読売の検索結果

2014年02月04日 (火曜日)

最高裁の上告審における朝日、読売、日経の勝敗は「88勝4敗」、逆転勝訴は黒薮裁判の1件、情報開示まで8ヶ月の延滞

1997年から2013年までの間に、最高裁に上告された裁判のうち、朝日新聞社、読売新聞社、それに日経新聞社が上告人か被上告人になったケースの勝敗を調べた。裏付け資料として採用したのは、情報公開請求によって最高裁から入手した次の資料である。

最高裁からの情報公開資料=ここをクリック

結論を先に言えば、法廷闘争では、大新聞社が圧倒的に強いことが分かった。

【概要】

上告、または上告受理申立の裁判件数:110件

※上告とは、憲法解釈を理由として、最高裁に訴えた裁判。

※上告受理申立とは、判例解釈を理由として、最高裁に訴えた裁判。

 ◎上記のうち、上告人も被上告人も非開示(黒塗りの処理)の裁判件数:18件

 ◎新聞社が敗訴したケース:4件 (18件については上告人と被上告人が■■処理されているので、全体数92件のうち、新聞社の敗訴は4件ということになる。)

最高裁が新聞社を逆転勝訴させたケース:1件(全体数は110件・上記の最高裁資料に赤マークで表示)

◇新聞社敗訴のケース

最高裁で新聞社が敗訴したケースは次の4件である。

日本経済新聞(H9年)、読売新聞西部本社(H19年)、読売新聞(H20年)、読売新聞(H24年)

このうち読売のH19年のケースは、第1次真村裁判である。これは読売とYC(読売販売店)の間で起きた裁判で、読売の「押し紙」(新聞の偽装部数)が認定された画期的な裁判である。最高裁が読売の上告受理申立を不受理にしたことで、福岡高裁の判決が確定した。次の判決である。

第1次真村裁判判決=ここをクリック

◇最高裁で新聞社が逆転勝訴したケース

最高裁が新聞社をどたんばで逆転勝訴させたケースとしては、■■新聞社(H22年)の裁判がある。この裁判が唯一のケースである。

■■と記したのは、上告人も被上告人も■■処理になっているからだ。

が、この裁判の上告人は、事件年度と「最終区分」から判断して、読売新聞西部本社と3人の読売社員である可能性が極めて強い。また、被上告人はわたし(黒薮)である。

この裁判は読売と3人の社員が、新聞販売黒書(現MEDIA KOKUSYO)の記事で名誉を毀損されたとして、2230万円のお金を支払うように要求して裁判を起こしたものである。

読売側の代理人は当初、人権擁護団体・自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士だった。高裁からTMI総合法律事務所の弁護団に変更なった。TMI総合法律事務所への元最高裁判事3名が退官後、再就職していた。

?? TMI総合法律事務所の顧問弁護士リスト=ここをクリック

地裁と高裁は、わたしの勝訴。しかし、最高裁は高裁判決を差し戻した。

これを受けて東京高裁の加藤新太郎裁判長が金銭110万円と利息を支払うように命じる判決を下した。

上告人(読売+3名)と被上告人(黒薮)の名前を■■処理した理由を、最高裁に尋ねてみた。結論を先に言えば、「+3名」の部分が個人情報なので、全体を■■処理したとのことだった。

しかし、「+3名」の部分だけを黒塗りにすれば、それですむことではないだろうか。事件番号も■■処理しているわけだから、裁判自体を特定しようがない。

◇情報開示の申し立てから開示までが8ヶ月 ?

わたしが朝日、読売、日経の3社がかかわった上告審に関する資料の情報公開を請求したのは、昨年の5月24日である。開示されたのが今年の1月28日であるから、実に8ヶ月を要したことになる。

民間企業であれば、2日で十分に出来る作業である。8ヶ月もかかった理由を尋ねてみると、情報を不開示にする部分を決めるなどの手続き、つまり開示方法を検討する必要があったからだという。

そこでわたしは、開示方法を検討したことを示す資料を保存しているか否かを尋ねた。その答えは、保存していなというものだった。口頭で決めたとも話していた。

ちなみに最高裁からの開示通知には、責任者の名前が記されていなかった。(下記資料を参照)電話で責任者の名前を尋ねたところ、「秘書課長・掘田眞哉」とのことだった。

最高裁からの通知=ここをクリック

写真:読売新聞(電子版)に登場していた東京高裁の加藤新太郎裁判官

2014年01月16日 (木曜日)

渡邉恒雄氏が特定秘密保護法の有識者会議「情報保全諮問会議」の座長に就任する危険性、読売新聞販売店と警察組織の「防犯」を通じた特別な関係

読売新聞グループの渡邉恒雄氏が特定秘密保護法の運用に際して設置された有識者会議「情報保全諮問会議」の座長に就任した。渡邉氏の就任は、重大な問題をはらんでいる。読売が警察関係者と親密な関係を構築しているからだ。

時事通信は、「諮問会議座長に読売会長=17日初会合―秘密保護法」というタイトルで渡邉氏の座長就任を、次のように伝えている。

 菅義偉官房長官は14日午後の記者会見で、特定秘密保護法の運用基準を策定する際に意見を聴取する有識者会議「情報保全諮問会議」のメンバー7人を発表した。読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長・主筆を座長に、永野秀雄法政大教授を実務を取り仕切る主査にそれぞれ起用する。17日午前に初会合を開く。

? 菅長官は人選について「安全保障、情報保護、情報公開、公文書管理、法律、報道などそれぞれの分野から優れた知見の方の意見を伺うため、経験や実績などを参考にした」と説明。渡辺氏については、報道分野の代表との認識を示した。

? 諮問会議は、特定秘密の指定や解除、適性評価の実施に関して、政府が統一的な運用を図るための基準を策定する際に意見を具申する。また、秘密保護法の運用状況について毎年、首相から報告を受ける。 

なぜ、警察と親密な関係にある読売関係者が秘密保護法に関与することが問題なのだろうか。結論を先に言えば、秘密保護法を主導してきたのが、警察官僚そのものであるからだ。

ジャーナリストの青木理氏は、『女性セブン』(2013年12月19日号)が掲載した「警察官僚のための特定秘密保護法 公安は笑いが止まらない」という記事の中で、次のように述べている。

