2022年07月30日 (土曜日)

新聞・テレビによる旧統一教会の報道、報道開始のタイミングが50年遅い

堰(せき)を切ったかのように、新聞・テレビが旧統一教会の問題を報じ始めた。霊感商法による被害から政治家との癒着まで、教団の実態を暴いている。ただし、肝心の勝共連合と教団の関係にはほとんど言及していない。政治の対立構造が、昔から現在にいたるまで、実は自共対決にあったことが露呈することを警戒した結果のようだ。これまで新聞・テレビが示してきた2大政党制を軸とする対立構造が、客観的な事実から異なっていたという批判を受けかねないからだ。

共産党をどう評価するかは別として、メディア界・政界・財界は、「反共」の方向性で一致して、世論誘導を進めてきた。その柱になってきたのが、勝共連合なのである。それゆえに教団との関係が指摘される議員が、「反共」で意気投合した超党派の議員となっているのだ。

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2022年07月26日 (火曜日)

読売新聞の販売店が警察と連携して街の隅々まで監視、「不審人物などを積極的に通報する」全国読売防犯協力会(Y防協)の異常

新聞社と警察の連携は、ジャーナリズムの常識では考えられないことである。「異常」と評価するのが、国際的な感覚である。本来、ジャーナリズムは公権力を監視する役割を担っているからだ。

読者は、全国読売防犯協力会という組織をご存じだろうか。「Y防協」とも呼ばれている。これは警察とYC(読売新聞販売店)が連携して防犯活動を展開するための母体で、読売新聞東京本社に本部を設けている。こうして警察と新聞社が公然と協力関係を構築しているだ。他にも読売新聞社は、内閣府や警視庁の後援を得て、「わたしのまちのおまわりさん」と題する作文コンクールを共催するなど、警察関係者と協働歩調を取っている。

これらの活動のうち、住民にとって直接影響があるのは、Y防協の活動である。
その理由はYCの販売網が、全国津浦々、街の隅々にまで張り巡らされているからだ。それは住民を組織的に監視する体制が敷かれていることを意味する。【続きはデジタル鹿砦社通信】

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2022年07月21日 (木曜日)

新聞・テレビ報道のタイミングが極端に遅れるテーマ、被害額は「押し紙」が霊感商法をはるかに上回る

新聞・テレビがタブー視しているテーマ、あるいは事件が爆発するまで報じないテーマについて検証してみよう。次のようなものがある。

① 宗教団体に対する批判
② 天皇制廃止論
③ 各種の反差別運動に対する批判
⑤ 新聞社の「押し紙」問題
⑥ 電磁波や化学物質などの新世代公害
⑦ 医療制度の批判

これらのテーマは聖域とされ、ジャーナリズムのメスが入らない。

原発問題はかつてタブーだったが、2011年3月の福島第1原発の事故を機に比較的自由に報じられるようになった。

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2022年07月19日 (火曜日)

安倍狙撃事件のマスコミ報道を考える、日本の権力構造に組み込まれた新聞・テレビの実態 

カメレオンという爬虫類がいる。周辺の環境にあわせて皮膚を変色することで身を守る。生存するための合理的な体質を備えた動物である。

安倍元首相が狙撃されて死亡したのち、日本のマスコミは世論を追悼一色に染め上げた。だが、インターネット界隈から国境を越えて安倍元首相の実績評価が始まった。その中で鮮明に輪郭を現わしてきたのが、世界平和統一家庭連合(旧統一教会=国際勝共連合)と安倍一族の親密な関係だった。日本の黒幕としての裏の顔が暴かれたのである。

しかし、日本の新聞・テレビが統一教会の実名報道に踏み切ったのは、7月11日、世界平和統一家庭連合が記者会見を開いたのちである。参院選の投票日を前に、自民党と右翼に配慮した可能性が高い。

だが、統一教会と安倍一族の関係は、実は半世紀以上の前から指摘されていた。狂信的な反共思想、霊感商法、合同結婚式が水面下で問題になってきた。しかし、新聞・テレビはこのカルト集団に関する報道を極力自粛してきた。報道が黒幕を刺激して、自分たちが返り血を浴びかねないことを知っていたからである。そのスタンスは今も変わっていない。

実際、新聞・テレビが垂れ流す安倍氏の評価にそれが現れている。安倍氏には、森友事件や安保関連法制の強行採決など問題視される政治手法もあったが、総合的には見れば卓越した政治家だったという世論を形成しようとしている。今後、安倍氏の国葬を正当化する世論形成にも動くであろうことはまず間違いない。

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2022年07月18日 (月曜日)

統一教会の「献金」と新聞社の「押し紙」、強制したことは一度もないとするそっくりな論理、両者とも半世紀にわたってトラブルが

旧統一教会が信者から献金を募る行為がクローズアップされ問題になっている。教団の献金制度が始まった時期は知らないが、教祖の文鮮明が、来日して日本の黒幕らと接触したのが1967年で、すでに1970年代には壺やら朝鮮人参を訪問販売している信者が街に繰り出していたから、半世紀ぐらい前から霊感商法や献金が続いてきたのではないか。わたしも教会に誘われたことがある。

参院選挙後の11日に教団が開いた会見を聞いて、わたしが最初に感じたのは、教団の論理は、新聞社が「押し紙」(新聞部数のノルマ)について弁解する際の論理と同質だということである。「押し紙」制度は、統一教会の活動と同様に、少なくとも半世紀は続いている。戦前にも「押し紙」は存在したとする記録もある。

