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2021年02月15日 (月曜日)

最初の国会質問から40年、いまだにメスが入らない残紙問題と拡販問題、絶対に自分の非を認めない新聞人の体質

景品を使った新聞拡販や「押し紙」の問題が、はじめて国会質問で取り上げられたのは、1980年3月5日である。共産党の瀬崎博義議員が、衆議院予算委員会で新聞販売の過当競争をテーマに質問したのが最初である。今年は、2021年だから、この3月で40年の歳月が流れたことになる。

この40年の歳月をどう評価すべきなのか。2007年に、読売新聞の真村訴訟で、福岡高裁が読売の「押し紙」政策を認定した後、徐々に残紙問題にメスが入るようになってきたものの、新聞人たちは、未だに「押し紙」の存在を認めていない。「積み紙」はあっても、「押し紙」は存在しないという詭弁を平気で貫いてきた。新聞人は絶対に自分の非を認めない。これは真理である。

事実、少なくとも半世紀近く延々と残紙政策を続けてきた。新聞に折り込まれて配布される地方自治体の広報紙が、残紙と共に大量廃棄されていても、無視を決め込んでいる。発覚すれば、「取引先」の販売店に責任を転嫁する。

景品を使った新聞拡販についても、昔ながらの戦略を続けている。最近では、高齢者をターゲットにした強引な新聞拡販に対して、地方自治体が注意を喚起する事態も生まれている。

◆◆
国会の場で、はじめて読売新聞社の「押し紙」(広義の残紙)問題が、取り上げれらたのは、1982年3月である。瀬崎議員が、読売新聞・鶴舞直売所(奈良県)の残紙実態を取り上げたのである。国会議事録には、次の数字が残っている。

◆◆
読売に限らず残紙が発生する原因になってきたのが、新聞社の部数至上主義である。新聞社は残紙を販売店へ送り込むことによって、販売店を新聞拡販へ駆りたてる。当時の公正取引委員会は、新聞拡販の方法に問題があることを認めていた。瀬崎議員の質問と公取委の回答を紹介しよう。

瀬崎:公取は昨年2月の末に新聞販売店の取引実態調査結果を発表しましたね。もう1年たつのですが、その結果に基づいて公取委としては、具体的にどういう改善措置を講じたのか、簡単に言ってください。

植木説明員:公正取引委員会といたしましては、この実態調査の結果に基づいて新聞発行本社を呼び、新聞発行本社の行為について非常に遺憾な点が見られる、でありますから、われわれとしては、その新聞販売方法について十分改善していただきたいということを申し入れたわけでございます。

この質疑に続いて瀬崎議員は、異常な新聞拡販の原因は、新聞発行本社にあるのか、それとも販売店にあるのかを質問した。これに対して、植木説明員は次のように回答した。

植木説明員:どちらの責任かということでございますけれども、通常の場合、私どもの方は、発行本社の方が自分の紙数を拡大するために景品を出していらっしゃるのではないかというような受け止めかたをしているわけでございます。

◆◆
40年後。残紙問題も新聞拡販問題も解決していない。新聞関係者は、どんなに批判されても、知らぬ、存ぜぬの一点張りで同じことを繰り返してきた。通常はありえないことである。

新聞社が世論誘導の道具として、権力構造の歯車に組み込まれているのが原因ではないか。それゆえに取り締まりの対象にならないことを知っているのだ。さもなければ説明がつかない。

読者は、紙面内容にも十分に注意すべきだろう。報道しない重大問題が水面下に山積している。新聞が社会の実態を客観的に描きだしているというのは幻想である。

■瀬崎・国会質問議事録の全文

千葉県柏市の広報紙『広報かしわ』に水増し疑惑、折込部数が新聞の発行部数を上回る

新聞折込で配布されている千葉県柏市の広報紙『広報かしわ』が、水増しされて広告代理店に卸されている疑惑が浮上している。2020年4月時点での『広報かしわ』の部数内訳は次のとおりである。

総発行部数:143、860部
新聞折込部数:135,000部
宅配部数:6,600部 (※新聞の非購読者が対象)

問題なのは、新聞折込部数の135,000部である。と、いうのも新聞の発行部数を表すABC部数が、柏市全域で107,088部しかないからだ。新聞販売店に残紙が1部もなくても、水増し状態になっている。

【注】発行日の新聞(読売・朝日・毎日・産経・東京・日本経済・赤旗)の朝刊に、折り込みで配布しています。出典:柏市HP

ABC部数には、赤旗の発行部数が含まれていないが、同紙の規模は全国で20万部程度しかないので、柏市の部数は数千部に過ぎないと推測される。この数字を含めて、かりに柏市の新聞部数の総計が11万部と仮定した場合、『広報かしわ』は約25,000部水増しされている計算になる。

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千葉県内では、山武市が新聞折込による広報紙の配布を中止することを決めている。山武ジャーナルの告発が功を奏した結果である。

【参考記事】千葉県山武市が広報紙の新聞折込を中止、行政を動かした『山武ジャーナル』の追及

千葉県内の他の自治体でも、NHKから自国民を守る党などが、広報紙の水増し問題を追及する動きを見せている。

【参考記事】千葉県の広報紙『ちば県民だより』、21万部水増しの疑惑、必要な予備部数は9000部、背景に新聞社のビジネスモデル 

2021年02月12日 (金曜日)

