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2015年02月09日 (月曜日)

読売の渡辺恒雄会長が安倍首相と会食を重ねる、言論界に重大な負の影響

時事通信の「首相動静」によると、2月5日に読売新聞グループの主筆で会長、新聞文化賞受賞者の渡辺恒雄氏が、安倍晋三首相と会食した。会食場所は、東京・飯田橋のホテル・グランドパレスにある日本料理店「千代田」である。

安倍首相が同ホテルに到着したのは、午後6時41分。会食を終えて私邸へ向かったのは、8時35分であるから、約2時間にわたって会話を交わしたことになる。何が話し合われたのかは分からない。

渡辺・安倍の両氏が会食を繰り返してきたことは、これまでもたびたび報じられてきた。たとえば2014年12月30日付けの『しんぶん赤旗』によると、それまでの会食回数は8回にも及んでいる。

取材目的の会食であれば、頭から批判するわけにもいかないが、渡辺氏がルポタージュを書くための取材を進めているという話は聞いたことがない。

ちなみに『しんぶん赤旗』によると、渡辺氏のほかにも読売関係者は、安倍首相と会食を重ねている。

白石興二社長:2回
論説主幹:7回
政治部長:1回

何が目的で政治家と広義のジャーナリストが会食を重ねているのか、目的は定かではないが、最近の新聞業界の動きを見ると、会食を通じた情交関係が有形無形のかたちで、新聞紙面や新聞人の言動に影響を及ぼしているのではないかと勘ぐりたくなる。

◇朝日記者のシリア取材

たとえば読売の紙面が以前にもまして政府よりになっている点である。実例として引くのは、MEDIA KOKUSYOで既報した次の記事である。

■朝日の複数記者、外務省が退避要請のシリア入国(読売新聞 2015年01月31日 13時33分)

 【特集 邦人人質】
 
 イスラム過激派組織「イスラム国」とみられるグループによる日本人人質事件で、外務省が退避するよう求めているシリア国内に、朝日新聞の複数の記者が入っていたことが31日分かった。

 同省は21日、日本新聞協会などに対し、シリアへの渡航を見合わせるよう強く求めていたが、朝日のイスタンブール支局長はツイッターで、26日に同国北部のアレッポに入り、現地で取材した様子を発信していた。

この報道がなぜおかしいのだろうか? それは、政府の方針から独立して取材活動をすることが常識になっている新聞記者の「抜け駆け」に、恐らくはデスクがニュース価値を感じて記事掲載に踏み切っているからだ。「あたりまえの事をなぜ記事に」という滑稽感があるのだ。

朝日記者の行動を問題視する「優等生」的な視点があるデスクでなければ、このような記事を掲載しようという発想そのものが起こりえない。

ちなみになぜ朝日記者の行動が正しいのかは単純だ。だれかが紛争地帯の内部に入らなければ、そこで本当に何が起こっているのかが分からないからだ。事実を把握しなければ、政府すらも方針を立てようがない。それを禁止するのは、事実を正確に確認しないまま政策を決める愚行に等しい。

安倍内閣がやっているのは、その愚行にほかならない。

余談になるがTBSの報道特集によると、イスラム国に詳しいヨルダンの評論家は、人質事件に対する日本政府の対応を酷評している。安倍首相は決定的な3つの過ちを犯したという。

①人質事件への対応が大幅に遅れた。

②中東訪問で、「テロ対策」に言及した。

③対策本部をトルコではなく、ヨルダンに設置した。

◇利害関係の構図

さらに一連の会食と並行して、新聞に対する消費税軽減税率の問題が政治の重要なテーマになっている事実も見過ごすことができない。会食の場で、渡辺氏と安倍首相が消費税の軽減税率について話したかどうかは不明だが、かりに新聞業界のこの要望を政府が受け入れた場合、国民の多くは、「会食効果」と推測するだろう。

結果、新聞ジャーナリズムは、ますます信頼を失うことになる。しかも、負の影響は読売一社に限定されない。他の新聞社はいうまでもなく、書籍出版の業界にもおよびかねない。

と、言うのも出版社も、新聞社と同様に軽減税率の恩恵を受けるからだ。逆説的に言えば、こうした利害関係の構図が、マスコミ業界全体に安倍首相と渡辺氏の会食を厳しく批判しない空気を生み出しているのである。

政府によるメディアコントロールと軽減税率の問題は、密室の中で同時進行しているのである。

2015年02月06日 (金曜日)

イスラム国問題を逆手に取って進む軍事大国化、朝日に追いつけない読売、新聞記者はシリアを取材してはいけないのか?

イスラム国が2人の日本人を処刑した事件を逆手に取って、安倍内閣による軍事大国化の動き、それに伴う治安の強化や学校教育に対する締め付けがエスカレートしている。

中国や韓国との領有権問題を利用して、反中・反韓意識を煽り立て、それを追い風として解釈改憲の閣議決定を強行したり、特定秘密保護法を成立させたのと同じ方法が、イスラム国問題を背景に進行している。

新聞・テレビの報道で、こうした動きを確認することが出来る。以下、主要な記事の一部をピックアップしてみよう。

■「国内にイスラム国支持者」=山谷国家公安委員長が答弁(時事通信 2月4日(水)20時35分配信)
 
 山谷えり子国家公安委員長は4日の衆院予算委員会で、過激組織「イスラム国」が後藤健二さんらを殺害したとみられる事件に関し、「(イスラム国)関係者と連絡を取っていると称する者や、インターネット上で支持を表明する者が国内に所在している」と述べ、警察庁で関連情報の収集・分析を進めていることを明らかにした。平沢勝栄氏(自民)への答弁。

■安倍首相、9条改正に意欲=空爆後方支援否定も「合憲」―参院予算委(時事通信 2月3日(火)16時6分配信)
 
 安倍晋三首相は3日午後の参院予算委員会で、戦争放棄をうたった憲法9条について「わが党(自民党)は既に9条改正案を示している。なぜ改正するのか。国民の生命と財産を守る任務を全うするためだ」と述べ、「国防軍」創設などを盛り込んだ自民党改憲草案の実現に意欲を示した。次世代の党の和田政宗氏への答弁。

  首相は、有志連合による過激組織「イスラム国」への空爆作戦に関し、仮に自衛隊が後方支援を行ったとしても、海外での武力行使を禁じた憲法9条には抵触しないとの認識を示した。

■朝日の複数記者、外務省が退避要請のシリア入国(読売新聞 2015年01月31日 13時33分)

 【特集 邦人人質】
 
 イスラム過激派組織「イスラム国」とみられるグループによる日本人人質事件で、外務省が退避するよう求めているシリア国内に、朝日新聞の複数の記者が入っていたことが31日分かった。

 同省は21日、日本新聞協会などに対し、シリアへの渡航を見合わせるよう強く求めていたが、朝日のイスタンブール支局長はツイッターで、26日に同国北部のアレッポに入り、現地で取材した様子を発信していた。

■警察庁、「国際テロ対策推進本部」を設置(TBS系・JNN) 2月5日5時28分配信)

 イスラム国による日本人殺害事件で、イスラム国が「今後も日本人を標的にする」と表明していることを受け、警察庁は4日、「国際テロ対策推進本部」を設置しました。

  警察庁は警備局長を本部長とする「国際テロ対策推進本部」を設置、今回「イスラム国」が日本人を殺害した上、「今後も日本人を標的にする」と表明していることを受け、この事件を検証し、今後のテロ対策を見直すということです。

■女性教諭、授業で児童に湯川さん遺体画像見せる(読売新聞 2月5日19時48分配信)
 
 名古屋市教育委員会は5日、同市立小学校の授業で、女性教諭がイスラム過激派組織「イスラム国」に殺害されたとみられる日本人人質の遺体の画像などを児童に見せていたと発表した。

  市教委は「不適切な指導だった」として謝罪した。教諭は「情報のあり方を考えさせ、生命の大切さについても目を向けてほしかった。画像を見せたことは浅はかだった」と話しているという。

◇教育統制の背景

改めて言うまでもなく、軍事大国化を進めるプロセスで、それに連動した政策が登場する。具体的には、たとえば日米共同作戦にともなう軍事上の秘密を非公開にするための特定秘密保護法である。軍事秘密が外部に漏れると、軍事作戦に支障をきたすから、この法律が制定されたのだ。

とはいえ特定秘密保護法の運用に際しては、指定対象になる秘密が、軍事に関するものを建前としながら、はるかにその領域を超えていることも事実である。それゆえに法律の拡大解釈による秘密指定により、ジャーナリズム活動が制限されたり、人権侵害が日常化することが懸念されているのである。

また、教育の統制も軍事大国化と連動する。それは戦前・戦中の愛国心を煽る教育がどのようなものであったのか、その歴史をふり返れば一目瞭然だ。

安倍首相が愛国心教育に熱心なことは周知となっている。第1次安倍内閣の時代に教育基本法を改正しただけではなく、「美しい国プロジェクト」と称する観念論教育にも着手した。こうした流れは、1960年代に中教審が打ち出した「(目上の人に)期待される人間像」の文脈に属する。

もっとも安倍内閣の教育政策は、戦争目的だけではなくて、少数エリートと従順な多数の労働者の育成という新自由主義下の生産体制に合致した人間像の形成という側面もあるが。

◇シリアを取材してはいけないのか?

