


- アスベスト・じん肺 (1)
- 中国取材ノート (1)
- 日経新聞 (1)
- 販売店訴訟 (1)
- テレビ業界 (2)
- マスコミ報道・世論誘導 (2)
- 経理・帳簿 (2)
- 電子新聞へ (2)
- ケータイ基地局公害(KDDI関連) (3)
- 公明党・創価学会 (3)
- 巨大部数と世論誘導 (3)
- 新聞セールス・チーム (3)
- 新聞奨学生 (3)
- 日本の政治 (5)
- 言論活動の妨害 (5)
- 公取委 (6)
- 紙面広告 (6)
- インターネット (7)
- 新聞社と警察の関係 (7)
- 渡邉恒雄批判 (7)
- 政治資金 (8)
- 新聞の発行部数 (8)
- 新聞業界の政界工作 (8)
- 販売正常化 (8)
- 原発 (9)
- 司法制度 (12)
- 書評・出版物の紹介 (12)
- 公共広告・折込チラシ (13)
- 裁判・朝日 (13)
- 裁判・毎日 (13)
- ラテンアメリカ (15)
- 山陽新聞のチラシ問題 (15)
- 新聞紙面の批評 (15)
- エッセイ (17)
- 新聞社の経営難 (24)
- 告知・連絡 (29)
- 弁護士懲戒請求 (30)
- 裁判・読売 (35)
- 裁判・黒薮 (46)
- 「押し紙」の実態 (51)
- 携帯電話の基地局問題 (111)

「後から後から出てくる」
そんな言葉が口をついて出る。マイニュースジャパンで最高裁判事がTMI総合法律事務所へ天下っている問題を取り上げたのを機に、他のマンモス法律事務所の実態も調べてみた。その結果、判事の天下りの例が次々と浮上してきた。
たとえばアンダーソン・毛利・友常法律事務所には、最高裁の元判事・河合 伸一氏が天下っている。
西村あさひ法律事務所の福田博氏も元最高裁判事である。
同じく西村あさひ法律事務所の鬼頭季郎氏は、東京高等裁判所の元部総括判事である
他にも調査すれば、次から次へと天下りが出てくる可能性がある。
なぜ、判事の法律事務所への天下りが問題なのだろうか。それは天下りの司法官僚には裁判所に人脈があり、公平な裁判の妨げになるからだ。
判事の天下りがもたらす弊害について、たとえばTwitterで次のような実態が暴露された。
●●法律事務所については、東京地裁民事8部(通称商事部)元判事●●●弁護士の事例があります。●●氏は自分が判事だった民事8部の法廷にいわいる会社側の弁護士としてよく登場します。民事8部が経営者寄りなのは、天下り等癒着が背景にあると思いますので、取材をお願いします。(1100/1800文字)

ネット上の百科事典「ウィキペディア」に読売新聞と文春の確執についての記述がある。それによると「2004年の鈴木編集長の就任以来、読売新聞および渡邉恒雄会長を徹底的に批判しているが、読売から損害賠償請求や謝罪広告を求める訴訟を起こされ、ことごとく文春側が敗訴し、全て賠償命令が下った。支払った賠償金は総額1000万円」だという。
(ウィキペディア:週刊文春)
週刊誌が取材の裏取りをしていないというわけではない。しかし、結果として、鈴木編集長の時代、対文春の裁判では、読売が全勝している。
判決が間違っていたかどうかは知らないが、判事が弁護士として天下りする実態が明らかになったからには、判決の再検証が必要になるだろう。裁判のようにデリケートな事柄に関しては、たった1人の判事の行動により、検証対象になる判決が膨大なものになりかねない。
司法制度改革を主張するのであれば、裁判員制度の導入よりも、「天下り」の禁止を優先すべきではないか?(600/1900文字)

福島第一原発の事故から、まもなく1年になる。この間、過去に提起された原発関連の住民訴訟の判決がことごとく間違いであったことが事実で立証された。福島の悲劇を見て、原発を問題視しな住民はおそらく一人もいないだろう。
そこで浮上してくるのは、社会的に重大な影響を及ぼす判決を下した裁判官の責任である。判決に裁判官の名前が記されているのは、「私が下した判決には、私が責任を持ちます」と言う意味である。
人間である以上は、だれでも間違いを犯す。それゆえに判事も間違った判決を下すことがある。しかし、判事には人を裁くという特別の権限が国から与えられている。普通の人々が絶対に持ちえない特権を与えられている。
と、なれば判決が間違いであったことが事実をもって明らかになった場合は、なんらかの処分を受けるのが妥当ではないだろうか?少なくとも謝罪すべきだろう。それが社会通念である。(500/1600文字)

