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2015年10月01日 (木曜日)

「押し紙」70年⑫ 第2次真村裁判、黒薮の取材を受けたことが改廃理由に、この裁判でも喜田村洋一・自由人権協会代表理事が読売代理人に

【サマリー】  第2次真村裁判とは、第1次裁判の判決確定により、YC広川・真村店主の地位が保全された7か月後に、読売がやはり真村氏に対して断行した販売店改廃に端を発した地位保全裁判である。結論を先に言えば、真村氏は敗訴した。

 この第2次裁判は、さまざまな問題を含んでいる。たとえば真村氏の解任を認める理由として、わたし(黒薮)の取材を受けたことなどがあがっている。
言論・表現の自由にかかわる問題が浮上したのである。しかも、新聞社がかかわっているのである。

 この裁判でも、やはり自由人権協会の喜田村洋一代表理事が、読売代理人として福岡へ通い続けたのである。

さて、第2次真村裁判を紹介しよう。

すでに述べたように2007年12月、第1次真村裁判の判決が最高裁で確定して、YC広川の真村店主は、店主としての地位を守った。ところがそれから約半年を経た2008年7月、読売は真村氏との取引契約が満期になったのを機に、契約更新を拒否した。真村氏は店主としての地位を失ったのである。

一見すると契約満期に伴う更新拒否であるから、法的に問題がないように思われるが、販売店を開業するにあたっては多額の投資をしていることや、新聞販売業が家業としての側面を持っていることなどからして、継続的契約とみなされ、正当な改廃理由がないのに、更新を拒否することはできない。

ところが読売は、最高裁で真村氏の地位保全が確定した7か月後に、YC広川を強制改廃したのである。見方によれば、司法に対する正面からの挑戦といえるだろう。自己中心的な新聞人の体質を露呈した事件ともいえよう。

◇真村氏が再び法廷へ

当然、真村氏は再び地位保全裁判を提起せざるを得なかった。第1次真村裁判の終了から、たった7か月のブランクを経て、再び地位保全裁判の法廷に立つことになったのである。

江上武幸弁護士ら真村氏サイドは、仮処分の申し立てと、本訴を平行する戦術を取った。仮処分を申し立てたのは、早急に販売店の業務を再開して生活の基盤を確保する必要があったからだ。

第2次裁判が検証対象とした期間は短かった。2007年12までの真村氏の行動に関しては、店主を解任される正当な理由は存在しないという司法認定を受けたわけだから、それ以後の時期、つまり2008年1月から、解任される7月末までの7か月のあいだに、真村氏を解任するだけの真っ当な理由が存在するかどうかが、検証点になる。

当然、江上武幸弁護士らは、第2次裁判での真村氏の敗訴はあり得ないと見ていた。わたしは当時、少なくとも10人ぐらいの知り合いの弁護士に、見解を問うてみたが、口をそろえて真村氏の敗訴はあり得ないと返答した。

実際、仮処分の申し立てでは、真村氏が勝訴した。1審から、4審にあたる最高裁への特別抗告まで真村氏の勝訴だった。喜田村洋一・自由人権協会代表理事ら読売側は、真村氏の「首切り」を執拗に主張したが認められなかった。

◇読売、司法命令に従わず

仮処分の第1審で勝訴した後、読売は仮処分命令に従い、真村氏を店主として復帰させるものと思われた。が、驚くべきことに喜田村弁護士らは、仮処分命令に従わなかったのだ。

これに対して江上弁護士らは、間接強制金を請求した。裁判所もこれを認め、読売は1日に3万円の「制裁金」を真村氏に支払うことになったのである。読売は2審、3審、4審と敗訴したので、「制裁金」の累積は、約2年半で約3600万円にもなった。

ちなみに間接強制金は、本訴で敗訴した場合、支払い元へ返済しなければならない。ある意味では理不尽な制度である。

読売が仮処分命令に従っていれば、真村氏は事業を再開でき、自分で生活の糧をえることが出来た。しかし、読売が命令に従わなかったから、真村氏は業務を再開できず、やむなく「制裁金」を受け取り、生活費や販売店の店舗のメンテナンスにあてていたのである。

本訴の最初の判決(福岡地裁)は、2011年3月15日に下された。審理は2年8か月に及んでいた。予想に反して真村氏の敗訴だった。裁判には圧倒的に強い読売が勝訴したのである。

この時点で、真村氏に3600万円の「制裁金」を読売に返済する義務がのしかかってきた。実際、後日、喜田村弁護士らは、真村氏の資産を仮に差し押さえる措置に出てくる。

■喜田村弁護士らが作成した不動産仮差押命令申立書

本訴では控訴審も上告審も、真村氏の敗訴だった。裁判所は、第1次裁判終了から後の7か月のあいだに、真村氏を解任に値する理由があったと判断したのである。

その理由は暗い好奇心をかきたてる。詳しくは、日を改めて報告するが、代表的な理由をひとつあげよう。

真村氏がわたし(黒薮)の取材に協力したことである。喜田村弁護士らが作成した準備書面には、黒薮批判も登場する。言論・表現の自由にかかわる問題である。喜田村氏らの書面は、記録として永久保存しているので、機会があれば公開しよう。【続】

2015年09月30日 (水曜日)

「押し紙」70年⑪ 読売裁判と喜田村洋一・自由人権協会代表理事のかかわり

【サマリー】真村裁判の判決が確定した後、敗訴した読売が攻勢に転じる。2008年2月から読売は、わたしに対しする2件の裁判提起をはじめ、YC久留米文化センター前の店主の解任、それに伴う地位不存在を確認する裁判を起こした。これらの裁判に、読売の代理人としてかかわってきたのが、自由人権協会の代表理事である喜田村洋一弁護士だった。

 真村氏は今も係争中だ。1人の人間を10数年に渡って法廷に縛り付けることに、人権上の問題はないのだろうか?自由人権協会とは、何者なのか?新聞社とは何か?

真村裁判の詳細については、次の記事に詳しい。

■「押し紙」70年⑩、「押し紙」隠しの手口を暴いた真村裁判・福岡高裁判決

既に述べたように、真村裁判はYC広川の真村久三店主が読売新聞西部本社に対して起こした地位保全裁判で、最大の争点は、真村氏が経理帳簿上で「押し紙」の存在を隠すためにせざるを得なかった部数内訳の虚偽記載、虚偽報告が解任理由として正当か否かという点だった。裁判所は、真村氏による虚偽報告が事実であることは認定したが、そうせざるを得ない背景に読売の販売政策があるので、解任理由には該当しないと判断したのである。

判決は2007年12月に最高裁で確定した。真村氏は、YC広川の店主としての地位を守ったのである。

ちなみに販売店の改廃は、新聞社側が「改廃」を通告して、有無をいわさずに新聞の供給をストップする方法が取られることが多い。しかし、YC広川に関しては、読売もこのような強引な方法は採用しなかった。

真村氏の弁護士と読売の弁護士との間に、係争の決着が着くまでは、一方的な販売店改廃は行わないという紳士協定が結ばれていたからである。喜田村洋一・自由人権協会代表理事が東京から駆けつけて、読売の加勢に乗り出す前の時期であった。

◇半年で4件の裁判に

真村裁判の判決が確定したのは2007年12月。が、年が改まり2008年になると予想しない事件が次々と発生する。真村裁判で敗北した読売の攻勢が始まったのだ。主要な動きを時系列に記録して、記憶に留めておこう。

【2月】読売の江崎徹志・法務室長が黒薮に対して、著作権裁判を起こした。江崎氏の代理人は、喜田村洋一弁護士。この裁判の「永久保存資料」(黒薮保管)の中に、喜田村氏が主張する著作物とは何かが記された書面が残っているので、機会があれば原文を紹介しよう。弁護士活動を考えるうえで貴重な記録である。極めて興味深い。

【3月】「押し紙」問題を江上武幸弁護士らに相談して、広義の「押し紙」(残紙)の受け入れを断ったYC久留米文化センター前の平山春雄店主が、店主を解任された。これに先立って、読売は平山店主の地位不存在を確認する裁判を起こしていたことが、後に分かった。代理人は、喜田村洋一弁護士ら。平山氏の側も地位保全裁判を起こした。

【3月】前記の平山事件をウエブサイトで報じた黒薮に対して、読売側が2330万円の金銭などを請求して名誉毀損裁判を起こした。代理人は、喜田村洋一弁護士。2330万円の中には、喜田村氏の弁護士費用として200万円が含まれていた。

【7月】読売が真村氏経営のYC広川を強制的に改廃した。真村氏はただちに地位保全裁判を起こした。これが第二次真村裁判である。この裁判でも、読売側の代理人として、やはり喜田村弁護士が東京から駆けつけ、福岡の弁護士らに加わったのである。

第二次真村裁判は一応の決着はついたが、そこから派生した別の裁判で、真村氏は今も読売と係争中である。1人の人間を10数年に渡って法廷に縛り付けることは、人権問題にほかならない。自由人権協会とは何者なのか?新聞社とは何か?

