1. 酔っ払い文化こそ朝日再生の道、官僚の作文で解決しない朝日の体質

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2015年02月03日 (火曜日)

酔っ払い文化こそ朝日再生の道、官僚の作文で解決しない朝日の体質

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日記者)

昨年来の原発・従軍慰安婦報道批判を受け、私の古巣でもある朝日新聞は、「信頼回復と再生のための行動計画」を発表。「外部の声に耳を傾ける」と、バッシング勢力に屈するかのような再生案を示した。

しかし、それでは今でも自信を無くしている編集現場をますます委縮させるだけだ。ジャーナリズムは人々の「知る権利」に応え、権力監視するのが本来の仕事だ。外部の声を尊重するだけで、使命を果たせるはすもない。朝日が力強いジャーナリズムに、いかに生まれ変わるか。具体策も、熱意さえ伝わって来ない従来通りの官僚体質の作文で、再生が図れるとは私には思えない。

朝日が昨年来続けて来た慰安婦、原発報道の検証のための第3者委員会や「再生のための委員会」で、社外委員らとともにまとめた改革案では、「経営と編集の分離」とともに、「公正な姿勢で事実と向き合う」「多様な言論の尊重」を挙げ、読者とともに「課題の解決策を探る」としている。

読者からの意見・指摘を紙面に反映出来る編集から独立した「パブリックエディターの導入」、多様な意見を載せる「フォーラム面」、訂正記事を集める「訂正コーナー」の新設、読者と対話する「車座集会」の開催を具体策として示している。

今回問題になった調査報道についても、「さまざまな形で充実」としているものの、「広い視野と多角的なものの見方を心がける」としただけ。事実を掘り起こし、検証する記者の力量をどう高めて正確な記事を書くか、肝心要の部分では目立った具体策もなく、「情報技術の駆使」など小手先の改善策に終始している。

◇読者の「知る権利」を軽視

慰安婦、原発誤報問題で、朝日が批判を浴びた最大の元凶は、私が本ブロク「朝日は派閥官僚体質の病根を絶て 社長辞任では解決しない朝日の再生」で、詳しく書いた通りだ。根っこにある病巣は、読者の「知る権利」に応えることへの真剣さに欠け、内部論理を優先。責任を取らず、利権漁りに走って、社内言論さえ封殺して来た幹部の派閥官僚主義に起因する。

私は、当たり前に記事になるはずの長良川河口堰報道を幹部から止められた。編集局長に異議を申し立てたら、記者職を剥奪されている。拙書「報道弾圧」〈東京図書出版〉に詳述しているが、これも表裏一帯の関係。その後、私の定年までの18年間は、朝日の派閥官僚体質との内部での闘いだった。

だから。報道倫理が欠如した朝日幹部の体質が現場記者に伝染、ジャーナリズムとしての力が、何故ここまで落ちたか。今回の問題に至る真の原因は、私が一番よく知っている。朝日の経営者は、長年、編集出身者が占めている。いくら「経営」と「編集」を分離してみても、編集幹部の体質が変わらない限り、何も変わらないのだ。

◇問題に対して迅速に対応してこなかった過去

前記ブロク記事と少し重複になる部分があるが、声の大きいバッシング勢力に惑わされることなく、改めて慰安婦や原発報道で、朝日が侵した誤りの原因について、もう一度整理してみる。

慰安婦報道では、1990年代中ごろから、「日本軍による強制連行は誤報ではないか」との批判が出始める。朝日ではその声に押され、記事が依拠した「吉田証言」の信ぴょう性について、97年、別の記者に報道の検証を命じた。しかしその時に、調査が徹底されなかったことが問題を大きくし、ここまでパッシング勢力に追い詰められた原因だ。

今回の改革案では、誤報問題の大きな原因を読者ら外部の声を聞かなかったことに求めている。しかし、朝日の編集方針「行動規範」「記者行動基準」では、「国民の知る権利に応えるため」の記事は、「正確かつ迅速に提供」しなければならないと定めている。誤りがあれば「迅速」に正すのは、読者の声を聞くまでなく、ごく当たり前のジャーナリズム倫理だ。