日本でトップ5に入る規模を誇るTMI総合法律事務所(東京・港区)に、最高裁の判事3人が天下っている事実が判明した。泉徳治、才口千晴、今井功の各氏だ。TMIは「読売VS清武」裁判で、読売側の代理人を務めている。さらに、最高裁は様々な研究会や懇談会を設置しているが、そこに2人の読売関係者が委員として抜擢されていることも分かった。
読売から請求額が計約8千万円にのぼる訴訟を起こされている黒薮哲哉氏の裁判でも、そのうち1件でTMIが読売の代理人に入ってから、高裁まで勝ち進んでいたにもかかわらず、昨年12月、口頭弁論を開く旨の通知があり、最高裁で判決が覆る見通しとなるなど、異例の事態となっている。日本の司法制度に公平な裁判の土壌はあるのか、検証した。(続きはマイニュースジャパン)

今月の1月30日は、喜田村洋一自由人権協会代表理事に対する弁護士懲戒請求を第2東京弁護士会に申し立てて1年にあたる日である。これまでに双方から提出された書面は次の通りである。
黒薮側:懲戒請求申立書
喜田村側:弁明書
黒薮側:準備書面(1)、準備書面(2)
喜田村側:準備書面(1)
黒薮側:準備書面(3)、準備書面(4)
◇これまでの経緯
懲戒請求申立の発端は古く2002年までさかのぼる。この年、YC広川の真村久三店主が読売から商契約の解除を通告されたことを受けて、読売新聞社を相手に地位保全裁判を起こした。
裁判は高裁から最高裁まで真村氏の勝訴だった。
裁判が進行していた時期、読売はYC広川を「飼い殺し」にしていた。しかし、敗訴が濃厚になると、それまでの政策を改めざるを得なくなった。そこで係争中に中止していた担当員による訪店を再開する旨を真村氏に知らせた。
真村氏が弁護士に読売の真意を確認してもらったところ、次のメールが弁護士事務所へ送られてきた。
前略
読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。
当社販売局として、通常の訪店です。
以上、ご連絡申し上げます。よろしくお願いいたします。
わたしはこの回答書を新聞販売黒書に掲載した。すると江崎氏がEメールで回答書の削除を求める内容の催告書を送付してきた。
そこで今度は、その催告書を新聞販売黒書に掲載した。これに対して江崎氏は、催告書は自分で作成した著作物であるから、削除するように求めて、東京地裁へ仮処分命令を申し立てた。判決は、江崎氏に軍配が上がった。
そこでわたしは本訴で争うことにした。
2009年3月30日に言い渡された判決は、わたしの勝訴だった。さらに東京地裁は重要な事実認定を行った。提訴の根拠は、催告書が江崎氏が書いた著作物であるから削除すべきだというものだったが、催告書の作成者を江崎氏の代理人である喜田村洋一弁護士か彼の事務所スタッフの可能性が高いと認定したのである。
つまり喜田村弁護士が催告書を作成したにもかかわらず、催告書の名義を江崎氏に偽って提訴に及んだのである。裁判を起こす権利がないのに裁判を起こしたのである。そこで催告書を作成したとされる喜田村弁護士に対して懲戒請求を申し立てたのである。
このような行為は弁護士職務基本規定75条の次の条文に抵触するというのがわたしの主張である。
【75条】弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。
◇参考資料:
知的財産高裁判決:催告書の作成者が江崎氏ではなくて、喜田村弁護士か彼の事務所スタッフの可能性が高いと認定している。
黒薮:懲戒請求申立書
黒薮:準備書面(1)
黒薮:準備書面(4)【全文公開】

販売店訴訟には、大別して「押し紙」裁判と、地位保全裁判がある。しかし、いずれの裁判でも、「押し紙」をめぐる事務処理が争点になることが多い。
以下に示すのは、これまでわたしが直接取材した裁判のリストである。ただし、若干省略しているものもある。検証作業を目的に作成した。
【1981年】
毎日新聞三ッ沢販売所VS毎日新聞社
「押し紙」裁判。この裁判は毎日が販売店に対して「押し紙」代金の未払いを求めたもの。毎日の勝訴。
【1997年】
金橋新聞販売所VS朝日新聞社
地位保全裁判。奈良県橿原市にある合売店・金橋新聞販売所に対して、朝日新聞社が契約の終了を通知。裁判になった。朝日の勝訴。
【1999年】
沖縄タイムス美田販売店VS沖縄タイムス
地位保全裁判。店主が預かり金の利子値下げに対して承諾を保留したところ、タイムス社が商契約の解除を通知。沖縄タイムスの勝訴。(700/3400文字)

