1. 書評・出版物の紹介

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2017年05月23日 (火曜日)

新刊『新聞の凋落と「押し紙」』、新聞ジャーナリズムが無力な背景に、新聞社のビジネスモデルの決定的な失敗が

今週末から来週にかけて筆者(黒薮) の新刊『新聞の凋落と「押し紙」』(花伝社)が全国の書店へ配本される。アマゾンではすでに受け付けが始まっている。

この本では、5つの重要なテーマを扱っている。

①新聞衰退の実態

②広告代理店の負の役割
 
③「押し紙」問題

④新聞に対する消費税の軽減税率の問題

⑤新聞業界の政界工作

新聞ジャーナリズムが機能しない原因は何かという問題はずいぶん昔から議論されてきた。その大半は、記者個人の責任を問う的はずれなものだった。

「記者としての気概を持てば新聞はよくなる」とか、「勉強不足だ」と言った主観点な批判が目立った。このような批判は、実は1960年代からあった。半世紀にわたり同じ批判と説教が延々と繰り返されてきたのである。しかし、それは誤りだ。

本書では、新聞ジャーナリズムが機能しない原因を、新聞社のビジネスモデルの中に潜む客観的な弱点に求めた。唯物論を基礎にした新聞論である。以下、冒頭の部分を紹介しよう。

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2016年07月24日 (日曜日)

書評『世界終末戦争』(バリガス=リョサ著)、ラテンアメリカで内戦が止まなかった理由

  ラテンアメリカ文学といえば、日本ではコロンビアのノーベル賞作家、『百年の孤独』(新潮社)の著者、ガルシア=マルケスが最もよく知られてるが、海外では『世界終末戦争』(新潮社)の著者、バリガス=リョサも同様に高い評価を受けている。

この作品を通じて、「権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた」としてバリガス=リョサも、2010年にノーベル文学賞を受賞している。ラテンアメリカで6人目の受賞者である。

前世紀までのラテンアメリカの政治を象徴するキーワードといえば、「軍事政権」である。ラテンアメリカは、軍隊を持たない中米・コスタリカのような例外はあるとはいえ、軍部が強い政治力をもつ地域だった。

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2016年07月05日 (火曜日)

原発推進の裏に電通と博報堂、メディアの裏面史『原発プロパガンダ』(岩波新書・本間龍著)

広告代理店の仕事といえば、とかくメーカーが生産する商品のPRというイメージがある。しかし、意外に知られていないもうひとつの一面がある。それは「プロパガンダ」の推進である。

「プロパガンダ」とは端的に言えば、政治的な意図により行われる世論誘導である。たとえばアベノミックスのプロパガンダ。たとえば自衛隊のプロパガンダ。それは忍び寄る影のように巧みに浸透するので、メディアリテラシーの知識がない人びとの意識をいとも簡単に変えてしまう。

本書は、そのタイトルが示すように原発をめぐるプロパガンダがどのように進行してきたかを克明に記録している。大手広告代理店の裏面史である。

念を押すまでもなく、原発プロパガンダの両翼を担ってきたのが電通と博報堂である。

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2016年03月30日 (水曜日)

『財界にいがた』が生田暉雄弁護士の講演録を掲載、判決直前に裁判官の交代劇が起こる理由

新潟県の経済誌『財界にいがた』(4月号)が、2月28日に東京で行われたシンポジウム「裁判所は本当に駆け込み寺?」で生田暉雄弁護士(元大阪高裁判事)が行った講演の記録を中心に、参加者の発言を紹介している。タイトルは、「国政を推進する最高裁」。

生田氏は、日本の裁判の実態をせきららに語っている。日本の裁判では、判決の直前になって突然に裁判官の交代劇が起こることがよくあるのだが、その背景には、国政の方向性に逆行する判決を下した場合、裁判官みずからの昇級に影響する事情があるらしい。生田弁護士が言う。

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2016年03月01日 (火曜日)

『ZAITEN』が新聞に対する軽減税率問題を特集、「押し紙」問題に切り込む

 本日発売の『ZAITEN』(財界展望社)が「新聞『軽減税率適用』の断末魔」と題する特集を組んでいる。わたし(黒薮)も寄稿している。記事のタイトルは、「新聞業界『軽減税率』要求の陰に“押し紙”経営の恥部」。

読者は購読者がいない「押し紙」にも消費税が課せられるメカニズムをご存じだろうか。それにより新聞社がどのような負担を受けるのかを具体的な資料に基づいて分析した内容だ。