? 法案を主導した内閣情報調査室は、出向してきた警察官僚のたまり場です。彼らの狙いは、国家秘密を守るのではなく、警察の権益を広げて拡大すること。まさに警察官僚による警察官僚のための法案であり、情報収集を担当する公安警察は笑いが止まらないでしょう。

◇読売と警察の親密な関係

全国読売防犯協力会という組織がある。読売グループの一組織である。実際、読売の公式サイトに、「その他」(の団体)として、同会の名前を明記している。

全国読売防犯協力会のウエブサイトは、会の目的について次のように述べている。

わたしたちの組織「全国読売防犯協力会(略称・Y防協)」は、2003年、凶悪犯罪が続発する中、市民も団結して犯罪抑止に立ち上がろうというメッセージを込めた「治安再生」のキャンペーンに読売新聞社が取り組み、これを契機に、各地の読売新聞販売店(YC)も地域の犯罪防止にひと役買おうと作ったボランティア団体です。各地で警察の協力を得ながら設立した弊会は、翌2004年に全国約10万人のスタッフが参加する全国組織となりました。(略)  

端的に言えば、読売新聞の販売店と警察が協力して、防犯活動を展開するという趣旨である。たとえば、新聞配達員が集金先の民家で、過激派ふうの怪しげな人々が集まっているのを目撃した場合、販売店から警察に通報することになる。つまり新聞販売店の店員が準警察官のような役割を果たして、警察の防犯活動に協力するのだ。これが講じるとスパイ活動にもなりかねない。

同会の具体的な目標としては、次の4項目が明記されている。

(1)配達・集金時に街の様子に目を配り、不審人物などを積極的に通報する

(2)警察署・交番と連携し、折り込みチラシやミニコミ紙などで防犯情報を発信する

(3)「こども110番の家」に登録、独居高齢者を見守るなど弱者の安全確保に努める

(4)警察、行政、自治会などとのつながりを深め、地域に防犯活動の輪を広げる

わたしが懸念するのは、なにをもって「防犯活動」と定義しているのかという点である。周知のように、犯罪やテロの解釈は、際限なく拡大できる。秘密保護法の危険性も、実は、犯罪やテロを拡大解釈して、社会運動や住民運動を取り締まることにあるわけだが、読売防犯協力会の活動も、まったく同じ性質の危険性を秘めているのだ。

かつて中米のグアテマラで、住民が警察や軍の管理下で、「防犯活動」を展開する制度が導入され、解放戦線を徹底的に取り締まる政策が敷かれたことがある。住民による住民の監視制度である。当時、グアテマラで先住民族に対するジェノサイド(皆殺し)作戦が展開された事実を見ても、このような制度が「治安維持」の道具として運用されていたことは間違いない。

ちなみにジェノサイド作戦を容認していた元将軍で大統領職にあったリオス・モントは、晩年になり、民主化されたグアテマラの法廷に立たされ、2013年5月、禁固80年の判決を受けた。その後、ただちに牢獄に送られた。

渡邉氏が有識者会議「情報保全諮問会議」の座長に就任した場合、どのようにして、警察権力からの独立性を保つのかという疑問が生じる。

新聞人を座長に据えるのであれば、記者として渡邉氏よりもはるかに優れた実績がある本多勝一氏あたりの方が適任だ。

◇全国の警察との覚書のリスト

読売防犯協力会が覚書を交わしている全国の警察は次の通りである。日付は覚書を交わした年月日である。

高知県警 2005年11月2日

福井県警 2005年11月9日

香川県警 2005年12月9日

岡山県警 2005年12月14日

警視庁 2005年12月26日

鳥取県警 2005年12月28日

愛媛県警 2006年1月16日

徳島県警 2006年1月31日

群馬県警 2006年2月14日

島根県警 2006年2月21日

宮城県警 2006年2月27日

静岡県警 2006年3月3日

広島県警 2006年3月13日

兵庫県警 2006年3月15日

栃木県警 2006年3月23日

和歌山県警 2006年5月1日

滋賀県警 2006年6月7日

福岡県警 2006年6月7日

山口県警 2006年6月12日

長崎県警 2006年6月13日

茨城県警 2006年6月14日

宮崎県警 2006年6月19日

熊本県警 2006年6月29日

京都府警 2006年6月30日

鹿児島県警 2006年7月6日

千葉県警 2006年7月12日

山梨県警 2006年7月12日

大分県警 2006年7月18日

長野県警 2006年7月31日

福島県警 2006年8月1日

佐賀県警 2006年8月1日

大阪府警 2006年8月4日

青森県警 2006年8月11日

秋田県警 2006年8月31日

神奈川県警 2006年9月1日

埼玉県警 2006年9月14日

山形県警 2006年9月27日

富山県警 2006年9月29日

岩手県警 2006年10月2日

石川県警 2006年10月10日

三重県警 2006年10月10日

愛知県警 2006年10月16日

岐阜県警 2006年10月17日

奈良県警 2006年10月17日

北海道警 2006年10月19日

新潟県警2003年3月26日

沖縄県警 2008年6月12

◇読売防犯協力に再就職した警察OB

読売防犯協力に再就職した警察OBは、次の方々である。

鍋倉光昭参与

深川猛参与

横内進参与

池田純 大阪本社参与

2013年12月10日 (火曜日)

2013年12月10日 (火曜日)

2013年11月29日 (金曜日)

最高裁に対して情報公開請求 対読売裁判の調査官の氏名開示を求める 本当に審理しているのか?

11月21日付けで、わたしは最高裁に対して次のような情報公開を請求した。

平成22年(受)第1529号事件(上告人・読売新聞社・他  被上告人・黒薮哲哉)を担当した調査官の氏名が特定できる文書。

(情報公開請求書=ここをクリック)

わたしが対象とした裁判は、読売新聞社(西部本社)と同社の江崎徹志法務室長など3人の社員が、ウエブサイト「新聞販売黒書(現・MEDIA KOKUSYO)」の記事で名誉を毀損されたとして、2230万円のお金を支払うことなどを求めた事件である。

◇年間4000件、本当に審理しているのか?  

地裁と高裁はわたしの勝訴だった。しかし、最高裁が読売を逆転勝訴させることを決定して、高裁判決を差し戻した。これを受けて東京高裁の加藤新太郎裁判長は、110万円のお金を支払うように命じた。

最高裁で本当に上告事件が検証されているのかという疑いをわたしが持つようになったのは、年間の上告(上告受理申立を含む)件数が4000件を超える事実を知ってからだ。

4000件の処理件数に対して、実質的に判決を書いている調査官の数は、50名に満たない。2011年度の場合は、補佐人を含めても42人しかいない。4000件を単純に42人に割り当てると、ひとりあたりの担当件数は、95件になる。

(最高裁判所調査官リスト=ここをクリック)??