最高裁のHPは、最高裁長官と判事の人事がどのようにして決められるのかを明記している。
最高裁判所長官は,内閣の指名に基づいて天皇によって任命されます。また,14人の最高裁判所判事は,内閣によって任命され,天皇の認証を受けます。
引用文が述べているように人事権を握っているのは内閣である。
先日、自分で作成した「日本の権力構造図」を「黒書」に掲載したところ、「これでは国策に反する判決は絶対に下らないのではないか」という読者からの感想が寄せられた。また、新聞・テレビが権力構造に組み込まれているのであれば、「マスメディアの存在意義がない」のでは、という指摘もあった。

わたしは日本の司法制度やマスコミがまったく無意味と言っているわけではない。たとえば朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、北海道新聞などには優れた報道も見られる。しかし、これは記者個人の大変な努力によって実現していることであって、ジャーナリズム企業として巨大権力に対峙している結果ではない。(600/2000文字)

「エドウィン・カストロ(ニカラグア)の生年月日は不明。彼は四年間の投獄と拷問ののち、一九六〇年五月十八日、ラ・アヴィアシオンの牢獄で殺された。」(出典:大島博光記念館のHP)
詩人でパブロ・ネルーダの翻訳者としても知られる大島博光氏が訳したエドウィン・カストロの詩『明日 すべては変るだろう 息子よ』がインターネット上で紹介されている。
上記の注釈にも記されているように、エドウィン・カストロは、ニカラグアの革命戦士である。没年が1960年になっているから、FSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が1961年に再建される前のメンバーである。
この詩は申し分のない傑作である。少なくとも1979年のサンディニスタ革命の20年前に書かれていたことになる。おそらくは息子への遺言である。
この詩がどのような経路で日本に紹介されたのかを調べてみたところ、どうやら最初は、メキシコの月刊誌『第三世界(tercer mundo 冒頭写真)』のニカラグア特集に掲載され、それをメキシコ在住の日本人バイオリニスト・黒沢ユリ子氏が岩波書店の『世界』で紹介したらしい。その後、大島訳が世に出たものと思われる。
この詩には、3つの世代が登場する。やはり革命家で亡命先で「祖国の風景を見たいと熱心に願いながら」死んでいった自分のおやじ。青春を牢獄に閉じ込められた自分自身。解放された自由な社会に生きるであろう自分の息子。
ニカラグアの人々の闘いが、世代から世代いへと受け継がれていたことがうかがい知れる。
今世紀に入って、ラテンアメリカは激変している。それが一夜にして起こった奇跡ではなかったことが、この詩から読み取れる。誰がラテンアメリカの歴史を作ってきたのか?そんな自問を発するとき、『坂の上の雲』とは、異なった歴史観が見えてくるのである。
明日(あす) すべては変るだろう 息子よ
苦しみは うしろの扉から出て行くだろう
その扉を 新しい人間たちの手は
永遠に 閉めてしまうだろう
農民は これから自分の土地で笑うだろう
──小さくとも 自分の土地で──
楽しい労働にいつくしまれて花咲く土地で
労働者の娘たちも 農民の娘たちも
もう身を売らなくてすむだろう
りっぱな労働で 彼女たちは
パンや着物を 手に入れるだろう
プロレタリヤの家から 涙は消えるだろう
おまえは満足げに 笑いを浮かべて統治するだろう
アスファルトを敷いた街まちを
河の流れを 田舎の道路を
明日 すべては変るだろう 息子よ
もう 思想を抑えつける
鞭もない 牢獄もない 銃弾もない
おまえはすべての町の通りを歩いてゆくだろう
おまえの手に おまえの子供の手を引いて
きょう おれがおまえにしてやれないことをして
牢獄も おまえの青春の歳月を閉じこめないだろう
おれの青春を閉じこめているように
おまえは亡命の身で死なないだろう
ふるえる眼で
祖国の風景を見たいと熱心に願いながら
おれのおやじが死んだように
明日 すべては変るだろう 息子よ
(出典:記念館のHP)【全文公開】

日本の権力構造を図にしてみた。それぞれの領域の関係は次のようになる。思いつくままに箇条書きしてみる。
1、財界は政治献金を提供することで、政策決定をコントロールする。
2、司法制度の長である最高裁長官は内閣によって任命される。従って、行政から独立した権力ではない。
3、司法制度改革を打ちだし、予算を準備してきたのも内閣である。
4、裁判所は、刑事事件の大半を有罪にする。(400/900文字)