「受動喫煙症」という病名は国際的には認められていない、横浜副流煙裁判

横浜副流煙裁判の「キーワード」は、「受動喫煙症」という病気である。

この裁判は、隣人が吸う煙草の副流煙が原因で「受動喫煙症」に罹患させられたとしてAさん一家が、隣人の藤井将登さんに対して4500万円の金銭請求を突きつけたものである。しかし、昨年の10月にAさん一家の敗訴が確定した。勝訴した藤井さんらは、現在、損害賠償を求める「反訴」の準備をしている。

■詳細は、ここから

この事件を考える重要なキーワードのひとつに「受動喫煙症」がある。実は、「受動喫煙症」という病名は、国際的には認められていない。病気の分類は、「ICD10」と呼ばれる分類コードにひも付けするのが規則になっているのだが、「受動喫煙症」という病名は「ICD10」コードに存在しない。「化学物質過敏症」という病名は認められているが、「受動喫煙症」は認められていない。

「受動喫煙症」という病名は、日本禁煙学会(作田学理事長)が独自に命名したものにほかならない。それに連動して作田氏らは、「受動喫煙症」の診断基準を独自に作成している。その診断基準に従って作田氏は、裁判の原告であるAさん1家を診察(ただし、3人のうち1人は直接診察していない。医師法20条違反)して、診断書に「受動禁煙症」などと病名を書き込んだのである。

こうして作成された診断書を根拠にして、Aさん一家は、藤井さんに対して4500万円を請求する裁判を起こした。提訴前には、Aさんの弁護士が当時の神奈川県警本部長・斉藤実氏に働きかけて刑事を動かしている。さらにその前には、藤井さんに内容証明を繰り返し送付した。

つまり非公式な病名を記したうでに、医師法20条にも違反した診断書を根拠として、これら「一連一体」の嫌がらせ行為に及んだのである。

◆◆

日本禁煙学会は、だれでも会員になれる。「学会」という名前を付しているが、純粋な「学会」ではなく、市民運動団体に近い。入会条件は、次のようになっている。

 ご入会には、
1.入会申し込みを入会申し込みフォームのページからお送りください
2.会員種別に応じた会費を振り込みください

一般社団法人 日本禁煙学会にはどなたでも入会できますが、タバコ産業・販売・耕作の関係者、利益相反のある方、喫煙者はお断りしております。

入会に際しましては、学会定款などをよくお読みください。
 入会後、事務局から入会申込受領のメールを差し上げます。1週間ほどしても事務局からのメールがない場合は送信がうまくいっていない可能性がありますので、お手数ですが、事務局までお問い合わせください。

◆◆
「受動喫煙症」という病名の何が問題なのか?この点を考えるには、まず化学物質過敏症とは何かを理解する必要がある。次の記述が参考になりそうだ。

化学物質過敏症は、何かの化学物質に大量に曝露されたり、または、微量だけれども繰り返し曝露された後に、発症するとされています。化学物質への感受性は個人差が大きいため、同じ環境にいても発症する人としない人がいます。

「今日、推計で5万種以上の化学物質が流通し、また、わが国において工業用途として届け出られるものだけでも毎年300物質程度の新たな化学物質が市場に投入されています。化学物質の開発・普及は20世紀に入って急速に進んだものであることから、人類や生態系にとって、それらの化学物質に長期間暴露されるという状況は、歴史上、初めて生じているものです」(2003年版『環境白書』より)。

その一方で、「今日、市場に出回っている化学物質のなかで、量として75%に当たるものについて、基本的な毒性テストの結果すら公開されていない」(米国NGOの環境防衛基金『ToxicIgnorance(毒性の無知)』1997)といった現状があります。

「便利な生活」のために、化学物質を開発、利用していくことが優先され、安全性の検証は後回しにされがちです。こうした背景のもと、「環境ホルモン」「化学物質過敏症」など、従来予想できなかった新たな問題が表面化してきたのです■出典

原因となるものは、化学物質を使った食品や日用品、排気ガス、ダニ、煙草の煙などがある。近年、特に欧米で問題視されているのは、イソシアネートと呼ばれる化学物質である。第2のアスベストとも言われ、欧米では厳しく規制されている。日本ではほとんど規制されていない。

【参考記事】 芳香剤や建材等の化学物質過敏症、急増で社会問題化か…日常生活に支障で退職の例も

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煙草の煙が原因で化学物質過敏症に罹患することは、紛れない事実である。しかし、化学物質過敏症の原因を煙草の煙だけに特定することは、化学物質であふれかえっている現在の状況の下では、冤罪を生む温床になりかねない。横浜副流煙事件がその典型なのである。

たまたまAさん一家が住むマンションの下階に、喫煙者の藤井さんが住んでいたために、「犯人」にでっち上げられ、高額訴訟を起こされたのである。

しかし、裁判の中でAさん一家が、大量の化学物質に被曝する生活を送っていたことが明らかになり、裁判所は、「受動喫煙症」なる病気の原因は特定できないという判断を下したのである。

「受動喫煙症」という実際には認められていない病名が市民権を得てまかり通っていたことが、深刻な冤罪事件を生んだのである。

2021年02月11日 (木曜日)

4500万円の不当請求の根拠になった「受動喫煙症」という病名は国際的には認められていない、横浜副流煙裁判「反訴」へ

横浜副流煙裁判の新しい視点を紹介しておこう。既報してきたように、この事件は副流煙が原因で「受動喫煙症」を発症したとして、Aさん一家が同じマンションの下階に住む藤井将登さんに対して4500万円の金銭支払いを求めたものである。

裁判はすでに昨秋に藤井さんの勝訴が確定している。裁判所は、Aさん一家の請求を認めなかった。さらに、裁判に深くかかわった日本禁煙学会の作田学理事長による医師法20条違反(診察せずに診断書を交付する違法行為)を認定(横浜地裁)した。

