


- 言論活動の妨害 (0)
- テレビ業界 (1)
- 公共広告・折込チラシ (1)
- 公取委 (1)
- 新聞紙面の批評 (1)
- 日経新聞 (1)
- 紙面広告 (1)
- 販売店訴訟 (1)
- インターネット (2)
- 書評・出版物の紹介 (2)
- 経理・帳簿 (2)
- 裁判・朝日 (2)
- 販売正常化 (2)
- 電子新聞へ (2)
- 山陽新聞のチラシ問題 (3)
- 巨大部数と世論誘導 (3)
- 政治献金 (3)
- 新聞の発行部数 (3)
- 新聞セールス・チーム (3)
- 新聞業界の政界工作 (3)
- 告知・連絡 (5)
- 読売と警察の関係 (5)
- ラテンアメリカ (6)
- 裁判・毎日 (7)
- 「押し紙」の実態 (10)
- 新聞社の経営難 (13)
- 裁判・黒薮 (13)
- 裁判・読売 (14)
- 携帯電話の基地局問題 (4)

真村裁判は、尋問へ向けた手続きに入った。この裁判は、2001年から読売との係争に巻き込まれて、自店を「死に
店」にされたり、新聞セールス団の派遣をストップするなどの嫌がらせなどで、経済的にも精神的にも損害を受けた真村久三さんが、2008年に読売新聞社などを相手に、約9200万円の損害賠償を求めたものである。
これに先立つ地位保全裁判は、2007年12月、最高裁で真村さんの地位が認定された。しかし、半年後に読売は真村さんの店を一方的に改廃した。
現在、真村さんは第2次の地位保全裁判と損賠賠償裁判(2つの裁判は統合されている)を戦っている。
◇渡邉恒雄主筆・会長への尋問は実現するか?
2月2日、福岡地裁で行われた口頭弁論で、真村さんの弁護団は、次の4人の尋問を裁判所に申請した。
①杉山力氏
②渡邉恒雄氏
③真村直美氏
④真村久三氏
このうち最も注目されるのは、渡邉恒雄氏が法廷に立つことになるかどうかである。改めて言うまでもなく、渡邉氏は、読売の主筆・会長で、実質的に読売の最高実力者である。さらに新聞文化賞の受賞者で、日本の新聞業界の手綱を執ってきた人物である。
原告側がなぜ渡邉氏の尋問を申請したのかは、わたしの推測の域を出ないが、真村事件の背景にある読売新聞社の経営理念を検証することが主目的ではないか。
たとえば渡邉氏は1991年7月に「販売第一主義」を宣言した張本人である。この「販売第一主義」が、真村さんら読売の意にそぐわない店主を一方的に切り捨てる結果を生んだ可能性はないのか?あるいは「販売第一主義」が販売店に過剰な新聞を搬入する思想的な根拠になっていないか?
さらに最高裁が真村さんの地位を保全したにもかかわらず、半年後に新聞の供給を一方的に止めた事実と、読売の経営方針がどうかかわっているのかも解明されなければならない。
新聞販売黒書で繰り返し述べてきたように、裁判所が読売に対して、真村さん経営のYC広川へ新聞を供給するように司法命令を下しているにもかかわらず、読売はそれに従っていない。こうした読売の方針に、同社の最高責任者である渡邉氏が、どのような形の指示を出していたのかも解明されなければならない。
わたしは個人的に渡邉氏が司法についてどのように考えているのかを知りたい。興味がある。と、言うのも読売はわたしに対しても、3件の裁判を提起しているからだ。
◇司法命令拒否に関する質問状
読売が司法命令に従わない問題は、わたし自身の取材テーマでもある。読売にもこの点について書面で質問してみたが、「係争中」を理由に返答はできないとのことだった。
以下、参考までにわたしが読売西部本社の広報宣伝部へFAXした質問状を紹介したい。(2000/2600文字)【事件番号は「平成20年(ワ)第3139号 損害賠償請求事件」、福岡地裁で裁判資料の閲覧可能】

