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2013年03月19日 (火曜日)

対読売の損害賠償裁判(福岡高裁)敗訴について、論理が破綻している木村元昭裁判長の判決

読売がわたしに対して提起した3件の裁判(請求額は約8000万円)が、「一連一体」の言論弾圧にあたるとして、わたしが読売と江崎氏を相手に起こした裁判の控訴審判決が15日、福岡高裁であった。木村元昭裁判長は、わたしの控訴を棄却した。

このニュースはすでに読売新聞が次のように報じている。

(略)  読売新聞側は、黒薮氏が2007年12月から09年6月にかけて西部本社からの抗議文書を自身のサイトに無断掲載したり、読売新聞が販売店に余分な部数の新聞を押しつけて不正収入を得ているかのような記事を週刊誌に掲載したりしたことなどを理由に、仮処分申し立てや名誉毀損(きそん)訴訟など4件の裁判を起こした。??

? 訴訟で、黒薮氏は、こうした一連の裁判が言論抑圧を目的とした不当な裁判だと主張し、読売側は「権利を侵害されてやむを得ず提起したもの」と反論していた。判決は、4件の裁判を個別に検討した上で、「個々の裁判に違法性は認められず、一連の提訴などの行為により不法行為が成立することはない」と判断、黒薮氏側の主張をすべて退けた。(略)

(記事の全文=ここをクリック)

この判決については、後日、詳細な見解を発表する予定にしているが、この場では、1点に絞って判決後の率直な感想を述べてみたい。

◇著作者人格権を根拠にしたが

控訴審の争点は、読売が起こした3件の裁判(仮処分申立を含めると4件)のうち著作権裁判の判決内容をどう評価するかという点だった。著作権裁判は、江崎が仮処分申立に続いて、2008年2月に起こしたものである。江崎氏は、わたしが新聞販売黒書(現在のメディア黒書)に掲載した催告書(江崎氏がEメールで送付したもので、新聞販売黒書にわたしが掲載した江崎氏作成のビジネス文書の削除を求めたもの)を削除するように求めて裁判を起こしたのである。

江崎氏が主張の根拠としたのは、著作者人格権だった。

【著作者人格権】

著作者人格権は、著作者だけが持っている権利で、譲渡したり、相続したりすることはできません(一身専属権)。この権利は著作者の死亡によって消滅しますが、著作者の死後も一定の範囲で守られることになっています。

(全文=ここをクリック)

つまり著作物を作成した本人だけが有する権利である。従って著作者人格権を主張する場合は、自分が作成した文章であることが大前提になる。

その著作者人格権に基づいて江崎氏は、自分が作成した催告書を無断で新聞販売黒書に掲載することは違法行為に該当すると主張したのである。

ところが裁判の中でその大前提が崩壊する。催告書の作成者が、江崎氏ではないことが認定されたのだ。東京地裁は、催告書の作成者は、喜田村洋一自由人権協会代表理事か、彼の事務所スタッフの可能性がきわめて強いと認定したのである。少なくとも江崎氏が作成したものではないと判断したのである。

知財高裁も最高裁も下級審の判決を認定した。

つまり江崎氏はそもそも著作者人格権を根拠として、裁判を起こす資格がなかったのに、催告書は自分が作成したという虚偽を前提に裁判を起こしたのである。わたしが、恫喝裁判であると主張している根拠のひとつである。

◇  論理が破綻した木村判決

常識的に考えれば、ウソを前提にしてわたしを裁判にかけたわけだから、そのウソが裁判の中で認定されれば、当然、損害賠償を請求されても仕方がない。 極めて悪質なうえに、裁判が引き金となり、経済的な損害を被ったからだ。

たとえば2008年に予定していたニカラグア取材をキャンセルした。これだけでも新聞社の社員によるフリーランス・ライターに対する言論妨害である。また、わたしを支援してくれた弁護団にも経済的な負担をかけてしまった。

ところが木村裁判長は、あえて江崎氏を救済したのである。判決文を注意深く読めば、読者は[ウ]の部分と「エ」の部分に著しい論理の飛躍があることに気付くだろう。

ウ)ところで、著作者とは、著作物を創作する者をいい、作成に当たり事実行為のみをしたのか、創作した者といえるかといった評価や、複数の者が作成に関与した場合に共同著作や職務著作が問題になり得る。

 また、著作物とは、思想又は感情を創作的に表現したものであるが(著作権法2条1項1号)、その要件については一般に広義に解されており、創作性についても、厳格な意味で創造性が発揮されることは必要ではなく、記述者の個性がなんらかの形で現れていればそれで十分と考えられている。近年、様々な言語著作物について著作物性が主張される中、具体的事案の判断では、ありふれた表現であることを理由に著作物性が否定されることがあるが、著作物性が弱い場合にデットコピーかそれに近い態様の侵害については侵害行為の差止め等を認める見解もある。

エ)以上からすると、本件催告書は、その作成過程から作成者を一義的に決することは困難であったということができる。そして、被控訴人江崎が、同人の考えが入っており、同人の作成名義にかかる文書を送付したことからすると、被控訴人江崎が著作者となり得ると考えたとしていも、本件著作権仮処分命令の申立てを行う段階では、やむを得なかったといわなければならない。

「ウ」で木村裁判長は、著作物をめぐる判断がいかに複雑であるかを記している。それを前提として「エ」で、「被控訴人江崎が著作者となり得ると考えたとしていも、本件著作権仮処分命令の申立てを行う段階では、やむを得なかった」と江崎氏の立場に理解を示しているのだ。

つまり江崎氏は誤解していたが、それは著作権問題の複雑さを考慮すれば、やむを得なかったと言っているのだ。  こうしてあえて江崎氏を救済したのである。「知らなかった」から、不法行為にはなりえないということらしい。

しかし、既に述べたように「ウ」と「エ」の間には、著しい論理の飛躍がある。

まず、「ウ」では、著作権問題には共同著作や職務著作が問題になることがある旨を明記している。しかし、催告書の作成者が江崎氏以外の人物であることは、前訴にあたる著作権裁判の中で認定された事柄である。すでに決着がついている。

次に木村裁判長は、著作物性を判断する複雑さに言及している。しかし、争点になっているのは、催告書に著作物性があるか否かではない。催告書の作成者はだれかという問題である。著作物性を見極めるための法的な指標と、だれが作者であるかという問題は何の関係もない。まったく関係のない事柄を強引に関連ずけて、著作権問題の複雑さを印象づけ、あたかもそれゆえに江崎氏が誤解したかのように記述しているのだ。論理が破たんしてることは言うまでもない。

それに喜田村弁護士が、催告書の執筆を含めて一連の訴訟手続きをしていながら、江崎氏が勘違いしたというものもおかしな話だ。

◇住民運動も視野に

2011年3月15日を境に、一連の対読売裁判は大きな変化があった。3月15日よりも以前は、真村氏もわたしも読売に全勝していた。真村氏は確か7連勝、わたしは5連勝。が、この日を境に全敗に転じた。勝っていた裁判まで、最高裁で逆転させる決定が下された。

真村氏に至っては、自宅の仮差し押さえにより、全財産を失う危機に直面させれている。(読売が支払っていた間接強制金の返済を求められている)

