1. グアテマラにみる民主主義の成熟、かつては殺戮の荒野、今は将軍を裁く法廷をビデオカメラで中継

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2015年08月18日 (火曜日)

グアテマラにみる民主主義の成熟、かつては殺戮の荒野、今は将軍を裁く法廷をビデオカメラで中継

【サマリー】2015年4月から6月期の国内総生産(GDP)の実質成長率は前期と比べて1・6%減となり、安倍政権が進める新自由主義の失敗が明らかになった。新自由主義は、地球規模で世界を支配しているが、ラテンアメリカについては例外である。すでに新自由主義からの脱皮に向かい、公平な社会へ確実に近づいている。

 2013年にグアテマラの裁判所は、80年代に大統領職にあり、先住民に対する虐殺を繰り返した元グアテマラ軍の将軍リオス・モントに対して禁固80年の判決を下した。さらに2015年の1月には、やはり80年代にスペイン大使館の焼き討ち事件などを起こした元警察のトップ、ペドロ・ガルシア・アルマンドに対して禁固90年の判決を下した。

 これらの裁判の様子は、法廷内に持ち込まれたビデオカメラで世界へ配信された。日本では考えられないことである。同時代史の中で、ラテンアメリカはより先進的な社会へ近づいている。

2015年4月から6月期の国内総生産(GDP)の実質成長率は前期と比べて1・6%減となった。原因として消費の落ち込みや輸出の減少などが指摘されている。

大企業は別として、大半のひとが所属する中小企業は、業績を悪化させているうえに、消費税がアップしているわけだから、消費が落ち込むことは最初から分かっていた。

また、アベノミックスで円安に誘導しても、日本企業が生産の拠点を海外へ移し続けているわけだから、国内生産をベースとした輸出が延びるはずがない。それどころか海外の日本企業からの「逆輸入」が増えて、ますます貿易赤字は大きくなる。これも最初から分かり切ったことだ。

安倍政権が押し進めている新自由主義=構造改革失敗がいよいよ顕著になってきたといえる。

◇グアテマラ30年の驚くべき激変

ところで新自由主義の道を進んでいるのは、なにも日本に限ったことではない。米国や欧州をはじめ新自由主義が世界的な流行となっている事実は否定できない。脳がない政治家ほど、欧米の真似をしたがる。

そしてその矛盾が、ギリシャ、スペイン、さらに日本などでは、隠し切れなくなってきた。

それは単に経済的な行き詰まりだけではなく、「先進国」が利権を確保するために、軍事力によって「ならず者国家」を抑え込み、その反動として暴力が世界中を支配する状況をも誘発している。そこからさらに極右が台頭している。

が、こうした世界の主流から、すでに方向転換して別の方向へ歩み始めている地域もある。もちろん歴史の進歩は一直線ではなく、先進と後退の繰り返しはつきものであるが、わたしが知る範囲では、相対的にラテンアメリカが同時代史の中で極めて先進的な方向へ進んでいる。

たとえば中米のグアテマラである。
わたしがこの国を最初に訪れたのは、1985年である。その時の状況を、わたしは拙著『バイクに乗ったコロンブス』(現代企画室)に、次のように記録している。

1985年に初めて中米を訪れたとき、ぼくはニカラグアからグアテマラへ入国しようとして、空港の税関で解放戦線のシンパの疑いをかけられ、逮捕されかけたことがある。

ニカラグアの革命政府の母体、ダンディニスタ民族解放戦線が発行している機関誌『バリカダ』の切り抜きを集めたスクラップ・ブックを、係員が荷物の中にみつけ、1ページずつ丹念に調べながら、入国の理由やニカラグアでの行動をしつこく詰問して来たのだ。

結局、この時は、「賄賂」を支払って逃げたのだが、この件に象徴されるように凄まじい人権侵害が進行していた。たとえば80年代初頭だけで、グアテマラの最高学府・サンカルロス大学の教授97人が軍部に殺害されている。彼らは決して左翼とは限らない。政府に少しても批判的と見なされると、容赦なく抹殺の対象になっていたのだ。

グアテマラの人権侵害は、隣国のエルサルバドルとニカラグアの内戦の激化の影で、あまり取りざたされることはなかったが、軍事政権の下、水面下ではとんでもないことが起こっていたのである。エルサルバドルとニカラグアよりも人権侵害の実態が遥かに劣悪だったとする見方もある。

◇法廷で裁かれた元政府高官ら

意外に知られていないが、第二次世界大戦の後、ラテンアメリカで最初のゲリラ活動が起こったのがグアテマラだった。1954年に当時の政府が農地改革に着手したとたんに、米国の多国籍企業UFC(ユナイティド・フルーツ・カンパニー)とCIAが手を組んで軍事クーデターを起こし、軍政を敷いたのである。

これに対抗するかたちでゲリラ活動が始まったのである。結局、内戦は延々と続き、和平が成立したのは1996年である。

しかし、1996年の和平が成立した後の社会進歩は目を見張るものがあった。それが典型的な形で現れたのは、2013年5月の事件である。1980年代の初頭に大統領職にあった元グアテマラ軍の将軍、リオス・モントが「人道に対する犯罪とジェノサイド」で禁固80年の判決を受けたのである。

リオス・モントは軍隊を使って、グアテマラ北部の山岳地帯で繰り返した先住民に対する集団虐殺の責任を問われたのである。判決の様子は、グアテマラのメディアを通して実況生中継された。

これ自体が革命的な変化である。日本の裁判所でも実現していないことだ。
次に示すのは、米国の独立系メディアDemocracy NOWの画像である。

■リオス・モントに禁固80年

判決を受けたリオス・モントは、法廷から逃げ出そうとするが、女性裁判長の指示で再拘束された。(現在は、リオス・モントの再審が行われているらしい。)

こうした民主化の流れが、一時的なものではなかったことは、2015年の1月に再び立証された。やはり1980年代の初頭に大きな犯罪を犯した元警察のトップ、ペドロ・ガルシア・アルマンドに対して、グアテマラの裁判所は禁固90年の判決を下したのである。

■ペドロ・ガルシア・アルマンドに禁固90年

罪となったのは、1980年に起こしたスペイン大使館の焼き討ち事件だった。この事件は、グアテマラ政府による人権侵害の実態を海外へ知らせるために、農民と学生がスペイン大使館を占拠したものである。この活動に加わった人物のひとりに、後にノーベル平和賞を受けることになるリゴベルタ・メンチューの父親も含まれていた。

グアテマラ政府が取った対抗策は、大使館の窓と戸を釘づけにして、火を放つという残忍なものだった。生存者は2名。大使館の職員と活動家である。このうち活動家は、搬送された病院から誘拐され、殺害された。スペインはグアテマラとの国交を断絶した。

この事件の詳細は、米国の映像ジャーナリストらが制作したWhen the Mountins Tambleという有名なドキュメンタリーの中でリゴベルタ・メンチューが証言している。

■When the Mountins Tamble

◇次世代の社会モデル

元大統領を含む政府の高官に対して、自国でこれだけ厳密な判決が下されるほど、グアテマラは激変しているのである。それはラテンアメリカ全体が変化してきた証とも言える。もちろんキューバと米国の国交が回復した背景に、こうした時代の変化があることを忘れてはいけいない。

新自由主義からの脱皮を確実に進めて公平な社会の構築を目指すラテンアメリカは、同時代史の中では、最も注目に値する地域である。これから新自由主義が破たんしていくにつれて、次世代のモデルとして注目を集めることは間違いない。それしか生存の道は残されていないからである。