新聞ジャーナリズムの衰退が指摘されて久しいが、その根本的な原因は新聞社経営の汚点にある。もっと的確に指摘するならば、「押し紙」を柱に据えた新聞社のビジネスモデルにある。記者の職能が低下したからジャーナリズムが衰退したというような一般論は枝葉末節に過ぎない。

「押し紙」問題を解決しない限り、新聞ジャーナリズムの再生は絶対にありえない。しかし、日本の新聞人はいまだにこの大問題を直視しようとはしない。戦後、戦争犯罪・戦争協力の検証をごまかした先輩らの生きかたをそのまま継承している。

同じ特集で、他に河内孝氏、古川琢也氏らが寄稿している。

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2016年01月25日 (月曜日)

小選挙区制の矛盾を客観的に分析、自民党は2012年衆院選で得票数を減らしながら議席だけは175議席増、『安倍政権と日本政治の新段階』(大月書店)

この夏の国政選挙で自民党が大勝するのではないかという予想が広がっている。たとえば、メディア黒書でも既報したように、三重大学の児玉克哉・副学長は、Yahooニュースで自民党が単独過半数を占め、これに公明党とおおさか維新を合わせると、改憲が可能になる3分の2を確保するだろうと予測している。

■(参考記事)世論誘導の危険、三重大学・児玉克哉副学長による裏付けがない参院選議席獲得の予想

他にも類似した予測を掲載しているメディアは少なくない。つまり大半のメディアが自民党の大勝を想定しているわけだが、これらに共通しているのは裏付けの欠落である。何を根拠に自民党の勝利を予測しているのかがよく分からない。

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2015年12月15日 (火曜日)

『怒りの葡萄』の新訳、日本から名訳が消えていく

最近、世界文学の新訳が相次いで刊行されている。しかし、新しい訳がかならずしも旧訳よりも優れているとは限らない。少なくともわたしが見る限り、訳文の質がかつてよりもはるかに落ちているケースが増えている。

コレットの『青い麦』における詩人・堀口大学訳(新潮文庫)と他の翻訳書を比較すると、前者がプロで、後者は小学生ぐらいのレベルしかない。両者の読み比べは、日本語の表現力とはなにかを知るうえで最も効率的な手段にほかならない。

この問題に関しては、以前、メディア黒書でも、モームの『月と六ペンス』(新潮文庫)の中野好夫訳の「後継者」を例に、この珍事で残念な現象を紹介したことがある。

今回取り上げるのは、『怒りの葡萄』(新潮文庫)である。正直なところ新訳は文章の質が悪くて読む気がしなかった。

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2015年09月21日 (月曜日)

『小説 新聞社販売局』が描いた「押し紙」や「裏金づくり」の実態、元新聞記者が販売局の実態を内部告発

新聞社を舞台にした小説は特にめずらしくはないが、新聞社の販売局を舞台として、しかも詐欺まがいの新聞拡販や「押し紙」、それに補助金を捻出するための裏金づくりなどの実態をあからさまに描いた小説が、単行本として世に出たのは初めてではないか。

著者は元新聞記者である。

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2015年03月26日 (木曜日)

『構造改革政治の時代』(花伝社、渡辺治著)、日本はどこへ向かうのか、構造改革=新自由主義の導入と軍事大国化

 日本という「国のかたち」が激変し始めたのは、構造改革=新自由主義の導入がスタートした1990年代に入ってからである。小沢一郎氏らが自民党を飛び出して、2大政党制を打ち立て、2つの保守政党が競合するかたちで、構造改革=新自由主義を導入していった。

『構造改革政治の時代』(花伝社、渡辺治著)は、「国のかたち」を決定的に変えた小泉構造改革の細部を検証した労作である。著者の渡辺治・一橋大学名誉教授は、構造改革=新自由主義の導入と、軍事大国化を、1990年代から後の中心的な国策として捉えている。

初版は2005年12月であるから、発刊から10年が過ぎた。本書は現在の「悪夢」に至る前史にほかならない。

構造改革=新自由主義の導入に伴い、小泉氏は司法のかたちも、教育のかたちも変えていった。ハーモニーゼーションである。その背景にグローバル化に伴う財界の要請がある。

改めて言うまでもなく小泉首相の後継者として、構造改革=新自由主義の路線をさらに急進的に進めているのが、安倍首相である。そのためか、本書は構造改革=新自由主義がたどってきた歴史の一部としても読める。

