの冷戦構造の中、この国は日米安保条約を結ぶことで、米国の核のカサに入り、出来るだけ安全保障は米国に任せ、もっぱら資金を経済復興に集中させることでした。

当時の吉田首相は、だからこそ朝鮮戦争で警察予備隊の海外派遣を拒み続けたのでしょう。9条は、米国からの強い軍備増強圧力をかわすのに、大きな現実的役割を果たして来たのです。もし、米国が9条を起案していなかったら、もっと強く日本に再軍備を迫ったかも知れません。

自民は、確かにカネと利権にだらしのない政党です。前回も言ったように、9条と一体となるべき平和外交を外務官僚に本気でやらせなかった責任もあります。しかし、腐敗を指摘されながらも何故、戦後長期政権を保てたか。保守本流にこのしたたかな現実論があり、それが戦後経済の繁栄に大きな力となって来たからだと思います。

◇軍事大国化の行きつく先は核武装

翻って今、9条を改憲する現実的なメリットは、この国の何処にあるのでしょうか。

確かに米ソ冷戦時代は去りました。でも私には、戦後の枠組みが改憲を必要とするほど、劇的に変化したようには見えません。

「平和ボケ」などとシニカルに笑いを浮かべる前に、戦後65年、9条という世界史でもまれな憲法を持つ国がまがりなりにも平和に過ごせたのは、何故か。これからそれでは何故過ごせないかと考えるのか。その理由について事実を踏まえ、冷徹に議論することが大切でしょう。

バブル期、繁栄を極めた経済も、無駄な公共事業など政・官・業の腐敗で身動きの取れないほどの借金が積み上がっています。戦後間もない時代同様、これ以上の軍備を持てるほど、この国に豊富な資金力があるとは、とても考えられません。

勇ましい発言をするより、改めてこの国を取り巻く客観情勢の中で、この国はしたたかに現実に立脚、財政的にも取り得る政策を賢く選択していくしかありません。9条を改憲するかどうかも、当然、その選択の一つであるはずです。

軍備がない国は、他国から侵略される。当然、自前の強力な軍備が必要という意見もあります。しかし、言い悪いは別にして、未だ世界は、大国の核バランスの上にあるのは悲しい現実です。

もし、大国に対抗する「強力な軍備」が必須と言うのなら、軍事の現実論として日本は、核兵器を持って対抗する以外にないと言う結論に行き着くしかありません。

しかし、本当にこの国は現実的に核兵器を持てるのでしょうか。何より核兵器を持つには、その前提として核実験が必要になります。この国のどこに核実験場の建設を許す地域がありますか。それを考えるだけで、いかに荒唐無稽、無謀な非現実論であることが分かるはずです。

むしろ、こうした言葉を政治家が口にすること自体、中国など他国・隣国を刺激し、関係悪化を招きます。何より米国をはじめとした国際社会が日本の核武装を許すか否か。結論は明らかです。尖閣で中国との関係がこじれただけで、経済に大きな影響が出た国です。国連決議で経済封鎖などに出られれば、この国はひとたまりもありません。

なら、国防軍による通常兵器での軍備増強か。しかしそれは、戦後、米国が日本に一貫して求めた米国が望む米軍の補完部隊としての日本軍でしかありません。

9条改憲で米軍を補完し、実質的にその指揮下に入る国防軍を持って「真の日本の独立」でしょうか。もし改憲を、「米国の押し付けられた憲法からの脱却」と位置付け、「日本の真の独立のためには、国防軍が必要」と主張する論者なら、むしろ改憲が日本を、もっと米軍に隷属させる矛盾に気付いてしかるべきだと思うのです。

それを知っていて、米軍隷属を進めるために、「改憲で真の独立」と主張しているなら、それこそ「売国奴」です。

◇財政難が徴兵制を誘発する危険性

財政的にもこの国は、すでに1000兆円の借金を溜め、超高齢化社会の中で、今後の年金の維持さえままならない状態です。その中で、国防軍を作り、さらに軍事予算を増やす余地は現実的にありません。

今の自衛隊のように、隊員を任意で募集する形態をとるなら、人件費は大幅に増え、財政は完全にパンク。他国から攻められる前にこの国は内部から自己崩壊します。財政負担を減らすなら、結局、若者に徴兵制を課す以外にありません。今、威勢のいい言葉に共鳴していても、現実的に徴兵制の施行が目の前に迫るなら、それに耐えられる若者はどれだけいるのでしょうか。