上に引用した記事、「朝日の複数記者、外務省が退避要請のシリア入国」(読売)は、「期待される人間像」から一貫してきた日本の教育政策の中で、どのような人間が作られてきたのかを如実に物語っている。

政府が危険地帯に近づかないように邦人に対して退避要請を出すのは、立場上、当たり前のことである。ところが問題は、読売の記者が、それを素直に受け入れて、「抜け駆け」した朝日新聞の記者を暗に批判していることである。

われわれは幼児から、学校の先生の指示には素直に従うように教えられてきた。そこには目上の人の言葉に疑いを差し挟む余地がない。そういう生徒こそが学校の成績もよく、「お受験」を勝ち抜いて、大企業に就職していく。そしてマスコミ部門では、新聞記者やテレビのデレクターになっていく。

目上の人の指示に盲従する体質。それが読売の記事には、露骨に反映している。読売が紙面では、朝日に追いつけないゆえんではないだろうか?

※写真の出典=ウィキペディア

2015年02月05日 (木曜日)

危険が指摘され始めたLED照明(ブルーライト)による人体影響、理学博士・渡邉建氏インタビュー②

◇LEDで睡眠障害が起こる理由

 --LEDが睡眠障害の原因になるという説もありますが?

渡邉:網膜に神経節細胞というものがあります。15年ぐらい前になりますか、この細胞の新しいタイプが発見されました。ガングリオン・フォトセプターと呼ばれるもので、ここで受けた信号は、体内時計にあたる脳の視交叉上核というところへ送られます。

視交叉上核は、昼間であれば太陽光のブルーライトが目から入るために、昼間と判断して睡眠を妨げますが、夜になるとブルーライトが減るので、睡眠に入れる状態にします。ところが夜間にパソコンなどのブルーライトが多量に目に入ると、体内時計が夜と昼を勘違いして、眠れなくなるわけです。

常にブルーライトを浴びていると、1日のリズムが崩れてしまいます。少なくとも夜は、パソコンやスマフォを使わない方がいいですね。夜は赤みがかった色の明かりを使うのが賢明です。いまの白色LEDは読書には向かないですね。

ガングリオン・フォトセプターは、昼間と夜を識別するための細胞ではないかとする説が有力です。また、瞳孔の大きさをコントロールする信号を送っている細胞ではないかということも分かってきました。

◇LEDで熱帯魚の背骨が曲がった

--発癌性はどうでしょうか?

渡邉:紫外線には発癌性(毒性)があります。ブルーライトについても、活性酸素を発生させますから、免疫系に影響を及ぼし、発癌につながると思います。ですから、常時、過剰にブルーライトをあびるのは問題があると思います。

夜働いている女性が、乳ガンになる可能性が高いことは、かなり確かになってきています。夜になると、ブルーに対する感度が高くなりますから、それだけ人体影響も大きいのです。

筆者は、自宅で飼っているグッピー(熱帯魚)の水槽の照明を、通常の蛍光灯からLEDに切り替えた。その結果、腫瘍を発症するグッピーや背骨が曲がるグッピーが現れた。水草は、黒く変色した。この現象を、2014年9月1日に自身のウエブサイトで紹介したところ、20万件に近いアクセスがあった。

※筆者が自身のウエブサイト「MEDIA  KOKUSYO」に掲載した奇形熱帯魚の記事

--グッピーに異変が起きた原因はLEDのブルーライトでしょうか?

渡邉:白色(青色LED内臓)を当てた結果、こういうことが起こったわけですから、それが原因だと考えてもいいだろうと思います。記事のコメント欄に、水槽がよごれていたのではないかとか、いろいろな書き込みがありましたが、背骨がまがるというのは、尋常ではないですね。

◇安全なLEDは存在するのか?

 --LED照明の質によって危険度は異なりますか?

 渡邉:質の高いLEDは、光の合成(3色)で白色を作ります。光の波長の組み合わせで、なるべく自然光に近いものを作ることが出来れば、よりリスクは少なくなります。

しかし、製造費が非常に高くなります。安いLEDは、青を基調にして、蛍光物質をかぶせて白色を出しているだけですから、製造費は安くなりますが、リスクは増します。多分、街灯などに使われているのは、いちばん安いタイプです。どうしてもLEDを使うというのであれば、安いものは避けるべきです。ただ、現段階では高いものでも、絶対安全とは限りません。

太陽光は、赤から青まで、あらゆる波長を持っているわけです。これが自然光です。

ところが、LEDはある特定の波長だけを使うわけです。波長の組み合わせに関して言えば、一番危険なのは、レーザーですね。特定の波長だけを出し、しかも、真っ直ぐに直進します。網膜に入ると網膜上で焦点を結びます。ですからそこが焼き切れてしまう恐れがあります。レーザー光源を覗いてはいけない。それで失明した人は多いのです。

自然光は、人類が馴染んでいますから、極端に、紫外線やブルーライトをあびない限りは、まあ安全でしょうね。

◇業界団体は安全を宣言しているが・・

--業界団体は安全宣言を出していますが。

渡邉:岐阜薬科大学や東北大学の研究成果を反映しているとは思えません。第一、これらの研究成果が公表されたのは、ここ半年のことで、しかも、ブルーライトで昆虫が死に至るという新発見にいたっては、昨年の12月の発表ですから、安全宣言に研究成果が反映されていないのが当然です。

たとえば照明学会という団体があるのですが、ここは通常のLEDの使用で問題がないだろうと言っています。

しかし、これまで「安全」と言われてきたLEDが、そう簡単な問題ではないぞ、ということになっています。東北大学の研究発表にインパクトがあるのは、殺菌作用があるのは、紫外線だけだと思われていたのが、波長が417nmとか467nmのブルーライトで昆虫が死んだからです。

 --LEDの街灯などが、部屋に差し込んでいる場合の対策を教えて下さい。

 渡邉:LEDの可視光線は電磁波ですが、少し性質が異なります。可視光線の実体はフォトンといふ粒子でもあると言われています。粒子でもあるし、電磁波でもある。粒子が当たって、網膜で電気的な反応が起こり、脳で光を認知しているわけです。

対処方法はいたって簡単で、光を遮断することです。しかし、LEDの光が当たる窓ガラスのカーテンは劣化します。カーテンがエネルギーを吸収しますから、色もあせます。

◇パソコンから目を守る方法
 

--パソコンの画面からもブルーライトが出ているわけですが、対策はあるのでしょうか?

渡邉:わたしはパソコンの画面を少し暗くしています(周辺はあかるく)。また、3原色をコントロールできるようになっているので、青色成分を落としています。そうすると画面全体がやや黄色っぽくなりますが、こうするほうが安全です。ただ、実際にどこまで効果があるのかは、分かりませんが・・・。

 --赤色LEDと黄緑LEDは大丈夫ですか。

渡邉:今のところ害は報告されていないようです。LEDを直視し続けた場合などは別ですが、特に普段の生活では問題ないと思います。太陽光だって、ずっと見ていたら、眼は焼き切れますからね。

--新商品の安全性の問題をどのように考えればいいのでしょうか?

 渡邉:ノーベル賞を2度受賞したキュリー夫人は、放射性物資のラジウムとかポロニウムを直に手で触っていました。はじめは危険性が分からなかったからです。その結果、晩年には、手が動かなくなったと言われています。いま携帯電話やスマフォを手にしている幼児が、大人になったとき、どうなるかはだれも知らないわけです。

スマフォや近所の携帯基地局のアンテナから放射される電磁波(放射線)は見えません。匂いも味もありません。ですから危険性に気づかない人が多いのです。分かっていないことはまだいっぱいあります。常にリスクを頭に入れておくべきだと思います。

2015年02月04日 (水曜日)

危険が指摘され始めたLED照明(ブルーライト)による人体影響、理学博士・渡邉建氏インタビュー①

青色LEDの開発に貢献した日本の研究者3名のノーベル物理学賞受賞を機に、関連製品のPRが大々的に行われている。一方で、ここ半年余りの間に、青色LEDによる人体への悪影響も指摘されるようになった。

東北大学大学院の研究チームは昨年12月、青色LEDを昆虫に照射したところ死に至ったとする研究結果を、英国の科学誌『Scientific Reports』に発表した。

また、岐阜薬科大学も同誌に、青色LEDが加齢黄斑変性症など失明に至る病気の原因になっているとの研究結果を発表。

さらに、LED光を浴びた熱帯魚の奇形など、民間レベルでもリスクが報告されている。LEDはどのような性質のものなのか。「これまで『安全』と言われてきたLEDは、そう簡単な問題ではない」と話す理学博士の渡邉建氏に、リスクとその対処法を聞いた。

--LEDはどこで使われていますか?

 渡邉:もっとも身近なものとしては、部屋の照明や街灯です。丈夫で長持ちして、電力の使用量も抑えられるということで従来の照明から、LEDへ切り替える人が増えています。また、パソコンのバックライトの照明にも使われています。

かつては特殊な蛍光灯を使っていたのですが、今はそれをやめて白色LEDのバックライトになっています。そこに液晶のスクリーンを置いているわけです。さらに携帯電話やスマートフォンのバックライトにも、LEDは使われています。

ちなみにLEDではありませんが、紫外線は冷蔵庫などの殺菌装置や、水をきれいにする装置で実用化されています。紫外線に毒性があることは周知ですが、青色LED(ブルーライト)にも、毒性があることが最近になって指摘されるようになっています。

後で述べますが、東北大学のグループが、ブルーライトを害虫駆除に応用する方向で研究を進めています。ですから、当然、人間の人体にも有害な可能性があります。

◇ブルーライトと電磁波

--そもそもLEDとはどのようなものなんでしょうか?

