1. 読売新聞押し紙訴訟 大阪高裁判決の報告

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2024年04月13日 (土曜日)

読売新聞押し紙訴訟 大阪高裁判決の報告

福岡・佐賀押し紙訴訟弁護団 弁護士・江上武幸(文責)

広島県福山市で読売新聞販売店を経営してきた濱中勇志さんが、読売新聞大阪本社に対し「押し紙(残紙)」の仕入代金1億1351万9160円の支払いを求めた裁判で、3月28日、大阪高裁は大阪地裁に続き請求を棄却する判決を言い渡しました。判決は大阪地裁が部分的に認定した「押し紙」の存在も取り消すという不当なものでした。独占禁止法の「押し紙」禁止規定の趣旨・目的に反する内容としか言いようがありません。

我が国の裁判官が、なぜ頑なに新聞社による「押し紙」の存在を認めようとしないのか?この疑問については、来週4月19日(金)に、福岡高裁で予定されている読売新聞西部本社を相手方とする別の「押し紙」裁判の控訴審判決の後に再考し、改めてみなさまに報告させていただくことにして、ここでは濱中さんの裁判に焦点を当て私の見解を述べてみます。

平成24年4月から令和30年6月までの6年3ヶ月間で、濱中さんが「押し紙」(業界では配達されないで店に残る新聞という意味で「残紙」と呼ばれています。)によって被った損害は1億1351万円になります。この金額は、読売新聞社が濱中さんに送付してきた部数(定数)から、真に必要な部数(実際の配達部数に適正予備紙2%を加えた部数)を引いた6万1528部に、1部当たりの仕入原価1845円をかけて算出したものです。

ちなみに、19日に福岡高裁で判決の言渡しが予定されている別の読売新聞「押し紙」裁判でも、販売店の損害額は尋常ではありません。平成23年3月から令和2年2月までの9年間で、販売店が被った損害は1億1315万円になります。
これらのケースはほんの一例にすぎません。読売新聞社全体で年間どれくらいの残紙が発生し、その被害金額がどの程度になるのかは想像もつきません。

濱中さんが訴訟にふみ切った理由は単純で、読売新聞社が対外的には「押し紙」は一部たりとも存在しないと公言してきたので、皆さんに真実を知ってもらいたいと考えたからです。

 

■3月28日の高裁判決

3月28日午後1時20分、私と黒薮さんの二人は大阪高裁別館7階の72号法廷の傍聴席に座っていました。読売側は黒のスーツに身を固めた社員が数名来ていました。その中に弁護士がいたかどうかは分かりませんが。

書記官から、読売の「押し紙」裁判の判決を言い渡す前に、別件の判決言渡しがあることが事前に伝えられました。

「押し紙」裁判の判決言い渡し時間が近づくと、3人の裁判官が入廷してきました。別件の判決の当事者は双方とも出頭していませんでした。私は、傍聴席の最前列に座っていましたが、別件裁判の判決言い渡しが終わったので、傍聴席から立ちあがり、控訴人席に向かおうとしました。

ところが驚いたことに、私が控訴人席につくのを待たずに、裁判長は判決文を読み上げました。控訴棄却の簡単な主文を読みあげたのです。そして3人の裁判官は、私を一瞥することもなく後ろのドアの向こうに消えました。

これまでの「押し紙」裁判で、販売店の敗訴判決を言い渡してきた裁判官たも、同じような官僚的雰囲気を身にまとっていましたが、代理人弁護士が着席する前に判決文を言い渡すような非常識な裁判官に会ったのは今回が初めてでした。

私は、司法研修所29期卒業ですので弁護士生活は50年近くになります。高裁判決を言い渡した裁判長をネットで検索したところ、研修所42期の裁判官であることが分かりました。私は5月で73歳になりますので、13期下の裁判長の年齢は60歳くらいでしょうか。私の同期・同クラスには最高裁長官や高裁長官に出世した裁判官がいますが、弁護士の着席を確認しないで判決を言い渡すなど、社会常識をわきまえない裁判官が誕生していることを、皆さんはどう思われるでしょか。

 

■大阪高裁判決の次の二つの大きな誤り

(1)大阪地裁が認定した「押し紙」を認めなかった誤り

読売新聞社は、濱中さんが販売店経営を始めた平成24年4月に1641部の新聞を搬入してきました。濱中さんは経営を引き継いだ最初の月だったので、自分では注文部数は決めていませんでした。搬入された部数は、読売新聞社が前経営者に対して搬入していた部数です。読売新聞社はそれと同じ部数を濱中さんに送付したのです。

