読売の検索結果

2016年02月08日 (月曜日)

報道・出版活動に大きな支障をきたしていた可能性も、読売・江崎法務室長による著作権裁判8周年②

読売新聞西部本社の江崎徹志法務室長が、2008年に起こした著作権裁判の検証の2回目である。この裁判では、江崎氏が書いた次の文章が著作物であると述べた催告書が争点になった。

前略  読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
    2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。

催告書は、この文章が著作物であると述べているのだが、裁判所は催告書の内容自体を争点にしなかった。わたしの弁護団は書かれた内容を問題視したが、裁判所は争点にしなかった。

争点になったのは催告書の方である。次の文面である。

冠省 貴殿が主宰するサイト「新聞販売黒書」に2007年12月21日付けでアップされた「読売がYC広川の訪店を再開」と題する記事には、真村氏の代理人である江上武幸弁護士に対する私の回答書の本文が全文掲載されています。

しかし、上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり、未公表の著作物ですので、これを公表する権利は、著作者である私が専有しています(著作権法18条1項)。  貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。

そして、このような違法行為に対して、著作権者である私は、差止請求権を有しています(同法112条1項)ので、貴殿に対し、本書面到達日3日以内に上記記事から私の回答を削除するように催告します。  

貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を採ることとなりますので、この旨を付言します

■出典(原文)

この文章の著作物性が争点になったのだ。

◇「思うこと」と「客観的な実在」の混同

催告書が江崎氏の著作物であるとして、著作者人格権に基づいた救済を求める喜田村弁護士の主張は、たとえば4月14日付け準備書面の「2 本件『催告書』の著作物性」の章に書かれている。

■4月14日付け準備書面

一部を引用してみよう。

 著作物は、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」(著作権法2条1項1号)と定義されている。

 このうち「思想又は感情〔の〕表現」との要件については、本件「催告書」の内容が被告による原告の「回答書」無断掲載が違法であることを論じ、救済を求めたものであるから、これを満たすことが明らかである。

こうした思考のどこに誤りがあるのだろうか。結論を先に言えば、「思うこと」と「客観的な実在」の混同である。よくありがちな間違いで、いわゆる観念論の思考と、唯物論の思考の違いである。

「思うこと」とそれを言葉で表現した文章が存在することはまったく別次元なのである。なにかを心の中で考えたり、感じたりしても、それを言葉として表現できるとは限らない。むしろ出来ない人の方が多いのだ。

この催告書には、客観的な「思想又は感情〔の〕表現」はどこにもない。

わたしはこの催告書に著作物性があるかないかを、何人かの専門家に質問してみた。その結果、多少の著作物性があると回答した人もいた。しかし、削除を求めるほどのオリジナリティはないという意見だった。

東京地裁は、著作物性はないという判断を示している。知財高裁は、この点についての判断を避けている。

ちなみに喜田村氏らの敗因は、催告書の名義人を「江崎」に偽って提訴に及び、著作者人格権による救済を求めたことだった。虚偽を前提に、準備書面を作成し、それを裁判所に提出し、みずからの主張を展開していたのである。それが裁判の中で発覚したのだ。

仮に催告書が著作物として認定されていたら、日本の出版業界は、報道・出版活動に大きな支障をきたしていただろう。その意味でこの裁判はさらなる再検証を要する。

【参考資料】

■原告準備書面(2008年7月14日)

■被告による求釈明

■著作権裁判訴状

■知財高裁判決

 

2016年02月05日 (金曜日)

喜田村洋一弁護士が作成したとされる催告書に見る訴権の濫用、読売・江崎法務室長による著作権裁判8周年①

2008年2月25日に読売新聞西部本社の江崎徹志法務室長が、東京地方裁判所にわたしを提訴してから、今年で8年になる。この裁判は、わたしが「新聞販売黒書」(現MEDIA KOKUSYO)に掲載した江崎氏名義のある催告書の削除を求めて起こされた著作権裁判だった。

その後、読売はわずか1年半の間にわたしに対して、さらに2件の裁判を起こし、これに対抗してわたしの方も読売に対して、立て続けの提訴により「一連一体の言論弾圧」を受けたとして、約5500万円の損害賠償を求める裁判を起こしたのである。さらにこれらの係争に加え、読売の代理人・喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)に対する懲戒請求を申し立てたのである。

喜田村氏は4件の裁判のいずれにもかかわった。

提訴8周年をむかえる著作権裁判は、対読売裁判の最初のラウンドだった。

読売・江崎氏の代理人には、喜田村弁護士が就任した。一方、わたしの代理人は、江上武幸弁護士ら9名が就いた。

しかし、この裁判の発端は、福岡県広川町にあるYC広川(読売新聞販売店)と読売の間で起こった改廃(強制廃業)をめぐる事件だった。当時、「押し紙」問題を取材していたわたしは、真村事件と呼ばれるこの係争を取材していた。

◇公募で新聞販売店主に

YC広川の店主・真村久三氏は、もともと自動車教習所の教官として働いてきたが、40歳で新聞販売店の経営を始めた。読売が販売店主を公募していることを知り、転職に踏み切ったのである。脱サラして自分で事業を展開してみたいというのが、真村氏のかねてからの希望だった。

幸いに真村氏は店主に採用され、研修を受けたあと、YC広川の経営に乗りだした。1990年11月の事だった。ところがそれから約10年後、読売新聞社との激しい係争に巻き込まれる。

その引き金となったのは読売新聞社が打ち出した販売網再編の方針だった。真村氏は、YC広川の営業区域の一部を隣接するYCへ譲渡する提案を持ちかけられたのだ。が、YC広川の営業区域はもともと小さかったので、真村氏は譲渡案を受け入れる気にはならなかった。それに自助努力で開業時よりも、読者を大幅に増やしていた。

読売の提案を聞いたとき真村氏は、自分で開墾した畑を奪い取られるような危機を感じたのだ。

当然、読売の提案を断った。これに対して読売は、真村氏との取引契約を終了する旨を通告した。その結果、裁判に発展したのだ。これが真村訴訟と呼ばれる有名な訴訟の発端だった。が、係争が勃発したころは、単に福岡県の一地方の小さな係争に過ぎなかったのだ。江上弁護士も、読売の実態をあまり知らなかったし、後にこの判決が「押し紙」問題の有名な判例になるとは予想もしていなかった。

■真村裁判・福岡高裁判決

真村事件の経緯は膨大なので、ここでは省略するが、結論だけを言えば、裁判は真村氏の勝訴だった。喜田村弁護士が東京からやってきて加勢したが及ばなかった。判決は、2007年12月に最高裁で確定した。

◇真村訴訟

わたしが読売との係争に巻き込まれたのは、真村訴訟の判決が最高裁で確定する数日前だった。真村氏が福岡高裁で勝訴したころから、YC店主が次々と江上弁護士に「押し紙」(残紙)の相談を持ちかけるようになった。店主のあいだで新しい店主会-新読売会を立ち上げる動きもあった。

こうした状況下で、読売も方針を転換したのか、それまで「死に店扱い」にして、訪店を控えていたYC広川への訪店を再開することにした。そしてその旨を真村氏に連絡した。

しかし、読売に対して不信感を募らせていた真村氏は即答を控え、念のために江上弁護士に相談した。訪店再開が何を意味するのか確認したかったのだ。江上弁護士は、読売の真意を確認するための内容証明郵便を送付した。これに対して、読売の江崎法務室長は、次の書面を送付した。

前略  読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
    2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。

