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2015年06月19日 (金曜日)

【「押し紙」70年①】昭和36年にはすでに「押し紙」問題が浮上していた

ギネスブックに「押し紙」の項目があれば、「押し紙」世界一の認定を受けるのは、間違いなく日本の新聞社である。インターネットや週刊誌が、繰り返し「押し紙」問題を報じても、新聞社の経営陣は「押し紙」は存在しないと繰り返してきた。延々としらを切ってきたのである。

公取委も「押し紙」を取り締まる気がない。政治家は、「押し紙」という新聞社経営の一大汚点を把握し、故意にそれを放置することで恩を売り、新聞社を権力構造の歯車に巻き込んできた。それが自分たちにとってメリットのある世論を形成する手っ取り早い方法であるからだ。

こうした特殊な関係の中で、逆に新聞社の経営陣が政界に大きな影響力を発揮する異常事態が生まれて久しい。首相と新聞人の会食もあたりまえになっている。もちろんジャーナリズムが機能不全に陥っていることは論を待たない。経営上の汚点が招いた日本の悲劇である。

改めて言うまでもなく経営上の汚点とは、「押し紙」のことである。それゆえに「押し紙」問題を無視して、いくら新聞記者を罵倒しても、紙面を批判しても、ジャーナリズムの再生にはつながらない。

読者は「押し紙」制度がいつの時代に始まったかをご存じだろうか。厳密に言えば、昭和5年ごろにはすでに記録があるが、「押し紙」問題が頻繁に浮上するようになったのは、戦後、専売店制度が始まった後である。

◇『日販協月報』に記録された「押し紙」

日本新聞販売協会の会報、『日販協月報』を過去にさかのぼって調べてみると、「押し紙」問題の歴史がよく分かる。

たとえば1961年(昭和36年)6月15日付けの同紙は、第1面のトップ記事で、「押し紙」問題に言及している。次のタイトルである。

ABCの販売店調査

都内を終わり、地方は七月から

記事は、ABC部数の販売店調査の実態を報じたものである。記事の後半では、「Q&A」の形式を取っている。その中に「押し紙」に関する次のような記述がある。

A:(調査員は)どういう質問をしたか?

B:本社からの「押し紙」はないか?、増減率は何パーセントか?、ということをたずねられた。「どの社といわず各社とも五十歩百歩だ。販売店主は『押し紙』に屈することなく自主的に本社と取引すべきだ」と答えた。

また、同じく6月15日付けの第3面には、「寄稿」が掲載され、その中で執筆者が「押し紙」拒否を呼びかけている。次のくだりである。

(略)全国販売店は共同して「押し紙」の代金支払を拒否し例え帳尻に書加えてきても増減通知控を生かして帳尻残金の無効を叫ぶべきである。

「押し紙」問題は50年以上に渡って、未解決のまま放置されている。今世紀に入って、販売店への搬入部数に占める「押し紙」の割合が、販売店によっては50%を超えるなど、尋常ではない実態になっている。

「押し紙」が原因かどうかは別に、このところ販売店主の自殺も相次いでいる。

■日販協月報(出典)PDF       【続】

2015年06月18日 (木曜日)

安保法制案の根拠になっている砂川裁判の再審へ向け、18日に弁護団らが記者会見

6月18日、砂川事件の再審を求めている弁護士らが、国会の議員会館で記者会見を行う。

憲法学者らが安保法制案を違憲と解釈しているのに対して、安倍政権は依然として「合憲」を主張している。その根拠となっているのが、砂川事件の判例である。その砂川事件の再審を求める動きが活発になっている。

◇砂川事件とは?

砂川事件とは、1957年にアメリカ軍の立川基地を拡張する計画に反対する7人の住民が、立ち入り禁止の境界柵を突破して、基地内に侵入したとして起訴された事件である。

しかし、東京地裁の伊達秋雄裁判長は、1959年3月30日、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容した」こと自体が「憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり違憲である」との解釈に基づき、7人全員に無罪を言い渡した。

ところが問題は、その後の経過である。日本は3審制の国であるから、地裁判決に不服があれば、高裁での審理を求めることができる。さらに高裁判決に不服があれば、最高裁での審理を求めることができる。

ところが砂川裁判で敗訴した検察は、高裁を飛び越えて最高裁へ上告した。これを受けて最高裁の田中耕太郎長官(写真)は、地裁判決を原審の裁判所へ差し戻した。判決の差し戻しは、判決を変更しなさいという指示に等しい。(わたしも、対読売裁判で最高裁が判決を差し戻して、読売に逆転敗訴したことがある)。

砂川事件で、最高裁が判決を差し戻した表向きの理由は、

「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない。」

と、言うものだった。

地裁は審理をやり直した。そして1961年3月27日、7人を有罪にし、罰金2000円の支払いを命じる判決を言い渡したのである。被告側は上告したが、1963年12月7日、最高裁は上告を棄却し判決を確定した。

以上が砂川事件の経緯である。

◇特定の有力者が圧力

ところが2011年になって予期せぬことが起きる。米国で閲覧制限が解かれた公文書により、当時、砂川裁判の扱いについて、マッカーサーが田中長官に対して、伊達判決の誤りを主張し、判決を見直すように指示していたことが判明したのである。判事でもない特定の有力者が、田中長官に圧力をかけて、判決を変更させたのである。