この月の戸別配達数と即売数の合計は876部でした。これに2%の予備紙18部を加えた部数の894部があれば販売店経営には事足ります。その差の747部が経営に必要のない新聞です。率にすると搬入された新聞の46%になります。この部数が新聞特殊指定が禁止した「押し紙」であるというのが我々弁護団の主張でした。

平成24年(2012年)当時の読売新聞の発行部数は1000万部程度だったと思われますが、濱中さんのケースでは、開業時に搬入された部数のうち46%が残紙になっていたわけです。大阪地裁もそれを認めました。しかも、それが「押し紙」に当たるとの判断したのです。この認定を、読売新聞社は黙って見過ごすことが出来なかったのでしょう。高裁にこの部分についての判断の見直しを迫りました。

その結果、大阪高裁は読売の主張を認めて、大阪地裁の「押し紙」認定を覆す判決を下したのです。私どもが主張した1641部の送り部数の内、747部は「押し紙」であるという主張は退けたのです。しかし、販売店経営に真に必要な部数を超える747部の新聞が残紙として販売店に残っていたことは高裁も否定出来ませんでした。従って、「押し紙」は一部たりとも存在しないという読売のこれまでの対外的な発表が客観的事実と違うことは高裁判決によっても揺るぎませんでした。発行部数世界一の新聞社を誇る読売新聞社の内実がこのように惨憺たる状況にあることを裁判を通じて社会に知らせることができましたので、それだけでも濱中さんが「押し紙」裁判を起こした意味は充分あったと考えています。

(2)押し紙禁止条項の意図的な解釈の誤り

大阪地裁も大阪高裁も、平成11年改正告示の「押し紙」禁止規定の解釈について、私どもの主張を退けました。

平成11年告示の「押し紙」禁止規定は「押し紙」を、➀注文部数超過行為、➁減紙拒否行為、③注文部数指示行為の3類型に分類しています。

このうち、①の注文部数超過行為については、昭和30年・39年告示では「注文部数」という文言が使われていましたが、平成11年告示では、「注文した部数」に変更されています。

昭和30年・39年告示でいう「注文部数」とは、実配部数に2%の予備紙を加えた部数のことです。それを超える部数は「押し紙」です。必ずしも販売店が実際に注文書式に記入した部数のことではありません。

私どもは、平成11年告示でいう「注文した部数」の定義についても、昭和30年・39年告示の「注文部数」と同じく、実配部数に2%の予備紙を足した規範的意義を有する法令用語と解釈すべきであり、文言解釈によるべきではないと主張してきました。しかし、これまで「押し紙」を認めなかった裁判所では、平成11年告示でいう「注文した部数」とは、文字通り販売店が注文した部数であり、従前の規範的意義を有する「注文部数」の定義・解釈とは異なるとの判断を示すのが常でした。その結果、2%の予備紙を大幅に越える残紙であっても、それが販売店の「注文した部数」であれば、「押し紙」にはならないという解釈が可能となっていたのです。

②の「減紙拒否行為」とは、新聞社が販売店からの減紙の申出を拒否して、従前の部数を供給することです。

③の「注文部数指示行為」とは、新聞社が販売店にあらかじめ指示した部数を注文させ、その部数を供給する行為のことです。

今回の大阪地裁判決と大阪高裁判決も、平成11年告示で文言が改正された「注文した部数」とは文字通り販売店が注文した部数を意味するとの解釈を採用しました。読売は、販売店が例え2%を大幅に超える予備紙を含む部数を注文しても、新聞社は「注文した部数」をそのまま供給する販売店契約上の義務があると一貫して主張しています。つまり、新聞社は販売店が注文の書式で「注文した部数」を超えて新聞を供給さえしない限り、配達されない残紙がどれだけあっても「押し紙」にはならないという主張です。

しかし、独禁法が新聞特殊指定に「押し紙」禁止規定を設けたのは、新聞社が自社の利益をはかるため優越的立場を利用して販売店に経営に必要のない新聞を供給し仕入れ代金を支払わせて不利益を及ばすことを防ぐことを主たる目的としています。従って「注文した部数」を定義として採用すれば、新聞特殊指定の役割が果たせません。

私どもは、読売新聞社と裁判所に対し、「仮に実配数1000部の販売店が2000部あるいは3000部、極端にいえば1万部の注文をしてきた場合でも、新聞社は販売店に『注文した部数』を供給する義務があり、「押し紙」にはあたらないというのですか?」という疑問を投げかけましたが、ついにそれに対する回答は為されませんでした。