 渡邉:LEDは、Light-emitting diodeの頭文字を取った略称です。半導体の発光ダイオードのことです。これに電流を流すと光を発します。ですから文字通り「発光」ダイオードというわけです。

しかし、眼にみえない光を発する領域もあります。たとえばテレビのリモコンなどは、赤外線のLEDなので知覚できませんが、センサーが赤外線を感知するから機能するわけです。

 --LEDでは、どのような光の色が出せるのでしょうか?

 渡邉:赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫です(不可視光の赤外光、紫外光を出すLEDもあります)。これらの色光を組み合わせることで、別の色も合成できます。このうちブルーライト(青色LED)の開発は日本の3人の研究者によってなされ、昨年、ノーベル物理学賞を受賞しました。

最初に発明された色は赤でした。米国人のニック・ホロニアックという人が1960年代に赤LEDを作ったのです。そのうち黄や緑が開発されました。今、青が出てきたので、光の合成により白色もできるようになりました。

その意味では、ブルーライトの開発は、産業界にとっては、大きな貢献には違いありません。しかし、ブルーライトによる人体への影響も指摘されはじめているのです。

そもそもブルーライトとはどういう性質のものなのだろうか。
 読者は意外に感じるかも知れないが、この点を理解するためには、電磁波とは何かを理解しなければならない。

電磁波の「電」とは電気のことである。一方、電磁波の「磁」とは、磁気のことである。

 つまり電磁波とは、ごく端的に言えば、電気と磁気がその影響範囲である電磁場を作った電波の形状を描写した言葉である。「電磁波=電波」と考えてもよい。

  電磁波にはさまざまな種類がある。原発のガンマ線から医療現場のエックス線、さらには携帯電話の通信に使われるマイクロ波まで、かなり細かく分類されている。その分類の基準となるのが、電波の周波数(サイクル数)である。一秒間に繰り返す波の数により、下図PDFのように分類され、ヘルツ(サイクル/秒)という単位で表示される。

電磁波の分類PDF

 たとえば電力会社が提供する電気の周波数は、50ヘルツ(東日本)である。これは1秒間に50サイクルの波を意味する。ある種の無線PCは、2.5ギガヘルツ(25億サイクル/秒)、電子レンジは、2.45ギガヘルツ(約24億サイクル/秒)である。

周波数が高いほど波が小刻みになるので、波長が短くなる。それに伴いエネルギーも高くなるので波長によって、電磁波を分類することができる。

 さて、この電磁波の分類対象のひとつに可視光(380 ~ 780 nm)と呼ばれる帯域がある。文字通り、光として視ることが可能な帯域の電磁波である。本稿のテーマであるブルーライトは、可視光線に分類される。ブルーライトも、電磁波である。

◇ブルーライトで昆虫が死んだ

--ブルーライトによる、どのような人体影響が懸念されているのでしょうか?

渡邉:問題視されていることは、複数あります。昨年12月に東北大学大学院農学研究科の堀雅敏准教授らのグループが、LEDのブルーライトに殺虫効果があるという研究結果を英国の『Scientific Reports』に発表しました。昆虫に特定の波長を持つブルーライトを放射したところ、昆虫が死ぬことが分かったのです。

これまで、ブルーライトよりも波長が短い(エネルギーがより高い)紫外線に殺菌作用があることは知られていましたが、それよりも波長が長い(エネルギーが低い)ブルーライトで、細菌どころか昆虫が死ぬことが分かったのです。これは従来の常識を覆した発見で、驚きに値します。

東北大学大学院の研究チームは、ショウジョウバエの蛹(さなぎ)に、紫から赤までのピーク波長378~702nmのLED光を放射して、羽化できずに死亡した割合を調べた。その結果、440nmと467nmの波長のブルーライトがもっとも致死率が高いことが分かった。そこで今度は、ショウジョウバエの卵、幼虫、成虫に対して467nmのブルーライトを当てたところ、いずれも「照射」により死亡した。

 次に蚊の蛹にブルーライトを当てて殺虫効果を調べる実験を行った。その結果、417nmの波長のブルーライトだけが高い殺虫率を示した。

 こうした実験結果を踏まえて、東北大学のプレスリリースでは次のように結論づけている。

青色光は様々な昆虫種に対して殺虫効果を示します。また、その効果は卵、幼虫、蛹、成虫のいずれの発育段階でも得られます。ただし、青色光であっても効果的な波長は昆虫の種により異なっております。また、ショウジョウバエのように、ある種の昆虫にとっては、紫外線よりも青色光のほうが高い殺虫効果を示し、動物に対する光の致死効果は波長が短いほど大きいという従来の考えは当てはまらない動物種の存在が明らかになりました。 
 

渡邉:東北大学の研究結果からすると、特定の波長のブルーライトが細胞を傷つける可能性があります。細菌とは異なり、かなり高度な生物に属す昆虫が死ぬわけですから、人体に対する影響にも注視する必要があります。

◇目の網膜を傷つける理由
 --ほかにどのような人体影響が問題になっていますか?

 渡邉:目に対する悪影響も懸念されています。これについては昨年の6月、岐阜薬科大のグループが研究結果を、同じイギリスの科学誌『Scientific Reports』に掲載しました。ブルーライトが眼精疲労や網膜の急性障害、加齢黄斑変性、色素変性の原因のひとつではないかと考察される実験結果を公表したのです。

マウスの視細胞を被検体に使って、LEDによる青光、白光、緑光で曝露させ、それぞれの活性酸素の量を調べた実験です。活性酸素の量が増えるということは、細胞に障害が起きていることを意味します。

実験の結果、緑色光ではまったく変化がありませんでしたが、青光と白光では、活性酸素の量が増えました。白色LEDも青色LEDを基本に作っているわけですから、白色LED光でも活性酸素が増えて当然です。

紫外線は角膜や水晶体に吸収されますが、青色光は、網膜に達するのです。光は電磁波エネルギーですから、自然に消えるわけではありません。物がぶつかったら痛いでしょう。なにかの作用に変質します。この場合ですと活性酸素の発生でしょう。それが網膜の障害となって現れるわけです。

白色LEDを照明に使っている職場で働いているひとたちが、「目が疲れる」と訴えるのは、当たり前のことではないでしょうか。

 岐阜薬科大学薬効解析学研究室の原英彰教授の研究グループは、ブルーライトが目に障害を及ぼすメカニズムを解明した。プレスリリースによると、「細胞障害の原因となる活性酸素の量は、青色LED、白色LEDの順に多く、緑色LEDでは増加」しなかった。障害の原因については、次のように述べている。

ブルーライトの波長を含むLEDを細胞に照射した際に活性酸素が増加したことによって細胞のエネルギー産生の場であるミトコンドリアが障害を受け、さらにタンパク質合成の場である小胞体に障害が起きることで、細胞障害が惹き起こされたと考えられます。 

 

【参考記事】インタビューの後半はここから。

危険が指摘され始めたLED照明(ブルーライト)による人体影響、理学博士・渡邉建氏インタビュー②

2015年02月03日 (火曜日)

酔っ払い文化こそ朝日再生の道、官僚の作文で解決しない朝日の体質

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日記者)

昨年来の原発・従軍慰安婦報道批判を受け、私の古巣でもある朝日新聞は、「信頼回復と再生のための行動計画」を発表。「外部の声に耳を傾ける」と、バッシング勢力に屈するかのような再生案を示した。

しかし、それでは今でも自信を無くしている編集現場をますます委縮させるだけだ。ジャーナリズムは人々の「知る権利」に応え、権力監視するのが本来の仕事だ。外部の声を尊重するだけで、使命を果たせるはすもない。朝日が力強いジャーナリズムに、いかに生まれ変わるか。具体策も、熱意さえ伝わって来ない従来通りの官僚体質の作文で、再生が図れるとは私には思えない。

朝日が昨年来続けて来た慰安婦、原発報道の検証のための第3者委員会や「再生のための委員会」で、社外委員らとともにまとめた改革案では、「経営と編集の分離」とともに、「公正な姿勢で事実と向き合う」「多様な言論の尊重」を挙げ、読者とともに「課題の解決策を探る」としている。

読者からの意見・指摘を紙面に反映出来る編集から独立した「パブリックエディターの導入」、多様な意見を載せる「フォーラム面」、訂正記事を集める「訂正コーナー」の新設、読者と対話する「車座集会」の開催を具体策として示している。

今回問題になった調査報道についても、「さまざまな形で充実」としているものの、「広い視野と多角的なものの見方を心がける」としただけ。事実を掘り起こし、検証する記者の力量をどう高めて正確な記事を書くか、肝心要の部分では目立った具体策もなく、「情報技術の駆使」など小手先の改善策に終始している。

◇読者の「知る権利」を軽視

慰安婦、原発誤報問題で、朝日が批判を浴びた最大の元凶は、私が本ブロク「朝日は派閥官僚体質の病根を絶て 社長辞任では解決しない朝日の再生」で、詳しく書いた通りだ。根っこにある病巣は、読者の「知る権利」に応えることへの真剣さに欠け、内部論理を優先。責任を取らず、利権漁りに走って、社内言論さえ封殺して来た幹部の派閥官僚主義に起因する。

私は、当たり前に記事になるはずの長良川河口堰報道を幹部から止められた。編集局長に異議を申し立てたら、記者職を剥奪されている。拙書「報道弾圧」〈東京図書出版〉に詳述しているが、これも表裏一帯の関係。その後、私の定年までの18年間は、朝日の派閥官僚体質との内部での闘いだった。