『構造改革政治の時代』の続編とも言えるのが、『安倍政権と日本の危機』(大月書店、渡辺治・岡田知弘・後藤道夫・二宮厚美著)である。本書で興味深いのは、安倍政権の位置づけである。

安倍政権は、一見すると極右的な復古主義の思想のもとで、戦前型の軍事大国化を狙っているような印象があるが、基本的には米国や財界の要請に応じて、米軍との共同作戦が可能な派兵のかたちを目指している。

政治家個人の思想と政策はかならずしも一致しないとする見解も的を得ている。政治を動かしているのは、むしろ財界であり、米国である。政治家個人の思想を超えて政治の力学が働いているのだ。

マスコミ報道に接しても、日本がどのように「国のかたち」を変えようとしているのかは見えない。そんなもどかしさを感じている層に推薦したい2冊だ。

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2015年01月21日 (水曜日)

『〈大国〉への執念 安倍政権と日本の危機』、史的唯物論に基づいた安倍政権論

政治家や政策をどう評価するのかという問題を考えるとき、個々人の歴史観が決定的な影響を及ぼすことは論をまたない。政治家個人の資質により、あるいは偶然の運命により、世界は変革されると考える人(英雄史観)は、NHKが得意とする「その時歴史は動いた」のような番組を制作することになる。

「安倍首相を退陣させれば、日本は変わる」と考えるのは誤った解釈である。

一ツ橋大学名誉教授・渡辺治氏による一連の政治評論は、英雄史観とは対極の歴史観(史的唯物論)に基づいて現代の政治を客観的に分析している。

『〈大国〉への執念 安倍政権と日本の危機』(大月書店、渡辺治・岡田知弘・後藤道夫・二宮厚美)の中にある「安倍晋三個人と安倍政権-歴史における個人の役割」と題する章には、渡辺氏の歴史観が色濃く反映している。

安倍政権が、戦後政治を転換させる大国化を掲げたことに関して、マスメディアの安倍報道にも大きな特徴が現れている。メディアは、とくに安倍政権に批判的な姿勢や意見の持ち主であればあるほど、安倍政権の政治を安倍晋三個人の復古的、タカ派的体質に求める傾向が極めて強いということだ。たとえば、『朝日新聞』をはじめとした紙面の安倍評価では、安倍さえ引きづり下ろせば安倍的政治は止まると考えているふしが濃厚にみられるのだ。

たしかに、安倍政権における安倍晋三個人の果たす役割はきわめて大きい。決定的ともいえる。しかし、安倍政権の政治を安倍の思いつきに起因するととらえることは、その背景にあるアメリカやグローバル企業の要請を決定的に過小評価することになる。安倍がいなくなったところで、それに代わる政治をめざす対抗構想との担い手が力をもたなければ、政策実行のスピードを落とすことはできても、第二、第三の安倍が出てくるにすぎない点を見ていない。

政策決定の背景に安倍首相個人の意思よりも、財界が望む方向性を中心に据えた政策があるという見方である。つまり1990年代の初頭から始まった新自由主義と軍事大国化の流れが、安倍政権の政策を決定しており、安倍首相個人の極右的な言動は本流ではないとする見方である。

 

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2014年04月09日 (水曜日)

マッカーサーと最高裁長官の談合で決めた砂川事件・最高裁判決 瀬木比呂志著『絶望の裁判所』?

最高裁事務総局に在職した体験をもつ瀬木比呂志氏の著書、『絶望の裁判所』(講談社現代新書)は、最高裁の実態を冷静な筆づかいて内部告発している。

裁判の原告、あるいは被告になったことがある人であれば、権力を持つものにより親和的な判決を下す傾向がある裁判所の実態を肌で感じたことがあるのではないだろうか。「公正」とか、「正義」といった言葉とは程遠い。

しかし、不公平感の具体像はなにか?『絶望の裁判所』の中で瀬木氏は、判決の内容が方向づけられる不正なプロセスを暴露している。最高裁が民主主義の理念に著しく反し、この国のあり方を国策に照合しながら、「談合」や「密談」で決めてきた恐るべき実態を批判している。

具体例を3件、紹介しよう。まず、最初は次の記述である。

 その後、(私は)東京地裁の保全部というセクションに1年間所属した。  ここでも一つおかしなことがあった。国が債権者(申立人)となる仮の地位を定める仮処分命令事件について、国(法務省)が、事前に、秘密裏に、裁判所に対して、その可否、可能であるとすればどのような申立てを行えばよいのかを事実上問い合わせ、未だ仮処分の申立すらない時点で、かなりの数の裁判官たちがそれについて知恵を絞ったのである。

