読売の検索結果

2015年08月13日 (木曜日)

「押し紙」70年⑥ 1980年代の国会における新聞販売問題の追及、読売「北田資料」も暴露

サマリー】1980年代に入ると国会質問の場で共産・公明・社会の3党が超党派で、景品を使った違法な新聞拡販や「押し紙」問題などを追及した。質問回数は、1980年3月5日から1985年4月13日までの期間、総計で16回である。

 当然、「押し紙」問題も取り上げられた。共産党の瀬崎博義議員は、読売新聞・鶴舞直配所の内部資料を暴露した「北田資料」を根拠に、「押し紙」(広義の残紙)を取り上げた。

1980年代に入ると新聞販売の諸問題は、国会で反響を呼んだ。これについてはメディア黒書でも繰り返し記述してきたが、新聞史における大事な歴史的転換期なので、改めて何が起こったのかを記しておこう。

結論を先に言えば、共産・公明・社会の3党が超党派で、景品を使った違法な新聞拡販や「押し紙」問題などを追及したのである。質問回数は、1980年3月5日から1985年4月13日までの期間、総計で16回である。

具体的な質問日時と質問者は次の通りである。

■新聞に関する国会質問リスト

こんなことはかつてなかった。政党にとっても、新聞社を攻撃することは大きなリスクを背負うからだ。

これらの質問を水面下で準備したのは、新聞販売の業務に携わる社員と店主で組織する全販労(全日本新聞販売労組)の事務局長を務めていた沢田治氏である。沢田氏は滋賀県で毎日新聞の販売店を経営するかたわら、組合運動の指揮を取っていた。

国会質問に立った共産党の瀬崎博義議員と公明党の草川昭三議員は、いずれも滋賀県選挙区から国会へ送りだされていた。沢田治氏は地元出身の瀬崎博義議員と草川昭三議員に接触し、膨大な裏付け資料を提供し、国会質問を依頼したのである。

共産党の市川正一参院議員も質問に立っているが、彼も関西を基盤とした政治家であることから、沢田氏が接近したのである。市川氏の秘書が筆坂肇氏であったことから、沢田氏は筆坂氏に資料を届けていたという。かつて沢田氏は、わたしに対して、筆坂氏を次のように評していた。

「とにかく理解力がすごかった。多量の資料を短期に整理して体系づけた」

◇北田資料

1982年3月8日、瀬崎議員は国会質問で、俗にいう「北田資料」を取り上げた。これは読売新聞の北田敬一店主(奈良県読売新聞鶴舞直配所)が暴露した自店の経営実態を裏付ける内部資料である。その中に「押し紙」(残紙)に関する資料が含まれていた。(読売は、「押し紙」は一部たりとも存在しないと主張してきたが、ここでいう「押し紙」とは、広義の残紙のことである。必ずしも押し売りの証拠があるとは限らない。)

瀬崎氏は、この北田資料を国会質問の中で暴露したのだ。瀬崎氏は、次のように述べている。

これで見てわかりますように、51年の1月、本社送り部数(注:搬入部数のこと)791、実際に配っている部数556、残紙235、残紙率29.7%、52年1月送り部数910にふえます。実配数629、残紙数281、残紙率30・9%に上がります。・・・・・・・

■瀬崎氏による国会質問録DPF

これが国会で「押し紙」問題が取り上げられた最初である。
しかし、これら一連の新聞販売問題をメディアが取り上げることはなかった。唯一の例外が新聞研究者で創価大学の新井直之教授だった。新井氏は月刊誌『潮』に連載していた「マスコミ日誌」で、次のように述べている。

(略)新聞社側には、国会で共産党議員がその資料をもとに問題を取り上げていることから、(注:全販労が)共産党系組織として警察に働きかけ、裏からの切りくずしをはかっているとも聞く。しかし「生まれたばかりの組織で、支援してくれるものはどこもこばまない」(佐藤議長)というのが全販労の考え方で、共産党系組織というのはいいがかりに過ぎない。この問題について、公明党、社会党議員も国会で取り上げているのも、その現れである。

新聞販売の過当競争や、販売店従業員のタコ部屋的状況は周知の事実で、各社は、公取委の批判や全販労の告発に、十分に、誠意をもって答え、対応すべきであろう。新聞が、自ら内部にかかえている矛盾や後進性を克服せずして、真の国民のための新聞ということは、決してできない。

驚くべきことに新井氏が指摘している新聞販売店の実態は、新聞社の系統によっては、今もほとんど変わっていない。

2015年08月07日 (金曜日)

1年半で朝日は67万部、読売は72万部の減部数、2015年6月のABC部数

【サマリー】2014年1月から2015年6月の1年半における新聞のABC 部数の推移を調べたところ、朝日が約67万部、読売が約72万部の部数を減らしていることが分かった。これに対して産経は約1万部増やしている。

 しかし、新聞のABC部数には「押し紙」が含まれている場合があるので、実際にどの程度の新聞が配達されているのかは不透明のままだ。「押し紙」は独禁法に抵触し、公権力がこれを逆手に取れば、暗黙のうちに新聞紙面をコントロールできる。

2015年6月時点における主要紙のABC部数は、次の通りである。

【2015年6月】
朝日新聞:6,790,953部
読売新聞:9,108,078部
毎日新聞:3,249,928部
日経新聞:2,739,027部
産経新聞:1,604,115部

■2015年6月のABC部数

これらの数字を1年半前、つまり2014年1月の数字に比較してみると、中央紙のうち産経は部数を増やしているが、他紙は部数の低落傾向から脱却できていないことが分かる。

読売は1年半で約72万部を減らし、朝日は67万部を減らしたことになる。両社の減部数は、約139万部にもなる。これは関東圏でいえば、東京新聞2社と上毛新聞社を失ったに等しい。