元被告らが再審を請求するゆえんにほかならない。

再審が認められ、不正裁判に対する批判の世論の広がれば、判決が変更される可能性もある。

その時、安倍内閣による安保法制の根拠も崩壊する。

2015年06月17日 (水曜日)

電磁波とは何か?「電磁波からいのちを守る全国ネット」が荻野晃也氏の講演をネット公開

「電磁波からいのちを守る全国ネット」が5月16日に主催したシンポジウム、「身近に潜む電磁波のリスクを考える」で行われた講演がYouTubeで公開された。今回、紹介するのは、荻野晃也氏による「電磁波とは何か?」と題する初心者向けの30分の講演。

荻野氏は、原子核物理学の専門家で、京都大学を退官した後、電磁波環境研究所を設立。著書に『汚染水はコントロールされていない―東電・規制委・政府の最新公表データを読み解く 』(第三書館)、『健康を脅かす電磁波』(緑風出版)などがある。

電磁波が人体に及ぼす影響は、巨大なIT利権がからんでいるために、日本のマスコミはほとんど報道しない。一方、欧米やインドなどでは、新世代の公害として警鐘が鳴らされ、携帯電話基地局などの設置を規制の動きが強まっている。

2015年06月16日 (火曜日)

テレビの大罪、「イノベーション→お金→幸福」のPR、同時代における洗脳の柱

最近、メディアを通じて頻繁に耳に入ってくる言葉に「イノベーション」がある。「イノベーション」とは、ウィキペディアによると、

物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。一般には新しい技術の発明を指すと誤解されているが、それだけでなく新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する。つまり、それまでのモノ・仕組みなどに対して全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出して社会的に大きな変化を起こすことを指す。

と、いう概念である。

「イノベーション」が不要と考える人はまずいない。社会は進化の方向へ脱皮していかなければ、消滅するからだ。

安易に「イノベーション」を批判すれば、保守派、あるいは奇人・変人扱いされかねない。それだけに逆説的に考えれば洗脳の道具になりやすい。

最近のテレビの特徴として、「イノベーション」を発揮すれば、だれでも弱肉強食の世の中を幸福に生きられるという暗黙のメッセージが感じられる番組が急増していることだ。

たとえば農作物をブランド化することで、新しいビジネスを切り開こうとしている人々の姿。大学発のビジネスを立ち上げようとしている人々の姿。グルメで「町おこし」に挑戦する人々の姿。

あたかも丸太小屋から大統領へというアメリカン・ドリームのパターンの日本版を大々的にPRしているような印象がある。悪質な幻想である。

◇「イノベーション→お金→幸福」

こうした現象の背景に新自由主義=構造改革の政策があることは間違いない。国際競争に勝ち残るために企業が海外へ進出し、国内産業の空洞化が進んでいるわけだから、新しい分野のビジネスを育成しなければ、日本経済が破たんしてしまうことは理解できるが、たとえば農業やグルメをビジネス化したところで、それで巨大市場を形成できるとは思えない。

成功した少数の者がそれなりの収益を得るだけで、それが日本の主要産業になることはまずあり得ない。労働法制を改悪して、日本を企業にとっていちばんビジネスがしやすい国に変え、対日投資を増やしても、賃金そのものが、抑制されているわけだから、大半の人々の生活水準は低下する。

ところがテレビは、盛んに「イノベーション」とバラ色の未来をPRしている。まして新自由主義=構造改革のからくりなどにはまったくふれない。

日本には、「イノベーション→お金→幸福」という価値観が広がっている。支持政党を決める際にも、経済政策が重視される。つまり自分にとって「お金儲け」の「支援」をしてくれる政党を支持する人が多いのが実態だ。

お金よりも、人権や人間の尊厳を守ることを重視する政治を求める人は少数派だ。こうした傾向を生んでしまった背景にメディアの責任があることは言うまでもない。

2015年06月15日 (月曜日)

イラク特措法制定時に自民党幹事長だった山崎拓氏が安保法制の改悪に反対

かつて自民党の幹部として、国政の先頭に立った4人の政治家が、12日、安保法制の改悪に反対する声明を発表し、日本記者クラブで記者会見した。

わたしはこれら4人の政治家の軌跡を詳しくは知らないが、一般的な常識の範囲で考えても、違和感を感じる。自民党議員=改憲派といった短絡的な解釈をしているわけではないが、歴代の自民党政権が基本的に米国に追随する路線の上を暴走してきたのは紛れもない事実である。

そして、最後に行き着こうとしているゴールが、米軍と共同で多国籍企業の権益を防衛するための派兵体制である。

もちろん政治家が路線変更することは自由だ。しかし、その場合、自分が過去に行った政治のどこが誤りだったのかを、明らかにするのが前提になるはずだ。政治家はただならぬ影響力を持っているからだ。ひとりの市民が支持政党を変えるのとはわけが違う。

その意味で4氏の行動は、政治家が踏むべき当然のプロセスを経ていないのではないか。また、それを抵抗なく受け入れる民意にも問題がある。

◆山崎氏とイラク特措法

山崎拓氏は、もともと改憲派である。2001年の5月3日(憲法記念日)には、『憲法改正―道義国家をめざして』という著書も出版している。
山崎氏はちょうどこの時期に、新自由主義=構造改革の急進的な導入を図った小泉内閣の幹事長に就任している。