最高裁に提出される裁判関連の資料は膨大な量になる。となれば常識的には、1人の調査官が年間に95件もの事件を処理するのは不可能だ。

以上のことを前提とすると、上告事件の一部は審理しないで、棄却していると考えるのが自然だ。ただし印紙代は請求している。

◇伊方原発訴訟の調査官を公開できず  

そこでわたしは試しに伊方原発訴訟を担当した最高裁の調査官の氏名を公表するように、最高裁に対して情報公開請求を行った。結果は、予測した通り、最高裁は開示することができなかった。この時点で、わたしの推理の裏付けが一歩進んだのである。

(最高裁からの不開示通知=ここをクリック)

ちなみに最高裁調査官リストにある綿引万里子判事は、2001年2月にスタートした読売新聞の連載「裁く」を単行本化した『ドキュメント裁判官』(中公新書)の第4章「夫婦裁判官物語」に登場している。夫の綿引稔裁判官は、ジャーナリスト・烏賀陽弘道氏を被告するオリコン裁判で、実質的な誤審を下したことで有名。

2013年09月25日 (水曜日)

読売掲載の北岡伸一「安全保障議論・戦前と現代、同一視は不毛」を批判する?

9月22日付け読売新聞は、国際大学の学長で、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の座長を務める北岡伸一氏が、「戦前と現代、同一視は不毛」と題する評論を掲載している。

わたしはこの論文を読んだとき、やはり学者の大半は、現場に足を運び事実を検証した上で、みずからの主張を展開する姿勢が完全に欠落していると思った。これは我田引水の評論である。この程度の論考でよく国際大学の学長が務まるものだと驚いている。

北岡氏は、日本の軍事大国化を危惧する人々は、日本が太平洋戦争へと突き進んでいった時代に現在を重複させて自衛力の強化に不安を感じているとした上で、当時と現在の状況が5つの点で異なっていると論じている。それゆえに集団的自衛権の行使を可能にすることは、危惧するには値しないというのである。

◇学者に多い机上の論理

このうち北岡氏が言う第1の「誤解」は、太平洋戦争を始めた時代には、「地理的拡張が国家の安全と繁栄を保証する」という観念が支配していたが、現在はそのような状況にはないという点だ。それゆえに自衛隊の強化を危惧するのは、取りこし苦労に過ぎないと言いたいようだ。

確かに、戦争を否定する世論が国際的な規模で拡大している現在の状況下で、 日本が「新満州国」を築く可能性は皆無である。「新満州国」構想を考えている人など、だれもいない。北岡氏は、だれを指してこのような主張を展開しているのだろうか。

現在における「地理的拡張」とは、必ずしも侵攻先の国を「占領・支配」することではない。時代の変化に応じて、「地理的拡張」の概念も変化している。現在における「地理的拡張」とは、多国籍企業の海外への勢力拡大を意味する。かりに多国籍企業の工場を赤点で表示すれば、赤の領域が多い地域が、多国籍企業による「地理的拡張」が進んでいる国である。

この程度の常識は、国際問題を専門にしている大学生でも理解しているのではないだろうか。

日本は、もともと国内市場を保護することで経済を飛躍的に成長させてきた。そのために企業の海外進出は欧米に比べて遅れをとっていた。ところが円高の進行に伴い、1980年代の中盤から、生産の拠点を日本から、海外へ移す戦略を採用せざるを得なくなっていく。  これに加えてソ連が崩壊して、旧社会主義国の市場が西側へ解放された。1990年代に入って、一気に世界市場が拡大したのである。

◇海外派兵=多国籍企業の防衛の視点が欠落

旧ソ連が崩壊した時、大半の人々は、「これで東西の冷戦が終結した」と考えた。が、実際は国際関係が安定するどころが、米国による軍事大国化の路線が世界を支配するようになったのである。

日本はまずPKOというかたちで、自衛隊を海外へ派遣した。国際協力という口実である。

つまり自衛隊の海外派遣の背景には、日本企業の海外進出と、「米帝国」の世界戦略への加担・便乗という2つの要素があるのだ。しかも、これらは個々バラバラではなく、利害が一致しているのだ。日米共同で海外派兵の体制を整えて、海外に進出した多国籍企業を政変から防衛する体制を整えようというのが、日米の軍事協力の本質である。

「多国籍企業の権益を自国の軍隊が防衛する」??この発想は、戦前から少しも変わっていない。が、タブーに属することなので、マスコミは絶対に口にしない。そのために、日本のメディア報道を見ても、多国籍企業と自国軍隊との親密ぶりがほとんど見えない。

わたしは国際報道の重要な役割のひとつは、日本国内では見えない要素を、海外の典型的な実例を引きながら指摘するこだと思う。その意味では、前世紀までのラテンアメリカは、多国籍企業と軍隊の関係を考える上で、恰好の題材を提供してくれる。

年代順に米軍とCIAによる主な軍事介入(軍事訓練の指導も含む)を追ってみよう。

これらの軍事介入は、すべて進出先の多国籍企業の権益に直結していた。

◇ラテンアメリカへの軍事介入の例

■1954年 グアテマラ

■1961年 キューバ

■1964年 ブラジル

■1965年 ドミニカ共和国

■1971年 ボリビア

■1973年 チリ

■1979年?ニカラグア内戦

■1980年?エルサルバドル内戦

■1983年 グレナダ

■1989年 パナマ

直接の軍事介入はなくても、米国が莫大な軍事援助を行った例としては、ニカラグア内戦とエルサルバドル内戦の時代に、ホンジュラスに対して行った例がある。ホンジュラスを米軍基地の国に変えて、そこをプラットホームとして、ニカラグアとエルサルバドルの革命勢力の弾圧に着手したのである。

中米は、米国のフルーツ会社が巨大な勢力を持つ地域として有名だ。地元の人々が極貧の状態に置かれているのに、港からバナナやパイナップル、コーヒーなどが貨物船で運び出されていくといった矛盾が積もってきた地域である。