裁判の判決が適切だったか不適切だったかは、何により検証できるのだろうか?それは裁判で提示された事実のその後の状況である。
「押し紙」裁判が始まったのは、1980年代の初頭で、今日まで約30年の歳月が流れている。司法が初めて「押し紙」を認定したのは、2011年3月に判決が下された山陽新聞の「押し紙」裁判であった。それまでは一度も「押し紙」を認定したことがなかった。(ただし、地位保全裁判で「押し紙」政策を認定したことはあるが。)
その結果、新聞各社は延々と「押し紙」政策を取り続けたのである。
次にリンクしたのは、写真集は「押し紙」の現場である。これらは誤った司法判断が産み落とした光景にほかならない。
改めて言うまでもなく「押し紙」の最大の被害者は、広告主である。
先に述べたように販売店が勝訴した唯一の「押し紙」裁判は、2011年3月に判決が下された山陽新聞の「押し紙」裁判である。販売店が勝訴した結果、大きな変化があった。
それまでABC部数を基準に販売店に割り当てられていた岡山県の広報紙『晴れの国おかやま』の配布枚数を、岡山県庁が是正したのである。こうして少なくとも『晴れの国おかやま』の水増し問題は解決した。岡山地裁の山口浩司裁判長が、「押し紙」にメスを入れた結果だった。
ところがその他の「押し紙」裁判では、ことごとく新聞社の「押し紙」政策を否定する判決を下してきた。新聞社側の言い分をうのみにして、新聞販売の現場に足を運ぶこともなく、誤った判決を下したのである。
その結果、日本中が「押し紙」であふれた。この事実こそ、判決が誤りだったことを示している。
わたしは誤った判断を下した裁判官は責任を取るべきではないかと思う。判決文に判決を下した裁判官の名前が記されているのは、判決内容に責任があるからではないだろうか。
われわれフリーライターが署名記事を書けば、その内容に責任を持つのと同じように、裁判官は判決により生じる影響にも責任を持ってほしいものだ。【全文公開】

広告主の間で、折込チラシの水増し手口や「押し紙」によりABC部数をかさ上げして紙面広告の媒体価値を引きあげる手口に対する反発が広がっている。
これまで「黒書」には、新聞のABC部数と実配部数に差異があるのか否かという問い合わせがおもに寄せられていたが、最近は、質問内容が変わってきた。ABC部数と実配部数が別ものであることを前提に、どの程度の差異があるのかという質問をよく受ける。
「押し紙」の発生に付随する折込チラシの水増し行為は昔からあったが、裁判所が「押し紙」問題を放置し続けた結果、実態がどんどん深刻になっていったのである。
【動画】「押し紙」と一緒に破棄されるイトーヨーカドーの折込チラシ
しかし、広告主もバカではないから、最近は自主的に折込チラシの発注枚数を減らすところが増えている。しかも、減数幅が大きい。2割や3割のカットは当たり前で、5割カットも珍しくない。(600/2000文字、◇山陽の販売店における折込チラシ水増しの実態)

「黒書」の読者から、最高裁に関する興味深い論文を紹介いただいた。明治大学教授西川伸一氏の論文で「最高裁事務総局の実像に迫る」と、題する論文である。
この論文の中で特に気になることが1点ある。次の記述である。
最高裁裁判官15人の出身別構成は、裁判官6、弁護士4、検察官2、行政官1,外交官1、大学教授1が慣例化している(ただし、現在は行政官2、外交官0)。すなわち、最高裁裁判官のうち9人は裁判官の経験がなく、さらに3人は司法試験を経ていない。
最高裁は法律の運用や解釈に最終判断を行うことから、狭い法律専門家的観点に縛られない識見をそこに反映させるため、というのがその理由である。 各枠に欠員が出れば同じ枠から後任が選ばれる。
たとえば、9月2日に定年退官した才口千晴最高裁判事は弁護士出身であった。その後任には、やはり弁護士の宮川光治が就いた。
「最高裁裁判官のうち9人は裁判官の経験がなく、さらに3人は司法試験を経ていない」と言うのだ。つまり司法試験に合格していない者が人を裁いているのである。「狭い法律専門家的観点に縛られない識見をそこに反映させるため」というのがその理由らしい。
このような考え方そのものは誤っているとは思わない。法律の知識だけで社会や人間の全体像が把握できるはずがないからだ。しかし、実際問題として、最高裁の判事に、各分野の専門家を上回る見識がある者がいるのか極めて疑問が多い。(800/1400文字)

