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2015年06月05日 (金曜日)

グローバリゼーションで国民は幸福を掴むのか?経済同友会が提言、「日本の変革なくして対日投資の拡大なし」を発表

経済同友会は、6月1日、「日本の変革なくして対日投資の拡大なし-企業と政府の覚悟が鍵 」と題する提言を発表した。その中で経済同友会は、対日投資の拡大に取り組むように政府に提言している。

その基調をなしているのは、「経済連携の基本は、相互主義と互恵であり、貿易を増やしたり、日本からの対外投資を増やしたりするだけでなく、外国からの投資も受け入れることではじめて深化する」という考えである。

国境なきビジネスの時代、あるいはグローバリゼーションの時代という認識だ。提言は言う。

「われわれ経営者が問われているのは、グローバルな土俵で戦っていく覚悟の有無であり、国内市場とともに縮小する道を選ぶのか、自己変革でグローバル最適を実現するのか、その決断スピードそのものが勝敗を左右する」

安倍内閣に対して、新自由主義=構造改革の導入のスピードを上げるように求めているのである。現在の改革では不十分だという不満のようだ。

その背景には、「国境を越えた産業再編が進む中、Fortune Global 500 にリストアップされた日本企業数は、2010 年 71 社、2011 年 68 社、2012 年 68 社、2013 年 62 社、2014年57 社と漸減している」事情があるようだ。

こうした実態を打開するために、財界は、「われわれはM&A 等による統合・再編を通じ、世界に伍する企業にふさわしい規模への拡大を図る」とまで述べている。

◆「新自由主義=構造改革」こそが諸悪の根源

改めて言うまでもなく、グローバリゼーションの時代における競争相手は、多国籍企業である。競争相手に勝つためには、国際競争力を高めなければならない。そのために1996年に成立した橋本内閣の時代に始まったのが、新自由主義=構造改革の導入である。民主党も基本的には、新自由主義=構造改革の推進派ある。

しかし、新自由主義=構造改革の具体的な中身については、明快に報道されて来なかった。省庁の再編や民営化、医療・福祉の切り捨て、労働法制の改悪、道州制の提言などと、新自由主義=構造改革がどのような関係があるのかは報じられていない。

まして、「新自由主義=構造改革」こそが諸悪の根源であることを認識している人は限られている。

たとえば労働法制の改悪により非正規社員が全社員に占める割合が約4割にも達しているが、こうした現象を国際競争力の強化を望む財界からの要望という観点から考察することはほとんどない。

当たり前の話であるが、日本に拠点を置く企業が、賃金の安い発展途上国を拠点とした多国籍企業と競争するためには、日本の労賃を抑制し、さらに切り下げていかなければならない。さもなければ国際競争には勝てない。

労働法制を改悪して、賃金が安い非正規社員を多量に増やす国策が打ち出された背景には、グローバリゼーションの中で、均一な労働市場を形成する「必要悪」があるのだ。働き方の選択肢を広げるという論理は、結果であって、本質的な部分ではない。

今回、経済同友会の提言では、労働市場の流動性を高めることを提言している。ここにも非正規社員を増やすことで、企業経営の合理化を進め、国際競争力を高めようという意図が読み取れる。

「社会全体が、転職に対するマイナスイメージを払しょくし、労働市場の流動性を高めるとともに、労働者一人ひとりにも、自身のスキルを磨くためにどの組織で何を身に付けるべきかを考え、職業人生を通じて自らの力でWinner になるという気概が求められる

企業という集団の中で労働を通して、お互いを成長させていこうという発想はまったくない。競争と金銭だけが、幸福を獲得する道具として描かれているのである。

◆多国籍企業の天国

しかし、国際競争力を強化するためには、労働法制の改悪だけでは十分ではない。税制が大きな鍵を握る。企業の負担を軽減するために、法人税を下げて、消費税を上げる措置が取られる。

事実、法人税を段階的に下げて、消費税を段階的にあげる政策は、橋本内閣の時代から断続的に続いている。

今回の経済同友会の提言は、さらなる法人税の引き下げを求めている。

「法人税率は引き下げが予定されているが、それでもシンガポールの17%、香港の16.5%等と比べ、大きな差異がある。また、所得税の最高税率の高さも、子弟の教育コストの高さ等と相俟って、高度人材外国人が日本で活躍するインセンティブや、多国籍企業がアジア統括拠点を東京に設置することを阻害している」