【朝日新聞】
2014年1月:7,461,786部
2015年6月:6,790,953部
差異     :  670,833部

【読売新聞】
2014年1月:9,825,985部
2015年6月:9,108,078部
差異     :  717,907部

【毎日新聞】
2014年1月:3,356,507部
2015年6月:3,249,928部
差異     :  106,579部

【日経新聞】
2014年1月:2,761,699部
2015年6月:2,739,027部
差異     :   22,672部

【産経新聞】
2014年1月:1,593,075部
2015年6月:1,604,115部
11,040部

【中央5紙を除く日刊紙】
2014年2月:16,073,597部
2015年6月:15,439,934部
 差異     :   633,663部

◇「押し紙」とメディアコントロール

しかし、これらの数字は販売店が実際に配達している部数(実配部数) を正しく反映しているとは限らない。日本の新聞業界には、「押し紙」制度が慣行として定着しているからだ。

「押し紙」とは、新聞社が販売店に対して実配部数を超える新聞部数を搬入するために発生する過剰部数を意味する。「押し紙」は卸代金の請求対象になる。当然、実際には配達・販売されていなくても、販売収入として経理処理される。そのために粉飾決算の疑惑も指摘されてきた。

新聞人の中には新聞ばなれの時代においても、自社だけは経営が好調だと、機会があるごとに自慢話をしている者もいるが、粉飾問題を考慮した場合、実際の経営実態を反映していない可能性が高い。

新聞人は「押し紙」も堂々と販売収入として計上しているので、「押し紙」が多い新聞社は、経営が好調に見えても内情は別だ。

「押し紙」は独禁法で禁止されており、これを逆手に取れば公権力は新聞紙面を暗黙のうちにコントロールできる。公権力に批判的な紙面づくりを展開する新聞社は、「押し紙」問題で摘発されるリスクが高くなるからだ。

2015年07月08日 (水曜日)

読売の広告収入、ピーク時の1700億円から800億円へ半減、自民・大西議員の発言がプレシャーになる理由

【サマリー】2015年1月に開かれた読売新聞社の新春所長会議で、渡邉恒雄グループ本社会長・主筆は、読売の広告収入が、ピーク時の1700億円から800億円までに落ち込んでいることを明かした。広告収入は新聞社の大きな収入源である。それが落ち込んでいる事実は、新聞社の広告を柱としたビジネスモデルの危機でもある。

 が、この点を逆手に取れば、メディアコントロールも可能になる。自民党・大西英男議員の「マスコミを懲らしめるには、広告料収入をなくせばいい」という発言は、こうした状況下で飛び出した。

1972年、新聞研究者の新井直之氏が『新聞戦後史』(栗田出版)を著し、新聞ジャーナリズムのアキレス腱が実は新聞社のビジネスモデルにあることを、戦前の例をひきながら鋭く指摘した。

1940年5月、内閣に新聞雑誌統制委員会が設けられ、用紙の統制、配給が一段と強化されることになったとき、用紙制限は単なる経済的な意味だけではなく、用紙配給の実権を政府が完全に掌握することによって言論界の死命を制しようとするものとなった。

新井氏が指摘したことを、長い歳月の後、今度は自民党の大西英男議員がゆがんだかたちで指摘した。大西議員の発言は次の通りだった。

「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。政治家には言えないことで、安倍晋三首相も言えないことだが、不買運動じゃないが、日本を過つ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」

改めて言うまでもなく、広告収入が新聞社経営に及ぼす影響は計り知れない。それゆえにメディアコントロールの道具として悪用されやすい。公権力や企業の目の付けどころになる。

新聞社の広告収入の実態を読売新聞を例に紹介しよう。

◇折込広告も不況

今年1月に開かれた読売新聞社の新春所長会議で、渡邉恒雄グループ本社会長・主筆は、読売の広告収入が、ピーク時の1700億円から800億円までに落ち込んでいることを明かした。(『新聞情報』、2015年1月24日)

渡邉氏は次のように言う。

読売新聞も販売部数は1年で66万部減少したし、広告収入も、ピーク時に1700億円あったものが800億円にまでほぼ半減し、昨年も800億円を超すことがありませんでした。そのため、読売新聞社としても、多少緊縮した財務政策を取らざるを得ませんでした。不況脱出遅れのために、特に大変な困難に直面されたのは、ここにいらっしゃるYC所長の皆様方であります。まず、第一に折り込み収入が不況で激減して以来いまだに回復しておりません。

読売に限らず、他の新聞社も同じような窮地に追い込まれている可能性が高い。と、いうのもABC部数の大小により広告価格が設定される基本原則がある事情から察して、読売よりもABC部数が少ない他社は、広告営業においても、読売よりもはるかに苦戦を強いられるからだ。

こうした新聞社の斜陽を逆手に取って自民党の大西議員らが着目したのが、
どうやら広告主を抱き込むメディア戦略だったようだ。古くて新しい手口である。経営部門をターゲットにした戦前の手口の復活だ。

◇不毛な紙面批判

しかし、一方に広告主に対して広告出稿をストップさせる手厳しい戦略があるとすれば、他方にはそれと鋭く対立する友好的な戦略もある。それが新聞に対する軽減税率の適用である。軽減税率の適用は、新聞人による政界工作の成果もあり、適用が確実視されている。

つまり、新聞ジャーナリズムをコントロールするために、出版とは無関係なところで、「アメとムチ」の政策が進行しているのである。

安保法制は今、こうした状況の下で、ジャーナリズムを骨抜きにして、成立しようとしている。

わたしは「メディア黒書」で、「いくら新聞紙面の批判をしても、新聞ジャーナリズムは改善しない」と繰り返してきたが、その原因は、新聞社のビジネスモデルが間違っているからである。

2015年05月13日 (水曜日)

渡邉恒雄会長が新聞社の多角経営を自慢、「読売新聞は全く安泰です」、ジャーナリズムから情報産業への変質の危険性

新聞社の衰退が指摘されるようになって久しいが、読売の渡邉恒雄会長は、今年4月の入社式に行った挨拶で、読売の経営が依然として安定していることを強調してみせた。多角経営の優位性を次のように述べている。新聞人の言葉というよりも、むしろ財界人の言葉である。