護憲派のなかには、改憲には反対だが、新自由主義=構造改革の導入(小泉改革)には賛成というスタンスの人も少なくない。山崎氏の場合、このカテゴリーにも該当せず、新自由主義=構造改革の導入にも、改憲にも賛成という小泉内閣の方針とまったく同じスタンスに立っていたといえる。

事実、同氏が幹事長だった2003年、イラク特措法が成立して、自衛隊が海外へ派兵されている。

◆政治力学

新自由主義=構造改革の導入と、改憲、あるいは軍事大国化は、1990年代半ばから、日本の政治にみられる著しい特徴である。しかし、ふたつの国策が別々に存立しているわけではない。

新自由主義=構造改革の背景に、企業の多国籍化にともなう国際市場の出現があり、新市場の「秩序」を多国籍企業の側から守るために、海外派兵の体制を構築しようとする政治力学が働いているのである。マスコミは、完全にこの点を隠している。あるいはそれ以前に理解していない。

安倍内閣が新自由主義=構造改革を強引に進め、それと並行して改憲を目指していることに、何の不思議もない。

なお、山崎氏を除く3氏については、情報不足で評価のしようがない。

2015年06月12日 (金曜日)

経済同友会の提言が露呈する多国籍企業の防衛戦略としての海外派兵、国際貢献は口実

安保法制や改憲をめぐる報道で常に隠蔽(いんぺい)されているのは、多国籍企業を政変から防衛するための海外派兵体制の構築という視点である。

わたしがこの視点の重要性に気づいたのは、1985年に中米紛争を取材した時期である。中米は、米国のフルーツ会社などの裏庭である。

豊富なフルーツが港から船で運びだされる光景を飢えた人々が見守っている地域である。そこで政変やゲリラ活動がはじまると、たちまち米国が軍事介入してきた。

このような構図が最も典型的に現れたのがニカラグア革命とその後の内戦である。79年のサンディニスタ革命の後、米国は「反政府ゲリラ」を組織し、ニカラグアと国境を接するホンジュラスを米軍基地の国に変えて、新生ニカラグアの転覆に乗り出した。

多国籍企業の防衛部隊としての海外派兵の性質が露呈したのである。

ソ連が崩壊した後、世界に巨大な新市場が開け、企業の多国籍化が進んだ。中国による市場開放もこれに拍車をかけた。

自衛隊を海外へ派兵する動きが生まれたのはこうした時期である。日本による海外派兵は、PKOから始まり、その後、周辺事態法、テロ特措法による派兵、有事法制へと進み、2014年には、解釈改憲が閣議決定された。さらにいま、安保法制の「改正」が国会で議論されている。

次に示すのは、今世紀に入ってから経済同友会が日本の軍事大国化について行った主な提言である。各提言から重要な箇所を抜粋した。全文はPDF。

こられの提言を読むと、多国籍企業の防衛戦略としての海外派兵が財界人の意中にあることがはっきりする。米軍と協力して、多国籍企業を防衛する体制を打ち立てようとしていることが明確に分かる。

◆経済同友会の軍事大国化に関する提言

 『平和と繁栄の21世紀を目指して−新時代にふさわしい積極的な外交と安全保障政策の展開を』(2001 年4 月25 日)

「緊急時に国家が必要な行動を取ることを法的に担保しうる有事法制の整備と運用体制の確立、及び周辺事態発生時における日米共同行動の実効性を確保するための体制整備が急務である。」

「わが国においては、憲法の制約の下その行使が否定されてきた集団的自衛権に関する政府見解を再検討する必要がある。この問題をいたずらに危険視することなく、今後国際社会において日本が同盟国や地域的パートナーとともに果
たそうとする責任・役割に照らして、改めて政治的判断を行うべきであろう。」

「昨年、国会に漸く憲法調査会が設置された。しかし、そこでの審議のペースは激動する世界の動きに比していかにも遅く、また必ずしも国民的論議の高まりにつながるものともなっていない。衆参両院における調査会の活動を、国民レベルでの活発な議論を促す方向に向けていっそう活性化し、加速することが必要である。

そのための具体的なステップとして、国民的合意が得られることを前提に、遅くとも2005 年までには憲法改正に必要な手続きがとられるよう、調査期間を現在の5年から3年程度に短縮することが望まれる。」

■全文PDF

 

『イラク問題研究会意見書』(2004年11月)

「自衛隊による国際貢献活動をより迅速、かつ有意義に行うための法的基盤を整えるために、イラク特措法に基づく自衛隊派遣の課題を踏まえ、恒久法の制定を求めたい。」

「憲法改正、安全保障基本法制定、集団的自衛権の行使に関わる政府解釈の変更、恒久法制定の4つは包括的に検討していくべきであり、その意味でも自衛隊法の改正が必要になる。」

■全文PDF

 

『新たな外交・安全保障政策の基本方針』2006 年9 月

「自衛力については、今後も抑止力を基本として強化すべきであるが、国際環境の変化に応じ、日本国民の安全が確保される自立した国家としての自衛隊のあり方を見直すべきである。