新自由主義=構造改革で国が繁栄するというのは幻想である。繁栄するのは多国籍企業だけだ。事実、多国籍企業は、アベノミックスにより空前の利益を上げている。そしてマスコミはそれを日本再生の兆しとして報じている。

が、ここからが肝心なのだが、多国籍企業の大半は海外生産・海外販売・海外貯蓄のビジネスモデルを構築しているので、いくら利益があげても、大半の国民はその恩恵にあずかれない。安倍内閣にとって、唯一の対策は、日本を「世界で一番ビジネスがしやすい国にする」ことである。

日本を投資のしやすい国、つまり労賃が安く、警察権力が強く、国際業務ができる弁護士が多い国にすることである。

こうした多国籍企業本位の国策が行き詰るのは時間の問題だろう。

■経済同友会の提言「日本の変革なくして対日投資の拡大なし-企業と政府の覚悟が鍵 」

2015年06月04日 (木曜日)

あたらしいタイプの携帯基地局問題が浮上、地権者がマイクロ派の人体影響に気づき「撤去したいが、賃貸契約が壁に」

携帯電話の基地局設置をめぐる問題に新しいタイプのものが浮上してきた。

電話会社に基地局の設置場所を貸す地権者が、基地局稼働後にマイクロ派による人体影響を知り、撤去を申し入れても、契約書に明記された賃貸期間が終了していないことを理由に、電話会社が応じない問題だ。

プラバシーに配慮して問題が起きている地域は明かさないが、ここ数日で、MEDIA KOKUSYOに対して2件の情報提供があった。

【ケース1】
電話会社と20年の賃貸契約を結んで、自宅から30メートルのところにある私有地に基地局を設置した。その結果、体調が悪くなり、電磁波過敏症を疑うようになった。奇形植物も発生した。

基地局を撤去したいが、20年の契約期間が壁になって対策がない。

【ケース2】
基地局を設置した後、近隣住民からマイクロ波による人体影響について聞かされた。撤去したいが、契約書が壁になっている。

◆電話会社はやりたい放題

これらの問題には共通点がある。電話会社が地権者と基地局設置の契約を結ぶ際に、マイクロ波による人体影響のリスクについて説明していないことである。この点に触れると、契約を締結できなくなる恐れが生じるからだ。

たとえ説明するとしても、総務省が定めた安全基準を順守して操業することを強調する。が、日本の場合、基準値そのものが、たとえばEUに比べて1万倍もゆるい。それゆえに、容易に「安全宣言」ができる。

したがって一旦、基地局を設置してしまうと、電話会社はやりたい放題のことができる。

しかも、総務省は基地局に関する情報をほとんど開示しない。現在はセキュリティー(テロ防止、緊急時の通信網確保)を理由に、おそらく基地局に関する情報を、特定秘密保護法の特定秘密に指定している。

無線通信網はもはや廃止が不可能なほど日本の隅々にまで張り巡らされている。それを支えているのが基地局である。

基地局の設置は、いまや迷惑行為の域を超えて、合法的な凶器になり始めている。自宅を手に入れた半年後、近隣に携帯基地局が設置されたら、その家族の夢や希望は消えてしまう。安心して暮らせなくなる。

2015年06月03日 (水曜日)

大阪府高槻市の住民グループがKDDIに公開討論を提案、携帯基地局の設置をめぐるトラブル

KDDIに対して携帯基地局の撤去を求めている大阪府高槻市の住民団体「携帯基地局設置に不安を持つ大和住民のグループ」が、KDDIに対して公開討論を求めていることが分かった。公開討論は、電磁波研究の第一人者・荻野晃也博士とKDDI側代表による直接討論という形を取る。

住民側の代表によると住民グループは、すでにKDDIに公開討論を申し入れており、現在、回答を待っている段階だという。

■(参考)住民グループが作成したチラシ

◆電磁波利用と巨大ビジネス

電磁波による人体影響は一部の専門家により古くから指摘されてきたが、それが深刻な社会問題として浮上してきたのは、1980年代に入ってからである。配電線の低周波電磁波と小児白血病に因果関係があることが、数々の疫学調査により明らかになったのだ。日本でも疫学調査が実施され、海外の調査と同じ傾向を示した。

1990年代になって携帯電話の普及に拍車がかかると、携帯電話の通信に利用するマイクロ波による人体影響が指摘されるようになった。特に問題になっているのは、マイクロ波の遺伝子毒性である。遺伝子を破損して、癌を発症させるリスクである。