「各新聞社とも今、活字不況時代ということもあって、経営は相当苦しいですが、読売新聞は全く安泰です。しかも新聞だけではなく、全ての分野の経営において成功しています。

野球では巨人軍があるし、出版部門では、一番古い総合雑誌としての歴史を持つ「中央公論」を中心とした中央公論新社があるし、1部上場会社で、最近視聴率も上げている日本テレビも読売新聞が筆頭株主で姉妹関係にあります。

また、非常に大きな不動産や土地を持ったよみうりランドも1部上場会社ですが、読売新聞から会長、社長等を出し、筆頭株主も読売新聞です。

ただいま皆さんに名演奏を聴かせてくれた読売日本交響楽団もグループの一員です。

そのほか読売理工医療福祉専門学校や読売自動車大学校、読売・日本テレビ文化センターなどがあります。

読売が持っている不動産では、プランタン銀座や、ビックカメラ(有楽町店)、マロニエゲートのほか、札幌駅前にはワシントンホテルグループのホテルがあります。非常に多角的に経営し、すべて万全の財務基盤を持って、文化的な貢献をしています」

渡邉氏が具体的にあげた業種で出版やジャーナリズムとはまったく関係がない分野としては、次のようなものがある。

※読売ジャイアンツ(プロ野球)
※よみうりランド(レジャー)
※読売日本交響楽団(音楽)
※読売理工医療福祉専門学校(学校)
※読売自動車大学校(学校)
※プランタン銀座(不動産)
※ビックカメラ・有楽町店(不動産)
※マロニエゲート(不動産)
※ワシントンホテルグループ(旅行)

読売はさまざまな分野へ進出している。読売新聞社はもはや新聞社単体というよりも、多種多様な事業を展開する巨大グループの一企業と言ったほうが適切だ。

◆新聞産業の衰退

新聞社が大規模な多角経営を行っている例は、日本のケースを除いてあまり聞いたことがない。ジャーナリズムという職種上、経済界と一定の距離を置かなければ、特定の企業や特定の業界のPR媒体に変質する恐れがあり、それなりの自粛が働くからだ。一般企業との区別は、新聞人の誇りでもある。

しかし、日本の新聞社では、読売ほど大きな規模ではないが、多角経営が一般化しているようだ。たとえば朝日新聞社は、東京・銀座に、新ビル「銀座朝日ビル(仮称)」(地下2階地上12階建ての)を建設する。毎日新聞社も不動産物件の所有者である。

新聞の読者離れに歯止めがかからないわけだから、多角経営に乗り出さなければ、新聞社本体の経営が悪化していく事情は理解できるが、それにより真実を伝えるジャーナリズムの役割が衰退し、単なる情報産業と化してしまう危険性も高い。

◆出版人としてのプライド

読売新聞社は、新聞販売店やフリーのジャーナリストに対して、たびたび裁判を起こしてきた事実がある。しかも、改憲問題などで、本来であれば読売の改憲論とは相容れないはずの護憲派・自由人権協会の弁護士を使っている。

そこには新聞人の核をなすはずの自分の思想への強いこだわりが感じられない。言論に対しては言論で対抗するという出版人としてのプライドも感じられない。企業法務が最優先されている印象がある。これも多角経営がもたらした弊害ではないか。

渡邉恒雄氏が語った内容は、新聞人というよりも、財界人の視点で貫かれている。記者が大企業の中の一員になってしまえば、ジャーナリズムもお金儲けの道具に変質しかねない。

2015年05月11日 (月曜日)

前年同月差は朝日が-65万部、読売が-58万部、2015年3月度のABC部数

2015年3月度のABC部数が明らかになった。それによると中央紙は、対前月差では、大きな変動はなかったものの、対前年同月差では、朝日新聞が約65万部、読売が58万部のマイナスとなった。

中央紙の販売部数は次の通りである。()内は、対前年同月差。

朝日新聞:6,801,032(-649,200)
毎日新聞:3,254,446(-67,296)
読売新聞:9,114,786(-576,151)
日経新聞:2,740,031(-28,588)
産経新聞:1,607,047(+17,800)

◆ABC部数と「押し紙」

ABC部数を解析する場合に、考慮しなければならないのは、ABC部数が必ずしも実配部数(実際に配達されている新聞の部数)を反映しているとは限らないという点である。

日本の新聞社の多くは「押し紙」政策を採用してきた事実があり、これが原因で「ABC部数=実配部数」という解釈を困難にしている。両者は別物である。

「押し紙」とは、新聞社が配達部数を超えて販売店に搬入する部数のことである。たとえば2000部の新聞を配達している販売店に、2500部を搬入すれば、差異の500部が「押し紙」ということになる。

新聞社は「押し紙」についても新聞の卸し代金を徴収する。また、「押し紙」部数をABC部数に加算することで、紙面広告の媒体価値をつり上げる。

広告主からも、「押し紙」政策を批判する声が挙がっているが、日本新聞協会は、「押し紙」は存在しないとする立場を貫いている。しかし、「押し紙」は、新聞業界では周知の事実となっており、それを足下の大問題として検証しないこと自体が真実を追究するジャーナリズムの姿勢からはほど遠い。

「押し紙」は独禁法に抵触するので、公権力がそれを逆手に取れば、メディアコントロールの道具になる。その意味では、極めて危険な要素だ。

■2015年度・3月のABC部数

2015年04月07日 (火曜日)

裁判と言論・人権を考える(4)、読売裁判の判例と弁護士懲戒請求、催告書の名義を偽って提訴

高額訴訟ではないが、提訴のプロセスに問題が指摘された裁判の例を紹介しよう。わたし自身が被告にされた著作権裁判である。原告は、読売新聞社(西部)の法務室長・江崎徹志氏だった。江崎氏の代理人は、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士だった。