わたしは、新聞販売黒書で係争の新展開を報じ、その裏付けとしてこの回答書を掲載した。何の悪意もなかった。しかし、江崎氏(当時は面識がなかった)はわたしにメールで次の催告書(PDF)を送付してきた。

冠省 貴殿が主宰するサイト「新聞販売黒書」に2007年12月21日付けでアップされた「読売がYC広川の訪店を再開」と題する記事には、真村氏の代理人である江上武幸弁護士に対する私の回答書の本文が全文掲載されています。

しかし、上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり、未公表の著作物ですので、これを公表する権利は、著作者である私が専有しています(著作権法18条1項)。  貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。

 そして、このような違法行為に対して、著作権者である私は、差止請求権を有しています(同法112条1項)ので、貴殿に対し、本書面到達日3日以内に上記記事から私の回答を削除するように催告します。  

貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を採ることとなりますので、この旨を付言します。

わたしは、今度はこの催告書を新聞販売黒書で公開した。これに対して、江崎氏は、催告書は自分の著作物であるから、著作者人格権に基づいて、削除するように求めてきたのである。

が、催告書の作者は別にいたのだ。東京地裁と知財高裁は、喜田村洋一弁護士か、彼の事務所スタッフが本当の作者である可能性が極めて強いと認定して、江崎氏の訴えを退けたのだ。

彼らは催告書の名義人を「江崎」に偽って提訴し、法廷で著作者人格権を主張したのだ。もともと提訴権がないのに、虚偽の事実を前提に裁判を起こしたのである。

このあたりの事情については、弁護団声明を参考にしてほしい。弁護団は、この事件を「司法制度を利用した言論弾圧」と位置づけている。

■弁護団声明

◇怪文書・恫喝文書

さて、提訴8周年にあたる今年は、喜田村弁護士が執筆したとされる「江崎名義」の催告書の内容を検証しよう。著作権裁判では、とかく文章の形式が検証対象になり、書かれた内容には重きがおかれない傾向があるが、ジャーナリズムでは、書かれた内容そのものを検証する。

結論を先に言えば、これは怪文書である。あるいは恫喝文。しかも、それが自由人権協会の代表理事によって作成されたのだ。

繰り返しになるが、この催告書の作者は、催告書の中で、江崎氏が江上弁護士に送付した書面を新聞販売黒書から削除するように求めてきたのである。その送付された書面を再度引用してみよう。

前略  読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
    2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いします。当社販売局として、通常の訪店です。

つまり催告書は、上に引用した書面が江崎氏の著作物なので削除するように求めているのだ。そしてそれに従わない場合は、民事訴訟か刑事訴訟も辞さない旨をほのめかしているのだ。

著作権法の知識に乏しいわたしは、著作権法でいう「著作物」の定義を調べてみた。すると次のような記述があった。

  一 、著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

江崎氏が江上弁護士に送付した書面は、どの角度から見ても、著作物ではない。念のために複数の専門家に問い合わせみたが、この書面が著作物だとする人はひとりもいなかった。

それにもかかわらず催告書は、江上弁護士へ送られた書面は江崎氏の著作物なので、それを削除しなければ、民事訴訟か刑事訴訟も辞さない旨を述べているのだ。わたしは、この文書を怪文書・恫喝文書としか評価できなかった。それゆえにそれを新聞販売黒書に載せたのだ。読売の法務室長が奇妙な文書を送ってきたという思いで。これ自体が大きなニュースだった。

◇喜田村弁護士が言及した著作物の定義

その後、わたしは著作物に関する喜田村弁護士の言動を注視するようになった。と、2013年の5月になって宝島社から『佐野真一が殺したジャーナリズム』という本が出版された。この本に、喜田村弁護士が「法律家がみた『佐野眞一盗用問題』の深刻さ」と題する一文を寄せた。

その中ではからずも喜田村氏が著作物の定義に言及していることが分かった。取材の協力者のひとりが情報を寄せてくれたのだ。同書の中で、喜田村弁護士は「著作物」について、次のように記している。

略)まず、著作物は「表現」でなければならないから、「思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など」で、表現でないものは、著作物になりえない。
 たとえば、「○月○日、△△で、AがBに~と言った(AがBを手で殴りけがをさせた)」いうような事実ないし事件そのものは、表現ではないから、著作権法の対象ではない。同様に、「ある事件についての見方」とか、「ある事件を報じるにあたっての方法」といったアイデアに属するものも、表現ではないから、著作権法の保護は受けられない。
 また、創作性がなければならないから、ごく短い文章で、誰が書いても同じようになるようなものであれば、これも著作物ではない。(略)

■喜田村弁護士が明記している著作物の定義

裁判所は、催告書の作者が喜田村弁護士である高い可能性を認定したが、たとえ作者が名義人の江崎氏であっても、代理人弁護士の喜田村氏が、催告書の内容を確認していないはずがない。読めば、内容それ自体がデタラメであることが分かったはずだ。なぜ、訴訟を思いとどまらせなかったのだろうか。なぜ、催告書の内容が間違っていることを指摘しなかったのだろうか。

これが訴権の濫用でなくして何だろうか?

著作権裁判の検証は、これから9年目に入る。

■著作権裁判訴状

■知財高裁判決・全文

2016年01月22日 (金曜日)

読売裁判の中で、見解を180度変更した竹内啓・東京大学名誉教授の陳述書に見る日本の統計学者の実態

次の書面は、2009年に読売新聞社が新潮社とわたしに対して提起した「押し紙」をめぐる名誉毀損裁判の中で、東京大学名誉教授であり日本統計協会会長の竹内啓氏が、提出した陳述書である。読売に利する陳述書である。

■竹内啓氏の陳述書

この裁判の発端は、週刊新潮に掲載した記事のなかで、わたしが読売の「押し紙」率を30%から40%と推定したことである。推定の根拠のひとつは、(株)滋賀クロスメディアが滋賀県の大津市などで実施した新聞の購読紙の実態調査だった。

◇滋賀クロスメディアの調査

調査対象は、大津市、草津市、守山市、栗東市、野洲市の24万世帯である。調査の方法は、電話(自動ではない)と個別訪問である。個別訪問でも購読紙が判明しない場合は、滋賀クロスメディアのスタッフが、直接、調査対象世帯のポストをのぞき込んで確認した。

裁判の詳細については、ここでは述べないが、裁判の結果は読売の勝訴だった。地裁、高裁、最高裁とも読売の勝ちだった。

裁判所は、読売新聞の「押し紙」率が30%から40%あるとする推測は、名誉毀損にあたると判断した。「押し紙」は1部も存在しないと認定したのだ。

統計学者の竹内啓氏の陳述書は、読売側の主張-つまり滋賀クロスメディアの調査は信用できないとする主張の裏付けとして、提出されたのである。

ところが、問題となった週刊新潮の記事の中で、竹内氏が滋賀クロスメディアの調査を高く評価していたことを、読者はご存じだろうか?