エックス線やガンマ線(原発)などエネルギーが高い領域の電磁波に遺伝子毒性があることは、従来から科学の常識となっていたが、マイクロ波にも同じ作用があることが分かってきたのだ。

実際、WHOの外郭団体・国際癌研究機関は、2011年5月にマイクロ波に発癌性の可能性があることを認定した。電磁波はエネルギーの強弱にかかわらず、人体に影響を及ぼすと考えるのが、常識になりつつある。

しかし、電磁波利用がTI関連の巨大ビジネスと結びついている事情があるために、広告やCMを主要な収入源としているマスコミは、電磁波問題の報道には消極的だ。その一方で電磁波問題と「白装束集団」を結びつけて報じるネガティブ・キャンペーンを展開したこともある。

携帯電話の基地局問題の特徴は、基地局を設置されると、その周辺に住む人々が1日24時間、365日に渡って被曝することである。「受動喫煙」と同じ原理で、被害を広げる構図がある。

携帯電話、スマホ、無線PCを使うか否かは、個々人の選択にかかっているが、基地局の設置は、電話会社の都合で決められる。国は法的な規制をしていない。野党議員も、電磁波問題を取り上げるとスマホが日常生活の一部になっている有権者、特に若い人から嫌われるので、取り上げない。

21世紀の新世代公害は、水面下で被害を拡大している。

2015年06月02日 (火曜日)

新聞の長期低落傾向に歯止めかからず、2015年4月度のABC部数

2015年4月度のABC部数が明らかになった。それによると朝日新聞は対前年差が-64万3142部、読売新聞は、-37万5141部だった。長期低落傾向に歯止めはかかっていない。

2015年4月度のABC部数は次の通りである。(括弧)内は対前年差。

朝日新聞:6,798,193  (-643,142)

毎日新聞:3,301,791  (-53,267)

読売新聞:9,110,145  (-375,141)

日経新聞:2,739,709  (-32,916)

産経新聞:1,664,690  (-11,358)

地方紙とブロック紙の中で、大きく対前年差を減らしたのは、北海道新聞の2万3570部、新潟日報の1万2760部、中日新聞の8万63部、神戸新聞の2万3285部、山陽新聞の1万4281部、西日本新聞の1万9054部などである。

プラスに転じた社はほとんどない。

なお、ABC部数には、「押し紙」が含まれているので、「ABC部数=実配部数」ではない。新聞業界の閉鎖的な体質の下では、広告主も新聞の実配部数を把握しようがない。

「押し紙」とは、配達部数を超えて新聞社が販売店に搬入する新聞のことである。たとえば2000部しか配達先がないのに、3000部を搬入すれば、差異の1000部が「押し紙」である。この1000部についても、販売店は新聞の原価を支払わなければならない。

かくて「押し売り」→「押し紙」となる。

■2015年4月度のABC部数

2015年06月01日 (月曜日)

経団連が夏のボーナスの「大手企業業種別妥結状況」を公表、平均で2.42%上昇

経団連は、5月29日に、夏季の賞与・一時金の「大手企業業種別妥結状況(加重平均)」を発表した。それによると、平均で前年度に比較して2.42%の上昇となった。金額で示すと、昨年の891,420円から、913,106円になった。

業種別に見ると上昇率が高いのは、「造船」の5.97%、「紙・パルプ」の5.54%、「電機」の4.80%などである。逆に前年比でマイナスになったのは、「セメント」の-4.15%、「自動車」-0.19。

アベノミックスが多国籍企業化を進める大企業には、恩恵をもたらしていることが数字の上で確認できる。
■2015年夏季賞与・一時金 大手企業業種別妥結状況(加重平均)

 

2015年05月29日 (金曜日)

捏造報告書のインターネット流出事件、「捏造報告書により審査員が誘導されて小沢氏に対する起訴議決に至った」とする説は成り立つのか?

