読売新聞に見る旧日本軍に関する記述の変化、過去に吉田清治氏も登場
新聞の編集方針は、時代によってころころと変化するようだ。このところ話題になっている強制連行(従軍慰安婦を含む)など旧日本軍の戦争犯罪を、読売新聞がどのように扱っていたかを調べてみた。
1985年9月27日の朝刊「顔」の欄(冒頭写真)には、吉田清治氏が登場している。改めていうまでもなく、吉田氏は、朝日の「誤報」問題の発端となった人である。吉田氏は、旧日本軍が従軍慰安婦を強制連行した旨の証言をしたが、第3者証言の不在を理由に、証言はウソだったと決めつけられてしまった人物である。
その吉田氏を読売新聞も、かつては肯定的に取り上げている。次のようなタッチである。
(略)強制連行の被害体験を語った記録は数多い。だが、加害者側の日本人が語っているのは、吉田さんだけだ。(略)
強制連行の犠牲者の大半は、いつどこで、どんな状態で亡くなったか分からない。遺骨の所在も不明だ。(略)
従軍慰安婦の強制連行については、1976年8月14日付け朝刊で、久保田二郎氏が「従軍慰安婦の『碑』は恥か」と題する短文を読者欄に投稿している。
日清、日露の武力介入以来、日本軍は戦場の各地で住民婦女子への 暴行事件が絶えず、占領地の治安はみだれ、性病のまんえんするに及んで慰安所(遊郭のたぐい)を開設するようになった。慰安婦の募集は疲弊した農村から甘口とサーベルの威圧の下に行われたようだ。
また、1976年4月19日付けの朝刊「読書」欄では、聖書研究者の佐竹明氏が、「我々が忍んだもの 彼らに忍ばせた罪」と題するエッセイを掲載している。
(略)彼女たちは戦時中朝鮮の地方から十代のうら若さで、だまされて、しかも強制的に狩り出され、日本の将兵の性欲のはけ口の役を果たすべく、有無をいわせず、中国を始めとする前線に配属され連日数十人の相手をさせられたという。
これらの記事から、読売のスタンスがいかに大きく変化しているかが読み取れる。