1. 日本新聞協会と「押し紙」を放置する公正取引委員会の密約疑惑、1999年の謎

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2023年07月10日 (月曜日)

日本新聞協会と「押し紙」を放置する公正取引委員会の密約疑惑、1999年の謎

日本新聞協会と公正取引委員会の「押し紙」をめぐる密約疑惑をレポートした記事の転載である。出典は、『紙の爆弾』(6月7日号)。

裁判所は、弱者にとって「駆け込み寺」なのだろうか。こんな自問を誘う判決が、「押し紙」裁判で続いている。「押し紙」裁判とは、新聞社が販売店に対して課している新聞の仕入れ部数のノルマが独禁法の新聞特殊指定に違反するとして、販売店が損害賠償を求める裁判である。今世紀に入るころから急増したが、わたしが把握している限りでは、販売店が勝訴したケースは2件しかない。しかも、この2件は、政界に対する影響力が弱い地方紙を被告とした裁判である。朝日・読売・毎日・産経・日経の中央紙を被告とした裁判では、ことごとく新聞社が勝訴している。

「あなたがたが、わたしどもを訴えても絶対に勝てないですよ」

新聞社の担当員から、面と向かって釘を刺された販売店主もいる。が、それにもかかわらず「押し紙」裁判は絶えない。その背景に、販売店主たちが裁判官を水戸黄門と勘違いしている事情がある。しかし、裁判所は弱者を救済するための存在ではない。権力構造の維持を合法化するための機関にほかならない。

◆ブラックリストの野村武範・裁判官が大阪地裁へ

去る4月20日の朝、わたしは新幹線で東京から大阪へ向かった。元販売店主の濱中勇志さんが読売新聞大阪本社に対して、約1億2400万円の支払いを求めた裁判の判決がこの日の午後に予定されていたからだ。濱中さんの販売店では、搬入される新聞の約五〇%が、俗にいう「押し紙」になっていた。

裁判を担当したのは、池上尚子裁判長ら3人の判事である。池上裁判長は、ラジカルな市民運動体の女性リーダーが鹿砦社を訴えた裁判で、鹿砦社に損害賠償を命じた人物である。奇妙な判決だった。しかし、読売「押し紙」裁判の審理では、誠実に審理している印象があったので、わたしは一抹の期待を持って大阪へ向かった。

新大阪駅で濱中さんの代理人・江上武幸弁護士と合流して、タクシーで大阪地裁へ向かった。車中、わたしは江上弁護士に、仮に読売が敗訴した場合に起きる社会的影響を語った。「押し紙」制度は、読売に限らず全国のほとんどの新聞社が実施してきた。従って新聞社が敗訴した場合、その影響は果てしない。「押し紙」制度にメスが入れば、わたしの試算では新聞業界全体で、少なくとも年間932億円の販売収入を失う。根拠は次の通りである。

日本全国で印刷される一般日刊紙の朝刊発行部数は、2021年度の日本新聞協会による統計によると、2590万部である。このうちの20%にあたる518万部が「押し紙」で、新聞1部の卸卸価格が1500円(月額)と仮定する。この場合の被害額は77億7000万円(月額)になる。この金額を1年に換算すると、約932億円になる。さらに「押し紙」がなくなれば、ABC部数が減少して、広告収入も激減する。

「押し紙」問題に公権力機関がメスを入れば、新聞社は経営規模に見合った予算の調達が困難になりバブルのように崩壊する。この構図を公権力機関が逆手に取って新聞社の殺生権を握れば、新聞・テレビをみずからの「広報部」として組み込むことができる。「押し紙」問題はジャーナリズムの根源的問題なのである。それゆえにわたしは「押し紙」判決の行方に関心を持ってきた。

大阪地裁の1007号法廷の薄暗い廊下で、扉が開錠されるのを待った。次々と傍聴者が集まってきた。わたしは、法廷の出入り口に張り出されている裁判のスケジュール表に視線を向けた。と、次の瞬間、「アッ」と声を上げそうになった。わたしの頭の中にある裁判官ブラックリストの人名が視界に飛び込んできたのだ。濱中さんの裁判は、結審した後に裁判長が池上裁判長から、野村武範裁判長に変更になっていたのである。

「濱中さんの負けです」

わたしは、近くにいた江上弁護士に言った。

数年前、わたしは産経新聞の「押し紙」裁判を取材していた。尋問が終わって裁判が結審に近づいたころ、コロナ感染拡大の影響で東京地裁は閉鎖に近い状態になった。と、突然、裁判官が交代した。裁判長に就任したのが野村判事だった。

野村裁判長は審理を再開すると、早々に裁判を結審して、原告の元販売店主の訴えを退けた。産経新聞を勝訴させたのである。

前任の裁判長は、産経に対して和解に応じるよう繰り返し勧めていた。裁判は、元店主が圧倒的に優位に立っていた。わたしは中央紙の「押し紙」問題にも初めてメスが入るのではないかと期待していた。ところが意外なことに、判決は産経の勝訴だった。