第一、朝日には1989年のサンゴ事件がある。沖縄のサンゴがダイバーによって傷つけられた写真を撮りたくて派遣されたカメラマンが見つけられず、自らサンゴに傷をつけた問題だ。この時、責任を取って社長が辞任したが、最大の教訓にしたのは、自らに非があれば速やかに対処し、「正すへきは正す」であった。

◇責任を回避する体質

では、教訓がありながら、慰安婦報道でどうしてまともな検証が出来なかったのか。真の原因は、自らへの批判を嫌い、責任を取りたくない幹部の官僚体質にある。幹部は別の記者に検証を命じても、「報道に誤りはない」との結論を得て、自らの責任には及ばないお墨付きが欲しいだけなのだ。

万一、「報道に誤り」などの検証結果を出せば、調査した記者の身が危ない。記者はおざなりの「検証まがい」をして見せ、お茶を濁すしかないのだ。もし、幹部の意向に沿わない結論を出せば怒りを買い、私のようにブラ勤にされてしまうのがオチだからだ。

原発報道も同様である。朝日の特ダネ報道の後、「吉田調書」の内容が何故かバッシング勢力に一斉に知れ渡るようになった。記事の中の「所長命令に違反し、所員が撤退した」は誤報ではないかとの批判が出始める。

裏に政権の意向があったのかも知れない。1990年代はまだ朝日の力は強く、慰安婦報道のように責任逃れのおざなり検証が何とか長い期間、罷り通って来た。しかし、安倍政権下では通じない。「早く対応しないと朝日が潰される」くらいの危機感を、幹部なら当然この時に持つべきだった。

しかし、幹部は外で吹き荒れる逆風に気付かないまま、これまで通りの責任逃れの「おざなり検証」をし、対応が遅れたのが、事態をここまで悪化させた原因と言えるだろう。

◇ひとりだけの証言に頼るリスク

自ら責任を取ろうとしない官僚主義に並ぶ朝日幹部の病巣として、見逃せないのが派閥体質だ。朝日は「調査報道が新聞社の命」と読者には高らかに宣伝している。しかし、実績を積んだ調査報道記者ほど官僚化した幹部には嫌われ、度重なる派閥人事で大半は編集中枢から遠ざけられ、重要な調査報道のノウハウが若い記者に伝承されていないのだ。

調査報道が最初に脚光を浴びたのは1980年代だ。当時、朝日の中でもまともに調査報道が出来る資質を備えた記者は10指に満たなかった。私がそんな先輩記者から受け継いだノウハウを数多くある。

慰安婦、原発誤報に関連することだけを触れると、一つ目は、「一人の証言に頼った原稿は危ない。裏を取るまで書くな」である。

先輩は、証言者が記者に話す狙い、動機。本当に証言内容を知る立場にいた人か。経歴・評判。物証はあるのか。周辺で証言内容と同じことを知っている人はいないのか、などなど…。数多くの裏付けが求め、信ぴょう性に疑問がなくなるまで、記事にはしてくれなかった。

虚言癖がある人もいる。虚言とまで言えなくても、尾ひれの付いた話もある。例え証言が真実でも、証言により社会的生命を奪われる人は強大だ。圧力をかけられて証言が翻されると、誤報にされかねない。一人の証言に頼ることは、極めて危険なことだからだ。

◇資料の精査

二つ目は、「入手した資料は、穴が開くほど読み返せ。周辺取材も欠かさず、原稿は腹8分。絶対に筆を滑らせるな」である。

調査報道記者は一つの極秘資料を手に入れるのにも、気の遠くなるほどの努力をする。資料が入れば、思い描いた記事を出来るだけ早く、大きく載せたくもなる。でも、資料を斜め読みし記事を書くと、落とし穴がある。