わたしは、今後、なるべく多くの法律家に対読売裁判の判決を読んでもらおうと考えている。木村裁判長の判決が、本当に公正中立な立場で書かれているのかを、広範な意見を聞きながら、検証する必要があるからだ。

公正中立な立場から判決を書かない判事は、司法界を去るべきだろう。そのための住民運動も視野に入れている。

また、裁判所と司法記者クラブの関係、裁判所と政界の関係についても、情報公開を求めるなどして解明していきたい。

◇新聞の危機と偽装部数

なお、木村裁判長がいかにデタラメな判決を下してきたかについては、『新聞の危機と偽装部数』(花伝社)の第6章、「人権問題としての真村裁判」で詳しく述べている。

2013年03月06日 (水曜日)

【連載】新聞の偽装部数 国会で大問題になった1980年代の読売「北田資料」

新聞の偽装部数の規模はどのように変化してきたのだろうか。日本ではじめて比較的まとまったデータが公になったのは、1982年3月8日のことだった。この日、共産党の瀬崎博儀議員が、衆議院予算委員会で「押し紙」問題を取り上げたのだ。

?(「押し紙」の正確な定義=ここをクリック)

瀬崎議員が暴露したのは、北田資料と呼ばれる読売新聞鶴舞直売所(奈良県)における新聞の商取引の記録である。この記録は、同店の残紙(広義の「押し紙」、あるいは偽装部数)の実態を示すものだった。

瀬崎議員は、国会質問の中で鶴舞直売所における偽装部数の実態について次のように述べている。

これで見てわかりますように、(昭和)51年の1月、本社送り部数791、実際に配っている部数556、残紙235、残紙率29・7%、52年1月送り部数910に増えます。実配数629、残紙数281、残紙率30.9%に上がります。53年1月本社送り部数1030、実配数614、残紙416、残紙率は40・4%になります。(略)平均して大体3割から4割残っていくわけなんです。

◇「押し紙」に関する読売の見解

ちなみに読売は全面的に「押し紙」を否定している。繰り返し「黒書」で引用してきたように、読売の宮本友丘副社長(当時、専務)は、「読売VS新潮」の裁判で、喜田村洋一弁護士の質問に答えるかたちで次のように述べている。

喜田村洋一弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所に御説明ください。

?? 宮本専務:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません (注:赤文字は黒薮)

宮本氏が意味する「押し紙」とは、新聞社が定義している狭義の「押し紙」のことである。買い取りを強制したことが立証できる新聞である。

◇「押し紙」回収業者・ウエダ ?

同じ国会質問の中で、瀬崎氏は大阪府に本部がある「押し紙」回収業者・ウエダの実態も暴露している。

北田さんの場合もまたウエダが回収に回っておるのです。(資料)?はそのウエダの残紙回収の伝票であります。ごらんください。ものすごいですね。55年の上半期だけちょっととってみますと1万8000キロ、1ケ月平均3000キロの回収なんです。当時はわりと古紙の高いときだった。10キロ300円前後で、この残紙によって1月9万円の収入があがっておるのですよ。

この9万円で北田店主は、偽装部数で生じる損害を相殺していたと思われる。しかし、相殺手段は、他にもあったと推測される。常識的に考えると、折込チラシが水増し状態になっていた可能性が高く、断言はできないものの、それによる折込チラシ収入で、損害を相殺していたと推測される。読売が「押し紙」を全面否定するゆえんではないか?

しかし、わたしが問題視しているのは、残紙の中身が新聞社が定義する「押し紙」か、それとも「積み紙」かという点ではない。公称部数と実配部数の間にかい離があり、それが広告主の利益を阻害していることを問題にしているのだ。

2013年01月25日 (金曜日)

読売のポダムと朝日のポカポン 新聞人を世論誘導に悪用したCIAの大罪

23日付け東京新聞が「シリーズ日米同盟と原発」で、原発を導入した読売新聞の正力松太郎を取り上げている。「新聞王 原発の父に 豪腕で初の建設へ」と題するルポである。

ルポの中身は、米国が正力松太郎を利用して、原子力の「平和利用」を日本に持ち込もうとしたというものである。

名誉欲か、それとも政治的野心か、今となってはほとんど知るすべはない。が、マスコミ界から政界入りし、原子力の平和利用で旗振り役を務める正力は、米国にとって頼もしい存在だった。日本の反核世論封じ込めを狙う米国の対日戦略に沿うものだったからだ。

米国公文書館に保管されている文書によると、CIAは読売の正力を「ポダム」を呼び、朝日の緒方(竹虎)を「ポカポン」と呼んでいたという。米国がメディア戦略として新聞を利用していたことを示唆する事実である。

CIAの文書は、読売のポダムを高く評価している。

ポダムは協力的だ。親密になることで、彼が持つ新聞やテレビを利用できる。ポダムとの関係ができてきたので、メディアを使った反共工作を提案できる。

読売新聞や日本テレビを利用した反共宣伝の戦略が、CIAから提案された背景には、国際社会の中でソ連が影響力を強めていた事情もある。その結果、日本では、メディアを世論誘導に利用する戦略が、国民が知らないところで進行していたのである。その先兵となったのが、読売の正力である。

このような事実について、読売は反省しているのだろうか。

最近、読売の主筆兼会長で新聞文化受賞者の渡邉恒雄氏が『反ポピュリズム論』(新潮新書)を出版した。著書の内容については、改めて言及する機会があるかも知れないが、わたしの関心をひいたのは反ポピュリズム論よりも、むしろ渡邉氏がみずから政界を動かしているエピソードを独白している点である。

たとえば「自自連立で小沢・野中の橋渡し」を行ったことを告白している。有権者から選挙で選ばれていない者が、日本の政治を動かしているのである。 新聞人が政界工作の役割を演じる是非は別として、新聞人としての誇りなど捨ててしまったのかという思いにかられる。

ちなみに渡邉氏が率いる読売グループは、最近、読売の方針にそぐわない者に対して次々と裁判を起している

このような人物が新聞業界に君臨していることに対して、強い批判の声が上がらないのも不思議だ。戦いを回避する傾向すらある。それどころか出版業界全体が再販問題や消費税問題で渡邉氏の政治力に期待しているとの説もある。

正力・渡邉といったタイプの人物が日本のメディア界に君臨してきた事実は重大だ。

2013年01月24日 (木曜日)

対読売裁判が福岡高裁で結審  催告書の名義人を偽って裁判を起こした江崎法務室長に賠償責任は生じるのか?

