1. 読売掲載の北岡伸一「安全保障議論・戦前と現代、同一視は不毛」を批判する?

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2013年09月25日 (水曜日)

読売掲載の北岡伸一「安全保障議論・戦前と現代、同一視は不毛」を批判する?

9月22日付け読売新聞は、国際大学の学長で、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の座長を務める北岡伸一氏が、「戦前と現代、同一視は不毛」と題する評論を掲載している。

わたしはこの論文を読んだとき、やはり学者の大半は、現場に足を運び事実を検証した上で、みずからの主張を展開する姿勢が完全に欠落していると思った。これは我田引水の評論である。この程度の論考でよく国際大学の学長が務まるものだと驚いている。

北岡氏は、日本の軍事大国化を危惧する人々は、日本が太平洋戦争へと突き進んでいった時代に現在を重複させて自衛力の強化に不安を感じているとした上で、当時と現在の状況が5つの点で異なっていると論じている。それゆえに集団的自衛権の行使を可能にすることは、危惧するには値しないというのである。

◇学者に多い机上の論理

このうち北岡氏が言う第1の「誤解」は、太平洋戦争を始めた時代には、「地理的拡張が国家の安全と繁栄を保証する」という観念が支配していたが、現在はそのような状況にはないという点だ。それゆえに自衛隊の強化を危惧するのは、取りこし苦労に過ぎないと言いたいようだ。

確かに、戦争を否定する世論が国際的な規模で拡大している現在の状況下で、 日本が「新満州国」を築く可能性は皆無である。「新満州国」構想を考えている人など、だれもいない。北岡氏は、だれを指してこのような主張を展開しているのだろうか。

現在における「地理的拡張」とは、必ずしも侵攻先の国を「占領・支配」することではない。時代の変化に応じて、「地理的拡張」の概念も変化している。現在における「地理的拡張」とは、多国籍企業の海外への勢力拡大を意味する。かりに多国籍企業の工場を赤点で表示すれば、赤の領域が多い地域が、多国籍企業による「地理的拡張」が進んでいる国である。

この程度の常識は、国際問題を専門にしている大学生でも理解しているのではないだろうか。

日本は、もともと国内市場を保護することで経済を飛躍的に成長させてきた。そのために企業の海外進出は欧米に比べて遅れをとっていた。ところが円高の進行に伴い、1980年代の中盤から、生産の拠点を日本から、海外へ移す戦略を採用せざるを得なくなっていく。  これに加えてソ連が崩壊して、旧社会主義国の市場が西側へ解放された。1990年代に入って、一気に世界市場が拡大したのである。

◇海外派兵=多国籍企業の防衛の視点が欠落

旧ソ連が崩壊した時、大半の人々は、「これで東西の冷戦が終結した」と考えた。が、実際は国際関係が安定するどころが、米国による軍事大国化の路線が世界を支配するようになったのである。

日本はまずPKOというかたちで、自衛隊を海外へ派遣した。国際協力という口実である。

つまり自衛隊の海外派遣の背景には、日本企業の海外進出と、「米帝国」の世界戦略への加担・便乗という2つの要素があるのだ。しかも、これらは個々バラバラではなく、利害が一致しているのだ。日米共同で海外派兵の体制を整えて、海外に進出した多国籍企業を政変から防衛する体制を整えようというのが、日米の軍事協力の本質である。

「多国籍企業の権益を自国の軍隊が防衛する」??この発想は、戦前から少しも変わっていない。が、タブーに属することなので、マスコミは絶対に口にしない。そのために、日本のメディア報道を見ても、多国籍企業と自国軍隊との親密ぶりがほとんど見えない。

わたしは国際報道の重要な役割のひとつは、日本国内では見えない要素を、海外の典型的な実例を引きながら指摘するこだと思う。その意味では、前世紀までのラテンアメリカは、多国籍企業と軍隊の関係を考える上で、恰好の題材を提供してくれる。

年代順に米軍とCIAによる主な軍事介入(軍事訓練の指導も含む)を追ってみよう。

これらの軍事介入は、すべて進出先の多国籍企業の権益に直結していた。

◇ラテンアメリカへの軍事介入の例

■1954年 グアテマラ

■1961年 キューバ

■1964年 ブラジル

■1965年 ドミニカ共和国

■1971年 ボリビア

■1973年 チリ

■1979年?ニカラグア内戦

■1980年?エルサルバドル内戦

■1983年 グレナダ

■1989年 パナマ

直接の軍事介入はなくても、米国が莫大な軍事援助を行った例としては、ニカラグア内戦とエルサルバドル内戦の時代に、ホンジュラスに対して行った例がある。ホンジュラスを米軍基地の国に変えて、そこをプラットホームとして、ニカラグアとエルサルバドルの革命勢力の弾圧に着手したのである。

中米は、米国のフルーツ会社が巨大な勢力を持つ地域として有名だ。地元の人々が極貧の状態に置かれているのに、港からバナナやパイナップル、コーヒーなどが貨物船で運び出されていくといった矛盾が積もってきた地域である。

このあたりの事情は、拙著『バイクに乗ったコロンブス』(現代企画室)に収録した「将軍たちのいる地峡」と題するルポに詳しい。

◇チリの軍事クーデター

日本でもよく知られている1973年のチリの軍事クーデターは、当時のアジェンデ政権が、米国資本の鉱山を国有化するなどの政策と取ったことなどが背景にある。国有化が多国籍企業の権益を脅かしたのである。

こうした多国籍企業による海外での活動は、今世紀になってますます盛んになっている。が、その一方で世界的な規模で住民運動が台頭している。多国籍企業の独断的な戦略を許さない世論が強くなっている。これが今世紀の著しい特徴である。   ? 当然、多国籍企業が進出先で、批判の対象になることも増えてる。たとえば中国に進出している日本企業の低賃金は、批判対象のひとつである。聞くところによると、日本の多国籍企業は、中国よりも安い賃金を求めて、ベトナムやミャンマーへ進出をはじめているそうだ。

多国籍企業の新天地で政変が起き、多国籍企業の権益を脅かす事態になったとき、軍隊を派兵して鎮圧できる体制を整えておこうというのが、現在の自民党政権が進めている軍事大国化路線の本質である。これを米国と共同で行うために見直そうというのが、集団的自衛権の解釈であり、憲法9条の改正である。

事実、経済同友会が今年の4月5日に発表した「『実行可能』な安全保障の再構築」と題する提言は、改憲によって財界が獲得を目指しているものが何かを露呈している。それは多国籍企業の防衛にほかならない。

(参考=「『実行可能』な安全保障の再構築」の全文)???

余談になるが、憲法9条の改正に賛成しているネオコンの人々は、「日本帝国」の復活を夢見ているひとが多い。が、日本の財界の希望は、日本帝国の復活ではない。そんなことをすれば、アジアでの企業活動に支障をきたすからだ。  彼らが希望しているのは、多国籍企業を政変から守るための、海外派兵体制に他ならない。(続く)