1. 原発推進の裏に電通と博報堂、メディアの裏面史『原発プロパガンダ』(岩波新書・本間龍著)

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2016年07月05日 (火曜日)

原発推進の裏に電通と博報堂、メディアの裏面史『原発プロパガンダ』(岩波新書・本間龍著)

広告代理店の仕事といえば、とかくメーカーが生産する商品のPRというイメージがある。しかし、意外に知られていないもうひとつの一面がある。それは「プロパガンダ」の推進である。

「プロパガンダ」とは端的に言えば、政治的な意図により行われる世論誘導である。たとえばアベノミックスのプロパガンダ。たとえば自衛隊のプロパガンダ。それは忍び寄る影のように巧みに浸透するので、メディアリテラシーの知識がない人びとの意識をいとも簡単に変えてしまう。

本書は、そのタイトルが示すように原発をめぐるプロパガンダがどのように進行してきたかを克明に記録している。大手広告代理店の裏面史である。

念を押すまでもなく、原発プロパガンダの両翼を担ってきたのが電通と博報堂である。

◇原発の父、読売新聞のポダム

戦後、まもなく原発を日本に持ち込んだのは、読売の正力松太郎(CIA名はポダム)氏であった。と、言うよりも原発輸出を推進していた米国が、日本に原発を売り込むためにポダムを自分の陣営に取り込んだという方が適切かも知れない。ポダムが率いる読売の影響力を背景に、新しいエネルギーとしての原発をPRする戦略を採ったのである。

ポダムは米国の期待に応えることになる。

こうした流れに、後に連動するのが大手広告代理店である。

電通と博報堂による原発プロパガンダがビジネスとして成立したのは、日本には、それが絶対に不可欠な2つの事情があったからだ。ひとつは、広島・長崎の被曝体験である。他のひとつは、日本列島が世界でも有数の地震地帯に位置しており、原発にはまったく適さない事実である。

これら2つの「問題」を払拭しない限り、日本における原発推進はありえなかった。そこでまず電力会社は、なによりも「原発安全神話」を国民に浸透させる必要があったのだ。そのために広告代理店が提案したキャッチフレーズを、著者の本間龍氏は紹介している。

・原発は日本のエネルギーの3分の1を担っている。

・原発は絶対安全なシステム

・原発はクリーンエネルギー

・原発は再生可能なエネルギー

新聞広告などでこれらのフレーズに繰り返し接していると、いつしか人は洗脳されていく。原発は安全で、クリーンエネルギーなんだと。が、それがとんでもない嘘であることは、3・11により事実で立証された。

電力9社が1970年から2011年までにつぎ込んだ原発プロパガンダの広告費は2兆4000億円にも上る。競合企業がいない電力会社がこれだけの広告費をつぎ込んだ背景には、商品のPRが目的ではなく、原発安全神話を作る必要があったからにほかならない。いわば国民を騙すための広告費だった。

◇博報堂のヤラセ広告

原発関連のデタラメな広告の例をあげておこう。たとえばチェルノブイリの原発事故があった1986年4月から、2ヶ月が過ぎた同年6月を皮切りに4回シリーズの全面広告が読売新聞に掲載された。

この広告は、読者からの質問に電事連が回答する形式の広告だった。ところが著者の本間氏によると、「紙上に掲載された質問のほとんどは、博報堂の社員が書いたはがきによるヤラセであった」。

参考までに関連箇所を引用しておこう。

チェルノブイリ原発事故直後はさすがに全国紙での広告掲載は影を潜めたが、地方では続いていた。ようやく88年になって、全国紙での原発広告復活の狼煙となったのは、6月から朝日や讀賣新聞に掲載された「原子力発電、あなたのご質問にお答えします」という全15段の4回シリーズだった(「私たちはこう考えて原子力発電を進めています。」の15段広告を含めれば5回)。

 このシリーズは博報堂の制作で、読者から寄せられた質問に電事連(黒薮注:電力関係の業界団体)が答えるという形式をとった。まだインターネットも携帯電話もない時代に、広告主と読者の双方向性を新聞紙上で実現しようとした、当時としては新しいやり方ではあったが、難解な原発問題に関して読者からの反響は集まらず、紙上に掲載された質問のほとんどは、博報堂社員の家族が書いたはがきによるヤラセであった。

 しかも、読者の原発に対する不信感を取り除こうとするあまり、88年7月5日掲載の回では「チェルノブイリのような事故は決して起こり得ない」などと断定している。ではもし起きたらどうなるのか、という当然の疑問には答えようがなかった。結局、20年後の2011年の事故発生時でさえ、何もできなかったことは周知の通りである。

◇原発プロパガンダの復活

本書は、大手広告代理店がプロパガンダという国民にとっては歓迎すべからぬ行為の推進者であることを、広告という視点から記録した良書である。

われわれは本書により、大手広告代理店とは何かを再考する機会を得た。彼らが原発プロパガンダを推進してきた結果が、3・11の悲劇である。しかし、責任を問う声はどこからもあがらない。何事もなかったかのように、原発プロパガンダはすでに復活している。