本年度、最初のニュースは、YC久留米文化センター前の改廃事件の記事に端を発した名誉毀損裁判(原告:読売。被告:黒薮)に、昨年末、新たな動きがあったことだ。
この裁判は読売の江崎法務室長らがわたしに対して2230万円(このうち200万円は弁護士費用として請求)の支払いを求めて起したものである。さいたま地裁と東京高裁ではわたしが勝訴した。
ところが昨年の12月末に、最高裁が読売の上告受理申立を受理して、3月2日に弁論を開くことを決定したのである。これは事実上、わたしを敗訴させて、読売を逆転勝訴させる決定を最高裁が下したことを意味する。
民事訴訟の地裁、高裁で勝訴して、最高裁で判決が覆るケースは極めて異例。何が原因なのかを慎重に検討して、今後、ジャーナリズムの観点から問題を追及する予定だ。
あくまでも一般論になるが、ある表現が名誉毀損に当たるかどうかの判断は、極めて主観的な要素が多く、判事の主観でどうにでも判決を変更することが可能ということかも知れない。それゆえに言論活動を仕事にしているもの相互の裁判では、裁判による決着よりも、論争による決着が望ましいが、読売はあくまで司法に判断を委ねている。
さらにこの裁判で気になるのは、読売側の弁護団を務めたTMI総合法律事務所に3人の最高裁元判事らが、天下りしている事実である。公平な裁判という観点からすれば、問題があるのではないか?
ちなみに3名の元判事とは、次の方々である。(敬称略)
◆ 才口千晴
◆泉徳治
◆ 今井治
また、最高裁の研究会や懇談会に読売関係者が委員として協力していることにも問題がある。原告会社と最高裁が一種特別な関係にあることになるからだ。委員になっている読売関係者は、具体的には次の2名である。
◆金丸 文夫(読売新聞社調査研究本部主任研究員)
◆桝井成夫(元読売新聞社論説委員)
(詳細については後日)。
さらに裁判員制度の導入をめぐり、最高裁と新聞業界が共同歩調を取ってきたことも特筆しておかなければならない。最高裁と地方紙が裁判員制度についてのフォーラムを開催して、新聞社がそれを記事にした行為が報告されている。
関与した新聞社のリストは次の通りである。
新聞社の側が最高裁から、紙面広告の出稿を受けていることは言うまでもない。
◆「俺は法廷闘争で負けたことがない」
昨年の11月末にジャイアンツの清武代表がジャイアンツの内部事情を暴露して、裁判の提起をほのめかした際、読売の渡邉恒雄会長は、次のように発言している。
「こっちが法廷に持っていくよ。10人の最高級の弁護士を用意している。法廷なら我が方の 最も得意とするところだ。俺は法廷闘争で負けたことがない」
はらからずも、渡邉氏が口にした「俺は法廷闘争で負けたことがない」という言葉が、わたしの裁判でも現実味を帯びてきたようだ。
確かに渡邉氏が率いる読売は裁判にはめっぽう強い。たとえば第2次真村裁判で渡邉氏は被告の立場にありながら、一度も出廷することなく勝訴している。
本人尋問さえも行われなかった。
これも一般市民の感覚からすれば実に不思議なことである。(この裁判についても、近々に検証を始める予定。本当に本人尋問が不要だったのかについても考えてみたい。)
本年度は、対読売裁判の総検証、司法制度の問題、携帯電磁波の問題に特に力を注ぐことになりそうだ。このうち司法制度改革は、刑事よりも民事の改革の方が先ではないか?
たとえば「押し紙」問題に、司法はいまだにメスを入れていない。過去の「押し紙」裁判の判決が本当に妥当なものだったのかを、現在の混沌として新聞業界の状況を踏まえながら、ジャーナリズムの観点から検証する。
読者の皆様には、情報提供と支援をお願いします。書いて訴えるだけでは不十分であれば、乏しい知恵を絞って運動を起こします。【全文公開】

たとえば次のような状況の下で公平な裁判はできるのだろうか? B新聞の社会部が裁判官についての特集記事を書くために、裁判官Cを取材した。そして裁判官Cを高く評価する記事を掲載した。
その後、B社が名誉毀損を理由に週刊誌Dを提訴した。裁判を担当したのはかつてB社の社会部が特集で取り上げた裁判官Cだった。判決はB社に軍配が上がった。
読売新聞社会部が新聞に連載して、1冊にまとめた『ドキュメント裁判官』(中公新書)という単行本がある。その前書きには、次のような記述がる。
二〇〇一年二月、読売新聞の朝刊で、裁判官をテーマにした連載「裁く」をスタートさせることになったとき、私は取材班に、「裁判のことは、それを担当した裁判官に直接、聞いてみようじゃないか」と提案した。
当時も、それ以前も、記者が裁判官を仕事場に訪ねると、門前払いされることがほとんどだった。法律の規定もあって、判決を出すまでに裁判官がどんな話し合い(評議)をしたかについては、公開してはならないことになっている。「しゃべるだろうか」。取材班の誰もが不安を感じつつ、あらゆる手段を講じ、多くの、本当に数多くの現職、元職裁判官たちにインタビューを試みた。
この本の第4章「素顔の裁判官」で、綿引穣・綿引万里子夫妻が登場する。2人とも裁判官である 読売社会部は綿引夫妻をかなり綿密に取材したようだ。実際、本文の中に次のような記述がある。
穣判事には3日間、万里子判事には四日間の〝密着取材〝を試みた。(1000/2800文字)