つまり竹内氏は、読売裁判が起きた後、自分の見解を180度変えたのだ。

記事の中に引用された竹内氏のコメントは次のようなものだった。変更前の見解である。陳述書の内容とは完全に異なり、滋賀クロスメディアの調査を高く評価していたのである。それが週刊新潮に記録として残っている。

その手法は、統計調査として非常にまともだと思います。電話、戸別訪問、そしてポストの確認と、かなり綿密な調査が出来ている。購読判明件数も14万件と多いですし、購読不明の件数が多い点は懸念材料ではありますが、信頼性は非常に高いと思います。

ところが読売が裁判を提起すると、竹内氏は前言を翻して、陳述書を作成し、今度は読売の主張に加勢したのである。

◇NHKの世論調査

わたしが竹内氏の陳述書を引用したのは、日本のメディア界には世論調査の信頼性を判断する基準が極めて曖昧だと感じているからだ。

たとえばNHKが毎月実施する国民の政治意識を調べる調査の手法を取り上げてみよう。直近の調査は、1月 9日(土)~11日(月)の期間に、電話法(RDD追跡法)で行われた。これはコンピューターが選んだ番号に、コンピューターが自動電話をかけて回答を得る方式である。自動電話であるから、受話器から聞こえてくるのはロボットの声である。回答者は電話のボタンを押すかたちで意思表示する。

コンピューターとの「会話」を嫌う人は、即座に電話を切りかねない。また、携帯電話を主要な通信手段にしている若い層は、調査の対象外になりがちだ。
だれが見ても信頼性のある調査方法とは思えない。

1月の調査では、このような方法で1,618件の電話がかけられ、そのうちの 1,043人が回答した。たった1000件の回答から、国民の政治意識を見るデータを作成しているのだ。滋賀クロスメディアが対象とした14万世帯とは比較にならない。

ところがこのNHKの調査は、信憑性のあるデータとして、メディアで公表され、信頼性のあるデータとしてほとんどの人が受け入れている。

わたしは、日本の統計学の学者が、専門家の立場から世論調査を正確に検証しているのか、疑問に思う。NHKなど巨大メディアの世論調査に対して「監視」の役割を果たしているのだろうか。滋賀クロスメディアの調査について見解を変更した竹内氏は、NHKレベルの調査について、どのように考えているのだろうか。

見解を変更するのは、もちろん個人の自由だが、竹内氏は最初の見解が完全に間違っていたと自分で認めたわけだから、陳述書だけではなく、どこかの媒体で、間違い部分を説明すべきだろう。

裁判も終わり、いま検証する時期ではないだろうか。

2016年01月12日 (火曜日)

朝日と読売の差が273万部に、朝日は41万部減、11月のABC部数

2015年11月度のABC部数によると、朝日新聞と読売新聞の発行部数の差が約273万部に開いた。中央各紙の発行部数と、対前年同月差(括弧内)は次の通りである。

朝日:6,634,445      (-408,199)
毎日:3,204,566      (-77,067)
読売:9,368,504      (+23,349)
日経:2,729,020      (-126)
産経:1,568,416      (-36,346)

■2015年11月度のABC部数PDF

朝日新聞は、1年間で約41万部を減らした。これに対して読売は、約2万部を増やしている。インターネットの普及と、貧困の拡大という新聞離れを促進する状況下で、読売の健在ぶりが光る。

◇読売・宮本証言

ちなみにABC部数には「押し紙」が含まれてるが、読売の宮本友丘副社長は、「読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません」(対新潮社・黒薮の名誉毀損裁判の尋問、2000年11月16日)と述べている。村上正敏裁判長も、宮本証言を認定している。

参考までの宮本証言を紹介しておこう。読売の代理人である喜田村洋一・自由人権協会代表理事の質問に答えるかたちで、次のように述べている。

喜田村弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。

宮本読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村弁護士:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村弁護士:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

■宮本証言PDF

◇読売の「押し紙」を認定した福岡高裁判決

宮本証言がある一方、福岡高裁の西理裁判長は、2007年、真村訴訟において事実上、読売による優越的地位の濫用と「押し紙」を認定する判決を下している。次の判決だ。

■真村裁判・福岡高裁判決

◇「押し紙」とは何か?

「押し紙」とは、配達部数を超えて新聞社が販売店に搬入する新聞のことである。たとえば2000部しか配達先がないのに、3000部を搬入すれば、差異の1000部が「押し紙」である。この1000部についても、販売店は新聞の原価を支払わなければならない。

かくて「押し売り」→「押し紙」となる。

しかし、広義には、新聞販売店で過剰になっている残紙全般を指す。常識的に考えて、配達する予定のない商品を販売店が好んで購入することはありえないからだ。あるとすれば、販売店が折込チラシの割り当て枚数(割り当て枚数は、新聞の搬入部数に一致させる基本原則がある)を詐欺的に増やそうと意図する場合である。こうした新聞は、確かに狭義には、「押し紙」ではない。業界用語で「積み紙」という。

朝日新聞が急激に部数を減らしているのは、読者離れというよりは、残紙を整理した結果である可能性が高い。その意味では、健全な方向へ向かっている。

次の動画は、新聞販売店から「押し紙」を回収する場面を撮影したものだ。撮影者は不明。インターネット上のものを紹介する。ビニール包装が解かれていない新聞の束が多量に回収され、おそらくは廃棄されている。重大な環境問題、資源問題でもある。

2015年12月21日 (月曜日)

読売・江崎法務室長による著作権裁判、「戦後処理」係争開始から8年、事件と喜田村弁護士に対する懲戒請求を再検証する

読売新聞西部本社の江崎徹志法務室長が、喜田村洋一・自由人権協会代表理事を代理人として、わたしに対して著作権裁判を起こして8年が過ぎた。「戦後検証」は、係争の発端から8年目に入る。2007年12月21日、江崎氏はEメールでわたしに対してある催告書を送りつけてきた。(判決文、弁護士懲戒請求・準備書面のダウンロード可)

◇新聞販売黒書に掲載した2つの書面

発端は福岡県広川町で起こった読売新聞社とYC広川(読売新聞販売店)の間で起こった強制廃業をめぐるトラブルだった。当時、新聞販売の問題を取材していたわたしは、この事件を取材していた。

幸いに係争は解決のめどがたち、2007年の末に読売はそれまで中止していたYC広川に対する担当員の定期訪問を再開することを決めた。しかし、読売に対する不信感を募らせていたYC広川の真村店主は、読売の申し入れを受け入れるまえに、念のために顧問弁護士から、読売の真意を確かめてもらうことにした。

そこで代理人の江上武幸弁護士が書面で読売に真意を問い合わせた。これに対して、読売は江崎法務室長の名前で次の回答書を送付した。

前略 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
   2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。

わたしは、新聞販売黒書でこの回答書を紹介した。すると即刻に江崎氏(当時は面識がなかった)からメールに添付した次の催告書が送られてきたのである。

冠省 貴殿が主宰するサイト「新聞販売黒書」に2007年12月21日付けでアップされた「読売がYC広川の訪店を再開」と題する記事には、真村氏の代理人である江上武幸弁護士に対する私の回答書の本文が全文掲載されています。

 しかし、上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり、未公表の著作物ですので、これを公表する権利は、著作者である私が専有しています(著作権法18条1項)。  

貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。

 そして、このような違法行為に対して、著作権者である私は、差止請求権を有しています(同法112条1項)ので、貴殿に対し、本書面到達日3日以内に上記記事から私の回答を削除するように催告します。  

 貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を採ることとなりますので、この旨を付言します。

回答書が自分の著作物なので削除するように求めているのだ。(回答書の著作物性については後述する)

わたしは、回答書の削除を断り、逆に今度はこの催告書を新聞販売黒書(現在のメディア黒書)で公開した。これに対して、江崎氏は、催告書は自分の著作物であるから、著作者人格権(注:後述)に基づいて、削除するように求めてきたのである。

が、催告書の作者は江崎氏ではなく、代筆者がいたのだ。少なくとも、後日、裁判所はそう判断したのだ。

◇喜田村洋一・自由人権協会代表理事が登場

わたしは催告書を削除するように求める江崎氏の申し出を断った。その結果、江崎氏は仮処分を申し立ててきた。ここで江崎氏の代理人として登場したのが、名誉毀損裁判や著作権裁判のスペシャリスト、喜田村洋一・自由人権協会代表理事だった。