また、日本の自衛隊はこれまで、「国際平和協力法」「テロ対策特措法」「イラク人道復興支援特措法」に基づき、国際貢献活動を展開してきた。こうした自衛隊の活動をより迅速かつ効果的に行うための法的基盤の整備が急務である。

そのためには、我が国の防衛・安全保障に関する基本原則を示した「安全保障基本法」(仮称)と人間の安全保障の考え方を併せた「国際協力基本法」(仮称)を制定し、日本の外交・安全保障が平和主義を柱とした政策であることを世界に示すことで、国内並びに周辺諸国の理解と信頼を得ることが必要である。」

■全文PDF

 

『新たな日米関係の構築』(2009年1月)

「自衛力については、今後も抑止力を基本として強化すべきであるが、国際環境の変化に応じ、日本国民の安全が確保される自立した国家としての自衛隊のあり方を見直すべきである。

また、日本の自衛隊はこれまで、「国際平和協力法」「テロ対策特措法」「イラク人道復興支援特措法」に基づき、国際貢献活動を展開してきた。こうした自衛隊の活動をより迅速かつ効果的に行うための法的基盤の整備が急務である。

そのためには、我が国の防衛・安全保障に関する基本原則を示した「安全保障基本法」(仮称)と人間の安全保障の考え方を併せた「国際協力基本法」(仮称)を制定し、日本の外交・安全保障が平和主義を柱とした政策であることを世界に示すことで、国内並びに周辺諸国の理解と信頼を得ることが必要である」。

■全文PDF

 

『世界構造の変化と日本外交新次元への進化』(2011 年2月)

「安全保障問題とは、本来、軍事的手段のみならず、政治・経済的手段を組み合わせ、総合的に対処すべき課題である。そのためには内閣主導体制の強化を意図した「国家戦略本部」を創設し、その下に内閣官房の司令・調整機能をより強化した「国家安全保障会議」を新たに設置すべきである。

これは「日本版NSC」構想等と呼ばれることもあるが、政治主導体制を強化し、より迅速に安全保障上の危機に対応するためには必要なインフラ整備である。

また、国家安全保障会議は、日本の外交・安保戦略を策定する機能も備えるべきである。」

「日本の安全保障に対する脅威が多様化し、増大しつつある中、日本は自らの国防努力を強化していく必要がある。国防力とは、近隣各国との相対的な比較の中で意味をもつものであるとするならば、日本を取り巻く安全保障環境の現状に鑑み、少なくとも日本のみが一方的に防衛予算を削減してはならない。」

「日本は、同盟国である米国以外の信頼できる民主主義国・地域との武器技術の共同研究開発・生産体制に参加できるよう、第三国への移転について一定の歯止めを設けた上で、日本は武器輸出政策の弾力的な運用を認めるべきである。」

「日本人の国際進出を視野に入れたとき、有事における在外邦人保護に向け、日本が対処能力、法的基盤を整備していくことは不可欠である。既に政府専用機、自衛隊機、自衛隊艦船を在外邦人の輸送に用いるための道は開かれているが、さらに緊急時において空港・港湾施設までの在外邦人の避難、輸送までも自衛隊が担うことを可能にするべきである。

また、現在、輸送の安全の確保が認められる場合のみ、邦人救出に踏み切ることが法律上許される形となっているが、より現実的な対応を可能とするためにも安全確保の要件は外すべきである。」

「現在の日本政府の憲法解釈の下では、個別的自衛権を行使し、武力行使に至ることは認められているが、集団的自衛権の行使は、国防のための必要最小限度を超えるものであるとして認められていない。

しかし、集団的自衛権行使を容認しない現在の憲法解釈は、国際安全保障の確保のために日本が取り得る活動を著しく制約し、また有事における日米同盟の有効性を損ねる。今や東アジアのみならず、世界における安全保障の確保と日本の安全保障の確保は不可分である。

そして、米国は有事における日本防衛の義務を負うのに対して、日本は平時より米軍に対して基地提供を行うことをもって同盟を成立させるという関係は片務的であり、日本の国際的発言力の強化という観点からも、改善する必要がある。」

「平時、有事を問わず、情報の共有は同盟関係において非常に重要である。広く国際社会との関わりを持つ日本にとって、米国の情報収集力を活用できることは、同盟関係における大きな資産の一つである。今後、日本はより一層国際社会と一体となって、安定と繁栄への道を模索する必要がある。そのためにも、日米情報共有体制を強化する方策を探らなくてはならない。」
■全文PDF

 

『「実行可能」な安全保障の再構築』(2013 年4 月)

「第二次安倍政権の下で、外交・安全保障に関わる司令塔として、国家安全保障会議(National Security Council)4の設置が検討されていることを歓迎し、その早期実現を求める。」

「企業活動のグローバル化に代表されるように、国民の安全・財産は、日本の領域内のみにとどまるものではない。自ら選択して海外に出る以上、安全確保のための方策を自ら講じることは、個人・企業の別を問わず当然の責任であろう。その一方、非常事において、国民の安全や権利を守ることは、国家の究極的な責任であると考える。