裁判員制度を定着させるプロセスの中、2008年12月に最高裁が「裁判員制度の運用等に関する有識者懇談会」を設置したことはご存知だろうか?
有識者会議は、現在までに14回の会合を開いている。委員は8名。
この中には、なんと元読売新聞社論説委員の桝井成夫氏が含まれている。
読売は現在、福岡県を中心に複数の販売店訴訟の当事者である。こうした状況の時に、読売関係者が最高裁と人脈を形成した場合、判決に影響を及ぼさないのか心配だ。
渡邉恒雄氏が法廷闘争に自信をもっていると発言した背景も想像できる。
最高裁が桝井氏をなぜ委員に抜擢したのかは不明だ。一般論からいえばメディア企業の内部に支援者がほしかったということではないだろうか。メディアを無視すれば裁判員制度のPRに支障をきたしかねない
ちなみに第1回の会合で、桝井氏は次のように発言している。
(桝井委員)
司法制度改革のさなかに新聞社で論説委員を務めており,裁判員制度誕生に至るまでの取材を行った。制度実施に当たって重要な検討課題もまだまだ残っているとはいえ,この制度がうまくいけば,刑事裁判はもとより,社会全体がよくなると思っている。社会に定着するかどうかが一番重要であり,経済情勢の悪化など,逆風が強い時期であるからこそ,制度定着のためにしっかり考えていくべきである。この懇談会はその点からも重要なものだと考えている。(第1回)
桝井氏は、最高裁が設置している「明日の裁判所を考える懇談会」の委員も務めている。
その他、読売新聞社調査研究本部主任研究員の金丸文夫氏が「裁判官の人事評価の在り方に関する研究会」の委員を務めている。(冒頭の写真は、金丸氏が喜田村洋一弁護士らと執筆した著書)。
読売以外のメディア関係者も、次に示すように最高裁内部の委員会に参加している。
◆裁判員制度広報企画評価等検討会委員名簿:音好宏(上智大学文学部新聞学科教授)
◆最高裁判所長官公邸の整備に関する有識者委員会: 土屋美明( 社団法人共同通信社論説委員)
◆裁判の迅速化に係る検証に関する検討会委員:野間万友美(株式会社テレビ朝日報道局ニュース情報センター外報部課長)
◆下級裁判所裁判官指名諮問委員会 地域委員会:
神谷達(中日新聞社相談役)
今中亘(中国新聞社顧問)
本多八潮(元時事通信社高松支局長) 【全文公開】