審理の中で藤井さん側が、診断書の交付に関するさまざまな疑惑を指摘した結果だった。

その後、わたしは医療関係者らを中心に取材を続けるなかで、この事件についての専門家の意見を聞く機会が何度かあった。その中で興味深い意見を得た。作田氏が作成した診断書に明記されている「受動喫煙症」という病名そのものが無視できない大問題だというのだ。この病名が公式には認められていないからだ。

◆◆

病気の分類は、「ICD10」と呼ばれるコードで行われている。「ICD10」コードを付すことによって、国境を越えて病気に関する統計を取ることを可能にする仕組みになっているのだ。従って「ICD10」コードで認定されていない病名を診断書に記することはできない。

この点を念頭に「受動喫煙症」という病名を検証してみる。結論を先に言えば、「ICD10」に「受動喫煙症」という病名は見あたらない。「化学物質過敏症」という病名は日本では一応は認められているが、「受動喫煙症」という病名は国際的に認定されていない。

この点を考慮してたとえば、「ICD10」にない「電磁波過敏症」と診断された患者の診断書には、化学物質過敏症という病名を記す。実際、そのような例は多数存在する。

もっとも、健康増進法などが成立した時勢であるから、例外的に「受動喫煙症」という病名が認められている可能性がまったくないというわけではないが、原則論からすれば、国際的には「受動喫煙症」という病名は認められていない。

それにもかかわらずAさん一家と山田義雄弁護士らは、この診断書を根拠として、藤井さんに対して4500万円を請求したのである。しかも、作田氏は、この病名を根拠とした診療報酬も請求している。

メディア黒書では、作田氏が医師法20条違反に至るプロセスばかりを問題視してきたが、「ICD10」で認められていない病名を診断書に記した問題も再検証する必要がある。

◆◆

それがいかに異常なことかといえば、次の状況を想定すると理解できるだろう。たとえばわたし(黒薮)が医師で、医師仲間や市民運動家を集めて、第2禁煙学会という市民団体を立ち上げ、「空気汚染クロヤブ病」という病名を作り、その診断基準を設ける。患者から診断書交付の依頼があり、黒薮医師は本人を診察しないまま、「空気汚染クロヤブ病」という病名の診断書を交付した。

患者はその診断書を弁護士に持参した。弁護士はそれを根拠に、加害者に内容証明を送付し、警察を動かし、あげくの果てに高額訴訟を起こした。

この場合、最も問題になるのは、「空気汚染クロヤブ病」というあり得ない病名である。それを診断書に付した医師である。

繰り返しになるが、「受動喫煙症」という病名が例外的に認められているのであれば問題はないが、そんな話は今のところ聞いたことがない。このあたりを今後、重点的に取材したいと考えている。

藤井さんによる「反訴」の準備は着実に進んでいる。

2021年02月10日 (水曜日)

【書評】『暴力・暴言型社会運動の終焉』、反差別運動の表と裏、師岡康子弁護士の危険な思想「師岡メール」を公開、マスコミが報じない事件の特徴を浮き彫り 

ジャーナリズム活動を評価する最大の要素は、テーマと視点の選択と設定である。とりわけテーマの選択は決定的だ。それを決めるのが編集者の感性であり、問題意識なのである。

同時代で起きている事件から、どの事件をクロースアップするかが決定的な鍵になる。たとえばこのところ、マスコミは森喜朗氏の女性差別発言を重視して徹底取材を行い、ニュース番組はいうまでもなく、ワイドショーでも連日のように差別問題の報道を続けている。森氏の発言内容そのものはおかしいが、相対的に見ると炎上させるほどのレベルではない。完全にスタンピード現象を起こしている。

その一方で、同じ五輪・パラがらみの事件でも、時価にして約1300億円の選手村建設用地(公有地)を、東京都が約130億円で開発業者へ「たたき売り」した事件は、ほとんど報じない。この事件は住民訴訟にまで発展している。しかし、森失言ほど重要ではないと判断して、沈黙しているのである。

日本のマスコミの能力は、実はこのレベルなのである。

◆◆
『暴力・暴言型社会運動の終焉』で鹿砦社の取材班が取り上げたのは、反民族差別運動(以下、カウンター運動)の活動家が起こした組織内部のリンチ事件である。しかも、その事件の現場には、(裁判では「潔白」になったものの)カウンター運動の女性リーダー・李信恵氏が、酒に酔った状態で居合わせ、被害者の胸倉を掴むなどの行為に及んだ。

M(注:仮名)が、本件店舗に入店した直後、原告(注:李氏)がMに詰め寄り、その胸倉を掴んだ。それに対し、普鉉氏は、「まあまあ、まあリンダさん、(原告のあだ名)、ごめんな。」などと言いながら、Mから原告を引き離し・・・・(裁判判決の認定

しかし、李信恵氏をカウンター運動の騎士としてクローズアップしてきた新聞・テレビは、この事件を報道しない道を選択したのである。それどころか、事件後も李氏に記者会見の場を提供し続けたのである。これに対して鹿砦社には、記者会見の場すらも提供しない方針に徹し続けたのである。

こうした条件の下で鹿砦社の取材班は事件取材を継続して、書籍のかたちで、次々と新事実を明らかにしていった。書籍ジャーナリズムが本領を発揮したのである。

『暴力・暴言型社会運動の終焉』は、その第6弾である。わたしも含めて、鹿砦社に協力するかたちでこの事件を取材したライターが本書に寄稿している。リンチ事件の被害者本人も手記を寄せた。

