1. 「押し紙」70年⑨、人権問題としての読売の真村事件と真村裁判、裁判所は読売による「押し紙」を認定したが・・・

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2015年09月15日 (火曜日)

「押し紙」70年⑨、人権問題としての読売の真村事件と真村裁判、裁判所は読売による「押し紙」を認定したが・・・

【サマリー】 「押し紙」問題を考えるうえで、無視する事ができないのが、真村裁判である。判決の中で裁判所は、新聞社による「押し紙」行為をはじめて認定した。実質的に読売による優越的地位の濫用を認定したのである。

  この真村裁判から派生した裁判は、少なくとも7件起きている。これらの裁判に読売の代理人として常にかかわってきたのが、喜田村洋一・自由人権協会代表理事である。

 真村裁判の全容を伝える連載(1) ・・・。

「押し紙」問題を考えるうえで、無視する事ができないのが、真村裁判である。これは2002年に読売新聞の販売店(YC)の店主ら3名が提起した裁判で、判決の中で裁判所は、新聞社による「押し紙」行為をはじめて認定した。実質的に読売による優越的地位の濫用を批判したのである。

新聞史に残る歴史的な判決にほかならない。

事件の背後には、読売が福岡県の久留米市を中心とした筑後地区で進めていたYCの再編策があったようだ。読売と懇意な関係にあるSという有力店主が読売の協力を得て、次々とYCの経営権を我がものにするようになったことが事件の根底にある。

こうした状況の中で3人のYC店主が、読売から改廃を突きつけられた。

当時、YC広川(広川町)を経営していた真村久三氏も、改廃を宣告された店主のひとりだった。もちろん改廃通告に至るまでには、話し合いや交渉が行われたが、最終的に読売は改廃という店主にとって最も打撃を受ける手段に打って出たのである。

◇東京から喜田村洋一弁護士が読売の援護に

真村氏は久留米市に事務所を構える江上武幸弁護士に相談した。相談を受けたとき、江上弁護士は、それほど深刻には受け止めなかったという。相手方が大新聞社だったので、弁護士が間に入って話し合えば円満に解決できると思ったらしい。が、江上弁護士は、後日、「虎の尾」を踏んだことに気づく。

真村裁判という呼び方から、とかく真村氏だけが原告のように思われがちだが、厳密に言えば、原告は3人のYC店主である。このうち真村氏をのぞくふたりは、裁判の大きな関心事にはならなかった。と、いうのも1人はすでに販売店を改廃されていた関係で、最終的に和解で決着し、もう1人の店主については、読売があまり露骨に攻撃対象にすることがなかったからだ。

そんなわけで真村裁判とは、実質的には真村氏と読売(西部本社)で争われた裁判なのだ。この裁判には、わざわざ東京から辣腕弁護士が読売の支援に駆けつけた。その人こそ、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士である。

喜田村氏は、読売に「押し紙」は一部も存在しないと主張し続けた法律家である。

判決は2007年12月に、最高裁で確定した。

◇真村裁判から派生した裁判

真村裁判からは、複数の裁判が派生している。真村判決の詳細に入る前に、派生した裁判を概略しておこう。

真村裁判の地裁判決が下されたのは、2006年だった。真村氏の勝訴だった。この勝訴に励まされて、YC小笹(福岡市)の元店主・塩川茂生氏が、ただちに「押し紙」裁判を起こした。この裁判を塩川裁判という。

真村氏は、2007年の控訴審でも勝訴した。控訴審でYC側が勝訴したこともあって、YC店主らの間に希望が生まれたようだ。

こうした状況の中で、同地区の店主らが次々と江上弁護士のところへ「押し紙」の相談に訪れるようになった。そして「押し紙」の被害を受けたYC店主らが、新読売会と呼ばれる団体を自主的に立ち上げた。

当時、取材を続けていたわたしは、ようやく新聞社経営の闇にメスが入る時が来たと思った。こうした予測は、2007年12月に真村判決が最高裁で確定した時、確信となった。

しかし、わたしの予想は楽観的すぎた。

まず、真村判決が確定する直前に、わたしに対して喜田村洋一弁護士から催告書が送られてきた。メディア黒書に掲載した読売の文書の削除を求めてきたのである。この事件は2008年2月に本訴へとエスカレートする。

※この事件は、スラップとも関連があるので、保管している準備書面などを順次公開する予定。著作物に関する喜田村弁護士の考えも記されている。

この年の3月1日、新読売会に加わっていたYC久留米文化センター前の平山春雄店主の店を3人の読売社員が訪れ、改廃を宣告した後、関連会社の社員が、翌日に新聞に折り込む予定になっていた折込広告を搬出した。

この事件をわたしはメディア黒書で速報した。そのなかで折込広告の搬出行為を、「窃盗」と表現した。もちろん「窃盗に類するほど悪質」という意味の隠喩(メタファー)として、表現したのである。

が、その2週間後、わたしのもとに読売から訴状が送られてきた。やはり喜田村弁護士が執筆したもので、「窃盗」で名誉を毀損されたなどとして2230万円のお金の支払いを要求してきたのだ。

一方、YCを改廃された平山氏は、読売に対して裁判を起こした。読売も平山氏に対して地位不存在を確認するための裁判を起こした。この裁判にも、東京から喜田村弁護士がかけつけた。

さらに特筆すべき点は、最高裁で勝訴判決が確定した真村氏のその後である。真村氏は、半年後、理不尽にもYCの経営権を奪われることになる。当然、真村氏は再び提訴した。これが第2次真村裁判である。喜田村氏が読売の代理人として、この裁判に加わったことはいうまでもない。

◇一連の裁判のまとめ

2002年 第1次真村VS読売(地位保全)

2006年 塩川VS読売(押し紙)

(2007年 第1次真村裁判の勝訴確定)

2008年  読売(厳密には江崎法務室長が原告)VS黒薮(著作権)

            読売VS黒薮(名誉毀損)

            平山VS読売(地位保全)

            第2次真村VS読売(地位保全)

2009年 読売VS新潮社+黒薮(名誉毀損)

ちなみに真村氏は今なお読売と係争中だ。ひとりの人間を10年以上に渡って法廷に縛り付ける行為は、それ自体が重大な人権問題といえるだろう。(続)