◇事件の発端
2007年の暮れに江崎氏は、わたしにEメールである催告書を送付してきた。その中で江崎氏は、わたしに対して、新聞販売黒書(メディア黒書の前身)のある記述を削除するように求めたのである。その資料とは、次の通知(記述)だった。YC(読売新聞販売店)に宛てたものだ。

前略

 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
 2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。
 当社販売局として、通常の訪店です

以上、ご連絡申し上げます。よろしくお願いいたします。

かりにこの文書を「回答書」と呼ぶことにする。

■江崎氏が送付した催告書の全文

◇真村店主に対する差別

読売新聞社とYC広川の真村店主の間には、2001年ごろから係争が続いていた。係争の引き金は、読売が真村さんの営業区域の一部を返上させようとしたことである。当然、真村さんはこれを断った。

これに対して、読売は真村さんに販売店を改廃(強制廃業)することを言い渡した。この係争は地位保全を巡る裁判に発展した。

こうした状況の中で真村さんの店は「死に店」扱いにされた。飼い殺しであるから、当然、読売の担当員はYC広川を訪問しなくなった。補助金も大半をカット。差別的な待遇を受けるようになったのである。

しかし、2006年9月、福岡地裁久留米支部は、真村さんの地位を保全する判決を言い渡した。さらに2007年6月には、福岡高裁も真村さんに軍配を上げる。しかも、読売による「押し紙」など、優越的地位の濫用を厳しく批判した画期的な判決を下したのだ。

■真村裁判・福岡高裁判決

高裁判決を受けて、読売の態度に変化の兆しが現れた。YC広川に対する訪店を再開するための第一歩として、真村さんに訪店再開の意思を伝えたのである。

ところが真村さんは、係争中に積もりに積もった不信感のために、即答をさけた。そして代理人の江上武幸弁護士に依頼して、訪店再開の真意を読売側に問い合わせてもらったのだ。その回答として江上武幸弁護士が江崎法務室長から受け取ったのが、上記の回答書だった。それをわたしが、新聞販売黒書で公開したのである。

◇著作物には定義がある

これに対して江崎法務室長は、わたしに対し、削除を求める催告書を送ってきたのだ。

催告書の中で、江崎氏は上記の回答書が自分の著作物だと主張した。それを根拠に削除を求めたのである。しかし著作物と言うからには、著作権法の次の定義を満たさなければならない。

【思想又は感情を創造的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。】

誰が解釈しても回答書が著作物でないことは明らかである。それにもかかわらず江崎氏は、催告書の中で回答書が自分の著作物であると述べ、わたしに削除を求めてきたのだ。しかも、わたしが回答書を掲載したことを、「民事上も刑事上も違法な行為」とした上で、次のように記していたのだ。

「貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を探ることになりますので、この旨を付言します。」

明らかに著作物ではないものを、著作物だと強弁して、削除に応じなければ、法的手段を探ると言ってきたのだ。しかも、刑事告訴までほのめかしていたのだ。

◇催告書を公開

もともと江崎氏の主張そのものに道理がないのであるから、わたしは回答書の削除には応じなかった。さらに対抗措置として、今度は催告書を新聞販売黒書でそのまま紹介した。恫喝文書と判断した結果でもあった。回答書が著作物であるというデタラメな内容の恫喝文が送られてきたことを重要ニュースと判断したのである。

これに対して、江崎氏は催告書を削除するように求めて、裁判を起こしたのである。(厳密には、仮処分の申し立てを経て本裁判へ進んだ。)

ところがおかしなことに、催告書でわたしに要求した回答書の削除は、裁判では要求してこなかった。催告書だけの削除を求めてきたのである。

◇催告書を作成したのは喜田村洋一弁護士

催告書の削除を求める著作権裁判の争点は、当然、催告書に著作物性があるかどうかという点になる。著作物性があり江崎氏の著作物と認められたならば、わたしは削除に応じなければならない。

ところが裁判は以外な展開を見せる。もともと江崎氏がこの裁判の前提としていたのは、催告書は江崎氏が自分で作成した著作物であるから、わたしには公表権がないという論法だった。ところが被告(黒薮)弁護団の追及で、催告書の執筆者は、江崎氏ではなくて、読売の喜田村洋一弁護士であることが判明したのだ。

厳密に言えば、喜田村弁護士か彼の事務所スタッフが催告書を作成した可能性が極めて高いと裁判所が認定したのである。

これは言葉を換えれば、江崎氏とは別の人物が作成した催告書を、江崎氏が自分で作成した文書であると偽って、わたしを裁判にかけたということである。つまり著作物であると主張していた催告書の名義を「江崎」に偽っていたことになる。

その結果、何が起こったのか?喜田村弁護士らは、催告書の名義を偽ったまま、著作者人格権を主張したのである。

ちなみに著作者人格権は、他人に譲渡することは認められていない。

ウィキペディア:著作者人格権は、一身専属性を有する権利であるため他人に譲渡できないと解されており、日本の著作権法にもその旨の規定がある(59条)。また、日本法では一身専属性のある権利は相続の対象にはならないので(民法896条但書)、著作者人格権も相続の対象にはならず、著作者の死亡によって消滅するものと解されている。】

参考までに、知財高裁(東京)の判決から、上記の事実を認定した部分と弁護団声明を紹介しておこう。

■知財高裁(東京)判決(認定部分のみ)

■弁護団声明(全文)

なぜ、催告書の作成者を偽ってまでも、わたしを提訴したのだろうか。推測になるが、「押し紙」報道を抑制したかったからではないか?