2015年09月29日 (火曜日)

「押し紙」否定論者の読売・宮本友丘副社長がABC協会の理事に就任していた、実配部数を反映しないABC部数問題に解決策はあるのか?

【サマリー】  「押し紙」否定論(読売に「押し紙」は存在しないという理論)に立つ読売の副社長・宮本友丘氏が、日本ABC協会の理事に就任していることが分かった。ABC部数は、新聞の実配部数を反映していない。その原因は、ABC部数の中に、広義の「押し紙」(残紙)が含まれているからだ。

 宮本理事にABC部数の問題にメスを入れる力はあるのだろうか?

「押し紙」否定論(読売に「押し紙」は存在しないという理論)に立つ読売の副社長・宮本友丘氏が、日本ABC協会の理事に就任していることが分かった。宮本氏は、週刊新潮が掲載した「押し紙」問題の記事に対して、読売が名誉毀損で新潮社とわたしを提訴した際に証人尋問に立った人物である。そして「読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません」と証言したのである。

読売の代理人・喜田村洋一・自由人権協会代表理事の質問に答えるかたちで、次のように証言した。

 喜田村弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。

宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村弁護士:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村弁護士:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

◇新聞協会、「残紙のことですか?」

「押し紙」問題を考える際には、「押し紙」の定義を明確にしなければならない。が、「押し紙」の定義はひとつだけではない。

「押し紙」は存在しないと主張している新聞人にとって、「押し紙」とは、新聞社が販売店に押し売りをした「証拠がある新聞」のことである。彼らにとって、証拠がない新聞は「残紙」である。あるいは「積み紙」。そんなふうに「押し紙」と残紙を使い分けることで、厳密な意味での「押し紙」は存在しないという理論を堂々と展開してきたのだ。

実際、宮本氏は上記の裁判の陳述書の中でも次のように述べている。

読売新聞社においては、新聞販売店が独自の判断で注文部数を自由に増減できる「自由増減主義」が、販売政策の基本原則です。定数を注文するのは販売店であって、発行本社ではなく、販売店の経営社が独自の裁量で決めています。

こうした「押し紙」否定論は新聞人たちの独自の主張であって、一般的に「押し紙」という場合は、新聞販売店で過剰になっている新聞全般を意味する。押し売りの証拠があろうとなかろうと関係がない。

社会通念からして、販売予定のない新聞を購入することなどありえず、とすればそれはなんらかの口実で押し売りされた新聞に違いないと考えるのが一般的だからだ。確かに新聞社に対する忠誠心などから、販売予定のない新聞を受け入れている販売店もあるが、一般の人々はこうした特殊な裏事情は関知していない。多量の新聞が過剰に販売店にあふれ、廃棄されている事実を、重大な社会問題として認識し、広義の意味で「押し紙」問題と呼んでいるのである。

が、新聞人は後者の事情から視線をそらしてきた。それどころか、「押し紙」という言葉を、みずからの造語「残紙」にすり替えて、問題の直視を避けてきたのである。かつてわたしは新聞協会の職員に、協会は「押し紙」の存在を認めているのか否かを尋ねたことがある。その時、職員は、

「残紙のことですか?」

と、切り返してきたのであった。これはあまりにもしばしば見られる新聞人の対応にほかならない。みずからの過ちは絶対に認めない彼らの体質をよく反映している。

◇公益性が極めて高い「押し紙」問題

新聞のABC部数に広義の「押し紙」、あるいは残紙が含まれてることは、新聞関係者の間ではすでに周知の事実となっている。ABC部数は、実際に配達している新聞部数を反映しなければ意味がない。広告主が、PR活動の基礎データとして利用するからだ。

つまりABC部数においては、過剰になっているいる新聞の性質が「押し紙」であるか、それとも「残紙」であるかという点は重要ではない。過剰になった新聞の中身が「押し紙」であろうと、「残紙」であろうと、ABC部数が実配部数を正しく反映していない実態こそが問題なのだ。

ABC協会の読売・宮本友丘理事は、この問題にどう向き合うのだろうか。

読売VS新潮社の裁判では、ABC部数が実配部数を反映していない問題は争点にはならなかった。争点になったのは、「押し紙」に関する記述そのものが、読売の名誉を毀損したか否かという点だった。当然といえば、それまでだが、これは同時に担当裁判官の視野の狭さを物語っている。

このあたりが日本の裁判官のトンチンカンな部分なのである。公益性が極めて高い問題に対しては、名誉毀損の問題とは別に、訴因となった事件の本質的な部分を検証するのが欧米の常識である。

そもそも名誉毀損の問題は、新聞人がみずからのペンと紙面で反論すれば、それですむことではないだろうか。何のために30年、あるいは40年ものあいだ記者を続けてきたのだろうか。

2015年09月28日 (月曜日)

特定秘密保護法違憲訴訟の原告団が29日に新橋駅前でリレー演説会、民主党と維新の会は不参加

【サマリー】リーランスの表現者43名からなる特定秘密保護法違憲訴訟の原告団は、29日(火)の午後6時から8時の予定で、新橋駅前SL広場でリレー演説会を開く。弁士は、原告のジャーナリスト・安田浩一氏をはじめ、評論家の孫崎享氏、自由人権協会の藤原家康弁護士ら。

 安保関連法案に先立って施行された特定秘密保護法の本質はなにか。改めて解説する。

フリーランスの表現者43名からなる特定秘密保護法違憲訴訟の原告団は、29日(火)の午後6時から8時の予定で、新橋駅前SL広場でリレー演説会を開く。これは11月18日に予定されている地裁判決を前にした宣伝活動の一環である。弁士は次の方々。

①安田浩一(原告)
②新聞労連・新崎盛吾委員長
③「劇団チャリT企画主宰」劇作家・演出家・俳優の楢原拓氏
④宮本徹衆院議員(共産)  
⑤日体大・清水雅彦教授(憲法)
制服向上委員会4人 トークと歌
⑦出版労連・前田能成氏(特定秘密法担当)
⑧孫崎享氏(元外交官・評論家)
⑨堀敏明弁護士(原告代理人弁護士)
⑩福島みずほ(社民)
⑪藤原家康(秘密保護法対策弁護団)

特定秘密保護法は、広義の安保関連法案である。もともとは日米共同作戦を展開するに際して、必然的に生じる軍事上の秘密を外部に漏らさないことを法的に担保するために発案された法案だったが、その後、特定秘密の適用範囲がなし崩し的に拡大され、法律が成立した段階では、次の19の行政機関が特定秘密を指摘できることになった。

①国家安全保障会議 ②内閣官房 ③内閣府 ④国家公安委員会 ⑤金融庁 ⑥総務省⑦消防庁 ⑧法務省 ⑨公安審査委員会 ⑩公安調査庁 ⑪外務省 ⑫財務省 ⑬厚生労働省⑭経済産業省 ⑮資源エネルギー庁 ⑯海上保安庁 ⑰原子力規制委員会 ⑱防衛省 ⑲警察庁

これらの行政機関が、次の4要件のうち1要件でも満たすと「主観的」に判断したものを特定秘密に指定できる。

① 防衛に関する事項
②外交に関する事項
③外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動の防止に関する事項
④テロ活動防止に関する事項

たとえばTPPは②に該当する。海外派兵は①②③に該当する。
もっとも身近な例をあげると、たとえばわたしが取材対象にしている携帯電話の基地局問題は、④に該当する。通信網に関する情報の開示が、テロ活動に悪用されるという詭弁(きべん)が一応は成り立つからだ。