私は資料が手に入ると先輩の教えに沿い、コピーして重要記述に赤線を入れて何度も何度も読み返した。入手した資料のみを見つめ、どこまでの原稿が書けるか。相手から万一ねじ込まれても、十分に対抗出来る表現に留め、無理な踏み込み、表現を避けた。狙い通りの記事がどうしても書きたい時は、書けるだけの資料、証言がさらに取れるまで周辺人物に当たり、裏付け取材を重ねた。

このノウハウが朝日の若い記者や中堅のデスクにきちんと継承されていたなら、慰安婦、原発の誤報はすべて防げたはずなのだ。

先輩も含め、多くの調査報道記者が編集中枢から外され、この教訓が伝承されていないのは、朝日の社内力学を思い起こしてもらえば、根は同じだ。私がもし、97年に慰安婦報道の検証を命じられれば、先輩の教えに沿い記事を見直す。証言者の周辺も徹底的に調べ、証言の疑義を指摘する。

しかし、責任回避しか頭にない幹部は、それでは困るのだ。責任逃れに協力してくれそうな記者を探して検証させる。自分に都合のいい結論を出してくれた部下は誰でも可愛い。登用して自分の派閥に取り込み、反抗する記者は外していく…。その構図だ。

調査報道をまともにやろうとする記者は反権力意識も強い。記者としての実績に誇りも持っている。大した特ダネも書かず、上の顔色ばかりを見て昇進した上司を、快く思っていない。上司の意向に素直に従わず,ズケズケものを言う。上司にとっては、もともと使いづらい部下ということもある。

こんな派閥人事を長年繰り返した結果が、今の朝日だ。イエスマンの幹部ばかりが社内にはびこり、骨太のジャーナリスト精神を持ち合わせず、内外の批判を恐れる小心者の組織になってしまった。このことが取材の詰めの甘さに繋がって誤報を生み、相手からバッシングを受けると、まともに対応出来ず、ただただ右往左往してしまう原因にもなっている。

◇朝日のふたつの「派閥」

しかし、今回の再生案では、朝日のこんな内情を知らない外部の識者に検証を委ねた。それによって、幹部にとって最も耳の痛い話である派閥官僚体質にメスを入れられることなく、誤報の原因を読者の声に耳を傾けなかったことにすり替えた。つまり、この再生案自体、自ら責任を取ろうとしない官僚体質延長線上の産物に過ぎない。

振り返れば、朝日幹部の派閥官僚主義は今に始まったことではない。私が入社した1973年、すでにそんな上司も多かった。しかし、当時はまだ対抗する別の力が働き、幹部の体質が社内に蔓延するのを防いでいた。その力とは、実は朝日のもう一つの伝統、「酔っ払い文化」だった。

「朝日幹部は左翼」と、バッシング勢力は言う。しかし、それはためにする批判に過ぎない。もう少し朝日の内情に詳しい人は、「朝日の派閥は二派に分れている」とも言う。ある程度当たってはいる。でも、それも正確には正しくない。

私の入社前だから、先輩に聞いた話だ。朝日の派閥のルーツは、1950-60年代の労働争議全盛期に遡る。印刷現場中心に強硬なスト決行論が渦巻く中、記者は仕事が忙しいこともあって、無関心派も多かった。しかし、スト決行か否かのキャッスティングボードは編集職場が握っていた。

部長以上の管理職は、当然、自分の意向に沿いそうな部下を集め、スト破りに動く。記者として実績のある有名記者らも、ストにそれほど関心はない。でも、ジャーナリストである以上、部長の意向に易々と従うことを潔しとはしない。

集められたのは、記者として2流でないとしても、1・5流。超1流に及ばず、その分、幹部の意向に沿うことで点数稼ぎをする上昇志向の強い人たちだった、という。この人たちがその後、派閥を形成。ますます徒党を組んで上昇志向を強めていく。