裁判所・裁判官は、平成11年告示の改正により登場した「注文した部数」の文言に着目し、昭和30年・39年告示の規範的意義を有する「注文部数」の定義・解釈と平成11年告示の「注文した部数」の定義・解釈とは異なるとの見解を示し、「押し紙禁止規定」を事実上無力化し新聞社の利益を販売店の利益に優先させる方向に舵をきりました。

 

■新聞社は、利益追求優先の私企業とは異なる

水俣訴訟のチッソ、塵肺訴訟の炭鉱、アスベストの製造メーカー、予防接種被害の薬剤メーカーなど、これまでも社会的に大きな非難を受けた企業が、裁判では堂々とみずからの正当性を主張してきた歴史があります。

しかし、新聞社は、これらの経済的利益追求優先の私企業と異なり、真実を追求し権力の横暴や不正をペンの力であばく社会的使命を帯びています。

昭和30年に、公正取引委員会が新聞業界の不公正な取引方法の典型である「押し紙」を新聞特殊指定を定めて禁止してから70年が経過しようとしています。しかし、今だに「押し紙」問題は解決していません。私が、裁判において「押し紙」の存在を否定し責任を争う新聞社の法廷戦術以上に問題だと思うのは、新聞社と公権力の距離の問題です。新聞社は日本の権力機構の中に組み込まれているのではないか、政治家や行政官のみならず、裁判所・裁判官によっても保護されているのではないかという危惧を抱くようになっています。つまり、新聞社が「押し紙」問題を黙認してもらうのと引換に、紙面上で権力の濫用や不正の追求が思うように出来なくされているのではないかという危惧です。
新聞記者が使命感に基づく本来のジャーナリストとしての仕事ができない環境にあるのであれば、次のような項目については新聞研究者やジャーナリストの方々に調査能力を発揮して、その背景を明らかにして欲しいものです。

① 平成11年告示の改定で、それまでの規範的意義を持つ「注文部数」という用語が「注文した部数」という文言に変更された経緯と理由、②平成9年の石川県の北國新聞の「押し紙」事件を契機に、「押し紙」禁止規定の自主規制から新聞業界が解放され、予備紙2%ルールの撤廃が行われた経緯と理由、③後日、日本プロ野球コミッショナーに就任しているこの時期の公正取委員会の委員長と、平成11年告示の改正との関係、④「押し紙」訴訟の担当裁判官の不思議な人事異動の背景等々についてです。

■「押し紙」問題の幕引きは許されない

このところメディア状況は大きく変わろうとしています。インターネットの普及で、これまで新聞とテレビが報道してこなかった国民の目から隠されてきた事実が次々と明らかにされるようになっています。たとえば、ジャニーズ事務所の性加害問題、政治家の裏金問題、小池東京都知事の学歴詐称問題などです。これらの問題が、インターネットを通じて詳しく報道されるようになっています。

戦前・戦中の新聞は、戦意高揚をあおり数百万の尊い国民の命を犠牲に追い込んだ戦争責任があったにもかかわらず、口先だけの反省で、戦後一転して米国の占領政策に協力し、現在も安保法制・安保体制を容認し、日本国民の真の独立精神の涵養には背を向けているとしか思えません。

ネット社会が隅々まで広がるのと反比例して新聞・テレビの衰退はますます進んでいます。新聞の消滅と共に「押し紙」も消滅する運命にありますので、今更、「押し紙」問題の解消を訴えても時すでに遅しとの感はしますが、昭和30年代に独占禁止法新聞特殊指定により禁止された「押し紙」を新聞社が責任をとることもせず、自らの力で解消する努力もせずに幕引きを図ることは、「押し紙」に苦しんできた無数の新聞販売店経営者のことを考えると、到底、許すことはできません。

零細な新聞販売店の経営者とそのご家族、従業員の方達の生活と人生を犠牲にして(自殺した販売店経営者がおられることを思うと、「生き血をすって」と表現した方がよいかもしれません。)巨額の利益をむさぼってきた新聞社の断末摩については、「押し紙」裁判の歴史とともに、きちんと記録に残しておくべきでしょう。

4月19日には読売新聞西部本社に対する別の「押し紙」訴訟の控訴審判決の言い渡しがあります。その結果は、後日また報告させていただきます。
引き続き、皆様のご支援のほどをよろしくお願いして、読売新聞大阪高裁判決の報告とさせて頂きます。