読売新聞社がわたしに対して提起した3件の裁判が「一連一体の言論弾圧」にあたるとして損害賠償を求めた裁判の控訴審が、23日、福岡高裁で結審した。 判決は、3月15日に言い渡される。

3件の裁判の概要は次の通りである。

■著作権裁判

わたしが新聞販売黒書に掲載した読売・江崎法務室長の催告書を巡る裁判。 江崎氏は、催告書はみずから執筆した著作物なので、わたしに公表権はないと主張した。

(催告書の全文=ここをクリック)

しかし、東京地裁は、催告書の執筆者は江崎氏ではなく、読売の代理人・喜田村洋一自由人権協会代表理事か、彼の事務所スタッフの可能性が極めて高いと認定し、江崎氏の訴えを退けた。高裁、最高裁も下級審の判決を認定して、わたしの勝訴が確定した。

■名誉毀損裁判1

読売が2008年3月1日に断行したYC久留米文化センター前の改廃に伴って、実施された店舗からの折込チラシの搬出を、わたしが新聞販売黒書で「窃盗に該当」と評価した。これに対して読売は、「窃盗に該当」は事実の摘示であると主張。店主の許可を得てチラシを搬出したので、わたしの記事は事実に反し、名誉毀損にあたるとして、2230万円のお金を支払うように要求してきた。

地裁と高裁は、わたしの勝訴。しかし、最高裁が読売を勝訴させ、わたしを敗訴させることを決定して、東京高裁判決を差し戻した。これを受けて東京高裁の加藤新太郎裁判官が、わたしに110万円の支払いを命じた。

■名誉毀損裁判2

週刊新潮に掲載した記事の中で読売の「押し紙」率を約40%と推論したところ、読売が提訴した。読売は「押し紙」率40%は事実の敵示であり、事実に反するとして、5000万円のお金を支払うように求めた。

裁判の中で、読売は同社には、「押し紙」は1部も存在しないと主張。裁判所もそれを認定した。

(「押し紙」は1部もないとする読売・宮本副社長の証言=ここをクリック)

判決は読売の勝訴。裁判所は新潮社とわたしに、総額385万円の支払いを命じた。内訳は次の通りである。

読売本社に対して:220万円

大阪本社に対して:110万円

西部本社に対して:55万円

高裁も読売の勝訴。裁判は、現在、最高裁で継続している。

◆福岡高裁での争点

福岡高裁での争点は、ほとんど著作権裁判だけに絞られた。 ? 読売の江崎氏が催告書の名義を自分に偽って提訴に及んだ行為の責任が追求されたのである。ちなみに「催告書の名義を自分に偽った」という主張は、著作権裁判の中で裁判所が事前に認定している。

(知的財産高裁の判決・認定部分=ここをクリック)

虚偽の事実を前提にして、わたしを裁判にかけたという認定に等しい。もともと江崎氏には、提訴の権利がなかった。それにもかかわらず提訴に及んだのである。その原因が、「押し紙」報道などを口封じすることにあったというのが、黒薮側弁護団の主張である。

かりに最高裁が事実認定しているこの事件で、江崎氏らがなんの賠償責任も負わないとなれば、司法制度そのものの秩序が崩壊しかねない。嘘を前提に他人を法廷に立たせてもかまわないことになるからだ。

◆裁判史上で初のケース

この事件については、その重大性に鑑みて、読売・江崎氏に対する裁判とは別に、催告書を作成したとされる喜田村洋一自由人権協会代表理事に対する弁護士懲戒請求も申し立てている。

現在、喜田村弁護士が所属する第2東京弁護士会は、2年近い歳月をかけて、この事件の綿密な調査を行っている。日本の裁判史上、催告書の名義を偽って対抗言論を展開するフリーライターを提訴した事件は前例がない。

ちなみに、読売の渡邉会長は、2008年に旭日大授章を受けている。

(喜田村弁護士に対する懲戒請求の準備書面=ここをクリック)?

2012年12月31日 (月曜日)

主要5紙への政府広告費支出、4年間で50億円 最高額は読売とその代理店に対する21億円

「政府による広告費支出」の情報開示請求により、このほど2700枚を超える膨大な資料が開示された。内閣府から入手した資料によると、国の借金が増え続けるなかでも、2007?2010年の4年間で、朝日、読売、毎日、日経、産経の紙面広告に対して、計約50億円も支出されていたことが分かった。

最高額は、読売とその広告代理店に対する約21億円。時期をみると自公政権時代に支出が突出しており、民主党政権になって支出が抑制されたことも分かった。広告単価はABC部数に準じて設定され、ほとんど変動がなかった。

第二次安倍内閣では新聞族議員2人が入閣を果たしており、政府広報を増加に転じさせたり、その増減をカードにメディア対策を取る強い懸念がある。開示資料をもとに、新聞利権の実態を検証した。(続きはマイニュースジャパン)

2012年12月24日 (月曜日)

読売・江崎法務室長による催告書送付事件の5周年 催告書の内容そのものが怪文書

読売の江崎徹志法務室長がわたしに催告書を送付してから、21日で5年が過ぎた。この催告書をわたしが新聞販売黒書に掲載したことが原因で、江崎氏が著作権裁判を起こし、敗訴した経緯はたびたび報じてきたが、裁判の中であまり光が当たらなかった問題がひとつある。

ある意味では最も重要であるにもかかわらず、文書の内容よりも形式を法解釈の判断材料として重視する裁判所があまり問題視しなかったことである。

それは催告書に記されていた内容そのものである。次にリンクしたのが、催告書の全文である。

(ここをクリック=催告書の全文)

著作権法に親しんでいな者が一読すると何が問題なのか解釈に苦しむかも知れない。順を追って説明しよう。

催告書は、わたしが新聞販売黒書に掲載した次の文章の削除を求めた内容である。

前略 ?読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。 ?2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。 ?当社販売局として、通常の訪店です。

この文章は読売と係争状態になっていたYC広川に対する訪問再開を、読売の販売局員がYC広川に伝えたのを受けて、店主の代理人弁護士が読売に真意を確認したところ、送付された回答書である。(わたしはこの回答書を新聞販売黒書に掲載した。)

催告書の内容はこの回答書を新聞販売黒書から削除するように求めるものだった。

◆恫喝文書としての性質

なぜ、この催告書の内容に問題があるのだろうか? ? まず、第1にこの回答書が著作物であると強弁している点である。著作権法によると、著作物とは、

思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

と、定義されている。

つまり回答書が著作物であるという催告書の記述は、完全に間違っている。催告書の作成者は、「黒薮はバカだ」とエリート特有の冷笑を浮かべて、回答書が著作物であると嘘を書いた可能性が高い。そして嘘を前提に、裁判を起こしたのだ。

第2の問題は、回答書が著作物だと我田引水の解釈をした上で、削除に応じなければ、刑事告訴も辞さない旨を記している点だ。わたしが怪文書をして分類しているゆえんだ。

◆「名義の偽り」日弁連の見解に注目

この催告書を書いたのは、本当に江崎氏なのだろうか?こんな疑問が審理が進む中で浮上した。

驚くべきことに裁判所は、この催告書の作成者は、実は江崎氏ではなくて、喜田村洋一・自由人権協会代表理事か、彼の事務所スタッフの可能性が極めて強いと認定したのである。最高裁も下級審の判決を追認した。

つまり催告書の名義を「江崎」に偽って、裁判が提起されたことになる。江崎には、もともと提訴する権利がなかったのだ。

(ここをクリック=作者が誰かを認定する判決の記述)

催告書送付事件から5周年をむかえ、現在は、喜田村弁護士に対する弁護士懲戒請求の審理に入っている。弁護士会の綱紀委員会は、事実関係の調査に乗り出している。来年の1月で調査に入って2年になる。