このあたりの事情は、拙著『バイクに乗ったコロンブス』(現代企画室)に収録した「将軍たちのいる地峡」と題するルポに詳しい。

◇チリの軍事クーデター

日本でもよく知られている1973年のチリの軍事クーデターは、当時のアジェンデ政権が、米国資本の鉱山を国有化するなどの政策と取ったことなどが背景にある。国有化が多国籍企業の権益を脅かしたのである。

こうした多国籍企業による海外での活動は、今世紀になってますます盛んになっている。が、その一方で世界的な規模で住民運動が台頭している。多国籍企業の独断的な戦略を許さない世論が強くなっている。これが今世紀の著しい特徴である。   ? 当然、多国籍企業が進出先で、批判の対象になることも増えてる。たとえば中国に進出している日本企業の低賃金は、批判対象のひとつである。聞くところによると、日本の多国籍企業は、中国よりも安い賃金を求めて、ベトナムやミャンマーへ進出をはじめているそうだ。

多国籍企業の新天地で政変が起き、多国籍企業の権益を脅かす事態になったとき、軍隊を派兵して鎮圧できる体制を整えておこうというのが、現在の自民党政権が進めている軍事大国化路線の本質である。これを米国と共同で行うために見直そうというのが、集団的自衛権の解釈であり、憲法9条の改正である。

事実、経済同友会が今年の4月5日に発表した「『実行可能』な安全保障の再構築」と題する提言は、改憲によって財界が獲得を目指しているものが何かを露呈している。それは多国籍企業の防衛にほかならない。

(参考=「『実行可能』な安全保障の再構築」の全文)???

余談になるが、憲法9条の改正に賛成しているネオコンの人々は、「日本帝国」の復活を夢見ているひとが多い。が、日本の財界の希望は、日本帝国の復活ではない。そんなことをすれば、アジアでの企業活動に支障をきたすからだ。  彼らが希望しているのは、多国籍企業を政変から守るための、海外派兵体制に他ならない。(続く)

2013年08月28日 (水曜日)

朝日、読売、日経と裁判所の関係を検証する最高裁に対する情報公開 回答期限の60日延長を通知 

今年の5月24日付けで、最高裁に対して申し立てた情報公開に対する回答が届いた。「文書の探索及び精査に時間を要しているため」、2カ月程度の回答期限延長を通知する内容だった。6月26日にも、回答延期の回答を受けているので、今回で2度目の延長である。

(参考:最高裁からの回答文書=ここをクリック)

情報公開の請求内容は、読売新聞社、朝日新聞社、それに日本経済新聞社が上告人、または被上告人になった裁判(最高裁)の判決を示す文書を過去10年に渡って開示するように求めたものである。

巨大メディアに対して日本の司法当局は、特別な配慮をしているのではないかという疑惑をかなり多くの人々が抱いており、その真相を確かめようというのが、今回の情報公開の意図である。

◆謎だらけの真村訴訟

たとえば奇妙な判決の典型のひとつとして、読売に対してYC広川(読売新聞広川販売店)の店主・真村久三さんが、2002年に起こした地位保全裁判がある。この裁判の発端は、2001年に読売が真村さんの配達地区の一部を返上するように求めたことである。返上させた上で読売は、この地区の営業権を、ボス的な人物(スナックでの暴力行為で逮捕歴あり)の弟に移譲する予定にしていた。

真村さんは、読売の申し出を拒否した。これに対して、読売は真村さんに対して強制廃業をちらつかせ、最後には、真村さんの店を「飼い殺し」にする策に出た。販売局員の訪店も中止した。

裁判は真村さんの勝訴だった。地裁、高裁と勝ち進み2007年に最高裁で勝訴が確定したのである。

ところがその7ケ月の2008年7月、読売は真村さんとの商取引を一方的に打ち切った。新聞の供給をストップしたのである。そこで真村さんは、再び地位保全裁判を起こした。俗にこの裁判は、第2次真村裁判と呼ばれている。

第2次真村裁判の審理対象になったのは、第1次裁判の判決が確定して真村さんの地位が確定してから、真村さんが解任されるまでの7ケ月の間である。この期間に解任が正当とみなされるような不祥事を真村さんが起こしたか否かという点が争点になった。経営者として極めて優秀な真村さんに、失職に値するような不祥事があるはずがなかった。

ところが裁判所は読売による強制廃業を正当と判断し、真村氏を敗訴させたのである。その主要な理由のひとつが、黒薮の取材を受けるなど、ジャーナリズム活動を「幇助」したという奇妙なものだった。福岡高裁も、最高裁も、それそれ下級審の判決を認定した。

参考までに、判決文とその主旨を紹介しておこう。

◆取材に応じたらクビ

被控訴人(読売)の指摘する黒薮の記事等には、別件訴訟における控訴人(真村)の主張のほか、被控訴人(読売)が、販売店に押し紙を押し付け、それが大きな問題となっていることなどが記載されているが、押し紙の事実を認めるに足りる証拠はなく、控訴人(真村)及び黒薮において、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由がると認めるに足りる証拠もない(かえって、控訴人は、平成13年には、現実には読者が存在しない26区という架空の配達区域を設けていたところ、これを被控訴人[読売]も了解していたと認めるに足りる証拠はない。)?

?? そうすると、控訴人において、被控訴人による違法不当な行為の存在を指摘することが容認される場合があるとしても、本件は、これに当たらないというべきである。 ? ??

そして、控訴人(真村)や控訴人代理人(江上弁護士ら)が、上記のような記事の執筆に利用されることを認識、容認しながら、黒薮の取材に応じ、情報や資料の提供を行ったことは明白であり、控訴人は、少なくとも、黒薮の上記記事等の掲載を幇助したというべきであるから、たとえ控訴人自身が、押し紙等の批判をウェブサイト等を通じて行ったものではないとしても、その情報や資料の提供自体が、被控訴人の名誉又は信用を害するというべきであり、本件販売店契約の更新拒絶における正当理由の一事情として考慮し得る 。??

判決内容を予約すると、次のようになる。

?黒薮は、「押し紙」についての記事を執筆しているが、「押し紙の事実を認めるに足りる証拠はなく、控訴人(真村)及び黒薮において、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由があると認めるに足りる証拠もない」。

?それゆえに真村さんや真村さんの弁護団が黒薮の取材に協力したことは、黒薮の名誉毀損的なジャーナリズム活動を「幇助」したことになる。

?それは読売の名誉と信用を害するものである。

?従って真村さんを解任する理由として正当である。

◆真村さん提供の資料とは???