◇弁護士懲戒請求

最高裁で判決が確定した後、わたしは「戦後処理」に入った。喜田村弁護士が所属する第2東京弁護士会に、喜田村弁護士に対する懲戒請求を申し立てた。根拠としたのは、『弁護士職務基本規定』の次の条項だった。

第75条:弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。

 私が提出した第1準備書面は次の通り。事件の性質を簡潔に伝えた。

■懲戒請求の準備書面(1)

 

2015年04月06日 (月曜日)

「新聞崩壊」2015年2月度の新聞のABC部数、前年同月差で朝日は約65万部、読売は63万部減、毎日はひと月で10万部減

2015年2月度の新聞のABC部数が明らかになった。中央紙の部数は次の通りである。()内は、前年同月差。

朝日:6,793,957 (-654,778)

読売:9,112,450 (-626,439)

毎日:3,254,115 (-69,926)

日経:2,735,255 (-41,657)

この一年間で、朝日は約65万部を減らし、読売は約63万部を減らした。

毎日は、前年同月差は約7万部の減だが、2月中に約10万6000部を減らしている。

かつて朝日は、800万部のメディアと言われていたが、600万部代に入った。

ただ、ABC部数には、俗にいう「押し紙」(偽装部数)が含まれていることがあるので、「ABC部数=実配部数」と考えると、広告主は広告戦略に支障をきたしかねない。

ABC部数にどの程度の「押し紙」が含まれているかについては、朝日をモデルに、MyNewsJapanが内部資料を基に、4月2日付け記事で綿密な検証を行っている。記事の途中から「会員限定」になるが、参考までに紹介しょう。

■朝日新聞の偽装部数は200万部(28%)、実売は10年で3割減って510万部に――2014年度、社内資料より判明

◇米国でも偽装部数は発覚しているが・・・

ABC部数に「押し紙」が含まれている問題は、古くから指摘されてきたが、新聞社は、いまだに「押し紙」の存在を認めていない。しかし、販売店が起こした「押し紙」裁判で、勝訴、あるいは和解勝訴の例が生まれ初めているのも事実である。

海外でもABC部数を偽装する問題は発覚しているが、日本の新聞社とはことなり、不祥事を認めている。たとえば、米国のダラス・モーニング・ニュース社は、2004年に日曜版を11.9%、日刊紙を5.1%水増ししていたことを認めて、広告主に2300万ドルを払い戻した。

「押し紙」は存在しないとしらを切っている日本の新聞人とは、大きな違いがある。

■2015年2月度のABC部数

 

2015年02月25日 (水曜日)

新聞没落、朝日は1年で44万部減、読売は60万部減、衰退する新聞広告の影響力

新聞の発行部数がわずか1年の間に激減していることが分かった。
新聞の発行部数を調査する日本ABC協会が発表した2014年度下期(6月~12月)における新聞の発行部数一覧によると、中央紙各紙の部数は次の通りである。()内は対前年差(2013年度下期)。

朝日新聞:710万1074部(-44万2107部

読売新聞:926万3986部(-60万4530部

毎日新聞:329万8779部(-5万1587部

日経新聞:275万534部(-2万5585部

産経新聞:161万5209部(-2316部

 ■2014年度下期の新聞発行部数一覧PDF

朝日は、約44万部を失った。読売は約60万部を失った。

プラスに転じた社はない。

しかし、ABC部数は、実際に配達されている部数を正確に反映しているわけではない。配達されないまま新聞販売店で一時保管され、古紙として回収される「押し紙」、あるいは「残紙」もABC部数に含まれている。そのためにこれらの不透明な部数を整理すれば、必然的にABC部数も減じる。

今回の調査で明らかになった新聞部数の激減傾向が、不透明な部数を整理した結果なのか、それとも読者離れの結果なのかは分からない。

◇低落する新聞広告の媒体価値

新聞業界が衰退に向かっているにもかかわらず、紙面広告の出稿量はほぼ横ばいが続いている。これは新聞広告の媒体価値が落ちるに伴って、価格も落ちていることを意味している。広告主をつなぎ止めるために、価格を落とさざるを得なくなっているのだ。

「押し紙」や残紙が存在するために、実配部数が不透明なので、広告主企業は、マーケティング戦略として新聞広告を採用した場合、誤算に見舞われることがある。たとえば30万人の新聞読者を想定し、それを前提に戦略を決定したにもかかわらず、実際には15万部の新聞しか読者に届いていなければ、期待通りのPR効果は得られない。

戦略は失敗する。

さらに新聞広告は、アクセス解析ができない欠点もある。どのような層が広告に関心を示しているのかを把握できない。これでは科学的なデータに基づいた戦略はとれない。

インターネット広告が増えて、新聞広告が衰退しているゆえんである。

不透明な新聞の発行部数。これを改めなければ、新聞の「没落」を止めることはできない。

2015年02月09日 (月曜日)

読売の渡辺恒雄会長が安倍首相と会食を重ねる、言論界に重大な負の影響

時事通信の「首相動静」によると、2月5日に読売新聞グループの主筆で会長、新聞文化賞受賞者の渡辺恒雄氏が、安倍晋三首相と会食した。会食場所は、東京・飯田橋のホテル・グランドパレスにある日本料理店「千代田」である。

安倍首相が同ホテルに到着したのは、午後6時41分。会食を終えて私邸へ向かったのは、8時35分であるから、約2時間にわたって会話を交わしたことになる。何が話し合われたのかは分からない。

渡辺・安倍の両氏が会食を繰り返してきたことは、これまでもたびたび報じられてきた。たとえば2014年12月30日付けの『しんぶん赤旗』によると、それまでの会食回数は8回にも及んでいる。

取材目的の会食であれば、頭から批判するわけにもいかないが、渡辺氏がルポタージュを書くための取材を進めているという話は聞いたことがない。

ちなみに『しんぶん赤旗』によると、渡辺氏のほかにも読売関係者は、安倍首相と会食を重ねている。

白石興二社長:2回
論説主幹:7回
政治部長:1回

何が目的で政治家と広義のジャーナリストが会食を重ねているのか、目的は定かではないが、最近の新聞業界の動きを見ると、会食を通じた情交関係が有形無形のかたちで、新聞紙面や新聞人の言動に影響を及ぼしているのではないかと勘ぐりたくなる。

