1. エッセイ

エッセイに関連する記事

2019年01月23日 (水曜日)

日本国憲法の最大の欠点は天皇をめぐる条項、議会制民主主義の理念と矛盾

改憲論がさかんになってきたこの時期に、改めて日本国憲法を読み直してみると、これまであたりまえの条項のように受けとめていた天皇に関する記述に違和感を感じた。憲法の第一条は、

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

と、なっており、以下、第8条まで天皇に関する記述が並ぶ。一国のあり方を方向づける憲法の劈頭(へきとう)に、天皇に関する条文を配置している憲法は、21世紀の現在、世界的にみても珍しいのではないか。もっとも、わたしは憲法の専門家ではないので、確定的なことはいえないが、日本国憲法の構成には、やはり違和感がある。

たとえばアメリカ合衆国憲法の第一条は次のように、国家のあり方、あるいはずばり議会制民主主義の型を宣言している。

第1 条[連邦議会]
 この憲法によって付与されるすべての立法権は、上院と下院で構成される合衆国連邦議会に属する。

続きを読む »

2019年01月12日 (土曜日)

鳩山由紀夫の致命的なツィート、議会制民主主義を否定、皇室史観を露呈

元総理大臣の鳩山由紀夫氏が、日本の議会制民主主義を否定するツィートを投稿した。

  皇太子殿下の学友小山泰生氏の「新天皇と日本人」に、驚愕的なことが書いてある。天皇は国政への権能がないとされるが、法律が憲法上の瑕疵があると思われたら、法律の署名と交付を拒否できるというのだ。新天皇は当然この本の内容を認めておられると思う。首相の暴走に天皇が歯止めをかけられるのだ。(2019年1月7日 )

続きを読む »

2018年12月11日 (火曜日)

フリーランスライターの生活と意見① 生活綴り方と受験の小論文のギャップ

 だれにでも公の場ではあまり語りたくない話題があるものだ。わたしにも不特定の人々が読むメディア黒書では、絶対に取りあげない話題がある。もちろん、酒席でも口外することはない。自分には語る資格がないと考えているからだ。しかし、これでは面白い話題を墓場へ持参することになりかねない。

フリーライターになって21年。それ以前も執筆活動をしていたので、わたしは、かなり長期間にわたって売文業を持続してきたことになる。代筆を含めると、100冊ぐらい単行本を書いている。【続きは次ぎのサイト】

続きを読む »

2018年12月09日 (日曜日)

電磁波問題を取材しようとしたが・・、室内環境学会の閉鎖的な体質

室内環境学会という研究者の集まりをご存じだろうか。数ある「学会」のひとつで、文字通り室内の環境に関する研究をしている人々で構成するグループである。電磁波過敏症や化学物質過敏症の研究者の多くがこの学会に属している。

次に示すのがウエブサイトだ。
http://www.siej.org/

◆◆
さて、この室内環境学会が主催するセミナーを取材しようとしたところ、まったく想像しなかったことが起こった。【続きは次のサイト】

続きを読む »

2018年11月03日 (土曜日)

「押し紙」問題を取材してきた本当の理由、M君暴行事件との接点、隠ぺいという深刻な社会病理

なぜ、「押し紙」問題を取材してきたのかとよく質問されることがある。「一旦着手したテーマで、まだ解決していないからだ」と答えるのが常だったが、正直なところわたし自身よく分かっていなかった。心の深層を探っていくと釈然としないものがあった。正義感ではない。もっと刺激が強い何かを感じてはいたが、具体的な像はかすんで見えなかった。

ところが11月1日に、国会議員会館で小坪慎也(行橋市議)氏らと開催した「押し紙」学習会で、自民党の木原稔議員が、「押し紙」と折込広告の水増し請求を指して明らかな「詐欺」だと断言されたとき、何かに打たれように、「押し紙」問題を取材してきた理由が分かった。漠然とした思考が具体的な輪郭を現したのだ。

続きを読む »

2018年08月04日 (土曜日)

読売のポダムと朝日のポカポン 新聞人を世論誘導に悪用したCIAの大罪

坂道を転げ落ちるようにABC部数を減らしている読売新聞に対して、最近、「あれは本当にジャーナリズム企業なのか」という声があがっている。原発推進を煽ったり、異常なまでに新聞拡販に熱をあげたり、新聞社でありながらプロ野球球団を経営したり、首相と会食を繰り返したり、さらには次々と裁判を起こしたりと、歴史的に見ても同時代的に見ても好奇心を刺激する集団だ。

もちろん新聞の発行部数も尋常ではない。ギネスに登録されている。読売とは何か?

次に紹介するバックナンバーは、2013年1月23日付けのものである。

続きを読む »

2017年11月24日 (金曜日)

素手で便器磨きは美談か? 安倍内閣が進める道徳教育の本質は奴隷の大量生産

  便器を中学生らが素手で磨かされた事件が関心を集めている。J-Castニュースは、その実態を次のように伝えている。

男子トイレ内の便器を女子中学生が「素手」で掃除している写真を巡って大騒ぎが起きている。トイレ掃除をすることによって生徒達の心を磨くことができる、ということだが、写真を見た人から「これって虐待にならないか?」「感染症のリスク高すぎるだろ」といった批判が出て、大量にネットの掲示板やブログに書き込まれる事態になっている出典

この記事が指摘しているように、素手によるトイレ掃除は、「トイレ掃除をすることによって生徒達の心を磨くことができる」という、考えに端を発した道徳教育である。安倍内閣のもとで積極的に推進されている道徳教育=観念論と軌道が一致している。

しかし、このような心がけを重視する発想は、今に始まったものではない。その原型は1960年代、日本が高度経済成長のレールの上を走り始める時代に、文部省の中教審が提言した「期待される人間像」である。だれから期待されるのかを示す主語が省略されて、日本語としては未熟だが、それはともかくとして、心の教育に期待を寄せたのは、ほかならぬ財界である。文句を言わず従順で、心がけがいい人間の大量生産を、日本の財界は「期待」してきたのである。

その期待にこたえて、とんでもない文教政策を進めてきたのが、自民党と文部科学省の先輩である。

その文教政策の土台となってきたのが観念論である。

続きを読む »