民主党の小沢一郎幹事長の政治資金問題がマスコミを賑している。わたしはこの件に関して、世論誘導の可能性を感じている。あくまで仮説という前提で推論を展開してみたい。
2月7日付の朝日、読売、毎日の各紙は、申し合わせたように政治に関する世論調査の結果を1面のトップで報じた。中央紙だけではなくて、東京新聞も共同通信による世論調査の結果を掲載している。
わたしは東京に住んでいるので、地方紙の紙面は現時点では確認できないが、東京新聞と同様に共同通信の配信記事を載せているのではないかと推測する。仮にそれが当を得た予測とすれば、日本全国で発行される約4500万部の新聞の大半が、1面でほぼ同じ内容を伝えたことになる。
さらに新聞社とテレビ局は系列化しているので、世論調査の結果はテレビでも報じられる可能性が大きい。かくて大半の日本人は、なんらかのかたちで世論調査の情報に接することになった。
◇世論誘導「自民か、民主か?」
小沢氏の進退に関する世論調査の結果を集約すると、小沢氏は辞任すべきだという世論が大勢を占めたようだ。それが大きく報じられた。参考までに調査結果を伝える朝、読、毎、それに東京(共同)の見出しを引用してみよう。
朝日:「小沢幹事長辞任を」68%
読売:小沢幹事長「辞任を」74%
毎日:不起訴でも「辞任を」69%
東京:「小沢氏辞任を」72%
それにしてもなぜ同じ日に、同じような世論調査の結果を発表したのだろうか?とても偶然とは思えない。
◇小沢氏は元自民党の構造改革推進派
新聞関係者が自覚しているか否かは別として、わたしは小沢氏に対するバッシングには、日本の権力構造全体がかかわっていると推測している。小沢氏をバッシングすることで、自民党と民主党のバランスを取り戻そうという意図があるのではないか?。だから小沢氏は逮捕されなかった。検察は最初から逮捕するつもりもなかったのでは。
小沢氏の政治資金問題を考えるとき、大きな背景として自民党の衰退と民主党の躍進という状況がある。この両党は、新聞報道により対立しているかのように描かれていても、基本的には自民党の右派と左派ぐらいの違いしかない。日本の財界は、両党をコントロールすることによって、2大政党制を維持しようとしているようだ。
自民党と小沢氏の同一性を的確に指摘した記述を紹介しよう。一ツ橋大学の渡辺治教授が、1993年の小沢氏による「政変」について述べたくだりである。
財界が要求する、農村や都市自営業に対する保護を取り外し自由競争に任せる道は、自民党議員の支持基盤の縮小・喪失をもたらすものであるだけに、(黒薮注:自民党は)おいそれと財界の要求(黒薮注:構造改革のこと)を受け入れるわけにはいかなかったのである。
そこで、業を煮やした財界は、自民党内の小沢一郎ら改革推進派に肩入れをして、一九九三年の政変をもたらした。政変による政権の座からの転落と細川政権が実現した「政治改革」によって、自民党は転向を余儀なくされたのであった。
政権の座から滑り落ちた直後、財界は「無情」にも、それまで毎年行ってきた、一二〇億円にのぼる自民党への献金斡旋を中止してしまった。自民党は青くなった。
自民党はなりふりかまわず社会党と組んで、村山政権を樹立し政権の座に返り咲くとともに、「構造改革」の推進に踏み切ることによって転向を表明した。こうして、自民党は「構造改革」推進政治へと舵を切ったのである。
(『構造改革政治の時代』花伝社)
ところが自民党は、構造改革にもたついた。森首相に至っては、メディアからさんざにバカにされ、無能のイメージを刻印された。そこに彗星のごとく登場して情け容赦なく構造改革を断行したのが小泉首相である。新聞もそれを支援した。
こんなふうに考えると、小沢氏の方針は、根本的には自民党の路線と同じだ。
小沢氏が最初に提唱したことを、小泉氏が実現したのだから、「対立」どころの構図ではない。小沢氏は、自民党よりも財貨よりともいえる。
むろん民主党の中には、リベラルな議員もいるが、小沢氏が幹事長に座っている事実は、この党の性格を象徴しているのではないか。
◇巨大部数による世論誘導
日本の権力構造の構成員は、小沢氏を排除したいわけではない。二大政党制を維持することで、ぼろもうけが出来る現在の体制の延命を図るために、小沢氏の政治資金問題を持ち出して、自民党とのバランスを取った可能性の方が高い。
第1に不自然なのは、問題となっている政治資金問題は、2004年から07年ごろにかけての案件である。今になって問題にしたこと自体がおかしい。
第2に世論調査の結果発表日が、同じなのが不自然だ。
第3に、世論調査の質問が「自民か、民主か?」といった設定になっている。(共同の調査項目は、現時点では確認できない)これは意図的な質問設定ではないか?
「自民か、民主か?」と言った対句の表現を使うと、第三者の存在が薄れる特徴がある。これは文章心理学でも確認されている原理である。
世論調査の質問設定を見ただけで、二大政党制への世論誘導の意図が見え見えだ。権力構造の一部である新聞社が、世論誘導に協力したところで不思議はない。あるいは検察の策略に引っかかった?。
メディアによる洗脳の流れは、「小泉劇場」(自民の応援)、「政権交代」(民主の応援)、「小沢バッシング」(自民の応援)というかたちになっている。
小沢氏に関係した疑惑そのものはすべて解明されるのが望ましいが、小沢氏をめぐる一連の動きの背景に、2大政党制により現在の権力構造を維持しようとする大きな力が働いている可能性がある。
新聞の情報を鵜呑みにしていると、洗脳されてしまう。新聞の横並び報道に裏には、想像以上に大きな意図が隠されている可能性がある。 (3800/3800文字、全文公開)

折込チラシの一世帯あたりの配布枚数が前年割れを続けるなか、新聞社が偽装部数(押し紙)を販売店に買い取らせてABC部数をかさ上げし広告収入を得るビジネスモデルが崩壊しつつある。
毎日新聞は、販売網の崩壊を想定し、朝比奈社長が有料の電子新聞を意識した発言をするようになった。だが、課金に耐えうる商品は持ち合わせていない。ジャーナリズム活動によって成長したわけではなく、セールス団による異常な拡販活動と押し紙によって巨大化してきた組織だからだ。
電子新聞の契約を、洗剤などの景品で釣って獲得できるはずがなく、電子新聞にはチラシを折り込むこともできない。既存新聞社には、いばらの道しか残されていない。(続きはマイニュースジャパン)

福岡地裁がYC広川へ新聞の供給を再開するように命じた仮処分命令を、読売が無視していることに批判が広がっている。ジャーナリズム企業による司法蹂躙(じゅうりん)が憂慮すべき事態であることは言うまでもない。一般企業に、司法命令を無視した前例はあるのだろうか?
新聞各紙が厳しく批判した司法無視の有名な例としては、プリンスホテルのケースがある。
◇プリンスホテルの事件
これは、日教組がプリンスホテルで教研集会を開催する段取りを取っていたところ、右翼からの圧力に屈してホテル側が、07年11月、一方的に契約を解約した事件。日教組は仮処分申請を申したて、東京地裁も東京高裁もプリンスホテルに対して施設を使用させるように命じた。しかし、プリンスホテルは司法命令に従わなかった。
その後、日教組はプリンスホテルなどを相手取って、約2億9000万円の損害賠償を求める訴訟を提起した。東京地裁は、09年7月にプリンスホテルに対して請求額の全額支払いと全国紙への謝罪広告掲載を命じた。
司法命令に従わない代わりに、間接強制金(制裁金)を支払えば、それですむのであれば、資産家は自分の独断で何をやってもいいことになりかねない。読売は、まずYC広川への新聞供給を再開すべきではないだろうか。その上で裁判を続けるのが社会通念である。
◇延べ3度の司法無視
最初に福岡地裁が読売に対して、YC広川へ新聞の供給を再開するように命じたのは、08年の11月だった。しかし、読売はこれに従わなかった。2度目の命令は、10年の1月だった。読売はこの時も命令に従わなかった。
さらに2008年3月のYC久留米文化センター前の改廃事件でも、裁判所が新聞の供給を命じる仮処分命令を出したが、読売はそれに従わなかった。もっとも異議審では、命令が取り下げられているが、本来であれば、一旦、新聞供給を再開した上で、裁判を続けなければならなかった。
ジャーナリズム企業がなぜ、司法のルールを守らないのかま理解に苦しむ。
「自分たちは選ばれた特別な存在」という意識がどこかにあるのか?プリンスホテルの司法判断無視を批判した新聞各社は、読売の方針については、批判どころか、何も書かない。ろくに報道もしない。
さらにわたしが疑問に思うのは、読売の代理人弁護士が、読売の法務関係者にどのようなアドバイスを行ったのかという点である。(1300/2200文字、◇教育現場に読売新聞は不適切)