真村さんらがわたしに提供したと認定された情報が具体的に何を指しているのか、判然としないので、わたしは裁判官(地裁)に質問状を出して問い合わせたが回答はなかった。最高裁に対しては、情報公開制度を通じて、真村さんがわたしに提供したと認定した情報を開示するように求めたが、これも拒否された。

従って真村さんの解雇理由の原因とされている情報提供の中味は、わたし自身も把握できていない。判決に嘘を記した可能性を疑っているゆえんにほかならない。

ちなみにわたしの推測になるが、真村さんが提供した資料というのは、第2次裁判の審理の対象外の期間である第1次裁判の時期に、真村さんが裁判所に提出した訴状や準備書面のことではないかと思う。1次裁判の検証期間と2次裁判の検証期間を、裁判官が混同して、第2次裁判の間に真村さんがわたしに情報を提供したものと勘違いし、それを前提に判決を下した可能性がある。

ちなみに、たとえ2次裁判の期間に真村さんが、準備書面など裁判関連の情報を提供していたとしても、これらの資料はすべて裁判所の閲覧室で公開されているものである。従ってそのことをもって、解雇理由にはならない。

さらに問題なのは、わたし本人に対する事実検証の作業を裁判所が怠っている点である。わたしは真村裁判に関しては訴外者である。当事者ではない。従って判決の中で、わたしの行動を事実認定するのであれば、それに先立って、法廷に呼び出して、事実関係について尋問すべきだった。

その作業を怠って判決の中で、事実を誤認し、第3者の名誉を毀損したのである。さらに最高裁は、この判決を認定して、真村さんの敗訴を確定したのである。

◆裁判をインターネットで公開

この裁判に象徴されるように、大新聞に対する裁判所の判決には、極めて不透明な部分がある。そこで朝日、読売、日経がかかわった上告審の結果を、10年前までさかのぼって開示するように求めたのである。

ちなみに第2次真村裁判の判決の中で、わたしが名誉を毀損された問題については、時効になる前に個人訴訟を起こして、審理のプロセスをインターネットで公開する対抗策を検討中だ。裁判の勝敗よりも、審理の内容を公衆に問いたい。

改めて言うまでもなく、真村さんがメディアから取材を受けて、自分の意見を述べる権利は、憲法21条が保障している。新聞社の「押し紙」を批判しても、それが解任理由としては認められない。

2013年08月07日 (水曜日)

読売裁判を担当してきた福岡高裁の木村元昭裁判官が福岡家裁へ異動 真村裁判再考?

時事通信のニュースによると、福岡高裁の部総括判事で真村裁判や黒薮裁判など、読売関連の裁判を担当してきた木村元昭裁判官が、福岡家裁の所長に就任した。

福岡家裁所長(福岡高裁部総括判事)木村元昭▽福岡高裁部総括判事(那覇地裁所長)高野裕▽那覇地裁所長(那覇家裁所長)高麗邦彦▽那覇家裁所長(東京高裁判事)鶴岡稔彦(以上24日)定年退官(福岡家裁所長)榎下義康(23日)(了)

木村裁判官が、真村裁判でいかに物議をかもす判決を下してきたかは、本サイトで報じてきたとおりである。その裁判官が国費で運営されている福岡家裁のトップに座るとなれば、今後、福岡県民は家裁にトラブルの解決をゆだねることに躊躇(ちゅうちょ)を覚えるのではないか。この人事異動は、日本の司法制度の信用や尊厳にかかわる問題を孕んでいる。

繰り返しになるが、木村裁判官が真村裁判で下した判決で問題になっているのは、次の記述である。(熟知されている方は、スキップしてください。ただし赤字に注意

被控訴人(読売)の指摘する黒薮の記事等には、別件訴訟における控訴人(真村)の主張のほか、被控訴人(読売)が、販売店に押し紙を押し付け、それが大きな問題となっていることなどが記載されているが、押し紙の事実を認めるに足りる証拠はなく、控訴人(真村)及び黒薮において、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由がると認めるに足りる証拠もない(かえって、控訴人は、平成13年には、現実には読者が存在しない26区という架空の配達区域を設けていたところ、これを被控訴人[読売]も了解していたと認めるに足りる証拠はない。)

そうすると、控訴人において、被控訴人による違法不当な行為の存在を指摘することが容認される場合があるとしても、本件は、これに当たらないというべきである。

?? そして、控訴人(真村)や控訴人代理人(江上弁護士ら)が、上記のような記事の執筆に利用されることを認識、容認しながら、黒薮の取材に応じ、情報や資料の提供を行ったことは明白であり、控訴人は、少なくとも、黒薮の上記記事等の掲載を幇助したというべきであるから、たとえ控訴人自身が、押し紙等の批判をウェブサイト等を通じて行ったものではないとしても、その情報や資料の提供自体が、被控訴人の名誉又は信用を害するというべきであり、本件販売店契約の更新拒絶における正当理由の一事情として考慮し得る 。??

?判決内容を予約すると、次のようになる。 ? ? ?黒薮は、「押し紙」についての記事を執筆しているが、「押し紙の事実を認めるに足りる証拠はなく、控訴人(真村)及び黒薮において、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由があると認めるに足りる証拠もない」。 ? ?それゆえに真村さんや真村さんの弁護団が黒薮の取材に協力したことは、黒薮の名誉毀損的なジャーナリズム活動を「幇助」したことになる。 ? ?それは読売の名誉と信用を害するものである。 ? ?従って真村さんを解任する理由として正当である。

多様な議論がある「押し紙」をどう評価するかは、まったく個人の自由である。肯定しようが、否定しようが個人の自由である。憲法21条でもそれを保証している。

ところが「押し紙」を批判する立場で、わたしの取材を受けたことを、黒薮に対する「幇助(ほうじょ)」と位置付け、読売が真村さんを解任する正当な理由として認めているのだ。これでは取材に応じる人がいなくなりかねない。読売の記者にとっても、憂慮すべき事態である。

引用文の赤で表示した部分は、読者には分かりにくいので、解説しておこう。真村さんの店には、若干の「押し紙」があった。しかし、新聞の商取引では、表向きは「押し紙」は1部も存在しないことになっている。その理由は簡単で、「押し紙」が独禁法に抵触するので、親会社である新聞社に迷惑がかかるからだ。