◇安保関連法との関係

安保関連法が成立して、これから日本は海外派兵を繰り返していくことになるが、戦死者がでようが、日本軍が第三世界で住民の虐殺事件を起こしても、それを①②③を口実に特定秘密に指定すれば、事件の報道そのものができなくなる。つまり日本軍がジャーナリズムの視線をかいくぐって、やりたい放題に軍事作戦を展開できることになる。

かりに安保関連法が自衛隊員を戦争に巻き込んでも、特定秘密保護法がなければ、ジャーナリズムの力で戦況の詳細を告発して、反戦世論を高めることができる。が、特定秘密保護法が成立してしまった今は、この法律がそれを妨げる。違反した記者は、最高で10年の懲役に服すことになる。その意味で、特定秘密保護法はメディアに対する弾圧法なのだ。前近代的な治安維持法にほかならない。

安倍内閣が安保関連法に先立って特定秘密保護法を制定したのは、安保関連法を施行しても、特定秘密保護法が抜け落ちていれば、ジャーナリズムの力で軍事大国化の野望を粉砕される恐れが高まるからにほかならない。

29日のリレー演説会の弁士に民主党と維新の会の国会議員の名前がないのは残念なことだ。原告団が声をかけたが応じなかった。彼らの大半は「反自民」よりもむしろ「反共」であり、今後、本気で特定秘密保護法や安保関連法の廃止のために戦う気があるのかおぼつかない。まやかしの二大政党制の片棒をかついでおり、「失われた20年」の悲劇を再来させようとしている。

2015年09月25日 (金曜日)

小渕優子前経済産業大臣が不起訴に、政治家の権力抗争の「道具」としての検察審査会制度

【サマリー】小渕優子前経済産業大臣の政治資金を巡る事件で、検察審査会は「不起訴相当」を議決した。これにより小渕氏は、法廷に立つことなく潔白の身となった。

今回、この決定を下した検察審査会制度とは、どのような制度なのか。結論を先に言えば、それは政治家の権力抗争の「道具」となっている。過去には、小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏らが、検察審査会で裁かれたり、逆に救済されたりしている。

まやかしの検察審査会制度とは何かを概要する。

9月19日のANNニュースが伝えた。

 小渕優子前経済産業大臣の政治資金を巡る事件で、嫌疑不十分で不起訴処分となった小渕氏について、検察審査会は「不起訴は相当である」と議決しました。

 小渕氏の関連政治団体の収支報告書を巡っては、支援者向けの観劇会の収支を操作するなど嘘の記載をしたとして、元秘書の折田謙一郎被告(67)ら2人が東京地検特捜部に在宅起訴され、裁判が行われています。

 一方、小渕氏本人について、特捜部は「刑事責任を問える証拠はない」として嫌疑不十分で不起訴処分としたため、群馬県の市民団体が6月、「不起訴は不当だ」として検察審査会に審査を申し立てていました。

 東京第6検察審査会は、17日付で「不起訴処分を覆すに足りる理由がない」として不起訴は相当であると議決しました。再び審査を求めることはできないため、これで小渕氏への捜査は終わることになります。』

◇検察審査会制度とは?

あまりなじみのない検察審査会制度をイメージするためには、裁判員制度を連想すると分かりやすい。裁判員制度は、それが導入されるまでの時期、最高裁があれこれとPRに努めたこともあって、すでに周知の制度となっているが、検察審査会制度については、その実態を知らない人が多い。

結論を先に言えば、これは検察が不起訴にした刑事事件について有権者が「異議」を申し立てた場合、有権者の中から抽選で選ばれた審査員(一般市民)が事件を精査して、市民の視点から検察の下した不起訴決定が正当であるか不当であるかを決議する制度である。

起訴相当の決議がだされた場合、検察は再捜査する。再捜査しても結論が変わらなかった場合は、市民の側は再び異議を申し立てることもできる。そして2度目の審査会で、「起訴相当」の決議がだされた場合、被疑者は強制的に刑事裁判の法廷に立たされることになる。

建前として、裁判員制度が市民による裁判所の監視の役割を果たすのに対して、検察審査会制度は、市民が検察を監視する役割を果たす。だが、実態は公正な司法制度を担保するための制度からかけ離れている。とりわけ検察審査会制度に関しては、政治家などの権力抗争に濫用されている側面がある。事実、水面下では、さまざまな問題が指摘されてきた。

◇小沢検審疑惑

たとえばその典型は、小沢一郎氏が検察審査会により強制起訴された事件である。小沢一郎氏が関与したと報じられた事件そのものについては、その内容を検証する必要があり、安易な結論づけはできないが、小沢検審の最大の問題点は、検審そのものが開かれていなかった強い疑惑である。架空検審である。検審を開かずに、事務局(最高裁事務総局の管轄)が、架空の「起訴相当議決」を下した疑惑である点だ。

この事件については、最近、志岐武彦氏が著した『最高裁の黒い闇』(鹿砦社)に詳しい。メディア黒書でも、繰り返し取り上げてきた。たとえば次の記事を参照にしてほしい。

■YouTube: 小沢一郎を強制起訴に追い込んだ 検察審査会と最高裁の闇

■小沢起訴に持ち込んだ新設の第5検察審査会は自民党政権の末期に設定されていた、台頭する「民主党対策」だった可能性も①

■小沢一郎を起訴に追い込んだ検察審査会の闇、秘密主義に徹する一方で委員のOB会を組織か?②

◇鳩山検審疑惑

鳩山由紀夫・元総理が検察審査会の議決により、不起訴になった事件についても、かずかずの疑惑がある。まず第一に、審査会の活動を通じて、裏金づくりが行われたとしか解釈できない状況を示す経理関係の文書(情報公開制度を利用して志岐氏らが入手した内部文書)が存在する事実である。これについては、次の記事を参考にしてほしい。

■ブログ「一市民が斬る」が鳩山検審裏金疑惑の裏付け資料を公開、問われる最高裁事務総局の責任

◇検察審査員の「替え玉」事件

その他にも、検察審査会に関する情報は、全国から志岐武彦氏やわたしのもとに届けられている。これらの情報を裏付ける事件を報じるためには、さらなる調査が必要だが、ほぼ事実に間違いないと判断できる情報の中には、検察審査員の「替え玉」になった人物を特定したものもある。

検察審査員は有権者の中から抽選で選ぶことになっているのに、「替え玉」が通用するとなれば、審理の結論はどの方向へ導くこともできる。つまり検察審査会制度そのものがまったくのまやかしで、法治国家と民主主義をPRするためのニセ看板だったことになる。戦後、民主主義が根本から問われるのである。

小渕優子氏の不起訴に関しては、今後、検証する必要があるが、国家的な規模で情報隠しが始まっている時代の下で、どこまで情報が開示されるか不透明だ。

裁判員制度にしても、検察審査会制度にしても、「密室審理」が前提になっており、これを改めない限り、日本は法治国家にはなりえない。

2015年09月22日 (火曜日)

パブロ・ネルーダ没後42年、チリの軍事クーデターを予知していた詩人

9月23日は、チリの詩人パブロ・ネルーダの没42周年である。ネルーダは1973年9月11日に軍事クーデターが起こったのち、持病のガンを悪化させ、軍靴に血塗られていく祖国を見ながら生涯をとじた。

1904年7月12日生まれ。内戦下のスペインへ外交官として赴任していた時代、1934年、スペイン人民戦線を支援して職を解任された。代表作に、『大いなる歌』などがある。1970年にノーベル文学賞を受賞した。

はじめてわたしがネルーダの詩に接したのは、高校を卒業した次の年だったので1977年である。『ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌』(新日本出版 大島博光訳)を図書館の新着本のコーナーにみつけた。わたしにとって73年の軍事クーデターは、強烈な印象を受けた最初の国際ニュースだったので、脳裏の片隅にその悲惨なイメージが残っていた。この詩集に出会ったとき、本を手に取ったことはいうまでもない。

わたしはそれまで詩はほとんど読んだことがなかった。しかし、詩というものは、一種の言葉あそびであり、心の揺れや、景観の美を情緒ゆたかに表現するものだという印象は持っていた。金持ちの趣味だと思っていた。それゆえに、あまり関心がなかった。

しかし、『ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌』は、タイトルから詩の概念を根本から覆してしまった。