仮処分は代理人なしに臨み、わたしの敗訴だった。そこで本訴になったのである。わたしの代理人には、江上弁護士ら福岡の販売店訴訟弁護団がついた。

著作権裁判では、通常、争点の文書、この裁判の場合は江崎氏の催告書が著作物か否かが争われる。著作物とは、著作権法によると、次の定義にあてはまるものを言う。

思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

改めて言うまでもなく、争点の文書が著作物に該当しなければ、著作権法は適用されない。

わたしの裁判でも例外にもれず、争点の催告書が著作物か否かが争われた。催告書の著作物性を争った裁判は、日本の裁判史上で初めてではないかと思う。ちなみに、新聞販売黒書に掲載した肝心の回答書の方は、争点にならなかった。

◇意外な決着

裁判は意外なかたちで決着する。裁判所は、「江崎名義」の催告書の著作物性を判断する以前に、そもそも江崎氏が催告書の作成者ではないと判断したのである。つまりもともと江崎氏には著作者人格権を根拠とした「提訴権」がないにもかかわらず、催告書の名義を「江崎」に偽って提訴に及んでいたと判断したのである。

なぜ、裁判所はこのような判断をしたのだろうか。詳細は判決に明記されているが、ひとつだけその理由を紹介しておこう。催告書の書式や文体を検証したところ、喜田村弁護士がたまたま「喜田村名義」で他社に送っていた催告書とわたし宛ての催告書の形式がそっくりであることが判明したのだ。同一人物が執筆したと判断するのが、自然だった。

つまり催告書を執筆していたのは喜田村弁護士だった。それにもかかわらず江崎氏は、自分が著作権者であることを主張したのだ。認められるはずがなかった。そもそも提訴権すらなかったのだ。

当然、江崎氏は門前払いのかたちで敗訴した。東京高裁でも、最高裁でも抗弁は認められず、江崎氏の敗訴が確定した。

◇だれが作者なのかという問題

おそらく読者の大半は、著作権という言葉を聞いたことがあるだろう。文芸作品などを創作した人が有する作品に関する権利である。その著作権は、大きく著作者財産権と著作者人格権に分類されている。

このうち著作者財産権は、作品から発生する財産の権利を規定するものである。たとえば作者が印税を受け取る権利である。この権利は第3者にも譲渡することができる。

これに対して、著作者人格権は、作者だけが有する特権を規定したものである。たとえば未発表の文芸作品を公にするか否かを作者が自分で決める権利である。第3者が勝手に公表することは、著作者人格権により禁じられている。

著作者人格権は、著作者財産権のように他人に譲渡することはできない。「一身専属」の権利である。

代理人は、既に述べたように、喜田村洋一・自由人権協会代表理事だった。
裁判所は判決の中で、催告書を執筆したのは喜田村弁護士か彼の事務所スタッフであった高い可能性を認定した。

◇弁護士懲戒請求

弁護士職務基本規程の第75条は、次のように言う。

弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。

喜田村弁護士は、問題になった「江崎名義」の催告書をみずから執筆していながら、江崎氏が書いたという前提で裁判の準備書面などを作成し、それを裁判所に提出し、法廷で自論を展開したのである。

当然、弁護士職務基本規程の第75条に抵触し、懲戒請求の対象になる。わたしが懲戒請求に踏み切ったゆえんである。

◇弁護士倫理の問題

なお、裁判の争点にはならかなったが、喜田村弁護士に対する懲戒請求申立ての中で、わたしが争点にしているもうひとつの問題がある。ほかならぬ催告書に書かれた内容そのものの奇抜性である。

著作権裁判では、とかく催告書の形式ばかりに視点が向きがちだが、書かれた内容によく注意すると、かなり突飛な内容であることが分かる。怪文書とも、恫喝文書とも読める。端的に言えば内容は、江崎氏がわたしに送付した回答書が江崎氏の著作物なので、削除しろ、削除しなければ、刑事告訴も辞さないとほのめかしているのだ。

回答書は、本当に著作権法でいう著作物なのだろうか?再度、回答書と著作権法の定義を引用してみよう。

【回答書】 前略 読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
  2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。

【著作物の定義】 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

誰が判断しても、著作物ではない。しかも、この内容の催告書を書いたのは、著作権法の権威である喜田村弁護士である。回答書が著作物ではないことを知りながら、催告書には著作物だと書いたのだ。

弁護士として倫理上、こうした行為が許されるのか疑問がある。が、日弁連はこの懲戒請求を喜田村弁護士を調査することなく却下した。

わたしは今でも、この判断は間違っていると考えている。

■知財高裁判決

■参考資料:懲戒請求申立・準備書面(1)

2015年11月11日 (水曜日)

朝日新聞販売店は警察署の広報部か? 世田谷区のASA16店が警察との連携で日本新聞協会(白石興二郎会長[読売])から表彰される

メディア黒書でかねてから、奇抜でにわかに信じがたい現象として報じてきた事柄のひとつに新聞人と警察の「友好関係」がある。ジャーナリズムの重要な役割のひとつは、権力の監視である。その権力組織と親密になって情報をもらったり、なんらかの協力関係を構築することは、ジャーナリズムの基本原則そのものを崩してしまう。新聞ジャーナリズムの死活問題にほかならない。

日本新聞協会が主宰している「地域貢献賞」を呼ばれる賞がある。今年、この賞を受けた団体のひとつに東京世田谷区のASA(朝日新聞販売店)16店がある。受賞理由は、警察署と協働で防犯活動に取り組んでいるというものである。

新聞協会のウエブサイトによると、受賞理由は次のようになっている。

東京都世田谷区の成城警察署管内16の朝日新聞販売所ASAは、2005年から地域で発生した事件や防犯対策をまとめた「朝日新聞 防犯ニュース」を毎月4万4000部発行し、新聞に折り込んで配布している。警察署から提供される最新の情報を広く読者に届けることで、地域で暮らす人々の安全・安心に寄与している。

取り上げる情報は、高齢者を狙う振り込み詐欺や悪質商法の事例からひったくり対策、スマートフォン利用の危険性など幅広い。身近で起きる犯罪や事故への対策を詳しく紹介しており、安全なまちづくりに貢献する存在となっている。

「警察署から提供される最新の情報を」まとめて『朝日新聞 防犯ニュース』を発行し、新聞折込のかたちで配布しているというのだ。こうした活動には次のような問題点がある。

警察にとって好都合な情報だけが開示されて、住民に広報されている可能性が高い。

ASAの側から警察に恩を売ることで、かりに「押し紙」や折込広告の水増し・廃棄などが発生した場合も、刑事事件として処理されなくなる可能性が高い。事実、「押し紙」と折込広告の問題が取り締りの対象になったことは、皆無ではないにしろ、ほとんどない。

警察業務の一部が新聞販売網に入り込んでくることになり、公権力から独立したジャーナリズムの原則が完全に崩壊してしまう。

①から③のような重大な問題を新聞人が認識していないのだから、問題は相当に深刻といえよう。野球賭博が発覚した読売ジャイアンツの取締役オーナーでもある日本新聞協会の会長・白石興二郎氏が、この不祥事を理由に会長を辞任しないわけだから、「腐敗」や「癒着」についての認識があまい。

◇読売防犯協力会

ちなみに警察と新聞販売店の協力関係は、朝日に限ったことではない。YC(読売新聞販売店)が全国読売防犯協力会という組織をつくって警察に協力してきた事実は新聞業界内では周知となっている。同協会のウエブサイトは、会の目標について次のように述べている。

