1. 「押し紙」否定論者の読売・宮本友丘副社長がABC協会の理事に就任していた、実配部数を反映しないABC部数問題に解決策はあるのか?

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2015年09月29日 (火曜日)

「押し紙」否定論者の読売・宮本友丘副社長がABC協会の理事に就任していた、実配部数を反映しないABC部数問題に解決策はあるのか?

【サマリー】  「押し紙」否定論(読売に「押し紙」は存在しないという理論)に立つ読売の副社長・宮本友丘氏が、日本ABC協会の理事に就任していることが分かった。ABC部数は、新聞の実配部数を反映していない。その原因は、ABC部数の中に、広義の「押し紙」(残紙)が含まれているからだ。

 宮本理事にABC部数の問題にメスを入れる力はあるのだろうか?

「押し紙」否定論(読売に「押し紙」は存在しないという理論)に立つ読売の副社長・宮本友丘氏が、日本ABC協会の理事に就任していることが分かった。宮本氏は、週刊新潮が掲載した「押し紙」問題の記事に対して、読売が名誉毀損で新潮社とわたしを提訴した際に証人尋問に立った人物である。そして「読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません」と証言したのである。

読売の代理人・喜田村洋一・自由人権協会代表理事の質問に答えるかたちで、次のように証言した。

 喜田村弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。

宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村弁護士:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村弁護士:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

◇新聞協会、「残紙のことですか?」

「押し紙」問題を考える際には、「押し紙」の定義を明確にしなければならない。が、「押し紙」の定義はひとつだけではない。

「押し紙」は存在しないと主張している新聞人にとって、「押し紙」とは、新聞社が販売店に押し売りをした「証拠がある新聞」のことである。彼らにとって、証拠がない新聞は「残紙」である。あるいは「積み紙」。そんなふうに「押し紙」と残紙を使い分けることで、厳密な意味での「押し紙」は存在しないという理論を堂々と展開してきたのだ。

実際、宮本氏は上記の裁判の陳述書の中でも次のように述べている。

読売新聞社においては、新聞販売店が独自の判断で注文部数を自由に増減できる「自由増減主義」が、販売政策の基本原則です。定数を注文するのは販売店であって、発行本社ではなく、販売店の経営社が独自の裁量で決めています。

こうした「押し紙」否定論は新聞人たちの独自の主張であって、一般的に「押し紙」という場合は、新聞販売店で過剰になっている新聞全般を意味する。押し売りの証拠があろうとなかろうと関係がない。

社会通念からして、販売予定のない新聞を購入することなどありえず、とすればそれはなんらかの口実で押し売りされた新聞に違いないと考えるのが一般的だからだ。確かに新聞社に対する忠誠心などから、販売予定のない新聞を受け入れている販売店もあるが、一般の人々はこうした特殊な裏事情は関知していない。多量の新聞が過剰に販売店にあふれ、廃棄されている事実を、重大な社会問題として認識し、広義の意味で「押し紙」問題と呼んでいるのである。

が、新聞人は後者の事情から視線をそらしてきた。それどころか、「押し紙」という言葉を、みずからの造語「残紙」にすり替えて、問題の直視を避けてきたのである。かつてわたしは新聞協会の職員に、協会は「押し紙」の存在を認めているのか否かを尋ねたことがある。その時、職員は、

「残紙のことですか?」

と、切り返してきたのであった。これはあまりにもしばしば見られる新聞人の対応にほかならない。みずからの過ちは絶対に認めない彼らの体質をよく反映している。

◇公益性が極めて高い「押し紙」問題

新聞のABC部数に広義の「押し紙」、あるいは残紙が含まれてることは、新聞関係者の間ではすでに周知の事実となっている。ABC部数は、実際に配達している新聞部数を反映しなければ意味がない。広告主が、PR活動の基礎データとして利用するからだ。

つまりABC部数においては、過剰になっているいる新聞の性質が「押し紙」であるか、それとも「残紙」であるかという点は重要ではない。過剰になった新聞の中身が「押し紙」であろうと、「残紙」であろうと、ABC部数が実配部数を正しく反映していない実態こそが問題なのだ。

ABC協会の読売・宮本友丘理事は、この問題にどう向き合うのだろうか。

読売VS新潮社の裁判では、ABC部数が実配部数を反映していない問題は争点にはならなかった。争点になったのは、「押し紙」に関する記述そのものが、読売の名誉を毀損したか否かという点だった。当然といえば、それまでだが、これは同時に担当裁判官の視野の狭さを物語っている。

このあたりが日本の裁判官のトンチンカンな部分なのである。公益性が極めて高い問題に対しては、名誉毀損の問題とは別に、訴因となった事件の本質的な部分を検証するのが欧米の常識である。

そもそも名誉毀損の問題は、新聞人がみずからのペンと紙面で反論すれば、それですむことではないだろうか。何のために30年、あるいは40年ものあいだ記者を続けてきたのだろうか。