国外での非常事態に際して、自国民の保護・退避に当たる上では、外交努力を
通じた当該国との連携、友好国との協力、自ら有する装備・能力の活用等、複数の選択肢の中から、個々の事態・情勢に応じて、迅速に最適な方策を選択することが求められる。

このような中、海外における自国民保護体制の強化を進める上では、緊急時に
おいて柔軟かつ迅速な選択が可能となるよう、まずは本質的な問題に真摯にき
合うことが不可欠と考える。

具体的には、自衛隊の活動の範囲に関する個別具体的な議論に先立って、まず、
日本の領域外における国民の保護を、国としての自衛の対象と見なすか否か、その姿勢を明確にすることを求めたい。6 その上で、そうした判断を起点に、国際的に共有される規範や外交手続きに則り、真に実効性ある対策が講じられるよう、体制整備が進められることを期待する。」

「政治的決断によって政府解釈を変更し、集団的自衛権行使を認めるべきである。」

「自衛隊の海外派遣基準や活動領域に関する原則を恒久法で定め、迅速な判断・派遣を可能にすべきである。加えて、自身の生命・安全の確保と、民間人や他国部隊の保護を目的に、国際平和維持・協力活動における武器使用基準も見直し、国連の規程に合わせる形で緩和すべきである。」

■全文PDF

2015年06月11日 (木曜日)

メディアと公権力の一体化は国際的な傾向、信用できない国境なき記者団の報道の自由度ランキング

国境なき記者団が発表した2015年度の「世界報道自由度ランキング」で、日本は61位だった。

鳩山政権の時代には、11位になったこともある。

が、このランキングはまったく信用できない。第一、報道の自由という抽象的なものを序列化すること自体がナンセンスだ。ランキングを受け止める側には、「国境なき記者団=真のジャーナリズム」という先入観と幻想があり、序列化の愚に気づかない。

もちろん個々の記者やジャーナリストの中には、真摯に報道の役割を果たしている人も少なくない。しかし、メディア企業としての在り方には、国境を越えて克服しなければならない問題がある。

それは権力の中枢になっている人々の「広報部」の役割を引き受けているメディア企業が大半を占めている事実である。政府を筆頭とする公権力と情交関係を保ちながら、ニュースを制作する姿勢が慣行化しているのだ。

日本のマスコミだけが「×」で、海外は「○」という考えは間違っている。

中国のマスコミが、旅客船の転覆事故の際、政府に配慮して、遺族の不満を報じなかったらしいことは、日本のメディアが伝えた。それが事実であれば、中国における報道統制は、日本よりもよほど深刻だ。

中米ニカラグアで1970年代に革命戦争に参加したオマル・カベサスの手記、『山は果てしなき緑の草原ではなく』(現代企画室)には、当時のニカラグアのメディアについて、次のような記述がある。

ラジオというラジオは襲撃のことを報道し、国中が生々しい写真報道や情報の展開に釘付けになった。俺たち自身、現実とかけ離れた虚像を作り出す報道の影響の大きさに驚いた。

◇グアテマラは125位

わたしが「世界報道自由度ランキング」は、信用できないと感じたのは、インターネットで、グアテマラのリオス・モント裁判の中継録画を見たときだった。
リオス・モントとは、同国の軍部出身の元大統領で内戦の時代に先住民の大虐殺を指示した人物である。戦後、法廷に立たされ、2013年5月に虐殺と人道に対する罪で、禁固80年の判決を受けた。

この裁判の判決の様子を、プレンサ・リブレ紙がインターネット中継した。法廷にカメラが入ったのだ。ある意味では、日本よりも進んでいる。

翌年、グアテマラの「世界報道自由度ランキング」を見ると125位になっていた。わたしは苦笑せざるを得なかった。確かに前世紀までグアテマラは、「殺戮の荒野」で、弱者に寄り添った報道は命のリスクを伴った。が、今は状況が大きく変化しているのである。

なにを根拠にして、国境なき記者団が125位という序列にしたのか、わたしにはさっぱり分からない。ラテンアメリカ全体の左傾化に対する対抗意識の現れのような気もするのだが。

ちなみにニカラグアの2015年のランキングは74位。日本よりも報道の自由が制限されていると評価している。

■報道の自由度ランキング2015年

2015年06月10日 (水曜日)

医師関係の2団体から自民党の政治資金団体へ3億円の献金、業界団体による変わらぬ高額献金の実態

自民党の政治資金団体である国民政治協会へ献金しているのは、企業だけではない。業界団体も多額の献金をしている。

次に紹介する資料は、政治資金収支報告書(2014年度公開の13年度分)のうち業界団体からの献金を記録した箇所だ。ただし、ここで紹介するのは、業界団体の中央本部からの献金だけで、これ以外にも、地方支部からの献金が記録されている業界団体もある。

大口の献金者をリストアップしてみよう。

自動車流通政経懇話会:2000万円
全国不動産政治連盟: 1000万円
日本医師連盟:    2億円
日本歯科医師連盟:  1億円
日本商工連盟:    1000万円
日本薬剤師連盟:   1000万円

■国民政治協会への業界団体からの献金PDF

献金の目的は不明だが、日本医師連盟と日本歯科医師連盟からの献金は3億円に達しており、尋常ではない。「政策を買っている」と評されても、弁解の余地がないのでは

2015年06月09日 (火曜日)

