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2015年08月21日 (金曜日)

「押し紙」70年⑦ 今世紀に入って激増した「押し紙」、搬入される新聞の70%が「押し紙」のケースも

【サマリー】今世紀に入って急激に「押し紙」率が上昇して、50%に達するケースも珍しくなくなった。2005年に、「押し紙」の実態を立証する毎日新聞の内部資料が外部へ流出する事件もあった。それによると搬入される新聞の36%が広義の「押し紙」だった。2007年には、70%という信じがたいケースも発覚した。

 読売の「押し紙」も問題になったが、裁判所は「押し紙」とは認定しなかった。押し売りで生じた「押し紙」ではなく、「残紙」、あるいは「積紙」ということになった。

搬入される新聞のうち半分以上が「押し紙」になるなど、高い「押し紙」率が報告されるようになったのは、今世紀に入ってからである。おそらくバブルが崩壊した1993年ごろから「押し紙」率が上昇していたと推測されるが、それが外部に発覚しはじめたのは、2000年代に入ってからである。

ある時、わたしは栃木県の新聞販売店で働いていた男性から、電話による告発を受けた。男性の言い分は次のようなものだった。

自分が働いている販売店には、約4000部の新聞が搬入されるが、このうちの約2000部が「押し紙」になり、廃棄している。あまりにも異常なので、新聞発行本社に内部告発したところ、販売店を解雇された。

この話を聞いたとき、わたしはガセネタに違いないと判断した。取材もしなかった。「押し紙」率が50%にもなっているという話を聞いたことがなかったからだ。

ところがそれから数カ月後、滋賀県新聞販売労組の沢田治氏から、類似した「押し紙」の例があることを聞いた。大阪府四条畷市の産経新聞・四条畷販売所のケースで、搬入される新聞が約5000部だったのに対して、配達している新聞は、時期により変動があるものの、おおむね2000部から3000部だったというのである。

この販売店の店主は、廃業に追い込まれた後、「押し紙」の損害賠償裁判を起こしたが、裁判の中でも、2000部から3000部が「残紙」になっていたことが認定された。ただ、産経新聞社がこれらの新聞を押し売りしたことは認定されなかった。

わたしは四条畷市まで旧販売店を見にいった。そこには「押し紙」小屋の跡が残っていた。

◇毎日新聞社の内部資料

その後、「押し紙」率が極めて高い例を数多く知った。その大半は、内部告発に基づいて、わたしが内容を確認して事実を確認したものである。

2005年には、毎日新聞の「押し紙」政策の存在を決定づける資料が外部へ流失した。「朝刊 発証数の推移」と題するものである。

次の資料の中にわたしが印した赤のマークに注目してほしい。

■朝刊 発証数の推移

店扱い部数:全国の毎日新聞販売店へ搬入される新聞部数を示している。約395万部である。

発証:「発証」とは、販売店が読者に発行する新聞購読料の領収書である。約251万枚である。

つまり395万部が販売店に搬入されているのに、領収書は251万枚しか発行されていないのだ。両者の差異にあたる144万(部)が、「押し紙」である。率にすると36%である。

「押し紙」率が70%

さらに次に示すのは、毎日新聞・蛍ケ池販売所と豊中販売所における「押し紙」の実態である。拙著『押し紙という新聞のタブー』(宝島新書)からPDFで紹介しょう。

■毎日新聞・蛍ケ池販売所と豊中販売所における「押し紙」

月によっては「押し紙」率が約70%にもなっている。
この販売店の経営者も2007年に廃業に追い込まれた。

さらに読売新聞の「押し紙」問題も発覚した。次のPDF(リーフレット『新聞の偽装部数について考える・・・・「押し紙」を知っていますか?』に示されたYC大牟田明治、YC大牟田中央、YC久留米文化センター前の数字である。

■読売の「押し紙」(広義の残紙)

ただし、読売は「押し紙」の存在を認めなかった。

上記、3店のうちYC久留米文化センター前は裁判を闘った。裁判の中では、「押し紙」の有無が争点になった。裁判所は、「押し紙」はなかったと判断した。この裁判の読売側代理人を務めたひとりが、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士である。

2015年08月20日 (木曜日)

防衛省に対して、小池議員が暴露した「日米防衛協力のための指針及び平和安全法制関連法案について」の情報開示を請求

【サマリー】フリーランスの出版関係者が起こしている特定秘密保護法の第7回口頭弁論が8月21日に開かれる。この時期にわたしは、中谷防衛大臣宛てに共産党の小池晃議員が曝露した内部文書「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)及び平和安全法制関連法案について」を開示するように情報公開を請求した。

黒江哲郎防衛政策局長は、この文書について、「秘密にあたるものではないが、流出したことは遺憾だ」と答弁しており、特定秘密保護法の下で、防衛省がどのような対応をするのかが注目される。

フリーランスの出版関係者が起こしている特定秘密保護法の第7回口頭弁論が8月21日に開かれる。裁判は今回で結審する予定。

8月21日(金)10:30

東京地裁101号法廷

(地下鉄「霞ヶ関駅」A1番出口すぐ)

終了後は、裁判所となりの弁護士会館502号で報告集会が行われる。

今回の口頭弁論では、わたしが意見陳述をすることになっている。意見陳述書は、後日、メディア黒書に掲載する予定である。

◇防衛省に情報開示を請求

周知のように特定秘密保護法が効力を持ってる状況の下では、何が特定秘密に指定されているのかを知ることができない。こうした法律の運用を「ならず者」の手に委ねると危険極まりない。

そこでしかじかの情報が特定秘密に指定されているのではないかと感じたときは、手探りでその糸口を探し当て、最終的には、推測によって状況を見極めなくては仕方がない。

こうした観点から、わたしは昨日、防衛庁の中谷元防衛大臣宛てに一通の情報公開請求書を作成した。20日にそれを発送する。

今回、情報公開を請求した資料は、共産党の小池晃議員が11日に国会で暴露した統合幕僚監部の内部文書「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)及び平和安全法制関連法案について」である。

『しんぶん赤旗』によると、この内部文書の流出について黒江哲郎防衛政策局長は、「秘密にあたるものではないが、流出したことは遺憾だ」と釈明しているので、その見解に偽りがなければ、公開の対象になる。拒否する理由はない。

小池議員による内部文書の暴露は、軍事大国化がどのように進行しているかを立証する内容である。それゆえに個人的な希望を言えば、インターネットを使って、あるいは小冊子にして、全文書を公開してほしい。

「秘密にあたるものではない」というこの文書を入手できれば、当然、メディア黒書では全文を公開することになる。

2015年08月19日 (水曜日)

東電の元経営者3人が起訴された背景に『財界にいがた』の功績、小沢一郎検審との接点に警鐘を鳴らしていた

【サマリー】今年の7月、東京第5検察審査会が東電の元経営陣3人に対して起訴を相当とする決議を下した。意外に知られていないが、こうした決定の背景に『財界にいがた』のある報道が影響した可能性がある。

 同誌は小沢検審を担当した第5検審に「架空審査会」の疑惑があった過去を暴露すると同時に、東電の元経営者に対する起訴が相当か否かを審議する役割が第5検審に委ねられている事実を知らせた。世論を喚起するためである。

 東電幹部の起訴により、検察審査会のイメージがよくなっても、過去の事実が消えるわけではない。

今年の7月、東京第5検察審査会が東電の元経営陣3人に対して起訴を相当とする決議を下した。これはすでに周知の事実であるが、このような決定を下すに至った影の立役者がいるのを読者はご存じだろうか。

新潟県を地盤とする経済誌『財界にいがた』である。同誌は、検察審査会を管轄している最高裁事務総局に一定の影響を及ぼしたと思われるあるテーマを断続的に報道してきた。

そのテーマとは新潟県出身の元参院議員・森裕子氏が、元旭化成の役員で『最高裁の罠』の著者である志岐武彦氏に対して起こした名誉毀損裁判の報道である。

この裁判は、志岐氏がみずからのブログなどで森氏を批判したのに対して、森氏が対抗手段として言論活動の一部禁止などを求めて起こしたものである。お金500万円も求めた。

