1. 読売VS新潮の裁判、読売勝訴が確定、「押し紙」が1部も存在しないことを認定

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2013年05月09日 (木曜日)

読売VS新潮の裁判、読売勝訴が確定、「押し紙」が1部も存在しないことを認定

読売新聞社(渡邊恒雄主筆)が新潮社とわたしを訴えた裁判の判決が確定した。8日、最高裁が新潮社側の上告を棄却するかたちで、読売の勝訴が決まった。

この裁判は2009年6月、週刊新潮に掲載した記事、「『新聞業界』最大のタブー『押し紙』を斬る」で名誉を棄損されたとして読売3社が、5500万円のお金を支払うように要求して起こしたものである。読売は、「押し紙」は1部も存在しないと主張した。

たとえば、宮本友丘副社長(当時、専務)は、陳述書で次のような主張を展開した。

◇「『押し紙』は一切存在しません」

被告らは、本件訴訟において、朝日新聞や毎日新聞、産経新聞など他社の販売関係者の話などを証拠として提出していますが、全く意味がないと思います。販売店による部数の自由増減と、発行本社による厳正な部数管理は、読売の伝統であり、他の新聞社とはまったく異なるからです。(9P/10P)

読売新聞社においては、新聞販売店が独自の判断で注文部数を自由に増減できる「自由増減主義」が、販売政策の基本原則です。定数を注文するのは販売店であって、発行本社ではなく、販売店の経営者が独自の裁量で決めています。(3P)

残念なことではありますが、新聞販売店が実際の部数をごまかし、水増しした部数を注文するケースがまれにあることも事実です。これは、新聞社が指示したり、押し付けたりしたわけではなく、販売店自らの意思で注文する行為であって、「押し紙」ではなく、「積み紙」と呼ばれています。(6P)

「週刊新潮」の記事では、「押し紙」という、読売新聞社が販売店に押し付けている新聞があると書かれていますが、読売新聞社においてそのような「押し紙」は一切存在しません。読売新聞東京本社、大阪本社、西部本社のいずれかを被告として、新聞販売店契約の解除をめぐって訴訟が提起されたことは何度かありますが、その中で「押し紙」が認定された判決が全くないことからも、それは明らかです。 ?  読売新聞社においては、新聞販売店が独自の判断で注文部数を自由に増減できる「自由増減主義」が、販売政策の基本原則です。定数を注文するのは販売店であって、発行本社ではなく、販売店の経営者が独自の裁量で決めています。(3P)

?■過去、新聞業界において、不公正な販売が問題となった時代もありましたが、読売新聞は、業界の旗振り役となって正常化してきた歴史があり、こうした点からも、他の新聞社とは決定的に異なるのです。(4P)

?■まず、裁判所に理解していただきたいのは、新聞社が新聞販売店に対して優越的な地位にあるわけではないことです。新聞社は、販売店に対して、テリトリー制に基づき独占販売権を与えており、購読者の氏名住所等の情報は販売店しか持っておらず、新聞社は一切把握していません。(5P)

? ■年間目標は、1店あたり平均4?5部の増紙に過ぎませんが、直近の5年間をみても、達成した販売店は全体の5割?7割程度しかありません。創刊135周年の節目の2009年は全社を挙げて増紙運動を展開しましたが、その年ですら、74%でした。仮に、被告新潮社などが言うように読売新聞社が優越的地位を濫用して、目標を達成しない販売店を次々と改廃していれば、毎年、3割?5割の販売店が改廃されていることになりますが、そのような事実は全くありません。(5P/6P)

?? ■残念なことではありますが、新聞販売店が実際の部数をごまかし、水増しした部数を注文するケースがまれにあることも事実です。これは、新聞社が指示したり、押し付けたりしたわけではなく、販売店自らの意思で注文する行為であって、「押し紙」ではなく、「積み紙」と呼ばれています。(6P)

?? ■(略)過去の裁判例にあるように、悪質な新聞販売店では、二重帳簿を作成したり、架空の読者を作り出したりして新聞社に報告するなど、様々な手段を使って、虚偽報告が発覚するのを防ごうとします。新聞社の販売店担当者は、毎月1回は必ず訪店して、業務報告を受け、経営指導を行っていますが、販売店は新聞社とは別個の独立した事業主体であり、強引に帳簿類をチェックすることはできず、巧妙な隠蔽工作を図られれば見抜くことは容易なことではありません。

?? ■読売新聞社は2年に一度、社団法人日本ABC協会(以下「ABC協会」といいます)から、部数について公査を受けています。ABC協会は、日本で唯一、新聞の部数を公正に調査、認証する機関です。国内において、第三者の立場から客観的に新聞部数を調べる組織は、ABC協会をおいて他には存在しません。被告新潮社らは、ABC協会の公査は信用性がないと主張していますが、それならば広告主は一体どこに部数の確認を求めれば良いのでしょうか。(7P)

?■一方、残紙とは、発行本社が販売店に送付し、販売店が読者に配達・販売した後に残った新聞のことなので、非販売部数のすべてが残紙となり、廃棄されるわけではありません。例えば、雨に濡れたため交換した新聞や試読紙は、非販売部数に入りますが、残紙には入りません。よって、注文部数に対して最終的に廃棄される新聞の割合は、非販売率よりもさらに低くなるわけです。(8P)

?? ■読売新聞の販売店は全国に5300店、支店を含めれば7700店に上がります。仮に「押し紙」が存在したなら、読売新聞社と販売店の信頼関係は一気に崩れます。恐らく、販売店経営者はだれも新聞社の言うことを聞かなくなるでしょう。読売新聞社において、新聞販売店とは共存共栄、運命共同体の関係なのです。

◇河内孝氏や魚住昭氏の著書を酷評

また、読売を勝訴させた東京地裁の判決は、「押し紙」問題にふれた河内孝氏の『新聞社??破綻したビジネスモデル』や魚住昭氏の『メディアと権力』を酷評している。これらの書籍は、「押し紙」の存在を指摘しているのだが、裏付けがないと切り捨てたのである。

一流のジャーナリストの調査報道を頭から全面否定するのは、甚だしい思い上がりではないだろうか。酷評するのであれば、まず、新聞販売の現場へ足を運んでからにしてほしかった。

ちなみに「押し紙」の正確な定義は次の通りである。

(「押し紙」の正確な定義=ここをクリック)?

「押し紙」問題が国会質問で取り上げられて、大きな問題になったのは1980年代の初頭だった。それから30年。「押し紙」回収業が一大産業として成り立っている。

司法が「押し紙」問題にメスを入れない理由は、新聞社が販売店に新聞を押し売りした証拠に乏しいからにほかならない。しかし、これまで起こされた「押し紙」裁判で、裁判所も認めざるを得なくなっている点がある。それは販売店に多量の新聞が余っている事実である。これだけは否定できない。

裁判所は、これらの新聞は販売店が自主的に買い取った結果発生したと解釈している。つまり押し売りしたものでないから、「押し紙」ではないという論法である。「押し紙」の定義そのものを誤っているのである。新聞社の言い分を鵜呑みにした結果にほかならない。

一般市民の立場からすれば、販売店で過剰になっている新聞は新聞社が押し売りした結果発生したのか、それとも販売店が自主的に買い取った結果発生したのかはあまり重要ではない。過剰な新聞により、ABC部数をかさあげして、紙面広告の営業を優位に展開しようとしていることが問題なのだ。

裁判所はこの点には踏み込もうとはしない。30年にわたって放置している。