統一教会の「献金」と新聞社の「押し紙」、強制したことは一度もないとするそっくりな論理、両者とも半世紀にわたってトラブルが
旧統一教会が信者から献金を募る行為がクローズアップされ問題になっている。教団の献金制度が始まった時期は知らないが、教祖の文鮮明が、来日して日本の黒幕らと接触したのが1967年で、すでに1970年代には壺やら朝鮮人参を訪問販売している信者が街に繰り出していたから、半世紀ぐらい前から霊感商法や献金が続いてきたのではないか。わたしも教会に誘われたことがある。
参院選挙後の11日に教団が開いた会見を聞いて、わたしが最初に感じたのは、教団の論理は、新聞社が「押し紙」(新聞部数のノルマ)について弁解する際の論理と同質だということである。「押し紙」制度は、統一教会の活動と同様に、少なくとも半世紀は続いている。戦前にも「押し紙」は存在したとする記録もある。
新聞人の言い分は、「押し紙」を強制したことは一度もない、われわれは販売店からの注文部数に応じて新聞を搬入している、ノルマを課したこともないというものだ。従って、現在も日本新聞協会は、「押し紙」は1部もないという公式見解を持っている。販売店で過剰になっている新聞は、すべて「予備紙」であるとする見解である。しかし、残紙は古紙業者の手で大量に回収されており、「予備紙」としての実態はない。
「押し紙」についての新聞人の論理を頭に入れたうえ、献金に関する統一教会の言分を読むと、両者の論理が類似していることが分かる。詭弁の手口に共通性がある。次の箇所である。
最初に教団の論理を紹介し、次に新聞人の論理を紹介しよう。
◆教団インタビュー
── お母様の寄付金の件に関して。一般論として信者に対して多額の寄付を強いることはあるのか。寄付はどういった仕組みになっているのか。
献金と称されるものは、いろいろなものがございます。例えば月例献金、あるいは礼拝献金、あるいは献金されるときに、一緒に祈祷して捧げるときもございます。また無記名献金のようなものも、もちろんございます。 ご本人の意思で献金されていきますが、献金の額はご本人の心情に基づいていると受け止めております。
── ご本人が決めるということで、ノルマがあるわけではないという理解でいいか。例えば一人で何千万も高額献金される方もいるのか。
高額で献金されてきた方々は、かつてもいらっしゃいます。本人の意思なくしては、高額献金も出ません。私達は感謝してその志を受け止めております。ご本人に対するノルマという扱い方はしておりません。■出典
ちなみに日本新聞販売協会は、国政選挙のたびに自民党候補を支援している。以前は推薦人名簿も公表していた。政治献金も続けている。
◆読売新聞の主張
次に、「押し紙」に関する新聞社の典型的な論理を紹介しよう。読売新聞の宮本友丘専務(当時)が、「押し紙」裁判の法廷で行った証言(2010年11月16日、東京地裁)である。喜田村洋一・自由人権協会代表理事の質問に答えるかたちで、宮本氏は次のように証言した。
喜田村弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。
宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。
喜田村弁護士:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。
宮本:はい。
喜田村弁護士:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。
宮本:はい。
読売の論理は、あくまでも販売店が注文した部数に応じて、新聞を提供しているというものである。
【参考記事】新しい方法論で「押し紙」問題を解析、兵庫県をモデルとしたABC部数の解析、朝日・読売など全6紙、地区単位の部数増減管理が多地区で、独禁法違反の疑惑