1. 鳩山由紀夫の致命的なツィート、議会制民主主義を否定、皇室史観を露呈

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2019年01月12日 (土曜日)

鳩山由紀夫の致命的なツィート、議会制民主主義を否定、皇室史観を露呈

元総理大臣の鳩山由紀夫氏が、日本の議会制民主主義を否定するツィートを投稿した。

  皇太子殿下の学友小山泰生氏の「新天皇と日本人」に、驚愕的なことが書いてある。天皇は国政への権能がないとされるが、法律が憲法上の瑕疵があると思われたら、法律の署名と交付を拒否できるというのだ。新天皇は当然この本の内容を認めておられると思う。首相の暴走に天皇が歯止めをかけられるのだ。(2019年1月7日 )

小山泰生氏の説が事実に基づかない妄言であることはいうまでもないが、それを真に受けて、新天皇が自分の権限を使って安倍内閣の暴走に歯止めをかけるべきだと言っているのだ。熟慮しないままこうした言葉を吐いたのだと推測するが、投稿されて5日になるのに、削除されていないということは、これが鳩山元総理の真意である可能性が高い。

このツィートが問題発言なのは、日本の議会制民主主義を否定しているからである。議会よりも、「陛下」の意思で国の方向性を決することができる体制を理想とする前近代的な考え方であるからだ。

こうした思想の持ち主がかつて、議会のトップの座にいたことに、筆者は一種の気味悪さを感じる。安倍内閣が暴走しているとはいえ、それは議会制民主主義に基づいた政策の断行である。国民が自民党を選択した結果なのである。それを議会とは無関係な「陛下」が変えることができる制度は、独裁国家である。

鳩山氏はそれを肯定しているのだ。

◆感性の劣化

鳩山氏のような皇室史観、あるいは英雄史観は、戦前・戦中の支配的な歴史観であるが、鳩山氏のツィートに象徴されるように現在も根強く残っている。彼らにとっては、もし、ナポレオンが古代に登場していたら、世界はもっと早く近代化されていたという理論になる。偶然に天才的な英雄が登場して、その人物が独断で歴史を変えるという考えである。

が、真実はそれぞれの時代にふさわしい人物、あるいは時の権力の利権を守る人物が時代のリーダーになるのだ。考え方の順番が逆なのだ。小沢一郎氏が政治の表舞台に登場したのは、構造改革=新自由主義の導入を進めるにあたり、2大政党制の導入が必要だったからだ。鳩山氏が総理になったのも、構造改革=新自由主義を継続するための2大政党制の茶番劇にふさわしい人物だったからだ。

が、英雄の決断で政治は変わるという歴史観が誤りであることを、鳩山氏自身が思い知ることになった。それにもかかわらず今だに英雄史観を克服していない。

日本の知的レベルが相対的に劣化していると言われるが、おそらく知的レベルとは、個人がもつ知識の量の大小ではないだろう。感性の劣化ではないか。あるいは思考力の劣化。

改めて言うまでもなく、安倍政権が長期化しているのは、財界が政権を高く評価しているからにほかならない。「陛下」の判断で国策が決まる国など、財界も含め、だれも望んでいない。