1. 50年遅い報道のタイミング、統一教会をめぐるマスコミ報道、「安全」を確認してからみんなでスタート

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2022年09月01日 (木曜日)

50年遅い報道のタイミング、統一教会をめぐるマスコミ報道、「安全」を確認してからみんなでスタート

最近のマスコミによる旧統一教会関連の報道に接して、多くの人々が、「日本でもジャーナリズムは機能している」と感じているのではないだろうか。しかし、わたしはそんなふうには見ていない。大きな問題を孕んでいると思う。それは報道のタイミングの遅れである。

ジャーナリズムは、同時代のニュースを伝えるものである。あるいは先見性を発揮して、認識が難しい社会問題を発掘する作業である。こうした観点からすると、旧統一教会の問題は1970年代から報道対象になるべきテーマだった。が、実際にマスコミがこの問題に着手したのは、2022年7月である。安倍元首相が射殺されるまで、ほとんど無関心を押し通してきたのである。

報道のタイミングが50年遅も遅れているのだ。

NHKもようやく統一教会の問題に踏み込んだ。そして、かなり細部に踏み込んだ報道を展開している。彼らの潤沢な取材費から察すると、ある意味では当たり前にレベルであるが。最大の問題は、安倍射殺まで、何もしなかったことだ。無視し続けたたことである。「安全」を確認するまでは、一歩も動かない。群れ全体が駆け出すと、今度は動きが止まらなくなる。スタンピード現象(写真)を起こす。

過去の倦怠ぶりに対する反省の弁は何もない。これでは話にならない。他のテーマ(たとえば「押し紙」問題、電磁波問題、暴力集団による反差別運動)でも、同じ過ちを繰り返すのは目に見ている。

コロナワクチンの闇接種の問題も、結局、うやむやになりそうだ。