1. 国際紛争の地でばらまかれた人道支援金は本当に戦争被害者に届くのか?

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2015年01月27日 (火曜日)

国際紛争の地でばらまかれた人道支援金は本当に戦争被害者に届くのか?

安倍内閣が、エジプトで約束したイスラム国難民に対する2億ドルの人道支援をどう解釈すべきだろうか。イスラム国からの難民救済が主要な目的らしいが、民主主義が深く根付いていない地域や紛争地帯における資金援助は、使途が不明になることがままある。極めて慎重に実施するのが常識だが、安倍首相は軽々しく外遊中に資金援助を約束した。

資金援助の使途に疑義が生じた例を紹介しよう。典型例として紹介するのは、米国の要請で日本も「資金援助」に加わった1980年代の中米紛争のケースである。

当時、中米はニカラグア内戦とエルサルバドル内戦という2つの大きな紛争が進行していた。紛争の構図は、左派と右派の武力による政権争いである。中東のように宗教戦争の側面はない。

このうちにニカラグアでは、1979年にFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)が首都を制圧して、左翼政権を樹立した。これに刺激されたかのように、エルサルバドルでも左派系のFMLN(ファラブンド・マルチ民族解放戦線)が、
首都へ向けて大攻勢をかけた。首都の陥落は免れないと言われたが、米国のレーガン政権が介入し、泥沼化したのである。

ふたつの内戦という状況の下で、米国が注目したのは、ホンジュラスの地理的な位置だった。この国は、ニカラグアともエルサルバドルとも国境を接している。

ホンジュラスを基地の国にかえ、そこをプラット・ホームとして、ニカラグアのFSLN政権とエルサルバドルのFMLNを撲滅する作戦が現実味を帯びてきたのである。(以下、拙著『バイクに乗ったコロンブス』から抜粋である。)

こうした状況の下で1983年、ホンジュラス軍のアルバレス将軍が米国を公式訪問した。その時、レーガン政権に対して3年間で最低4億ドルの軍事援助を要望する旨を明言している。

◇人道援助資金が将軍らの懐へ

アルバレス将軍はニカラグアとエルサルバドルの内戦を逆に利用して、米国からの資金援助をなるべく多く絞り取るようにもくろんだのだ。米軍による基地の使用やコントラ(ニカラグアの反政府ゲリラで、実質的には傭兵部隊)の温存に不快感を示すジェスチャーをすれば、援助額がたちまちにふくれあがった。

そのつけは米国政府を経由して日本政府に経済援助の要請という形で回ってきたのである。実際、1980年を境に日本からホンジュラスに向けたODA(政府開発援助)の額が増えはじめ、アルバレス将軍が米国を公式訪問した83年からは急増する。78年の政府貸付を除く援助、つまり贈与額は231万ドルだったが、83年にはそれが一挙に1096万ドルに跳ね上がった。

さて、このような資金援助は、本当にホンジュラスの経済発展に寄与したのだろうか。この点を確かめるために、わたしは1995年、中米紛争の「戦後」をホンジュラスで取材したことがある。その時、資金の不正使用をうかがわせる類似した証言をいくつも得た。

1980年代にホンジュラスの基地化が始まって以来、政治家や将軍が一夜にしてビルや農園主に成り上がった話や噂が人々のあいだで絶えなかったというのだ。ホンジュラス資料センターの調査でも82年だけで100件以上の不正行為が政府内で行われたことが明らかになっている。

つまり紛争地帯での資金援助は、軍の関係者のふところに入ってしまったり、かえって現地の住民を銃で弾圧する目的で使われることが少なからずあるのだ。

安倍首相は、18日、米国の同盟国であるヨルダンのアブドラ国王と会談し、147億円の支援を表明した。徳島新聞によると、「国際社会の脅威となっている過激派『イスラム国』への対策で協力する方針で一致した」そうだ。この資金も含めて、紛争地での支援金の使途は、厳密に監査しなければならない。

ちなみにニカラグア革命のひとつの引き金は、1972年に起きた首都マナグアの大地震の際に、海外から送られた支援金を、当時の独裁者が横領したことにあると言われている。