両者のトラブルの発端は、東京第5検察審査会をめぐる小沢一郎検審にまつわる疑惑をどう解釈するのかという見解の違いにあった。

周知のように小沢氏は、2010年9月、東京第5検察審査会が起訴相当議決を下したことで強制的に法廷に立たされることになった。ところが議決が下された日が、ちょうど民主党の代表選挙の日と重複していたことなどから、公権力の謀略ではないかという噂が広がった。

そこで調査に乗り出したのが、森議員(当時)と志岐氏だった。しかし、両者はある時期から袂を分かつ。森氏が、検察が捏造報告書で第5検審の審査員を誘導して小沢氏に対する起訴相当議決を下させたとする主張を展開したのに対して、志岐氏は第5検審そのものが最高裁事務総局によって仕組まれた「架空検審」で、最高裁事務総局がみずから小沢氏を「起訴」したとする説を展開した。

本来こうした公益性が高い大問題は、特定の表現が名誉毀損に該当するかどうかといった枝葉末節な議論を排して、事件の中身そのものを議論しなければならない。が、裁判の中では、この点には踏み込まず志岐氏が勝訴した。勝敗にそれほどこだわっていなかった志岐氏は、勝訴したが納得できなかったのではないか。

◇小沢事件も東電事件も第5検審が担当

志岐氏が勝訴したのを受けて、「志岐武彦氏を支援する会」は2014年8月、東京・池袋の豊島区民センターで、裁判を総括するためのシンポジウムを開いた。わたしが司会を務め、志岐氏と石川克子氏(市民オンブズマンいばらき幹事)が具体的に第5検審「架空説」を説明した。

その内容自体は、メディア黒書で繰り返し報じてきた通りであるが、実はシンポジウムを主催した「志岐武彦氏を支援する会」は、一見するとこの事件とは無関係だが、総括的な視点でみると極めて重要な位置にいるある人物をゲストとして招き、発言者に加わってもらっていた。

その人物とは、東電幹部らを刑事告訴している原告団のひとりである熊本美彌子氏だった。当時、東電幹部らに対する告訴は不起訴になり、原告の人々は検察審査会に審査の申し立てを行っていた。

これに対して最高裁事務総局は、この事件を東京第5検察審査会へ割り当てたのである。いわくつきの小沢事件を審査した第5検審に、東電幹部がかかわった重大な事件の審査を委ねたのである。

熊本氏らがかかわっている係争を東京第5検察審査会が担当している事実を前に、過去に第5検審でなにが行われたのかを知らせることは意義深い。

こうした特殊な状況を考慮したのか、『財界にいがた』は志岐氏と石川氏の発言は言うまでもなく、熊本氏の発言も詳しく報じたのである。以下、PDFでその記事を紹介しよう。タイトルは、「福島原発事故の刑事責任追及でカギを握る″霞が関の検察審査会″」。

■福島原発事故の刑事責任追及でカギを握る″霞が関の検察審査会″

なお、志岐氏の新刊書『最高裁の黒い闇』は、配本が終了した。検察審査会の恐るべき実態が克明に描かれている。

改めて言うまでなく、第5検審が東電幹部を起訴に持ち込んだからといって、小沢検審の疑惑が消えるわけではない。第5検審のイメージがよくなっても、歴史の事実は変わらない。

2015年08月18日 (火曜日)

グアテマラにみる民主主義の成熟、かつては殺戮の荒野、今は将軍を裁く法廷をビデオカメラで中継

【サマリー】2015年4月から6月期の国内総生産(GDP)の実質成長率は前期と比べて1・6%減となり、安倍政権が進める新自由主義の失敗が明らかになった。新自由主義は、地球規模で世界を支配しているが、ラテンアメリカについては例外である。すでに新自由主義からの脱皮に向かい、公平な社会へ確実に近づいている。

 2013年にグアテマラの裁判所は、80年代に大統領職にあり、先住民に対する虐殺を繰り返した元グアテマラ軍の将軍リオス・モントに対して禁固80年の判決を下した。さらに2015年の1月には、やはり80年代にスペイン大使館の焼き討ち事件などを起こした元警察のトップ、ペドロ・ガルシア・アルマンドに対して禁固90年の判決を下した。

 これらの裁判の様子は、法廷内に持ち込まれたビデオカメラで世界へ配信された。日本では考えられないことである。同時代史の中で、ラテンアメリカはより先進的な社会へ近づいている。

2015年4月から6月期の国内総生産(GDP)の実質成長率は前期と比べて1・6%減となった。原因として消費の落ち込みや輸出の減少などが指摘されている。

大企業は別として、大半のひとが所属する中小企業は、業績を悪化させているうえに、消費税がアップしているわけだから、消費が落ち込むことは最初から分かっていた。

また、アベノミックスで円安に誘導しても、日本企業が生産の拠点を海外へ移し続けているわけだから、国内生産をベースとした輸出が延びるはずがない。それどころか海外の日本企業からの「逆輸入」が増えて、ますます貿易赤字は大きくなる。これも最初から分かり切ったことだ。

安倍政権が押し進めている新自由主義=構造改革失敗がいよいよ顕著になってきたといえる。

◇グアテマラ30年の驚くべき激変

ところで新自由主義の道を進んでいるのは、なにも日本に限ったことではない。米国や欧州をはじめ新自由主義が世界的な流行となっている事実は否定できない。脳がない政治家ほど、欧米の真似をしたがる。

そしてその矛盾が、ギリシャ、スペイン、さらに日本などでは、隠し切れなくなってきた。

それは単に経済的な行き詰まりだけではなく、「先進国」が利権を確保するために、軍事力によって「ならず者国家」を抑え込み、その反動として暴力が世界中を支配する状況をも誘発している。そこからさらに極右が台頭している。

が、こうした世界の主流から、すでに方向転換して別の方向へ歩み始めている地域もある。もちろん歴史の進歩は一直線ではなく、先進と後退の繰り返しはつきものであるが、わたしが知る範囲では、相対的にラテンアメリカが同時代史の中で極めて先進的な方向へ進んでいる。

たとえば中米のグアテマラである。
わたしがこの国を最初に訪れたのは、1985年である。その時の状況を、わたしは拙著『バイクに乗ったコロンブス』(現代企画室)に、次のように記録している。

1985年に初めて中米を訪れたとき、ぼくはニカラグアからグアテマラへ入国しようとして、空港の税関で解放戦線のシンパの疑いをかけられ、逮捕されかけたことがある。

ニカラグアの革命政府の母体、ダンディニスタ民族解放戦線が発行している機関誌『バリカダ』の切り抜きを集めたスクラップ・ブックを、係員が荷物の中にみつけ、1ページずつ丹念に調べながら、入国の理由やニカラグアでの行動をしつこく詰問して来たのだ。

結局、この時は、「賄賂」を支払って逃げたのだが、この件に象徴されるように凄まじい人権侵害が進行していた。たとえば80年代初頭だけで、グアテマラの最高学府・サンカルロス大学の教授97人が軍部に殺害されている。彼らは決して左翼とは限らない。政府に少しても批判的と見なされると、容赦なく抹殺の対象になっていたのだ。

グアテマラの人権侵害は、隣国のエルサルバドルとニカラグアの内戦の激化の影で、あまり取りざたされることはなかったが、軍事政権の下、水面下ではとんでもないことが起こっていたのである。エルサルバドルとニカラグアよりも人権侵害の実態が遥かに劣悪だったとする見方もある。

◇法廷で裁かれた元政府高官ら

意外に知られていないが、第二次世界大戦の後、ラテンアメリカで最初のゲリラ活動が起こったのがグアテマラだった。1954年に当時の政府が農地改革に着手したとたんに、米国の多国籍企業UFC(ユナイティド・フルーツ・カンパニー)とCIAが手を組んで軍事クーデターを起こし、軍政を敷いたのである。

これに対抗するかたちでゲリラ活動が始まったのである。結局、内戦は延々と続き、和平が成立したのは1996年である。

しかし、1996年の和平が成立した後の社会進歩は目を見張るものがあった。それが典型的な形で現れたのは、2013年5月の事件である。1980年代の初頭に大統領職にあった元グアテマラ軍の将軍、リオス・モントが「人道に対する犯罪とジェノサイド」で禁固80年の判決を受けたのである。