◆◆
この事件を通じて見えてくるもうひとつの側面は、インテリ層と言われる人々の姿勢である。鹿砦社のスタンスが、李信恵氏を擁護してきたメディアを批判するものなので、鹿砦社に協力すると、自分自身が「反権力」のレッテルを張られるリスクを生むのを警戒したのではないか。マスコミは基本的には、権力構造の歯車である。おそらくは処世を優先して、多くの識者がこの事件に背をむけたのである。

なかには積極的に事件の隠蔽に奔走した面々もいる。たとえば弁護士の師岡康子氏である。師岡氏は、事件を隠蔽するためにある人物にメールで、指示ともお願いともつかない文面を送付している。国会でヘイトスピーチ解消法が論議されている時期だったので、師岡氏は被害者による刑事告訴を止める必要性を感じたようだ。

『暴力・暴言型社会運動の終焉』には、被害者による刑事告訴を止める必要性を綴った師岡氏の文面が公開されている。このメールを取材班に提供した人がいたのだ。メールの一部を引用しておこう。

 しかし、その取り組みが日本ではじめて具体化するチャンスを、今日の話の告発が行われれば、その人は自らの手でつぶすことになりかねません。在日コリアンへの差別は、戦後の日本の体制の根幹の一部であり、そこに手をつける法制度を作ることは現時点でも容易ではありません。しかし、カウンターを契機として、オリンピックがらみもあり、国連勧告、最高裁決定などなど、今ははじめてのチャンスだと思いますが、告訴が必然的に導く運動バッシングによりそのチャンスがつぶれれば、次はいつそのチャンスがくるか分かりません。

◆◆
なお、リンチ事件の現場にいた「同志」のうち、伊藤大介氏は、昨年の11月25日の深夜、極右活動家の荒巻靖彦氏を呼び出して暴行を加え、逮捕された。荒巻も逮捕された。この件に関する最新の報告も、『暴力・暴言型社会運動の終焉』に収録されている。

マスコミが一斉に口を閉ざして鹿砦社の取材班だけが報じたこの事件。新聞研究者の故・新井直之氏は、『ジャーナリズム』(東洋経済新報社)の中で、ある貴重な提言をしています。

「新聞社や放送局の性格を見て行くためには、ある事実をどのように報道しているか、を見るとともに、どのようなニュースについて伝えていないか、を見ることが重要になってくる。ジャーナリズムを批評するときに欠くことができない視点は、『どのような記事を載せているか』ではなく、『どのような記事を載せていないか』なのである」

本書は、日本の権力構造の闇を浮き彫りにしている。言論規制が強まる状況下で、ジャーナリズムとは何かを再考するうで必読の書にほかならない。

 ◆◆
『暴力・暴言型社会運動の終焉』の内容は次の通りである。

1、歴史は繰り返した!反差別運動に重大な汚点(鹿砦社取材班)

2,伊藤大介による合田夏樹脅迫事件(合田夏樹)

3,カウンター大学院生リンチ事件(鹿砦社取材班)

4,「M君リンチ事件」を見てきて(尾崎美代子)

5,権力構造の中の司法と記者クラブ(黒薮哲哉)

6,暴力・暴言路線の運動に未来はない(森奈津子)

7,危険なイデオローグ・師岡康子弁護士(黒薮哲哉、松岡利康)

8,平気で嘘をつく人たち(松岡利康)

9,〈M君の顔〉から目を逸らした裁判官たち(山口正紀)

10,リンチ事件から六年(被害者M生)

出版社:鹿砦社

タイトル:暴力・暴言型社会運動の終焉

編集者: 鹿砦社特別取材班

2021年02月09日 (火曜日)

森喜朗の失言問題、炎上現象の背景に潜んでいる日本社会の危険な側面、世論誘導は自覚できない

さながら「一億総決起」、スタンピード現象である。

森喜朗(東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長)の女性差別をめぐる失言の後、メディアで炎上現象が起きている。新聞・テレビが執拗に報じるだけでなく、ワイドショーもツィッターも森バッシングで溢れている。

坂本龍一(ミュージシャン)や為末大(元陸上競技選手)といった著名人も、森批判の姿勢を表明している。おそらくこれは、メディアからコメントを求められた末の態度表明ではないか。

わたしは、2月5日付けのメディア黒書に、「森喜朗会長の失言、ワイドショーでも炎上、スピーチ原稿なしに発言できない堅苦しい時代に」という記事を掲載した。それに連動して自分のツィターで今回の炎上現象を批判した。

暗黙のうちに国民の行動規範が定められ、そこからはみ出した者を徹底的に辱める風潮が、いずれ言論検閲や言論統制の布石になりかねない危惧を表明したのである。

森発言の内容そのものには擁護の余地がないので、だれもこの炎上現象を批判しない。異常とは感じない。批判すれば、返り血を浴びるリスクがある。非国民にされかねない。

このような現象は、「一億総決起」を呼びかけた戦前・戦中の天皇制国家の亡霊にほかならない。

◆◆
ところがわたしの意見表明に対して、ツィツターやメールなどで批判の投稿をする人が相次いだ。いわゆる「オザシン」(小沢一郎支持者)と呼ばれる人々である。森発言は内容そのものが誤っているので、それ自体を批判することは当然という単眼的な意見である。

現在起きている炎上現象も同じ思想的方向性といえるだろう。

しかし、わたしはそのような見解は、「森を見て木を見ない」論法にほかならないと考えている。問題なのは、多様な言論の存在を容認しない社会が輪郭を現してきたことなのである。