(ここをクリック=弁護士懲戒請求・準備書面)

司法制度改革を進めている日弁連が、この前代未聞も事件についてどのような見解を示すのか、今後の成り行きに注目したい。

2012年12月18日 (火曜日)

元最高裁判事の天下りの全面禁止を 対読売裁判における公平性に疑問

読売新聞が起した裁判で代理人を務めてきた弁護士が所属する事務所のひとつにTMI総合法律事務所がある。

わたしを原告とする名誉毀損裁判(原審・さいたま地裁)は、言うまでもなく、七つ森書館を被告とした裁判、清武英利氏を被告とした裁判でも、TMI総合法律事務所の弁護士らが、読売の代理人を務めている。(朝日を被告とした裁判、文春を被告とした裁判については、調査中)

ところが本サイトやMyNewsJapanでも繰り返し報じて来たように、TMI総合法律事務所には、元最高裁の判事が3人も天下りしている。次の3氏である。

泉?治    :元最高裁判所判事・東京高等裁判所長官

今井功    :元最高裁判所判事・東京高等裁判所長官

才口千晴   :元最高裁判所判事

ちなみに最高裁判事以外の再就職組は次の方々である。

頃安健司   :元大阪高等検察庁検事長

三谷紘    :元公正取引委員会委員・横浜地方検察庁検事正

相良朋紀   :元広島高等裁判所長官

塚原朋一   :元知的財産高等裁判所長

樋渡利秋   :元検事総長

さて、日弁連はこの重大な問題をどのように考えているのだろうか。「天下り問題」に直接言及した文書類の存在は不明だが、参考になる文書はある。『弁護士業務基本規程』の第77条は、次のように述べている。

(裁判官等との私的関係の不当利用) 第77条 弁護士は、その職務を行うに当たり、裁判官、検察官その他裁判手続きに関わる公職になる者との縁故その他の私的関係があることを不当に利用してはならない。

 (解説は、ここをクリック)

TMI総合法律事務所に3人の元最高裁判事がいる事実が、一連の読売裁判の判決に影響を及ぼすか否かは、さまざまな視点から検討を重ねて答えを出す必要があるが、少なくとも次の事はいえる。被告にされた側は、強い不公平感を抱くということである。

実際、わたを被告とした名誉毀損裁判では、地裁、高裁はわたしの勝訴だったが、最高裁で逆転された。最高裁判事が読売を勝訴させ、わたしを敗訴させる決定を下したのである。そして差し戻し審で、加藤新太郎裁判官が110万円の支払いを命じた。

裁判に公正な舞台が求められるのは言うまでもない。それは司法関係者の共通した認識になっている。たとえば最高裁判事・須藤正彦氏は、「最高裁判所裁判官国民審査公報」で次のように述べている。

(略)裁判は、公正で、社会常識にかない、しかも迅速であることが求められますが、特に最高裁判所に対しては、『憲法の番人』として、あるいは、立法、行政、司法の三権のチェック・アンド・バランスの下での司法として、あるべき役割を果たすことについて国民の皆様の期待が大きいことを改めて感じさせられています。」 と述べている。

須藤氏は、自分たちの先輩が退官後、大手法律事務所へ堂々と天下りしている事実をどのように考えているのだろうか?司法制度改革の中で最初に取り組むべき大問題ではないだろうか?

2012年11月26日 (月曜日)

12月12日に福岡高裁の大法廷で本人尋問、対読売の「反訴」裁判

読売がわたしに対して仕掛けた3件の裁判(請求額は約8000万円)が、「一連一体」の言論弾圧にあたるとして、損害賠償を求めた裁判で、控訴審の舞台となっている福岡高裁は、被告・江崎法務室長と原告・黒薮の双方に対し、大法廷(傍聴席数は100)を使って本人尋問を実施することを決めた。

尋問は12月12日の午後に行われる。

尋問のテーマは、原告が“恫喝”と主張している3件の裁判のうち、最初に提起された著作権裁判に特化される見込み。この裁判は虚偽の事実をでっちあげて提訴され、黒薮が完全勝訴した経緯がある。事実、争点となった催告書の名義人を江崎氏や喜田村弁護士(自由人権協会・代表理事)らが偽っていた高い可能性を最高裁が認定した。

それにもかかわらず原審の福岡地裁は、損害賠償を認めなかった。読売側から黒薮に対して起こされた損害賠償は認め(名誉毀損裁判で、福岡高裁の加藤新太郎裁判長が110万円の支払いを命じた。)、黒薮からの読売に対する損害賠償は認めなかった事実がある。

なお、著作権裁判が文書の名義人を偽って提訴され、それを前提に江崎氏側が主張を展開した事実を受けて、現在、わたしは喜田村洋一氏に対する弁護士懲戒請求を申し立てている。申し立てからすでに1年半が過ぎているが、いまこところ裁決は下っていない。第2東京弁護士会の綱紀委員会が、膨大な時間を割いて調査を続けている。

12月12日の尋問には、読売の代理人を務めている喜田村弁護士も出廷する可能性が高い。江崎氏の尋問内容によっては、喜田村氏に対する懲戒請求事件の「決定」にも影響を及ぼしそうだ。

催告書の名義人を偽ったことを認定する知的財産高裁の判決の認定部分は次ぎの通りである。(ここをクリック)

◆著作権裁判の経緯

懲戒請求申立の発端は古く2002年までさかのぼる。この年、YC広川の真村久三店主が読売から商契約の解除を通告されたことを受けて、読売新聞社を相手に地位保全裁判を起こした。 ? 裁判は高裁から最高裁まで真村氏の勝訴だった。 ? 裁判が進行していた時期、読売はYC広川を「飼い殺し」にしていた。しかし、敗訴が濃厚になると、それまでの政策を改めざるを得なくなった。そこで係争中に中止していた担当員による訪店を再開する旨を真村氏に知らせた。 ? 真村氏が弁護士に読売の真意を確認してもらったところ、次のメールが弁護士事務所へ送られてきた。

前略  読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。 2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。  当社販売局として、通常の訪店です。 以上、ご連絡申し上げます。よろしくお願いいたします。

わたしはこの回答書を新聞販売黒書に掲載した。すると江崎氏がEメールで回答書の削除を求める内容の催告書を送付してきた。

そこで今度は、その催告書を新聞販売黒書に掲載した。これに対して江崎氏は、催告書は自分で作成した著作物であるから、削除するように求めて、東京地裁へ仮処分命令を申し立てた。判決は、江崎氏に軍配が上がった。 ? そこでわたしは本訴で争うことにした。 2009年3月30日に言い渡された判決は、わたしの勝訴だった。

江崎氏らが提訴した根拠は、催告書が江崎氏自身が書いた著作物であるからわたしに催告書を公表する権限はないというものだった。著作者人格権を根拠としたものである。

著作者人格権:著作者の権利は、人格的な利益を保護する著作者人格権と財産的な利益を保護する 著作権(財産権)の二つに分かれます。 著作者人格権は、著作者だけが持っている権利 で、譲渡したり、相続したりすることはできません[一身専属権]。)