リオス・モントは軍隊を使って、グアテマラ北部の山岳地帯で繰り返した先住民に対する集団虐殺の責任を問われたのである。判決の様子は、グアテマラのメディアを通して実況生中継された。

これ自体が革命的な変化である。日本の裁判所でも実現していないことだ。
次に示すのは、米国の独立系メディアDemocracy NOWの画像である。

■リオス・モントに禁固80年

判決を受けたリオス・モントは、法廷から逃げ出そうとするが、女性裁判長の指示で再拘束された。(現在は、リオス・モントの再審が行われているらしい。)

こうした民主化の流れが、一時的なものではなかったことは、2015年の1月に再び立証された。やはり1980年代の初頭に大きな犯罪を犯した元警察のトップ、ペドロ・ガルシア・アルマンドに対して、グアテマラの裁判所は禁固90年の判決を下したのである。

■ペドロ・ガルシア・アルマンドに禁固90年

罪となったのは、1980年に起こしたスペイン大使館の焼き討ち事件だった。この事件は、グアテマラ政府による人権侵害の実態を海外へ知らせるために、農民と学生がスペイン大使館を占拠したものである。この活動に加わった人物のひとりに、後にノーベル平和賞を受けることになるリゴベルタ・メンチューの父親も含まれていた。

グアテマラ政府が取った対抗策は、大使館の窓と戸を釘づけにして、火を放つという残忍なものだった。生存者は2名。大使館の職員と活動家である。このうち活動家は、搬送された病院から誘拐され、殺害された。スペインはグアテマラとの国交を断絶した。

この事件の詳細は、米国の映像ジャーナリストらが制作したWhen the Mountins Tambleという有名なドキュメンタリーの中でリゴベルタ・メンチューが証言している。

■When the Mountins Tamble

◇次世代の社会モデル

元大統領を含む政府の高官に対して、自国でこれだけ厳密な判決が下されるほど、グアテマラは激変しているのである。それはラテンアメリカ全体が変化してきた証とも言える。もちろんキューバと米国の国交が回復した背景に、こうした時代の変化があることを忘れてはいけいない。

新自由主義からの脱皮を確実に進めて公平な社会の構築を目指すラテンアメリカは、同時代史の中では、最も注目に値する地域である。これから新自由主義が破たんしていくにつれて、次世代のモデルとして注目を集めることは間違いない。それしか生存の道は残されていないからである。

2015年08月17日 (月曜日)

非核3原則は守られるのか、改めて問われる特定秘密保護法の違憲性

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者、秘密保護法違憲訴訟原告)

 戦後70年、安倍談話が発表された。「侵略」や「おわび」の言葉は確かに入った。でも、自らの心からの言葉とは思えない空虚さが漂う。

そんな中で国会では、「核ミサイルも毒ガス兵器も自衛隊が輸送することは法文上可能だ」との安全保障法制を巡る中谷防衛相の答弁が波紋を呼んでいる。安倍首相は非核三原則を理由に「自衛隊が核兵器を輸送することは120%あり得ない」と火消しに懸命だ。

しかし、核ミサイル運搬が出来るように、こっそり安保法制の法文に忍ばせたのは、実は安倍政権なのだ。だから、この言葉も本心からとは思えない。

非核3原則は本当に守られるのか、国民はどう監視するのか、出来るのか。安倍政権の核兵器を含む米軍と一体になった戦争推進策に対し、集団的自衛権のみならず、最近下火になった特定秘密保護法の違憲性についても改めて論議を深める必要がある。

◇信用できない安倍首相の説明

参院平和安全法制特別委員会の質疑。中谷防衛相は民主党議員の質問に答え、「安保法案が成立すれば他国軍への後方支援として、核ミサイルや毒ガス兵器の輸送も出来る」との見解を示した。

その一方で中谷氏は、「持たず、作らず、持ち込ませず」との非核三原則の存在に言及。「核兵器を輸送することは想定していない」と、米国から頼まれても「拒否する」と答えた。安倍首相も「私は総理大臣として核輸送はあり得ないと言っているのですから、間違いありませんよ」と気色ばんだ。

だが、核ミサイルも毒ガスも輸送が法文で禁じられていなければ、その時の政権・政策判断でいくらでも運ぶことは可能になる。安保問題で憲法解釈を含め、戦後70年、この国が積み上げて来た数々の政策をいとも簡単に変えて来たのが安倍氏だ。彼が「120%あり得ない」と言うなら、その言葉は「200%」信用出来ない。

感情論で言っているのではない。「米軍の頼みなら、何でもする。たとえ核ミサイルでも運ぶ」との安倍氏の思惑が透けて見える明らかな証拠がある。それは今国会に提出された安保法制の一つ、「重要影響事態法」の中に隠されている。

◇弾薬の運搬にお墨付き

1999年に制定された「周辺事態法」を改正し、安倍政権が今国会に出したのが、「影響事態法」だ。その法文を細かく精査すれば分かる。しかし、最近の記者は不勉強だ。重要法案が出ても、文面を隅から隅まで読んで検証する習慣さえなくしている。だから記者も、多分気付いていないのだろう。その結果、報道もされず、世間にほとんど知られていない。

もし、この欄の読者で興味がある人がおられるなら、周辺事態法と新法の影響事態法案の文面を細かく読み比べてもらいたい。ヒントを出せば、3条1項で定める「アメリカ合衆国の軍隊に対する物品及び役務の提供、便宜の供与」の範囲の中について、「証拠」が隠されている。

両方の文面を読まれると、条文とは別に表の形で「備考」が付属されていることが分かるはずだ。しかし、新法では周辺事態法の「備考」に手が加えられ、こっそり改変されているのだ。

どう変えられたのかを見る。周辺事態法の「備考」では、米軍に供給できる物品の範囲について、以下のように定めていた。

「一 物品の提供には、武器(弾薬を含む)の提供を含まないものとする。

 二 物品及び役務の提供には、戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油及び整備を含まないものとする。

 三 物品及び役務の提供は、公海及びその上空で行われる輸送(傷病者の輸送中に行われる医療を含む)を除き、我が国領域において行われるものとする」

ところが、新法の「備考」では、「二」「三」が消えてなくなっている。「一」は、「物品の提供には、武器の提供を含まないものとする」となった。こう書いても、多分違いに気付く人は少ないかもしれない。()内の「弾薬を含む」が消されているのだ。これによって、自衛隊の活動も、運べる「物品」の性格も180度変わる。

◇クラスター弾、劣化ウラン弾

非人道的兵器と言われるのが、クラスター弾、劣化ウラン弾だ。しかし、それにとどまらず、核弾頭ミサイル、毒ガスまでもが消耗品。「武器」ではなく「弾薬」にあたるというのが政府見解だ。旧法の周辺事態法では、「備考」により、自衛隊はこうした「弾薬」を米軍に供給・輸送は出来ない歯止めがあった。

ところが新法では、「備考」から「(弾薬を含む)」をこっそり意図的に消すことにより、核ミサイルを含む非人道的「弾薬」でも自衛隊が輸送し、米軍に届けることを「法文上排除しない」(中谷氏)ことになったのだ。

この国は、戦争の悲惨な体験を通じ、憲法9条により平和国家を目指すと決意したのではなかったのか。世界で唯一の被爆国として、絶対に核兵器を使わないし、使わせないことも国是としたはずだ。しかし、70年談話とは裏腹に、この新法の法文からは、この国の首相として、民の心からの願いを汲もうとする姿勢の微塵も感じることは出来ないのだ。

集団的自衛権容認に基づく安保法制とは、米国の軍事戦略に沿い極東のみならず、世界のどこにでも出掛け、戦闘活動を支援することを可能にするための法整備と言える。自衛隊の位置づけは、ありていに言えば米軍の手先・パシリになることなのだ。