2012年5月に起きた検察の捜査報告書(小沢一郎氏に対する取り調べ内容を捏造して記録したもの)がインターネットを通じて流出した事件から、3年が過ぎた。だれが何の目的でこうした工作を行ったのか、現在の段階では、判明していないし、徹底した捜査も行われなかったようだが、この事件の真相解明は日本の司法制度の信頼にかかわる重要課題だ。

捜査報告書を外部へ持ち出した犯人がだれであれ、捏造報告書が公になったために、それを作成した検察は権威を失墜させられた。「検察=諸悪の根元」というイメージが広がった。持ち出し犯が、最初からそれを意図的に狙って、事件を起こした可能性もある。

実は、捏造報告書のインターネット流出事件が発生する直前、厳密に言えば4 月26日に東京地裁は、小沢一郎氏に対して、無罪の判決を下した。小沢氏は、約2年前の2010年9月に検察審査会の議決により、強制起訴された経緯があった。

検察審査会が小沢氏に対する起訴議決を決めた背景に、捏造報告書により審査員が誘導された事情があるとする説を拡散することが、インターネット流出犯の意図だったと想像できる。それに世論も誘導されたようだ。

その結果、小沢氏の無罪も信頼性があるものになった。

が、奇妙な言い方になるが、このような策略説の裏付けを得るためには、小沢検審が本当に開かれていたことが大前提になる。根本的な問い、そもそも小沢検審は、本当に開かれていたのだろうか?

◆小沢検審の架空説

実は、この点について徹底した調査をした人物がいる。旭化成の元役員で、『最高裁の罠』の著者・志岐武彦氏である。志岐氏は、小沢検審はそもそも「開かれていなかった」とする説を展開してきた。

志岐氏と「市民オンブズマンいばらき」の石川克子事務局長(当時)は共同で、50回を超える情報公開請求を行い、内部資料を精査した。その結果、小沢検審は開かれていなかったとの推論に達した。

推論をどう評価するかについても多面的に検討する必要があるが、検察審査会は公共機関であるから、裏付けがある推論が公開されたのであるから、本来であれば、厳密な内部調査をしなければならない。

ところが検察審査会の事務局は、今年の2月27日、取材に訪れた両氏を、強制的に事務所から排除している。それに先立つ2013年には、この問題で意見が対立していた森裕子議員が、志岐氏に対して、名誉毀損裁判を提起している。(既に森氏の敗訴が確定)。

◆新聞報道

さて、このインターネットを使った捏造報告書流出事件を新聞はどう報じたのだろうか。事件が起きた2012年5月の新聞報道を朝日、読売、毎日、産経を対象に検証してみた。
結論を先に言えば、各紙とも報道しているが、事件の重大さに鑑みると、産経を除いて小さな扱いにしている。申しわけ程度に書いているに過ぎない。

(もっとも、わたしが記事を見落とした可能性もあるので、以下の記述に誤りがあれば、その旨を連絡いただければ幸いだ。)

最も大きく扱ったのは、産経である。5月5日の一面でトップ記事を掲載したほか、「犯人捜し困難」とする関連記事を社会面に掲載した。

同じ5月5日に、読売新聞も短い記事を掲載している。タイトルは、「陸山会事件 虚偽報告書などネット流出」。

読売による報道について、わたしが取材した関係者の1人は、その後も読売は報道を続けたと話している。これが事実かどうかも、現在、確認中だ。

朝日は、5月9日になって「虚偽捜査報告書 ネット上に公開」と題する1段扱いの記事を掲載している。

毎日については、(わたしの見落としの可能性もあるが)5月18日まで、流出事件に関する記事を掲載していない。18日になってようやく、小川法務大臣が「調査の結果、検察庁から流出したものではなかった」と明かしたことを、小さく報じている。

ちなみに捜査報告書を外部に持ち出した者が、検察内部の人物であれば、国家公務員法に抵触する。また、小沢氏の弁護団であれば、刑事訴訟法に抵触する。あるいは窃盗の可能性もある。

いずれにしてもだれが捏造された捜査報告書を外部へ持ち出し、だれがインターネットで公開したのかは、全容が解明されなければならない。

検察が種々の問題を内包していることは否定しないが、それをもって、検察がみずから捏造した捜査報告書を外部に持ち出したとは限らない。国家公務員法違反を承知のうえで、捜査の実態を内部告発する人物がいるとは思えない。いないと考える方がむしろ自然だ。

2015年05月28日 (木曜日)

「志岐武彦VS八木啓代」裁判の口頭弁論、7月8日に尋問の予定、注目されるツイッターの表現に対する司法判断

旭化成の元役員で『最高裁の罠』(K&Kプレス)の著者・志岐武彦氏が、多量のツイッター発信により名誉を毀損されたとして、歌手で作家の八木啓代氏に対して200万円の損害賠償を求めた事件の口頭弁論が、5月27日、東京地裁で開かれた。