新聞人の言い分は、「押し紙」を強制したことは一度もない、われわれは販売店からの注文部数に応じて新聞を搬入している、ノルマを課したこともないというものだ。従って、現在も日本新聞協会は、「押し紙」は1部もないという公式見解を持っている。販売店で過剰になっている新聞は、すべて「予備紙」であるとする見解である。しかし、残紙は古紙業者の手で大量に回収されており、「予備紙」としての実態はない。

「押し紙」についての新聞人の論理を頭に入れたうえ、献金に関する統一教会の言分を読むと、両者の論理が類似していることが分かる。詭弁の手口に共通性がある。次の箇所である。

最初に教団の論理を紹介し、次に新聞人の論理を紹介しよう。

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2022年07月16日 (土曜日)

【書評】ガルシア=マルケス『ママ・グランデの葬儀』、独裁者の死をめぐる民衆の心、悲しみからフェスタへへ

『ママ・グランデの葬儀』は、コロンビアのノーベル文学賞作家、ガルシア=マルケスの短編小説である。わたしがこの本を読んだのは20年以上もまえで手元に書籍はなく、記憶を頼りに書評を書いているので、内容を誤解している可能性もあるが、おおむね次のような内容だった。

200歳になる村の長老格の老婆が他界する。この200歳という設定は、前世紀までラテンアメリカの政治を語る際のひとつのキーワーになっていた絶対に権力の座を降りない独裁者の比喩である。魔術的リズムと呼ばれる手法で、誇張法のひとつである。

この老婆の死は村を喪の空気に包む。大規模な葬儀が執り行われる。次々と人が集まってきて、葬列は大群衆に膨れ上がる。するとあちこちに屋台が現れる。人々の談笑がはじまる。すると長老を失った悲しみが薄れ、陽気な空気が流れはじめる。そして最後には、悲しみの葬列が独裁者の死を祝うフィエスタに変質する。民衆の歓喜が爆発する。

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2022年07月13日 (水曜日)

出版社に忍び寄る読売新聞の影、懇親会に出版関係者240人、ジャーナリズム一極化への危険な兆候

新聞社と放送局の間にある癒着が語られることがあるように、新聞社と出版社のグレーゾーンを薄明りが照らし出すことがある。

今年の5月11日、読売新聞社は「出版懇親会」と称する集まりをパレスホテル東京で開催した。読売新聞の報道によると、約240人の出版関係の会社幹部を前に、渡辺恒雄主筆は、「日頃の出版文化について情報交換していただき、率直なご意見を賜りたい」とあいさつしたという。

出版関係者にとって新聞社はありがたい存在である。と、いうのも新聞が書評欄で自社の書籍を取りあげてくれれば、それが強力なPR効果を生むからだ。新聞の読者が老人ばかりになり、部数が減っているとはいえ、中央紙の場合は100万部単位の部数を維持しているうえに、図書館の必需品にもなっているので、依然として一定の影響力を持っている。そんなわけで読売新聞社から懇親会への招待をありがたく受け入れた出版関係者も多いのではないか。

しかし、新聞販売現場の現場を25年にわたって取材してきたわたしの視点から新聞業界を見ると、新聞業界への接近は危険だ。書籍ジャーナリズムに、忖度や自粛を広げることになりかねない。同じ器に入るリスクは高い。新聞業界そのものが、欺瞞(ぎまん)の世界であるからだ。醜い裏の顔がある。

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2022年07月12日 (火曜日)

千葉県流山市で選挙公報を1万部水増し、広がる「押し紙」問題の裾野

10日に投票が行われた参院選で、千葉県流山市の選挙管理委員会が新聞販売店に新聞折込を依頼した選挙公報を、大幅に水増して広告代理店に卸していた疑惑が浮上した。

2021年10月時点での流山市のABC部数は、36,815部である。最新のABCデータ(今年4月、現時点では一般公開されていない)では、これよりも若干部数が減っている可能性があるが、同市はABC部数をはるかに上回る50,128部を広告代理店に発注した。1万部あまりが水増し状態になっている。

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2022年07月07日 (木曜日)

読売の渡辺恒雄主筆、「読売1000万部」の復活を呼びかける、全国各地で確認できるABC部数のロック、定数主義の闇

読売新聞社の渡辺恒雄主筆(写真)が、今年1月の賀詞交換会で「読売1000万部」の復活を呼びかけていたことが分かった。『新聞情報』(1月19日付)は、次のようにこの事実を伝えている。

数10年の間に読売新聞は非常に健全になって、財政的にはびくともしない。経営上の不安はほとんどない。皆さんのおかげで、非常に丈夫な、立派な新聞社に育った。大変うれしいと思っております。この調子で今年もさらに一層、いろんな智恵を出して、もう一遍、1000万部を取り戻したいと思っておりますので、頑張ってください。

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「不当裁判」認定の高い壁、憲法が提訴権を優先も「禁煙ファシズム」を裏付ける物的証拠の数々、横浜副流煙裁判「反訴」

幸福の科学事件。武富士事件。長野ソーラーパネル設置事件。DHC事件。NHK党事件。わたしの調査に間違いがなければ、これら5件の裁判は、「訴権の濫用」による損害賠償が認められた数少ない判例である。(間違いであれば、指摘してほしい)

「訴権の濫用」とは、不当裁判のことである。スラップという言葉で表現されることも多いが、スラップの厳密な意味は、「公的参加に対する戦略的な訴訟」(Strategic Lawsuit Against Public Participation)」で、俗にいう不当訴訟とは若干ニュアンスが異なる場合もある。

それはともかくとして、日本では不当裁判を裁判所に認定させることはかなり難しい。日本国憲法が、裁判を受ける権利を優先しているからだ。第32条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と提訴権を保証している。

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