ところが裁判所は、催告書の作成者を江崎氏の代理人である喜田村洋一弁護士か彼の事務所スタッフの可能性が高いと認定した。 ? つまり江崎氏とは別の者が催告書を作成したにもかかわらず、江崎側は催告書の名義を江崎氏に偽って提訴に及び、著作者人格権を主張したのである。もともと江崎氏には、裁判を起こす権利がない。

このような行為は弁護士職務基本規定75条の次の条文に抵触するというのがわたしの主張である。

【75条】弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。

なお、わたしが提出した準備書面(1)(ここをクリック)を読むと、事件の本質が見えてくる。

2012年11月13日 (火曜日)

黒薮哲哉氏の『新聞の危機と偽装部数』出版に際し、 改めて黒薮VS読売訴訟の勝者を考える、 最高裁・国家権力が手に入れたのは、報道弾圧社会の再来

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

「言論・報道の自由」を脅かす黒薮VS読売訴訟の異例とも言える最高裁逆転判決。その不当性についても書いた黒薮哲哉氏の著書『新聞の危機と偽装部数』(花伝社刊)が出版される。

この判例が今後、下級審でも罷り通ればスラップ(恫喝)訴訟など訴訟多発社会を誘発する恐れもある。私もこの著作に「黒薮VS読売訴訟の本当の勝者とは?」と題し、特別寄稿している。出版を機会に改めて判決の問題点を考えてみたい。

◇揚げ足取りで、2230万円を請求

2008年3月、福岡県の読売販売店改廃に絡み、折込広告代理店が配る予定になっていたチラシを持ち帰った。黒薮氏は自身のこのサイト(当時は「新聞販売黒書」)で改廃事件を伝え、持ち出し行為について記事の一部で、「窃盗に該当し、刑事告訴の対象になる」と書いた。これが、訴訟の発端となった。

チラシの持ち出しは店主が同意していたのだ。私も黒薮氏の取材不足を否定しないが、読売側は黒薮氏の記事のほんの一部の表現を捉え、「事実誤認で窃盗には該当しない」と、黒薮氏を名誉毀損で2230万円もの損害賠償(控訴審で減額)を求め、提訴した。

名誉毀損訴訟では、「一般読者の普通の注意と読み方を基準に、前後の文脈、記事全体の趣旨,記載内容、体裁、社会的反響などを総合的に考慮する必要がある」との1954年最高裁判例が、判断基準となっている。

健全で公正・公平な社会を実現するためには、規制に縛られない情報提供、言葉による権力監視機能が不可欠だ。これまで報道機関は、「表現・報道の自由」の重要性を強く訴え、国家権力・裁判所の介入は出来るだけ抑制的であるべきだと主張してきた。

論拠は、この判例の中の「前後の文脈、記事全体の趣旨,記載内容、体裁、社会的反響などを総合的に考慮する必要がある」の部分だ。つまり、言葉の端々を捉えるのではなく全体で判断し、たとえわずかな事実誤認があろうとも、実害の乏しい記事・報道では名誉毀損は出来るだけ認めるべきでないとの考え方である。

◇メディアが持つ権力監視の役割

一方、メディアによる権力批判をかわすため、「表現・報道の自由」を少しでも制限したくて言葉の端々の事実誤認を捉え名誉毀損訴訟を起こす勢力は、記事の小さな事実誤認や表現でも「名誉毀損」を幅広く認定すべきだとしてきた。

その攻防、対立の構図は、国内というよりも、むしろ海外で多くの歴史がある。 「表現の自由」を重視する人の側が依拠する代表的な論理は、1964年の合衆国最高裁が出した「現実的悪意」の法理(詳しくは松井茂記・大阪大名誉教授著『マス・メディアの表現の自由』日本評論社参照)だろう。

誤解を恐れず分かり易く説明すると、権力者の暴走を防ぐためには様々な角度、多数・多様なメディアによる報道がなされ、多くの人が監視出来る社会的環境が整っていなければならない。

それには、真っ当で当然「保護」されなければならない報道を「保護」するだけでは十分でない。本来は「保護」されるべきか微妙ないわゆる「灰色」、限界ぎりぎりの報道まで、「保護」されなければならないと言うものだ。

そうでないと、記事や様々な文章の中の細かな事実誤認や筆が滑った程度の言い過ぎ、適切さを欠いた表現などがあれば、言葉尻を権力側に捉えられ名誉毀損で訴えられることを人々は恐れる。

結局、権力批判の委縮を招き、本来の意味での報道や人々の言葉による「表現の自由・権力監視」が空洞化してしまうからだ。

◇「木を見て森を見ない」最高裁の論理

国内の訴訟でも、報道機関が記事の言葉尻を捉えられ、相手側に名誉毀損訴訟を起こされた時には、この論理で対抗することが多い。

ある意味、1954年最高裁判例の「記事全体の趣旨で総合的考慮」の部分は、この考え方に立つ。言葉尻を捉えて訴訟を起こし、自分に都合の悪い記事を書く記者・報道機関に圧力をかけようとするスラップ訴訟に対し、乱発を防止する歯止めの役割を果たして来たのも確かだろう。

黒薮訴訟の最初の1、2審は、これまでの最高裁判例に照らし記事全体を「総合的に判断」した結果、名誉毀損の成立を認めず読売側の敗訴となった。

「黒薮氏は記事掲載翌日に、読売側に『反論を掲載する』と連絡。その後経緯を説明、記述も改めた。記事の1部に事実誤認があっても、読者は読売側が『窃盗』をしたと誤解する可能性が少ない」とし、「事後的補てんが必要なほどの名誉毀損とは言えない」と認定したからだ。

ところが最高裁は記事全体を見渡すのではなく、「事実誤認がある黒薮氏の記事は、名誉毀損」と簡単な理由だけで、1、2審判決を破棄。差し戻し審で、黒薮氏は敗訴。「読売が窃盗をやらせる会社と誤信させる。業務上の支障はうかがわれなくても、無形被害がある」と、個人としては異例の高額の110万円の賠償を命じた。

◇読売をわざわざ逆転勝訴させた意図

権力監視・批判をするジャーナリスト・ジャーナリズムは、権力にとってうるさい存在である。従来の判例解釈を事実上撤廃、記事のわずかな事実誤認でも名誉毀損を認定出来るなら、裁判所の裁量権は大きく広がり、裁判官の腹次第で報道表現を規制し、縛りをかけることが可能だ。これまでこの判例解釈変更に抵抗してきたのは、報道機関側だ。

しかし、読売側が黒薮氏への提訴で、これまでの報道機関側の主張とは正反対の主張をするなら、最高裁・国家権力としては判例解釈を変更、下級審に知らしめる長年の悲願を達成する絶好の機会と捉えたとしても、何の不思議もない。

わざわざ1,2審判決を破棄してでも、最高裁が読売主張を丸呑みする逆転判決を出した裏には、そんな権力側の不純な意図を感じない訳にはいかないのだ。

日本出版労連も、「あくまで言論で対処するのが、出版人のプライド。恫喝めいた訴訟がまかり通れば、自由闊達な言論活動が定着しない」と、最高裁判決や読売の提訴に抗議声明を出している。言葉には言葉で対抗。これが報道機関の本来の姿だ。読売もIPS臨床応用報道で大誤報をした。一つ一つの小さな事実誤認で訴訟沙汰では、報道機関が成り立たない。

読売は、自らの記事の事実誤認には、「訂正・お詫び記事」掲載で対処している以上、黒薮氏の事実誤認に対してもまず抗議して、黒薮氏のサイトに「訂正・お詫び記事」の掲載を求めるのが報道機関としての筋だと、私は思う。

◇「押し紙」批判報道を止めたかった?