政治献金で左右される自民党政治、トヨタから自民の政治資金団体・国民政治協会へ6400万円、伊藤忠から1800万円、パナソニックから1400万円

政府が打ち出す政策の方向性を決定づける大きな条件のひとつは、政治献金の提供である。そのことは古くから指摘され、問題視されてきた。実行は伴わないものの、政治献金は禁止すべきとの議論も断続的に行われてきた。

政治献金の提供は半ば慣行化していて、改まる気配がない。金銭感覚がおかしくなり、政治家に罪悪感もないようだ。

次に示すのは、自民党の政治資金団体である国民政治協会への政治献金のうち、企業からの提供実態を示す部分である。企業名や金額などが明記されている。(政治資金収支報告書2014年度公開の13年度分)

■国民政治協会に対する企業からの政治献金①

■国民政治協会に対する企業からの政治献金②

献金額が多い企業(1000万円超)は次の通りである。

トヨタ自動車・・・6440万円
伊藤忠商事・・・・1800万円
日本生命保険・・・1700万円
パナソニック・・・1400万円
スズキ・・・・・・1285万円
(このほか業界団体からの大口献金もある)

◇政治献金と軍事大国化

財界から多額の献金を受けている自民党が打ち出している政策を検証してみよう。財界の要望は、経団連や経済同友会などが発表する提言というかたちで、政府に突きつけられるわけだが、結果的に財界の面々が要望している内容がそのまま政策として浮上していると言っても過言ではない。

金で政治を動かす。これが政治献金の目的である。

たとえばいま話題になっている安保法制や改憲に関する政策。これについて経済同友会などは、1990年代から集団的自衛権の行使を可能にする方向性を提言している。1999年3月9日に発表した緊急提言「早急に取り組むべき緊急提言-我が国の安全保障上の四つの課題」は、集団的自衛権の行使について、次のように述べている。

我が国の防衛と国際安全保障への貢献を考える上で、もはや避けて通ることのできない重要課題の一つとして、「集団的自衛権の行使」にかかわる政府見解がある。

 我が国政府は、国際法上いかなる国も保持しているとされているのに、憲法上許されないとする「集団的自衛権の行使」にかかわるこれまでの見解を維持するとの方針である。しかし、このままでは、現実と遊離して無理が生じるのは明白であり、この政府見解の見直しは必要不可欠である。改めて「集団的自衛権の行使」にかかわる政府の憲法解釈の早期見直しを強く求めたい。

 しかしながら、本来的には、我が国の憲法について国民的論議を行い、改正すべきところは改正すべきであると考える。その意味で、先送りされている憲法問題に関わる常任委員会を早急に国会に設置すべきである。

■緊急提言「早急に取り組むべき緊急提言-我が国の安全保障上の四つの課題」

引用文でも述べているように、自民党はもともと集団的自衛権の行使は「違憲」の立場を取ってきた。その意味では、先日、3人の憲法学者が、安部内閣が国会に提出している安保法制案に苦言を呈したのは、番狂わせではない。あり得ることだった。

政府といえども、集団的自衛権の行使に関しては、「違憲」の立場を取ってきたのである。もちろんその背景には、日本企業が多国籍企業化していなかったために、そうした要望が提言されなかった事情があるのだが。

が、今世紀に入ってから、この壁に挑戦しているのが、財界と米国である。それに政権党が協力している。

多国籍企業にしてみれば、海外へ進出した企業を政変から防衛する必要がある。それゆえにピンポイントで世界のあらゆる地域へ、軍隊を投入して、政変や革命を鎮圧するシステムの構築を目指しているのである。国際貢献というのは、表向きの口実にすぎない。

ちなみに安部政権は、旧日本軍の「侵略→占領型」の軍事大国を目指しているわけではない。オスプレイなどを使って軍隊を緊急に派兵して、政変を鎮圧した後、ただちに引き上げる21世紀型の軍事大国を目指しているのだ。

こうした軍事大国を実現するための大前提となる条件が、財界からの政治献金である。

2015年06月05日 (金曜日)

グローバリゼーションで国民は幸福を掴むのか?経済同友会が提言、「日本の変革なくして対日投資の拡大なし」を発表

経済同友会は、6月1日、「日本の変革なくして対日投資の拡大なし-企業と政府の覚悟が鍵 」と題する提言を発表した。その中で経済同友会は、対日投資の拡大に取り組むように政府に提言している。

その基調をなしているのは、「経済連携の基本は、相互主義と互恵であり、貿易を増やしたり、日本からの対外投資を増やしたりするだけでなく、外国からの投資も受け入れることではじめて深化する」という考えである。

国境なきビジネスの時代、あるいはグローバリゼーションの時代という認識だ。提言は言う。

「われわれ経営者が問われているのは、グローバルな土俵で戦っていく覚悟の有無であり、国内市場とともに縮小する道を選ぶのか、自己変革でグローバル最適を実現するのか、その決断スピードそのものが勝敗を左右する」

安倍内閣に対して、新自由主義=構造改革の導入のスピードを上げるように求めているのである。現在の改革では不十分だという不満のようだ。

その背景には、「国境を越えた産業再編が進む中、Fortune Global 500 にリストアップされた日本企業数は、2010 年 71 社、2011 年 68 社、2012 年 68 社、2013 年 62 社、2014年57 社と漸減している」事情があるようだ。