「備考二」「三」もなくしたことでも分かる。自衛隊が運んで積み込んだ核兵器を搭載した米軍機に自衛隊が空中給油することも出来るようになる。

安倍首相は「備考」を密かに変えることによって、米軍の要求に沿って「運べ」と言われたら、「弾薬」、つまり核弾頭でも毒ガスでも、自衛隊が運へるよう、わざわざ法律案の「備考」を意図的に改変した。だから、少なくとも国会答弁とは裏腹に、米国の要請があれば、核兵器までも運ぶことまでも「200%」想定。米国に忠実なパシリとして、むしろ「そうしたい」と心の中で思っていると見るしかないのだ。

◇非核三原則も歯止めにはならない

では、安倍氏や中谷氏が口にした「非核三原則」は、自衛隊の核ミサイル運搬を阻む歯止めとして本当に働くのか。広島での原爆・平和式典で歴代首相が必ず盛り込んだ「非核三原則」の「非」の字さえ言わなかったのも安倍氏だ。少なくとも、彼を野放しにしておくなら、本気で三原則を守り、自衛隊に「核ミサイルは運ぶな」との指示を出すとは考えられない。

実は、これまでの自民党歴代政権でも、三原則のうち「持ち込ませず」が本当に守られて来ていたのか、それさえも怪しい。米議会で退役軍人が「日本寄港の米国艦艇は核兵器を外さない」との証言したこともある。しかし、日本政府はこれまで何も対処しなかった。

なら、国民・住民それぞれが、自ら自分の地域を監視していかない限り、核兵器の持ち込みを止めることは難しい。実際に「非核三原則」を守らせるために、自治体・住民が取り組み、効果を上げて来た数少ない実例が、神戸市にある。「非核神戸方式」と呼ばれるものだ。

神戸市では1975年の市議会決議により、神戸港に寄港する外国艦船に「非核証明書」の提出を求めるようになった。米艦船の日本の港への入港は年間10-20隻だ。しかし、それ以降、米船は近くの姫路港などに入港しても、神戸港には一度も立ち寄っていない。

退役軍人の証言通りとするなら、核兵器を積んでいて「非核証明書」を出すのは抵抗感があるからだろう。それに万一、こうした証言によって核積載が露見することになれば、証明書を出したことも大きな問題になる。だから神戸港への入港は、面倒だから避けたに違いない。神戸市の取り組みは一定の成果を上げて来たのだ。

◇外務省機密漏えい事件

でも、特定秘密保護法が成立した今後はどうか。日本に寄港する米艦船に核ミサイルと言う「弾薬」が積まれているとしたら、それを自衛隊が運ぶことは法文上規制されていない。

当然のこととして、核兵器積載・運搬の事実は、日米共通の第1級の「特定軍事秘密」に指定されることは間違いない。もし知っている人がいるとしても、秘密保護法によって監視対象になり、漏らすことは厳しく取り締まられる。もちろん、ジャーナリストが取材し、報道することも困難だ。住民・自治体による監視機能は働かず、これからは「非核神戸方式」すらも機能しなくなる。

一つ、思い出して欲しい。1971年の佐藤内閣・沖縄返還協定締結のさ中、政府秘密情報を当時、毎日新聞記者だった・西山太吉氏が掴んだことが罪に問われた外務省機密漏えい事件だ。

西山記者は米軍基地返還に伴い、米国が沖縄の地権者に支払う土地現状復旧費用400万ドル(当時の換算で12億円)を日本政府が肩代わりして支払うとの密約が存在するとの秘密文書のコピーを入手。知り合いの野党議員に情報を流したことが罪に問われた。

西山氏の取材は、沖縄返還交渉で国民の知らない密約が交わされた事実を明らかにすることにあった。記者として国民の「知る権利」に応える当然の仕事である。

しかし、西山氏がコピーを入手するため、外務省女性事務官と男女関係を結ん
だとして、検察は国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕・起訴。西山記者は一審こそ無罪になったものの、控訴審で逆転有罪。最高裁もその判決を踏襲した。

「表現・言論の自由」があるにも拘わらず、検察も含め権力側に立つ司法が、何故、男女関係まで持ち出して西山記者を強引に拘束。その後有罪判決まで持ち込んだのか。

背景について多くの人の指摘がある。沖縄返還に際しての米国との密約は、土地復旧費用だけにとどまっていないのでは…という点だ。最大の疑惑は、核密約だった。日本政府には非核三原則がある。しかし、米軍は沖縄基地で極秘で保有されて来たとされる核兵器。沖縄返還後もそのまま黙認する約束が密かに日米両国で交わされていたのではないか、と言う問題だ。

事実なら、もちろん非核三原則に反する。この密約が世間に明らかになった場合の社会的影響は、土地復旧費用密約の比ではない。佐藤政権としては、復旧費用密約を認めてしまえば、「他にも密約はあるはずだ」として、芋づる的に核密約に飛び火することを最も恐れたはずだ。何としてでも、西山記者の活動を抑える必要があったのだ。そして西山記者は拘束された…。そんな疑念を持つ人が多かった。

◇日本が核戦争に巻き込まれるリスク

今後、もし違憲安保法制が成立し、在日米軍再編計画に迎合した日米軍事同盟が成立すればどうなるか。詳しくは私が以前に書いた以下の二つの記事を読んで戴きたい。

■秘密保護法、集団的自衛権のあまりに危険な実態、ジョセフ・ナイ元米国防次官補の語る日米軍事戦略

■安保法制の狙いは自衛隊と米軍の一体化、在日米軍再編計画に迎合した安倍政権

要約すれば万一、中国有事の際には米軍と一体運用された日本各地の自衛隊基地から、核兵器を搭載した米軍機が中国の核基地に対し爆撃に向かうことも想定される。もちろん、そうなれば日本本土が核攻撃の標的になることも覚悟しなければならないのだ。

しかし、今は国家公務員法に加え、多くの人が「違憲」と懸念を示しても、強行採決で成立した秘密保護法がある。爆撃の危険にさらされる国民にこうした情報が伝わることは、まずないだろう。

西山記者の前例がある。国家権力は狡猾で、無慈悲だ。核兵器に関する情報は徹底的に管理され、外に絶対に漏れない対策を取る。ジャーナリストが取材を試みても、権力はどんな理由をつけてでも、記者を拘束するだろう。それも世間で騒がれることを恐れ、核取材に対しての秘密保護法違反と言う形には絶対にしないはずだ。

何らかの別件をデッチ上げてでも拘束する手法が取られる。人々が気付くことさえ、困難だ。核攻撃にさらされて、初めて国民は事の真相を知ることとなる。でも、もう遅い…。そんな戦前社会への回帰を私は想像し、恐れる。

◇報道自粛するメディア

にも拘わらず、どうしてこの国のメディアはこうも鈍感なのだろう。NHKや読売は、国会での核論戦を伝えても、安倍首相や中谷防衛相発言の「非核三原則がある」との答弁の方を大きく伝え、核戦争に自衛隊が参加する危険をまともに報道していない。

朝日や毎日は、その危険は何とか伝えた。しかし、その朝日にしても1面トップ扱いを避けた。この国会論戦が、唯一の被爆国であるこの国が、核戦争に向かって実質一歩踏み出すきっかけになり、戦後の大きな転換点になりかねないと言うのに…である。私にはメディアが安倍政権に対して、あまりにも腰が引けているとしか見えないのだ。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)
フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。特定秘密保護法違憲訴訟原告。

2015年08月13日 (木曜日)

「押し紙」70年⑥ 1980年代の国会における新聞販売問題の追及、読売「北田資料」も暴露

サマリー】1980年代に入ると国会質問の場で共産・公明・社会の3党が超党派で、景品を使った違法な新聞拡販や「押し紙」問題などを追及した。質問回数は、1980年3月5日から1985年4月13日までの期間、総計で16回である。

 当然、「押し紙」問題も取り上げられた。共産党の瀬崎博義議員は、読売新聞・鶴舞直配所の内部資料を暴露した「北田資料」を根拠に、「押し紙」(広義の残紙)を取り上げた。

1980年代に入ると新聞販売の諸問題は、国会で反響を呼んだ。これについてはメディア黒書でも繰り返し記述してきたが、新聞史における大事な歴史的転換期なので、改めて何が起こったのかを記しておこう。

