1. 森喜朗の失言問題、炎上現象の背景に潜んでいる日本社会の危険な側面、世論誘導は自覚できない

マスコミ報道・世論誘導に関連する記事

2021年02月09日 (火曜日)

森喜朗の失言問題、炎上現象の背景に潜んでいる日本社会の危険な側面、世論誘導は自覚できない

さながら「一億総決起」、スタンピード現象である。

森喜朗(東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長)の女性差別をめぐる失言の後、メディアで炎上現象が起きている。新聞・テレビが執拗に報じるだけでなく、ワイドショーもツィッターも森バッシングで溢れている。

坂本龍一(ミュージシャン)や為末大(元陸上競技選手)といった著名人も、森批判の姿勢を表明している。おそらくこれは、メディアからコメントを求められた末の態度表明ではないか。

わたしは、2月5日付けのメディア黒書に、「森喜朗会長の失言、ワイドショーでも炎上、スピーチ原稿なしに発言できない堅苦しい時代に」という記事を掲載した。それに連動して自分のツィターで今回の炎上現象を批判した。

暗黙のうちに国民の行動規範が定められ、そこからはみ出した者を徹底的に辱める風潮が、いずれ言論検閲や言論統制の布石になりかねない危惧を表明したのである。

森発言の内容そのものには擁護の余地がないので、だれもこの炎上現象を批判しない。異常とは感じない。批判すれば、返り血を浴びるリスクがある。非国民にされかねない。

このような現象は、「一億総決起」を呼びかけた戦前・戦中の天皇制国家の亡霊にほかならない。

◆◆
ところがわたしの意見表明に対して、ツィツターやメールなどで批判の投稿をする人が相次いだ。いわゆる「オザシン」(小沢一郎支持者)と呼ばれる人々である。森発言は内容そのものが誤っているので、それ自体を批判することは当然という単眼的な意見である。

現在起きている炎上現象も同じ思想的方向性といえるだろう。

しかし、わたしはそのような見解は、「森を見て木を見ない」論法にほかならないと考えている。問題なのは、多様な言論の存在を容認しない社会が輪郭を現してきたことなのである。

それが言論統制の布石となる。マスコミは、複眼的な視点からこのあたりの事情を認識すべきだろう。こそれを忘れて、炎上現象をあおるのは危険この上ない。

◆◆◆
実は、個人を集団でつるしあげる現象は、最近、われわれの社会の至る所で発生している。たとえば反差別民族運動を展開するグループが深夜に、大阪市で起こした大学院生リンチ事件である。

マナーを守って喫煙していた住民に対して、その隣人が日本禁煙学会の関係者の支援を得て、4500万円の賠償を求めた裁判(横浜副流煙事件)である。喫煙者を社会から抹殺することがその目的だったようだ。

これらの事件では、組織が暗黙に定めた行動規範を逸脱した者が、組織によって厳しい攻撃を受けている。前者は、鉄拳制裁であり、後者は不当裁判だった。(※近々に反訴がはじまる。)

マスコミが報じない(ただし、週刊新潮と週刊実話、アサヒ芸能は報じた)だけで、水面下では「異端者」の排除が進んでいるのである。

日本のメディアは、想像以上に劣化している。劣化の実態すらも自己認識していない。

世論誘導とは何か?
今おきていることがそれにほかならない。

まったく自覚できないのが特徴なのである。

 

【写真の出典】ウィキペディア