それが言論統制の布石となる。マスコミは、複眼的な視点からこのあたりの事情を認識すべきだろう。こそれを忘れて、炎上現象をあおるのは危険この上ない。

◆◆◆
実は、個人を集団でつるしあげる現象は、最近、われわれの社会の至る所で発生している。たとえば反差別民族運動を展開するグループが深夜に、大阪市で起こした大学院生リンチ事件である。

マナーを守って喫煙していた住民に対して、その隣人が日本禁煙学会の関係者の支援を得て、4500万円の賠償を求めた裁判(横浜副流煙事件)である。喫煙者を社会から抹殺することがその目的だったようだ。

これらの事件では、組織が暗黙に定めた行動規範を逸脱した者が、組織によって厳しい攻撃を受けている。前者は、鉄拳制裁であり、後者は不当裁判だった。(※近々に反訴がはじまる。)

マスコミが報じない(ただし、週刊新潮と週刊実話、アサヒ芸能は報じた)だけで、水面下では「異端者」の排除が進んでいるのである。

日本のメディアは、想像以上に劣化している。劣化の実態すらも自己認識していない。

世論誘導とは何か?
今おきていることがそれにほかならない。

まったく自覚できないのが特徴なのである。

 

【写真の出典】ウィキペディア

2021年02月08日 (月曜日)

論理が破綻した池上尚子裁判長の下した判決、鹿砦社に対して165万円の損害賠償命令、李信恵氏が起こした出版物の名誉毀損裁判

大阪地裁の池上尚子裁判長は1月28日、ジャーナリストの李信恵氏が鹿砦社に対して起こした名誉毀損裁判で、鹿砦社に約165万円の支払いと、記事の削除を命じる判決を言い渡した。

李信恵氏はカウンター運動(反民族差別運動)のリーダーで、これまで右翼団体・在特会やネットメディア「保守速報」に対して民族差別的な言動で名誉を傷つけられたとして裁判を起こしてきた。(いずれも李氏の勝訴)。マスコミも李氏を反差別運動のヒーローとして描きだしてきた。

しかし、2014年12月16日の深夜、大阪市北区堂島のバーでカウンターグループが起こした大学院生リンチ事件の現場に居合わせたことが判明し、その素性を問われることになる。この事件を通じて、鹿砦社がカウンター運動の暴力体質を告発するようになったのである。

鹿砦社は、リンチ事件の被害M君を支援する人々からの告発を受け、綿密な取材をしたうえで、事件を報じるようになった。自社のウェブサイト「デジタル鹿砦社通信」に事件関連の記事を掲載したり、『ヘイトと暴力の連鎖』を皮切りとする5冊の書籍を次々と出版した。マスコミが沈黙を守るなかで、異例のジャーナリズム活動を展開したのである。

こうして生まれた記事や書籍は、李氏が事件に深く関わったとする視点に立ったものだった。それを根拠に李氏は2018年、鹿砦社に対し550万円の金銭と記事の削除、それに書籍の頒布(はんぷ)販売禁止を請求する裁判を起こしたのである。

ちなみにM君は、リンチの現場にいたカウンター運動の元同志5人に対して、損害賠償を求める裁判を起こして勝訴した。李氏も被告として法廷に立たされたが、裁判所は李氏の事件関与については、認定しなかった。暴力に加担していないと結論づけたのである。5人を被告とする裁判そのものは被告の敗訴で、3人に賠償命令が下ったが、李氏は免責されたのである。

◆◆ 
李氏を原告とする鹿砦社に対する名誉毀損裁判では、次の2点が最大の争点となった。

1、李氏がM君を殴打したかどうか。

2、李氏が事件の首謀者のひとりで、事件に共謀性があったか。

鹿砦社は、「1」については、李氏がM君を殴打したという視点で報道した。「2」については、事件に共謀性があったとする視点で報道した。

これに対して李氏の側は、いずれも鹿砦社の報道は事実ではなく、名誉を毀損しているとする主張を行った。

既に述べたように大阪地裁の池上尚子裁判長は、李氏側の主張を全面的に認めたのである。そして鹿砦社に対して165万円の支払いと、記事の削除を命じたのだ。

◆◆
この判決について、わたしなりの考えを述べる前に、判決の「認定事実」を中心に事件の経緯を確認しておこう。発端は、M君がカウンター運動の資金に関する疑念を抱いたことである。これに怒ったエル金氏ら同志が深夜、大阪市堂島のバーにM君を呼び出した。判決は次のように事実認定をしている。

M(注:仮名)が、本件店舗に入店した直後、原告(注:李氏)がMに詰め寄り、その胸倉を掴んだ。それに対し、普鉉氏は、「まあまあ、まあリンダさん、(原告のあだ名)、ごめんな。」などと言いながら、Mから原告を引き離し・・・・

5人の活動家は、バーでM君と話し合いをはじめた。そのうちにエル金氏が「Mの顔面を1回平手で殴打した」。しかし、それ以上の暴力を同志らが制したので、エル金氏とM君はバーの外へ出た。そしてそこでエル金氏がM君に対して殴る蹴るの暴行を始めたのである。

エル金氏の怒声を聞いた普鉉氏は、店舗を出てエル金氏を制した。その後、3人は一旦店舗に戻るが、エル金氏とM君が再び屋外に出た。普鉉氏は、

Mがこれ以上金氏から暴行を加えられるのを防ぐため、「エル金さんの代わりに1回殴っていいか。」と尋ねた上で、Mの頬を右平手で1回叩いた後、金に対し、「もう殴ることなです。」と述べたところ、金は「わかった。」と答えたので、普鉉は、本件店舗内に戻った。