と、なれば店主は「押し紙」も帳簿上は、配達されている新聞として事務処理しなければならない。それが忠実な店主の普通の態度である。そこで真村さんは、PC上に「26区」という架空の配達区域と架空の読者を設定して「押し紙」の事務処理をしたのである。客観的に見れば、これは虚偽の処理である。

ただし、このような方法を誰が真村さんに「指導」したのかは不明だ。木村裁判官の下した判決では、

これを被控訴人(読売)も了解していたと認めるに足りる証拠はない。

と、述べている。だから、読売は「押し紙」の存在を認識していなかったという論理である。「押し紙」は存在しないとする見解の裏付けである。

◇根源的な別の問題が

さらに赤字の記述には、根源的な別の問題もある。    既報してきたように真村裁判は、1次裁判と2次裁判に分類できる。1次裁判は、2002年から2007年の期間である。真村さんが店主としての地位保全を求めて提訴した裁判である。

結果は、地裁、高裁、最高裁とも真村さんの勝訴だった。判決が確定したのは、厳密に言えば2007年12月25日である。本来であれば、この時点で真村さんの地位は完全に保全されたのである。

ところが7ケ月後の2008年7月31日、読売は一方的に真村さんを解任した。そこで真村さんが地位保全を求めて起こしたのが第2次裁判である。

つまり第2次裁判は、2007年12月26日から、2008年7月31日の期間に、真村さんが解任されるに値するような不祥事を起こしたか否かが争点になったのである。ところが、解任理由の理由づけとして、木村裁判官は、すでに第1次裁判で決着がついた「26区」の問題を持ち出しているのである。

ちなみに「26区」について、第1次裁判の高裁判決は、次のように読売を批判している。

聞販売店が虚偽報告をする背景には、ひたすら増紙を求め、減紙を極端に嫌う一審被告の方針があり、それは一審被告の体質にさえなっているといっても過言ではない程である。

この判例は最高裁も認定している。木村裁判官は、その判例を変えただけではなくて、審理の対象外の時期に問題となり、1次裁判で決着したことを、わざわざむし返して、解任理由にしているのだ。

◇870万円の支払いも取り消し

さらに2次裁判について、特筆しなければならない別の事実がある。2次裁判の進行期間に、真村さんは、読売に対する約1億円の損害賠償裁判を起こした。自店を「飼い殺し」にされたわけだから当然だ。

第2次裁判と、損害賠償裁判は、後に統合された。

地裁判決は真村さんの敗訴だった。しかし、損害賠償については、1部を認めた。読売に対して約870万円の支払いを命じたのである。

ところが控訴審で木村裁判官は、損害賠償金の870万円の支払いをも取り消したのである。第1次裁判で真村氏が完全勝訴して、読売に対して慰謝料の支払をも認めたにもかかわらず、損害賠償の必要はないと判断したのである。

木村裁判官が福岡高裁から福岡家裁へ異動したことで、現在進行している真村裁判??読売が真村さんを被告(後に真村さんの奥さんも被告に)に対して、間接強制金(制裁金)約3600万円の支払いなどを請求している裁判??の行方はどう変わるだろうか。成り行きを見守りたい。

裁判官は人を裁く特権を有している。それが濫用された時、国民はどう対処すべきなのだろうか?

2013年06月21日 (金曜日)

最高裁が恐怖の判例を認定 真村訴訟で真村氏敗訴 読売の勝訴が確定

読売(電子版)に「西部販売店訴訟で読売新聞側の勝訴確定」と題する記事 が掲載されている。これは第2次真村裁判で、最高裁が真村さんの上告を棄却して、読売の勝訴が確定したことを伝える内容である。

同記事は、訴因と裁判所の判断を次のように報じている。

西部本社は2008年7月、新聞社が販売店に余分な部数の新聞を押しつける「押し紙」があるとの記事を週刊誌などに執筆していた黒薮哲哉氏(55)と連携して極端な本社攻撃活動を行ったなどとして、真村氏との契約更新を拒絶した。

真村氏は訴訟で「更新拒絶に正当な理由はない」と主張したが、1審・福岡地裁、2審・福岡高裁は「様々な点で真村氏の背信行為が認められる」「押し紙の事実は認められず、真村氏が黒薮氏に情報や資料を提供したことは、西部本社の名誉や信用を害した」などとし、本社側の契約更新拒絶の正当性を認めた。

「押し紙」が存在するか否かは、「押し紙」をどのように定義するかで変わってくる。従って引用文が意味しているのは、裁判所が認定した定義の「押し紙」は存在しないということである。しかし、「積み紙」、あるいは偽装部数(残紙)が存在するか否かはまた別問題である。今後も検証を要する。

(PDF「押し紙」(偽装部数)とは何か?=ここをクリック)

また、真村さんの敗訴理由として、「押し紙の事実は認められず、真村氏が黒薮氏に情報や資料を提供したことは、西部本社の名誉や信用を害した」と述べているが、取材を受けて、情報を提供したことが改廃理由として認められるとなれば大変な問題だ。今後、誰も取材に応じなくなり、出版産業の存在も危うくなりかねない。

◇木村元昭裁判官が下した恐怖の判決

言論の自由を脅かす恐ろしい司法認定としか言いようがない。原文から該当部数を引用しておこう。

被控訴人(読売)の指摘する黒薮の記事等には、別件訴訟における控訴人(真村)の主張のほか、被控訴人が、販売店に押し紙を押し付け、それが大きな問題となっていることなどが記載されているが、押し紙の事実を認めるに足りる証拠はなく、控訴人及び黒薮において、押し紙の存在が事実であると信じるにつき正当な理由があると認めるに足りる証拠もない・・・(略)

そして、控訴人(真村)や控訴人代理人(江上武幸弁護士ら)が、上記のような記事の執筆に利用されることを認識、容認しながら、黒薮の取材に応じ、情報や資料の提供を行ったことは明白であり、控訴人(真村)は、少なくとも、黒薮の上記記事等の掲載を幇助したというべきであるから、

たとえ控訴人(真村)自身が、押し紙等の批判をウェブサイト等を通じて行ったものではないとしても、その情報や資料の提供自体が、被控訴人の名誉又は信用を害するものというべきであり、本件販売店契約の更新拒絶における正当理由の一事情として考慮し得る。