  やむにやまれぬ我が祖国への愛から、おれは君に訴える
  偉大な兄貴、指も灰色のウォルト・ホイットマンよ、

  血まみれの大統領、ニクソンを詩の力で打ちのめしてやる
 そのための君の素晴らしい力をかしてくれ(略)

                                          ※ウォルト・ホイットマン は米国の吟遊詩人

この詩集は、70年に人民連合(UP)のアジェンデ政権が発足してから、73年の軍事クーデターで政権が崩壊した直後までのチリの政情や市民の戦いを詩の形式で綴ったものである。絶筆は、ニクソンやピノチェトに対する怒りを病床で紙に書き連ねたものとなった。

この詩集の価値は、次に紹介する翻訳者の大島博光氏の解説にもあるように、軍事クーデターをネルーダが予知していたことが明確に読みとれる点にある。驚くべき予知力が示されているのだ。なぜ、予知できたのか。答えは簡単で、当時、米軍がベトナムで繰り返していた殺戮行為(ジェノサイド作戦)をネルーダが凝視して、米国政府の体質を見ていたからにほかならない。

ネルーダの死から42年を経た日本では、米国政府が描いた青写真どおりに安保法制や特定秘密保護法が成立した。日米関係を考える時、米軍が第三世界でこれまで何をやってきたのか、あるいは現在、何をやっているのかを見極める作業は不可欠だろう。ちょうどネルーダがベトナムの惨状を見ながら、チリの軍事クーデターに警鐘を鳴らし続けたように。

次に紹介するのは、大島博光氏による解説である。極めて示唆に富んだネルーダの思考方法が解説されている。

◇大島博光氏による解説

去年(一九七三年)の九月、チリ・クーデターのさなかに、ネルーダが死んだころから、『ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌』という詩集のあることをわたしも知っていた。そのとき、「ニクソン殺し(サイド)」という言葉が、ニクソンのベトナムにおける「皆殺し(ジェノサイド)作戦」を皮肉ったものにまちがいないと、わたしは思ったのだった。こんど、この詩集を読んでみて、わたしの推測はあたっていたが、この皮肉は、わたしの考えたのよりははるかに痛烈なものであった。いまにして思えば、きわめて不幸なことに、ベトナムにおける皆殺し作戦を、チリにおける皆殺し作戦として予感しての、ネルーダのわが身にひきつけての糾弾であり弾劾だったのである。

まえがきに一九七三年一月の日付のあるこの詩集は、ネルーダ最後の詩集であり、いわばネルーダの遺言となったが、それ以上に、この詩集は、ファシスト・クーデターを予告していた諸事件をあばく稀有な証言となっている。同時にまた、チリの民主主義を計画的に圧殺したアメリカ帝国主義の、その公的代表者としてのニクソンの犯罪をこの詩集は告発し、断罪しているのである。

アジェンデ人民連合政府が成立した一九七〇年九月から、すでに、アメリカ帝国主義の陰謀と謀略による挑発、テロ行動は活発化していた。この詩集は、まさにそのような時点から書き始められた。ネルーダは、すでに容易ならぬ情勢にたちむかうために、詩による戦闘態勢をとり、詩による武装をととのえることになる。「まえがき」にかれは書く。

「ただ詩人たちだけが、かれ(ニクソン)を壁にはりつけ、痛烈で致命的な詩句によってかれを穴だらけにすることができる。詩の義務は、韻律と脚韻の砲撃によって、かれをぼろくそにうちのめすことである。……」

多くの場合、ネルーダは、脚韻や韻律をあまり用いていないのだが、ここでは「韻律と脚韻の砲撃」をもちい、鋭い叫びの音や、きわめて大衆的な調子などを駆使して、怒りを白刃に変え、「アラウカニアの石つぶて」に変えている。「かれを壁にはりつける」──つまり、壁詩に書いて壁にはりつけるという黒いユーモアは、日本語においても、礫(はりつけ)に通じて、なかなか痛烈である。こうしてかれは、「敵をうち破るために古典主義者もロマン主義者も用いた、もつとも古い詩の武器──歌とパンフレットに訴える」のである。

ネルーダは、切迫した情勢のなかで、情勢と人民の要請にこたえて、大衆に役立つ、戦闘的な吟遊詩人とならざるをえない。いまや、ほかの主題──愛とか死とか時間といった、かれの好きな「形而上学的な」主題とは別れて、ひたすら鋭い政治詩、「黒いユーモア」にみちみちた風刺詩を、武器として取りあげることになる。そしてこの詩集にみられる風刺の痛烈さは、第二次大戦中、敗れさったヒットラー、ムッソリーニ、ペタンなどの、ファシストやその協力者どもを博物館入りの蠣人形として風刺し、痛撃した、アラゴンの詩集『グレヴァン博物館』を思わせずにはおかない。

 愛よ おさらばだ くちづけは明日(あした)だ!
  わが心よ おまえの義務にかじりつけ
  おれは おれの詩と 真実とをもって
  この怖るべき死刑執行人(ひとごろし)の 人民への憎悪と
  ひとを怖れぬ罪業とに 懲罰をくだしてやる (『ほかの主題とはおさらばだ』)

鋭い透きとおった詩で 仮借なき苛酷な心で
  猛り狂った狂人ニクソンを 突き刺してやろう
  こう おれは 正義の 火の一撃で
  ニクソンに とどめを刺そうと 決意して
  おれの弾薬入れに 詩の弾丸(たま)を こめた  (『鋭い透きとおった詩で』)

ネルーダがこのように歌ったのは、ニクソンに殺されたベトナムの死者たちの名においてであり、祖国チリにおいて、ニクソンに苦しめられてきた「貧乏なひとたち」の名においてであった。ベトナムで敗退し、キューバでも挑発と封鎖に失敗したニクソンは、鉾先をチリに向け、ファシストどもをあやつって、これを「かじりとる」にいたる。ネルーダはこのニクソンのやりくちを的確に、端的にあばき出している(『あの男の正体をあばいてやる』)。だがこんにち、ふかい悲痛の想いなしには、つぎのような詩句を読むことはできないだろう。

 そして来たるべき未来の 人民裁判のために
  おれは 方ぼうの扉をひらき 国境を超えて
  黙りこんでいる証人たちを 呼び集めた

  血まみれの春に 仆れていった人たちを  (『鋭い透きとおった詩で』)

これらの詩句は、すでに、クーデター後のこんにちのために予言的に書いたかのようにさえ見える。いまや、ネルーダ自身も「血まみれの春に仆れていった人たち」のひとりであり、サンティアゴのサッカー場で虐殺された、たくさんの殉難者たちもまた、ニクソンを裁く証人席についているのである。

そしてこの「黙りはしない」死者は、この生ける詩集において、ひとりの大統領のぺてん、兇悪、汚職、人類への不法叛逆を告発し証明し、完膚なきまでに彼に痛撃をくらわし、笞(むち)うちつづけている。正体をあばかれたこの男は、ベトナムの血、チリの血、ウォーターゲートの泥水のなかに、「沼の泥水と血だらけの川」のなかに、ころげ落ちるのである。

いま、この詩集をよむと、チリ人民連合の闘争と勝利、そしてアジェンデを暗殺し、チリ人民を虐殺するにいたったその過程、裏切り、卑劣な謀略、暴力などが、まざまざと描かれていて、いわば読者は、チリのこの歴史的な一時期(エポック)を追体験することになる。

『一九七〇年九月四日』のなかには、大統額選挙における人民連合の統一候補アジェンデの勝利──人民の勝利が歌われている。『勝利』『その日から』で、チリの「新しい革命の道」について、「多数派の赤い薔薇」について、詩人は胸をおどらせて歌っている。しかし、右翼ファシストの最初の犠牲者、暗殺されたシュナイダー将軍の死を、敬愛と痛苦をこめて歌うとき(『喪のチリ』……『将軍よさようなら』)、かれは、早くも人民連合の勝利のうえにのしかかる黒い影を、精確に見てとっている。