こうした実態を打開するために、財界は、「われわれはM&A 等による統合・再編を通じ、世界に伍する企業にふさわしい規模への拡大を図る」とまで述べている。

◆「新自由主義=構造改革」こそが諸悪の根源

改めて言うまでもなく、グローバリゼーションの時代における競争相手は、多国籍企業である。競争相手に勝つためには、国際競争力を高めなければならない。そのために1996年に成立した橋本内閣の時代に始まったのが、新自由主義=構造改革の導入である。民主党も基本的には、新自由主義=構造改革の推進派ある。

しかし、新自由主義=構造改革の具体的な中身については、明快に報道されて来なかった。省庁の再編や民営化、医療・福祉の切り捨て、労働法制の改悪、道州制の提言などと、新自由主義=構造改革がどのような関係があるのかは報じられていない。

まして、「新自由主義=構造改革」こそが諸悪の根源であることを認識している人は限られている。

たとえば労働法制の改悪により非正規社員が全社員に占める割合が約4割にも達しているが、こうした現象を国際競争力の強化を望む財界からの要望という観点から考察することはほとんどない。

当たり前の話であるが、日本に拠点を置く企業が、賃金の安い発展途上国を拠点とした多国籍企業と競争するためには、日本の労賃を抑制し、さらに切り下げていかなければならない。さもなければ国際競争には勝てない。

労働法制を改悪して、賃金が安い非正規社員を多量に増やす国策が打ち出された背景には、グローバリゼーションの中で、均一な労働市場を形成する「必要悪」があるのだ。働き方の選択肢を広げるという論理は、結果であって、本質的な部分ではない。

今回、経済同友会の提言では、労働市場の流動性を高めることを提言している。ここにも非正規社員を増やすことで、企業経営の合理化を進め、国際競争力を高めようという意図が読み取れる。

「社会全体が、転職に対するマイナスイメージを払しょくし、労働市場の流動性を高めるとともに、労働者一人ひとりにも、自身のスキルを磨くためにどの組織で何を身に付けるべきかを考え、職業人生を通じて自らの力でWinner になるという気概が求められる

企業という集団の中で労働を通して、お互いを成長させていこうという発想はまったくない。競争と金銭だけが、幸福を獲得する道具として描かれているのである。

◆多国籍企業の天国

しかし、国際競争力を強化するためには、労働法制の改悪だけでは十分ではない。税制が大きな鍵を握る。企業の負担を軽減するために、法人税を下げて、消費税を上げる措置が取られる。

事実、法人税を段階的に下げて、消費税を段階的にあげる政策は、橋本内閣の時代から断続的に続いている。

今回の経済同友会の提言は、さらなる法人税の引き下げを求めている。

「法人税率は引き下げが予定されているが、それでもシンガポールの17%、香港の16.5%等と比べ、大きな差異がある。また、所得税の最高税率の高さも、子弟の教育コストの高さ等と相俟って、高度人材外国人が日本で活躍するインセンティブや、多国籍企業がアジア統括拠点を東京に設置することを阻害している」

新自由主義=構造改革で国が繁栄するというのは幻想である。繁栄するのは多国籍企業だけだ。事実、多国籍企業は、アベノミックスにより空前の利益を上げている。そしてマスコミはそれを日本再生の兆しとして報じている。

が、ここからが肝心なのだが、多国籍企業の大半は海外生産・海外販売・海外貯蓄のビジネスモデルを構築しているので、いくら利益があげても、大半の国民はその恩恵にあずかれない。安倍内閣にとって、唯一の対策は、日本を「世界で一番ビジネスがしやすい国にする」ことである。

日本を投資のしやすい国、つまり労賃が安く、警察権力が強く、国際業務ができる弁護士が多い国にすることである。

こうした多国籍企業本位の国策が行き詰るのは時間の問題だろう。

■経済同友会の提言「日本の変革なくして対日投資の拡大なし-企業と政府の覚悟が鍵 」

2015年06月04日 (木曜日)

あたらしいタイプの携帯基地局問題が浮上、地権者がマイクロ派の人体影響に気づき「撤去したいが、賃貸契約が壁に」

携帯電話の基地局設置をめぐる問題に新しいタイプのものが浮上してきた。

電話会社に基地局の設置場所を貸す地権者が、基地局稼働後にマイクロ派による人体影響を知り、撤去を申し入れても、契約書に明記された賃貸期間が終了していないことを理由に、電話会社が応じない問題だ。

プラバシーに配慮して問題が起きている地域は明かさないが、ここ数日で、MEDIA KOKUSYOに対して2件の情報提供があった。

【ケース1】
電話会社と20年の賃貸契約を結んで、自宅から30メートルのところにある私有地に基地局を設置した。その結果、体調が悪くなり、電磁波過敏症を疑うようになった。奇形植物も発生した。

基地局を撤去したいが、20年の契約期間が壁になって対策がない。

【ケース2】
基地局を設置した後、近隣住民からマイクロ波による人体影響について聞かされた。撤去したいが、契約書が壁になっている。

◆電話会社はやりたい放題

これらの問題には共通点がある。電話会社が地権者と基地局設置の契約を結ぶ際に、マイクロ波による人体影響のリスクについて説明していないことである。この点に触れると、契約を締結できなくなる恐れが生じるからだ。