わたしたちの防犯活動の基本は「見ること」と「見せること」です。街をくまなく回って犯罪の予兆に目を配ります。そして、オレンジ色のベストや帽子を犯罪者に見せつけ、「この街は犯罪をやりにくい」と思わせることも狙っています。さらに、新聞のお家芸である情報発信なども含め、活動の目標は次の4点に集約できると思います。

1.配達・集金時に街の様子に目を配り、不審人物などを積極的に通報する

2.警察署・交番と連携し、折り込みチラシやミニコミ紙などで防犯情報を発信する

3.「こども110番の家」に登録、独居高齢者を見守るなど弱者の安全確保に努める

4.警察、行政、自治会などとのつながりを深め、地域に防犯活動の輪を広げる

日ごろから地域のみなさんのお世話になっているYCスタッフたちは、少しでも地元のお役に立ちたいと思っております。街で見かけたときは、気軽に声をかけていただければ幸いです。
新聞配達員や集金員が路地の隅々にまで、あるいは家庭の中にまで視線を走らせる行為は、「おせっかい」ではすまないだろう。何を基準に「犯罪の予兆」と判断するのかは個人差があるわけだから、彼らがスパイに変質する可能性も孕んでいる。

ちなみに全国読売防犯協力会と覚書を交わしている都道府県の警察は次の通りである。年月日は、覚書を交わした日を示す。

高知県警 2005年11月2日
福井県警 2005年11月9日
香川県警 2005年12月9日
岡山県警 2005年12月14日
警視庁 2005年12月26日
 
鳥取県警 2005年12月28日
愛媛県警 2006年1月16日
徳島県警 2006年1月31日
群馬県警 2006年2月14日
島根県警 2006年2月21日

宮城県警 2006年2月27日
静岡県警 2006年3月3日
広島県警 2006年3月13日
兵庫県警 2006年3月15日
栃木県警 2006年3月23日

和歌山県警 2006年5月1日
滋賀県警 2006年6月7日
福岡県警 2006年6月7日
山口県警 2006年6月12日
長崎県警 2006年6月13日

茨城県警 2006年6月14日
宮崎県警 2006年6月19日
熊本県警 2006年6月29日
京都府警 2006年6月30日
鹿児島県警 2006年7月6日

千葉県警 2006年7月12日
山梨県警 2006年7月12日
大分県警 2006年7月18日
長野県警 2006年7月31日

福島県警 2006年8月1日
佐賀県警 2006年8月1日
大阪府警 2006年8月4日
青森県警 2006年8月11日

秋田県警 2006年8月31日
神奈川県警 2006年9月1日
埼玉県警 2006年9月14日
山形県警 2006年9月27日

富山県警 2006年9月29日
岩手県警 2006年10月2日
石川県警 2006年10月10日
三重県警 2006年10月10日
愛知県警 2006年10月16日

岐阜県警 2006年10月17日
奈良県警 2006年10月17日
北海道警 2006年10月19日
沖縄県警 2008年6月12日

2015年10月22日 (木曜日)

読売ジャイアンツの野球賭博、新聞協会会長の白石興二郎氏(読売)は辞任を

次に示すのは、野球賭博が発覚した読売ジャイアンツの首脳陣である。

取締役最高顧問:渡辺恒雄
取締役オーナー:白石興二郎
代表取締役会長:桃井恒和
代表取締役社長:久保博

この4名は新聞人でもある。

改めていうまでもなく、渡辺恒雄氏は新聞業界の重鎮である。白石興二郎氏は、日本新聞協会の現会長である。桃井恒和氏は、読売新聞社の社会部長などの経歴がある。久保博氏もやはり読売新聞社の出身である。

◇特異な日本の新聞業界

プロ野球は代表的な興行のひとつである。その興行を事業とする組織の幹部を新聞人が担っている事実を、読者は奇妙に感じないだろうか? しかも、読売ジャイアンツの経営にかかわる人事は、聞くところによると、出世コースらしい。

わたしが知る限りでは、新聞業と興行が合体した例は、日本を除いてほかにはない。両者は異質なものであるからだ。

それにジャーナリスト(広義の新聞記者)として仕事をしてきた者が、興行の世界へ投げ込まれるのは、非常な屈辱だと思うのだが、これに関しても当事者からの嘆きの声を耳にしたことはまったくない。記者として真実を追及した者であればあるほど、屈辱的な人事に感じられると思うのだが。

ちなみに新聞社の主筆が一国の首相と会食を重ね、新聞記者もそれを黙認しているという話も、海外ではまったく聞いたことがない。

◇内部告発とは無縁の新聞記者

しかし、読売新聞社と読売ジャイアンツの関係は、特異な日本の新聞業界を象徴する現象のひとつにすぎない。わたしが最初に日本の新聞業界に違和感を持ったのは、東京に移住した1990年だった。80年代は大半を海外で過ごしたので、日本の慣習がよく分からないままの移住だった。

住居をきめてすぐに訪ねてきたのが、毎日新聞の新聞勧誘員だった。戸口でいきなり洗剤4箱を差し出してきたので、わたしは驚いて身を引いた。新聞を購読してもらいたいという。断ると洗剤だけでもいいので受け取ってくれという。そこで「ありがとう」と言って洗剤を受け取り奥に入ると、玄関から「契約をしてください」という声が聞こえてきた。

「契約はしない」

「なら、洗剤を返してくれ」

「受け取ってくれと言ったではないか」

こんなやり取りの後、わたしは勧誘員に洗剤を返した。
次にやってきたのは、人相の悪い読売新聞の勧誘員だった。こちらは、自分はヤクザの幹部と懇意にしていると自己紹介してから、

「今、新聞契約をすると、○○組の者に、煩わされなくてすむぞ!」

と、言った。

この勧誘員も追い返したが、この時、わたしは日本の新聞ジャーナリズムの正体とは何かを本気で疑った。新聞購読は、ジャーナリズムの質を読者が評価して、決めるものだという考えがあったからだ。わたしは、日本の新聞記者は、みずからが制作した新聞の販売方法に対して恥ずかしいという感情を抱かないのかと疑った。

その後、わたしは偶然に「押し紙」問題を取材することになるのだが、現在まで一貫して感じているのは、新聞業界の足元にはジャーナリズムの根本にかかわる大変な問題が山積している異常さである。それにもかかわらず、同じ「敷地内」にいる記者がまったく内部告発をしない異常さである。長い目でみれは、これは癌を放置するに等しい選択肢なのだが。

重大な問題の内部告発を控えていれば、みずからが制作している新聞の信頼性そのものに疑いの視線が向けられるからだ。読者の質が高ければ高いほど、新聞の情報に疑いの目を向ける。

◇野球賭博は氷山の一角

今回の野球賭博の発覚は、見方によれば闇の中からたまたま頭をだした不祥事のひとつに過ぎない。新聞業界には、改めなければならない問題が山積している。

今回の賭博問題で、白石興二郎氏は、日本新聞協会の会長を辞任すべきだろう。

2015年10月06日 (火曜日)

朝日は47万部減、読売は13万部減、長期低落傾向に歯止めはかからず、8月のABC部数

【サマリー】2015年8月度の新聞のABC部数が明らかになった。この1年で朝日は約47万部を減らし、読売は約13万部を減らした。新聞の長期低落傾向に歯止めがかかっていないことが分かった。