読売側が、黒薮氏の「押し紙」批判報道を止めたいばかりに目がくらみ、これまでのジャーナリズムの主張・魂をそっくり裁判所・権力側に売り渡したと言うのは、言い過ぎだろうか。自らの提訴が藪蛇となり、「表現・報道の自由」の陣地をますます狭くした読売の罪は、ジャーナリズムにとって決して軽くないのではないか。

最高裁逆転判決により、記事中のわずかな事実誤認を捉え、権力批判をする記者・報道機関への口封じのためのスラップ訴訟の多発が心配されるだけではない。ネット上でつぶやく一般の人たちにも少なからず、この判決の影響を受ける。

「人を見たら、泥棒と思え」「あんた、詐欺師か」などの言葉はよく投稿される。でも、この最高裁判例なら、「犯罪者扱いされた」と、訴えられたら、今後、高額の賠償金を支払わなければならない事態さえ、ないとは言えないからだ。

つまり、裁判官の恣意、腹次第で判決が左右出来るなら、ネットに限らず、権力側に都合の悪い発言を続ける人たちや報道機関に対し、名誉毀損訴訟の場を借り、国家権力・裁判所はいくらでも言葉に縛りをかけ、記事を実質検閲するのも可能なのだ。

戦前、治安維持法でなされた権力の言論統制・検閲・言葉狩りが、これからは名誉毀損訴訟を利用してなされない保証はどこにもない。黒薮VS読売訴訟の勝者は実は読売でなく、戦前の報道弾圧社会の再来を願う最高裁・国家権力ではなかったかと、私は思わざるを得ない。

私が、このサイトに執筆するようになったのも、黒薮氏への最高裁逆転判決を知ったことがきっかけだった。読売の訴訟提起や不当判決で、最も影響を受けるのは、組織のバックのない黒薮氏のようなフリーランスのジャーナリストだ。

ネットの記事一つで高額の賠償金を払わなければならないと、たちまち仕事だけでなく、生活にも行き詰る。黒薮氏のジャーナリスト生命をこんな不当判決で奪ってはならず、何とか応援したいと思ったからである。

◇異議を申し立てたら記者職を剥奪

私の対朝日報道弾圧・不当差別訴訟。記者だった私が取材した、当然記事になるべき原稿を朝日が止め、異議を申し立てたら記者職を剥奪したことが発端だ。

何度も朝日に対し、記者職を剥奪した理由を問い質したが、まともな答えがなく、やむなく、記者には人々の「知る権利」に応える責務と雇用者として正当な業務に対して、経営者から不当な差別は受けない「報道実現権」があると主張しての提訴だった。

しかし、1審から上告審まで、裁判所は一切の事実審理・証拠調べや原告である私の本人尋問さえも認めず、事実と正反対のデッチ上げ判決で、私を敗訴させている。

私の主張する「報道実現権」を認めてしまえば、社内圧力による不当な記事の差し止めに、記者はこの権利で対抗する。そうなれば、戦前の経営者を抑えての報道弾圧社会の再来が不可能になるからだろう。

裁判所はもはや、人々の権利を守り、公正・公平に判断する組織ではない。国家・権力者の代弁者・手先に成り下がり、人々の「知る権利」を奪い、権力を監視するジャーナリズム・ジャーナリストの表現・報道の自由を奪おうと躍起となっている。そのためにはデッチ上げでも何でもやる中世の暗黒裁判並みの組織に劣化していると言わざるを得ない。

詳しくは、黒薮氏の『新聞の危機と偽装部数』や拙書『報道弾圧』(東京図書出版)を読んで戴きたい。最高裁逆転判決で権力による報道弾圧・言葉狩り、人々の「知る権利」の侵害が常態化してから、黒薮訴訟や私への判決が転換点と気付いた頃には、もう遅いのだ。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。

2012年11月05日 (月曜日)

読売による「一連一体」の言論弾圧を問う控訴審、7日に福岡高裁でスタート

読売新聞社がわたしに対して仕掛けた3件の裁判が、「一連一体」の言論弾圧に該当するとの観点から、読売を被告としてわたしが提起した損害賠償裁判の控訴審が、7日に福岡高裁で始まる。

福岡地裁で開かれた第1審は、読売が勝訴した。しかし、第1審の裁判長は、わたしの本人尋問を拒否したり、陳述書の受け取りに難色を示すなど、明らかに差別的な方法で審理をすすめた。そして読売を勝訴させて、わたしを敗訴させる判決を下した。

訴因となった3件の裁判は、次の通りである。

■著作権裁判  これは厳密には、読売の江崎徹志法務室長を原告とする裁判。江崎氏がわたしに送付した催告書をめぐる争いだ。わたしは催告書を、その奇妙な内容から「怪文書」と判断。「新聞販売黒書」で公表した。

これに対して江崎氏は、催告書は自分が執筆した自分の著作物なので、「黒書」から削除するように求めて、裁判を起こした。判決はわたしの勝訴。しかも判決の中で、催告書の本当の作者は、喜田村洋一弁護士(自由人権協会体表理事)か彼の事務所スタッフの可能性が高いと認定された。

つまり江崎氏の側が催告書の名義人を偽り、虚偽の事実を前提にして、わたしを法廷に引っ張りだしていた事実が明らかになったのだ。そこでわたしは、最高裁で判決が確定するのを待って、喜田村弁護士に対する弁護士懲戒請求を申し立てた。

刑事事件でいう「誣告罪(ぶこくざい)」に類似しているからだ。

次にリンクするのは、知財高裁の判決の中で、催告書の名義人を偽っていたことを認定した部分。虚偽の事実を前提に裁判を起こした決定的な証拠である。

?(参考:判決文の認定個所はここをクリック)

■名誉毀損裁判1  新聞販売黒書に掲載したYC久留米文化センター前の改廃事件の記事が訴因。改廃の手口に鑑みて、「窃盗に該当」と評価したところ、読売は、この表現が「事実の摘示」に該当するとして、2230万円のお金を支払うように求めて、裁判を起こした。

地裁、高裁はわたしが勝訴した。しかし、最高裁が読売を勝訴させて、わたしを敗訴させることを決定した。そして下級審の判決を、東京地裁へ差し戻した。これを受けて加藤新太郎裁判長が登場。加藤氏は下級審の判断を悉く覆し、わたしを全面敗訴させたあげく、110万円+利子の支払いを命じたのである。

■名誉毀損裁判2  週刊新潮に掲載した署名記事が訴因。さまざまなデータを基に読売の「押し紙」率を30?40%と推測したところ、読売は、30?40%は事実の摘示に該当するとして、裁判を起こした。地裁と高裁は読売の勝訴。現在、最高裁で継続している。