だから。報道倫理が欠如した朝日幹部の体質が現場記者に伝染、ジャーナリズムとしての力が、何故ここまで落ちたか。今回の問題に至る真の原因は、私が一番よく知っている。朝日の経営者は、長年、編集出身者が占めている。いくら「経営」と「編集」を分離してみても、編集幹部の体質が変わらない限り、何も変わらないのだ。

◇問題に対して迅速に対応してこなかった過去

前記ブロク記事と少し重複になる部分があるが、声の大きいバッシング勢力に惑わされることなく、改めて慰安婦や原発報道で、朝日が侵した誤りの原因について、もう一度整理してみる。

慰安婦報道では、1990年代中ごろから、「日本軍による強制連行は誤報ではないか」との批判が出始める。朝日ではその声に押され、記事が依拠した「吉田証言」の信ぴょう性について、97年、別の記者に報道の検証を命じた。しかしその時に、調査が徹底されなかったことが問題を大きくし、ここまでパッシング勢力に追い詰められた原因だ。

今回の改革案では、誤報問題の大きな原因を読者ら外部の声を聞かなかったことに求めている。しかし、朝日の編集方針「行動規範」「記者行動基準」では、「国民の知る権利に応えるため」の記事は、「正確かつ迅速に提供」しなければならないと定めている。誤りがあれば「迅速」に正すのは、読者の声を聞くまでなく、ごく当たり前のジャーナリズム倫理だ。

第一、朝日には1989年のサンゴ事件がある。沖縄のサンゴがダイバーによって傷つけられた写真を撮りたくて派遣されたカメラマンが見つけられず、自らサンゴに傷をつけた問題だ。この時、責任を取って社長が辞任したが、最大の教訓にしたのは、自らに非があれば速やかに対処し、「正すへきは正す」であった。

◇責任を回避する体質

では、教訓がありながら、慰安婦報道でどうしてまともな検証が出来なかったのか。真の原因は、自らへの批判を嫌い、責任を取りたくない幹部の官僚体質にある。幹部は別の記者に検証を命じても、「報道に誤りはない」との結論を得て、自らの責任には及ばないお墨付きが欲しいだけなのだ。

万一、「報道に誤り」などの検証結果を出せば、調査した記者の身が危ない。記者はおざなりの「検証まがい」をして見せ、お茶を濁すしかないのだ。もし、幹部の意向に沿わない結論を出せば怒りを買い、私のようにブラ勤にされてしまうのがオチだからだ。

原発報道も同様である。朝日の特ダネ報道の後、「吉田調書」の内容が何故かバッシング勢力に一斉に知れ渡るようになった。記事の中の「所長命令に違反し、所員が撤退した」は誤報ではないかとの批判が出始める。

裏に政権の意向があったのかも知れない。1990年代はまだ朝日の力は強く、慰安婦報道のように責任逃れのおざなり検証が何とか長い期間、罷り通って来た。しかし、安倍政権下では通じない。「早く対応しないと朝日が潰される」くらいの危機感を、幹部なら当然この時に持つべきだった。

しかし、幹部は外で吹き荒れる逆風に気付かないまま、これまで通りの責任逃れの「おざなり検証」をし、対応が遅れたのが、事態をここまで悪化させた原因と言えるだろう。

◇ひとりだけの証言に頼るリスク

自ら責任を取ろうとしない官僚主義に並ぶ朝日幹部の病巣として、見逃せないのが派閥体質だ。朝日は「調査報道が新聞社の命」と読者には高らかに宣伝している。しかし、実績を積んだ調査報道記者ほど官僚化した幹部には嫌われ、度重なる派閥人事で大半は編集中枢から遠ざけられ、重要な調査報道のノウハウが若い記者に伝承されていないのだ。

調査報道が最初に脚光を浴びたのは1980年代だ。当時、朝日の中でもまともに調査報道が出来る資質を備えた記者は10指に満たなかった。私がそんな先輩記者から受け継いだノウハウを数多くある。

慰安婦、原発誤報に関連することだけを触れると、一つ目は、「一人の証言に頼った原稿は危ない。裏を取るまで書くな」である。

先輩は、証言者が記者に話す狙い、動機。本当に証言内容を知る立場にいた人か。経歴・評判。物証はあるのか。周辺で証言内容と同じことを知っている人はいないのか、などなど…。数多くの裏付けが求め、信ぴょう性に疑問がなくなるまで、記事にはしてくれなかった。

虚言癖がある人もいる。虚言とまで言えなくても、尾ひれの付いた話もある。例え証言が真実でも、証言により社会的生命を奪われる人は強大だ。圧力をかけられて証言が翻されると、誤報にされかねない。一人の証言に頼ることは、極めて危険なことだからだ。

◇資料の精査

二つ目は、「入手した資料は、穴が開くほど読み返せ。周辺取材も欠かさず、原稿は腹8分。絶対に筆を滑らせるな」である。

調査報道記者は一つの極秘資料を手に入れるのにも、気の遠くなるほどの努力をする。資料が入れば、思い描いた記事を出来るだけ早く、大きく載せたくもなる。でも、資料を斜め読みし記事を書くと、落とし穴がある。

私は資料が手に入ると先輩の教えに沿い、コピーして重要記述に赤線を入れて何度も何度も読み返した。入手した資料のみを見つめ、どこまでの原稿が書けるか。相手から万一ねじ込まれても、十分に対抗出来る表現に留め、無理な踏み込み、表現を避けた。狙い通りの記事がどうしても書きたい時は、書けるだけの資料、証言がさらに取れるまで周辺人物に当たり、裏付け取材を重ねた。

このノウハウが朝日の若い記者や中堅のデスクにきちんと継承されていたなら、慰安婦、原発の誤報はすべて防げたはずなのだ。

先輩も含め、多くの調査報道記者が編集中枢から外され、この教訓が伝承されていないのは、朝日の社内力学を思い起こしてもらえば、根は同じだ。私がもし、97年に慰安婦報道の検証を命じられれば、先輩の教えに沿い記事を見直す。証言者の周辺も徹底的に調べ、証言の疑義を指摘する。

しかし、責任回避しか頭にない幹部は、それでは困るのだ。責任逃れに協力してくれそうな記者を探して検証させる。自分に都合のいい結論を出してくれた部下は誰でも可愛い。登用して自分の派閥に取り込み、反抗する記者は外していく…。その構図だ。

調査報道をまともにやろうとする記者は反権力意識も強い。記者としての実績に誇りも持っている。大した特ダネも書かず、上の顔色ばかりを見て昇進した上司を、快く思っていない。上司の意向に素直に従わず,ズケズケものを言う。上司にとっては、もともと使いづらい部下ということもある。

こんな派閥人事を長年繰り返した結果が、今の朝日だ。イエスマンの幹部ばかりが社内にはびこり、骨太のジャーナリスト精神を持ち合わせず、内外の批判を恐れる小心者の組織になってしまった。このことが取材の詰めの甘さに繋がって誤報を生み、相手からバッシングを受けると、まともに対応出来ず、ただただ右往左往してしまう原因にもなっている。

◇朝日のふたつの「派閥」

しかし、今回の再生案では、朝日のこんな内情を知らない外部の識者に検証を委ねた。それによって、幹部にとって最も耳の痛い話である派閥官僚体質にメスを入れられることなく、誤報の原因を読者の声に耳を傾けなかったことにすり替えた。つまり、この再生案自体、自ら責任を取ろうとしない官僚体質延長線上の産物に過ぎない。

振り返れば、朝日幹部の派閥官僚主義は今に始まったことではない。私が入社した1973年、すでにそんな上司も多かった。しかし、当時はまだ対抗する別の力が働き、幹部の体質が社内に蔓延するのを防いでいた。その力とは、実は朝日のもう一つの伝統、「酔っ払い文化」だった。

「朝日幹部は左翼」と、バッシング勢力は言う。しかし、それはためにする批判に過ぎない。もう少し朝日の内情に詳しい人は、「朝日の派閥は二派に分れている」とも言う。ある程度当たってはいる。でも、それも正確には正しくない。

私の入社前だから、先輩に聞いた話だ。朝日の派閥のルーツは、1950-60年代の労働争議全盛期に遡る。印刷現場中心に強硬なスト決行論が渦巻く中、記者は仕事が忙しいこともあって、無関心派も多かった。しかし、スト決行か否かのキャッスティングボードは編集職場が握っていた。

部長以上の管理職は、当然、自分の意向に沿いそうな部下を集め、スト破りに動く。記者として実績のある有名記者らも、ストにそれほど関心はない。でも、ジャーナリストである以上、部長の意向に易々と従うことを潔しとはしない。

集められたのは、記者として2流でないとしても、1・5流。超1流に及ばず、その分、幹部の意向に沿うことで点数稼ぎをする上昇志向の強い人たちだった、という。この人たちがその後、派閥を形成。ますます徒党を組んで上昇志向を強めていく。

一方、組みしなかった人は、新たな派閥を作ったと言うより、もともとそれぞれがバラバラの一匹オオカミだ。信じられないほどのネタを拾ってくる特ダネ記者もいれば、名文家や論客もいる。「歩く百科事典」と言われるような博識家もいた。だいたいこうした人は酔っ払いであることでも共通していた。つまり、「上昇志向の強い人の集まりである派閥」対「バラバラで破天荒な酔っ払い記者」との対立でもあったのだ。