2015年8月度の新聞のABC部数が明らかになった。中央5紙の長期低落傾向には、まったく歯止めがかからず、新聞産業が奈落の底へ一直線に進んでいる実態が明らかになった。具体的な数字は次の通りである。(括弧)内は、対前年同月差である。

朝日新聞  6,783,437 (-468,840)
読売新聞  9,101,798(-132,046)
毎日新聞  3,248,393(- 55,430)
日経新聞  2,726,561 (- 37,422)
産経新聞  1,599,127 (-  1,865)

1年の間に朝日は約47万部、読売は約13万部を減らしている。

読売はガストなどファミレスで新聞を無料提供しているが、従来のこのPR戦略に加えて、最近では英字新聞「The Japan News」も配布している。そのThe Japan Newsの発行部数は、2万2106部である。対前年同月差は、-1238部である。読売本紙に比べて、事業規模は極めて小さい。

読売KODOMOは、18万6228部で、対前年同月差は2万6439部の減部数となった。

地方紙・ブロック紙は、この1年で総計27万4851部を減らした。

なお、ABC部数には「押し紙」が含まれているので、ABC部数がそのまま実配部数を反映しているわけではない。

■2015年8月度のABC部数

2015年10月01日 (木曜日)

「押し紙」70年⑫ 第2次真村裁判、黒薮の取材を受けたことが改廃理由に、この裁判でも喜田村洋一・自由人権協会代表理事が読売代理人に

【サマリー】  第2次真村裁判とは、第1次裁判の判決確定により、YC広川・真村店主の地位が保全された7か月後に、読売がやはり真村氏に対して断行した販売店改廃に端を発した地位保全裁判である。結論を先に言えば、真村氏は敗訴した。

 この第2次裁判は、さまざまな問題を含んでいる。たとえば真村氏の解任を認める理由として、わたし(黒薮)の取材を受けたことなどがあがっている。
言論・表現の自由にかかわる問題が浮上したのである。しかも、新聞社がかかわっているのである。

 この裁判でも、やはり自由人権協会の喜田村洋一代表理事が、読売代理人として福岡へ通い続けたのである。

さて、第2次真村裁判を紹介しよう。

すでに述べたように2007年12月、第1次真村裁判の判決が最高裁で確定して、YC広川の真村店主は、店主としての地位を守った。ところがそれから約半年を経た2008年7月、読売は真村氏との取引契約が満期になったのを機に、契約更新を拒否した。真村氏は店主としての地位を失ったのである。

一見すると契約満期に伴う更新拒否であるから、法的に問題がないように思われるが、販売店を開業するにあたっては多額の投資をしていることや、新聞販売業が家業としての側面を持っていることなどからして、継続的契約とみなされ、正当な改廃理由がないのに、更新を拒否することはできない。

ところが読売は、最高裁で真村氏の地位保全が確定した7か月後に、YC広川を強制改廃したのである。見方によれば、司法に対する正面からの挑戦といえるだろう。自己中心的な新聞人の体質を露呈した事件ともいえよう。

◇真村氏が再び法廷へ

当然、真村氏は再び地位保全裁判を提起せざるを得なかった。第1次真村裁判の終了から、たった7か月のブランクを経て、再び地位保全裁判の法廷に立つことになったのである。

江上武幸弁護士ら真村氏サイドは、仮処分の申し立てと、本訴を平行する戦術を取った。仮処分を申し立てたのは、早急に販売店の業務を再開して生活の基盤を確保する必要があったからだ。

第2次裁判が検証対象とした期間は短かった。2007年12までの真村氏の行動に関しては、店主を解任される正当な理由は存在しないという司法認定を受けたわけだから、それ以後の時期、つまり2008年1月から、解任される7月末までの7か月のあいだに、真村氏を解任するだけの真っ当な理由が存在するかどうかが、検証点になる。

当然、江上武幸弁護士らは、第2次裁判での真村氏の敗訴はあり得ないと見ていた。わたしは当時、少なくとも10人ぐらいの知り合いの弁護士に、見解を問うてみたが、口をそろえて真村氏の敗訴はあり得ないと返答した。

実際、仮処分の申し立てでは、真村氏が勝訴した。1審から、4審にあたる最高裁への特別抗告まで真村氏の勝訴だった。喜田村洋一・自由人権協会代表理事ら読売側は、真村氏の「首切り」を執拗に主張したが認められなかった。

◇読売、司法命令に従わず

仮処分の第1審で勝訴した後、読売は仮処分命令に従い、真村氏を店主として復帰させるものと思われた。が、驚くべきことに喜田村弁護士らは、仮処分命令に従わなかったのだ。

これに対して江上弁護士らは、間接強制金を請求した。裁判所もこれを認め、読売は1日に3万円の「制裁金」を真村氏に支払うことになったのである。読売は2審、3審、4審と敗訴したので、「制裁金」の累積は、約2年半で約3600万円にもなった。

ちなみに間接強制金は、本訴で敗訴した場合、支払い元へ返済しなければならない。ある意味では理不尽な制度である。

読売が仮処分命令に従っていれば、真村氏は事業を再開でき、自分で生活の糧をえることが出来た。しかし、読売が命令に従わなかったから、真村氏は業務を再開できず、やむなく「制裁金」を受け取り、生活費や販売店の店舗のメンテナンスにあてていたのである。

本訴の最初の判決(福岡地裁)は、2011年3月15日に下された。審理は2年8か月に及んでいた。予想に反して真村氏の敗訴だった。裁判には圧倒的に強い読売が勝訴したのである。

この時点で、真村氏に3600万円の「制裁金」を読売に返済する義務がのしかかってきた。実際、後日、喜田村弁護士らは、真村氏の資産を仮に差し押さえる措置に出てくる。

■喜田村弁護士らが作成した不動産仮差押命令申立書

本訴では控訴審も上告審も、真村氏の敗訴だった。裁判所は、第1次裁判終了から後の7か月のあいだに、真村氏を解任に値する理由があったと判断したのである。

その理由は暗い好奇心をかきたてる。詳しくは、日を改めて報告するが、代表的な理由をひとつあげよう。

真村氏がわたし(黒薮)の取材に協力したことである。喜田村弁護士らが作成した準備書面には、黒薮批判も登場する。言論・表現の自由にかかわる問題である。喜田村氏らの書面は、記録として永久保存しているので、機会があれば公開しよう。【続】

2015年09月30日 (水曜日)

「押し紙」70年⑪ 読売裁判と喜田村洋一・自由人権協会代表理事のかかわり

【サマリー】真村裁判の判決が確定した後、敗訴した読売が攻勢に転じる。2008年2月から読売は、わたしに対しする2件の裁判提起をはじめ、YC久留米文化センター前の店主の解任、それに伴う地位不存在を確認する裁判を起こした。これらの裁判に、読売の代理人としてかかわってきたのが、自由人権協会の代表理事である喜田村洋一弁護士だった。

 真村氏は今も係争中だ。1人の人間を10数年に渡って法廷に縛り付けることに、人権上の問題はないのだろうか?自由人権協会とは、何者なのか?新聞社とは何か?