繰り返しになるが、「押し紙」についての記事の「掲載を幇助(ほうじょ)」したから、店主としての地位をはく奪されても当然だと言っているのだ。

◇恐怖の判例を創った法曹人たち  

このとんでもない判決を書いたのは、福岡高裁の木村元昭裁判官である。そしてこの判決を認定した最高裁判事は、次の方々である。(敬称略)

岡部喜代子

大谷剛彦

寺田逸郎

大橋正春

また、この判例が成立する原因を作ったのは、読売弁護団である。(敬称略)

喜田村洋一(自由人権協会代表理事)

近藤真

堀哲郎

住野武史

喜田村氏が自由人権協会の代表理事を務めている事実は、弁護士の正義・良心とは何かという問題も提起する。自由人権協会が人権擁護団体としての資質に欠けることはいうまでもない。

【お知らせ】MEDIA KOKUSYOのサイトのトラブル:調整中です。

2013年05月17日 (金曜日)

ABC部数における読売の即売部数が10年間で6倍に増加

読売新聞のABC部数のうち即売部数が、この10年間で約6倍に増えていることが分かった。即売部数というのは、駅のキオスク、コンビニ、ホテル、ファミリーレストランなどで、販売されたり、無料配布される新聞部数のことである。

ABC部数の統計資料である『新聞発行社レポート』によると、2002年下期における読売の即売部数は、2万5037部だった。以下、次のような変遷をたどる。

2004年下期:2万3690部

2006年下期:3万2367部

2008年下期:6万7736部

2010年下期:13万2721部

2012年下期:15万1657部

(新聞発行社レポート=ここをクリック)

ちなみにABC部数は、政府広告など公共広告の掲載価格を決める際の基礎データとなる。一般企業の広告は、ABC部数以外の要素を考慮して価格を決めるが、公共広告の場合は、ABC部数が唯一の規準になる。

次に示すのは、2007年?2010年の4年間に新聞各社が受け取った政府広告(内閣府分)の総額である。ABC部数のランキング読売、朝日、毎日の序列が、そのまま広告価格に反映されている。

読売:20億6800万円

朝日:17億8400万円

毎日:10億2000万円

(お詫び:ウエブサイトにトラブルが発生しているために、解決するまでのあいだ掲載の形式を「全文公開」にします。)

2013年05月15日 (水曜日)

読売VS新潮の「押し紙」裁判、訴状を全面公開、執筆は自由人権協会の弁護士2名

次にPDFで紹介するのは、読売VS新潮社(+黒薮)の裁判で、読売側の訴状である。作成したのは、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士と事務局長の藤原家康弁護士である。この裁判は、自由人権協会の代表理事と事務局長が改憲論の先鋒・読売を擁護したのである。

 (訴状=ここをクリック)

「第2請求の原因(2)」の箇所では、エリート意識と他人に対する蔑視を露呈している。受験教育の弊害かも知れない。

2013年05月13日 (月曜日)

読売VS新潮の「押し紙」裁判 見解を180度変更した東京大学・竹内啓名誉教授 背景に何が?研究者の資質に疑問

読売VS新潮社(+黒薮)の裁判が最高裁で決着したことは、既に述べたとおりである。読売の勝訴が確定した。

この裁判について、今後、解明していかなければならない点がいくつかある。そのうちのひとつは、読売が問題視した記事「『新聞業界』最大のタブー『押し紙』を斬る!」の中に、引用した竹内啓・東京大学名誉教授のコメントをめぐる顛末である。

竹内氏は、記事の中にわたしが引用した滋賀クロスメディア」による調査??それは各紙の新聞購読者数を調査したもので、各紙の「押し紙」率を推定するための基礎資料のひとつになった統計調査を次のように評価していた。

その手法は、統計調査として非常にまともだと思います。電話、戸別訪問、そしてポストの確認と、かなり綿密な調査ができている。購読判明件数も14万件と多いですし、購読不明の件数が多い点は懸念材料ではありますが、信頼性は非常に高いと思います。

ところが読売が新潮社を提訴した後、わざわざ自分のコメントが誤りだったとする陳述書を裁判所へ提出したのである。結論の部分を紹介しよう。

以上の理由により、かつて週刊新潮に対して述べた「(読売新聞などの)発行部数が水増しされていることは明らかである」という発言は撤回する。それについては、このようなデータからは何も明確にはいえないとするよりほかはない。

(参考:陳述書の全文)

竹内氏の新見解を一言でいえば、調査の枝葉末節を批判しながらも、滋賀クロスメディアの調査そのものがずさんという見解である。竹内氏がどのような意見を表明しようが、それは自由である。考え方を変更したとしても、許される。

しかし、わたしが知りたいのは、なにがきっかけで自分の見解を180度変更したのかという点である。学者が自分の見解を180度変更するのは重大な行為である。

読売が提訴後に、竹内氏に対して抗議した結果、「誤り」を認め、裁判所に「『(読売新聞などの)発行部数が水増しされていることは明らかである』という発言は撤回する。」と明記した陳述書を提出したのか。

それとも裁判になっていることを知って、自主的にコメントを再考し、「誤り」に気づいて裁判所に陳述書を提出したのか?もし、後者であれば恐るべき謙虚さだ。

竹内氏には、このあたりの事情をおおやけにしてほしいものだ。さもなければ、簡単に見解を変更するいいかげんな研究者だったことになりかねない。

2013年05月09日 (木曜日)

読売VS新潮の裁判、読売勝訴が確定、「押し紙」が1部も存在しないことを認定

読売新聞社(渡邊恒雄主筆)が新潮社とわたしを訴えた裁判の判決が確定した。8日、最高裁が新潮社側の上告を棄却するかたちで、読売の勝訴が決まった。

この裁判は2009年6月、週刊新潮に掲載した記事、「『新聞業界』最大のタブー『押し紙』を斬る」で名誉を棄損されたとして読売3社が、5500万円のお金を支払うように要求して起こしたものである。読売は、「押し紙」は1部も存在しないと主張した。

たとえば、宮本友丘副社長(当時、専務)は、陳述書で次のような主張を展開した。

◇「『押し紙』は一切存在しません」

被告らは、本件訴訟において、朝日新聞や毎日新聞、産経新聞など他社の販売関係者の話などを証拠として提出していますが、全く意味がないと思います。販売店による部数の自由増減と、発行本社による厳正な部数管理は、読売の伝統であり、他の新聞社とはまったく異なるからです。(9P/10P)

