1. 市民運動の外圧に屈した『週刊金曜日』、タブーなき編集方針はどこへ?

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2024年02月10日 (土曜日)

市民運動の外圧に屈した『週刊金曜日』、タブーなき編集方針はどこへ?

次の記事は、『紙の爆弾』(2023年10月号)に掲載した記事のネットでの再掲載である。原題は、「週刊金曜日 書籍広告排除事件にみる 左派言論の落日」。メディア黒書の企画、「市民運動」の危険性を考えるシリーズの1回目である。

(株)週刊金曜日と鹿砦社の関係に亀裂が生じている。この事件は、はからずしも独立したジャーナリズムとは何かという問題を突きつけている。

発端は、鹿砦社が5月に刊行したムック、『人権と利権』である。この本は少女売春の防止や性的マイノリティの権利確立など、一般的にはあまり知られていな市民運動のありかたに疑問を呈した内容だ。新聞・テレビのステレタイプな報道とは方向を異にしている。編著者で作家の森奈津子氏は、性の自認を正当化する政界の動きと世論に警鐘を鳴らし、「女子トイレを守る運動」にも奔走している。

6月18日付けの『週刊金曜日』は、裏表紙に『人権と利権』の書籍広告を掲載した。鹿砦社は定期的に同誌に書籍広告を掲載してきた。

『人権と利権』がアマゾンの書籍販売ランキングで首位に躍り出ると、SNS上では炎上現象が起きた。「ネット民」らの罵倒がネット上に広がり、その矛先は同書の広告を掲載した(株)週刊金曜日にも向けられた。同社の植村隆社長によると『週刊金曜日』を指した次のようなツイートが投稿されたという。「今は極右の雑誌なのか?」、「終わっとるな」、「いい加減に鹿砦社の広告を載せるのを止めた方がいい。言論の自由とヘイトの自由は別でしょう」。Colaboの仁藤夢乃代表も、同誌を指して「最悪」と投稿した。また直接、(株)週刊金曜日に抗議したという。

Colaboとは、家出した少女らを売春から救済するなどの活動を東京の歌舞伎町などで展開している市民運動体である。仁藤氏は、フィリピンのマニラあたりまで足を運び、「日本人買春者が集まる性売買集結地「#マラテ」の夜の街を歩き」(ツィター)、その実態を発信したりもしている。著名な辣腕社会運動家である。

仁藤氏による抗議の発端は、『人権と利権』の広告を『週刊金曜日』が掲載したことである。『人権と利権』にColaboの批判が含まれていたことが許せなかったのだろう。今年1月、東京都監査事務局は、Colabo(コラボ)」の経理に関して、住民が申し立てた住民監査請求を認めた。一部に不当な点があるとして再調査を指示した。最終的に東京都は、不正は無かったと結論づけたが、鹿砦社と森氏はジャーナリズムの観点から再検証して、『人権と利権』にまとめた。しかし、仁藤氏は版元の鹿砦社ではなく、(株)週刊金曜日に抗議の矛先を向けたのである。

それを受けて植村社長と文聖姫編集長は、仁藤氏を訪ねて謝罪した。『週刊金曜日』誌上に謝罪告知を出すことも約束した。こうして両者の不和は解消され、仁藤氏は、植村社長とのツーショット写真を自らのツイッターに掲載した。問題が解決して、2人とも満面の笑みを浮べていた。その直後、仁藤氏は「ネット民」による「週刊金曜日を定期購読再開しよ」という投稿をリツィートした。はからずも『週刊金曜日』の購読者層が、編集部にとって外圧なっていることが露呈したのだ。

謝罪告知は、6月30日付け『週刊金曜日』に掲載された。その中で同社は、『人権と利権』を「差別、プライバシーの侵害など基本的人権を侵害するおそれがある」書籍と断定した上で、仁藤氏とLGBT関係者に謝意を表明した。その後、植村社長が西宮市の鹿砦社本社に足を運び、今後、広告掲載を認めない旨を申し入れた。さらに植村社長は、2度にわたり鹿砦社との決別を宣言するコラムを『週刊金曜日』に掲載したのである。そこには「Colabo攻撃を許さない」といった言葉もある。

ちなみに植村氏は、『人権と利権』を「差別本」と公言するに先立って、鹿砦社からも森氏からも一切事情を聞いていない。書籍広告を掲載するかどうかを判断する際には、著者や版元を取材する必要はないが、このケースは、鹿砦社の社会的評価を失墜させる謝罪告知の内容にかかわることであるから、相手の言分を取材するのが原則である。そのプロセスがまったく無視されたのだ。

■許可を得てから写真撮影するのがジャーナリズムの常識なのか?