真村裁判の詳細については、次の記事に詳しい。

■「押し紙」70年⑩、「押し紙」隠しの手口を暴いた真村裁判・福岡高裁判決

既に述べたように、真村裁判はYC広川の真村久三店主が読売新聞西部本社に対して起こした地位保全裁判で、最大の争点は、真村氏が経理帳簿上で「押し紙」の存在を隠すためにせざるを得なかった部数内訳の虚偽記載、虚偽報告が解任理由として正当か否かという点だった。裁判所は、真村氏による虚偽報告が事実であることは認定したが、そうせざるを得ない背景に読売の販売政策があるので、解任理由には該当しないと判断したのである。

判決は2007年12月に最高裁で確定した。真村氏は、YC広川の店主としての地位を守ったのである。

ちなみに販売店の改廃は、新聞社側が「改廃」を通告して、有無をいわさずに新聞の供給をストップする方法が取られることが多い。しかし、YC広川に関しては、読売もこのような強引な方法は採用しなかった。

真村氏の弁護士と読売の弁護士との間に、係争の決着が着くまでは、一方的な販売店改廃は行わないという紳士協定が結ばれていたからである。喜田村洋一・自由人権協会代表理事が東京から駆けつけて、読売の加勢に乗り出す前の時期であった。

◇半年で4件の裁判に

真村裁判の判決が確定したのは2007年12月。が、年が改まり2008年になると予想しない事件が次々と発生する。真村裁判で敗北した読売の攻勢が始まったのだ。主要な動きを時系列に記録して、記憶に留めておこう。

【2月】読売の江崎徹志・法務室長が黒薮に対して、著作権裁判を起こした。江崎氏の代理人は、喜田村洋一弁護士。この裁判の「永久保存資料」(黒薮保管)の中に、喜田村氏が主張する著作物とは何かが記された書面が残っているので、機会があれば原文を紹介しよう。弁護士活動を考えるうえで貴重な記録である。極めて興味深い。

【3月】「押し紙」問題を江上武幸弁護士らに相談して、広義の「押し紙」(残紙)の受け入れを断ったYC久留米文化センター前の平山春雄店主が、店主を解任された。これに先立って、読売は平山店主の地位不存在を確認する裁判を起こしていたことが、後に分かった。代理人は、喜田村洋一弁護士ら。平山氏の側も地位保全裁判を起こした。

【3月】前記の平山事件をウエブサイトで報じた黒薮に対して、読売側が2330万円の金銭などを請求して名誉毀損裁判を起こした。代理人は、喜田村洋一弁護士。2330万円の中には、喜田村氏の弁護士費用として200万円が含まれていた。

【7月】読売が真村氏経営のYC広川を強制的に改廃した。真村氏はただちに地位保全裁判を起こした。これが第二次真村裁判である。この裁判でも、読売側の代理人として、やはり喜田村弁護士が東京から駆けつけ、福岡の弁護士らに加わったのである。

第二次真村裁判は一応の決着はついたが、そこから派生した別の裁判で、真村氏は今も読売と係争中である。1人の人間を10数年に渡って法廷に縛り付けることは、人権問題にほかならない。自由人権協会とは何者なのか?新聞社とは何か?

2015年09月29日 (火曜日)

「押し紙」否定論者の読売・宮本友丘副社長がABC協会の理事に就任していた、実配部数を反映しないABC部数問題に解決策はあるのか?

【サマリー】  「押し紙」否定論(読売に「押し紙」は存在しないという理論)に立つ読売の副社長・宮本友丘氏が、日本ABC協会の理事に就任していることが分かった。ABC部数は、新聞の実配部数を反映していない。その原因は、ABC部数の中に、広義の「押し紙」(残紙)が含まれているからだ。

 宮本理事にABC部数の問題にメスを入れる力はあるのだろうか?

「押し紙」否定論(読売に「押し紙」は存在しないという理論)に立つ読売の副社長・宮本友丘氏が、日本ABC協会の理事に就任していることが分かった。宮本氏は、週刊新潮が掲載した「押し紙」問題の記事に対して、読売が名誉毀損で新潮社とわたしを提訴した際に証人尋問に立った人物である。そして「読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません」と証言したのである。

読売の代理人・喜田村洋一・自由人権協会代表理事の質問に答えるかたちで、次のように証言した。

 喜田村弁護士:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。

宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村弁護士:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村弁護士:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

◇新聞協会、「残紙のことですか?」

「押し紙」問題を考える際には、「押し紙」の定義を明確にしなければならない。が、「押し紙」の定義はひとつだけではない。

「押し紙」は存在しないと主張している新聞人にとって、「押し紙」とは、新聞社が販売店に押し売りをした「証拠がある新聞」のことである。彼らにとって、証拠がない新聞は「残紙」である。あるいは「積み紙」。そんなふうに「押し紙」と残紙を使い分けることで、厳密な意味での「押し紙」は存在しないという理論を堂々と展開してきたのだ。

実際、宮本氏は上記の裁判の陳述書の中でも次のように述べている。

読売新聞社においては、新聞販売店が独自の判断で注文部数を自由に増減できる「自由増減主義」が、販売政策の基本原則です。定数を注文するのは販売店であって、発行本社ではなく、販売店の経営社が独自の裁量で決めています。

こうした「押し紙」否定論は新聞人たちの独自の主張であって、一般的に「押し紙」という場合は、新聞販売店で過剰になっている新聞全般を意味する。押し売りの証拠があろうとなかろうと関係がない。

社会通念からして、販売予定のない新聞を購入することなどありえず、とすればそれはなんらかの口実で押し売りされた新聞に違いないと考えるのが一般的だからだ。確かに新聞社に対する忠誠心などから、販売予定のない新聞を受け入れている販売店もあるが、一般の人々はこうした特殊な裏事情は関知していない。多量の新聞が過剰に販売店にあふれ、廃棄されている事実を、重大な社会問題として認識し、広義の意味で「押し紙」問題と呼んでいるのである。

が、新聞人は後者の事情から視線をそらしてきた。それどころか、「押し紙」という言葉を、みずからの造語「残紙」にすり替えて、問題の直視を避けてきたのである。かつてわたしは新聞協会の職員に、協会は「押し紙」の存在を認めているのか否かを尋ねたことがある。その時、職員は、

「残紙のことですか?」

と、切り返してきたのであった。これはあまりにもしばしば見られる新聞人の対応にほかならない。みずからの過ちは絶対に認めない彼らの体質をよく反映している。

◇公益性が極めて高い「押し紙」問題

新聞のABC部数に広義の「押し紙」、あるいは残紙が含まれてることは、新聞関係者の間ではすでに周知の事実となっている。ABC部数は、実際に配達している新聞部数を反映しなければ意味がない。広告主が、PR活動の基礎データとして利用するからだ。

つまりABC部数においては、過剰になっているいる新聞の性質が「押し紙」であるか、それとも「残紙」であるかという点は重要ではない。過剰になった新聞の中身が「押し紙」であろうと、「残紙」であろうと、ABC部数が実配部数を正しく反映していない実態こそが問題なのだ。

ABC協会の読売・宮本友丘理事は、この問題にどう向き合うのだろうか。

読売VS新潮社の裁判では、ABC部数が実配部数を反映していない問題は争点にはならなかった。争点になったのは、「押し紙」に関する記述そのものが、読売の名誉を毀損したか否かという点だった。当然といえば、それまでだが、これは同時に担当裁判官の視野の狭さを物語っている。

このあたりが日本の裁判官のトンチンカンな部分なのである。公益性が極めて高い問題に対しては、名誉毀損の問題とは別に、訴因となった事件の本質的な部分を検証するのが欧米の常識である。

そもそも名誉毀損の問題は、新聞人がみずからのペンと紙面で反論すれば、それですむことではないだろうか。何のために30年、あるいは40年ものあいだ記者を続けてきたのだろうか。

2015年09月15日 (火曜日)

「押し紙」70年⑨、人権問題としての読売の真村事件と真村裁判、裁判所は読売による「押し紙」を認定したが・・・

【サマリー】 「押し紙」問題を考えるうえで、無視する事ができないのが、真村裁判である。判決の中で裁判所は、新聞社による「押し紙」行為をはじめて認定した。実質的に読売による優越的地位の濫用を認定したのである。