この日は、志岐氏と八木氏の双方の書面を確認した後、本人尋問の日程を決めた。本人尋問は7月8日の13:30分から東京地裁の634法廷で行われる。

原告も被告も代理人弁護士が不在の本人訴訟なので、裁判長から両者に対して質問が行われる。反対尋問は、原告と被告がそれぞれ直接に相手方に対して行うかたちを取る。反対尋問の持ち時間は、それぞれ30分。

ツイッターの表現を裁判所がどう判断するかが注目される。

この裁判の大きな背景には、小沢一郎検審の架空説などをめぐる論争がある。

2015年05月27日 (水曜日)

大阪府高槻市でも基地局設置をめぐる対立、「携帯基地局設置に不安を持つ大和住民のグループ」がKDDIに撤去を求める

携帯電話の基地局設置をめぐる電話会社と住民とのトラブルが多発している。

世田谷区奥沢のケースはSFNで既報したが、大阪府高槻市でも類似したトラブルが起きていることが分かった。発端は、2014年6月にKDDIと協和エクシスが、高槻市大和で「KDDI携帯電話用無線設備設置のお知らせ」と題するチラシを配布し、その後、基地局を設置したことである。

幸いに、現在のところ稼働はされていない。

住民たちは、「携帯基地局設置に不安を持つ大和住民のグループ」を結成。KDDI側に対して、基地局の撤去を求め続けている。(詳細は後日)

KDDIと住民の間で過去に起きた携帯基地局設置をめぐるトラブルとしては、宮崎県延岡市のケースが有名だ。2006年に、KDDIが同市大貫5丁目にある3階建てアパートの屋上に基地局を設置したところ、周辺住民の間で「耳鳴り」や「頭鳴り」などの症状が広がった。さらに鼻血などの症状をもよおす住民も現れた。

健康被害はその後も広がり、2009年の末に大貫5丁目の住民30人がKDDIに対して基地局の操業停止を求める集団訴訟を起こした。弁護団は九州で水俣病などの公害事件に取り組んできた26名の辣腕弁護士で結成されたが、地裁、高裁では訴えが棄却された。現在、この裁判は最高裁に属している。

◆将来莫大な賠償金?

電磁波が人体に及ぼす影響は、かつてはマイクロ波などエネルギーが低い領域のものは比較的安全で、エックス線やガンマ線などエネルギーが高い領域のものは危険と考えられていたが、現在は、すべての電磁波が人体に影響を及ぼすという考えが主流になり始めている。

このために欧米では、たとえ国が緩やかな電波の規制値を設置していても、
コミュニティーが独自に低い提言値などを設けているケースがある。

たとえば、EUの数値は、0.1μW/m2(屋内は0.01μW/m2)である。オーストリアのザルツブルグ市は、0.0001μW/m2。

これに対して日本の総務省が設置している基準値は、1000μW/m2である。ザルツブルグ市に比べて10万倍も緩い規制値になっている。

当然、マイクロ波による健康被害が広がった場合、将来、国と電話会社が、莫大な賠償金を請求されるリスクがある。

ちなみにWHOの外郭団体である国際癌研究機関は、2011年にマイクロ波に発ガン性がある可能性を認定している。

2015年05月26日 (火曜日)

ニカラグアに今も生き続ける民族自決主義、サンディーノ生誕120年

5月18日は、ニカラグアの民族主義者アウグスト・セサル・サンディーノ(Augusto César Sandino )の生誕120年である。現在のニカラグアの政権党であるサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の名がサンディーノに由来していることは言うまでもない。

スペイン語で「ニスタ、nista」とは、「~主義者」の意味である。つまりサンディニスタとは、サンディーノ主義者という意味である。

米国の海兵隊がニカラグアを占領した1927年、サンディーノは少数精鋭の部隊を結成。地の利を生かした執拗なゲリラ戦を展開し、1933年に海兵隊を完全に撤退させた。以来、ラテンアメリカで米国に対するレジスタンスの象徴的な存在になった。

しかし、翌年、サンディーノは、アナスタシオ・ソモサ・ガルシア将軍に招かれたパーティーからの帰路、待ち伏せしていた軍に拘束されて、即座に殺害された。遺体はあらかじめ掘ってあった穴に埋められた。

その後、ソモサ将軍は軍事クーデターを起こして政権を掌握。以後、1979年にマイアミに逃げるまで、親子3代に渡る「ソモサ王朝」が続いた。ニカラグアの政治も軍も産業も支配していたのである。が、最後は亡命先のパラグアイで何者かに暗殺された。