新聞販売黒書で既報したように読売は、真村さんの地位を保全した福岡地裁の決定を不服として、福岡高裁へ保全抗告を申し立てる手続きに入ったようだ。
ごく普通の法的手段のようにも思えるが、一連の真村裁判(地位保全)には見過ごせないもうひとつの側面がある。
しかし、この点に言及する前に、手短に真村裁判の足跡を振り返ってみよう。
◇真村さんの地位保全裁判の経緯
真村さんが読売から改廃通告を受けて、地位保全の本裁判を提起したのは2001年である。福岡地裁久留米支部で地位が保全されたのは、2006年9月。その後、福岡高裁でも勝訴。さらに2007年の12月に最高裁が、福岡高裁の判決を認定するかたちで係争に終止符を打った。
重大問題はそれから発生した。最高裁の決定から、わずか半年後の7月31日、読売は真村さんとの商契約を一方的に破棄。YC広川への新聞の供給をストップしたのである。
そこで真村さんは再び地位保全の裁判を起こさざるを得なくなった。まず、緊急措置として、YC広川への新聞の供給を再開するように仮処分命令を福岡地裁に申し立てた。福岡地裁は、これを認めて、2008年11月に読売に対して新聞の供給命令を出した。
ところが読売はこれを無視。そこで裁判所は読売に対して、1日に3万円の間接強制金(制裁金)を課した。
読売は裁判所に異議を申し立てた。異議審は約1年を要して、2010年の1月15日に判決が下された。それはYC広川への新聞の供給を再開するように厳命する内容だった。これにより裁判所は2度も読売に対して、新聞の供給再開を命じたことになる。
ところが読売は再び司法命令を無視。1月末になって、内容証明郵便で真村さんの弁護団に福岡高裁で保全抗告の手続きを取る旨を伝えてきた。もちろんYC広川への新聞の供給を再開するつもりはないことも紙面に明記されていた。
◇司法を踏みにじる
読売が司法命令に従わないことに対して、批判が広がっている。読売の方針の何が問題なのか?原告弁護団の江上武幸弁護士は、次のように話す。
「読売は、裁判所から2度にわたり真村さんの販売店に新聞の供給を再開するよう命じられたにもかかわらず、それに従うことを拒否する旨の回答をしてきました。読売の論法は、高裁に不服申立を行うので、真村さんに新聞の供給を命じた仮処分命令には従わないというものです。
しかし、これは読売の身勝手な屁理屈といわざるを得ません。例え、裁判所の仮処分決定に不服があっても、決定が出た以上それに従うのは当然の義務です。読売は、先頃、東京地裁が日教組にホテルの会場の使用を認めるよう命じた件で、ホテル側がその命令に従わなかった問題について、そのホテルの取った行動を法治国家にあるまじき身勝手な行動であると厳しく批判しました。
外部に対しては厳しく批判したのと同じ問題でも、自分の場合は許されるとでもいうのでしょうか。
間接強制金を払いさえすれば、裁判所の仮処分命令には従わなくともかまわないといった読売の身勝手な行動は、裁判所の権威をおとしめ法治国家の基盤を危うくするものです。法治国家の最低のルールさえ守ろうとしない読売には、国民からの厳しい批判が避けられないでしょう」(2000/2900、◇まず新聞の供給再開を、◇新聞協会は問題を放置)

真村裁判の仮処分申請異議審で先月15日に敗訴した読売が、福岡高裁に保全抗告を申し立てることが分かった。これで真村裁判は継続になる見込み。
先の判決で福岡地裁は、読売に対して真村さん経営のYC広川への新聞供給を再開するように命じていた。

新聞の発行部数は、ABC部数として公表されているが、実配部数は闇の中に隠されている。しかし、広告主が知りたい肝心なものは、実配部数の方である。
「押し紙」が含まれている発行部数を知ったところで、商戦略には何の役にも立たないからだ。実配部数を正確に把握して、初めて広報戦略を立案できるのだ。
しかし、新聞社はみずから実配部数を公表するつもりはないようだ。たとえば読売VS週刊新潮(+黒薮)の裁判の中でも、読売の喜田村洋一弁護士は、「押し紙」が3割から4割あるというわたしの推論を、被告側が立証するように求めている。
確かに日本の名誉毀損裁判では、被告の側に真実性、あるいは相当性の立証責任が生じるらしい。(米国の司法ルールとは逆)。
しかし、新聞社がみずから実配部数を明確化しなければ、広告主は広告効果を予測しようがない。また、広告料金が適正なのか、不適正なのかも判断もできない。
最近、紙面広告の需要が急落していると聞くが、広告主の立場からすれば、実配部数が明確になっていない新聞への広告出稿は高いリスクを負うからではないだろうか。
特に不況の下では、無駄な広告費を削ることを原則にしている企業が多く、広告詐欺のリスクを避けようとする力が働いているようだ。
◇新聞人が猛抗議
現在、内閣府関連の広報紙は新聞折込の形で配布されている。新聞販売店に卸される広報紙の総数は、現在、3600万部である。これに対してABC部数は約4500万部。内閣府は「押し紙」の存在を推測してこのような数字を設定したものと思われる。
ちなみに2008年3月より以前、広報紙の配布枚数は、3000万部だった。この数字が3600万部に改まったのは、新聞人たちが「広報紙が足らない、もっとよこせ」と猛抗議したのが発端だった。
これに応えるかたちで、内閣府は折込定数を3600万部に改めた経緯がある。
◇プロセスを誤った政府広報
しかし、内閣府は折込定数を3600万部に改める前に、実施しなければならない大切な事を忘れていたのではないか。それは新聞の実配部数をみずから公表するように、新聞社を厳しく指導することである。(1300/2200文字、◇偽の読者名と偽の住所がパソコンに)