一方、組みしなかった人は、新たな派閥を作ったと言うより、もともとそれぞれがバラバラの一匹オオカミだ。信じられないほどのネタを拾ってくる特ダネ記者もいれば、名文家や論客もいる。「歩く百科事典」と言われるような博識家もいた。だいたいこうした人は酔っ払いであることでも共通していた。つまり、「上昇志向の強い人の集まりである派閥」対「バラバラで破天荒な酔っ払い記者」との対立でもあったのだ。

◇自由闊達な言論が消えた

私が駆け出しの頃は、上昇志向の強い人たちが部長、デスクなど中堅管理職をしていた時代だった。しかし、調査報道のノウハウ、特ダネの取れる人脈を紹介してくれたのは、こんな管理職ではない。多くは酔っ払い記者だった。もちろん文章の書き方を教えてくれたのも、こんな先輩だ。

確かに酔っ払いの話はくどい。飲み屋に若い記者を連れ出すと、自慢話が延々と続くこともある。しかし、そんな話を聞いていると、とおり一遍の座学で分からない臨機応変の取材方法、多くの教訓、それに何より大事な記者の心意気がひしひしと伝わってきた。

酔っ払いは、後輩を一人前のジャーナリストに育て上げようと、強い熱意・愛情を持っていた。今から考えても、私が何とか曲りなりに調査報道の出来る記者になれたのも、こうした先輩のお蔭だった。

酔っ払いは飲み終わると、後輩と連れだって深夜、編集局に戻って来ることも多々あった。もともと管理職然とした人物を快くは思っていない。酔った勢いも手伝って悪態をつくこともよくあった。からまれた上司の方も、コンプレックスがある。内心忸怩たるものがあっても、苦笑いを浮かべてその場から逃げ去る人も多かった。

その頃はまだ、派閥の一元支配ではなかった。無派閥の上級幹部もそれなりに残っていて、酔っ払いの批判が当を得ていると、ニヤニヤ笑いながら見ている。批判を受けた中間管理職に対し、「あいつは部下の評判が悪い」と罰点を付けていたから、派閥による官僚体質が組織全体に蔓延することはなかったのだ。

しかし、こんな光景が編集局から少しずつ消えて行ったのは、80年代からである。上昇志向の強い人たちは、社内遊泳術に長けている。順調に昇進し、社長、取締役、各本社編集局長ら編集局の主要ポストを独占すると、派閥人事一色。酔っ払いは飛ばされたり、嫌気がさして辞めたり…。定年で去る人もいるから、数は減るばかり。わずかに残った骨董品記者は、外で飲んでも会社の戻ってくることもなくなった。

軌を一にして、朝日社内の自由闊達な言論は消えうせ、表立った幹部批判は封じられて派閥官僚体質に歯止めが効かなくなった。急速にジャーナリズムとしての劣化が進んだのだ。

社内では管理職同士、誰が誰の軍門に下り、部長にしてもらったとか、誰が抵抗して飛ばされたとかを電話で情報交換。若い記者にも当然聞こえ、要領ばかりいい記者も増えだ。足で取材する風潮が薄れ、やがて若い記者による記事の盗用や取材せずに相手に聞いたかのようなメモを作る不祥事まで、頻発するようになってしまった。

◇先輩記者から引き継がれたもの

ジャーナリズムとは、人々の「知る権利」に応えることである。権力内部の恥部を暴き出し、人々に真実を知らせる…。そのことに如何に真剣になれるかで、真価を問われる。酔っ払いは、何よりそんな記事を書くことに自らの命かける記者だった。その記者魂から絞り出すように書いた文章には、人々の心を打つ力があった。

しかし、酔っ払いが去り、派閥官僚主義に侵された朝日は、口先では同じことを言えても、建前論に過ぎない。言葉に力はなく、とっくにジャーナリズムとしては空洞化していた。慰安婦や原発報道で、記事の最も弱い部分をバッシング勢力に巧みに突かれると、抵抗する術すらなく、もろくも崩れた原因もそこにある。

