裁判の公平な土壌に疑問 裁判員制度のPRで読売に登場していた加藤新太郎裁判官….被告・池田大作氏に対しては「訴権の濫用」を適用
ウエブサイトの記事(Yomiuri Online)に日付が明記されてないので、正確にいつの時点で発表されたものなのかは不明であるが、文中に「裁判員制度が2009年5月までに始まる」という記述があるので、恐らくその直前の時期ではないかと思う。
タイトルは「本紙記者が裁判員体験」。記者を対象とした模擬裁判が行われ、それを体験した読売新聞・大藪剛史記者の体験記である。
記事のリードは次のようになっている。
国民が刑事裁判に参加する裁判員制度が2009年5月までに始まる。新潟市内で2月24日に行われた記者向けの模擬裁判(新潟地裁、新潟地検、県弁護士会主催)に、裁判員として参加した。人を裁くことの難しさを実感し、裁判員制度の課題を考えるきっかけにもなった。(大藪剛史)(全文はここをクリック)
記者が模擬裁判に参加すること自体自体は、特に問題があるわけではない。しかし、記者が所属する新聞社が最高裁から多額の広告費を受け取っているとなれば話は別だ。しかも、その広告費は裁判員制度の紙面広告の制作と掲載により発生したのものである。
次に示すのは、2007年から2010年までの間に最高裁が読売新聞に支払った広告費である。紙面広告のタイプは全面、掲載回数は2回である。
2007年:1億190万円
?2008年:8883万円
2009年:9378万円
2010年:1億10万円
これらの広告価格が適正か否かは、広告主企業が最もよく知っているのではないだろうか。わたしが聞いたところでは、全面広告1回で発生する料金は、500万円から2000万円ぐらいが相場だという。
なぜ、最高裁は新聞社に対して広告費の「大判ぶり舞い」をするのだろうか?答えは簡単で、国費ということもあるが、裁判員制度をPRしてほしいから、と考えるのが妥当だろう。
事実、冒頭で紹介した大藪記者の記事に、加藤新太郎判事が登場して、みずから裁判員制度をPRしている。
新潟地裁の加藤新太郎所長(56)に、裁判員制度の課題や県内の状況について聞いた。
――裁判員制度の導入で裁判はどう変わるか?
国民の生活感覚が入り、裁判の質が上がることが期待される。事件にかかわることで、市民が地域の安心・安全に関心を持つきっかけにもなってほしい。
――法律を知らなくても大丈夫か?
犯罪事実が存在したかどうかという判断は、人の言うことをうのみにしないとか、客観的な証拠を根拠にするとか、一般人の常識で考えてくれれば良い。量刑を決めるのも、プロの解説を受けて判断するので心配はない。
――過去の量刑を参考にすると、市民の感覚を入れる意味が薄れるのでは?
司法研修所のアンケートでは、8割を超える人が「参考資料がないと量刑を判断できない」と答えている。また資料がないと全国で判決にばらつきが出て平等性を欠く。過去の量刑は、この種の犯行ではこれくらいですよという目安にしてくれればと思う。
――新潟ならではの特徴はあるか?
新潟の人はまじめで律義なので、理解と協力を得られると思う。ただ、県の面積が広いため、佐渡や糸魚川など遠方から来てもらう人も多く、大きな負担をかけてしまわないかと心配。
――県民の理解はどの程度、進んでいるか?
昨年2月と今年1月に行ったフォーラム後のアンケートでは「参加したい」「参加もやむをえない」という人が8割を超えた。これは一般の世論調査を上回る数字。手応えはある。
――今後の課題は?
経営者の支援が不可欠。社員が裁判員制度に参加するために仕事を休む場合は、会社がその分の給料を支払うよう就業規則などで定めて欲しい。今後も講演などを通じて、経営者らに理解を求めていきたい。
◇加藤新太郎判事と読売裁判
「黒書」で既報したように加藤裁判官は、読売がわたしに対して仕掛けてきた名誉毀損裁判の差し戻し審で、読売を逆転勝訴させ、わたしに110万円(利子を含めると約125万円)の支払いを命じた人物である。
この裁判は、地裁と高裁でわたしが勝訴し、最高裁が読売を勝訴させることを決定して、判決を東京高裁へ差し戻した。これを受けて加藤裁判長が、個人のブログに対する賠償としては異例の110万円の支払いを命じたものである。
わたし自身は、新聞社による実配部数の偽装を告発する極めて公共性の高いサイトであると自負している。
判決そのものの検証は今後、加藤判事が過去は下した判決も含めて検証を進めていくが、客観的にみて、加藤氏が「黒薮VS読売」の裁判を担当したこと自体が、いちじるしく公平性を欠いている。と、いうのも加藤氏は、裁判員制度を積極的に導入すべきだという立場で、読売新聞に登場している過去があるからだ。
取材を受けた時点で、読売との人脈が構築されていることは言うまでない。しかも、調査してみると読売に登場したのは1回だけではなく、2005年11月5日にもインタビューの形で読売に登場している。
満面の笑みを浮かべ、裁判員制度について次のように述べている。
司法制度改革に対しては2つの受け止め方があります。「ケチをつけられて心外だ」という考えと、「より良くしようというオファー」との考え。私の考えは後者です。今までの裁判官は「読み、書き、考える」能力があればよかったが、国民と一緒に重大事件を裁くには、さらに「話し、聞く」能力も必要になる。所長として、先頭に立って意識改革を進めていきたいですね。
◇現場を取材せずに判決を下す異常
対読売裁判でどうしても納得できない点がある。現場を取材せずに、判決を下している点だ。現場を取材することもなく、どのような方法で何が真実なのかを判断しているのか不思議だ。言葉は悪いが、これは一種の思い上がりではないだろうか。さもなければ、事実の検証方法を全く理解していないことになる。
弁護士は現場を「取材」する。ところが取材しない裁判官が、真実を決定するキーパーソンになっているのだ。
現実の世界と、空想の世界の間にはギャップがある。そのギャップを埋めるために、現場へ足を運び、自分の眼で現場を観察するのではないだろうか。
現場を取材する習慣を裁判に持ち込むこと。こちらの方が裁判員制度の導入よりも先ではないか?
◇創価学会と加藤判事
再考までに加藤判事が過去に下した池田大作氏を被告とする裁判の判決に関する評論をリンクしておこう。訴権の濫用という日本の裁判ではきわめて珍しい判決で、池田氏を完全勝訴させている。「訴権を濫用する訴えであるから、不適法なものとして却下する」と判断したのである。