読売の渡邊恒雄会長は、同社の販売政策にどの程度かかわってきたのだろうか?。業界紙などの報道によると、渡邉氏は現在の経済状況の下でも、「読売1000万部」の堅持を呼び掛けているようだ。
◇「渡辺社長の販売第一主義」
高齢とはいえ読売のトップが販売政策を指導することになんら不思議はないが、販売店サイドから苦情がわたしの耳に入っているのも事実である。その大半は、いくら渡邉氏の指示とはいえ、新聞離れの時勢で現状の部数を維持するのは至難の業だというのだ。
渡邉氏と販売政策のかかわりを、『読売新聞百二十年史』を手がかりに検証してみよう。『読売新聞百二十年史』の583ページに、渡辺氏と新聞販売政策の関係を示す記述がある。見出しは、「渡辺社長の販売第一主義」である。
九一年七月八、九の両日、東京読売会と読売七日会の平成三年度総会が東京・紀尾井町のホテル・ニューオータニで開かれた。務台名誉会長の逝去に伴い本社の経営陣が新しい体制になってから初めての販売総会で、あいさつに立った渡辺恒雄社長は、
紙面と社論に自信を示すと同時に「これからは販売第一主義を採る」と宣言、言論の自由を守るため、労務難に直面している宅配制度の維持に全力をあげる方針を明らかにした。
渡邉氏が読売の販売第一主義を決定した事実が記録されている。渡辺氏が打ち出した方針は、販売関係者にも大きな影響を及ぼしたようだ。『読売新聞百二十年史』には、次のような記述がある。
「販売第一主義」の表明は販売の第一線に携わるYSCの人々の間に大きな反響を呼んだ。販売総会での渡辺社長のあいさつを受けて、酒井通友・東京読売会会長は「務台名誉会長を亡くし、失意のどん底にあったが、本社は電光石火の速さで新たな指導体制を確立した。
これは、いかなる危機にも動じない務台イズムの継承を内外に知らしめたと言え、誠に心強い。『販売第一主義』を聞いて、ありがたいと思うとともに責任の重さを痛感している」と述べた。
また川合勝田・読売七日会会長は「販売が重要だとおっしゃる渡辺社長の言葉に対し、われわれは心機一転やらなければならない」と決意を示した。
◇部数を力に政界へ
渡邉氏が販売第一主義を採用したのは、部数を力に、読売の影響力を強める意図があったからかも知れない。事実、渡邉氏はその後、改憲論を打ち出したり、政治家との関係を密にするようになる。(1300/2300文字◇販売政策で人生を狂わされた店主も)

YC小笹の「押し紙」裁判で福岡高裁は、元店主の請求を棄却した。
判決の趣旨をかみ砕いていえば、次のようになる。
補助金等で店主が「押し紙」により被る損害を相殺すれば、『押し紙』でABCをかさ上げしても司法は関知しない
恐るべきことに、「押し紙」を容認したのである。一般の市民の常識では考えられない判決である。今後、海外の識者をも含めて判決文を検証する必要がある。
この裁判では、YCの店舗に「押し紙」(新聞関係者の表現を借りると「積み紙」、あるいは「残紙」。一般的には過剰になった新聞全般を指して「押し紙」と呼ぶ)があったが、補助金の支給などが行われていたので、「押し紙」によって元店主が損害を受けたとは言えないというのが裁判所の判断である。
判決文の次の記述が、「押し紙」裁判の難しさを象徴している。
しかし、新聞購入契約における購入部数は販売店(控訴人)と新聞社(被控訴人)との間で決められるものであるから、仮に当該販売店担当地区の購読者数が折込広告料の料金の基礎となるもので、
被控訴人が対外的に発表する購読者数が実数よりも多数であることが、折込広告に係る契約の効力に影響を与えるものであったとしても、そのことが直ちに控訴人と被控訴人間の新聞購入契約の効力に影響を与えるものではないから、控訴人の主張は採用できない。
◇「押し紙」問題と正面から対峙せず
「押し紙」により、ABC部数が不透明になっても、それは販売店と新聞社の商取引とは無関係であるから、司法が判決する対象にはならないと言っているのだ。
しかし、経済面の損得だけを判断基準として採用すれば、「押し紙」により新聞社がABC部数をごまかしても、補助金の支給などにより販売店に損害さえ与えなければ、許容範囲ということになってしまう。
「押し紙」をしても店主に損害を与えなければ裁判所は、関知しないということになる。社会通念上、このような論理は受け入れられるものではない。恐ろしい判決である。
繰り返しになるが判決は、「押し紙」裁判でありながら、「押し紙」政策そのものについての言及を避け、「押し紙」と補助金等による相殺関係を対象とした収支の「損得」が検証の中心になっている。わたしは肝心な点がタブー視されているような印象を受けた。
私見になるが、結局、「押し紙」問題にメスを入れるためには、新聞のビジネスモデルそのものに問題があることを立証する必要があるのではないだろうか。そのためには、店主が集団で訴訟を起こすことが、今後、鍵になりそうな気がする。
「押し紙」政策が普遍的なものであるこを裁判所に理解してもらうためには、集団訴訟が有効だ。個々の販売店が「押し紙」裁判を起こしても、「押し紙」による収支の損得計算に終始してしまう恐れがあるからだ。「押し紙」政策の普遍性を、裁判所に理解してもらうためには、被害を受けた販売店の数量が必要。
ただ、現在の新聞のビジネスモデルを法的な観点から見た場合、どこに違法性があるのかも検証しなければならない。(判決文は、なんからの形でネット公表予定)
◇毎日・箕面販売所の「押し紙」裁判
2007年5月に毎日新聞・箕面販売所(大阪府)の元店主が提起した「押し紙」裁判の本人尋問が、大阪地裁で1月25日の午後おこなわれた。法廷に立ったのは、原告の元店主と毎日の2人の社員。
元店主は、平成1年に新聞(「押し紙」を含む)の仕入れ代金を支払うために、自宅のマンションを売却したことなどを証言した。
裁判官から「押し紙」の保管場所について質問を受けると、店舗の奥にあった炊事場を改良して「押し紙」置き場にしていたことを証言した。
また、毎日の「押し紙」政策の決定的な証拠とも言える減部数を求めた内容証明郵便の作成過程については、従業員の女性に口頭筆記をしてもらって、作成したと答えた。元店主は、3通の内容証明郵便を毎日社に送付している。
毎日社員に対する尋問では、毎日独特の「注文部数」の決定方法などが鮮明に浮かび上がった。毎日は「注文部数」を、販売店との話し合いで決定するという。
つまり最終的な「注文部数」の決定権は、販売店の側ではなくて、社に握られていることがはっきりとした。「押し紙」政策が客観的に存在することを裏づけたとも言えるだろう。
◇元店主の勝訴は、ほぼ確定
尋問が終了した後、裁判官は原告と被告の双方に最後の和解案を提案した。原告代理人弁護士によると、和解案は毎日が元店主に和解金として1500万円を支払うという内容。
これまで裁判所が提示していた和解金の額は1900万円であるから、400万円の減額になった。
原告と被告は、裁判所の和解案を持ち帰り2月22日に回答する。和解が決裂した場合は、4月26日に判決が言い渡される。判決になった場合は、元店主が勝訴する可能性が圧倒的に高い。
本人尋問の詳細は、調書が作成された後に新聞販売黒書で詳しく紹介する。以下、わたしの感想である。
「注文部数」とは文字通り、商店が品物を発注する際に仕入先に明示する仕入れ数量である。当然、商店の側に注文数量を決定する権限がある。これが普通の商取引である。
ところが毎日新聞の商取引では、注文部数を決める権限が必ずしも販売店側にあるわけではないことが、尋問で明らかになった。
毎日の場合、「注文部数」は、販売店と本社の話し合いで決めるという。箕面販売所の店主から内容証明で提出された減部数の要求に応じなかったのは、元店主が発証数など店の経営状況を判断するためのデータを提出しなかったからだという。そのために実配部数が確認できなかったから、減部数に応じなかったという。
しかし、実配部数を把握していなかったという主張に対しては、裁判官も疑問を呈していた。
さまざまな口実はあるにしろ、毎日新聞の場合、販売店が減部数を申し出ても無条件に受け入れられるとは限らないことが尋問で明らかになった。種々の条件を考慮して、最終的に「注文部数」は毎日の側が決めていることが明らかになった。
言葉を変えれば、毎日の店主は自分の判断で「注文部数」を決める権限を持っていないことになる。
法廷における毎日の狙いは、「押し紙」政策を否認することよりも、賠償額を減らすことに置かれているような印象を受けた。そのためなのか、「押し紙」裁判にもかかわらず、元店主の経営がいかにずさんであったかを強調してみせた。
たとえば店の電話を自動転送にしていなかったとか。購読料の自動振り替えのシステムを構築していなかったとか。順路帳の管理がずさん。店主会への不参加。営業成績が悪い等。これらは新聞社が常套としている販売店攻撃である。
本人尋問を要求したのは、毎日側であるそうだが、尋問を通じて、毎日新聞の「押し紙」政策が一層鮮明になった。(4200/4200文字、全文公開)


