1. ブラジル大統領選でルナ元大統領が当選、ラテンアメリカに広がる左傾化の波

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2022年11月07日 (月曜日)

ブラジル大統領選でルナ元大統領が当選、ラテンアメリカに広がる左傾化の波

10月30日に投票が行われたブラジル大統領選で、左派のルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルヴァ元大統領(写真左)が、極右のジャイル・メシアス・ボルソナロ大統領(写真右)を破って当選した。両氏の得票率は、次の通りである。

ルラ元大統領:50.83%
ボルソナロ大統領:49.17%

ルラ氏は、2003年から2010年までブラジルの大統領を務め、好調な経済成長をけん引したり、福祉政策を進めるなどして、著しい成果をあげた。とりわけ貧困層の救済を優先する政策を進めた。その後、後継者のジルマ・ルセフ氏に政策を引き継いだ。

ルラ氏は、2018年の大統領選に再出馬を予定していたが、汚職容疑で逮捕され出馬が困難になった。刑務所の牢獄の中で、ボルソナロ現大統領の当選を知ったのである。ブラジスのトランプ大統領を呼ばれる人物である。新自由主義者であり新保守主義者である。

翌年、最高連邦裁判所は、ルナ氏の投獄を違法とする判決を下した。投獄は、国民の間で人気が高いルラ元大統領を政界から排除することが目的だったとする見方が有力だ。

2022年の大統領選でルナ氏は、世論調査で終始ボルソナロ大統領を大きくリードしていた。選挙戦が始まると両者の支持率の差は徐々に接近したが、1%に満たない僅差で、ルラ氏が逃げ切った。

ルラ元大統領は勝利演説で、ホームレスに住居を提供すること、貧しい人々に仕事と機会をあたえること、教育の向上、男女平等などを約束した。

◆米国の戦略、軍事介入からNEDへ

ブラジルにルラ政権が復活することで、ラテンアメリカの左傾化の波がますます顕著になる。ブラジルと国境を接するベネズエラ、コロンビア、ペルー、ボリビア、アルゼンチンも左派の政権である。さらに国境は接していないが、チリも左派政権である。

中米にも左傾化の波が押し寄せている。メキシコ、ホンジュラス、ニカラグア、パナマが左派政権の下になっている。

 かつて中南米は、米国の裏庭とされていた。前世紀まで米国は、中南米で「反米」政権が生まれるたびに、軍事介入や軍事支援を繰り返していた。1954年のグアテマラを皮切りに、1961年のキューバ(写真左)、1973年のチリ、1980年代の中米、1989年のパナマなど、軍事力で多国籍企業の権益を守る戦略を繰り返してきたのである。

しかし、それでも刻々と民主主義が浸透してきて、今世紀に入るころから次々と左派政権が誕生しはじめた。選挙のたびごとに国際監視団が現地入りして選挙の公平性・透明性を担保する制度が定着した。今回のブラジル大統領選も、少なくとも8団体が監視団の役割を担った。その中には、OAS(米州機構)も含まれている。

左傾化の波は一旦停滞する。2010年代になると、右派が再び盛り返してきた。その背景に、NED(全米民主主義基金)などを使った米国の戦略があった。NEDは、表向きは民間の基金だが、実態としては米国政府そのものである。資金の支出には米国議会の承認を要する。

NEDは、外国の「市民運動」などに資金を提供して、親米世論と米国流の価値観、さらに反共感情を育み、「市民運動」を通じて政治混乱を引き起こして、現地の政府を転覆させる戦略を採用してきた。親米メディアの育成も重要な課題として位置付けている。ニカラグアやベネズエラの混乱は、NEDなどの米国資金で引き起こされた典型的な例である。日本に身近なところでは、香港の「民主化運動」がその類型になる。

NEDは、ブラジルの「市民運動」に対しても資金を援助している。

NEDがラテンアメリカで台頭してきた背景には、軍事介入という戦略が米国国内で受け入れられなくなった事情がある。民主主義の意識が世論として定着すると、軍事介入は反発を招く。米国はもはやラテンアメリカに対する露骨な軍事介入ができなくなったのである。社会進歩の結果にほかならない。

◆40年で顕著な社会進歩

最近、日本では「左派」、「右派」の分類に否定的なひとが多いようだが、左派勢力が基本的な方向性として社会主義をめざしている点を考慮すると、従来の分類は間違っていない。中国は、現段階では社会主義の国ではないが、社会主義の方向へ舵を切っている。今世紀なかばの実現を目指している。

ラテンアメリカの左派政権は、その中国との関係を緊密にしている。2020年にブラジルのサンパウロで開かれたチリの人民連合政府(UP)成立50年の式典(オンライン)には、中国の習近平主席もメッセージを寄せた。今後、脱米国の流れが進み、中国よりに政治地図が変わる可能性が高い。ラテンアメリカの統合も輪郭を現わし始めている。

わたしがラテンアメリカの取材を始めたのは、1980年代の初頭である。当時の日本は中曾根内閣の時代である。ラテンアメリカを語るキーワードは、軍事政権、独裁者、ゲリラ活動などだった。それから40年の歳月を経た現在、ラテンアメリカが大きな社会変革を経験した一方、日本は世界の動きから取り残されてしまったことを痛感する。

その最大の原因は、ジャーナリズムの不在だとわたしは思う。