福岡高裁で控訴審を担当するのは、第2次真村裁判の控訴審で真村氏を敗訴させた木村元昭裁判長である。

なお、読売の喜田村弁護士らは、控訴審を一回で結審するように主張している。

2012年11月04日 (日曜日)

裁判の公平な土壌に疑問 裁判員制度のPRで読売に登場していた加藤新太郎裁判官….被告・池田大作氏に対しては「訴権の濫用」を適用

ウエブサイトの記事(Yomiuri Online)に日付が明記されてないので、正確にいつの時点で発表されたものなのかは不明であるが、文中に「裁判員制度が2009年5月までに始まる」という記述があるので、恐らくその直前の時期ではないかと思う。

タイトルは「本紙記者が裁判員体験」。記者を対象とした模擬裁判が行われ、それを体験した読売新聞・大藪剛史記者の体験記である。

記事のリードは次のようになっている。

国民が刑事裁判に参加する裁判員制度が2009年5月までに始まる。新潟市内で2月24日に行われた記者向けの模擬裁判(新潟地裁、新潟地検、県弁護士会主催)に、裁判員として参加した。人を裁くことの難しさを実感し、裁判員制度の課題を考えるきっかけにもなった。(大藪剛史)(全文はここをクリック)

記者が模擬裁判に参加すること自体自体は、特に問題があるわけではない。しかし、記者が所属する新聞社が最高裁から多額の広告費を受け取っているとなれば話は別だ。しかも、その広告費は裁判員制度の紙面広告の制作と掲載により発生したのものである。

次に示すのは、2007年から2010年までの間に最高裁が読売新聞に支払った広告費である。紙面広告のタイプは全面、掲載回数は2回である。

2007年:1億190万円

?2008年:8883万円

2009年:9378万円

2010年:1億10万円

これらの広告価格が適正か否かは、広告主企業が最もよく知っているのではないだろうか。わたしが聞いたところでは、全面広告1回で発生する料金は、500万円から2000万円ぐらいが相場だという。

なぜ、最高裁は新聞社に対して広告費の「大判ぶり舞い」をするのだろうか?答えは簡単で、国費ということもあるが、裁判員制度をPRしてほしいから、と考えるのが妥当だろう。

事実、冒頭で紹介した大藪記者の記事に、加藤新太郎判事が登場して、みずから裁判員制度をPRしている。

新潟地裁の加藤新太郎所長(56)に、裁判員制度の課題や県内の状況について聞いた。

――裁判員制度の導入で裁判はどう変わるか?

 国民の生活感覚が入り、裁判の質が上がることが期待される。事件にかかわることで、市民が地域の安心・安全に関心を持つきっかけにもなってほしい。

 ――法律を知らなくても大丈夫か?

 犯罪事実が存在したかどうかという判断は、人の言うことをうのみにしないとか、客観的な証拠を根拠にするとか、一般人の常識で考えてくれれば良い。量刑を決めるのも、プロの解説を受けて判断するので心配はない。

――過去の量刑を参考にすると、市民の感覚を入れる意味が薄れるのでは?

司法研修所のアンケートでは、8割を超える人が「参考資料がないと量刑を判断できない」と答えている。また資料がないと全国で判決にばらつきが出て平等性を欠く。過去の量刑は、この種の犯行ではこれくらいですよという目安にしてくれればと思う。

――新潟ならではの特徴はあるか?

 新潟の人はまじめで律義なので、理解と協力を得られると思う。ただ、県の面積が広いため、佐渡や糸魚川など遠方から来てもらう人も多く、大きな負担をかけてしまわないかと心配。

 ――県民の理解はどの程度、進んでいるか?

 昨年2月と今年1月に行ったフォーラム後のアンケートでは「参加したい」「参加もやむをえない」という人が8割を超えた。これは一般の世論調査を上回る数字。手応えはある。

――今後の課題は?

経営者の支援が不可欠。社員が裁判員制度に参加するために仕事を休む場合は、会社がその分の給料を支払うよう就業規則などで定めて欲しい。今後も講演などを通じて、経営者らに理解を求めていきたい。

◇加藤新太郎判事と読売裁判

「黒書」で既報したように加藤裁判官は、読売がわたしに対して仕掛けてきた名誉毀損裁判の差し戻し審で、読売を逆転勝訴させ、わたしに110万円(利子を含めると約125万円)の支払いを命じた人物である。

この裁判は、地裁と高裁でわたしが勝訴し、最高裁が読売を勝訴させることを決定して、判決を東京高裁へ差し戻した。これを受けて加藤裁判長が、個人のブログに対する賠償としては異例の110万円の支払いを命じたものである。

わたし自身は、新聞社による実配部数の偽装を告発する極めて公共性の高いサイトであると自負している。

判決そのものの検証は今後、加藤判事が過去は下した判決も含めて検証を進めていくが、客観的にみて、加藤氏が「黒薮VS読売」の裁判を担当したこと自体が、いちじるしく公平性を欠いている。と、いうのも加藤氏は、裁判員制度を積極的に導入すべきだという立場で、読売新聞に登場している過去があるからだ。

取材を受けた時点で、読売との人脈が構築されていることは言うまでない。しかも、調査してみると読売に登場したのは1回だけではなく、2005年11月5日にもインタビューの形で読売に登場している。

満面の笑みを浮かべ、裁判員制度について次のように述べている。

司法制度改革に対しては2つの受け止め方があります。「ケチをつけられて心外だ」という考えと、「より良くしようというオファー」との考え。私の考えは後者です。今までの裁判官は「読み、書き、考える」能力があればよかったが、国民と一緒に重大事件を裁くには、さらに「話し、聞く」能力も必要になる。所長として、先頭に立って意識改革を進めていきたいですね。

(記事の全文はここをクリック)

◇現場を取材せずに判決を下す異常

対読売裁判でどうしても納得できない点がある。現場を取材せずに、判決を下している点だ。現場を取材することもなく、どのような方法で何が真実なのかを判断しているのか不思議だ。言葉は悪いが、これは一種の思い上がりではないだろうか。さもなければ、事実の検証方法を全く理解していないことになる。

弁護士は現場を「取材」する。ところが取材しない裁判官が、真実を決定するキーパーソンになっているのだ。

現実の世界と、空想の世界の間にはギャップがある。そのギャップを埋めるために、現場へ足を運び、自分の眼で現場を観察するのではないだろうか。

現場を取材する習慣を裁判に持ち込むこと。こちらの方が裁判員制度の導入よりも先ではないか?