最高裁判所は、16日、裁判員制度の合憲性を認定する初めての判決を下した。しかも、15人の裁判官全員が合憲とする判断だった。
この裁判の発端となったのは、覚せい剤取締法違反事件。被告のフィリピン人女性が有罪の判決を受けたが、弁護側は「裁判官ではない裁判員が審理に関与するのは、被告の裁判を受ける権利を侵害し憲法違反にあたる」などと主張していた。
これに対して最高裁は、合憲の判断を下したのである。
◇複雑な問題を孕んだ裁判員制度
裁判員制度は徐々に定着してきた感があるが、制度を導入するなかで、最高裁と新聞社の特別な関係が浮上した。その典型例としては、最高裁が地方紙と共催でフィーラムを開催し、それについての新聞記事を新聞が掲載した事件である。協働したPR作戦である。
関与した新聞社は次の通りである。
裁判員制度広報推進協議会(最高裁判所事務総局秘書課長兼広報課長、法務省大臣官房長、日本弁護士連合会副会長で構成)が2005年9月27日に発表した「裁判員制度の円滑な実施のための広報啓発の全体計画」は、広報活動を次のように位置づけている。
裁判員制度が円滑に実施されるためには、制度実施までの間に、同制度についての国民の理解と関心を深めるとともに、裁判に参加することへの国民の不安が解消させるよう様々な面で参加環境を整備するなどし、国民の主体的な参加を実現するための施策を尽くす必要がある。
こうした状況の下で最高裁にとって、メディアとの関係が特別な意味を帯びるようになったのである。
同文書には、問題となったフォーラムや新聞社についても次のように言及している。
また、広く全国の国民を対象に、制度の存在、意義等を周知するため、裁判官など法律専門家が参加して広く国民と対話するフォーラム等を全国各地で開催する。さらに、あまねく情報に接することができるよう専用ホームページを設定し、全国紙・地方紙、さらには各種雑誌に広告を掲載するなど、多くの国民の目に触れる機会のある広報を推進し、制度を広く国民に周知してその関心を高める。
◇司法、立法、行政
もともとこの制度は、1997年12月3日、 橋本内閣に設置された行政改革会議が最終報告の中で、司法制度改革の必要性を指摘したことに端を発する。
しかし、司法制度改革についての案そのものは、それよりも遥か以前からあった。1988年、最高裁は、竹崎博允判事(当時46歳、2008年、最高裁長官に就任)を米国に派遣して調査に乗り出した。それから約10年の歳月を経て、司法制度改革は動き始めたのである。
1999年7月、当時の小渕内閣の下で、司法制度改革審議会が設置された。審議会は2001年6月、「司法制度改革審議会意見書 -- 21世紀の日本を支える司法制度」を発表。その中で裁判員制度が例題にあがったのである。
その後、司法制度改革推進法が成立して本格的に司法改革が始まったのである。
こんなふうに見ると、司法制度改革は司法、立法、行政が一体となって押し進めてきたと言えよう。さらにこれらにメディアが加わり、広報の役割を果たしたのである。その中心にたったのが現在の最高裁判所長官の竹崎博允判事である。
竹崎氏は、後日、内閣の任命により、高裁長官から一挙に最高裁長官に抜擢されたのである。このような昇進が異例であることは論をまたない。
◇再び清武裁判の公平性について
さて、わたしが司法制度改革のプロセスを持ちだしてきたのは、最高裁とメディアの関係を再検証するためである。すでに述べたように、最高裁と新聞社は「ギブ・アンド・テイク」の関係にある。
最高裁は、新聞社に広告料を提供する。これに対して新聞社は裁判員制度を記事でPRする。こうした「あうん」の関係が成立した時、そこに癒着が生じるのは言うまでもない。
読売の渡邉恒雄氏は、法廷闘争に絶対の自信を持っている旨の発言をしているが、その背景にある最高裁と新聞業界の親密な関係を見越したうえでの発言かも知れない。
新聞社がかかわった裁判といえば、清武裁判が全国的に有名だ。最高裁と新聞業界の間に客観的な利害関係が存在している状況の下では、「公平な裁判」は幻想に化す恐れがある。
まず、優先しなければならないのは、刑事裁判の改革ではなく、公平な民事裁判の実現ではないだろうか。(全文公開)

メディアが警察のPRを展開するケースが増えている。
12月20日に放送されたTBS「密着警察24時」は、恐ろしいドキュメントだ。明らかに警察が撮影したと思われる画像をたれ流して、警官の活躍ぶりを描いている。彼らを冷静沈着な善人、あるいは市民の模範生として描き出しているのだ。
12月21日には、TBSに続いてテレビ朝日も警官のドキュメントを放送した。年末の飲酒運転を取り締まる警官に密着して、飲酒運転で免停になるケースなどを紹介している。警官は、泥酔いした市民に対しても礼儀正しく、親切だと言いたいようだ。
12月22日付けの読売新聞は、小中学生の作文コンクール「わたしのまちのおまわりさん」の受賞作品を掲載している。このコンクールは読売などの主催で、警察庁や文部科学省などが後援している。
このうち内閣総理大臣賞に選ばれた作品のタイトルは、小学校低学年の部が「ありがとう おまわりさん」。小学校高学年の部は、「わたしたちのおまわりさん」である。
このうち前者は、東日本大震災の被災地の小学生が書いた作品で、震災で壊滅状態になった町に、たくさんの「おまわりさん」がやってきて、てきぱきと仕事をこなす姿を見て、感謝の気持ちを養ったという内容である。
後者は、交通事故の聞き取り調査をうけた作者が、「おまわりさん」がいかに心が温かい人々であったかを描いている。
これら警官をテーマにした作品を視聴したり読んだりして、わたしは病的に制作者の視野が狭いと感じた。もちろん子どもの作文に関しては、審査員の側に責任があるのだが。
そもそも映像作品や文芸作品(ルポ、作文、小説など)の面白さは、既存の価値観をはみだして、新しい要素を発見することである。警官のもっとも一般的でステレオタイプな人間像は、規律、親切、奉仕の精神、等で表現できそうだが、こんなことはわざわざ書かなくても誰もが分かり切ったことだ。
それゆえに被災地に警官がやってきて住民に対して親切に振る舞った体験を読んでも、警官についての新しい側面はなにも見えない。過去に形作られたイメージや概念の再生産にすぎない。
夏目漱石の『坊っちゃん』が高い評価を受けているのは、教員が絶対的な権威を振りかざしていた明治時代に、教頭や校長を時代遅れの人間として描いた点である。それだけ漱石の感覚が進んでいた証である。漱石がヨーロッパを見たから、明治時代の教員たちが古臭い感覚の持ち主に感じられたのではないか。
(1600/2700文字)