◇自由闊達な言論が消えた

私が駆け出しの頃は、上昇志向の強い人たちが部長、デスクなど中堅管理職をしていた時代だった。しかし、調査報道のノウハウ、特ダネの取れる人脈を紹介してくれたのは、こんな管理職ではない。多くは酔っ払い記者だった。もちろん文章の書き方を教えてくれたのも、こんな先輩だ。

確かに酔っ払いの話はくどい。飲み屋に若い記者を連れ出すと、自慢話が延々と続くこともある。しかし、そんな話を聞いていると、とおり一遍の座学で分からない臨機応変の取材方法、多くの教訓、それに何より大事な記者の心意気がひしひしと伝わってきた。

酔っ払いは、後輩を一人前のジャーナリストに育て上げようと、強い熱意・愛情を持っていた。今から考えても、私が何とか曲りなりに調査報道の出来る記者になれたのも、こうした先輩のお蔭だった。

酔っ払いは飲み終わると、後輩と連れだって深夜、編集局に戻って来ることも多々あった。もともと管理職然とした人物を快くは思っていない。酔った勢いも手伝って悪態をつくこともよくあった。からまれた上司の方も、コンプレックスがある。内心忸怩たるものがあっても、苦笑いを浮かべてその場から逃げ去る人も多かった。

その頃はまだ、派閥の一元支配ではなかった。無派閥の上級幹部もそれなりに残っていて、酔っ払いの批判が当を得ていると、ニヤニヤ笑いながら見ている。批判を受けた中間管理職に対し、「あいつは部下の評判が悪い」と罰点を付けていたから、派閥による官僚体質が組織全体に蔓延することはなかったのだ。

しかし、こんな光景が編集局から少しずつ消えて行ったのは、80年代からである。上昇志向の強い人たちは、社内遊泳術に長けている。順調に昇進し、社長、取締役、各本社編集局長ら編集局の主要ポストを独占すると、派閥人事一色。酔っ払いは飛ばされたり、嫌気がさして辞めたり…。定年で去る人もいるから、数は減るばかり。わずかに残った骨董品記者は、外で飲んでも会社の戻ってくることもなくなった。

軌を一にして、朝日社内の自由闊達な言論は消えうせ、表立った幹部批判は封じられて派閥官僚体質に歯止めが効かなくなった。急速にジャーナリズムとしての劣化が進んだのだ。

社内では管理職同士、誰が誰の軍門に下り、部長にしてもらったとか、誰が抵抗して飛ばされたとかを電話で情報交換。若い記者にも当然聞こえ、要領ばかりいい記者も増えだ。足で取材する風潮が薄れ、やがて若い記者による記事の盗用や取材せずに相手に聞いたかのようなメモを作る不祥事まで、頻発するようになってしまった。

◇先輩記者から引き継がれたもの

ジャーナリズムとは、人々の「知る権利」に応えることである。権力内部の恥部を暴き出し、人々に真実を知らせる…。そのことに如何に真剣になれるかで、真価を問われる。酔っ払いは、何よりそんな記事を書くことに自らの命かける記者だった。その記者魂から絞り出すように書いた文章には、人々の心を打つ力があった。

しかし、酔っ払いが去り、派閥官僚主義に侵された朝日は、口先では同じことを言えても、建前論に過ぎない。言葉に力はなく、とっくにジャーナリズムとしては空洞化していた。慰安婦や原発報道で、記事の最も弱い部分をバッシング勢力に巧みに突かれると、抵抗する術すらなく、もろくも崩れた原因もそこにある。

でも、朝日から酔っ払いのDNAが完全に消えうせてしまったのか。そうではない。

先の戦争では、数えきれないほどの若く貴い命が散り、民間の戦争犠牲者も数知れない。アジアの民衆にも、多くの死者を出し、多大な迷惑をかけた。慰安婦も強制的に連れて行かれたかどうかは別として、日本軍が深くかかわった戦争という異常事態に若い女性が翻弄され、その意に反して悲しい体験を味わったことに何ら変わりはない。

朝日のこれまでの戦争報道は、民衆には制御不能なまでに強大化した軍部によって引き起こされた悲劇の数々を一つずつ掘り起し、後世に伝えることで、「二度と過ちを繰り返さない」との誓いを新たにするものである。丹念に取材する酔っ払い記者のDNA、人脈が引き継がれたもので、これまで伝えてきた膨大な事実は、一つの誤報によっても覆るものではない。

原発報道でも、確かに内容の精査では手落ちがあった。しかし、事故当時の模様を何より生々しく語る歴史の証言である極秘の「吉田調書」を独自に入手出来たのは、これまで酔っ払い記者が苦労して人脈を築いて数々の極秘資料を入手して来た伝統・信頼の力が生きたと言うべきだろう。

「吉田調書」を詳細に読めば、社長ら東電首脳の右往左往ぶりが目に見える。もう少しで、東日本全体が人の住めない恐れすらある大量の放射能をまき散らす制御不能の重大事態だったことも分かる。にもかかわらず、政府への情報伝達も十分でなく、危機対応がほとんど出来ず、手をこまねいたことが伝わってくる。

◇何のための朝日バッシングだったのか?

しかし、バッシング勢力は、慰安婦でも原発報道でも、一部の誤報をもって、そのすべてを否定すべく動いている。

慰安婦報道潰しの目的は、過去の戦争を美化し、軍備の強化を通じてこの国を戦前に戻すことにあるのだろう。憲法9条改憲、解釈改憲での集団的自衛権容認に強い懸念を示す朝日の影響力を削ぐことが当面の狙いであることも明らかだ。

原発報道でも、誤り部分を奇禍に、「事故拡大を防ぐため、命懸けで働いて来た現場の東電社員を恣意的に貶めるもので、東電のやって来たことに間違いはない」と、美化。原発で一旦事故が起きたら、首都まで人も住めない事態を招くことを覆い隠そうとしている。それは「日本を守るため、英霊は尊い命を捧げた」と、戦争そのものを美化する論理に通じる。

戦前回帰の風潮が強まる中、バッシング勢力の声はさらに大きくはなっても、小さくなることはないだろう。朝日が本気で読者に期待される再生を目指すなら、こうした外部の声に耳を傾けることではないだろう。上司や権力の顔色を窺うような「へなちょこ記者」の「へなちょこ記事」を読まされる読者こそ、いい迷惑である。弱いジャーナリズムでは、バッシング勢力に対抗する力になりえない。

朝日の真の再生に必要なのは、社内の官僚派閥主義にも対抗。外部のバッシング勢力や国家権力そのものの攻撃にもびくともしない酔っ払い記者の破天荒なDNAをもう一度復活させることである。

真実を知らせることにだけに記者が真剣になり、生き生きとした取材で掘り起こした事実に基づき、人々の心を打つ記事を書く…。酔っ払い記者が身をもって後輩に教えていた骨太のジャーナリスト精神が組織の隅々まで浸透すれば、読者の信頼は自ずと回復する。未だに官僚主義から抜け出せない責任逃れの「へなちょこ再生案」では未来がないことを、朝日の経営陣は改めて認識すべきだろう。

朝日が誤報を生み、謝罪も出来ない官僚化した体質になったかは、拙書「報道弾圧」(東京図書出版)で詳しく書いていますが、ダイジェスト版は、本ブロク「MEDIA KOKUSHO」で連載中の「公共事業は諸悪の根源」①からでも読めます。ぜひ、ご覧下さい。

筆者紹介》 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。特定秘密保護法違憲訴訟原告、名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。

2015年02月02日 (月曜日)

イスラム国報道で隠された石油利権、救出作戦の真実、そして武器輸出解禁と民間軍事会社の関係

イスラム国が2人の日本人を拘束した事件は、「処刑」という最悪の結末を迎えた。この事件では、新聞・テレビが報じなかった重要な点が幾つかある。ジャーナリズムの役割は感情に流されずに、事実を伝えることであるから、事件を正しく理解する上で必要な情報をすべて明らかにするのが原則だ。

まず、イスラム国報道で隠された最大の情報は、有志連合による空爆の背景に石油利権が絡んでいる事実である。それは単に欧米諸国だけではなくて、中国などについても言える。

中東調査会の「中東かわら版」によると、「『イスラーム国』がイラクで占拠した油田の数はおよそ80カ所」だという。この80カ所を先進工業国が役割分担して取り戻そうというのが、イスラム国をターゲットにした空爆である。

新聞・テレビが積極的に報じなかったふたつめの重要な情報は、湯川遥菜氏が活動の拠点として設立した会社が、民間の軍事会社である点だ。その背景に安倍政権が進めている新自由主義と軍事大国化の中で武器の輸出を原則解禁にした事情がある。

「戦争業務」を民間にゆだねる戦略は、公的な仕事を民間に丸投げすることで、「小さな政府」を実現する新自由主義の思想から派生していることは間違いない。が、紛争地帯で射撃などの軍事訓練をすれば、軍事行動と受け止められても仕方がない。カーキ色の衣類を身に着けているだけで、ターゲットになることもある。

さらに、湯川氏を救出する作戦を、第3者が後藤氏に依頼した可能性である。
「ブログ・世に倦む日日」によると、2泊3日の行程で、救出計画が練られていた足跡が、生前の後藤氏の発言から裏付けられるという。

昨夜(1/20)のテレビ報道を見ていると、後藤健二は、湯川遥菜が8月にシリアでイスラム国に拘束された件について、自身が責任を感じており、イスラム国に潜入して身柄を救出する準備を進め、10月下旬にそれを実行している。10月22日にトルコに向かい、23日にトルコのコーディネーターに電話をかけ、24日に国境の町で接触し、25日に国境を越えてイスラム国の首都であるラッカに向かっている。

