1. 【連載】新聞の偽装部数 国会で大問題になった1980年代の読売「北田資料」

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2013年03月06日 (水曜日)

【連載】新聞の偽装部数 国会で大問題になった1980年代の読売「北田資料」

新聞の偽装部数の規模はどのように変化してきたのだろうか。日本ではじめて比較的まとまったデータが公になったのは、1982年3月8日のことだった。この日、共産党の瀬崎博儀議員が、衆議院予算委員会で「押し紙」問題を取り上げたのだ。

?(「押し紙」の正確な定義=ここをクリック)

瀬崎議員が暴露したのは、北田資料と呼ばれる読売新聞鶴舞直売所(奈良県)における新聞の商取引の記録である。この記録は、同店の残紙(広義の「押し紙」、あるいは偽装部数)の実態を示すものだった。

瀬崎議員は、国会質問の中で鶴舞直売所における偽装部数の実態について次のように述べている。

これで見てわかりますように、(昭和)51年の1月、本社送り部数791、実際に配っている部数556、残紙235、残紙率29・7%、52年1月送り部数910に増えます。実配数629、残紙数281、残紙率30.9%に上がります。53年1月本社送り部数1030、実配数614、残紙416、残紙率は40・4%になります。(略)平均して大体3割から4割残っていくわけなんです。

◇「押し紙」に関する読売の見解

ちなみに読売は全面的に「押し紙」を否定している。繰り返し「黒書」で引用してきたように、読売の宮本友丘副社長(当時、専務)は、「読売VS新潮」の裁判で、喜田村洋一弁護士の質問に答えるかたちで次のように述べている。

喜田村洋一弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所に御説明ください。

?? 宮本専務:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません (注:赤文字は黒薮)

宮本氏が意味する「押し紙」とは、新聞社が定義している狭義の「押し紙」のことである。買い取りを強制したことが立証できる新聞である。

◇「押し紙」回収業者・ウエダ ?

同じ国会質問の中で、瀬崎氏は大阪府に本部がある「押し紙」回収業者・ウエダの実態も暴露している。

北田さんの場合もまたウエダが回収に回っておるのです。(資料)?はそのウエダの残紙回収の伝票であります。ごらんください。ものすごいですね。55年の上半期だけちょっととってみますと1万8000キロ、1ケ月平均3000キロの回収なんです。当時はわりと古紙の高いときだった。10キロ300円前後で、この残紙によって1月9万円の収入があがっておるのですよ。

この9万円で北田店主は、偽装部数で生じる損害を相殺していたと思われる。しかし、相殺手段は、他にもあったと推測される。常識的に考えると、折込チラシが水増し状態になっていた可能性が高く、断言はできないものの、それによる折込チラシ収入で、損害を相殺していたと推測される。読売が「押し紙」を全面否定するゆえんではないか?

しかし、わたしが問題視しているのは、残紙の中身が新聞社が定義する「押し紙」か、それとも「積み紙」かという点ではない。公称部数と実配部数の間にかい離があり、それが広告主の利益を阻害していることを問題にしているのだ。