もちろん、国際政治は一筋ならでは行きません。自らも巨額の財政赤字を抱える米国からの軍事費肩代わり要求は強まるばかりでしょう。中国の領土拡張志向もあります。北朝鮮の動向も気がかりです。「普通の国」になり、軍備を持って要求に応えたり、対抗したいという考えも分からないではありません。

私は、このような現実を踏まえるなら、理想論、好き嫌いは別として、今のアジアの軍事バランスを根底から崩してしまうことになる日米安保の廃止は、今すぐに出来る選択ではないとは思っています。しかしそれなら、この国の民の生き残りをかけ、細い道であっても現実論を踏まえ、したたかに政策を選択して行くことが、なおさら必要だと思います。

外交は常に狐と狸の化かし合いです。場合によっては、戦後、保守本流がやってきたように米国からの強い要求に小出しで渋々応じていく必要が出てくるかも知れません。ただ、敢えて困難な政策を臨機応変・果敢に選択。その組み合わせの中で、国民の命と生活を守るのが政治家・官僚の力量であり、役割のはずです。

でも、そのようなしたたかな現実的交渉をするためにも、押し付けであれ何であれ、米国がプレゼントしてくれた「9条」というカードをわざわざ自ら手放してしまうことが、この国の賢い選択とは思えません。軍備がないのが、「丸腰」と言うなら、9条がないのも外交にとって「丸腰」なのです。

◆徴兵制の不在はこの国の既得権

私はこの正月、後藤田氏の著書「情と理」(講談社)をもう一度読み返していました。

後藤田氏は、

「マッカーサー憲法と言っても、平和主義なり、基本的な人権なり、国際協調なり、ある意味における普遍的な価値というものは、日本の中に定着しておるのではないか」

「この時期に9条を直すとなると、そう簡単なことでは行かないよ。この流動化している世界の中では早すぎる」

「先の戦争で僕たちは加害者だった。同時に被害者がみんな生きているよ。だからまだ早すぎるんだ」

「その世代がこの世の中からいなくなってから論議をして変えていく必要があるんならそれは結構だというのが僕の考え方だから、自主憲法に変えるという言葉でもって今やらんとしていることは早すぎる」とも語っています。

私は、後藤田氏以外にも宮沢喜一氏にも話を聞く機会がありました。この考えは、後藤田氏に限らず、保守本流を自認する宮沢氏らにも共通するものがあったと思っています。

ただ、宮沢氏は私の古巣の朝日に似て、どこか評論家的。自己保身が相まって言行一致が保たれるか否か。危うさが漂っていました。それに対し、後藤田氏はその考えに基づき、首相・官房長官の間柄であっても頑として引かない信念がありました。

今の自民にも、保守本流の考え方は底流には脈々と引き継がれていると思います。でも、安倍政治が独走し、その親衛隊のような人たちが戦前同様闊歩するような時に、後藤田氏のように体を張ってでも、その流れに掉さす人が、今の自民にいないのではないかと、危惧します。

中曽根首相が中東に自衛隊を派遣しようとした時、当時の後藤田官房長官が止められたのは、現実論を踏まえた後藤田氏の「情と理」が、中曽根氏の「情と理」を上回っていたからでしょう。ただ、中曽根氏はそれを受け入れる度量がありました。今の自民にその度量が残っているとも思えません。

年明けのアルジェリア人質事件。悲惨なご遺体で帰還された被害者のご冥福を何よりお祈りします。被害者はこの国の資源戦争の中での犠牲者と言うことも出来ましょう。もし、9条が改憲され、国防軍で徴兵制が施行されたら、こうした若者の犠牲者がさらに増えるのではと恐れます。

後藤田氏は、先の著書でこうも語っています。

「再軍備だってやりたければやって、もういっぺん焼け爛れる者が出ても構わんと言うのならやってもいいよ。しかし今言うことではないな」

私は、徴兵制がないのは、9条がもたらしてくれたこの国の若者の既得権ではないかと思うのです。私たちの世代は、膨大な借金を次代に残した上に、十分に議論もなく、この既得権まで若者から奪っていいのか。現実論を踏まえるなら、それは決してこの国と次代を担う若者に、何の利益も幸福ももたらさないと私には思えるのです。

 

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。