YC小笹の「押し紙」裁判の判決が、26日(火)の13時、福岡高裁で言い渡される。「押し紙」が社会問題になる状況下での判決だけに、裁判所の判断が注目される。
「押し紙」とは、販売店で過剰になっている新聞を意味する。残紙とも言われる。「押し紙」は販売店サイドの語彙で、新聞社の側は「積み紙」という言葉を使うことがある。
しかし、一般の読者に両者の区別はなく、「押し紙」が一般的になっている。
改めて言うまでもなく、「押し紙」という言葉は、不要な新聞を販売店が好んで買い取るはずがないという評論に基づいた表現である。
◇1970年代の「押し紙」
日本で初めて「押し紙」問題が浮上したのは、1970年代の中盤である。77年に日本新聞販売協会が全国の販売店を対象に残紙の調査を行った。その結果、1店あたり搬入部数の8・3%が「押し紙」であることが判明した。
1980年代になって、北田資料が発掘された。これは読売新聞・鶴舞直売所の北田敬一さんが、自店の内部資料を公開したものである。その中に「押し紙」のデータも含まれていた。たとえば、1980年1月のデータは次のようになっている。
搬入部数:1100部
実配部数: 608部
「押し紙」: 492部
1981年から85年にかけて、共産党、公明党、社会党が新聞販売問題についての質問を計15回行った。北田資料も国会に持ち込まれ、大問題になった。(950/3600文字、◇沈黙の90年代、◇「押し紙」が50%、◇毎日の140万部水増し、◇読売3店、約40%~50%
)

毎日新聞・箕面販売所の元店主が提起した「押し紙」裁判の本人尋問が1月25日(月)に、大阪地裁で開かれる。日時、場所は次の通り。
日時:1月25日(月) 13:30分
場所:大阪地裁 1008号法廷(本館10F)
この裁判は2007年5月に、元店主が「押し紙」で損害を被ったとして6300万円の賠償を求めて提訴したもの。「押し紙」を断った証拠が書面で残っており、請求が認められる可能性が強い。
25日の尋問では、元店主が毎日の「押し紙」の実態や販売政策につて証言するものと思われる。
毎日新聞の販売店から新聞販売黒書に対して、救済を求める声が急増しており、「押し紙」裁判で勝訴の判例が出来た場合、たとえ改廃されても、損害賠償への道が開ける。その意味では、販売店にとっては注目度の高い裁判である。

読売新聞とYC広川の店主・真村久三さんとの間で延々と続いてきた係争に、6度目の司法判断が下った。福岡地裁は1月15日、真村さんの新聞販売店主としての地位を認定した。驚くべきことに6度目の認定で、裁判をすること自体が目的と思われても仕方がない。読売は8年にわたって、負けても負けても、これでもかと言わんばかりに異議審や控訴審などを繰り返し、真村さんを失職させようとしてきた。(続きはマイニュースジャパン)