◇朝日記者のシリア取材

たとえば読売の紙面が以前にもまして政府よりになっている点である。実例として引くのは、MEDIA KOKUSYOで既報した次の記事である。

■朝日の複数記者、外務省が退避要請のシリア入国(読売新聞 2015年01月31日 13時33分)

 【特集 邦人人質】
 
 イスラム過激派組織「イスラム国」とみられるグループによる日本人人質事件で、外務省が退避するよう求めているシリア国内に、朝日新聞の複数の記者が入っていたことが31日分かった。

 同省は21日、日本新聞協会などに対し、シリアへの渡航を見合わせるよう強く求めていたが、朝日のイスタンブール支局長はツイッターで、26日に同国北部のアレッポに入り、現地で取材した様子を発信していた。

この報道がなぜおかしいのだろうか? それは、政府の方針から独立して取材活動をすることが常識になっている新聞記者の「抜け駆け」に、恐らくはデスクがニュース価値を感じて記事掲載に踏み切っているからだ。「あたりまえの事をなぜ記事に」という滑稽感があるのだ。

朝日記者の行動を問題視する「優等生」的な視点があるデスクでなければ、このような記事を掲載しようという発想そのものが起こりえない。

ちなみになぜ朝日記者の行動が正しいのかは単純だ。だれかが紛争地帯の内部に入らなければ、そこで本当に何が起こっているのかが分からないからだ。事実を把握しなければ、政府すらも方針を立てようがない。それを禁止するのは、事実を正確に確認しないまま政策を決める愚行に等しい。

安倍内閣がやっているのは、その愚行にほかならない。

余談になるがTBSの報道特集によると、イスラム国に詳しいヨルダンの評論家は、人質事件に対する日本政府の対応を酷評している。安倍首相は決定的な3つの過ちを犯したという。

①人質事件への対応が大幅に遅れた。

②中東訪問で、「テロ対策」に言及した。

③対策本部をトルコではなく、ヨルダンに設置した。

◇利害関係の構図

さらに一連の会食と並行して、新聞に対する消費税軽減税率の問題が政治の重要なテーマになっている事実も見過ごすことができない。会食の場で、渡辺氏と安倍首相が消費税の軽減税率について話したかどうかは不明だが、かりに新聞業界のこの要望を政府が受け入れた場合、国民の多くは、「会食効果」と推測するだろう。

結果、新聞ジャーナリズムは、ますます信頼を失うことになる。しかも、負の影響は読売一社に限定されない。他の新聞社はいうまでもなく、書籍出版の業界にもおよびかねない。

と、言うのも出版社も、新聞社と同様に軽減税率の恩恵を受けるからだ。逆説的に言えば、こうした利害関係の構図が、マスコミ業界全体に安倍首相と渡辺氏の会食を厳しく批判しない空気を生み出しているのである。

政府によるメディアコントロールと軽減税率の問題は、密室の中で同時進行しているのである。

2015年02月06日 (金曜日)

イスラム国問題を逆手に取って進む軍事大国化、朝日に追いつけない読売、新聞記者はシリアを取材してはいけないのか?

イスラム国が2人の日本人を処刑した事件を逆手に取って、安倍内閣による軍事大国化の動き、それに伴う治安の強化や学校教育に対する締め付けがエスカレートしている。

中国や韓国との領有権問題を利用して、反中・反韓意識を煽り立て、それを追い風として解釈改憲の閣議決定を強行したり、特定秘密保護法を成立させたのと同じ方法が、イスラム国問題を背景に進行している。

新聞・テレビの報道で、こうした動きを確認することが出来る。以下、主要な記事の一部をピックアップしてみよう。

■「国内にイスラム国支持者」=山谷国家公安委員長が答弁(時事通信 2月4日(水)20時35分配信)
 
 山谷えり子国家公安委員長は4日の衆院予算委員会で、過激組織「イスラム国」が後藤健二さんらを殺害したとみられる事件に関し、「(イスラム国)関係者と連絡を取っていると称する者や、インターネット上で支持を表明する者が国内に所在している」と述べ、警察庁で関連情報の収集・分析を進めていることを明らかにした。平沢勝栄氏(自民)への答弁。

■安倍首相、9条改正に意欲=空爆後方支援否定も「合憲」―参院予算委(時事通信 2月3日(火)16時6分配信)
 
 安倍晋三首相は3日午後の参院予算委員会で、戦争放棄をうたった憲法9条について「わが党(自民党)は既に9条改正案を示している。なぜ改正するのか。国民の生命と財産を守る任務を全うするためだ」と述べ、「国防軍」創設などを盛り込んだ自民党改憲草案の実現に意欲を示した。次世代の党の和田政宗氏への答弁。

  首相は、有志連合による過激組織「イスラム国」への空爆作戦に関し、仮に自衛隊が後方支援を行ったとしても、海外での武力行使を禁じた憲法9条には抵触しないとの認識を示した。

■朝日の複数記者、外務省が退避要請のシリア入国(読売新聞 2015年01月31日 13時33分)

 【特集 邦人人質】
 
 イスラム過激派組織「イスラム国」とみられるグループによる日本人人質事件で、外務省が退避するよう求めているシリア国内に、朝日新聞の複数の記者が入っていたことが31日分かった。

 同省は21日、日本新聞協会などに対し、シリアへの渡航を見合わせるよう強く求めていたが、朝日のイスタンブール支局長はツイッターで、26日に同国北部のアレッポに入り、現地で取材した様子を発信していた。

■警察庁、「国際テロ対策推進本部」を設置(TBS系・JNN) 2月5日5時28分配信)

 イスラム国による日本人殺害事件で、イスラム国が「今後も日本人を標的にする」と表明していることを受け、警察庁は4日、「国際テロ対策推進本部」を設置しました。

  警察庁は警備局長を本部長とする「国際テロ対策推進本部」を設置、今回「イスラム国」が日本人を殺害した上、「今後も日本人を標的にする」と表明していることを受け、この事件を検証し、今後のテロ対策を見直すということです。