チリ人民の勝利とともに、アメリカ帝国主義とその多国籍大企業のⅠ・T・T、アナコンダ、ケネコット、あるいはエドワーズ財閥などによる挑発、謀略、顛覆活動が激化したのである。怒りに燃えたネルーダの鋭い風刺は、多国籍企業の陰謀を容赦なくあばき出し、キリスト教民主党の共犯をやっつけると同時に「目やに垂らしたカセローラ(シチュー鍋)夫人」──上流夫人たちの反動的な猿芝居をも見逃しはしない。このお屋敷町の夫人たちは、シチュー鍋をたたいて、「彼女たちの自由」を、すなわち特権階級の自由、貧しいひとびとを搾取する自由を要求したのである(『情熱的なストライキ』『俗悪な物語』)。またネルーダは、トロツキストたちの危険な役割をみてとって、人民連合政府の成立した時から、早くも予言的に警報を発しているのである(『狂人どもと阿呆どもと』『不断の警戒警報』など)。

しかし、その祖国と人民の名において歌い叫んでいるネルーダは、平和を呼びかける詩人の任務を忘れることはない。ひと殺しのすすめを題名とするこの詩集も、やはり依然として、正義と平和への絶えざる呼びかけの書なのである。

わたしは望まない 祖国がひき裂かれることも
  また 七つの匕首によって 血ぬられることも
  わたしの希いは 新しく建てられた家のうえに
  チリのかがやく旗が へんぽんとひるがえること  (『わたしはここに残る』)

アメリカ帝国主義とそのカイライどもが、ベトナムで、チリで犯した暴虐不法な犯罪にたいして痛撃をくらわしたこの詩集の最後の詩『われら声をあわせて歌おう』において、ネルーダがアロンゾの『アラウカニア』の詩句と自分の詩句とを交互に組み合わせているのは意味ぶかい。アロンゾ・デ・エルシージャは、十六世紀スペインの「黄金時代」の詩人で、チリ遠征に参加した。しかしかれはまた、その叙事詩『アラウカニア』のなかで、当時のチリ人民──スペイン侵略者にたいして勇敢に抵抗したアラウカニア人民の不屈な偉大さを歌ったのである。アロンゾがスペイン征服者たちの一員であったとはいえ、その『アラウカニア』にみられる反帝国主義的な側面を、ネルーダはほめたたえ、これと声をあわせ、発展させようとしているのである。ここに偏狭な図式にとらわれない、ネルーダの弁証法的な精神をみることができる。

この詩集が高くかかげているのは、純粋な人民への献身とふかい祖国愛の模範であり、人民と祖国が危急存亡の時に、詩人はどのように歌うべきかをも示しているのである。

 わたしには ただ 人民だけが大事なのだ
  ただ 祖国だけが わたしを決定づけるのだ

  わが祖国と人民が わたしの見通しをみちびき
  わが人民と祖国が わたしの義務(つとめ)を明らかにする  (『わたしは黙ってはいない』)

ネルーダの偉大な声は、その死を越えて、チリ人民の胸にひびきつづけるであろう。

一九七四年五月

2015年09月21日 (月曜日)

『小説 新聞社販売局』が描いた「押し紙」や「裏金づくり」の実態、元新聞記者が販売局の実態を内部告発

新聞社を舞台にした小説は特にめずらしくはないが、新聞社の販売局を舞台として、しかも詐欺まがいの新聞拡販や「押し紙」、それに補助金を捻出するための裏金づくりなどの実態をあからさまに描いた小説が、単行本として世に出たのは初めてではないか。

著者は元新聞記者である。

 幸田泉(こうだ いずみ)大学卒業後、1989年某全国紙に入社。支局勤務後、大阪本社社会部では大阪府警、大阪地検、大阪地高裁、東京本社社会部では警察庁などを担当。その後、大阪本社社会部デスク、同販売局などを経て、2014年退社。

経歴から察すると、内部告発の書である。

小説のストーリーそのものは、記者職から販売担当に「左遷」させられた社員が、販売局の不正や左遷人事にかかわった編集幹部のスキャンダルを暴きだし、それを盾にして記者職に復帰するまでを描いたものである。特に奇想天外な展開をしているわけではない。が、興味深いのは、新聞社の内幕を情け容赦なく暴露している点である。ほんとんどの人が知らない闇が暴かれている。

この小説には、創作された事件のモデルと思われる事件や人物が登場する。しかも、その人間像が実に多彩だ。「押し紙」に抗議する新聞販売店主。逆に「押し紙」問題を逆手に取って新聞社を恫喝するとんでもない販売店主。金銭がからんだ不祥事ばかりを繰り返している販売局員。さらに元ヤクザの販売店主。新聞拡張団。さまざまな人間像が重なって物語を構成している。

新聞社販売局の担当員にとって新聞の部数を増やすことは、出世への道にほかならない。そのために「押し紙」などが原因で、担当地区の新聞代金の納金率が100%に達しない場合は、担当員がそれを肩代わりするエピソードも出てくる。このエピソードについては、わたしもある地方紙の関係者から聞いたことがある。同じことが中央紙でも行われている可能性がある。

日本の新聞社はさまざまな問題を抱えながらも、その内部では良心的な社員たちが悩み苦しみ、戦っている。小説を通じて、それが伝わってくるが、読後、わたしはすがすがしい気持ちにはなれなかった。あまりにも深刻な問題を孕んでいるからだ。

販売局を含めた新聞社の全体像を見ると、軽視できない問題があまりにも多い。編集幹部の都合で、記者を「左遷」することが許されるなら、取材活動や表現活動に自己規制が働いてしまう。それは出版人の良心にかけて絶対にやってはいけない新聞ジャーナリズムの自殺行為である。一方、販売局は金銭がらみの無法地帯である。

ジャーナリズムが発信する情報の信用性というものは、発信母体の実態を抜きにして語ることはできないのではないだろうか。

■『小説 新聞社販売局』(幸田泉 講談社)

2015年09月18日 (金曜日)

安保関連法の狙いは何か? ラテンアメリカに見る海外派兵と多国籍企業の関係

【サマリー】チリの軍事クーデターから42年が過ぎた。このクーデターに象徴されるように米軍やCIAによる暴力的策動の背景には、常に多国籍企業の権益がある。グローバリゼーションが進行するなかで安保関連法は、日米共同で多国籍企業の権益を守るための体制づくりの法的根拠となる。

 ラテンアメリカの同時史から、マスコミが報じない安保関連法の本当の目的を想定する。

9月11日は、チリの軍事クーデターから42年目の日だ。1973年に起きたこの軍事クーデターは、社会党と共産党を中心とするUP(人民連合政府)を暴力で倒した事件である。米国CIAにけしかけられたピノチェット将軍が大統領官邸を空爆し、アジェンデ大統領を殺害し、鉄のような軍事政権を敷いた日である。

ラテンアメリカ史の中でも最も残忍非道なクーデターとして記憶されている。

チリに限らずラテンアメリカ諸国は、前世紀まで繰り返し米国による内政干渉を受けて来た。それはチリのようにクーデターという形をとることもあれば、ニカラグアやエルサルバドルのように軍事介入(司令官の派遣など)のかたちをとることもあったが、ほぼ共通しているのは、米国の多国籍企業の権益を守るための軍事介入であった事実である。

日本の国会では、安保関連法案が参議院特別委員会を通過したが、今に至っても、同時代史から想定される海外派兵の究極の目的はほとんど報じられていない。それは平和維持でも、国際貢献でもない。海賊退治でもない。

ラテンアメリカが経験した苦難から察すると、多国籍企業の防衛である。

今後、日米政府は多国籍企業の権益が侵されかねない地域への軍事介入を繰り返す可能性が極めて高い。

ただ、それは旧日本軍のような「侵略→占領→植民地化」のスタイルではない。多国籍企業の進出先で「政変」や「革命」が起きた時、世界のどこにでも迅速に軍隊を投入して、「政変」や「革命」を抑え込むスタイルである。

◇ラテンアメリカへの軍事介入

ちなみにラテンアメリカについて言えば、戦後、米国は次の地域に対してクーデターや軍事介入を断行している。

■1954年 グアテマラ

■1961年 キューバ

■1964年 ブラジル

■1965年 ドミニカ共和国

■1971年 ボリビア

■1973年 チリ

■1979年 ニカラグア内戦

■1980年 エルサルバドル内戦

■1983年 グレナダ

■1989年 パナマ

すでに述べたように、軍事介入の目的は、ほとんどの場合が多国籍企業がらみである。たとえばチリ。1970年に成立したアジェンデ政権は、米国資本の鉱山会社を国有化した。チリの資源をチリ人の手に取り戻したのである。