ちなみに普鉉氏は、「Mの頬を右平手で1回叩いた」ために、後日、M君が5人の元同志を被告に起こした損害賠償裁判で損害賠償を命じられた。平手による形式的な身体への接触でも暴力とみなされ、損害賠償を命じられたのである。

◆◆

池上裁判長は、原告・李氏による暴力はなかったと判断した。その理由として、M君の供述や証言の曖昧さをあげている。池上裁判長は、M君が李氏から受けた攻撃を検証する中で、M君があるときは平手で殴打されたと述べ、ある時は拳で殴打したと述べていることを理由に、「原告がMの顔面を殴打した旨のMの供述は直ちに信用できない」と結論ずけた。これが鹿砦社の報道が事実に反し、李氏の名誉を毀損したと認定した理由のひとつである。

しかし、この判断は、他の判例と比較すると明らかにおかしい。たとえばM君が起こした損害賠償裁判の中では、普鉉氏がエル金氏をなだめるために形式的に平手でM君を叩いたことを理由に、普鉉氏に対して損害賠償が下されている。

この判例からすると、李氏がMに襲い掛かって襟を掴んだ時点で、暴力を振るったことになる。M君は殴打されたと言っているが、たとえ殴打はなかったとしても、攻撃により同志らを刺激したのであるから、完全に免責するのはおかしい。暴力の口火を切った運動のリーダーが、何の責任も問われないのは尋常ではない。

鹿砦社は、李氏らが問題とした記事や書籍の中で、この「急襲」について、取材で得た根拠を基に自らの主張を展開したに過ぎない。評論の自由は認められており、正当なジャーナリズム活動範囲である。

まして李氏は社会的な影響力のある解放運動の騎士であり、批判にさらされても、ある意味では仕方がない。それに自分で情報を発信する力もある。記者クラブとも良好な関係にあった。批判に対しては、言論で対抗するのが筋ではないか。

◆◆

池上裁判長が李氏による暴力はなかったと結論づけたもうひとつの根拠として、コリアNGOセンターの総会における金光敏氏の次の報告がある。金光氏は事件後、李氏から事情を聴取した人物である。

「李信恵さん自身もですね、『最初に私が叩いたんです』と、手を出したんですということがありましたけれども」と発言したことが認められる。

普通の読み方をすれば、この文章は、李氏が最初に暴力をふるったとしか解釈できない。ところが池上裁判長は、それを捻じ曲げて、次のように解釈している。

金光敏の上記発言の趣旨は、原告の発言として「最初に私が叩いたんです」と引用した後、その表現は正確ではないと気づいたため、「手を出したんです」と言い直したものであると認められる。

李氏がM君を攻撃したことは、原告も被告の双方が認めているわけだから、文脈からすれば、「手を出す」という表現は、攻撃を仕掛けたという意味である。その具体的なかたちが、「叩いた」行為なのである。

それが自然な解釈であり、特異な解釈をする理由はないもないはずなのだ。池上裁判長は、不自然な解釈をしているのである。

ちなみに判決では、鹿砦社が金光氏を取材していないことになっているが、これは完全な誤りだ。鹿砦社は、金光氏を取材している。

◆◆
池上裁判長は、事件に共謀性があったかどうかについても、共謀性があったとする鹿砦社の主張を否定して、同社の出版物の名誉毀損を認定した。その理由について判決は、次のように述べている。

Mが本件店舗を訪れた後においては、原告がMに掴みかかったものの、その際に普鉉や金が原告を制止させており、また、金がMに対して暴行を加えている際にも、普鉉は金を抱えてMから引き離そうとするなどして金によるMに対する暴行を制止しようとしており、原告らの行動にはMに対して暴行を加える旨の共謀の存在とは矛盾する行動が認められる。

この判断もおかしい。エル金氏と普鉉氏が李氏を制したとしても、その後、実際に「議論」の最中に暴行が行われているからだ。しかも、最初にM君に襲いかかったのはエル金氏でも普鉉氏でもない。李氏である。

李氏の組織内での立場と事件現場の状況は、事件に李氏がM君へ送った謝罪文からも読み取れる。

いつもであれば、カウンターの中でトラブルがあったときは必ず双方の話を聞くようにしていましたが、事件発生当日は私の保守速報に対する裁判期日の後であり、強度の緊張がほぐれたこともあって会食で普段以上に多量に飲酒しており、その後、知人の訃報を聞いたため、さらに飲酒してしまいました。Mさんが来たときには、すでに冷静な判断ができずにいました。

この文面から酒が原因でM君を「急襲」し、エル金氏らの暴力を放置した状況が読み取れる。たとえ拳がM君の顔面にヒットしていなくても、少なくとも過失があり、完全に免責するのはおかしい。鹿砦社の主張を否定することはできないのである。議論・評論の余地はある。

李氏の謝罪文は続く。

翌朝になってコリアンNGOセンターから連絡があり、驚きました。正常な判断はまだできてませんでした。すぐに謝罪をした方がいいのかとも考え、その旨を金光敏さんに伝えました。が、事件について真摯に振り返ることなく謝罪をすることは形式的な謝罪ではないかと受け取られかねない、かえって不信感をMさんが抱くのではないかと言われました。

李氏はみずからの責任を認めているのである。それにもかかわらず鹿砦社を提訴し、池上裁判長は、李氏の責任を完全に免除したのである。

◆◆
池上裁判官が下した判決には、最初から李氏の勝訴を決めていたような不自然さがある。

人を裁くというただならぬ特権を託された裁判官が、これではこまるのだ。以下、池上裁判長が執筆した判決文である。読者はどのように解釈するだろうか。わたしには論理の破綻が読みとれるのだが。

■判決文の全文

 