サンディーノ主義とは、端的に言えば民族自決主義である。それゆえに1979年の革命は、民族自決主義という共通の目的で、極めて広範な人々が共同戦線を張った。革命後の政権には、4人のキリスト教関係者も入閣した。

FSLNは、革命後に米国が仕掛けた内戦がもたらした経済破綻などが原因で、1990年に政権の座を失った。自ら構築した議会制民主主義のルールにより、野に下ったのである。しかし、2006年の大統領選挙で再び政権の座に返り咲いた。

現在のダニエル・オルテガ大統領は、FSLNの革命前からの戦士で革命後の初代大統領でもある。

2015年05月25日 (月曜日)

古くて新しい社会問題-「押し紙」、メディアコントロールの道具に、過去に共産、公明、社会が15回の国会質問

一般的にはほとんど知られていないが、「押し紙」など新聞販売の諸問題が国会で大問題になった時期がある。1980年から1985年の6年間である。この時期に共産党、公明党、社会党が超党派で総計16回に渡って「押し紙」問題などを追及している。

国会図書館には、その時の議事録が残っている。現在は、2015年5月であるから、国会における新聞販売問題の追及が終わって、今年で30年の節目になる。最後の質問は、公明党の木内良明議員によるものだった。1985年4月20日のことである。しかし、「押し紙」問題は、現在も解決していない。

ようやく一部の新聞社が、「押し紙」整理に動きはじめた段階である。

読売の宮本友丘副社長のように、読売は「押し紙」をしたことは一度もないと、法廷で公言した新聞人もいるが、大半の新聞社は、「押し紙」問題をかかえている。販売店によっては、搬入する新聞の50%が「押し紙」になっている例もある。

◆安倍首相と「押し紙」

全販労(販売労働者の労組)の元事務局長・沢田治氏が著した『新聞幻想論』によると、15回の国会質問の日時と内容は次の通りである。

■国会質問一覧

国会質問の内容は、「押し紙」をはじめ、景品を使った新聞拡販、新聞奨学生の酷使、補助金など現在も解決していていない問題で占められていた。沢田治氏によると、新聞はこれらの国会質問を一行も報じなかったという。唯一、国会質問を取り上げたマスコミは、『潮』だった。新井直之・創価大学教授が同誌の連載の中で言及したのである。

新井氏は次のように書いている。

新聞販売の過当競争や、販売店従業員のタコ部屋的状況は周知の事実で、各社は、公取委の批判や全販労の告発に、十分に、誠意をもって答え、対応すべきであろう。新聞が、自ら内部にかかえている矛盾や後進性を克服ぜずして、真の国民のための新聞ということは、決してできない

1985年に国会での新聞販売問題の追及が終わった後、例外的に共産党が数回(山下芳生、吉井英勝)新聞販売問題を取り上げたことがあるが、現在は、議員の間で、この問題に対する意識は希薄になっている。

ただし安倍晋三議員など自民党議員が国会質問の中で、「押し紙」に言及したことはある。おそらく新聞社に対する「牽制球」だろう。その気になれば、いつでも新聞社経営にメスを入れることが出来ることを再認識させたようだ。「押し紙」はメディアコントロールの重要な道具になっている。

古くて新しい社会問題はいまも放置されたままになっている。

2015年05月22日 (金曜日)

メディア黒書に相次ぐ内部告発②-「押し紙」など水面下に隠されてきた新聞販売問題、「箝口令が出ているので、本当は言えないが・・」

(21日付け記事の続き)
新聞関係者からの内部告発-「先日、販売店主が自殺に追い込まれた」という内容-を受けて、わたしは事実関係を確認するために、自殺者を出したとされる東京都内の新聞販売店に電話してみた。

最初に電話に出たのは、従業員と思われる女性だった。以下、録音の反訳である。

「まいどありがとうございます。○○新聞○○(店)、吉田(仮名)です。」

「森本(仮名)所長いらっしゃるでしょうか?」

「失礼ですが、どちらさまでしょう」

「黒薮と申します」

「はい?」

「黒薮と申します」

「黒薮様ですか?・・・ええっと、いまおりませんが」

「亡くなったということを聞いて、電話させていただいたのですが」(沈黙)

「ご用件は?」

「亡くなったと聞いたので、本当なのかと思いまして」

「ええ・・ちょっとお待ちください」(電話のオルゴール)