これに対して、「資本家スト」などが起きたり、反共のプロパガンダが広がったりしてチリは混乱した。政権の持続は難しいのではないかとの声もあったが、73年の総選挙でUPは大勝する。

この選挙結果により、アジェンデ政権を合法的に倒すことができないのがはっきりしたのである。そこで米国CIAが選んだのが、ピノチェットを担ぎ出して、軍事クーデターを起こす戦略だった。

話は前後するが、1954年のグアテマラのクーデターも、やはり米国資本のUFC(ユナイテッド・フルーツ・カンパニー)とCIAの謀略である。

◇構造改革と軍事大国

安保関連法案が成立した後は、これまで米国がラテンアメリカに対して断行してきたような軍事介入を日米共同で行うことになる。

安保関連法案というのは、見方を変えると多国籍企業の優遇策にほかならない。軍隊という「ボディーガード」を準備することである。

その意味では、やはり大企業の優遇策の典型である新自由主義=構造改革の路線(アベノミックス)と同じ脈絡から生まれてきたものである。当然、小沢一郎氏らのイニシアチブで1990年代に始まった新自由主義=構造改革の段階から、行き着く先が軍事大国であることは見えていた。

それに警鐘を鳴らさなかったマスコミの責任は重い。

2015年09月17日 (木曜日)

「押し紙」70年⑩、「押し紙」隠しの手口を暴いた真村裁判・福岡高裁判決

【サマリー】真村裁判の意義は、「押し紙」隠しの手口を暴いたことである。この裁判は新聞販売店主が起こした地位保全の裁判であるにもかかわらず、なぜ、「押し紙」問題が争点になったのかを解説する。

福岡高裁判決は読売の体質を、「しかしながら、新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う一審被告の方針があり、それは一審被告の体質にさえなっているといっても過言ではない程である」と認定した。

真村裁判は「押し紙」問題とは何かを知るための格好の題材にほかならない。しかし、この裁判は「押し紙」による損害賠償を求めた裁判ではない。店主としての職を剥奪されそうになった真村氏が、読売新聞社に対して地位の保全を求めた裁判である。それにもかかわらずなぜ「押し紙」問題が中心的な争点となったのか、読者は不思議に感じるに違いない。

この点を理解するためには、あらかじめ新聞社による販売店改廃(強制廃業)の手口について説明しなければならない。販売店改廃の手口は読売に限らず、ほとんどの新聞社で共通している。

改廃には当然、正当な理由が必要なわけだが、その代表的なものに、①営業成績がふるわないこと、②発行本社の名誉や信用にかかわる行為をはたらいたこと、③さらには自店の業務実態を偽って発行本社へ報告したことなどがある。

真村裁判の場合、最後まで争点になったのは③である。枝葉末節はあるものの、③「自店の業務実態を偽って発行本社へ報告したこと」をどう評価するかが最後まで争点になったのだ。

◇なぜ、地位保全裁判で「押し紙」問題が争点になるのか?

当時、読売は販売店に対して新聞の部数内訳を報告するように求めていた。たとえば、真村氏が経営していたYC広川の場合、2001年(平成13年)6月の場合、定数(新聞の搬入部数)は1625部だった。これに対して実配(実際に配達している部数)は、1589部だった。まとめると次のような内訳になる。

定数(搬入部数):1625部
実配(実配部数):1589部

もちろんこの種の業務報告書には、定数と実配だけではなく、経営に関するさまざまなデータを記入する欄が設けられているが、真村裁判に限っていえば、定数と実配の中に秘められたトリックに注目すると、「押し紙」とは何かを理解しやすい。

定数(搬入部数)が1625部で実配(実配部数)が1589部だから、両者の差異は、36部である。差異となっている36部は予備紙(新聞の破損を想定して仕入れた必要部数)と考えれば、YC広川には1部の「押し紙」も存在しなかったことになる。

ところが真村氏は実配を1589部と報告していたものの、実際には配達されていない部数が約130部あった。約130部が残紙となっていた。

真村氏はこの約130部を実配(部数)1589部に含めて、読売に報告していたのである。それに連動して、帳簿上(PC)でも、この130部の新聞には、読者が存在することにして経理処理していた。帳簿上で実配部数と収入の辻褄をあわせなければ、税務署が問題にする恐れがあるからだ。

これは法的にみれば明らかな虚偽報告である。事実、読売はYC広川の改廃理由として虚偽報告を持ち出してきた。真村氏もそれを認めた。

ところが裁判所は、真村氏が虚偽報告をせざるを得なかった背景に、読売による販売政策があったと認定し、虚偽報告を改廃理由として認めなかったのである。つまり虚偽報告の背景に、店主がやむを得ずに強いられた「押し紙」の経理処理問題があると判断し、それに連動した虚偽報告も改廃理由にはならないと判断したのだ。

真村裁判は、「押し紙」隠しがどのように巧妙な手口で行われるかを解明したのである。

◇新聞社は「押し紙」の存在を認めず

真村裁判に限らず、新聞販売店の地位保全裁判は、虚偽報告の有無が争点になることが極めて多い。新聞社サイドは、常に「押し紙」はしていないという見解を取り続けている。真村氏の例に見るように、帳簿上、法的には「押し紙」は存在しないことになっているからだ。

しかし、販売店が帳簿を改ざんしてまでも「押し紙」を隠すのは、新聞社との間に暗黙の合意事項があるからである。「押し紙」は独禁法に抵触する。そのために帳簿上で架空の読者を設定するなどして、辻褄を合わさざるを得ないのだ。それが新聞社に対する忠誠である。

ところが新聞社は、販売店を廃業させるときには、このような事情を逆手に取って、虚偽報告や帳簿の改ざんを強制廃業の理由として主張してくる。裁判所もなかなかこのような複雑なカラクリを理解できない。

こうした新聞販売店訴訟の流れを打ち破ったのが真村裁判の勝訴なのである。判決の一部を引用してみよう。

「しかしながら、新聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う一審被告の方針があり、それは一審被告の体質にさえなっているといっても過言ではない程である。」

「このように、一方で定数と実配数が異なることを知りながら、あえて定数と実配数を一致させることをせず、定数だけをABC協会に報告して広告料計算の基礎としているという態度が見られるのであり、これは、自らの利益のためには定数と実配数の齟齬をある程度容認するかのような姿勢であると評されても仕方のないところである。そうであれば、一審原告真村の虚偽報告を一方的に厳しく非難することは、上記のような自らの利益優先の態度と比較して身勝手のそしりを免れないものというべきである。」

■真村裁判・福岡高裁判決

2015年09月16日 (水曜日)

小池晃議員が暴露した統合幕僚監部が作成した資料の情報公開請求、防衛大臣が決定期間を30日延長、

【サマリー】防衛省に対して申し立てていた内部資料の開示請求に対する回答が15日に届いた。結果は、決定期間を30日延長するというものだった。わたしが開示請求した文書は、共産党の小池晃議員が国会で取り上げた統合幕僚監部が作成した資料である。

 タイトルは「日米防衛協力指針(ガイドライン)および安全保障関連法案を受けた今後の方向性」。

  この資料の存在は、防衛省も認めているうえに、すでに小池氏により公にされているわけだから、決定期間を延長する正当な理由はないはずだが・・・

防衛省に対してわたしが申し立てていた内部資料の開示請求に対する回答が15日に届いた。結論を先に言えば、情報公開を認めるかどうかを決定する期間を30日延長するというものだった。回答期限は10月20日に延期された。

わたしが防衛省に対して開示を請求している資料は、8月に共産党の小池晃議員が国会で取り上げた統合幕僚監部が作成したものである。

タイトルは「日米防衛協力指針(ガイドライン)および安全保障関連法案を受けた今後の方向性」。安保関連法案が成立することを前提とて、その後の自衛隊の活動計画を記したものである。

防衛相は資料の存在を認めている。つまり資料は確実に存在し、しかも小池氏によってすでに公開されたものである。拒否される理由はないはずだ。

わたしがこの資料の開示請求を申し立てたのは、今年の8月20日である。申し立てからまもなく1か月。開示を認めるか否かの決定に、さらに1か月の時間を要するというのだから、怠慢も甚だしい。民間企業であれば、大目に見ても1日から2日で完了する程度の作業である。