結論を先に言えば、共産・公明・社会の3党が超党派で、景品を使った違法な新聞拡販や「押し紙」問題などを追及したのである。質問回数は、1980年3月5日から1985年4月13日までの期間、総計で16回である。

具体的な質問日時と質問者は次の通りである。

■新聞に関する国会質問リスト

こんなことはかつてなかった。政党にとっても、新聞社を攻撃することは大きなリスクを背負うからだ。

これらの質問を水面下で準備したのは、新聞販売の業務に携わる社員と店主で組織する全販労(全日本新聞販売労組)の事務局長を務めていた沢田治氏である。沢田氏は滋賀県で毎日新聞の販売店を経営するかたわら、組合運動の指揮を取っていた。

国会質問に立った共産党の瀬崎博義議員と公明党の草川昭三議員は、いずれも滋賀県選挙区から国会へ送りだされていた。沢田治氏は地元出身の瀬崎博義議員と草川昭三議員に接触し、膨大な裏付け資料を提供し、国会質問を依頼したのである。

共産党の市川正一参院議員も質問に立っているが、彼も関西を基盤とした政治家であることから、沢田氏が接近したのである。市川氏の秘書が筆坂肇氏であったことから、沢田氏は筆坂氏に資料を届けていたという。かつて沢田氏は、わたしに対して、筆坂氏を次のように評していた。

「とにかく理解力がすごかった。多量の資料を短期に整理して体系づけた」

◇北田資料

1982年3月8日、瀬崎議員は国会質問で、俗にいう「北田資料」を取り上げた。これは読売新聞の北田敬一店主(奈良県読売新聞鶴舞直配所)が暴露した自店の経営実態を裏付ける内部資料である。その中に「押し紙」(残紙)に関する資料が含まれていた。(読売は、「押し紙」は一部たりとも存在しないと主張してきたが、ここでいう「押し紙」とは、広義の残紙のことである。必ずしも押し売りの証拠があるとは限らない。)

瀬崎氏は、この北田資料を国会質問の中で暴露したのだ。瀬崎氏は、次のように述べている。

これで見てわかりますように、51年の1月、本社送り部数(注:搬入部数のこと)791、実際に配っている部数556、残紙235、残紙率29.7%、52年1月送り部数910にふえます。実配数629、残紙数281、残紙率30・9%に上がります。・・・・・・・

■瀬崎氏による国会質問録DPF

これが国会で「押し紙」問題が取り上げられた最初である。
しかし、これら一連の新聞販売問題をメディアが取り上げることはなかった。唯一の例外が新聞研究者で創価大学の新井直之教授だった。新井氏は月刊誌『潮』に連載していた「マスコミ日誌」で、次のように述べている。

(略)新聞社側には、国会で共産党議員がその資料をもとに問題を取り上げていることから、(注:全販労が)共産党系組織として警察に働きかけ、裏からの切りくずしをはかっているとも聞く。しかし「生まれたばかりの組織で、支援してくれるものはどこもこばまない」(佐藤議長)というのが全販労の考え方で、共産党系組織というのはいいがかりに過ぎない。この問題について、公明党、社会党議員も国会で取り上げているのも、その現れである。

新聞販売の過当競争や、販売店従業員のタコ部屋的状況は周知の事実で、各社は、公取委の批判や全販労の告発に、十分に、誠意をもって答え、対応すべきであろう。新聞が、自ら内部にかかえている矛盾や後進性を克服せずして、真の国民のための新聞ということは、決してできない。

驚くべきことに新井氏が指摘している新聞販売店の実態は、新聞社の系統によっては、今もほとんど変わっていない。

2015年08月12日 (水曜日)

志岐武彦氏が新刊『最高裁の黒い闇』(鹿砦社)を出版、小沢検審架空説の根拠を示す

【サマリー】小沢検審にかかっている疑惑を調査してきた志岐武彦氏が新刊『最高裁の黒い闇-国家の謀略を追った2000日の記録』(鹿砦社)を出版した。元参院議員・森裕子氏が志岐氏を訴えた裁判の経緯をたどりながら、小沢検審が「架空検審」であった根拠を提示している。その柱となるのが、「7つの根拠」である。

 志岐氏が対森裕子裁判に勝訴してまもなく1年。検察審査会の問題は極めて公益性が高く、本来であれば名誉毀損であるか否かとは別の次元で、検証されなければならない問題である。志岐氏は書籍の出版によりその目的を達した。

検察審査会が起訴相当議決を下して小沢一郎氏を法廷に立たせた事件ついて、検証するに値する2つの謀略説がある。捏造報告書によって検察が小沢一郎氏のイメージダウンをはかり、審査員を起訴相当議決へ誘導したとする説と、検察審査会の上部組織である最高裁事務総局が小沢検審そのものを審査員がいない「架空審査会」に設定して、みずから起訴相当議決を下したとする説である。

前者の立場を取ってきたのは元参院議員の森裕子氏である。大半のマスコミもこの説に追随してきた。
これに対して後者の立場を取ってきたのは志岐武彦氏と市民オンブズマンいばらぎの石川克子氏である。

森・志岐の両氏はそれぞれ『検察の罠』(日本文芸社)、『最高裁の罠』(K&Kプレス)というよく似た表題の本を出版している。両者の対立は、2013年、森氏が志岐氏に対して言論活動の一部禁止と500万円の金銭などを請求する裁判を起こす事態にまでエスカレートした。

この裁判については志岐氏の勝訴が確定している。このほど志岐氏が出版した『最高裁の黒い闇-国家の謀略を追った2000日の記録』(鹿砦社)には、対森裁判の経緯は言うまでもなく、その根底にある最高裁事務総局による謀略説が詳しく記述されている。

本書の中で小沢検審を「架空検審」と結論づけた根拠として、志岐氏は次の7点を指摘している。

①新聞報道に見る不自然な記述。

新聞が「審査が本格化する見通し」と報じた6日後に議決が下された事実がある。しかも、議決が下された日は、小沢氏が立候補していた民主党代表選の当日でもあった。

②検察官による議決前の意見表明が行われなかった疑惑。

審査会が議決を下す前には、検察官が検審に参加して、みずからの意見を述べる規則になっている。さもなければ議決は有効にはならない。しかし、担当検察官が検審へ足を運んだことを示す出張記録が不在になっている。さらに検察官が小沢検審に出席しなかったとする関係者の証言も存在する。

③ニセの審査員旅費請求書が多量に作成されていた形跡。

検審を「開催」したにもかかわらず、一部の請求書は存在しないことも裏付けられている。

④会計検査院が、小沢検審の〝審査員実在確認〝を故意に外した事実。

志岐氏らが会計検査院に調査をやり直すように求めても応じていない。

⑤審査員の平均年齢を3度も訂正している事実。

これについては、森裕子氏の『検察の罠』にも詳しい。

⑥最高裁が、審査員候補者名簿にない人を審査員に「抜擢」できる「くじ引きソフト」を作成していた事実。

これについても、森裕子氏の『検察の罠』が指摘している。森氏が議員の職権を使って調査した結果である。

⑦最高裁事務総局が新設した検察審査会に小沢検審が割り振られていた事実。

本書は①~⑦の例題を詳しく検証している。もちろん志岐氏の主張は推論であるが、推論を十分に裏付けるための文書を提示しているので、小沢検審を「架空検審」と結論づけたプロセスが明快に理解できる。

「志岐VS森」が終わって一年に満たないこの時期に、志岐氏が本書を執筆した背景には、単に勝訴で得た勢いが追い風になったというだけではなく、元国会議員が起こした裁判によって言論を封じられそうになったことに対する怒りがあるのは間違いない。

検察審査会の問題は極めて公益性が高く、本来であれば名誉毀損であるか否かとは別の次元で、検証されなければならない問題である。志岐氏は書籍の出版によりその目的を達した。

■最高裁の黒い闇(目次)PDF

 ※本書は既に一部の書店への配本は完了している。20日ぐらいに配本が完了する予定。

2015年08月11日 (火曜日)