原口総務大臣がメディアのあり方についての考え方を示した。『SankeiBiz』の記事を引用してみよう。
原口一博総務相は19日の閣議後の記者会見で、「新聞と放送を同一資本が支配するのは言論の多様性にとって問題」と述べ、新聞社からテレビ局への出資を制限する「クロスオーナーシップ規制」の導入の検討を進める考えを示した。
原口総務相は「巨大な資本が新聞、テレビ、ラジオも統合すれば資本の思惑で言論が一色になってしまう。現行のルールが機能しているか検証し見直しを検討したい」として、現状の規制では不十分との認識を示した。(略)
日本メディアの最大の問題点は、少数の大メディアが新聞と放送を系列化して政府広報の役割を果たしていることである。具体的には、次のような構図になっている。
朝日→テレビ朝日→多数のローカル局
毎日→TBS→多数のローカル局
読売→日本テレビ→多数のローカル局
産経→フジテレビ→多数のローカル局
日系→テレビ東京→多数のローカル局
NHK→多数のローカル局
◇幅をきかす政界フィクサー
上の図から見えてくるのは、上流に位置するメディアにあたる中央紙やキー局が得る情報が、下流にも影響を及ぼし、日本の世論形成に大きな影響力を及ぼす構造になっている実態だ。しかも、情報の大半は記者クラブを通じたものである。まるで戦時下のメディアのようだ。これほどジャーナリズムが機能していない国も珍しい。
新聞業界やテレビ業界は政治家など権力者にとっては、格好の宣伝媒体である。それゆえに両者の癒着が進み、メディア業界出身のフィクサーが政界でも幅をきかせるという信じがたい状況も生まれている。が、誰も異議を唱えない。(1400/3000文字、◇新聞特殊指定と電波利権、◇メディアは権力構造の一部、◇専門性重視の時代)

JR武蔵野線は、神奈川県北部から東京都多摩地区と埼玉県南部を経て千葉県西部を結ぶ路線である。その武蔵野線に平行して走る高圧電線。光の乏しい空。鉛色の雲の下にそびえ立つ鉄塔の腕が、重量感のある電線を支えて延々と続いている。冬の風が鉄塔に衝突すると、口笛のような摩擦音が風を切って伝ってくる。
さいたま市南区も武蔵野線と高圧電線の通り道になっている。
◇高圧電線と白血病
池田(仮名)さんの自宅は2階建てなので、電線が垂れ下がってきて屋根に接触しそうな印象がある。高圧線の軌道から家屋までの距離は、1メートル。池田さんは、頭上から電磁波のシャワーを浴び続けて来たことになる。
ちなみに送電線から放出される電磁波は、低周波である。これに対して、携帯電話の基地局から発せられるのは、高周波と低周波の変調電磁波だ。
スウェーデンでは、20年を超える歳月をかけて高圧電線の付近に住む人々を対象とした疫学調査が行われた。その結果、白血病の発症率が高いことが明らかになった。白血病と高圧電線から発せられる電磁波に因果関係があることは、ほぼ定説となりつつある。
しかし、池田さんが電磁波の危険性を知ったのは、自宅を建築した後だった。ある日、電磁波問題についての学習会のチラシがポストに投函されたので、奥さんと一緒に集まりに参加した。そこで初めて電磁波が人体に及ぼすリスクを知ったのである。
「このあたりは50年ぐらい前までは、田んぼと畑ばかりでしたが、市が区画整理をして宅地を売り出したのです。ですから昔からこの地に住んでいるひとはほとんどいません」
池田(仮名)さんも、この振興住宅地へ移り住んだ一人である。池田さんは、奥さんの実家が所有していた土地を贈与で譲り受けて、そこに家を立てた。そして設計士として働き、昨年、定年をむかえたのである。
◇自宅の移転を考えたが・・・・
10年前に家を建て替えるときに、別の場所への移転も考えたという。しかし、奥さんの実家から譲りうけた土地という事情もあって、移転には踏み切れなかった。親戚に電磁波の危険性を説明しても、
「国が安全だと言っているから、問題ない」
と、撥ねつけられた。隣近所に電磁波の話をしても、重大問題としては受け止めてもらえない。このような態度の根底には、おそらく2つの心理が働いている。人体にリスクがあると言われると不安にはなるが、現在、自分が住んでいる家を捨てて、別の土地へ引っ越すだけの経済的な余裕がない。そこで高圧線のことを忘れようとするのだ。当然、電磁波について語りたくない。
欧米の人々の視点では、高圧電線の下に民家が立ち、住民が住んでいること自体が異常なのだ。実際、WHOの職員が来日して、高圧電線と住居の共存に仰天したという話もある。
池田さん自身も、高圧線と自分の健康について質問されるのは、あまり好きではないという。それでもこんな話を打ち明けてくれた。(1200/2800文字、◇基地局問題にはふれたくない)

『新聞通信』(1月14日)が読売新聞社の今年の年賀詞交換会における渡邉恒雄会長のあいさつを大きく紹介している。同紙によると、渡邉会長は、「世界最大部数を誇る1000万部を死守して新年を迎えたことは非常にうれしい」と述べている。
この1000万部が発行部数なのか、それとも実配部数なのかには言及していない。実はこの点が最も肝心なのだが。
新聞は公器を自称しているわけだから、みずから実配部数を明らかにするのが筋だろう。発行部数しか公表しないのは筋違いだ。
◇渡邉氏は世界情勢を読みまちがえている
さて、渡邉氏はあいさつの中で日本の政治状況にも言及して自論を展開している。たとえば鳩山内閣の評価については次のように述べる。
鳩山内閣は「3Kに苦しむ」と言われています。景気、基地、献金の3つであります。米軍基地問題では日米合意を破り、右往右往しています。日本は、日米同盟が空洞化すれば、北朝鮮のミサイルや中国の増強を続ける軍事力、特に空母保有後の中国の海軍力強大化に対し対抗手段がなくなり、その結果、外交上の発言力を失い、ひいては、グローバル化時代に生き残るための経済力も著しく低下するでしょう。(略)
このような時代には、政府に対する新聞の建設的発言、主張が極めて大切です。
新聞の影響力で、政治界をリードしていこうという意志がありありと現れている。基地問題について、わたしの見解もあるが、本題からそれるのでここでは言及しない。ただ、世界は非軍事化の方向へ進んでいるという点だけを付け加えておきたい。
渡邉氏に限らず、日本の政治家の大半がこのあたりの事情を正確に把握していないところに、政策を誤る原因があるのではないか。米軍と共同で中国に対抗しようというような考えは、時代錯誤以外のなにものでもない。
ちなみに読売の国際面を読んでも、ラテンアメリカで何が始まっているのかは見えてこない。
◇巨大部数と世論誘導、対抗言論の不在
新聞人がみずからの主張を紙面で展開することは、当然のことである。もともとジャーナリズム活動とは、自分(自分たち)の主張を公にすることで、社会を動かしていく行為であるからだ。
ところが日本の新聞業界には、それ以前の大問題がある。対等な規模の対抗言論が存在しないことである。たとえば改憲や海外派兵を主張する考えに基づいて編集した新聞が1000万部の規模で宅配されるとすれば、それに対抗する1000万部の新聞がなければ、対等な論争にはならない。
800万部の朝日新聞が読売の対抗言論になるのではという考えもあるが、わたしは根本的には、大きな主張の違いはないと見ている。違いがあるとしても、それは自民党と民主党の違い程度ではないだろうか。
両者とも財界をスポンサーとする政党である。この点をベースに考えると、当然、民主党も改憲や海外派兵の方向へ傾く傾向、あるいは危険性がある。海外派兵の究極の目的は、海外へ進出した多国籍企業の権益を武力で防衛することであるからだ。
それは財界の要求と言えよう。国際貢献はあくまで建前である。
しかも、第3世界が台頭してきた今世紀の状況下では、海外での政変や革命が発生する可能性が高くなっている。政変や革命が多国籍企業の権益と衝突したとき、国際貢献を口実に海外派兵を断行してほしいというのが、財界の要望ではないか。財界を広告主とする新聞社が、財界よりの論調になっても何の不思議もない。
問題は同じ規模の対抗言論が存在しないことである。(2000/3400文字、◇新聞社、キー局、ローカル局の協働で世論誘導、◇特殊指定と「電波利権」でメディア・コントロール)