次に示すPDFは、防衛省から届いた文書である。

■開示決定等の期限の延長について(通知)PDF

 

2015年09月15日 (火曜日)

「押し紙」70年⑨、人権問題としての読売の真村事件と真村裁判、裁判所は読売による「押し紙」を認定したが・・・

【サマリー】 「押し紙」問題を考えるうえで、無視する事ができないのが、真村裁判である。判決の中で裁判所は、新聞社による「押し紙」行為をはじめて認定した。実質的に読売による優越的地位の濫用を認定したのである。

  この真村裁判から派生した裁判は、少なくとも7件起きている。これらの裁判に読売の代理人として常にかかわってきたのが、喜田村洋一・自由人権協会代表理事である。

 真村裁判の全容を伝える連載(1) ・・・。

「押し紙」問題を考えるうえで、無視する事ができないのが、真村裁判である。これは2002年に読売新聞の販売店(YC)の店主ら3名が提起した裁判で、判決の中で裁判所は、新聞社による「押し紙」行為をはじめて認定した。実質的に読売による優越的地位の濫用を批判したのである。

新聞史に残る歴史的な判決にほかならない。

事件の背後には、読売が福岡県の久留米市を中心とした筑後地区で進めていたYCの再編策があったようだ。読売と懇意な関係にあるSという有力店主が読売の協力を得て、次々とYCの経営権を我がものにするようになったことが事件の根底にある。

こうした状況の中で3人のYC店主が、読売から改廃を突きつけられた。

当時、YC広川(広川町)を経営していた真村久三氏も、改廃を宣告された店主のひとりだった。もちろん改廃通告に至るまでには、話し合いや交渉が行われたが、最終的に読売は改廃という店主にとって最も打撃を受ける手段に打って出たのである。

◇東京から喜田村洋一弁護士が読売の援護に

真村氏は久留米市に事務所を構える江上武幸弁護士に相談した。相談を受けたとき、江上弁護士は、それほど深刻には受け止めなかったという。相手方が大新聞社だったので、弁護士が間に入って話し合えば円満に解決できると思ったらしい。が、江上弁護士は、後日、「虎の尾」を踏んだことに気づく。

真村裁判という呼び方から、とかく真村氏だけが原告のように思われがちだが、厳密に言えば、原告は3人のYC店主である。このうち真村氏をのぞくふたりは、裁判の大きな関心事にはならなかった。と、いうのも1人はすでに販売店を改廃されていた関係で、最終的に和解で決着し、もう1人の店主については、読売があまり露骨に攻撃対象にすることがなかったからだ。

そんなわけで真村裁判とは、実質的には真村氏と読売(西部本社)で争われた裁判なのだ。この裁判には、わざわざ東京から辣腕弁護士が読売の支援に駆けつけた。その人こそ、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士である。

喜田村氏は、読売に「押し紙」は一部も存在しないと主張し続けた法律家である。

判決は2007年12月に、最高裁で確定した。

◇真村裁判から派生した裁判

真村裁判からは、複数の裁判が派生している。真村判決の詳細に入る前に、派生した裁判を概略しておこう。

真村裁判の地裁判決が下されたのは、2006年だった。真村氏の勝訴だった。この勝訴に励まされて、YC小笹(福岡市)の元店主・塩川茂生氏が、ただちに「押し紙」裁判を起こした。この裁判を塩川裁判という。

真村氏は、2007年の控訴審でも勝訴した。控訴審でYC側が勝訴したこともあって、YC店主らの間に希望が生まれたようだ。

こうした状況の中で、同地区の店主らが次々と江上弁護士のところへ「押し紙」の相談に訪れるようになった。そして「押し紙」の被害を受けたYC店主らが、新読売会と呼ばれる団体を自主的に立ち上げた。

当時、取材を続けていたわたしは、ようやく新聞社経営の闇にメスが入る時が来たと思った。こうした予測は、2007年12月に真村判決が最高裁で確定した時、確信となった。

しかし、わたしの予想は楽観的すぎた。

まず、真村判決が確定する直前に、わたしに対して喜田村洋一弁護士から催告書が送られてきた。メディア黒書に掲載した読売の文書の削除を求めてきたのである。この事件は2008年2月に本訴へとエスカレートする。

※この事件は、スラップとも関連があるので、保管している準備書面などを順次公開する予定。著作物に関する喜田村弁護士の考えも記されている。

この年の3月1日、新読売会に加わっていたYC久留米文化センター前の平山春雄店主の店を3人の読売社員が訪れ、改廃を宣告した後、関連会社の社員が、翌日に新聞に折り込む予定になっていた折込広告を搬出した。

この事件をわたしはメディア黒書で速報した。そのなかで折込広告の搬出行為を、「窃盗」と表現した。もちろん「窃盗に類するほど悪質」という意味の隠喩(メタファー)として、表現したのである。

が、その2週間後、わたしのもとに読売から訴状が送られてきた。やはり喜田村弁護士が執筆したもので、「窃盗」で名誉を毀損されたなどとして2230万円のお金の支払いを要求してきたのだ。

一方、YCを改廃された平山氏は、読売に対して裁判を起こした。読売も平山氏に対して地位不存在を確認するための裁判を起こした。この裁判にも、東京から喜田村弁護士がかけつけた。

さらに特筆すべき点は、最高裁で勝訴判決が確定した真村氏のその後である。真村氏は、半年後、理不尽にもYCの経営権を奪われることになる。当然、真村氏は再び提訴した。これが第2次真村裁判である。喜田村氏が読売の代理人として、この裁判に加わったことはいうまでもない。

◇一連の裁判のまとめ

2002年 第1次真村VS読売(地位保全)

2006年 塩川VS読売(押し紙)

(2007年 第1次真村裁判の勝訴確定)

2008年  読売(厳密には江崎法務室長が原告)VS黒薮(著作権)

            読売VS黒薮(名誉毀損)

            平山VS読売(地位保全)

            第2次真村VS読売(地位保全)

2009年 読売VS新潮社+黒薮(名誉毀損)

ちなみに真村氏は今なお読売と係争中だ。ひとりの人間を10年以上に渡って法廷に縛り付ける行為は、それ自体が重大な人権問題といえるだろう。(続)

2015年09月14日 (月曜日)

常総市の水害報道の裏で進む安保関連法案の報道自粛

【サマリー】茨城県常総市の水害にマスコミ報道が集中している裏側で、安保関連法案の成立が刻々と近づいている。連日、国会議事堂前をはじめ全国で安保関連法案に反対する活動が展開されているが、マスコミはそれをほとんど報じない。

 その原因を突き詰めていくと、メディア企業の経営上の汚点が要因になっているようだ。新聞に対する軽減税率適用問題。「押し紙」問題。再版制度を巡る問題。粉飾決算の問題・・・・。

安倍内閣が17日に参議院で安保関連法案を採決する動きが高まるなか、連日のように東京永田町の国会議事堂前をはじめ、全国で抗議活動が展開されている。しかしマスコミはほとんどそれを報じていない。カメラの視線は一斉に茨城県常総市の水害現場に釘づけになってしまい、この国の将来を左右する安保関連法案は意中にないかのようだ。

後世の歴史家は、2015年の9月の政情について、「安倍内閣にとっては、水害が幸いした」「皮肉にも水害が日本の運命を変えた」と記すことになるかも知れない。

安保関連法が憲法9条を骨抜きにしてしまうのは論を待たない。それが何を意味するのかを、巨大メディアの関係者が理解していないとはおおよそ考えられない。
それにもかかわらず、報道を自粛しているのは、報道内容をめぐって政府と敵対関係になった場合、ビジネスとしての出版業に支障をきたす恐れが生じるからにほかならない。

ジャーナリズムよりも、出版ビジネスを優先している結果である。

◇新聞社経営の4つの汚点

新聞に限って言えば、新聞社経営に影響を及ぼす決定的な要素が政府の手に握られている。具体的には次のような事情である。

今の時期、新聞に対する軽減税率の適用問題が政府内で検討されていること。意外に気づいていない人が多いが、消費税は「押し紙」に対しても課せられている。経理帳簿の上では、「押し紙」にも読者がいるものとして処理されているからだ。当然、増税は「押し紙」だらけの新聞社を直撃する。