新聞に対する軽減税率の適用問題と安保法制の審議が同時進行している理由

【サマリー】新聞に対する軽減税率の適用問題で、読売の渡辺恒雄氏が政界工作の必要性を語っている。しかし、新聞の本来の役割は、政界工作など公権力を監視することである。新聞人みずからが政界工作の先頭に立っていては話にならない。

 こうした状況になっているのは、新聞社の収益構造が国の政策に左右される体質であるからだ。軽減税率問題の他に、「押し紙」問題や再版制度の問題でも、同様の収益構造の問題がある。

  安保法制の問題と軽減税率の問題がセットで登場しているのも、背景にメディアコントロールの力学が働いているからにほかならない。

新聞社がジャーナリズム活動を行うに際して決定的な障害になるのは、国の政策によって大きく左右される自らの収益構造である。それは読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長が、販売関係の会合ではからずも明かした次のような事情に象徴されている。

 私は消費税の軽減税率については、まず新聞は軽減税率が適用されると信じてはいますけれども、しかしながら、政治的な事情で、いつどういうことが起きるか分かりません。これは慎重に根回しをし、強力に推進していかなければならない問題です。

  昨年の消費税率の3%引き上げで、全国の新聞がみな、かなり被害を受け、部数を大幅に減らしました。今度また税率10%が適用されるようなことがあれば、新聞産業の衰退につながりかねません。国民の知識水準を維持し、教育や産業の向上のために必須の知識資産である新聞にとって、現に欧米各国で起こりつつあるような衰退が進めば、日本の国力が大きくそがれることになりかねません。(『新聞情報』2015年7月18日。太字は黒薮による)

渡辺氏のこの発言を逆に言えば、軽減税率の適用を勝ち取るために、「慎重に根回しをし、強力に推進していかなければ」新聞社の経営悪化は避けられないということである。本来、ジャーナリズム企業というものは、経営悪化を覚悟のうえで、真実を伝える努力をするものであるはずだが、渡辺氏の考えは、政界工作を選択するという妥協的なものである。

これではジャーナリズムにとって最も大事なものが欠落し、新聞の存在価値そのものがなくなってしまう。

渡辺氏の新聞社経営論が誤っていることは言うまでもない。ジャーナリズム企業の役割は、むしろ政界工作などの不正行為をおおやけにすることであるからだ。自分たち自身が軽減税率の問題などで政界工作に関与すれば、公権力を監視する役割を果たすことはできない。

一方、政治家にしてみれば、新聞社の「根回し」に応じることで、自分たちにとって都合が悪い情報を公表されるのを防止できる。事実、日本の新聞は公権力の実態を本気でえぐり出そうとはしない。政治悪をなげいてみせる程度のことはあっても、徹底的な批判は控える。おとなしい。その結果、真実のほんのひとかけらを公表して幕引きする茶番劇を演じることになる。それによって表向きは、ジャーナリズム企業の面目を保持しているのである。

ちなみに渡辺氏は新聞の価値について、「国民の知識水準を維持し、教育や産業の向上のために必須の知識資産」と述べているが、これはいちじるしく論理が飛躍している。真実の全体像を報じない新聞から得た知識は、むしろ偏向していて、客観的に社会を把握する道具にはならない。虚像づくりに力を貸す。

◇新聞社経営の汚点

さて、軽減税率の問題と同様に、日本の新聞社が政界に「根回し」せざるを得ない問題としては、次のようなものがある。

(1)「押し紙」
新聞社は「押し紙」(偽装部数)で公称部数をかさ上げしている。それにより紙面広告の掲載料金をもかさ上げしている。「押し紙」は独禁法に抵触しているので、取り締りの対象になる。

(2)折込広告の水増し
「押し紙」に連動しているのが、折込広告の水増し行為である。販売店へ搬入される折込広告の枚数は、搬入される新聞の総部数(「押し紙」を含む)に一致させる基本原則があるので、「押し紙」が発生している状況下では、折込広告も水増し状態になっている。もちろん例外はあるが。

この問題については、1983年に熊本県警が警告を発したことがある。

(3)再版制度
日本の新聞社が宅配制度を維持できているのは、再販制度により同系統の販売店相互が競争できない状況におかれているからである。従って政治家により再版制度が撤廃されると、日本の新聞社は壊滅的な打撃を受ける。

日本の新聞がジャーナリズムとは程遠いのは、記者の能力が劣っているからではない。根本的な問題は、新聞社の収益構造が公権力との癒着関係なしには維持できない構図になっているからである。

一方に軽減税率の問題が新聞関係者の不安をあおっている状況があり、他方には自民党が安保関連法案を成立させようとしている状況を見るとき、公権力によるメディアコントロールの実態が浮かび上がってくる。

2015年08月10日 (月曜日)

埼玉県知事選挙にみる自民党の大敗ぶり、安倍内閣に対する不信感をそのまま反映

 【サマリー】埼玉県知事選挙の投票が9日に行われ、非自民保守系の上田清司氏が圧勝した。安倍政権の強引な国会運営の下、自民党の支持を受けた塚田桂祐氏の得票率が注目されたが、上田氏の58%に対して塚田氏は28%だった。自民党の大敗だった。

 一方、共産党系の柴田やすひこ氏は、前回知事選の共産党系候補に比べて得票率(14%)を大きく伸ばした。埼玉知事選は、国政の構図がそのまま反映するかたちになった。

埼玉県知事選挙の投票が9日に行われ、上田清司氏(現職)が4回目の当選を果たした。上田氏は維新の党と民主党埼玉県連の支持を受けた。

知事選には5人が立候補したが、事実上、上田清司(維新・民主支持)、塚田桂祐(自民支持)、柴田やすひこ(共産支持)の三つどもえ戦だった。
上田氏の圧勝は予想していたが、わたしが注視していたのは、自民党県連の支持を受けた塚田桂祐氏がどの程度の票を得票するかという点だった。安保関連法案を強引に押し通そうとしている安倍内閣・自民党の姿勢に対して、埼玉県民がどのような評価を下すのかに注目したのである。

結果は次の通りだった。

《投票率26.63%》

上田清司(現職・民主・維新支持):891,822 [58.4%]

塚田桂祐(自民支持):322,455  [21.1%]

柴田やすひこ(共産支持):228,404 [14.9%]

塚田氏は上田氏に大敗した。上田氏は現職の強みはあったが、みずから条例化した知事の多選(最高で3期12年まで)を自粛するルールを破るかたちでの立候補だったために、県民の反発も予想され、自民系の塚田氏が善戦する可能性もあった。しかし、結果は自民系の塚田氏の惨敗だった。まったく太刀打ちできなかった。

◇自民と非自民保守

しかし、当選した上田氏も前回の知事選に比べると、得票率などを大きく減らしている。その要因として、今回は自民党の支持を得られなかったこともある。

前回知事選の結果は次の通りである。

《投票率24.89%》

上田清司(民主・自由・公明支持): 1,191,071票  [84.3%]

原冨悟(共産支持) :171,750  [12.2%]

今回の知事選における自民系の塚田氏と非自民保守系の上田氏の獲得投票を合計すると、1,214,277票となり、前回知事選の1,191,071票 よりも増えている。これは反自民の票が左派の共産党へではなく、非自民保守系へ流れていることを示している。共産党にはアレルギーがあるから、自民系がダメなら非自民保守系へ投票するパターンが続いていることを示している。

このパターンは2大政党制が導入された1990年代の半ばから続いている。しかし、変化の兆しもある。共産党の動きである。

共産党は今回、投票総数も得票率も大きく伸ばした。これらの票は、諸派支持層と無党派層の票を集めた可能性が高い。

◇国政をそのまま反映

個人的な見解を述べれば、自民系と非自民保守系ではほとんど政策に変わりがない。たとえば民主党は時代によっては政策に違いが見られるものの、基本的には新自由主義=構造改革の推進政党である。急進的な新自由主義=構造改革を進めた小泉政権を生み出した原因も、小泉首相に先駆けて、民主党が先に新自由主義=構造改革の政策を提唱していたからである。