■女性教諭、授業で児童に湯川さん遺体画像見せる(読売新聞 2月5日19時48分配信)
 
 名古屋市教育委員会は5日、同市立小学校の授業で、女性教諭がイスラム過激派組織「イスラム国」に殺害されたとみられる日本人人質の遺体の画像などを児童に見せていたと発表した。

  市教委は「不適切な指導だった」として謝罪した。教諭は「情報のあり方を考えさせ、生命の大切さについても目を向けてほしかった。画像を見せたことは浅はかだった」と話しているという。

◇教育統制の背景

改めて言うまでもなく、軍事大国化を進めるプロセスで、それに連動した政策が登場する。具体的には、たとえば日米共同作戦にともなう軍事上の秘密を非公開にするための特定秘密保護法である。軍事秘密が外部に漏れると、軍事作戦に支障をきたすから、この法律が制定されたのだ。

とはいえ特定秘密保護法の運用に際しては、指定対象になる秘密が、軍事に関するものを建前としながら、はるかにその領域を超えていることも事実である。それゆえに法律の拡大解釈による秘密指定により、ジャーナリズム活動が制限されたり、人権侵害が日常化することが懸念されているのである。

また、教育の統制も軍事大国化と連動する。それは戦前・戦中の愛国心を煽る教育がどのようなものであったのか、その歴史をふり返れば一目瞭然だ。

安倍首相が愛国心教育に熱心なことは周知となっている。第1次安倍内閣の時代に教育基本法を改正しただけではなく、「美しい国プロジェクト」と称する観念論教育にも着手した。こうした流れは、1960年代に中教審が打ち出した「(目上の人に)期待される人間像」の文脈に属する。

もっとも安倍内閣の教育政策は、戦争目的だけではなくて、少数エリートと従順な多数の労働者の育成という新自由主義下の生産体制に合致した人間像の形成という側面もあるが。

◇シリアを取材してはいけないのか?

上に引用した記事、「朝日の複数記者、外務省が退避要請のシリア入国」(読売)は、「期待される人間像」から一貫してきた日本の教育政策の中で、どのような人間が作られてきたのかを如実に物語っている。

政府が危険地帯に近づかないように邦人に対して退避要請を出すのは、立場上、当たり前のことである。ところが問題は、読売の記者が、それを素直に受け入れて、「抜け駆け」した朝日新聞の記者を暗に批判していることである。

われわれは幼児から、学校の先生の指示には素直に従うように教えられてきた。そこには目上の人の言葉に疑いを差し挟む余地がない。そういう生徒こそが学校の成績もよく、「お受験」を勝ち抜いて、大企業に就職していく。そしてマスコミ部門では、新聞記者やテレビのデレクターになっていく。

目上の人の指示に盲従する体質。それが読売の記事には、露骨に反映している。読売が紙面では、朝日に追いつけないゆえんではないだろうか?

※写真の出典=ウィキペディア

2015年01月15日 (木曜日)

2014年11月度のABC部数、読売は年間で66万部減、朝日は48万部減

2014年11月度における新聞のABC部数が公表されている。わたしが注目していたのは、読売新聞と朝日新聞の部数増減だった。

まず、読売新聞のABC部数は、1年でどの程度変動したのだろうか?

2013年11月度部数:1000万7440部 

2014年11月度部数:934万5155部

対前年同月差:66万285部減

ちなみに読売のウエブサイト「数字で見る読売新聞」は、現在(2015年1月15日)の時点でも、2013年11月の数字「1000万7440部」を表示している。「読売1000万部」へのこだわりのようだ。

これに対して朝日新聞の内訳は次の通りである。

◇朝日新聞のABC部数

2013年11月度部数:752万474部 

2014年11月度部数:704万2644部

対前年同月差:48万4830部減

両社とも大きく部数を減らしている。

社会的な要因としてインターネットの普及が背景にあると思われるが、新聞の公器性という観点から見れば、新聞社の幹部が安倍首相と飲み食いを重ねるなど、ジャーナリズム集団として、あるまじき行為を繰り返していることが、新聞そのものの信用を失墜させている可能性が高い。読者はすでに腐敗を見抜いている。

なお、ABC部数は、新聞の発行部数を示す数値なので、必ずしも発行された新聞がすべて配達されているとは限らない。搬入される新聞の約60%が「押し紙」だったケース(毎日新聞・蛍ケ池販売所。2006年12月の例)もある。

2014年度11月度のABC部数の詳細(全紙)PDF

【訂正】
 14日付けの記事で、衆院選で139人の候補者を推薦した団体の名称を日本新聞協会と表記しましたが、日本新聞販売協会(日販協)の誤りでした。日本新聞協会に対して謝罪します。

2014年12月19日 (金曜日)

裁判に圧倒的に強い読売新聞、最高裁も読売裁判の関連情報開示に配慮

読売ジャイアンツが、同球団の元代表・清武英利氏(64)に対して損害賠償などを求めた裁判の判決が、18日、東京地裁であった。大竹昭彦裁判長は、清武氏に対して160万円の賠償を命じた。清武氏の反訴は棄却した。

判決を読んでいないので、論評は避けるが、読売がらみの裁判には、ある著しい特徴がある。読売の勝訴率が圧倒的に高いことである。

読売弁護団には、護憲派の喜田村洋一・自由人権協会代表理事ら、有能な弁護士が含まれていることも、勝率が高いひとつの要因だと思われるが、社会通念からして不自然な判決があることも否定できない。

その典型は、読売新聞販売店(YC)が2001年7月に、地位保全を求めて起こした裁判(仮処分申立て、後に本訴)だった。この裁判は、2007年12月に、YC側の勝訴判決が最高裁で確定した。ぞくに「真村裁判」と呼ばれる訴訟である。