わたしは植村社長に、『人権と利権』のどの箇所を問題視したのかを文書で問い合わせてみた。その結果、具体的な指摘があった。たとえば表紙のデザインに問題があるとして、次のような自論を述べている。

「実際にコラボのバスが傷つけられた事件が起きており、(このデザインは)それを想起させます。同書の中で、編者の森奈津子さんと対談した富士見市議の加賀ななえさんは、『女性に対する暴力を想起させる表紙はあってはならず、気づかずにいた事は私の過ちです』とツイートで発信しています。『週刊金曜日』も同じように考えています。」

 「女性に対する暴力を想起させる表紙」が、『人権と利権』を「差別本」と判断した理由のひとつだというのだ。しかし、背景色の赤とバスの赤は重複していて、バスの輪郭を識別することは容易ではない。なんとか識別した後も、わたしは豪雨の中をバスが迷走しているイラストだと思った。太く白い線は、バケツの水を散らしたような雨に見えた。白い線がナイフを意味していても、それが特に悪意を持った表現だとは感じなかった。と、いうのも実際にナイフでColaboのバスを傷付ける事件が起きた経緯があるからだ。事件をイラストで表現することは、ジャーナリズムの正当な表現である。イラストレーターや鹿砦社にはなんの汚点もない。

さらに植村社長は、『人権と利権』に掲載された仁藤氏の写真に言及して、「仁藤さんを盗撮しています。これは肖像権の侵害ではないでしょうか」と指摘する。しかし、取材対象者の承諾を得てから写真を撮っていたのでは、リアルな報道は成立しない。

それに掲載された写真は、仁藤氏の醜態を公衆にさらしたものではない。すでにツイッターなどで十分に認知されている顔を、カメラマンが現場でアリバイとして撮影したものに過ぎない。肖像権を理由に『人権と利権』を排除するのは、報道規制に加担するに等しい。

記述についての言いがかりめいた批判もあるが、いずれも言葉尻を捉えて我田引水に解釈しているに過ぎない。わたしは植村社長が『人権と利権』を「差別本」と認定した根拠をまったく発見できなかった。背景に何か別の動機があったとしか思えない。

■市民運動に対する過信

実は、書籍広告をめぐる(株)週刊金曜日と鹿砦社のトラブルは、『週刊金曜日』の2016年8月19日号でも起きている。特定の購読者が(株)週刊金曜日に対して圧力をかける構図は昔からあったのだ。それはSEALDs を肯定的に取り上げた特集号で起きた。この号の裏表紙に(株)週刊金曜日は、鹿砦社が編集した『ヘイトと暴力の連鎖 反原連─SEALDs─しばき隊─カウンター』を掲載した。同書は、反原連やSEALDsとも関係の深いしばき隊が、2014年12月14日の深夜に大阪市の北新地で起こした大学生リンチ事件を取材したものである。メディアや有識者らが申し合わせたように沈黙したために、あまり知られていないが、市民運動が孕む危険性を露呈した事件である。

しばき隊のリーダー格の女は、法廷で最後まで自分は大学院生の暴行には加わっていないと主張し続けたが、大阪高裁は次のような興味深い事実認定を下している。

「被控訴人(リーダー格の女)は、Mが本件店舗に到着した際、最初にその胸倉を掴み、AとMが本件店舗の外に出た後、聞こえてきた物音から喧嘩になっている可能性を認識しながら、飲酒を続け、本件店舗に戻ってきたMがAからの暴行を受けて相当程度負傷していることを確認した後、『殺されるなら入ったらいいんちゃう。』と述べただけで、警察への通報や医者への連絡等をしないまま、最後は負傷しているMを放置して立ち去ったことが認められる」

『ヘイトと暴力の連鎖』の書籍広告を掲載した(株)週刊金曜日には抗議が殺到したという。この点ついて植村社長は、次のように述べている。

「『SEALDs を特集しておいて、SEALDs を叩く本の広告を載せている』などと、弊社は様々な批判を受けました。北村肇前社長時代のトラブルですが、その記憶は、弊誌の読者に強く残っており、私が社長になった後も、『鹿砦社の広告を出すべきではない」という批判の手紙などが私の手元や編集部に送られてくることもありました。』」(松岡社長への書簡)

北村前社長は、「外野の声」に屈しなかったが、植村社長は屈したのである。念のために、わたしは植村社長に書面でしばき隊が起こした大学生リンチ事件についての見解を問うたが、回答は控えるとの返答だった。

外圧が『週刊金曜日』の編集方針に影響を及ぼしている実態が露呈したのである。さらに気になるのは、仁藤氏らの抗議に屈した流れで、同誌が市民運動との連帯をさらに強める可能性である。

しかし、既に述べてきたように市民運動体の中には、単眼的で運動方針に問題がある団体も少なくない。たとえば法律による差別の取り締まりやLGBTは、簡単に白黒の判定ができる性質の問題ではない。人間の心を法律で規制できるはずがないし、性の自認を認めてしまえば、女子トイレでの盗撮が増え、混乱が生じるのは目に見えている。さらにそのトラブルに付け込む弁護士の利権も絡んでいる可能性もある。これらの問題は慎重に検討しなければならないジャーナリズムのテーマなのである。

それにもかかわらず、(株)週刊金曜日が仁藤氏の要請に応じ、鹿砦社側を取材することなく、高飛車に切り捨てたことは重大な問題を孕んでいる。