それに負けじとして、小泉首相がドラスチックな「改革」を押し進めたのだ。鳩山内閣の時代、民主党は一旦は方向転換したが、菅・野田政権で再び新自由主義=構造改革へと舵を戻した。

軍事大国化の問題にしても、民主党は過去の有事法制を成立させる過程で自民党に協力した経緯がある。

今回の埼玉知事選挙を政党相互の攻防とみるならば、非自民保守系の上田氏と自民系の塚田氏では、明確な対立構造にはなっていない。どちらが知事になっても根本的な違いはない。

それでも自民党が支持を失い共産党が台頭してきた状況は、国政をそのまま反映している。

2015年08月07日 (金曜日)

1年半で朝日は67万部、読売は72万部の減部数、2015年6月のABC部数

【サマリー】2014年1月から2015年6月の1年半における新聞のABC 部数の推移を調べたところ、朝日が約67万部、読売が約72万部の部数を減らしていることが分かった。これに対して産経は約1万部増やしている。

 しかし、新聞のABC部数には「押し紙」が含まれている場合があるので、実際にどの程度の新聞が配達されているのかは不透明のままだ。「押し紙」は独禁法に抵触し、公権力がこれを逆手に取れば、暗黙のうちに新聞紙面をコントロールできる。

2015年6月時点における主要紙のABC部数は、次の通りである。

【2015年6月】
朝日新聞:6,790,953部
読売新聞:9,108,078部
毎日新聞:3,249,928部
日経新聞:2,739,027部
産経新聞:1,604,115部

■2015年6月のABC部数

これらの数字を1年半前、つまり2014年1月の数字に比較してみると、中央紙のうち産経は部数を増やしているが、他紙は部数の低落傾向から脱却できていないことが分かる。

読売は1年半で約72万部を減らし、朝日は67万部を減らしたことになる。両社の減部数は、約139万部にもなる。これは関東圏でいえば、東京新聞2社と上毛新聞社を失ったに等しい。

【朝日新聞】
2014年1月:7,461,786部
2015年6月:6,790,953部
差異     :  670,833部

【読売新聞】
2014年1月:9,825,985部
2015年6月:9,108,078部
差異     :  717,907部

【毎日新聞】
2014年1月:3,356,507部
2015年6月:3,249,928部
差異     :  106,579部

【日経新聞】
2014年1月:2,761,699部
2015年6月:2,739,027部
差異     :   22,672部

【産経新聞】
2014年1月:1,593,075部
2015年6月:1,604,115部
11,040部

【中央5紙を除く日刊紙】
2014年2月:16,073,597部
2015年6月:15,439,934部
 差異     :   633,663部

◇「押し紙」とメディアコントロール

しかし、これらの数字は販売店が実際に配達している部数(実配部数) を正しく反映しているとは限らない。日本の新聞業界には、「押し紙」制度が慣行として定着しているからだ。

「押し紙」とは、新聞社が販売店に対して実配部数を超える新聞部数を搬入するために発生する過剰部数を意味する。「押し紙」は卸代金の請求対象になる。当然、実際には配達・販売されていなくても、販売収入として経理処理される。そのために粉飾決算の疑惑も指摘されてきた。

新聞人の中には新聞ばなれの時代においても、自社だけは経営が好調だと、機会があるごとに自慢話をしている者もいるが、粉飾問題を考慮した場合、実際の経営実態を反映していない可能性が高い。

新聞人は「押し紙」も堂々と販売収入として計上しているので、「押し紙」が多い新聞社は、経営が好調に見えても内情は別だ。

「押し紙」は独禁法で禁止されており、これを逆手に取れば公権力は新聞紙面を暗黙のうちにコントロールできる。公権力に批判的な紙面づくりを展開する新聞社は、「押し紙」問題で摘発されるリスクが高くなるからだ。

2015年08月06日 (木曜日)

民間軍事会社による傭兵募集に現実味、後藤・湯川の両氏に関する情報が特定秘密に指定されている理由、徴兵制は「幻想」の可能性が高い

【サマリー】安保法制が成立した後、次の段階として徴兵制が導入されるのではないかという懸念が広がっている。わたしは徴兵制よりも、民間軍事会社により傭兵部隊を組織する戦略が浮上する可能性の方が高いと考えている。その先駆けが、
ISに処刑された(株)民間軍事会社の設立者・湯川遥菜氏のシリアでの動きだった。

  後藤・湯川の両氏に関する情報が特定秘密に指定されているのも、このあたりに理由があるのではないか?

  傭兵に戦争を肩代わりさせる戦略は、1980年代の中米紛争で米軍が採用した歴史がある。米国は派兵先の国の若者に代理戦争をさせたのである。それにより米国内の反戦意識を抑制したのだ。

 安保法制が成立した次の段階で、自民党は徴兵制の導入へ向けて動きはじめるのだろうか?

わたしは、安倍首相の極右思想の背景からすれば十分に起こりえることだと思うが、同時に「さすがにそこまでは踏み切れないだろう」という気もする。と、いうのも徴兵制を導入すれば、反戦運動が高騰するのは目に見えているからだ。それが予測できないとすれば、予知能力ゼロの芯からのバカということになる。

しかし、日本の海外派兵軍が戦闘に参加して死者がでた場合、自衛隊に入隊する者が激減するので、兵力を確保する手段は考えなければならない。新自由主義が生み出した格差社会の中で、下層に追いやられた人々が自衛隊に入隊するだろうという見方もあるが、生命のリスクを背負う仕事を選択する人々はやはり多数派ではない。ちょうど福島第一原発の事故処理に携わる人員が不足しているように。

と、なればどのような「対策」が考え得るのだろうか。わたしは徴兵制よりも戦闘員の傭兵(ようへい)化が現実的な案として浮上してくるのではないかと考えている。しかも、その戦闘員は日本人ではなく、派兵先の国の若者である。

事実、シリアに入国してISに拘束され、処刑にふされた湯川遥菜氏は、現地で民間軍事会社の「事業展開」を夢見て射撃訓練に励んでいた。わたしに言わせれば、とんでもない人物である。

湯川氏は、(株)民間軍事会社の設立者である。単なる戦争マニアではない。処刑された当時、同社の顧問には、自民党の元茨城県議が就任していた。湯川氏と元航空幕僚長・田母神俊雄氏の懇意な関係を示す写真も多数存在する。

■湯川遥菜氏と田母神俊雄氏のツーショット

◇戦争の民営化と傭兵

具体的に湯川氏がどのようなビジョンを抱いていたのかは不明だが、その後、湯川・後藤の両氏に関する情報が特定秘密に指定されている可能性が高いことから察すると、将来日本が選択すると思われる軍事政策と連動したビジョンを抱いていた可能性が高い。射撃を楽しむことだけが目的なら、シリアに入国する必要はなかったはずだ。

現地で傭兵を集めて自衛隊に協力するという青写真があったのではないか。仮に傭兵部隊を展開させる体制が整えば、日本の自衛隊は戦闘員としてではなく、軍事訓練の司令官として派遣されることになるので、日本人の犠牲も最小限に留めることができる。

◇中米における代理戦争の例

実は、兵力を派兵先の若者に肩代わりさせる戦略は、1980年代の中米紛争の時代にすでに米国が採用している。新しい戦略でもなんでもない。米国に追随している自民党政権であれば、十分にありうる戦略なのだ。

1979年のニカラグア革命の後、米国はFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)による革命政権を倒すために、ニカラグアの隣国ホンジュラスを米軍基地の国にかえた。しかし、米軍の戦闘員を派遣したわけではなかった。

派兵された米兵は、コントラと呼ばれる傭兵部隊に対して軍事訓練を行う司令官らだった。傭兵集めのターゲットになったのは、ニカラグアのカリブ海側の地域に住む若者たちだった。ここにはミスキートという少数民族が住んでいる。彼らは伝統的に中央政府に背を向けて生きてきた。この歴史的背景に付け込んでミスキートの人々を集め、ホンジュラス領内で軍事訓練を受けさせた後、ニカラグアへ送り込んで、テロ行為を代行させる戦略が採用されたのである。

