1. NIE( 教育に新聞を)運動では子どもの知力は発達しない

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2019年10月23日 (水曜日)

NIE( 教育に新聞を)運動では子どもの知力は発達しない

かねてから指摘したいと考えていた教育に関する問題がある。それは日本新聞協会がさかんに推奨しているNEI( 教育に新聞を)運動である。公立学校に新聞を提供して、社会科や国語の教材として使うことで、生徒の学力を伸ばそうという発想に基づいて展開されている試みである。

もっとも、NEIには学力の向上をはかる目的のほかに、新聞を商品としてPRしたいという意図もあるようだが、この点についてはふれない。

新聞を読めば学力が身に付くという理論は、教育に関する新聞記事の視点にも露骨に現れていることが多い。たとえば21日付け朝日新聞の「池上彰さん講演 教育改革を語る」と題する記事である。ジャーナリストの池上氏彰氏が講演で、新聞を学校教育の中で活用する意義を熱く語ったことを紹介している。おそらくNIE運動と連動した記事ではないかと思う。

はたして新聞を読めば、知力は発達するのだろうか?

わたしは、NIEの考えは根本的に間違っていると考えてきた。NIE運動の原点には、知識を詰め込むことが知力の発達につながるという一見するともっともらしい、それでいて実はまったく科学的根拠に乏しい理論がある。

わたしは教育学者ではないので、詳しいことは知らないが、自分の読書体験から察すると、1970年代の半ばぐらいまでは、知識を詰め込むことが知力の発達につながるという考えが絶対的な理論として定着していた。さらに補足すれば、人間の頭脳というものは、遺伝によって決まり、努力には限界があるとする考えがあった。それが知能指数を偏重する傾向を生んでいたのである。

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1977年に、『知力の発達』(岩波新書、波多野誼余夫 ,稲垣佳世子  )という本が発売された。これは当時のソ連における発達心理学を紹介したものである。当時、ソ連は発達心理学や教育学では世界の先端を走っていた。知力の発達についての科学的な研究が盛んだった。

なぜ、この本を読んだかといえば、小学校の教員をしていた父の書斎にあったからだ。それだけの理由だ。自分の頭はもうそろそろ知力の限界ではないかと思って読んだのである。

当時、ソ連は共産党政権の影響もあって、唯物論や弁証法に基づいた発達心理学や教育学の研究が盛んだった。この本はその最前線を紹介したものだった。

この本の中で、知力の発達を促すものとして、目的意識や意欲の重要性が強調されていた。あるいは実生活の中で、どうしても考えることを強いられたときに、知力が発達すると説かれている。

たとえば保育園に入園したばかりの子どもは、集団遊びをしている園児たちの仲間の輪に加わりたいと思う。その目的を果たすために、どうすれば仲間に入れるかを真剣に考える。このようなプロセスが知力を発達させるというのだ。

このような理論に基づいて、当時のソ連では、子どもを集団で遊ばせることが、教育の重用なプロセスとして採用されていたようだ。

この考えの土台になっているのは、おそらくエンゲルスの『猿が人間になるについての労働の役割』あたりではないか。人類が猿から人間に発達するプロセスで、労働の役割、特に狩りなどの集団労働の役割が思考を促し、それに肉食の習慣が生まれたことで、脳が飛躍的に発達したとする理論で、唯物論に立つ社会主義圏でなければ、主流となりえない思想である。

西側のキリスト教世界では、神が人間を作ったことになっているから、労働が人間をつくったとする理論は受け入れがたいのだ。その結果、ソ連で生まれた科学は西側では主流となりえなかったのだ。

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狭山事件で無実の罪をきせられた石川一雄さんは、 逮捕された当時は、読み書きが満足にできなかったという。ところが事件に巻き込まれ、生き延びるためには、どうしても読み書きが必要になり、レベルの高い思考展開ができるようになった。

野球が好きな少年は、イチローなど有名選手の経歴から打率まで、あらゆるデータを細かく覚えていたりする。自分が興味がある分野であるから、それが可能なのだ。

記憶力を向上させる方法として、よく脳の栄養を語る人がいるが、『知力の発達』の理論からすれば、脳は植物のようにだけで栄養で成長するものではない。外界との交わりの中で思考回路が発達するのだ。

ソ連の園児や石川さんのケースでもいえるように、実生活と結合してはじめて、知力は発達するのだ。

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こんなふうに考えると、NIEの理論は基本的には間違っている。実生活と結合していない領域にいくら知識を詰め込んでも、あまり意味はないのだ。おそらく一方から入り、一方から出ていく。

しかし、日本ではNIEの理論が教育現場で普及している。

最近の脳科学の本を読んでみると、年齢に関係なく知力は発達するとか、興味を持っている分野の暗記は容易といった理論が主流を占めている。1970年代でソ連では当たり前になっていた理論が、ようやく日本でも受け入れられるようになってきたのだ。

それを妨げているのが新聞人ではないか?