しばらくして受話器から別の女性の声が聞こえてきた。

「はい、お電話かわりました。森本ですが」

奥さんの可能性が高い。

「新聞関係の取材をしております黒薮というものです」

「取材?」

「はい・・」

「それで」

「わたしの所へ連絡がありまして・・」

「はい」

「所長が亡くなったということを聞いたもので・・」

「うん、はいはい」

「『箝口令が出ているので、本当は言えないが・・』」

「うん」

「『ずいぶんとひどい扱いを受けていたので、記事にしてほしい』と・・」

「いえ、そんなことはないですよ」

「ああ、そうですか」

「失礼します」

電話は一方的に切れた。

◆人命問題がからんだ内部告発の扱い

電話取材で確実に分かったのは、所長が死亡したということである。しかし、販売店サイドはそれについて詳細を語らなかった。(21日付け記事で言及した)群馬県の販売店主の自殺事件における対応と類似していた。新聞社は異なるが、同じような対応だった。

新聞業界に見られる情報を外部にもらさない体質は、昔から一貫している。それが「押し紙」問題を長いあいだ内部に閉じこめた要因でもあった。

人命の問題がからんだ一連の内部告発は、本来であれば、新聞社の社会部の仕事にほかならない。が、新聞社は自分の足下にある大問題は、絶対に取材しない。

「押し紙」や折込広告の水増し、それに店主の自殺・いじめといった問題を、ブラック企業という大きな視点から認識して、もれなくメスを入れようという姿勢があれば、一般企業の不祥事は暴くが、新聞販売の問題には踏み込まないという中途半端な態度は、記者としてのプライドが許さないはずだが、実際は一貫したジャーナリズムの理念よりも、自分たちの書く記事が、自社(新聞社)に不利益を及ぼさないか否かを計算しながら、新聞制作の方向性を決めているようだ。

2015年05月21日 (木曜日)

メディア黒書に相次ぐ内部告発-販売店主の自殺、背景に深刻な「押し紙」問題の可能性も

 新聞販売の関係者からと思われる内部告発があった。内部告発の内容を紹介しよう。問題が深刻化する前に警鐘を鳴らすのが、ジャーナリズムの役割であるからだ。ただし、完全な裏付けが取れない現段階では匿名報道にする。

5月19日の夜、わたしの自宅に1本の電話があった。東京都内で新聞販売店を営む男性 が自殺したというのだ。告発者は、店名も店主の名前も明らかにした。自殺の原因については、経営難ではないかとの推論を述べた。

「やはり『押し紙』ですか?」

「相当、あったようですよ」

実は、販売店主の自殺に関する情報は、昨年の秋にも入手していた。群馬県の販売店主である。しかし、犠牲者の親族から、裏付を取ることはできなかった。親族外の何人かの関係者に接触したが、やはり話してもらえなかった。

そして、新聞社の系統こそ異なるが、今度は東京都内で販売店主の自殺と推定される事件が起きたのだ。

「だれか詳しい話をしてくれる人はいませんか?」

「箝口令(かんこうれい)が出ていますからね」

言論の自由を最大限に尊重しなければならない新聞社が箝口令を発令することに、わたしは異常なものを感じた。

◆水面下で広がる「押し紙」問題

わたしは1997年から新聞社の「押し紙」問題を取材しているが、初めてこの問題を単行本『新聞ジャーナリズムの正義を問う』で告発したころ、無言電話や脅迫状めいたFAXをたびたび受けた。その後、こうした「抵抗」がムダだと自覚したのか、新聞関係者からの嫌がらせはぴたりと止まった。

続いて予期せぬリアクションが起きた。取材拒否だった。新聞販売店主たちが一切の取材に応じてくれなくなったのだ。このころからすでに一部の新聞社は、「言論統制」に踏み切っていたのかも知れない。業界内部から情報を得ることが極めて難しくなったのだ。

が、2007年の12月に画期的な出来事が起こる。読売新聞社とYC広川(読売新聞・広川店、福岡県)の間で争われていた地位保全裁判で、販売店側を勝訴させた判決が最高裁で確定したのだ。しかも、判決の中で読売による「押し紙」が認定されたのだ。新聞業界全体に大きな影響を及ぼした「真村裁判」の衝撃である。

