1. 「押し紙」70年⑦ 今世紀に入って激増した「押し紙」、搬入される新聞の70%が「押し紙」のケースも

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2015年08月21日 (金曜日)

「押し紙」70年⑦ 今世紀に入って激増した「押し紙」、搬入される新聞の70%が「押し紙」のケースも

【サマリー】今世紀に入って急激に「押し紙」率が上昇して、50%に達するケースも珍しくなくなった。2005年に、「押し紙」の実態を立証する毎日新聞の内部資料が外部へ流出する事件もあった。それによると搬入される新聞の36%が広義の「押し紙」だった。2007年には、70%という信じがたいケースも発覚した。

 読売の「押し紙」も問題になったが、裁判所は「押し紙」とは認定しなかった。押し売りで生じた「押し紙」ではなく、「残紙」、あるいは「積紙」ということになった。

搬入される新聞のうち半分以上が「押し紙」になるなど、高い「押し紙」率が報告されるようになったのは、今世紀に入ってからである。おそらくバブルが崩壊した1993年ごろから「押し紙」率が上昇していたと推測されるが、それが外部に発覚しはじめたのは、2000年代に入ってからである。

ある時、わたしは栃木県の新聞販売店で働いていた男性から、電話による告発を受けた。男性の言い分は次のようなものだった。

自分が働いている販売店には、約4000部の新聞が搬入されるが、このうちの約2000部が「押し紙」になり、廃棄している。あまりにも異常なので、新聞発行本社に内部告発したところ、販売店を解雇された。

この話を聞いたとき、わたしはガセネタに違いないと判断した。取材もしなかった。「押し紙」率が50%にもなっているという話を聞いたことがなかったからだ。

ところがそれから数カ月後、滋賀県新聞販売労組の沢田治氏から、類似した「押し紙」の例があることを聞いた。大阪府四条畷市の産経新聞・四条畷販売所のケースで、搬入される新聞が約5000部だったのに対して、配達している新聞は、時期により変動があるものの、おおむね2000部から3000部だったというのである。

この販売店の店主は、廃業に追い込まれた後、「押し紙」の損害賠償裁判を起こしたが、裁判の中でも、2000部から3000部が「残紙」になっていたことが認定された。ただ、産経新聞社がこれらの新聞を押し売りしたことは認定されなかった。

わたしは四条畷市まで旧販売店を見にいった。そこには「押し紙」小屋の跡が残っていた。

◇毎日新聞社の内部資料

その後、「押し紙」率が極めて高い例を数多く知った。その大半は、内部告発に基づいて、わたしが内容を確認して事実を確認したものである。

2005年には、毎日新聞の「押し紙」政策の存在を決定づける資料が外部へ流失した。「朝刊 発証数の推移」と題するものである。

次の資料の中にわたしが印した赤のマークに注目してほしい。

■朝刊 発証数の推移

店扱い部数:全国の毎日新聞販売店へ搬入される新聞部数を示している。約395万部である。

発証:「発証」とは、販売店が読者に発行する新聞購読料の領収書である。約251万枚である。

つまり395万部が販売店に搬入されているのに、領収書は251万枚しか発行されていないのだ。両者の差異にあたる144万(部)が、「押し紙」である。率にすると36%である。

「押し紙」率が70%

さらに次に示すのは、毎日新聞・蛍ケ池販売所と豊中販売所における「押し紙」の実態である。拙著『押し紙という新聞のタブー』(宝島新書)からPDFで紹介しょう。

■毎日新聞・蛍ケ池販売所と豊中販売所における「押し紙」

月によっては「押し紙」率が約70%にもなっている。
この販売店の経営者も2007年に廃業に追い込まれた。

さらに読売新聞の「押し紙」問題も発覚した。次のPDF(リーフレット『新聞の偽装部数について考える・・・・「押し紙」を知っていますか?』に示されたYC大牟田明治、YC大牟田中央、YC久留米文化センター前の数字である。

■読売の「押し紙」(広義の残紙)

ただし、読売は「押し紙」の存在を認めなかった。

上記、3店のうちYC久留米文化センター前は裁判を闘った。裁判の中では、「押し紙」の有無が争点になった。裁判所は、「押し紙」はなかったと判断した。この裁判の読売側代理人を務めたひとりが、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士である。