※なお、2月4日に暴力・暴言型社会運動の終焉鹿砦社)が慣行された。それによるとM君リンチ事件の現場にいた人物の一人が、昨年の11月、深夜に右翼の活動家を呼びただし、暴力沙汰を起こして逮捕される事件を起こしている。現場にだれがいたのか、再検証する必要があるだろう。

この新刊本については、メディア黒書でも近々に紹介する。

2021年02月05日 (金曜日)

森喜朗会長の失言、ワイドショーでも炎上、スピーチ原稿なしに発言できない堅苦しい時代に

東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が、「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」などと発言したことが問題になっている。森会長は、4日、記者会見を開いて発言を謝罪した。国会では、立憲民主党の枝野幸男代表が、森会長の辞任を求めた。

国会議員が「不適切」な発言をして批判を受け、非を認めて謝罪する事件はこのところあとを断たない。しかも、謝罪に追い込まれる背景には、必ずメディアの追及がある。(この種の報道にはなぜか熱心だ。)

森会長の発言内容そのものに問題があることは異論がないだろう。しかし、特定の発言に対して、謝罪を求めたり、辞任を要求する社会風潮は過剰反応ではないか。長い目でみれば、言論統制への道を開いていくからだ。おそらく国民の99%は、謝罪するのは当たり前だと考えている。

それゆえに別の視点からこの問題を再考する余地もない。

◆◆
元々、話し言葉というものは自由闊達なものである。それゆえにスピーチや会話を聞けば、そのひとの人間性がかいま見える。

ところが社会通念に合致しない発言を「取り締まる」のが、あたりまえになってくると、公人はあらかじめ準備したスピーチ原稿なしに公の場で発言できなくなる。現在の国会における官僚や大臣の答弁がそれに近い。これでは発言者の内面が見えない。厳しい追及もできない。

◆◆
話し言葉の対極にあるのが、書き言葉である。書き言葉は、正確に誤解なく意味を伝達しなければならない。それゆえに文書類はなによりも重視されてきたのである。意味が曖昧だったり、論理が破綻していたりすれば公式の文書としては都合が悪い。

実際、文書類は話し言葉をそのまま「翻訳」したものとは、かなり色合いが異なる。

と、すれば失言は、原則として制裁の対象にはならないはずだ。それがむしろ常識ではないか。寛大に見る必要がある。まして失言した者に対して、辞任を求めるようなことはあってはいけない。

言論統制は、気が付かないうちに影のように広がっていく。それが認識できた時には、自分の意見を自由に表明できなくなっている可能性が高い。発言内容に暗黙の規定を設け、その範囲内でしか発言できなくなる。

自由闊達な話し言葉が死に絶えた時代は索漠とした荒野に等しい。取材も困難を極めるだろう。

2021年02月03日 (水曜日)

千葉県山武市が広報紙の新聞折込を中止、行政を動かした『山武ジャーナル』の追及

 千葉県山武市は、今年の4月から広報紙『広報さんむ』の配布方法を、新聞折込からポスティングに切り替えた。地元の『山武ジャーナル』(鈴木まさや代表)が残紙と広報紙の水増し問題を追及し続けた成果である。この問題についての最新記事が掲載されたので紹介する。

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山武市の広報誌「広報さんむ」の配布が、令和3年4月より新聞折込からシルバー人材センターによる全戸ポスティングに変更されることが、広報さんむ令和3年2月号で明らかとなった。

山武市市民自治支援課によると、配布方法変更の理由は、新聞購読率、自治会組織率がともに低下している中、新聞折込や回覧板ではなく、ポスティングによる配布が多くの市民に広報を届ける方法として最適と判断したとのこと。

これまで山武ジャーナルが指摘してきた、山武市新聞折込組合による申告数水増し疑惑については、配布方法を変更する切っ掛けの一つになっていることは認めた。

山武市内でポスティングを行う体制を持つ民間業者がないため、業務はシルバー人材センターが受け持つ。【続きは山武ジャーナル】

広報紙の配布実態調査、石川県のケース、不自然に高い新聞購読世帯率87%

この記事は、都道府県が発行する広報紙の配布実態調査の続報である。今回、取り上げるのは石川県の広報紙『ほっと石川』である。石川県の場合、広告代理店を仲介せずに、地元紙である北國新聞に新聞折込とポスティング(個別配達)を依頼する仕組みになっている。

結論を先にいえば、広報紙の配布事業そのものには問題がないが、ABC部数の信憑性に疑惑がある。

『ほっと石川』を印刷しているのは、(株)ショセキである。この会社は北國新聞のグループ企業である。『ほっと石川』をめぐる事業が、北國新聞社に大きな収益をもたらしている。

石川県の広報公聴室が開示した『ほっと石川』の発行部数は、47万2千部(2020年6月)である。これに対して、石川県のABC部数(新聞の発行部数)は、約41万部である。『ほっと石川』の方が、6万部ほど多いが、この過剰分がポスティングに割り当てられると考えれば、一応は正常な取引が行われていると言える。

◆◆
しかし、次のような疑問がある。石川県の場合、ABC部数など新聞の公称部数を根拠として計算した新聞購読率が不自然に高いのだ。

2020年6月時点における石川県の世帯数は、約47万世帯である。これに対して新聞のABC部数(朝日、読売、毎日、毎日、日経、北陸中日、北國、その他)の合計は、約41万部である。

石川県の全世帯の87%が新聞を購読していることになる。

日本新聞協会が公表しているデータ(残紙を含む)をもとに計算した2020年の新聞購読世帯率は、61%であるから、不自然に高い。ABC部数に残紙が含まれている可能性があるのだ。

