1. 書評、高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』  犠牲の上に成り立つ国家の実態

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2013年04月29日 (月曜日)

書評、高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』  犠牲の上に成り立つ国家の実態

高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)は、日本における経済成長や安全保障が、一部の国民を犠牲にすることで成り立っている構図を描いている。具体例として高橋氏が取り上げているのは、福島第1原発と沖縄の米軍基地問題である。

前者について言えば、東京電力が首都圏から遠く離れた過疎地に原発を設置した結果、都市部の人々がその恩恵を受け、地元の人々が放射能による汚染に苦しめられることになった実態を告発している。後者については、沖縄に米軍基地を押し付けることで、安全保障体制を維持している実態を批判している。 沖縄が日本の半植民地という観点である。

米軍基地の維持が本当に安全保障につながるか否かは議論の余地があるが、沖縄を、あるいは沖縄の人々を犠牲にした構図があることは疑いない。

高橋氏は現代社会に普遍的な視点を供給している。たとえば携帯電話の通信網もある種の犠牲の上に成り立っているシステムである。ユビキタス社会を構築するという国策を前提として、電話会社がわがもの顔に基地局を設置していることは周知の事実である。

ところが、基地局からはマイクロ波という放射線の一種が放出され、人体に有害な影響を及ぼす。健康被害に関する医学的な因果関係はまだ解明されていないが、疫学調査では両者になんらかの接点があることがほぼ裏付けられている。

しかも、ドイツやイスラエルの疫学調査では、マイクロ波と発癌の関係も指摘されている。

街中に基地局が設置された場合、基地局周辺の住民がマイクロ波による被害を受ける。事実、基地局設置をめぐって全国各地で紛争が続発してきた。訴訟も起きている。

しかし、基地局の設置は国策であるから、国が定めた電波防護指針を守っている限りは、法的に基地局を撤去することができない。裁判を起こしても勝てない。基地局の設置で、通信の質は高まるが、基地局周辺の人々がマイクロ波の犠牲になっているのである。

高橋哲哉氏は、『靖国問題』(ちくま新書)の中で、靖国神社が戦争の犠牲者を英雄に変えてしまうシステムであることを指摘した。改めて言うまでもなく国家が犯した最大の犯罪は、太平洋戦争で300万人を犠牲にしたことである。国民を洗脳したあげく、屍の山を築きながら、大陸へ市場を広げようとしたのである。

と、すれば敗戦を機に、前時代の扉は永遠に閉じてしまわなければならなかったはずだ。が、新聞による世論誘導システムはそのまま放置された。戦犯や戦犯候補も次々と蘇った。この中には、正力松太郎のような新聞人もいる。

過去から受け継がれた負の遺産が、再び日本を危険な方向へ誘導しようとしている。自民党が多国籍企業のために海外派兵体制を整え、自衛隊を国防軍に変え、再び国民に生命の犠牲を強要しようとしている。そんなとき、『犠牲のシステム 福島・沖縄』は国家の本質を知る手引きとなる。