福岡県太宰府市で携帯基地局の設置に関する条例が、15日に賛成多数で制定されたが、市長が再議提案したという。
発端は小学校の校舎から100メートルのところに、携帯基地局が設置されたこと。そこで九州大学芸術工学部准教授(環境政策)の近藤加代子さんが、児童を対象とした健康調査を行ったところ、顕著な結果が現れた。
3階建校舎の上の階へ行くほど、症状を訴える児童が増えたという。
【毎日新聞の記事・福岡版】
携帯基地局設置条例:賛成多数で可決も、市長が阻止へ再議提案--太宰府市議会 /福岡
実は、太宰府の基地局問題は、新聞でも比較的報じられている。読売新聞も「続・増える環境過敏症」で取り上げている。
ところが新聞報道では、問題が起きているのがどこの小学校で、どこの電話会社の基地局なのかが明記されていない。つまり新聞記事の原則が完全に無視されているのだ。
携帯電磁波の問題を報じたことは評価できるが、日本を代表するメディアがこのレベルでは、お先真っ暗だ。
そこで毎日新聞、読売新聞、それに太宰府に問い合わせてみた。その結果、新聞社よりも市役所の方が情報開示が進んでいることが明らかになった。(800/1400文字)

TMI総合法律事務所に最高裁の元判事らが顧問弁護士として次々と再就職している問題の続報である。顧問弁護士以外にも次のような肩書きで官僚や公取委の関係者が再就職していることが分かった。括弧内は主な経歴。敬称略。
【客員弁護士】
杉本和行 (財務事務次官)
村上光鵄 (東京高等裁判所部総括判事〈長官代行・財政経済事件集中部〉
【TMI総合法律事務所顧問】
松山隆英(公正取引委員会事務総長)
これで公平な裁判が出来るのか疑問がある。なぜ、制度を変えないのだろうか?温存することで、現在の権力構造を守る方向で判決を下させる余地を残すことができるからではないだろうか?
ただ、このような実態が以前からあったのか、最近のことなのか、あるいは全国の他の法律事務所でも類似した実態があるのかは不明だ。
ちなみに最高裁の判事を任命する権限を持つのは内閣である。三権分立の考え方からすれば、これ自体がおかしなことだ。
【全文公開】

15日付け「黒書」の記事で、読売の代理人を務めているTMI総合法律事務所の顧問弁護士に、最高裁の元判事が2名が就任していることを報じた。その後、くわしく調査したところ、この法律事務所には、10名の顧問弁護が在籍しており、そのうちの3名が元最高裁判事であるほか、元知的財産高等裁判所長、 大阪高等検察庁検事長、公安調査庁次長、広島高等裁判所長官、検事総長などが再就職していることが分かった。
TMI総合法律事務所の弁護士らは、最近、読売の裁判で代理人を務めており、清武裁判でも登場してきた。公正な裁判ができるのか、大きな疑問がある。
再就職した弁護士のおもな経歴は次ぎの通りである。かっこ内が主な経歴。敬称略。
塚原朋一(知的財産高等裁判所長)
才口千晴(最高裁判事)
泉徳治(最高裁判所判事)
今井治(最高裁判所判事)
頃安健司(大阪高等検察庁検事長)
三谷紘(公安調査庁次長、公正取引委員会委員)
相良朋紀(最高裁判所司法研修所長、仙台高等裁判所長官、広島高等裁判所長官)
樋渡利秋(東京高等検察庁検事長、検事総長)
小幡葉子(白鷗大学法科大学院教授)
野木正彦(日新製鋼株式会社勤務)
仮にAさんとBさんが法廷闘争を展開しているとする。裁判官をCとする。かりにAさんの弁護士が元判事で、C判事と年賀状をやとりしたり、雑談する中であれば、おそらく公平な裁判は不可能だろう。不可能と考えるのが社会通念である。(続)【全文公開】

- 2012年 1月 (13)
- 2011年 12月 (16)
- 2011年 11月 (21)
- 2011年 10月 (16)
- 2011年 9月 (17)
- 2011年 8月 (16)
- 2011年 7月 (16)
- 2011年 6月 (18)
- 2011年 5月 (22)
- 2011年 4月 (20)
- 2011年 3月 (20)
- 2011年 2月 (21)
- 2011年 1月 (12)
- 2010年 12月 (15)
- 2010年 11月 (21)
- 2010年 10月 (23)
- 2010年 9月 (23)
- 2010年 8月 (18)
- 2010年 7月 (16)
- 2010年 6月 (30)
- 2010年 5月 (23)
- 2010年 4月 (17)
- 2010年 3月 (18)
- 2010年 2月 (22)
- 2010年 1月 (21)
- 2009年 12月 (22)
- 2009年 11月 (23)
- 2009年 10月 (27)
- 2009年 9月 (15)




