わたしは強い不信感を抱き野村武範裁判長の履歴を調べてみた。すると異動歴が不自然であることが分かった。次のようになっている。読者には東京高裁での在籍日数に着目してほしい。

 

2017年4月1日:名古屋地裁判事・名古屋簡裁判事

2020年4月1日:東京高裁判事・東京簡裁判事

2020年5月10日:東京地裁判事・東京簡裁判事

 

野村判事は、東京高裁に40日在籍しただけで、東京地裁へ異動して産経「押し紙」裁判の担当になっていたのだ。さらに東京地裁から大阪地裁へ異動して、今度は読売「押し紙」裁判の裁判長に就任したのである。後に、異動の日付けが判決の20日前、5月1日であることが分かった。

江上弁護士に事情を話すと、

「敗訴が分かって、緊張せずに判決が聞けるよ」

と、苦笑した。予想どおり、野村裁判長は元販売店主の請求を棄却した。そして、驚くべきことに、読売の「反訴」を認め、濱中さんに対して約1000万円の支払いを命じる記述を読み上げたのである。元店主が補助金を架空請求していたというのがその理由である。

ただ、判決の末尾に捺印したのは池上尚子裁判長である。従って公式には判決を書いたのが池上裁判長で、それを読み上げたのが野村裁判長ということになる。しかし、両者間で案件の引き継が行われたわけだから、判決内容について何らかの検討が行われた可能性もある。それが原因なのか、判決文の内容に論理的な整合性がない箇所がかなり見うけられた。たとえば読売による独禁法違反(「押し紙」行為)を部分的に事実認定していながら、それに対する損害賠償責任は免責している点である。損害を与えれば、たとえその金額が1円であっても、賠償するのが社会通念なのだが。

◆権力構造に組み込まれた世論誘導装置

搬入される新聞の部数が過剰になっていて、販売店が被害を受けているにもかかわらず販売店はなぜ勝訴できなのか。この点を法的な観点から説明するためには、「押し紙」の定義を明確にしてなければならない。独禁法の新聞特殊指定は、次の行為により新聞社が販売店に損害を与える行為を「押し紙」と定義している。

1,販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む。)。

2,(注:新聞社が)販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。

ここで言う「注文した部数」とは、池上裁判長の解釈によると販売店が新聞の発注書に記入した部数のことである。この記入した部数には、すでに配達予定のない「押し紙」が含まれているが、池上裁判長は、発注書の数字は店主が希望して「注文した部数」であると解釈しているのだ。従って、たとえば「注文した部数」の50%が残紙になっていても、それは押し売りされた部数ではないという解釈になる。「押し紙」ではなく、販売店が自主的に注文した「予備紙」と解釈する。

この奇抜な解釈の新聞特殊指定は、1998年に改訂されたものである。改訂前の特殊指定は真に「押し紙」を取り締まる内容で、新聞の商取引で意味する「注文部数」とは、新聞の実配部数に予備紙(通常は2%)を加えた部数であって、それを超えた部数は理由の如何を問わず「押し紙」と定義していた。それを根拠として、公正取引委員会は、1997年に北國新聞に対して、「押し紙」の排除勧告を出したのである。その際に、日本新聞協会に対しても、「押し紙」問題に注意を促したのである。

それを受けて新聞協会と公取委は、話し合いを重ねた。その結果、公取委は、新聞特殊指定を現行のものに「改悪」したのである。「押し紙」問題を解決するために話し合っていながら、実際には従来の特殊指定を骨抜きにして、販売店が「押し紙」裁判を起こしても、絶対に勝訴できない法体系にしたのだ。そのことが池上判決ではっきりしたのだ。

余談になるが当時の公取委の委員長は、後に日本野球機構コミッショナーに就任する根來泰周氏である。

わたしは公取委に対して、新聞協会との話し合いの議事録を情報公開するように請求した。公取委は公開に応じたものの、肝心の「押し紙」に関する話し合いの部分は全て黒塗りにした。それは両者の間で密約が交わされた疑惑を示唆している。「押し紙」問題が浮上して話し合いを重ねていながら、「押し紙」制度を合法化する方向で改訂したわけだから、密約があったとしか思えない。

実際、その後、「押し紙」問題はますます深刻化して、濱中さんの例にみられるように、搬入される新聞の半分が残紙といった事態が当たり前に生まれたのでる。

公権力機関は、新聞社と系列テレビ局を権力構造に組み込んで、「広報」の役割を担わせている。それは巧みな世論誘導装置にほからならない。裁判所は、公権力機関であって「駆け込み寺」ではない。そのことが池上判決を通して見えてくる。