判決の中で、はじめて読売の「押し紙」が認定されたこともあって関心を集めた。

ところが判決確定から半年後に、読売が再びYCに対して改廃を通告し、一方的に新聞の供給を止めた。その結果、YCの店主は、再び裁判を起こしたのである。それ以外に抵抗する方法がなかったのだ。これが第2次真村裁判である。

しかし、YC店主も弁護団も、勝訴の自信をみせていた。と、いうのも前訴で最高裁が店主の地位を保全していたからだ。実際、仮処分を申し立てたところ、すんなりと地位が保全された。仮処分の2審、3審、4審(特別抗告)も店主の勝ちだった。

ところが仮処分の審理と並行して進めていた本訴では、店主が全敗したのである。このうち控訴審(福岡高裁)で店主を敗訴させた裁判官は、なんと仮処分の2審で、店主を勝訴させた木村元昭氏裁判官だった。

木村裁判官は、仮処分の2審で店主を勝訴させた後、那覇地裁に異動になった。ところが第2次真村裁判が始まると、福岡高裁へ異動になり、第2次真村裁判を担当したのである。そして店主を敗訴させた。

わたしの手元に木村氏が書いた2つの判決があるが、読み比べてみると、同じ人物が書いたとは思えない。(拙著『新聞の危機と偽装部数』)

◇最高裁における読売裁判勝敗表

次のPDF資料は、最高裁判所に上告(あるいは上告受理申し立て)された裁判のうち新聞社が上告人、あるいは被上告人になった裁判の勝敗表である。このうち赤点で示したのが、読売関連の裁判である。

これを見ると、読売を相手に裁判をしても、勝ち目がないことが分かる。表示した資料の中で、唯一の例外は、①である。読売が上告(受理申し立て)を行ったが、「不受理」になり敗訴が決定している。

②は、上告人も被上告人も黒塗りで隠してあるが、実は上告人が読売で、被上告人がわたし「黒薮哲哉」である。こうした情報公開の仕方そのものが尋常ではない。なぜ、最高裁が読売に配慮するのか分からない。

最高裁における勝敗表PDF

この裁判は、MEDIA KOKUSYO(当時は、新聞販売黒書)の記事に対して、読売と3人の社員が、2230万円の金を支払うように求めて、2008年に起こしたものである。読売の代理人は、喜田村洋一・自由人権代表理事だった。

地裁と高裁は、わたしが勝訴した。これに対して、読売は上告受理申し立てを行った。そして最高裁は、PDF資料にあるように、高裁判決を差し戻す判決を下したのである。これを受けて東京高裁の加藤新太郎裁判長は、わたしに対して110万円の金を払うように命じたのである。

ちなみに加藤氏は、少なくとも2度、読売新聞に登場している。

◇想像力が欠落

わたしは数々の裁判を取材してきたが、裁判官には、想像力に乏しい人が多い。全員ではないが、想像力が欠落している人が多い。

自分が下す判決が、裁判の原告、あるいは原告の人生をどのように変えてしまうのか、想像できないのだ。わたしは判決により、離散した家族をいくつも知っている。人生が無茶苦茶になった人もいる。

受験を柱とした日本の学校教育は、想像力のない人間を増やしている。自分が書く判決の先に、被告や原告のどのような生活が待ち受けているのかが見えていないのではないだろうか。

2014年11月27日 (木曜日)

10月度の新聞の公称部数、朝日が対前月差で19万部減、読売は12万部増

 

2014年10月度のABC部数が明らかになった。それによると、朝日新聞は、対前月差で-19万2642部で、読売新聞は+12万8489部だった。朝日は大幅に部数を減らしている。

対前年同月差は、朝日が-51万8764部、読売が-51万1522部である。

読売は、11月2日の「発刊140年」にあわせて拡販キャンペーン(新聞の無料配布など、冒頭の写真参照)を行った。その結果、約13万何部増えた。

◇毎日と産経は増部数

一方、毎日新聞は、対前月差で+3万1619部。産経新聞は、+7万1043部である。日経は、-2万9647部である。

地方紙については、大きな部数の変動はなかった。朝日、読売、毎日、産経、日経を除く日刊紙の対前月差は、-3289部だった。

中央紙のABC部数をまとめると次のようになる。

朝日:7,021,480(-19万2642)
読売:9,371,103(+12万8489)
毎日:3,328,281(+3万1619)
産経:1,671,465(+7万1043)
日経:2,737,373(-2万9647部)

2014年10月度のABC部数詳細(PDF)

◇ABC部数のグレーゾーン

ただ、ABC部数には、「押し紙」が含まれているので、実際に配達されている新聞の部数を正確に反映しているとは限らない。

「押し紙」とは、配達後に販売店に余っている新聞のことである。たとえば2000人しか読者がいない販売店に、新聞社が3000部の新聞を搬入すれば、1000部が過剰になる。この1000部が「押し紙」で、最近は販売店にとって大きな負担になっている。

一方、新聞発行本社は、販売収入を増やせるだけではなく、ABC部数をかさあげして、広告料金をつり上げることができる。

「押し紙」の実態は、このところ深刻になり、販売店の経営を圧迫している。と、いうのも「押し紙」は卸代金の徴収対象になるうえに、消費税もかかるからだ。

販売店が「押し紙」を断れないのは、過去に、「押し紙」を断って強制的につぶされた店があるからだ。

対策としては、組合(たとえば全印総連が過去に、毎日新聞・販売店の「押し紙」裁判を支援して、和解勝訴した実績がある)に相談することだ。また、新聞社の担当員との会話をすべて録音して、「押し紙」を断った証拠を押さえておくこと。店主を解任されたとき、過去にさかのぼって損害賠償を求めるためにも、証拠を押さえることが不可欠だ。

その他に、公正取引委員会に告発する方法もある。公正取引委員会は、40年近く「押し紙」を放置することで、新聞発行本社を支援しており、ほとんど期待できないが、告発した既成事実を作ることも大切だ。