◇創価学会と加藤判事

再考までに加藤判事が過去に下した池田大作氏を被告とする裁判の判決に関する評論をリンクしておこう。訴権の濫用という日本の裁判ではきわめて珍しい判決で、池田氏を完全勝訴させている。「訴権を濫用する訴えであるから、不適法なものとして却下する」と判断したのである。

(参考:ウィキペディア・池田大作レイプ訴訟)

2012年11月01日 (木曜日)

深まる警察と新聞社のスクラム 読売に続き毎日も警察との連携

警察権力と新聞社がますます親密な関係になってきた。10月29日付け『毎日新聞』は、「<世界のお巡りさんコンサート>都内で懇親会」と題する記事を掲載した。

東京で開催中の「第17回世界のお巡りさんコンサート」(主管・毎日新聞社)に参加する各国の警察音楽隊が29日、都内のホテルで懇親会を開いた。警視庁、インドネシア国家警察士官学校、ソウル特別市地方警察庁、ニューヨーク市警察、ベトナム警察の5隊が出席した。

引用した記事でも明らかなように、毎日新聞社がこのイベントの主管を務めている。そのためなのか、31日にも「<世界のお巡りさんコンサート>5隊が演奏、フィナーレ」と題する記事を掲載した。

新聞ジャーナリズムが警察の宣伝に貢献している事実をどのように考えるべきなのだろうか。このような例は、一部の軍事政権の国は別として、「先進国」と言われている国では珍しい。住民の意識が高まるにつれて、ジャーナリズムの役割は、権力を監視するものだという概念が定着してくるからだ。

実は、警察権力と新聞社の共同歩調という珍現象は、日本では想像以上に進行している。報道面で警察に協力しているのは毎日だけではない。

もっとも典型的な例として、読売グループと警察権力の交流がある。たとえば読売新聞の東京本社内に本部を設置している読売防犯協力会の中心的なメンバーは警察OBである。読売に再就職して、活動している。

具体的なメンバー(警察関係)は次の通りである。

柏田榮文参与 :警視庁捜査第二課員、築地署生活安全課長などを歴任し、2008年4月から現職。

鍋倉光昭参与: 機動捜査隊・鑑識課・警視庁光が丘署刑事・組織犯罪対策課長などを歴任し、2011年4月1日から現職。

深川猛参与 :警視庁目黒署生活安全課長、少年育成課・少年センター所長などを歴任し、2012年4月から現職。

?橋稔:北海道警察機動隊長、岩内署長などを歴任し、2008年4月から現職。

池田純:大阪府警捜査第一課員・城東署生活安全課長などを歴任し、2012年4月から現職。

読売新聞販売店の協力を得て、街の隅々にまで監視の眼を光らせ、「犯罪」を防止しようという試みのようだ。  ちなみに読売新聞の元社長・正力松太郎氏は、戦前の特高警察の幹部である。読売の場合は、もともと警察との関係が極めて深いと言える。言論を取り締まることを主要な任務として、小林多喜二の殺害事件などを起した特高の関係者が、戦後になったからとはいえ、新聞社の社長になった事実は、日本の新聞ジャーナリズムの体質を考える上で大切だ。

なお、読売防犯協力会は、次に示す全国都道府県の警察本部と覚書を交わしている。日付は覚書の締結日。

高知県警 2005年11月2日

福井県警 2005年11月9日

香川県警 2005年12月9日

岡山県警 2005年12月14日

警視庁 2005年12月26日

鳥取県警 2005年12月28日

愛媛県警 2006年1月16日

徳島県警 2006年1月31日

群馬県警 2006年2月14日

島根県警 2006年2月21日

宮城県警 2006年2月27日

静岡県警 2006年3月3日

広島県警 2006年3月13日

兵庫県警 2006年3月15日

栃木県警 2006年3月23日

和歌山県警 2006年5月1日

滋賀県警 2006年6月7日

福岡県警 2006年6月7日

山口県警 2006年6月12日

長崎県警 2006年6月13日

茨城県警 2006年6月14日

宮崎県警 2006年6月19日

熊本県警 2006年6月29日

京都府警 2006年6月30日

鹿児島県警 2006年7月6日

千葉県警 2006年7月12日

山梨県警 2006年7月12日

大分県警 2006年7月18日

長野県警 2006年7月31日

福島県警 2006年8月1日

佐賀県警 2006年8月1日

大阪府警 2006年8月4日

青森県警 2006年8月11日

秋田県警 2006年8月31日

神奈川県警 2006年9月1日

埼玉県警 2006年9月14日

山形県警 2006年9月27日

富山県警 2006年9月29日

岩手県警 2006年10月2日

石川県警 2006年10月10日

三重県警 2006年10月10日

愛知県警 2006年10月16日

岐阜県警 2006年10月17日

奈良県警 2006年10月17日

北海道警 2006年10月19日

沖縄県警 2008年6月12日

2012年10月19日 (金曜日)

読売VS七つ森書館の仮処分・保全抗告審 司法の舞台に不公平感 元知財高裁所長が読売側のTMI総合法律事務所へ再就職

読売新聞東京本社が『会長はなぜ自殺したか』(七つ森書館)の著作権を主張して、販売禁止を求めた仮処分の保全抗告審で、知財高裁は15日、七つ森書館の抗告を棄却した。これで東京地裁の決定と異議審に続いて高裁でも読売の主張が認められたことになる。

裁判に圧倒的に強い読売の姿が浮き彫りになった。しかし、裁判の舞台を検証してみると、ある重大な問題が存在している。それは今回の保全抗告審の舞台になった知財高裁の元所長が、読売の代理人を務めている弁護士らが多数所属するTMI総合法律事務所へ顧問として再就職している事実である。

裁判は表向きは中立公正に行われるとはいえ、少なくとも法廷に立たされた当事者にとっては、不公平感を払拭できないのではないか?

TMI総合法律事務所に再就職している元所長とは、塚原朋一弁護士である。同氏は2007年5月に知的財産高等裁判所長に就任して、2010年8月に定年退官している。その後、東京弁護士会に弁護士登録を行い、TMI総合法律事務所に顧問弁護士として再就職し、現在に至っている。

裁判の公平中立な舞台という観点からすれば、元判事が弁護士事務所へ再就職する行為は問題を孕んでいる。合法的な行為であっても、それにより副次的な問題が生じる。かつての職場である裁判所と弁護士事務所の間に人脈が形成される結果、判決にも影響を及ぼしかねない。

ちなみにTMI総合法律事務所には、元最高裁判事も三名再就職している。次の方々である。敬称略。

※今井巧

※泉徳治

※才口千晴

さらに東京地裁の民事8部で進行している読売と清武英利氏の裁判では、民事8部の元判事・高山崇彦氏がTMI総合法律事務所の弁護士として登場し、読売をサポートしている。このようなケースでは、弁護士として訴訟に参加するのを辞退するのが良心ではないか。

◇七つ森書館の主張

七つ森書館は、社長名で次のようなメールを関係者に配信した。

10月15日に、知的財産高等裁判所第2部(塩月秀平裁判長)は、『会長はなぜ自殺したか──金融腐敗=呪縛の検証』に関する東京地裁の出版差止仮処分異議決定に対して当社が申し立てていた保全抗告を棄却するという決定を出しました。

この決定は、読売新聞側の主張を「鵜呑み」にした東京地裁民事40部(東海林保裁判長)の決定および異議決定をなぞっただけという、恐るべき不当なものです。裁判所は、読売新聞側の明白な詭弁を見抜けないのです。

七つ森書館と読売新聞の間でまったく正当に結ばれた出版契約書の効力を否定したばかりか、「職務著作権」の成立範囲を自社著作物以外に拡張し、メディア関わる人びとの表現の自由を著しく侵害するものです。このような「職務著作権」の拡張解釈は憲法違反です。

よって、最高裁判所へ特別抗告します。