こうした行為は、入試のカンニングと同じである。「出題者」に事前に答えを教えてもらうのであるから、法務省と最高裁が結託して不正を働いたことになる。

もうひつと類似した例をあげよう。

重要なことなのでほかの例も挙げておくと、ずっと後のことであるが、東京地裁の多数の部で審理が行われている同種憲法訴訟について、同様に事前談合に類した行為が行われたことがある。裁判長の定例会議におけるある女性裁判長の提案により、裁判長たちが秘密裏に断続的な会合をもち、却下ないし棄却を暗黙の前提として審理の進め方等について相談を行ったのである。(略)  こうした不正は、裁判の基本的な公正を害する行為なのだが、おそらく、日本の司法においては、さまざまな場所にさまざまな形で存在するのではないかと思われる。

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2013年10月01日 (火曜日)

あいつぐ電磁波のリスクを指摘する書籍の出版、広告依存の新聞・テレビはタブー視

このところ電磁波問題を扱った書籍の出版が相次いでいる。ここ1年の間に、少なくとも6冊の書籍が出版されている。出版年日が新し順番に紹介しょう。

『やっぱりあぶない電磁波』(船瀬俊介? 花伝社)

『危ないリニア新幹線』(荻野晃也、懸樋哲夫、他 緑風出版)

『隠された携帯基地局公害』(徳田靖之、高峰真、他 緑風出版)

『携帯電話亡国論』(古庄弘枝 藤原書店)

『携帯電話でガンになる?!』(大久保貞利、上田昌文、植田武智、他 緑風出版)

『本当に怖い電磁波の話』(植田武智、加藤やすこ 週刊金曜日)

いずれの本も小規模出版社から刊行されたこともあり、国の隅々まで電磁波の危険性を知らしめるほどの影響力はないが、良識ある出版人により、新世代公害「電磁波」の危険に警鐘を鳴らす種が撒かれていることは疑いない。

つい最近まで電磁波問題と宗教団体「パナウェーブ」を混同している無知な人々が後を絶たなかった。しかし、WHOの傘下にある世界癌研究機関が2001年に極低周波に発癌性がある可能性を認定したのに続いて、2011年にはマイクロ波(携帯電磁波)にも発癌性がある可能性を認定した事情もあり、科学的な見地から電磁波の危険性を認識する人々が増えている。

欧米では、それが常識になっている。しかし、恐ろしい物に対しては、視線をそらす傾向があることも否定できない。以前、空手道の師範を取材した時、初心者の中には、拳が顔面に接近してくると、無意識のうちに、眼を閉じてしまうひとが多いと話していた。これに対して有段者は、最後まで拳の軌道を見据えて、対処するという。

電磁波問題についても同じことが言える。先日、マイニュースジャパンに荻野晃也氏のインタビューを掲載したところ、電磁波が気になるが、危険性を認めたくない人々が、さまざまなコメントを寄せた。おそらく携帯電話やスマフォに依存している人々である。一部の紹介しよう。

MyNewsJapanってこういうのよく載せるな。この手の記事で他の記事の信憑性を大いに毀損していると思う。買ってはいけないを作った週刊金曜日とそっくりだな。

赤外線まで危険とかw 他人の不安を煽ってる暇があったら、自分の体から出てる輻射をさっさと止めろ

『原発のガンマ線も含め、いわゆる電磁波の仲間は、周波数の高いものから、周波数の低いもの(送電線、家電等)まですべて危険だという考えに立ってきました。』結論ありきにしては論理も実験データも弱すぎる。

同じ人の書いてるhttp://www.mynewsjapan.com/reports/1886を見ると携帯の基地局の近くで奇形植物大発生らしい。へー、じゃあ出力が遙かに大きいテレビ放送用の電波塔の近所はミュータントの巣窟なんですね!

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2013年04月29日 (月曜日)

書評、高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』  犠牲の上に成り立つ国家の実態

高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)は、日本における経済成長や安全保障が、一部の国民を犠牲にすることで成り立っている構図を描いている。具体例として高橋氏が取り上げているのは、福島第1原発と沖縄の米軍基地問題である。

前者について言えば、東京電力が首都圏から遠く離れた過疎地に原発を設置した結果、都市部の人々がその恩恵を受け、地元の人々が放射能による汚染に苦しめられることになった実態を告発している。後者については、沖縄に米軍基地を押し付けることで、安全保障体制を維持している実態を批判している。 沖縄が日本の半植民地という観点である。

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