帰国予定は10月29日だった。29日に帰国ということは、28日にイスタンブールから飛行機に乗らなくてはいけない。テレビ報道でのトルコのコーディネーターの証言だと、27日になっても帰らなかった場合、家族を含めた5件の連絡先に電話を入れてくれと後藤健二に頼まれ、本人の携帯電話を直に渡されたと言っていた。ここから察知できることは、後藤健二による湯川遥菜救出の行動がきわめて短期の計画だったということだ。

25日に国境を越えてシリアに潜入し、27日には再び国境を超えてトルコに戻っていなくてはいけない。2泊3日の行程。つまり、後藤健二は何も事前に情報のないままイスラム国(ラッカ)に入ったのではなくて、イスラム国側のコーディネーターの手引きに従い、イスラム国側との打ち合わせに従って、本人の主観からすれば、湯川遥菜の身柄を引き取りに行ったのだ。現地で時間をかけて捜索するのではなく、調整した約束どおりに素早く身柄を引き取って戻ってくる予定だったのだ。

救出作戦に第3者がかかわっていたことを前提に考えれば、一部の週刊誌が報じた保険金に関する事実-後藤氏が加入していた保険が、1日10万円の保険料だった-との整合性も見えてくる。フリージャーナリストが1日に10万円の保険料を自腹で支払うことは、まず不可能。

ちなみにわたしは、「ブログ・世に倦む日日」の内容を全面的に是認しているわけではない。が、少なくとも救出の日程に関する考察は、参考にすべきものがある。救出計画の全容を、検証すべきではないか?

◇ジャーナリストの殺害は最悪の方法

イスラム国が有志連合による激しい空爆を受けているとはいえ、人質の殺害という対抗手段は、完全にマイナスに作用する。

わたしは1980年代のニカラグアを取材したが、同国の左翼政権は、「イスラム国」とは、まったく逆の方針を取っていた。当時、ニカラグアの左翼政権は、米国をバックとした反政府ゲリラ「コントラス」のテロに苦しめられていた。が、ニカラグアの政府は「反米」の立場を取るのではなく、米国の市民と連携する方針を徹底した。

米国の市民グループは、ニカラグアを米国市民が訪問して、市民の視線で事実を確認する企画を実践していた。そのために首都マナグアの米国大使館前では、米国人による抗議集会が頻繁に開かれていた。

たしか1985年か86年だったと思うが、コントラスの陣地に武器を輸送していた米軍機が、対空ミサイルに撃墜され、米国人パイロットが捕虜になった事件があった。この時のニカラグア政府の対応が注目されたが、結局、クリスマス恩赦で、無条件に釈放した。

イスラム国は、むしろジャーナリストに取材させた方が得策だ。が、今回は、ジャーナリストの殺害という最悪の選択をした。

ちなみに安倍内閣が行った2億ドルの人道援助の使い道についても、追跡する必要がある。紛争地帯における人道援助が、軍事援助に化けることがよくあるからだ。

2015年02月01日 (日曜日)

原因不明の体調不良で苦しんでいませんか—その②

携帯基地局の地権者で、しかも基地局の真下に住んでいるOさんは、常に0.3〜0.6μW/c㎡ほどの強度のマイクロ波を浴びており、Oさんの知り合いによれば頭が錯乱しているという。

4〜5年前から白血病を患っているKさんの自宅の二階にある寝室からは、基地局が直視できる。著者が訪ねて行って基地局からのマイクロ波が健康によくないことを伝えても、そんなに危険なものなら、国が許可を出すはずがないと、何度説明をしても納得してもらえなかった。

この他にも携帯基地局(アンテナ)が発するマイクロ波によると見られる被害者を数多く取材している。【続きを読む】

2015年01月31日 (土曜日)

原因不明の体調不良で苦しんでいませんか—その①

以前は昼間の電車に乗ると、大半の人が俯いている異様さに驚いたが、近頃ではだいぶ慣れてきた。

携帯電話は1990年代の初頭から普及が始まり、1993年の3.2%から、わずか10年後の2003年には94.4%へ、そして20年後の2013年には95%にも達している。

それに伴い携帯電話で通話する際に欠かせない携帯電話基地局(アンテナ)も急増し、全国に網の目のように張り巡らされるようになってきた。【続きを読む】

2015年01月30日 (金曜日)

新聞社の闇-「押し紙」問題の変遷②、新聞の商取引のカラクリ

【29日付け記事の続】さて、「押し紙」の割合が搬入部数の60%にも、70%にもなった場合、新聞販売店の経営は成り立つのかという問題がある。「押し紙」にあたる部数に該当する卸代金が免除されるのであればまだしも、販売店の経理帳簿の上では、搬入される新聞はすべて販売店が注文した部数になっているので、支払い免除の対象にはならない。

言葉を変えると、配達していない「押し紙」の卸代金を強制的に支払わされるから、「押し売り」になぞらえて、「押し紙」と呼んでいるのである。

常識的に考えれば、「押し紙」が60%も、70%もあれば、販売店の経営は成り立たない。が、実は経営を成り立たせる知られざるカラクリがあるのだ。このカラクリこそが新聞社のビジネスモデルにほかならない。

◇新聞の商取引のカラクリ

結論を先に言えば、それは折込広告の水増しと補助金である。

まず、折込広告の水増しについて説明しよう。
新聞販売店に搬入する折込広告の適正枚数は、原則として、新聞販売店に搬入される新聞の搬入部数に一致させることになっている。たとえば搬入部数が3000部とすれば、折込広告の搬入枚数も、3000枚になる。つまり形式上は、「押し紙」にも、折込広告が折り込まれるのだ。

従って3000部の搬入部数に対して、「押し紙」が1000部あれば、折込広告も(一種類につき)1000枚余っていることになる。

そのために意外に知られていないが、「押し紙」と一緒に、折込広告も古紙回収業者の手で処分されているのである。

もちろんこうした「犯罪」は、水面下で行われているために、多くの広告主は、実態を感知していない。感知しないまま、広告代金だけは全額支払わされているのである。もちろん、これでは市場調査に基づいたPR戦略も狂ってしまう。

こうしたカラクリを前提に、折込広告で販売店が得る収入について考えてみよう。新聞1部が生み出す広告収入がかりに月額1800円とする。この1800円は、当然、「押し紙」からも発生する。

一方、新聞の卸代金が1部につき、月額2000円とする。そうすると販売店は、「押し紙」1部に付き、2000円の負担を強いられるが、同時に折込広告の代金として、1800円の収入を得る。

2000円を負担して、1800円の収入を得るわけだから、損害はたった200円だ。つまり折込広告の需要が多い新聞販売店では、「押し紙」はそれほど大きな負担ではないということになる。

◇補助金

新聞販売店に対する新聞社からの補助金は、新聞1部に付き○○円という形で行われる。補助金には、さまざまな名目があるが、新聞の商取引を説明するために、200円の補助金が1種類だけ支給されるものと想定してみよう。

補助金が200円であるから、折込広告の収入1800円と合わせると2000円になる。すなわちこのケースでは、「押し紙」による損害は、折込広告収入+補助金で完全に相殺されるのである。これらが「押し紙」制度の仕組みである。

従って、このケースで言えば、折込広告の収入が2000円を超えるような事態になると、販売店は、「押し紙」で損害を受けるどころか、より多くの収入を得る。

◇紙面広告との関係

新聞社が補助金を支給してまで、「押し紙」政策に固執する理由はなにか?

まず、第1は販売収入を増やすことである。

第2に、公称部数をあげて、紙面広告の媒体価値を高めることである。紙面広告の媒体価値は、公称部数が多ければ多いほど高くなる原則がある。

もっとも最近は、「押し紙」の存在が広告主の企業に知られるようになり、広告主が自主的に折込広告の発注枚数を減らすなど、従来の原則が通用しなくなっているが、政府広報など、公共広告に関しては、厳密に公称部数に準じた価格設定になっている。次のPDFは、最高裁がスポンサーになった裁判員制度に関する広告の新聞社別の価格である。

■裁判員制度広告の価格一覧PDF

公称部数が第1位の読売は、広告価格でも第1位になっている。

日本の新聞業界は、昔から、このような「押し紙」制度を販売政策の中に組み込んできた。その汚点を政府、公取、警察は把握している。その気になれば、いつでも摘発できる。新聞社が公権力の広報部としてしか機能できないゆえんにほかならない。

2015年01月29日 (木曜日)

新聞社の闇-「押し紙」問題の変遷① 1977年の全国平均「押し紙」率は8・3%、日本新聞販売協会の調査

新聞業界がかかえる最大の問題は、「押し紙」である。「押し紙」とは、配達部数を超えて新聞社が販売店に搬入する新聞のことである。たとえば2000部しか配達先がないのに、3000部を搬入すれば、差異の1000部が「押し紙」である。この1000部についても、販売店は新聞の原価を支払わなければならない。

かくて「押し売り」→「押し紙」となる。

「押し紙」問題は、どのように表面化してきたのか、概略を紹介しよう。

日本で最初に「押し紙」が社会問題となったのは、1977年だった。この年、新聞販売店の同業組合である日本新聞販売協会(日販協)が、販売店を対象として、アンケートのかたちで残紙(実質的に「押し紙」を意味する)調査を実施した。