読売VS週刊新潮の「押し紙」裁判の第4回口頭弁論が1月19日(火)に開かれる。日時などは次の通りである。
日時:1月19日 午前10時
場所:東京地裁 526号法廷
この裁判はわたしも被告になっているので、ここでの主張は控えて争点についてのみ解説したい。2009年7月9日付けの読売は、わたしと週刊新潮を訴えた理由を次のように説明している。
(略)
新潮社は、週刊新潮6月11日号(同月4日発行)に掲載した新聞業界をめぐる記事の中で、「配達先がなく、闇から闇へ消えていく新聞を、業界では“押し紙”と呼ぶ」としたうえで、「読売新聞の場合、全国レベルでは30%から40%ぐらいの“押し紙”があり、年間では360億円が“不正な”収入ということになる」などと報じた。
読売は上記「」中の記述が事実ではなく、「報道機関としての社会的評価を著しく傷つけられた」として裁判を提起したのである。
◇「事実の摘示」と「推測」を混同
しかし、読売のこの記事は、読者を誤って誘導しかねない大きな問題を孕んでいる。まず第一に、「」で囲んだ「読売新聞の場合、全国レベルでは30%から40%ぐらいの“押し紙”があり、年間では360億円が“不正な”収入ということになる」という記述が、あたかもわたしのオリジナル文のような誤解を与える。「」内はわたしのオリジナルではない。
実際、わたし自身も、このような記述を書いた覚えはなく、不思議に感じながら原文を読み返したほどだ。わたしはこの部分を、次のように書いたのである。読者には読売記事の引用とオリジナルの違いを読み取ってほしい。
(滋賀県内の主要都市で「押し紙」調査をした滋賀クロスメディアが、読売の「押し紙」率を18・4%と発表したのを受けての評論である。)
しかし、読売新聞の場合、全国レベルでは30%から40%ぐらいの“押し紙”があると筆者は見ている。実際、久留米市のYC経営者と読売新聞との訴訟で明らかになったケースでは、約50%だった。読売新聞が豪言する“1000万部”は、かなり怪しい。(略)
(略)
これら4紙(黒薮注:朝、読み、毎、産経)の“押し紙”部数は、801万部。新聞の販売収入は概ね新聞社と販売店が折中であるから、毎月の購読料を1部3000円と仮定すると、新聞社の収入は1500円。これに“押し紙部数”を掛けると約120億円になる。年間では1440億円。単純に4等分しても、1社平均で実に360億円が“不正な”収入ということになるのだ。
読売記事とわたしのオリジナルの文章を読み比べると、明らかに意味が異なる。読売新聞に掲載された記述は、事実を摘示するものであり、わたしのオリジナルの文章は、推定の記述である。2つの意味を区別できないようであれば、読解力に問題がある。少なくとも一般の読者が普通の読み方をした場合は、意味の違いを把握するはずだ。
つまり読売は推定の記述を、あたかも事実の摘示であるかのように見せかけて、読売の紙面でわたしを攻撃してきたのである。さすがに訴状には、オリジナルをそのまま引用しているが、「1000万部」読者の目にふれるのは、むしろ記事の方である。
司法関係者の間には、推定も事実の摘示も大きな違いはないという意見もあるそうだが、両者を混同すると、言論活動の幅が極端に狭まる。第一、推定と摘示では、意味そのものが異なる。
もちろん推定の記述に対する名誉毀損裁判が、憲法21条の精神に反することは言うまでもない。第21条は;
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
推測の記述を法廷に持ち込むことは、言論人(編集者、作家、ライター、ジャーナリスト)にとっては、迷惑このうえない行為にほかならない。
訴状を作成したのは、喜田村洋一弁護士(自由人権協会・代表理事)と藤原家康弁護士である。請求額は約5500万円。
喜田村弁護士は、読売の法務室長がわたを訴えた著作権裁判では、問題となった催告書の作成者を偽って裁判を提起した。
◇ネットで喜田村氏ら作成の準備書面の公開が理想
すでに東京地裁には、「押し紙」の証拠が多量に提出されている。「押し紙」を運搬する写真も多量に含まれている。読者には、ぜひ、東京地裁で裁判資料を閲覧して、両者の主張を読み比べてほしい。
事件番号は、「平成21年(ワ)第23459号 謝罪広告等請求事件」(2500/3100文字◇新聞社は、みずから「実配部数」の公表を)

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21世紀に入って10年。2001年の「9・11」の後、日本の新聞とテレビは、21世紀が戦争と憎しみの世紀であるかのようなプロパガンダを流し続けてきた。しかし、事実は異なる。第3世界が急激に台頭してきて、武力で他国の民族自決権を踏みつぶす戦術が通用しなくなっているのだ。実際、イラクでもアフガニスタンでも、米国の軍事作戦は破綻した。
この時代に海外派兵を唱えている日本の新聞社は、頭を冷やすべきではないか?
¡Latinoamerica unida y libre del imperialismo!

