1. 裁判と言論・人権を考える(4)、読売裁判の判例と弁護士懲戒請求、催告書の名義を偽って提訴

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2015年04月07日 (火曜日)

裁判と言論・人権を考える(4)、読売裁判の判例と弁護士懲戒請求、催告書の名義を偽って提訴

高額訴訟ではないが、提訴のプロセスに問題が指摘された裁判の例を紹介しよう。わたし自身が被告にされた著作権裁判である。原告は、読売新聞社(西部)の法務室長・江崎徹志氏だった。江崎氏の代理人は、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士だった。

◇事件の発端
2007年の暮れに江崎氏は、わたしにEメールである催告書を送付してきた。その中で江崎氏は、わたしに対して、新聞販売黒書(メディア黒書の前身)のある記述を削除するように求めたのである。その資料とは、次の通知(記述)だった。YC(読売新聞販売店)に宛てたものだ。

前略

 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
 2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。
 当社販売局として、通常の訪店です

以上、ご連絡申し上げます。よろしくお願いいたします。

かりにこの文書を「回答書」と呼ぶことにする。

■江崎氏が送付した催告書の全文

◇真村店主に対する差別

読売新聞社とYC広川の真村店主の間には、2001年ごろから係争が続いていた。係争の引き金は、読売が真村さんの営業区域の一部を返上させようとしたことである。当然、真村さんはこれを断った。

これに対して、読売は真村さんに販売店を改廃(強制廃業)することを言い渡した。この係争は地位保全を巡る裁判に発展した。

こうした状況の中で真村さんの店は「死に店」扱いにされた。飼い殺しであるから、当然、読売の担当員はYC広川を訪問しなくなった。補助金も大半をカット。差別的な待遇を受けるようになったのである。

しかし、2006年9月、福岡地裁久留米支部は、真村さんの地位を保全する判決を言い渡した。さらに2007年6月には、福岡高裁も真村さんに軍配を上げる。しかも、読売による「押し紙」など、優越的地位の濫用を厳しく批判した画期的な判決を下したのだ。

■真村裁判・福岡高裁判決

高裁判決を受けて、読売の態度に変化の兆しが現れた。YC広川に対する訪店を再開するための第一歩として、真村さんに訪店再開の意思を伝えたのである。

ところが真村さんは、係争中に積もりに積もった不信感のために、即答をさけた。そして代理人の江上武幸弁護士に依頼して、訪店再開の真意を読売側に問い合わせてもらったのだ。その回答として江上武幸弁護士が江崎法務室長から受け取ったのが、上記の回答書だった。それをわたしが、新聞販売黒書で公開したのである。

◇著作物には定義がある

これに対して江崎法務室長は、わたしに対し、削除を求める催告書を送ってきたのだ。

催告書の中で、江崎氏は上記の回答書が自分の著作物だと主張した。それを根拠に削除を求めたのである。しかし著作物と言うからには、著作権法の次の定義を満たさなければならない。

【思想又は感情を創造的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。】

誰が解釈しても回答書が著作物でないことは明らかである。それにもかかわらず江崎氏は、催告書の中で回答書が自分の著作物であると述べ、わたしに削除を求めてきたのだ。しかも、わたしが回答書を掲載したことを、「民事上も刑事上も違法な行為」とした上で、次のように記していたのだ。

「貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を探ることになりますので、この旨を付言します。」

明らかに著作物ではないものを、著作物だと強弁して、削除に応じなければ、法的手段を探ると言ってきたのだ。しかも、刑事告訴までほのめかしていたのだ。

◇催告書を公開

もともと江崎氏の主張そのものに道理がないのであるから、わたしは回答書の削除には応じなかった。さらに対抗措置として、今度は催告書を新聞販売黒書でそのまま紹介した。恫喝文書と判断した結果でもあった。回答書が著作物であるというデタラメな内容の恫喝文が送られてきたことを重要ニュースと判断したのである。

これに対して、江崎氏は催告書を削除するように求めて、裁判を起こしたのである。(厳密には、仮処分の申し立てを経て本裁判へ進んだ。)

ところがおかしなことに、催告書でわたしに要求した回答書の削除は、裁判では要求してこなかった。催告書だけの削除を求めてきたのである。

◇催告書を作成したのは喜田村洋一弁護士

催告書の削除を求める著作権裁判の争点は、当然、催告書に著作物性があるかどうかという点になる。著作物性があり江崎氏の著作物と認められたならば、わたしは削除に応じなければならない。

ところが裁判は以外な展開を見せる。もともと江崎氏がこの裁判の前提としていたのは、催告書は江崎氏が自分で作成した著作物であるから、わたしには公表権がないという論法だった。ところが被告(黒薮)弁護団の追及で、催告書の執筆者は、江崎氏ではなくて、読売の喜田村洋一弁護士であることが判明したのだ。

厳密に言えば、喜田村弁護士か彼の事務所スタッフが催告書を作成した可能性が極めて高いと裁判所が認定したのである。

これは言葉を換えれば、江崎氏とは別の人物が作成した催告書を、江崎氏が自分で作成した文書であると偽って、わたしを裁判にかけたということである。つまり著作物であると主張していた催告書の名義を「江崎」に偽っていたことになる。

その結果、何が起こったのか?喜田村弁護士らは、催告書の名義を偽ったまま、著作者人格権を主張したのである。

ちなみに著作者人格権は、他人に譲渡することは認められていない。

ウィキペディア:著作者人格権は、一身専属性を有する権利であるため他人に譲渡できないと解されており、日本の著作権法にもその旨の規定がある(59条)。また、日本法では一身専属性のある権利は相続の対象にはならないので(民法896条但書)、著作者人格権も相続の対象にはならず、著作者の死亡によって消滅するものと解されている。】

参考までに、知財高裁(東京)の判決から、上記の事実を認定した部分と弁護団声明を紹介しておこう。

■知財高裁(東京)判決(認定部分のみ)

■弁護団声明(全文)

なぜ、催告書の作成者を偽ってまでも、わたしを提訴したのだろうか。推測になるが、「押し紙」報道を抑制したかったからではないか?

◇弁護士懲戒請求

最高裁で判決が確定した後、わたしは「戦後処理」に入った。喜田村弁護士が所属する第2東京弁護士会に、喜田村弁護士に対する懲戒請求を申し立てた。根拠としたのは、『弁護士職務基本規定』の次の条項だった。

第75条:弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。

 私が提出した第1準備書面は次の通り。事件の性質を簡潔に伝えた。

■懲戒請求の準備書面(1)