1. 小渕優子前経済産業大臣が不起訴に、政治家の権力抗争の「道具」としての検察審査会制度

「森裕子VS志岐武彦」の裁判に関連する記事

2015年09月25日 (金曜日)

小渕優子前経済産業大臣が不起訴に、政治家の権力抗争の「道具」としての検察審査会制度

【サマリー】小渕優子前経済産業大臣の政治資金を巡る事件で、検察審査会は「不起訴相当」を議決した。これにより小渕氏は、法廷に立つことなく潔白の身となった。

今回、この決定を下した検察審査会制度とは、どのような制度なのか。結論を先に言えば、それは政治家の権力抗争の「道具」となっている。過去には、小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏らが、検察審査会で裁かれたり、逆に救済されたりしている。

まやかしの検察審査会制度とは何かを概要する。

9月19日のANNニュースが伝えた。

 小渕優子前経済産業大臣の政治資金を巡る事件で、嫌疑不十分で不起訴処分となった小渕氏について、検察審査会は「不起訴は相当である」と議決しました。

 小渕氏の関連政治団体の収支報告書を巡っては、支援者向けの観劇会の収支を操作するなど嘘の記載をしたとして、元秘書の折田謙一郎被告(67)ら2人が東京地検特捜部に在宅起訴され、裁判が行われています。

 一方、小渕氏本人について、特捜部は「刑事責任を問える証拠はない」として嫌疑不十分で不起訴処分としたため、群馬県の市民団体が6月、「不起訴は不当だ」として検察審査会に審査を申し立てていました。

 東京第6検察審査会は、17日付で「不起訴処分を覆すに足りる理由がない」として不起訴は相当であると議決しました。再び審査を求めることはできないため、これで小渕氏への捜査は終わることになります。』

◇検察審査会制度とは?

あまりなじみのない検察審査会制度をイメージするためには、裁判員制度を連想すると分かりやすい。裁判員制度は、それが導入されるまでの時期、最高裁があれこれとPRに努めたこともあって、すでに周知の制度となっているが、検察審査会制度については、その実態を知らない人が多い。

結論を先に言えば、これは検察が不起訴にした刑事事件について有権者が「異議」を申し立てた場合、有権者の中から抽選で選ばれた審査員(一般市民)が事件を精査して、市民の視点から検察の下した不起訴決定が正当であるか不当であるかを決議する制度である。

起訴相当の決議がだされた場合、検察は再捜査する。再捜査しても結論が変わらなかった場合は、市民の側は再び異議を申し立てることもできる。そして2度目の審査会で、「起訴相当」の決議がだされた場合、被疑者は強制的に刑事裁判の法廷に立たされることになる。

建前として、裁判員制度が市民による裁判所の監視の役割を果たすのに対して、検察審査会制度は、市民が検察を監視する役割を果たす。だが、実態は公正な司法制度を担保するための制度からかけ離れている。とりわけ検察審査会制度に関しては、政治家などの権力抗争に濫用されている側面がある。事実、水面下では、さまざまな問題が指摘されてきた。

◇小沢検審疑惑

たとえばその典型は、小沢一郎氏が検察審査会により強制起訴された事件である。小沢一郎氏が関与したと報じられた事件そのものについては、その内容を検証する必要があり、安易な結論づけはできないが、小沢検審の最大の問題点は、検審そのものが開かれていなかった強い疑惑である。架空検審である。検審を開かずに、事務局(最高裁事務総局の管轄)が、架空の「起訴相当議決」を下した疑惑である点だ。

この事件については、最近、志岐武彦氏が著した『最高裁の黒い闇』(鹿砦社)に詳しい。メディア黒書でも、繰り返し取り上げてきた。たとえば次の記事を参照にしてほしい。

■YouTube: 小沢一郎を強制起訴に追い込んだ 検察審査会と最高裁の闇

■小沢起訴に持ち込んだ新設の第5検察審査会は自民党政権の末期に設定されていた、台頭する「民主党対策」だった可能性も①

■小沢一郎を起訴に追い込んだ検察審査会の闇、秘密主義に徹する一方で委員のOB会を組織か?②

◇鳩山検審疑惑

鳩山由紀夫・元総理が検察審査会の議決により、不起訴になった事件についても、かずかずの疑惑がある。まず第一に、審査会の活動を通じて、裏金づくりが行われたとしか解釈できない状況を示す経理関係の文書(情報公開制度を利用して志岐氏らが入手した内部文書)が存在する事実である。これについては、次の記事を参考にしてほしい。

■ブログ「一市民が斬る」が鳩山検審裏金疑惑の裏付け資料を公開、問われる最高裁事務総局の責任

◇検察審査員の「替え玉」事件

その他にも、検察審査会に関する情報は、全国から志岐武彦氏やわたしのもとに届けられている。これらの情報を裏付ける事件を報じるためには、さらなる調査が必要だが、ほぼ事実に間違いないと判断できる情報の中には、検察審査員の「替え玉」になった人物を特定したものもある。

検察審査員は有権者の中から抽選で選ぶことになっているのに、「替え玉」が通用するとなれば、審理の結論はどの方向へ導くこともできる。つまり検察審査会制度そのものがまったくのまやかしで、法治国家と民主主義をPRするためのニセ看板だったことになる。戦後、民主主義が根本から問われるのである。

小渕優子氏の不起訴に関しては、今後、検証する必要があるが、国家的な規模で情報隠しが始まっている時代の下で、どこまで情報が開示されるか不透明だ。

裁判員制度にしても、検察審査会制度にしても、「密室審理」が前提になっており、これを改めない限り、日本は法治国家にはなりえない。