その結果、1店あたり平均して搬入部数の8・3%が「押し紙」であることが判明した。これは搬入部数が1000部の店であれば、83部が「押し紙」であることを意味する。

◇読売の北田資料

1980年代に入って、新聞の商取引に関する諸問題が国会で取り上げられるようになった。1980年から85年の時期に、共産、公明、社会の3党が計15回の国会質問を行った。

このうち1982年3月8日には、共産党の瀬崎博義議員が、読売新聞・鶴舞直売所(北田敬一店主)の「押し紙」を取り上げた。質問の議事録によると、1979年1月の部数内訳は、次のようになっている。

搬入部数:1095部
実配部数: 680部
「押し紙」: 415部

注:なお、読売の宮本友丘副社長は、読売は販売店に対してこれまで一度も新聞の買い取りを強制したことはないと話している。)

5年間にわたる国会での追及にもかかわらず、新聞社が「押し紙」政策を改めることはなかった。その後、「押し紙」問題は、水面下へ隠れてしまう。

◇北國新聞事件

1997年になって、公正取引委員会は、石川県の北國新聞に対して、「押し紙」の排除勧告を発令した。独占禁止法第19条「不公正な取引方法の禁止」の適用である。勧告は次のような趣旨だった。

北國新聞は朝刊の総部数を30万部にするために増紙計画を作成して、3万部を新たに印刷するようになった。その3万部を一方的に販売店に搬入した。
さらに同文書は「押し紙」問題が北國新聞社だけに限定されたものではないことを示唆している。次の記述である。

また、当該違反被疑事件の審査過程において、他の新聞発行業者においても取引先新聞販売業者に対し『注文部数』を超えて新聞を提供していることをうかがわせる情報に接したことから、新聞発行本社の団体である社団法人・日本新聞協会に対し、各新聞発行業者において、取引先新聞販売業者との取引部数の決定方法について自己点検を行うとともに、取引先新聞販売業者に対して独占禁止法違反行為を行うことがないよう、本件勧告の趣旨の周知徹底を図ることを要請した。

この時期に北國新聞社の5人の店主が、発行本社を相手に「押し紙」裁判を起こしている。

◇販売店員からの内部告発

2000年代に入って再び「押し紙」問題がクローズアップされてくる。
ある時、わたしは栃木県の新聞販売店で働いていた男性から内部告発を受けた。自分の職場には、約4000部の新聞が搬入されるが、このうちの2000部が「押し紙」になっているという。

この話を聞いたとき、わたしは「そんなことはあり得ない」と思って取材すらしなかった。ガセネタとして処理した。ところがそれから間もなく、この内部告発がまんざら嘘ではなかったと考えるようになった。

その引き金となったのは、産経新聞・四条畷販売所(大阪府)の元店主が2002年に起こした「押し紙」裁判だった。裁判の資料を見せてもらったところ、約5000部が搬入され、このうち2000部から3000部が常時、「押し紙」となっていたことが判明したのである。

これを機に、わたしは次々と大規模な「押し紙」の実態の内部告発を受けるようになった。搬入部数の40%が「押し紙」、50%が「押し紙」という情報にも驚かなくなった。特に毎日新聞の「押し紙」が凄まじかった。

◇「押し紙」世界一

2004年、わたしは毎日新聞の内部資料「朝刊 発証数の推移」と題する資料を入手した。それによると全国にある販売店に搬入される新聞の部数は、約395万部。これに対して読者に発行される領収書の枚数は、約251万枚だった。差異の約144万部が「押し紙」という計算になる。(2002年10月時点での数字)。

その後、わたしは毎日新聞・蛍が池販売所(大阪)と豊中販売所の経営に関する詳細な資料を元店主から入手した。その結果、これら2店では、搬入された新聞の60%から70%が「押し紙」になっていたことが判明した。

たとえば次に示すのは、豊中販売所における2007年6月時点の部数内訳である。

【豊中販売所】
搬入部数:1780部
実配部数: 453部
「押し紙」:1327部

さらに毎日新聞の場合、箕面販売所(大阪)や関町販売所(東京)、新小岩北販売所などでも、「押し紙」が発覚している。手短に数字を紹介しよう。

【箕面販売所】(2005年1月)
搬入部数:1510部
実配部数: 733部
「押し紙」: 777部

現在も、「押し紙」回収を専門とした業種が産業として成立している事実から察して、同じような状況にある可能性が極めて高い。

「押し紙」は、新聞社にどのようなメリットをもたらすのだろうか?(続)

2015年01月28日 (水曜日)

私設の軍事会社と戦争の民営化の関係、現地リクルートの兵士で日本兵の輸送費などの大幅削減が可能に

イスラム国で戦死した湯川遥菜氏が設立した(株)民間軍事会社(PMC)のようなビジネスが、浮上してきた背景には、新自由主義、武器輸出の原則解禁、それに軍事大国化など安部内閣が押し進めている政策がある。

民間の軍事会社は、今後、その数を増していくと思われる。事実、湯川氏の会社も、シリア、イラク、トルコ、アフリカに支社(OVERSEAS BRANCH)を持っている。

改めて言うまでもなく、戦争に関する業務は、伝統的に国家が管轄してきた。そこに民間企業が参入してきたわけだから、戦争そのものの民営化にほかならない。

◇新自由主義とは?

ちなみに新自由主義の基本的な政策は、国家の財政を縮小することで、大企業の税負担を軽減し、国際競争力を高めることである。また、同じ目的で、弱小企業を淘汰する。さらに労働条件を国際水準に引き下げたり、司法制度を海外の基準に修正することで、海外からの投資を呼び込む。すなわち「世界一、企業が活動しやすい国」の条件を整備するのだ。

が、単に「小さな政府」をつくって、市場原理に経済をゆだねるだけではない。

公的なサービスを縮小し、それによって出現する需要を民間企業に提供することで、新市場を生み出す。その典型的例が、郵政民営化である。また、医療の公的部分を縮小して、質の高い医療は私費で行う体制である。これにより経費を削減すると同時に医療市場を生み出す。

さらに大学をはじめとした教育機関を少数のエリート育成の機関にして、その目的に合致しない学校は、補助金をカットするなどして切り捨て、公的な負担を縮小する。現在の企業には、少数エリートしか必要ないとする考え方が新自由主義者の中にあるからだ。こうした安倍政権の政策をあげると際限がない。

わたしはどこまで民営化が進むのか、暗い好奇心を抱いてきたが、結果的に軍事部門までが、民営化の方向へ向かっているとは想像もしなかった。

◇なぜ、戦争の民営化なのか?

軍事部門における民営化の典型例は、傭兵の派遣会社である。この方式は、「小さな政府」を目指す国家にとっては、さまざまなメリットがある。具体的には、

①傭兵を現地でリクルートするので、兵隊の派遣費用がゼロ円になる。

②戦死者に対して国が責任を負わないので、補償問題が生じない。

③先進工業国よりも、第3世界の方が傭兵のリクルートが簡単。

④地理的な感がない日本兵では戦力にならないゲリラ戦にも、現地傭兵で対応できる。

◇レーガン政権と新自由主義

わたしが知る限り、傭兵による戦争が本格化したのは、1980年代のニカラグア内戦である。1979年に首都を制圧したFMLN(サンディニスタ民族解放戦線)による革命政権に対して、右派が起こした内戦である。が、右派の背景には、米国のレーガン政権がいた。

レーガン政権はコントラと呼ぶ傭兵部隊を組織し、米国民に対しては、「フリーダム・ファイターズ」と命名して、その正当性を主張した。さすがにコントラの主体は、民間軍事会社ではなかったが、国家予算を削減する目的は達した。

傭兵のリクルート先は、もともと中央政府に対して民族自決の意識が極めて高かったニカラグアのカリブ海よりの地域だった。ここで傭兵を集め、米軍が直接戦闘に参加するのではなく、兵士に対して軍事訓練をほどこし、戦闘員としたのである。

レーガン大統領は、イギリスのサッチャー首相、チリの独裁者ピノチェトと並ぶ初期の新自由主義者である。そのレーガン大統領の下で、米軍の派遣は司令官とトレーナーだけに限定することで、経費を抑え、しかも、米軍に代って傭兵を投入する「代行戦略」が確立したのである。

日本も将来的には、米国と同じ方向性をもった軍事行動のスタイルを目めざす可能性が高い。しかも、コントラとは異なり、民間会社と「日本軍」の協力というモデルが出来るのではないかと推測される。

徴兵制にすると、日本人の平和意識を目覚めさせるからだ。

ちなみに米国が日本に軍事部門の協力を迫っている背景にも、米国の新自由主義政策があると見て間違いない。戦争に莫大な国家予算使いたくないからだ。

◇戦争中という認識がない

その意味では、ジャーナリズムは、今後、私設の軍事会社を監視対象にしなければならない。

しかし、日本の新聞・テレビは、(株)民間軍事会社が戦死者を出した背景を正確に伝えていない。湯川氏の死を、一般的なテロによる死としてしか報じない。確かにテロには違いないが、それ以前に、空爆や銃撃も含めて、刃物による人質の殺害も、広義の戦闘行為であることを忘れている。

今、イスラム国と日本の間で起こっていること、そのものが戦争の実態なのだ。

2015年01月27日 (火曜日)

国際紛争の地でばらまかれた人道支援金は本当に戦争被害者に届くのか?

