1. 捏造報告書のインターネット流出事件、「捏造報告書により審査員が誘導されて小沢氏に対する起訴議決に至った」とする説は成り立つのか?

「森裕子VS志岐武彦」の裁判に関連する記事

2015年05月29日 (金曜日)

捏造報告書のインターネット流出事件、「捏造報告書により審査員が誘導されて小沢氏に対する起訴議決に至った」とする説は成り立つのか?

2012年5月に起きた検察の捜査報告書(小沢一郎氏に対する取り調べ内容を捏造して記録したもの)がインターネットを通じて流出した事件から、3年が過ぎた。だれが何の目的でこうした工作を行ったのか、現在の段階では、判明していないし、徹底した捜査も行われなかったようだが、この事件の真相解明は日本の司法制度の信頼にかかわる重要課題だ。

捜査報告書を外部へ持ち出した犯人がだれであれ、捏造報告書が公になったために、それを作成した検察は権威を失墜させられた。「検察=諸悪の根元」というイメージが広がった。持ち出し犯が、最初からそれを意図的に狙って、事件を起こした可能性もある。

実は、捏造報告書のインターネット流出事件が発生する直前、厳密に言えば4 月26日に東京地裁は、小沢一郎氏に対して、無罪の判決を下した。小沢氏は、約2年前の2010年9月に検察審査会の議決により、強制起訴された経緯があった。

検察審査会が小沢氏に対する起訴議決を決めた背景に、捏造報告書により審査員が誘導された事情があるとする説を拡散することが、インターネット流出犯の意図だったと想像できる。それに世論も誘導されたようだ。

その結果、小沢氏の無罪も信頼性があるものになった。

が、奇妙な言い方になるが、このような策略説の裏付けを得るためには、小沢検審が本当に開かれていたことが大前提になる。根本的な問い、そもそも小沢検審は、本当に開かれていたのだろうか?

◆小沢検審の架空説

実は、この点について徹底した調査をした人物がいる。旭化成の元役員で、『最高裁の罠』の著者・志岐武彦氏である。志岐氏は、小沢検審はそもそも「開かれていなかった」とする説を展開してきた。

志岐氏と「市民オンブズマンいばらき」の石川克子事務局長(当時)は共同で、50回を超える情報公開請求を行い、内部資料を精査した。その結果、小沢検審は開かれていなかったとの推論に達した。

推論をどう評価するかについても多面的に検討する必要があるが、検察審査会は公共機関であるから、裏付けがある推論が公開されたのであるから、本来であれば、厳密な内部調査をしなければならない。

ところが検察審査会の事務局は、今年の2月27日、取材に訪れた両氏を、強制的に事務所から排除している。それに先立つ2013年には、この問題で意見が対立していた森裕子議員が、志岐氏に対して、名誉毀損裁判を提起している。(既に森氏の敗訴が確定)。

◆新聞報道

さて、このインターネットを使った捏造報告書流出事件を新聞はどう報じたのだろうか。事件が起きた2012年5月の新聞報道を朝日、読売、毎日、産経を対象に検証してみた。
結論を先に言えば、各紙とも報道しているが、事件の重大さに鑑みると、産経を除いて小さな扱いにしている。申しわけ程度に書いているに過ぎない。

(もっとも、わたしが記事を見落とした可能性もあるので、以下の記述に誤りがあれば、その旨を連絡いただければ幸いだ。)

最も大きく扱ったのは、産経である。5月5日の一面でトップ記事を掲載したほか、「犯人捜し困難」とする関連記事を社会面に掲載した。

同じ5月5日に、読売新聞も短い記事を掲載している。タイトルは、「陸山会事件 虚偽報告書などネット流出」。

読売による報道について、わたしが取材した関係者の1人は、その後も読売は報道を続けたと話している。これが事実かどうかも、現在、確認中だ。

朝日は、5月9日になって「虚偽捜査報告書 ネット上に公開」と題する1段扱いの記事を掲載している。

毎日については、(わたしの見落としの可能性もあるが)5月18日まで、流出事件に関する記事を掲載していない。18日になってようやく、小川法務大臣が「調査の結果、検察庁から流出したものではなかった」と明かしたことを、小さく報じている。

ちなみに捜査報告書を外部に持ち出した者が、検察内部の人物であれば、国家公務員法に抵触する。また、小沢氏の弁護団であれば、刑事訴訟法に抵触する。あるいは窃盗の可能性もある。

いずれにしてもだれが捏造された捜査報告書を外部へ持ち出し、だれがインターネットで公開したのかは、全容が解明されなければならない。

検察が種々の問題を内包していることは否定しないが、それをもって、検察がみずから捏造した捜査報告書を外部に持ち出したとは限らない。国家公務員法違反を承知のうえで、捜査の実態を内部告発する人物がいるとは思えない。いないと考える方がむしろ自然だ。