読売新聞社においては、新聞販売店が独自の判断で注文部数を自由に増減できる「自由増減主義」が、販売政策の基本原則です。定数を注文するのは販売店であって、発行本社ではなく、販売店の経営者が独自の裁量で決めています。(3P)

残念なことではありますが、新聞販売店が実際の部数をごまかし、水増しした部数を注文するケースがまれにあることも事実です。これは、新聞社が指示したり、押し付けたりしたわけではなく、販売店自らの意思で注文する行為であって、「押し紙」ではなく、「積み紙」と呼ばれています。(6P)

「週刊新潮」の記事では、「押し紙」という、読売新聞社が販売店に押し付けている新聞があると書かれていますが、読売新聞社においてそのような「押し紙」は一切存在しません。読売新聞東京本社、大阪本社、西部本社のいずれかを被告として、新聞販売店契約の解除をめぐって訴訟が提起されたことは何度かありますが、その中で「押し紙」が認定された判決が全くないことからも、それは明らかです。 ?  読売新聞社においては、新聞販売店が独自の判断で注文部数を自由に増減できる「自由増減主義」が、販売政策の基本原則です。定数を注文するのは販売店であって、発行本社ではなく、販売店の経営者が独自の裁量で決めています。(3P)

?■過去、新聞業界において、不公正な販売が問題となった時代もありましたが、読売新聞は、業界の旗振り役となって正常化してきた歴史があり、こうした点からも、他の新聞社とは決定的に異なるのです。(4P)

?■まず、裁判所に理解していただきたいのは、新聞社が新聞販売店に対して優越的な地位にあるわけではないことです。新聞社は、販売店に対して、テリトリー制に基づき独占販売権を与えており、購読者の氏名住所等の情報は販売店しか持っておらず、新聞社は一切把握していません。(5P)

? ■年間目標は、1店あたり平均4?5部の増紙に過ぎませんが、直近の5年間をみても、達成した販売店は全体の5割?7割程度しかありません。創刊135周年の節目の2009年は全社を挙げて増紙運動を展開しましたが、その年ですら、74%でした。仮に、被告新潮社などが言うように読売新聞社が優越的地位を濫用して、目標を達成しない販売店を次々と改廃していれば、毎年、3割?5割の販売店が改廃されていることになりますが、そのような事実は全くありません。(5P/6P)

?? ■残念なことではありますが、新聞販売店が実際の部数をごまかし、水増しした部数を注文するケースがまれにあることも事実です。これは、新聞社が指示したり、押し付けたりしたわけではなく、販売店自らの意思で注文する行為であって、「押し紙」ではなく、「積み紙」と呼ばれています。(6P)

?? ■(略)過去の裁判例にあるように、悪質な新聞販売店では、二重帳簿を作成したり、架空の読者を作り出したりして新聞社に報告するなど、様々な手段を使って、虚偽報告が発覚するのを防ごうとします。新聞社の販売店担当者は、毎月1回は必ず訪店して、業務報告を受け、経営指導を行っていますが、販売店は新聞社とは別個の独立した事業主体であり、強引に帳簿類をチェックすることはできず、巧妙な隠蔽工作を図られれば見抜くことは容易なことではありません。

?? ■読売新聞社は2年に一度、社団法人日本ABC協会(以下「ABC協会」といいます)から、部数について公査を受けています。ABC協会は、日本で唯一、新聞の部数を公正に調査、認証する機関です。国内において、第三者の立場から客観的に新聞部数を調べる組織は、ABC協会をおいて他には存在しません。被告新潮社らは、ABC協会の公査は信用性がないと主張していますが、それならば広告主は一体どこに部数の確認を求めれば良いのでしょうか。(7P)

?■一方、残紙とは、発行本社が販売店に送付し、販売店が読者に配達・販売した後に残った新聞のことなので、非販売部数のすべてが残紙となり、廃棄されるわけではありません。例えば、雨に濡れたため交換した新聞や試読紙は、非販売部数に入りますが、残紙には入りません。よって、注文部数に対して最終的に廃棄される新聞の割合は、非販売率よりもさらに低くなるわけです。(8P)

?? ■読売新聞の販売店は全国に5300店、支店を含めれば7700店に上がります。仮に「押し紙」が存在したなら、読売新聞社と販売店の信頼関係は一気に崩れます。恐らく、販売店経営者はだれも新聞社の言うことを聞かなくなるでしょう。読売新聞社において、新聞販売店とは共存共栄、運命共同体の関係なのです。

◇河内孝氏や魚住昭氏の著書を酷評

また、読売を勝訴させた東京地裁の判決は、「押し紙」問題にふれた河内孝氏の『新聞社??破綻したビジネスモデル』や魚住昭氏の『メディアと権力』を酷評している。これらの書籍は、「押し紙」の存在を指摘しているのだが、裏付けがないと切り捨てたのである。

一流のジャーナリストの調査報道を頭から全面否定するのは、甚だしい思い上がりではないだろうか。酷評するのであれば、まず、新聞販売の現場へ足を運んでからにしてほしかった。

ちなみに「押し紙」の正確な定義は次の通りである。

(「押し紙」の正確な定義=ここをクリック)?

「押し紙」問題が国会質問で取り上げられて、大きな問題になったのは1980年代の初頭だった。それから30年。「押し紙」回収業が一大産業として成り立っている。

司法が「押し紙」問題にメスを入れない理由は、新聞社が販売店に新聞を押し売りした証拠に乏しいからにほかならない。しかし、これまで起こされた「押し紙」裁判で、裁判所も認めざるを得なくなっている点がある。それは販売店に多量の新聞が余っている事実である。これだけは否定できない。

裁判所は、これらの新聞は販売店が自主的に買い取った結果発生したと解釈している。つまり押し売りしたものでないから、「押し紙」ではないという論法である。「押し紙」の定義そのものを誤っているのである。新聞社の言い分を鵜呑みにした結果にほかならない。

一般市民の立場からすれば、販売店で過剰になっている新聞は新聞社が押し売りした結果発生したのか、それとも販売店が自主的に買い取った結果発生したのかはあまり重要ではない。過剰な新聞により、ABC部数をかさあげして、紙面広告の営業を優位に展開しようとしていることが問題なのだ。

裁判所はこの点には踏み込もうとはしない。30年にわたって放置している。