「押し紙」問題をどのように扱うかで、メディアの性質が見えてくる。12日にNHKのクローズアップ現在が、「変わる巨大メディア・新聞」を放送した。わたしは視聴しなかったが、新聞販売黒書の読者から、番組を疑問視する声が届いた。
それは「押し紙」問題を完全に隠した上で、新聞を論じているという批判だった。販売店サイドからも同じ声が上がっている。NKHは公共放送の役割を果たしていないのではないかと。
本来であれば、番組を視聴したうえで、番組批評をすべきだが、NHKが「押し紙」問題を報じない事情について若干コメントする。
◇偏向したNHKの報道
クローズアップ現代に「押し紙」問題にが触れなかったことが事実とすれば、番組制作がずさんとしかいいようがない。放送が偏向していると批判されても仕方がないだろう。と、いうのも「押し紙」こそが、日本の新聞社経営を欧米の新聞社経営と区別する著しい特徴であるからだ。
紙面広告の掲載料も、「押し紙」による公称部数のかさ上げで、パブル状態になっている可能性が強い。だから広告の問題と「押し紙」問題は、表裏関係にある。
「押し紙」が排除されると、業界に革命的な変化が起こるのは疑いない。
この問題から視線をそらすのなら、日本の新聞社が直面している問題の本質が隠れてしまう。メディアの役割は真実を伝えることではないだろうか。
改めていうまでもなく、日本の新聞社の経営が悪化している最大の原因は、「押し紙」を維持できなくなってきたことである。「押し紙」によるバブルで、これまで好調な経営を維持してきたのだから、この点を隠してしまうと、まったく真実は伝わらない。
NHKはこのあたりの事情を知らないのだろうか、それとも知っていて一般の人々には知らせないのだろうか?
民間の放送局は、その大半が新聞社の傘下にあるので、「押し紙」問題の報道は容易ではない。それを補うかたちで、雑誌とネットが「押し紙」問題を報じてきた。NHKはどうか? 最も財政に恵まれ、報道の自由が保証されているはずのNHKはどうだろうか?
不思議なことにNHKは、「押し紙」問題を一度も報じたことがない。わたしが把握している限りでは、YC水呑(広島)と読売の裁判について、NHK広島放送局からわたしに問い合わせがあったのがすべてだ。
◇新聞人の年頭所感にも「押し紙」の文字はなし
新聞関係の業界紙には、毎年1月、新聞関係者の年頭所感が掲載される。わたしは毎年、新聞関係者の誰かが「押し紙」問題に言及するのではないかと期待を寄せてきた。しかし、今年もだれ一人として、「押し紙」のことを口にする者がいなかった。
あいかわらず「押し紙」などどこにも存在しないという壮大なフィクションを前提にして、新聞を論じているのだ。
わたしは日本の新聞経営者のメンタリティーがよく理解できない。まず第1に、大問題と正面から向き合うことを避けて、新聞人としてのプライドはないのだろうか。第2に「押し紙」問題を放置しながら、どのようにして自分たちの業界を、あるいは自分たちの将来の生活を守るのつもりなのだろうか。
◇政界にも配慮か?
NHKが「押し紙」問題を報じない理由は、政界とのからみもあるからではないか。新聞社は日本の権力構造の中に「広報部」として組み込まれている。実際、驚くべきことに政界工作に奔走する老人も存在する。(1300/2500文字、◇21世紀の村社会)

YC小笹(福岡市)が提起した「押し紙」裁判の判決(福岡高裁)が、今月26日に福岡高裁で下される。この裁判は、2006年10月に同店の元店主が、「押し紙」で損害を被ったとして、読売に対して3457万円の支払いを請求したものである。地裁では読売が勝訴した。
元店主は1998年5月から2003年4月までの5年間、YC小笹を経営したあと、自主的に廃業した。驚くべきことに、前任者から経営を引き継いだ時点で、すでに「押し紙」があった。つまり「押し紙」も前任者から引き継いだのである。
開業の時点で、読売は2330部をYC小笹に搬入したが、このうちの約1000部が「押し紙」だった。このような異常は、同年の11月まで続いた。
読売もこの事実を認めている。ただし、次のような主張をしている。
(略)本件において、原告によるYC小笹店の営業継続後、約6ヶ月に渡って必要最小限度を超えた部数の予備紙が供給されていた事については、原告と被告との間の合意に基づくものであり、そこには強要なり権利の濫用という要素はない。
広告主が激怒しかねない論理である。
読売の主張に対して、原告の元店主は、次のような主張する。前任者が残した「押し紙」を読売が整理することを前提に、YC小笹の経営を引き受けたにもかかわらず、約束が守られなかった。
この裁判でも、自由人権協会の代表理事・喜田村洋一弁護士が読売の販売政策をサポートしている。もちろん「押し紙」も否定している。
◇真村裁判の高裁判例の影響は?
この裁判で注目すべき点は、読売による優越的地位の濫用を認定した真村裁判の高裁判例が、どのような影響を及ぼすのかという点である。高裁判例は、たとえば、読売の販売政策について、次のように述べている。
読売は、一方では定数と実配数が異なることを知りながら、あえて定数と実配数を一致させることをせず、定数だけをABC協会に報告して広告料計算の基礎としているという態度が見られるのであり、これは、自らの利益のためには定数と実配数の齟齬をある程度容認するかのような姿勢であると評されても仕方がないところである。
新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙をもとめ減紙を極端に嫌う読売の方針があり、それは読売の体質にさえなっているといっても過言ではない程である。
真村の虚偽報告を一方的に厳しく非難することは、読売の利益優先の態度と比較して身勝手のそしりを免れないというべきである。
◇YC小笹が勝訴すれば・・・・
原告の店主が勝訴した場合は、「押し紙」訴訟が全国に広がる可能性がある。現在の新聞販売業界には、集団訴訟にも発展しかねない客観的な条件がそろっているからだ。
最近、販売店主とコンタクトを取る機会が増えているが、大半の店主が「押し紙」の負担に苦しんでいる。借金をして、新聞社に新聞代金を支払っている店主もいる。
異常な実態に比較して、訴訟の件数が少ないのはなぜか?わたしが聞き出した範囲では、次のような事情があるようだ。
1、勝訴の確率が低い
2、時間を要し、資金が必要
3、強制改廃に対する警戒
わたしは裁判を無条件に奨励する者ではないが、次の点も考える必要があるのではないか。このまま何もしなければ、結局、借金まみれになって、廃業に追い込まれる可能性があるのでは?(2200/2200文字、全文公開)


