河内孝氏が『新聞社』(新潮新書)の中で試みた「押し紙」に課せられる消費税負担の試算によると、消費税が5%から8%になれば、読売の場合は約108億円の追加負担になる。朝日の場合は、約90億。毎日は約42億円の負担増である。

消費税が8%から10%になった場合も、おおむね同じ規模の負担がさらに加わる。新聞社経営の危機に陥るのは間違いない。

新聞業界は、消費税の軽減税率の適用を勝ち取るために、これまで繰り返し政界工作を行ってきた。新聞販売の業界団体、たとえば日販協政治連盟からは、自民党を中心に政治献金が支払われてきた。選挙の支援も行っている。

こうした事情の下で、自民党が1990年代の中ごろから構築を進めてきた軍事大国化と新自由主義の導入を、言論で打ち砕く勇気は新聞社にはない。ジャーナリズムよりも、ビジネスとしての出版業を選択しているからだ。それが彼らの一貫した方針である。

また、再版制度という既得権が政府の手に握られていることも、報道自粛の要因になっている。周知のように規制緩和の流れの中で、これまで繰り返し再版制度の撤廃案が浮上してきた。そのたびに新聞社は、政界工作を行い、現在のところは、この既得権を維持している。

再販制度が撤廃されると、新聞販売店が独自に新聞の販売価格を設定できるようになるだけではなく、営業区域(テリトリー制)も消滅してしまう。そうなると販売店相互で生存をかけた自由競争がはじまり、弱小の販売店は淘汰され、統合などにより規模な大きな販売会社が出現する。その結果、新聞社と販売店の力関係が対等になり、「押し紙」制度が維持できなくなる。

それは販売収入の大減益をもたらす。同時に、紙面広告の媒体価値も下落して、広告収入の減収を招き新聞社に壊滅的な打撃を与える。

「押し紙」そのものが独禁法に違反していることは言うまでもない。つまり最悪の場合は、警察が刑事事件として「押し紙」を取り締まることもできるのである。

「押し紙」を経理処理する場合、粉飾決算にならざるを得ない。販売店は「押し紙」にも読者が存在するという虚偽を前提に経理処理を強いられてきた。つまり、実際には販売されていない新聞が販売されたものとして経理処理されるわけだから、結果として粉飾決算になってしまう。

国税局が過去にさかのぼって「押し紙」にメスを入れると、新聞社は倒産するかも知れない。

◇全事実を報じること、一部分を報じること

日本の新聞社は①から④のような経営上の汚点を抱えている。それゆえにずばり言えば、ジャーナリズム活動は困難だ。彼らが事実のすべてを報じているように見えても、実際にはそのほんの一部分に過ぎないことも多い。読者の側が、全事実を報じていると勘違いして、それを前提に新聞を評価しているに過ぎない。

せいぜいリベラル右派の『東京新聞』のレベルが、報道の限界ではないだろうか。

新聞社経営の汚点に対して、多くの人々が疑問を呈する声をあげれば、少しは状況も変化するかも知れない。が、なにしろ巨大メディアが広告媒体として機能している状況の下では、新聞社と敵対することだけは控えようと心に決めている人が多い。右翼から左翼まで、思想とは無関係にそういう方針の人が多い。

が、これではいつまでたったも日本人はマスコミに洗脳され続けるだろう。解決にはならない。日本が軍事大国になって、再び大本営発表が幅をきかせるようになってからでは、もう手遅れなのだ。

2015年09月10日 (木曜日)

歌手で作家の八木啓代氏が志岐武彦氏に訴えられた裁判と、黒薮が八木氏に訴えられた裁判の関係はどうなっているのか?

【サマリー】志岐武彦氏が、歌手で作家の八木啓代氏に対して、東京地裁で起こした名誉毀損裁判(請求は200万円)が、9日、結審した。判決は、11月25日に言い渡される。実はこの裁判には、関連する4件の裁判がある。元国会議員・森裕子氏が起こした裁判を起点として、複数の裁判が起こされ、このうちに2件がいまも進行している。

 このうちの1件にわたしも被告として巻き込まれている。その中には、言論表現の自由にかかわる重大なテーマ--記事を執筆した際に、特定の取材内容を入れなかったことが名誉毀損にあたるかどうか?--も含まれている。4つ裁判の関係がどうなっているのかを解説した。

『最高裁の黒い闇』(鹿砦社)や『最高裁の罠』(K&Kプレス)などの著書がある志岐武彦氏が、歌手で作家の八木啓代氏に対して、東京地裁で起こした名誉毀損裁判(請求は200万円)が、9日、結審した。判決は、11月25日に言い渡される。

訴因は、八木氏が発信した次のようなツィッターである。たとえば、

『とにかく明らかなのは、志岐さんには、誰もかけていない電話が聞こえ、会ってもいないのに会った記憶が作られ、そこでは、志岐さんに都合の良い事実が暴露されるらしいことである。早急に病院に行かれた方がよろしいかと思う』

『ちなみに、どうせまともな人は信じないので改めて書く必要もないと思いますが、志岐氏が昨日付のブログに書いていることは、すべて妄想です。かなり症状が進んでいるなと思います。早い内に病院か教会に行かれる方がよいと思います。』

もちろん八木氏は、ツィートの内容は名誉毀損にはあたらないと主張した。
なお、八木氏に対してわたしは、2015年7月30日、わたしに関す事実に反したツィッター攻撃に対して謝罪を求める催告書を送付した際に、「反論などありましたら、ウエブサイトで紹介します。また、裁判の書面についても、貴殿が希望されるものがあれば、掲載しますのでお知らせください。」と通知している。従って八木氏から、反論を希望する旨の申し出があれば、本サイトで掲載する。

◇森裕子裁判

さて、「志岐VS八木」裁判の背景に言及しておこう。
発端は元参院議員の森裕子氏が志岐氏に対して、言論活動の一部禁止と金500万円を請求する裁判を起こしたことである。原因は小沢一郎検審にからむ疑惑の解釈をめぐる対立である。小沢氏を起訴に持ち込んだ舞台裏に、検察の策略があったとする森氏。これに対して、舞台裏の仕掛け人は最高裁であると考える志岐氏。

2人の対立は、エスカレートして元国会議員が一市民を提訴する事態になったのである。こうした一連の流れの中で、森氏に近い八木氏が、ツィッターで志岐氏に対する批判を繰り返したのだ。

周知のようにこの裁判は志岐氏が勝訴した。

◇陳述書の執筆を断って・・・

ところがその後、Aさんという市民が八木氏に対して名誉毀損裁判を提起する。「志岐VS森」裁判の中でAさんは、森裕子氏から陳述書の執筆を依頼されたのだが、それを断った。これに対して八木氏がAさんをネット上で批判した。その言動が名誉毀損にあたるとして、Aさんが八木氏を提訴したのだ。

この裁判は最高裁でAさんの勝訴が確定している。20万円の支払いが命じられた。

一方、志岐氏は、自分が被告にされた裁判の「戦後処理」の意味もあったのか、あるいは森サイドへの「反訴」の意味あいだったのか、八木氏に対して、金200万円の支払いを求める名誉毀損裁判を起こした。訴因は、八木氏による大量のツィートである。

◇言論表現の自由にかかわる問題提起

これに対して八木氏も沈黙しなかった。志岐氏に対して、金200万円の支払いを求める裁判を起こした。デマを拡散されたということなどが訴因である。

ところがどういうわけなのか、被告にわたしの名前も入っていたのだ。訴因のひとつは、わたしが八木氏を取材(2014年12月)した際に、八木氏の話した内容を記事の中で反映させなかったから、名誉毀損にあたるというものである。八木氏が訴因としたのは「さくらフィナンシャル・ニュース」にわたしが書いた次の記事である。

【特報】「志岐武彦VS八木啓代」の名誉毀損裁判、背景に疑惑の小沢一郎検審をめぐる見解の違い

これまで聞いたことのない八木氏の論理だが、言論表現の自由にかかわるテーマである。ライターや編集者にとって、見過ごせない問題である。

それゆえに八木氏が本人訴訟であるにもかかわらず、わたしは弁護士を依頼した。専門家はどう考えるのか?

この裁判の詳細については、結審後に報告する。

こんなふうに元国会議員・森裕子氏が起こした裁判を起点として、4件の裁判が起こされ、このうちに2件が進行している。