1. 1999年の「改正」新聞特殊指定の何が問題なのか?(1) 新聞人による「押し紙」政策の法的温床に変質、「注文部数」から「注文した部数」に変更

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2024年04月26日 (金曜日)

1999年の「改正」新聞特殊指定の何が問題なのか?(1) 新聞人による「押し紙」政策の法的温床に変質、「注文部数」から「注文した部数」に変更

新聞販売店で残紙となっている新聞の性質が、新聞社が仕入れを強要した「押し紙」なのか、それとも販売店が自主的に注文した「積み紙」なのかを判断する際の指標になるのが、独禁法の新聞特殊指定である。

3月から4月にかけて、大阪高裁と福岡高裁で2件の「押し紙」裁判の判決が下された。元販売店主が、「押し紙」で受けた損害の賠償を求めた裁判で、いずれも原告の元店主が敗訴した。

裁判所が元店主らを敗訴させた根拠となったのは、独禁法の新聞特殊指定の解釈である。ところがその解釈にたどりつくプロセスに不可解な分部がある。

不思議なことに、新聞特殊指定の解釈を歴史的にさかのぼって検証してみると、1999年の「改正」を機に、新聞特殊指定が新聞社による「押し紙」政策を促進させるための強力な装置に変質していることが明らかになる。

独禁法の主旨からすれば、「押し紙」をなくすことが新聞特殊指定の最大の目的であるにもかかわらず、公取委はそれとは反対の方向への「改正」を断行していたことが明確になったのだ。その意味で、2件の判決は販売店側が敗訴したとはいえ、特別な意味を持っている。新聞業界と公権力の闇を浮き彫りにする。

裁判所は、新聞社を保護しようとしたが、はからずも1999年に進行した腐敗の構図を暴露してしまったのだ。

1999年問題

まず、最初に1999年の「改正」で新聞特殊指定の何がどう変わったのかを見ておこう。

【改正前】新聞の発行を業とする者が,新聞の販売を業とする者に対し,その注文部数をこえて,新聞を供給すること。

【改正後】 3 発行業者が、販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号のいずれかに該当する行為をすることにより、販売業者に不利益を与えること。
一 販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む)。

読者には、赤字で示した用語に注目してほしい。「改正前」の新聞特殊指定では、「注文部数」になっていたが、「改正後」は「注文した部数」に変更された。これが意味するものは重大だ。

まったく同じ意味のようにも思われるが、法解釈上は異なることが、2件の「押し紙」裁判の中で明らかになったのだ。「改正後」の解釈については、高裁の2人の裁判長がそれを示した。

判決の主旨からすると、「注文した部数」とは、販売店が文字どおり注文した部数である。たとえば新聞の発注書に類する書面に「2000部」と記入すれば、それが「注文した部数」である。そのなかに大量の残紙が含まれていても、店主が「注文した部数」であるから、「押し紙」には該当しない。たとえば、かりに「注文した部数」が2000部であるのに、2500部を搬入すれば、はじめて「押し紙」行為があったということになる。

一方、「改正前」の新聞特殊指定でいう「注文部数」の定義は、「注文した部数」とはまったく異なる定義になっている。結論を先に言えば、新聞の実配部数に予備紙2%を加えた部数、つまり販売店が真に必要な部数を超えた部数は原則的にすべて「押し紙」という解釈である。参考までにこの点を明記した「改正前」の新聞特殊指定の運用細則を引用しておこう。

「注文部数」とは、新聞販売業者が新聞社に注文する部数であって新聞販売部数(有代)に地区新聞公正取引協議会が定めた予備紙(有代)を加えたものをいう。

「改正」の前後を比較してみると、改正前の条文であれば、過剰な残紙の存在さえ確認できれば、「押し紙」を独禁法違反に認定することができるが、改正後の条文では、たとえば「注文した部数」に大量の残紙が含まれていても、注文書の類に店主が「注文した部数」が明記されていれば、「押し紙」行為にはならない。

言葉を替えると、「改正前」の条文では、「販売店が自分で注文した部数だから、新聞社に責任はなく、押し紙でもない」という新聞社の論法は認められないが、「改正後」の条文であれば、認められる。

つまり1999年の「改正」により新聞社は「押し紙」がしやすくなったのである。そのことが、はからずも大阪地裁と福岡地裁の判決で明確になったのだ。

元販売店主の弁護団は、独禁法の主旨からしても、「注文した部数」の定義は、「注文部数」と同じであると主張したが、裁判所は認めなかった。「注文した部数」とは、店主が発注書の類に記入した部数を指すと解釈したのである。それはいまだに「押し紙」は1部も存在しないと開き直っている日本新聞協会の見解でもある。

◆2000年代から「押し紙」が急増

なぜ、公正委は1999年の「改正」により新聞業界に便宜を図ったのだろうか。1997年の暮れに公正委は、北國新聞社の「押し紙」を摘発し、新聞協会に対しても注意を喚起していた。以後、両者は話し合いを重ねたのだが、「押し紙」問題を解決するどころか、逆に「押し紙」政策をより促進できる方向で決着したのだ。

実際、2000年ごろから急激に「押し紙」が増えた。搬入される新聞の50%が「押し紙」という例も珍しくなくなった。(つづく)