1. エッセイ

エッセイに関連する記事

2018年12月11日 (火曜日)

フリーランスライターの生活と意見① 生活綴り方と受験の小論文のギャップ

 だれにでも公の場ではあまり語りたくない話題があるものだ。わたしにも不特定の人々が読むメディア黒書では、絶対に取りあげない話題がある。もちろん、酒席でも口外することはない。自分には語る資格がないと考えているからだ。しかし、これでは面白い話題を墓場へ持参することになりかねない。

フリーライターになって21年。それ以前も執筆活動をしていたので、わたしは、かなり長期間にわたって売文業を持続してきたことになる。代筆を含めると、100冊ぐらい単行本を書いている。【続きは次ぎのサイト】

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2018年12月09日 (日曜日)

電磁波問題を取材しようとしたが・・、室内環境学会の閉鎖的な体質

室内環境学会という研究者の集まりをご存じだろうか。数ある「学会」のひとつで、文字通り室内の環境に関する研究をしている人々で構成するグループである。電磁波過敏症や化学物質過敏症の研究者の多くがこの学会に属している。

次に示すのがウエブサイトだ。
http://www.siej.org/

◆◆
さて、この室内環境学会が主催するセミナーを取材しようとしたところ、まったく想像しなかったことが起こった。【続きは次のサイト】

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2018年11月03日 (土曜日)

「押し紙」問題を取材してきた本当の理由、M君暴行事件との接点、隠ぺいという深刻な社会病理

なぜ、「押し紙」問題を取材してきたのかとよく質問されることがある。「一旦着手したテーマで、まだ解決していないからだ」と答えるのが常だったが、正直なところわたし自身よく分かっていなかった。心の深層を探っていくと釈然としないものがあった。正義感ではない。もっと刺激が強い何かを感じてはいたが、具体的な像はかすんで見えなかった。

ところが11月1日に、国会議員会館で小坪慎也(行橋市議)氏らと開催した「押し紙」学習会で、自民党の木原稔議員が、「押し紙」と折込広告の水増し請求を指して明らかな「詐欺」だと断言されたとき、何かに打たれように、「押し紙」問題を取材してきた理由が分かった。漠然とした思考が具体的な輪郭を現したのだ。

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2018年08月04日 (土曜日)

読売のポダムと朝日のポカポン 新聞人を世論誘導に悪用したCIAの大罪

坂道を転げ落ちるようにABC部数を減らしている読売新聞に対して、最近、「あれは本当にジャーナリズム企業なのか」という声があがっている。原発推進を煽ったり、異常なまでに新聞拡販に熱をあげたり、新聞社でありながらプロ野球球団を経営したり、首相と会食を繰り返したり、さらには次々と裁判を起こしたりと、歴史的に見ても同時代的に見ても好奇心を刺激する集団だ。

もちろん新聞の発行部数も尋常ではない。ギネスに登録されている。読売とは何か?

次に紹介するバックナンバーは、2013年1月23日付けのものである。

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2017年11月24日 (金曜日)

素手で便器磨きは美談か? 安倍内閣が進める道徳教育の本質は奴隷の大量生産

  便器を中学生らが素手で磨かされた事件が関心を集めている。J-Castニュースは、その実態を次のように伝えている。

男子トイレ内の便器を女子中学生が「素手」で掃除している写真を巡って大騒ぎが起きている。トイレ掃除をすることによって生徒達の心を磨くことができる、ということだが、写真を見た人から「これって虐待にならないか?」「感染症のリスク高すぎるだろ」といった批判が出て、大量にネットの掲示板やブログに書き込まれる事態になっている出典

この記事が指摘しているように、素手によるトイレ掃除は、「トイレ掃除をすることによって生徒達の心を磨くことができる」という、考えに端を発した道徳教育である。安倍内閣のもとで積極的に推進されている道徳教育=観念論と軌道が一致している。

しかし、このような心がけを重視する発想は、今に始まったものではない。その原型は1960年代、日本が高度経済成長のレールの上を走り始める時代に、文部省の中教審が提言した「期待される人間像」である。だれから期待されるのかを示す主語が省略されて、日本語としては未熟だが、それはともかくとして、心の教育に期待を寄せたのは、ほかならぬ財界である。文句を言わず従順で、心がけがいい人間の大量生産を、日本の財界は「期待」してきたのである。

その期待にこたえて、とんでもない文教政策を進めてきたのが、自民党と文部科学省の先輩である。

その文教政策の土台となってきたのが観念論である。

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2015年03月13日 (金曜日)

ビジネスの国際化に歯止めがかからない、アンゴラでビジネスフォーラム2015を開催、丸紅など37企業が参加

ビジネスの国際化がとまらない。世界の隅々にまで、日本企業の進出がはじまっている。『アンゴラ・プレス』などの報道によると、同国の首都ルアンダで3月9日から11日までの日程で、「アンゴラ・ジャパン・ビジネスフォーラム2015」が開催された。

日本から丸紅など、37社が参加した。日本側はエネルギーと水に関する投資に関心を寄せているという。

主催は駐日のアンゴラ大使館であるが、経団連や東京商工会議所などが協賛・協力している。

ちなみに時期を同じくして日本では、12日、安倍晋三首相がキューバのカブリサス閣僚評議会副議長と会談し、米国・キューバ間の国交正常化が楽観視されるなか、日本とキューバの経済交流の強化について意見を交換している。

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2014年06月06日 (金曜日)

太宰治のエッセイに見る「名誉毀損」的な表現、ターゲットは志賀直哉、それでも提訴はしなかった

他人の書いた文章を学問的に分析し、言葉じりを捉えては、やれ「名誉毀損だ」、やれ「プライバシーの侵害だ」、やれ「肖像権が侵された」と理屈をこね、「1000万円のお金を払え」、「いや、その表現は5000万円だ」と、高額訴訟をふきかけてくる弁護士が増えている。勝訴を請け負いますと言って、訴訟を勧める。そして訴状には、「回復が不可能なほど心の傷を負った」といった幼稚な誇張・慣用表現を散りばめる。

こんな風潮が日本に生まれたために、言論・表現の自由の幅がどんどん狭まっている。ある意味では、戦前よりも言論が萎縮している。

次に引用するのは、戦前に太宰治が書いた「如是我聞」と題するエッセイである。われわれの世代よりも、よほど自由闊達な精神が読み取れる。志賀直哉を批判した文章であるが、かりに志賀が生きていれば、弁護士が志賀邸を訪れて、「先生、ひとつ裁判をやりましょう。勝訴を請け負います」とひそかに話を持ちかけるのではないか。無論、志賀がこんな話に乗るはずがないが。

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