1. 新聞・テレビによる旧統一教会の報道、報道開始のタイミングが50年遅い

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2022年07月30日 (土曜日)

新聞・テレビによる旧統一教会の報道、報道開始のタイミングが50年遅い

堰(せき)を切ったかのように、新聞・テレビが旧統一教会の問題を報じ始めた。霊感商法による被害から政治家との癒着まで、教団の実態を暴いている。ただし、肝心の勝共連合と教団の関係にはほとんど言及していない。政治の対立構造が、昔から現在にいたるまで、実は自共対決にあったことが露呈することを警戒した結果のようだ。これまで新聞・テレビが示してきた2大政党制を軸とする対立構造が、客観的な事実から異なっていたという批判を受けかねないからだ。

共産党をどう評価するかは別として、メディア界・政界・財界は、「反共」の方向性で一致して、世論誘導を進めてきた。その柱になってきたのが、勝共連合なのである。それゆえに教団との関係が指摘される議員が、「反共」で意気投合した超党派の議員となっているのだ。

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旧統一教会に関する現在の報道に接して、大半の人々はジャーナリズムの健全性を感じているのではないか。やはり日本のジャーナリズムは崩壊していないと。しかし、新聞・テレビの報道は、ある根本的な問題を孕んでいる。それは、報道を開始したタイミングが極端に遅れたことだ。

報道の開始は、安倍元首相が暗殺された後である。過去にこの問題を報じたことはあるが、深く踏み込むことはなかった。腰砕けで終わっていた。

旧統一教会の問題が本格的に浮上したのは、1970年代である。偽の朝鮮人参を売り歩く人々が街中に現れた。それを食った人が嘔吐する。わたしの知人に荒っぽい人がいて、戸別訪問した学生の販売員を、玄関の土間で取り押さえたこともある。その後、金銭問題が浮上した。さらに合同結婚式の実態が浮上した。教祖のハレンチぶりも明らかになった。

この問題は、半世紀前から水面下で広がっていたのである。しかし、それを新聞・テレビが取り上げ始めたのは、2020年7月である。それまではほとんど報じなかった。安倍元首相の死がなければ、この問題は浮上しなかった。

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そもそもジャーナリズムは、事件の後追いに終始するものではない。むしろ事件を発掘して、内面を暴露することが役割だ。事件が起きた後に、アリバイ的に報じてもあまり価値はないのである