 ■真村裁判・福岡高裁判決の全文

真村裁判の判例ができたことで、わたしは「押し紙」問題にメスが入ると思った。新聞業界が変化すると思った。しかし、そうはならなかった。

真村店主は、廃業に追い込まれる。結果、再び裁判に巻き込まれた。わたしは読売から、3件の裁判を起こされた。

しかも、これら一連の裁判の読売側代理人を自由人権協会の代表理事・喜田村洋一弁護士が担当するという構図になった。人権擁護団体や新聞社の「正義」が何であるのか、わけが分からなくなったのである。

「押し紙」問題も、完全に押さえ込まれた感があった。こうした中で、朝日バッシングの問題も起こった。

そして、昨年あたりから、再び内部告発するが販売関係者が増えてきた。大量の「押し紙」があるというのだ。

すでに述べたように昨年、店主の自殺情報を得た。さらに3日前にも別の自殺事件の情報が入ってきたのである。

わたしは犠牲者を出したとされる東京都内の販売店に直接電話してみた。(続)

2015年05月20日 (水曜日)

露骨に道州制の導入を主張、橋下大阪市長が共同代表を務める「道州制推進知事・指定都市市長連合」、メンバーに松井大阪府知事や川村名古屋市長らも

大阪都構想の行き着く先である道州制の構図は、橋下大阪市長が、村井宮城県知事と共同代表を務める「道州制推進知事・指定都市市長連合」の主張に色濃く反映している。

結論を先に言えば、同連合の主張は、「小さな中央政府」を構築するために、地方にできることは、国ではなく地方が行なうべきだというものである。具体的には、福祉・医療・教育などである。

そして、地方には出来ないものについては、国が担うことになる。

「道州制推進知事・指定都市市長連合」が2102年7月に発表した「地域主権型道州制の基本的な制度設計と実現に向けた工程」と題する文書によると、同連合が想定している国の分担領域は次の通りである。

○国の事務は、①国家の存立に関わる事務、②国家戦略の策定、③国家的基盤の維持・整備、④全国的に統一すべき基準の制定に限定する。

○内政分野における国全体の基本戦略・計画や統一的な政策の方針・基準は必要最低限のものとする。

○国が制度の基本計画・基準等を定める場合でも、その実施主体は、民間で実施するものを除き、原則として基礎自治体又は道州とする。その際、基礎自治体及び道州に弾力的な運用を可能とする権限を付与する。

■「地域主権型道州制の基本的な制度設計と実現に向けた工程」の全文

◆憲法改正も視野に

繰り返しになるが医療・福祉・教育などは、地方の分担となる。そうなると財源不足を理由に、地方自治体がこれらのサービスを切り捨てることになりかねない。地方の財政状況は相対的に悪化を続けている。憲法の精神に基づいて、国が国民の生存権や尊厳を守る体制はなくなってしまう。

事実、同文書は、彼らが目指すものが憲法に抵触する事態を避けるために、「道州制の理念を実現するため、必要と認められる事項については、憲法改正を視野に入れた制度設計等の検討を排除するものではない」とまで述べている。

医療・福祉・教育を新市場として企業に提供することをベースとする新自由主義「改革」のもとで、道州制の理論が浮上している事実は、重大視しなければならない。公共サービスを切り捨てて、それを市場として企業に提供する可能性が極めて強い。それが現在の安倍政権の方針でもある。

しかし、新自由主義者は、何が目的でこうした極端な企業優遇策を提案するのだろうか。改めて言うまでもなく、それは企業の国際競争力を高めるためである。大企業が国際競争力をつけて利益をあげれば、それが国民に還元されるとする単純な考えである。

が、この考えは誤っている。現在の多国籍企業は、現地生産・現地販売・現地サービスの類型が主流となっており、収益は海外のタックスヘイブンなどに蓄積される。日本国民がその恩恵を受けることはない。

それどころか国境なき企業競争の下で、日本国内においても海外とのハーモニーゼーションの必要性に迫られ、労働法制の改悪により、賃金レベルが下がっているのである。

幸いに道州制の布石である大阪都構想は失敗した。橋下市長は、政界からの引退を決めた。新自由主義=構造改革は支持されなかったのだ。

シャッター が下りた商店街を日本の津々浦々に広げたのは、新自由主義=構造改革の政治である。政治家や評論家が「改革」を強調するとき、われわれは誰のための「改革」なのか、その中身を吟味しなければならない。

ちなみに「道州制推進知事・指定都市市長連合」には、松井一郎大阪府知事や名古屋市長の川村たかし氏も名を連ねている。地方政党が新自由主義=構造改革の受け皿として登場した背景がかいまみえる。