でも、朝日から酔っ払いのDNAが完全に消えうせてしまったのか。そうではない。

先の戦争では、数えきれないほどの若く貴い命が散り、民間の戦争犠牲者も数知れない。アジアの民衆にも、多くの死者を出し、多大な迷惑をかけた。慰安婦も強制的に連れて行かれたかどうかは別として、日本軍が深くかかわった戦争という異常事態に若い女性が翻弄され、その意に反して悲しい体験を味わったことに何ら変わりはない。

朝日のこれまでの戦争報道は、民衆には制御不能なまでに強大化した軍部によって引き起こされた悲劇の数々を一つずつ掘り起し、後世に伝えることで、「二度と過ちを繰り返さない」との誓いを新たにするものである。丹念に取材する酔っ払い記者のDNA、人脈が引き継がれたもので、これまで伝えてきた膨大な事実は、一つの誤報によっても覆るものではない。

原発報道でも、確かに内容の精査では手落ちがあった。しかし、事故当時の模様を何より生々しく語る歴史の証言である極秘の「吉田調書」を独自に入手出来たのは、これまで酔っ払い記者が苦労して人脈を築いて数々の極秘資料を入手して来た伝統・信頼の力が生きたと言うべきだろう。

「吉田調書」を詳細に読めば、社長ら東電首脳の右往左往ぶりが目に見える。もう少しで、東日本全体が人の住めない恐れすらある大量の放射能をまき散らす制御不能の重大事態だったことも分かる。にもかかわらず、政府への情報伝達も十分でなく、危機対応がほとんど出来ず、手をこまねいたことが伝わってくる。

◇何のための朝日バッシングだったのか?

しかし、バッシング勢力は、慰安婦でも原発報道でも、一部の誤報をもって、そのすべてを否定すべく動いている。

慰安婦報道潰しの目的は、過去の戦争を美化し、軍備の強化を通じてこの国を戦前に戻すことにあるのだろう。憲法9条改憲、解釈改憲での集団的自衛権容認に強い懸念を示す朝日の影響力を削ぐことが当面の狙いであることも明らかだ。

原発報道でも、誤り部分を奇禍に、「事故拡大を防ぐため、命懸けで働いて来た現場の東電社員を恣意的に貶めるもので、東電のやって来たことに間違いはない」と、美化。原発で一旦事故が起きたら、首都まで人も住めない事態を招くことを覆い隠そうとしている。それは「日本を守るため、英霊は尊い命を捧げた」と、戦争そのものを美化する論理に通じる。

戦前回帰の風潮が強まる中、バッシング勢力の声はさらに大きくはなっても、小さくなることはないだろう。朝日が本気で読者に期待される再生を目指すなら、こうした外部の声に耳を傾けることではないだろう。上司や権力の顔色を窺うような「へなちょこ記者」の「へなちょこ記事」を読まされる読者こそ、いい迷惑である。弱いジャーナリズムでは、バッシング勢力に対抗する力になりえない。

朝日の真の再生に必要なのは、社内の官僚派閥主義にも対抗。外部のバッシング勢力や国家権力そのものの攻撃にもびくともしない酔っ払い記者の破天荒なDNAをもう一度復活させることである。

真実を知らせることにだけに記者が真剣になり、生き生きとした取材で掘り起こした事実に基づき、人々の心を打つ記事を書く…。酔っ払い記者が身をもって後輩に教えていた骨太のジャーナリスト精神が組織の隅々まで浸透すれば、読者の信頼は自ずと回復する。未だに官僚主義から抜け出せない責任逃れの「へなちょこ再生案」では未来がないことを、朝日の経営陣は改めて認識すべきだろう。

朝日が誤報を生み、謝罪も出来ない官僚化した体質になったかは、拙書「報道弾圧」(東京図書出版)で詳しく書いていますが、ダイジェスト版は、本ブロク「MEDIA KOKUSHO」で連載中の「公共事業は諸悪の根源」①からでも読めます。ぜひ、ご覧下さい。

筆者紹介》 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。特定秘密保護法違憲訴訟原告、名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。