安倍内閣が、エジプトで約束したイスラム国難民に対する2億ドルの人道支援をどう解釈すべきだろうか。イスラム国からの難民救済が主要な目的らしいが、民主主義が深く根付いていない地域や紛争地帯における資金援助は、使途が不明になることがままある。極めて慎重に実施するのが常識だが、安倍首相は軽々しく外遊中に資金援助を約束した。

資金援助の使途に疑義が生じた例を紹介しよう。典型例として紹介するのは、米国の要請で日本も「資金援助」に加わった1980年代の中米紛争のケースである。

当時、中米はニカラグア内戦とエルサルバドル内戦という2つの大きな紛争が進行していた。紛争の構図は、左派と右派の武力による政権争いである。中東のように宗教戦争の側面はない。

このうちにニカラグアでは、1979年にFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が首都を制圧して、左翼政権を樹立した。これに刺激されたかのように、エルサルバドルでも左派系のFMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)が、
首都へ向けて大攻勢をかけた。首都の陥落は免れないと言われたが、米国のレーガン政権が介入し、泥沼化したのである。

ふたつの内戦という状況の下で、米国が注目したのは、ホンジュラスの地理的な位置だった。この国は、ニカラグアともエルサルバドルとも国境を接している。

ホンジュラスを基地の国にかえ、そこをプラット・ホームとして、ニカラグアのFSLN政権とエルサルバドルのFMLNを撲滅する作戦が現実味を帯びてきたのである。(以下、拙著『バイクに乗ったコロンブス』から抜粋である。)

こうした状況の下で1983年、ホンジュラス軍のアルバレス将軍が米国を公式訪問した。その時、レーガン政権に対して3年間で最低4億ドルの軍事援助を要望する旨を明言している。

◇人道援助資金が将軍らの懐へ

アルバレス将軍はニカラグアとエルサルバドルの内戦を逆に利用して、米国からの資金援助をなるべく多く絞り取るようにもくろんだのだ。米軍による基地の使用やコントラ(ニカラグアの反政府ゲリラで、実質的には傭兵部隊)の温存に不快感を示すジェスチャーをすれば、援助額がたちまちにふくれあがった。

そのつけは米国政府を経由して日本政府に経済援助の要請という形で回ってきたのである。実際、1980年を境に日本からホンジュラスに向けたODA(政府開発援助)の額が増えはじめ、アルバレス将軍が米国を公式訪問した83年からは急増する。78年の政府貸付を除く援助、つまり贈与額は231万ドルだったが、83年にはそれが一挙に1096万ドルに跳ね上がった。

さて、このような資金援助は、本当にホンジュラスの経済発展に寄与したのだろうか。この点を確かめるために、わたしは1995年、中米紛争の「戦後」をホンジュラスで取材したことがある。その時、資金の不正使用をうかがわせる類似した証言をいくつも得た。

1980年代にホンジュラスの基地化が始まって以来、政治家や将軍が一夜にしてビルや農園主に成り上がった話や噂が人々のあいだで絶えなかったというのだ。ホンジュラス資料センターの調査でも82年だけで100件以上の不正行為が政府内で行われたことが明らかになっている。

つまり紛争地帯での資金援助は、軍の関係者のふところに入ってしまったり、かえって現地の住民を銃で弾圧する目的で使われることが少なからずあるのだ。

安倍首相は、18日、米国の同盟国であるヨルダンのアブドラ国王と会談し、147億円の支援を表明した。徳島新聞によると、「国際社会の脅威となっている過激派『イスラム国』への対策で協力する方針で一致した」そうだ。この資金も含めて、紛争地での支援金の使途は、厳密に監査しなければならない。

ちなみにニカラグア革命のひとつの引き金は、1972年に起きた首都マナグアの大地震の際に、海外から送られた支援金を、当時の独裁者が横領したことにあると言われている。

2015年01月26日 (月曜日)

安倍政権下の新自由主義と軍事大国化が生んだ最初の戦死者、(株)民間軍事会社(PMC)の顧問は自民党の元茨城県議

ニュースを読み解く際の視点は、メディアが「ある事実をどのように報道しているか、を見るとともに、どのようなニュースについて伝えていないか、を見ることが重要になってくる」(故新井直之創価大学教授)。

イスラム国に関する報道で、日本の新聞・テレビがほとんど報じなかった事実のひとつに、湯川遥菜氏の職業がある。(ただし死後は、職業を公にしている)

湯川氏は、(株)民間軍事会社(PMC)という企業の設立者である。通常、軍隊に関する業務は、国家の管轄になるが、それを私企業として代行するのが、この種の会社の役割である。つまり戦争関連業務の民営化である。

公的なものを民間へゆだねることで、市場を創出する新自由主義政策の中で、PMCは誕生したと言っても過言ではない。いわば橋本内閣(1996年成立)以後の自民党が押し進めてきた新自由主義と軍事大国化の中で生まれた会社である。

安部内閣は、昨年の4月に閣議決定により、武器輸出を原則禁止から、条件付きで認めることを取り決めた。こうした軍事大国化の流れの中で、民間企業が海外の紛争地帯で、戦争ビジネスを展開できる温床ができあがったのである。

湯川氏が設立したPMCの顧問は、自民党の元茨城県議・木本信男氏である。 この民間企業が紛争地帯でどのようなビジネスを展開しようとしていたのかについての詳細は、不明だが、いつくかのヒントがある。

たとえば湯川氏がみずからのFACEBOOKで公開している射撃訓練の様子である。

   ■射撃の動画

ちなみに湯川氏は元•航空幕僚長の田母神俊雄氏とも関係があったらしく、両氏が撮影された数多くの写真が存在する。

  ■湯川氏と田母神氏の写真

◇恣意的に客観性を欠いた報道

新聞・テレビが積極的に報じない2つ目の事実は、米国とその同盟国がイスラム国に対して激しい空爆を行っている事実である。たとえば、1月23日付け「ロイター」の報道によると、米国の同盟国は、前日に25回に渡ってイスラム国を空爆している。

また、欧米だけではなく、ロシアや中国もからんでいる石油利権についても、故意に報じていない。資源の収奪という問題が隠されているのだ。民族自決権を蹂躙(じゅうりん)しているのは、「先進工業国」の側であるという重い事実がある。

なお、報道用語について言えば、日本の新聞は、イスラム国の軍隊に対して「イスラム過激派」という言葉を使っている。海外の報道は、単なるIslamic State militants(イスラム州戦士)である。

改めて言うまでもなく、イスラム国は現在、戦時下である。戦時下では、戦闘に参加する者は、敵味方を問わず、すべて「過激派」である。米国主導の空爆も、イスラム国による捕虜殺害も、同じ蛮行である。

ところが日本の新聞は、イスラム国は過激派で、米国とその同盟国は過激派ではないという間違った前提で報道を続けている。その姿勢が、「過激派」という言葉の選択にも現れている。

なお、テレビ画像の解析に関して、注意しなければならない点がある。それはイスラム国側の軍隊が、黒い覆面をしている映像が、視聴者に恐怖感を与えている点である。覆面をしている理由は単純で、敵対国側のブラックリストに顔写真が登録されるリスクを避けるためである。従って、この点を考慮して、公正中立の立場から画像を読み解かなければならない。

◇湯川氏と後藤氏の質的な違い

戦争報道では、こうした基本的な解釈を踏まえなければならないはずだが、日本の新聞・テレビは、今回の事件の舞台が戦時下にある点をきれいさっぱりと忘れている。故意にさけているのではなく、おそらく認識できていないのではないかと思う。これが安倍首相ら「戦争を知らない人々」の実態だ。

政府の対応も同じ初歩的な問題をはらんでいる。他国に乗り込んで戦争ビジネスの準備をしていた湯川氏と、ジャーナリストとして正当な活動をしていた後藤健二氏を、同一に捉えて対処しているわけだから、救出できるはずがない。

湯川氏に関しては、最初から釈放の意思など毛頭なかったはずだ。「捕虜」として認識していた可能性が高い。それゆえに裁判(後述)を予定していたのである。

イスラム国にしてみれば、湯川氏と行動を共にしていた後藤氏を湯川氏の仲間と勘違いするのは当然である。激しい空襲の下で、スパイ行為に対しては極めて敏感になっていることが推測される。これがしばしば内ゲバの引き金になったりする。それゆえにスパイ活動に対しては、極めて厳しい。

と、なれば政府は、湯川氏と後藤氏の質的な違いをはっきりとイスラム国に伝えたうえで、湯川氏の助命と後藤氏の釈放を求めるべきだった。

◇イスラム国との窓口を破壊したのは公安警察

政府は繰り返し、イスラム国との窓口がないことを強調していた。しかし、意外に知られていないが窓口はあった。少なくとも昨年の秋までは、窓口が存在していた。

結論を先に言えば、窓口は、ジャーナリストの常岡浩介氏と中田考同志社大学教授のふたりである。昨年の11月14日、常岡氏は、特定秘密保護法違憲訴訟原告団が主催した集会で講演し、その中で、次のような事情を説明した。

常岡・中田の両氏は、イスラム国から公式の招待申し出を受けた。湯川氏の裁判の通訳として、イスラム国に来るように要請があったのだ。ところが公安警察が、特定秘密保護法の「予行演習」のつもりだったのか、常岡氏の自宅を家宅捜索し、計画がつぶれてしまったのだ。

常岡氏らが予定どおりに出国していれば、事態は変わっていたかも知れない。

ちなみに紛争地帯への「人道支援」の資金は、軍の関係者が横領することが少なくない。慎重に行わなければ、かえって人殺しに資金に変質する。(続)