中米エルサルバドルに対しても、米国はまったく同じ政策を実行している。この国では、1980年に左翼のFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)と、政府軍の間で内戦が勃発した。

米軍がエルサルバドルに戦闘員を送り込むことはなかった。しかし、エルサルバドル軍の指導にあたる司令官たちを送り込んだのである。

ニカラグアだけではなく、エルサルバドルでも代理戦争の戦略が取られたのだ。その背景にはベトナム戦争の敗北に端を発した厭戦意識・反戦意識が米国内で高まっていた事情がある。

米国国内でも、中米紛争への介入に反対する運動があった。

安倍政権は可能であれば日本人戦闘員を直接戦地に投入することを避けたいと考えているのではないか?こうした状況の下で、湯川氏に象徴されるような民間軍事会社の発想が生まれてきたのではないか。これは国境を越えた戦争の民営化策と評しても過言ではない。

改めて言うまでもなく、海外派兵の目的は国際秩序の維持ではなくて、多国籍企業の防衛である。これについては、次の記事を参考にしてほしい。

安保法制の裏に何が隠されているのか?多国籍企業の防衛部隊としての自衛隊、経済同友会の提言から読み解く

 

2015年08月05日 (水曜日)

増え続ける恫喝訴訟(スラップ)、弁護士事務所の側から「営業」の可能性も否定できず、対抗策は?

【サマリー】金銭や恫喝を目的とした訴訟(スラップ)が社会問題として浮上して15年になるが、状況は悪化する一方だ。スラップの件数がますます増えている。近年の著しい特徴として、弁護士に依頼せずに提起される本人訴訟が増えていることがある。わたしも被害者の一人である。

 スラップ訴訟の中には、弁護士の側から訴訟を勧めるケースもあるようだ。「金がとれる」と話を持ち掛け、訴訟を起こすのだ。このような訴訟では、訴因が不自然なことが多い。

  しかし、恰好の対策がある・・・。

名誉毀損を口実とした恫喝裁判(スラップ)が日本で提起されるようになったのは、今世紀に入ったのちである。サラ金の武富士が、次々とフリージャーナリストらに対して高額の金銭支払いを請求する裁判戦略を採用したのが発端と言われている。

厳密に言えば、それ以前にも類似した裁判は携帯電話会社などによって起こされているが、訴権の濫用が社会問題として浮上したのは武富士裁判からである。

それから15年。スラップは衰えをみせるどころか、ますます増えている。

さらに新しいかたちの恫喝裁判も増えている。新しいかたちの恫喝裁判とは、法律の素人が弁護士に依頼せずに本人訴訟を起こすケースである。名誉毀損裁判が原告に圧倒的に有利な法理になっているために、このような現象が起きているのだ。

本人訴訟についても不純な目的で提起されることがある。嫌がらせと金銭が目的化して、わたしが調べた限り、半失業の状態で生活に窮している者が原告になっているケースも過去にはあった。宝くじでも買う感覚で訴訟に踏み込んでいるのではないかと推測する。

わたしも現在、1件の本人訴訟の被告になっている。これについては結審後に事実関係を全公開することを前提に、単行本化も視野に入れて準備中だ。(楽しみにしてください。)

◇弁護士の側が「営業」か?

さてスラップの中には、弁護士の側から裁判を持ち掛けていると推測されるものも多々ある。たとえば請求額が異常に高額に設定されているとか、名誉毀損の対象となっている作品(記事や単行本)が、半年も1年も前に公表されているにもかかわらず、それまでは沈黙を守り、不意に提訴に踏み切った事実があれば、弁護士の側が「営業」によって訴訟に勧誘した可能性が高い。

もちろんそのような行為は禁止されているが、監視する体制がないわけだから、弁護士に対する懲戒請求をしても処分されることはない。日弁連は基本的に弁護士の利益を守る団体なので、故意に虚偽の書類を裁判所へ提出するなど、相当悪質な行為がない限り失職させられることはない。

とにかく訴因が不自然だと感じたら、「営業」により生み出されたスラップを疑う必要がある。弁護士事務所の中には、名誉毀損裁判の提起を勧める内容の書籍を出版しているところもある。

◇スラップ対策は報道すること

さて、スラップを多発されるとフリージャーナリストや小規模メディアは、裁判対応と経済的負担でジャーナリズム活動が出来なくなってしまう。本来、米国のようにスラップ禁止法を国が制定すべきだが、そのような動きが本格化しているという話は聞いたことがない。

裁判を受ける権利が憲法で保障されている状況に照らし合わせると、特定の訴訟をスラップと認定すること自体がなかなか難しいという事情があるので、スラップ禁止法の制定にも壁があるのかも知れない。が、スラップにより日本のジャーナリズムが劣化しているのは疑いない。

現段階で考え得る対策としては、やはりジャーナリズムで徹底抗戦する以外にないようだ。法律を盾にした訴訟ビジネスが勝者になるのか、それともペンで真実を伝え世論を作りだした者が勝者になるのかの戦いになる。

たとえ法律を盾にした者が勝っても、ジャーナリズムにはまた別の視点がある。5年、10年、あるいは20年のベースで裁判を検証することで、問題の本質を浮かび上がらせることができるのだ。

2015年08月04日 (火曜日)

「押し紙」70年⑤、1977年の日販協による「押し紙」調査、搬入される新聞の約1割が「押し紙」に、粉飾決算の疑惑も

【サマリー】「押し紙」を排除する最初の全国的な動きは1977年に始まった。日販協(日本新聞販売協会)が全国の新聞販売店を対象に、「残紙」の実態調査を実施したのである。その結果、販売店へ搬入される新聞の8.3%(全国平均)が「残紙」になっていることが判明した。

 この数字を基に部数を試算すれば1日に380万部にもなる。これらの新聞は販売されていないにもかかわらず、販売されたものとして経理処理されている可能性が高く、粉飾決算の疑惑も免れない。

「押し紙」問題に最初の転機が訪れたのは1977年(昭和52年)である。日販協(日本新聞販売協会)が全国規模で「押し紙」の実態調査を行ったのである。

調査に際して同協会は、全国の新聞販売店に「残紙及び拡材使用の実態調査にご協力をお願いします」と題する文書を送付している。調査の目的について、この文書は「販売正常化の決め手は自由増減の厳守にある」が、実際には「自由増減が徹底」されていない実態に対処するためとしている。

ちなみに「自由増減」とは、新聞販売店の側が自由に仕入部数を決める権利のことである 。商品を仕入れる側が商品の仕入れ量を決めるのは、普通の商取引では議論の余地がない当たり前の慣行だが、新聞の場合は必ずしもそうはなっていない。

各販売店に新聞拡販のノルマが課せられ、新聞社が一方的にノルマを上乗せした新聞部数を搬入する。こうした慣行によって発生する過剰な新聞が、俗に言う「押し紙」である。

従って「押し紙」をなくすということは、販売店主に自由増減の権利を保証することにほかならない。しかし、戦後70年が過ぎても、多くの新聞社でそれが実施されていないのが実情である。新聞業界が前近代的な業界と言われてきたゆえんである。

◇「押し紙」と粉飾決算

1977年11月30日付けの『日販協月報』は、第1面で「残紙に関する実態調査」の結果を発表した。それによると、全国平均1店あたり8・3%の残紙が発生していることが分かった。

同時に日販協は、1日に全国で約380万部が残紙になっていると試算した。これをトン数に換算すると13万トンである。

地域別にデータを見ると、近畿(11.8%)・中国=四国(11.1%)で「残紙」の比率が高い。

■残紙に関する実態調査PDF

改めて言うまでもなく、これらの新聞は販売されたものとしてABC部数に加算され、それに基づいて経理処理も行われてきた。当然、粉飾決算の疑惑もある。「押し紙」と粉飾決算は常に表裏関係にある。

1970年代の中期には、搬入される新聞の1割ほどが「押し紙」になっていたのである。この数字は搬入される新聞の5割が「押し紙」という実態がある現在の感覚からすれば極めて低い。しかし、当時は大きな問題になっていて、日販協は調査結果を踏まえて日本新聞協会へ「残紙排除の要請」を行っている。