ただ、仮にABC部数に残紙が含まれていても、『ほっと石川』はポスティングもされているので、問題はないという結論になる。

 

念のために北國新聞に次の質問を送付してみたが、返答はない。

北國新聞様

 はじめて連絡させていただきます。
 わたしはフリーランス記者の黒薮哲哉と申します。

 石川県の広報紙『ほっと石川』の配布事業について、教えていただけないでしょうか。
 広報紙の配布方法について、県に問い合わせたところ、新聞折込とポスティングを貴社に委託しているとのことでした。
 そこで次の点についてお尋ねします。

1、 各新聞販売店への配布部数(折込定数)はどのようにして決められているのでしょうか。

2、 ポスティングする住宅は何を基準に、だれが決めているのでしょうか。

3、 広報紙の配布事業を石川県から請け負われた最初の年度は何年でしょうか。

 黒薮

2021年01月26日 (火曜日)

日経新聞が200万部の大台を割る、2020年12月度のABC部数

2020年12月度のABC部数が明らかになった。12月度の特徴としては、日経新聞がはじめて200万部の大台を割ったことである。前回11月度の部数は2,048,943部で、今回12月度は1,993,132となった。年間で約24万部の減部数だった。

他社も部数減の傾向に歯止めはかからず、年間で読売が約60万部の部数減となり、朝日は約42万部の部数減となった。

朝日:4,865,826(-418,887)
毎日:2,032,278(-272,448)
読売:7,303,591(-597,545)
日経:1,993,132(-243,305)
産経:1,221,674(-126,384)

新聞各社は、残紙を整理しない限り販売網が維持できない状況に追い込まれている。しかし、未だに日本新聞協会は、「押し紙」の存在を認めていない。自分たちの非は絶対に認めない姿勢を貫いている。新聞人の資質そのものに問題がある。

「押し紙」政策の非を認めて、販売店に対して過剰請求した新聞代金を返済すべきだろう。また、広告主に対しては、折込広告(自治体の広報紙を含む)の過剰請求分を精算しなければならない。

 

■自治体の広報紙の水増し・廃棄に関する全記事

大阪府の『府政だより』の水増しをめぐる疑問、謎の約50万部、1回目の広報提供データと2回目の広報提供データに大きな誤差、過去10年分を公式に情報公開請求へ

大阪府(吉村洋文知事)の『府政だより』の発行部数に関して疑惑が浮上している。この問題については、1月22日付けの記事で、新聞折込部数がABC部数を下回り、「水増し」とは言えないと報告したが、その後、過去の取材記録を再検証したところ、次の疑問点が明らかになった。

既報したように筆者らは、都道府県が発行する広報紙の新聞折り込み部数について調査している。このうち大阪府が筆者に公表した『府政たより』の発行総部数と新聞折込部数が、1回目の取材と2回目の取材では異なっているのだ。

1回目の取材では、関連するデータについて大阪府は次のように報告していた。

発行部数:約282万部

新聞折込部数:約277部

(ABC部数は約232万部で、『府政たより』は45万部水増し)

新聞折込が45万部ほど水増し状態になっている疑惑が浮上したのだ。そこで筆者は、大阪府に対して公式に情報公開請求を申し立てた。

ところが大阪府は、開示には積極的ではなかった。情報開示には第3者の承諾が必要などとして、速やかに公開しなかった。その代わりにメールでこれらに関するデータを提供すると提案した。

その結果、送られてきたデータが次の通りある。2回目の取材のデータである。

 発行総部数: 232部

 新聞折込部数:227部

(ABC部数は約232部で、『府政たより』は水増し状態にはなっていない)

『府政だより』の新聞折込部数は水増しにはなっていないが、1回目の取材時に比べて、発行総部数が50万部減部数されている。また新聞折込部数は、約50万部が減部数されている。1回目の取材時に得たデータと、2回目の取材時に得たデータが異なるのだ。

1回目の取材で筆者が、『府政だより』の水増しを指摘したので、大阪府は情報公開をしぶり、非公式のデータ(総発行部数を50万部、新聞折込部数を50万部減らしたデータ)を筆者に通知した可能性がある。

今後、筆者は当初の方針どおり公式に情報公開請求を行うことにした。過去10年を対象として『府政だより』の総発行部数と新聞折込部数の開示を請求する。

 

2021年01月23日 (土曜日)

出題者の知的レベルを疑わせる日能研の設問、魚に性についての認識があるのか?

先日、地下鉄の車両に貼られた日能研の広告を見て唖然とした。日脳研は、小学生のための中学受験塾である。広告の中で、次に引用する作文の設問が紹介されていたのだ。このような作文の設問で、小学生を指導しますということなのだろう。

「魚にとって、性は、私たち人間が思っているよりもずっと自由なものなのだ。男らしいとか、女らしいなど、魚にとってはそれほど重要なことではないのだ。」とありますが、人間社会でも「男らしい」「女らしい」と区別しなくなってきています。その例としてどのようなことがあげられますか。それに対するあなたの意見とそう考える根拠を書きなさい。

この設問を読んだ時、わたしは自分が生まれ育った国の知的レベルが致命的に劣化し、将来、日本は世界から孤立しかねないと思って、寂しい気持ちになった。洗脳の恐ろしさと大罪を思った。

おそらく受験のために作成された設問ではないかと想像するが、「教育者」がこのレベルでは絶望的だ。

設問の何がおかしいのかと言えば、まず、第一に魚の世界でも、性に関する認識が存在するという前提に立って、設問していることである。出題者の知的レベル、あるいは基礎学力が問われるのだ。【続きはウェブマガジン】