たとえ説明するとしても、総務省が定めた安全基準を順守して操業することを強調する。が、日本の場合、基準値そのものが、たとえばEUに比べて1万倍もゆるい。それゆえに、容易に「安全宣言」ができる。

したがって一旦、基地局を設置してしまうと、電話会社はやりたい放題のことができる。

しかも、総務省は基地局に関する情報をほとんど開示しない。現在はセキュリティー(テロ防止、緊急時の通信網確保)を理由に、おそらく基地局に関する情報を、特定秘密保護法の特定秘密に指定している。

無線通信網はもはや廃止が不可能なほど日本の隅々にまで張り巡らされている。それを支えているのが基地局である。

基地局の設置は、いまや迷惑行為の域を超えて、合法的な凶器になり始めている。自宅を手に入れた半年後、近隣に携帯基地局が設置されたら、その家族の夢や希望は消えてしまう。安心して暮らせなくなる。

2015年06月03日 (水曜日)

大阪府高槻市の住民グループがKDDIに公開討論を提案、携帯基地局の設置をめぐるトラブル

KDDIに対して携帯基地局の撤去を求めている大阪府高槻市の住民団体「携帯基地局設置に不安を持つ大和住民のグループ」が、KDDIに対して公開討論を求めていることが分かった。公開討論は、電磁波研究の第一人者・荻野晃也博士とKDDI側代表による直接討論という形を取る。

住民側の代表によると住民グループは、すでにKDDIに公開討論を申し入れており、現在、回答を待っている段階だという。

■(参考)住民グループが作成したチラシ

◆電磁波利用と巨大ビジネス

電磁波による人体影響は一部の専門家により古くから指摘されてきたが、それが深刻な社会問題として浮上してきたのは、1980年代に入ってからである。配電線の低周波電磁波と小児白血病に因果関係があることが、数々の疫学調査により明らかになったのだ。日本でも疫学調査が実施され、海外の調査と同じ傾向を示した。

1990年代になって携帯電話の普及に拍車がかかると、携帯電話の通信に利用するマイクロ波による人体影響が指摘されるようになった。特に問題になっているのは、マイクロ波の遺伝子毒性である。遺伝子を破損して、癌を発症させるリスクである。

エックス線やガンマ線(原発)などエネルギーが高い領域の電磁波に遺伝子毒性があることは、従来から科学の常識となっていたが、マイクロ波にも同じ作用があることが分かってきたのだ。

実際、WHOの外郭団体・国際癌研究機関は、2011年5月にマイクロ波に発癌性の可能性があることを認定した。電磁波はエネルギーの強弱にかかわらず、人体に影響を及ぼすと考えるのが、常識になりつつある。

しかし、電磁波利用がTI関連の巨大ビジネスと結びついている事情があるために、広告やCMを主要な収入源としているマスコミは、電磁波問題の報道には消極的だ。その一方で電磁波問題と「白装束集団」を結びつけて報じるネガティブ・キャンペーンを展開したこともある。

携帯電話の基地局問題の特徴は、基地局を設置されると、その周辺に住む人々が1日24時間、365日に渡って被曝することである。「受動喫煙」と同じ原理で、被害を広げる構図がある。

携帯電話、スマホ、無線PCを使うか否かは、個々人の選択にかかっているが、基地局の設置は、電話会社の都合で決められる。国は法的な規制をしていない。野党議員も、電磁波問題を取り上げるとスマホが日常生活の一部になっている有権者、特に若い人から嫌われるので、取り上げない。

21世紀の新世代公害は、水面下で被害を拡大している。

2015年06月02日 (火曜日)

新聞の長期低落傾向に歯止めかからず、2015年4月度のABC部数

2015年4月度のABC部数が明らかになった。それによると朝日新聞は対前年差が-64万3142部、読売新聞は、-37万5141部だった。長期低落傾向に歯止めはかかっていない。

2015年4月度のABC部数は次の通りである。(括弧)内は対前年差。

朝日新聞:6,798,193  (-643,142)

毎日新聞:3,301,791  (-53,267)

読売新聞:9,110,145  (-375,141)

日経新聞:2,739,709  (-32,916)

産経新聞:1,664,690  (-11,358)

地方紙とブロック紙の中で、大きく対前年差を減らしたのは、北海道新聞の2万3570部、新潟日報の1万2760部、中日新聞の8万63部、神戸新聞の2万3285部、山陽新聞の1万4281部、西日本新聞の1万9054部などである。

プラスに転じた社はほとんどない。

なお、ABC部数には、「押し紙」が含まれているので、「ABC部数=実配部数」ではない。新聞業界の閉鎖的な体質の下では、広告主も新聞の実配部数を把握しようがない。

「押し紙」とは、配達部数を超えて新聞社が販売店に搬入する新聞のことである。たとえば2000部しか配達先がないのに、3000部を搬入すれば、差異の1000部が「押し紙」である。この1000部についても、販売店は新聞の原価を支払わなければならない。

かくて「押し売り」→「押し紙」となる。

■2015年4月度のABC部数