  この真村裁判から派生した裁判は、少なくとも7件起きている。これらの裁判に読売の代理人として常にかかわってきたのが、喜田村洋一・自由人権協会代表理事である。

 真村裁判の全容を伝える連載(1) ・・・。

「押し紙」問題を考えるうえで、無視する事ができないのが、真村裁判である。これは2002年に読売新聞の販売店(YC)の店主ら3名が提起した裁判で、判決の中で裁判所は、新聞社による「押し紙」行為をはじめて認定した。実質的に読売による優越的地位の濫用を批判したのである。

新聞史に残る歴史的な判決にほかならない。

事件の背後には、読売が福岡県の久留米市を中心とした筑後地区で進めていたYCの再編策があったようだ。読売と懇意な関係にあるSという有力店主が読売の協力を得て、次々とYCの経営権を我がものにするようになったことが事件の根底にある。

こうした状況の中で3人のYC店主が、読売から改廃を突きつけられた。

当時、YC広川(広川町)を経営していた真村久三氏も、改廃を宣告された店主のひとりだった。もちろん改廃通告に至るまでには、話し合いや交渉が行われたが、最終的に読売は改廃という店主にとって最も打撃を受ける手段に打って出たのである。

◇東京から喜田村洋一弁護士が読売の援護に

真村氏は久留米市に事務所を構える江上武幸弁護士に相談した。相談を受けたとき、江上弁護士は、それほど深刻には受け止めなかったという。相手方が大新聞社だったので、弁護士が間に入って話し合えば円満に解決できると思ったらしい。が、江上弁護士は、後日、「虎の尾」を踏んだことに気づく。

真村裁判という呼び方から、とかく真村氏だけが原告のように思われがちだが、厳密に言えば、原告は3人のYC店主である。このうち真村氏をのぞくふたりは、裁判の大きな関心事にはならなかった。と、いうのも1人はすでに販売店を改廃されていた関係で、最終的に和解で決着し、もう1人の店主については、読売があまり露骨に攻撃対象にすることがなかったからだ。

そんなわけで真村裁判とは、実質的には真村氏と読売(西部本社)で争われた裁判なのだ。この裁判には、わざわざ東京から辣腕弁護士が読売の支援に駆けつけた。その人こそ、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士である。

喜田村氏は、読売に「押し紙」は一部も存在しないと主張し続けた法律家である。

判決は2007年12月に、最高裁で確定した。

◇真村裁判から派生した裁判

真村裁判からは、複数の裁判が派生している。真村判決の詳細に入る前に、派生した裁判を概略しておこう。

真村裁判の地裁判決が下されたのは、2006年だった。真村氏の勝訴だった。この勝訴に励まされて、YC小笹(福岡市)の元店主・塩川茂生氏が、ただちに「押し紙」裁判を起こした。この裁判を塩川裁判という。

真村氏は、2007年の控訴審でも勝訴した。控訴審でYC側が勝訴したこともあって、YC店主らの間に希望が生まれたようだ。

こうした状況の中で、同地区の店主らが次々と江上弁護士のところへ「押し紙」の相談に訪れるようになった。そして「押し紙」の被害を受けたYC店主らが、新読売会と呼ばれる団体を自主的に立ち上げた。

当時、取材を続けていたわたしは、ようやく新聞社経営の闇にメスが入る時が来たと思った。こうした予測は、2007年12月に真村判決が最高裁で確定した時、確信となった。

しかし、わたしの予想は楽観的すぎた。

まず、真村判決が確定する直前に、わたしに対して喜田村洋一弁護士から催告書が送られてきた。メディア黒書に掲載した読売の文書の削除を求めてきたのである。この事件は2008年2月に本訴へとエスカレートする。

※この事件は、スラップとも関連があるので、保管している準備書面などを順次公開する予定。著作物に関する喜田村弁護士の考えも記されている。

この年の3月1日、新読売会に加わっていたYC久留米文化センター前の平山春雄店主の店を3人の読売社員が訪れ、改廃を宣告した後、関連会社の社員が、翌日に新聞に折り込む予定になっていた折込広告を搬出した。

この事件をわたしはメディア黒書で速報した。そのなかで折込広告の搬出行為を、「窃盗」と表現した。もちろん「窃盗に類するほど悪質」という意味の隠喩(メタファー)として、表現したのである。

が、その2週間後、わたしのもとに読売から訴状が送られてきた。やはり喜田村弁護士が執筆したもので、「窃盗」で名誉を毀損されたなどとして2230万円のお金の支払いを要求してきたのだ。

一方、YCを改廃された平山氏は、読売に対して裁判を起こした。読売も平山氏に対して地位不存在を確認するための裁判を起こした。この裁判にも、東京から喜田村弁護士がかけつけた。

さらに特筆すべき点は、最高裁で勝訴判決が確定した真村氏のその後である。真村氏は、半年後、理不尽にもYCの経営権を奪われることになる。当然、真村氏は再び提訴した。これが第2次真村裁判である。喜田村氏が読売の代理人として、この裁判に加わったことはいうまでもない。

◇一連の裁判のまとめ

2002年 第1次真村VS読売(地位保全)

2006年 塩川VS読売(押し紙)

(2007年 第1次真村裁判の勝訴確定)

2008年  読売(厳密には江崎法務室長が原告)VS黒薮(著作権)

            読売VS黒薮(名誉毀損)

            平山VS読売(地位保全)

            第2次真村VS読売(地位保全)

2009年 読売VS新潮社+黒薮(名誉毀損)

ちなみに真村氏は今なお読売と係争中だ。ひとりの人間を10年以上に渡って法廷に縛り付ける行為は、それ自体が重大な人権問題といえるだろう。(続)

2015年08月25日 (火曜日)

「押し紙」70年⑧、日露戦争の時代から「押し紙」があった、読売・宮本友丘元専務は自社の「押し紙」を全面的に否定

【サマリー】日本新聞販売協会が編集した『新聞販売百年史』によると、日露戦争の当時から「責任紙」と呼ばれる「押し紙」が存在した。しかし、それは表向きは契約によって取り決められたノルマにあたるために、「押し紙」には該当しないという論理の根拠でもあった。

 問題は、こうしたゆがんだ論理が現在にまで受け継がれ、新聞販売店に配達されない新聞が多量に残っている事実があるにもかかわらず、「押し紙」とは見なされていないことだ。弁護士の中にも、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士のように読売には「押し紙」が存在しないという見解の者がいる。

「押し紙」の歴史をさかのぼると、実は日露戦争の時代に行き着く。少なくとも日露戦争のころには、すでに「押し紙」が慣行になっていたとする記述が新聞販売に関する文献の中にある。

先日、国会図書館で閲覧を申し込んだ資料が開示されるのを待つあいだ、新聞関係の便覧が収録された棚の前で書籍を物色した。すると『新聞販売百年史』という本が視線にとまった。発行元は、日販協(日本新聞販売協会)である。

日販協は全国の新聞販売店の同業組合である。現在は、政治連盟を作って政界工作を行うなど問題が多い組織だが、かつては「押し紙」問題にも果敢に取り組んでいた。当然のことだが、新聞販売に関する情報に関しては詳しい。

『新聞販売百年史』の「拡張紙、責任紙と積み紙、抱紙」と題する節(487ページ)に、「押し紙」に関する記述がある。もっとも「押し紙」という言葉の代わりに、「責任紙」という言葉を使っているが、文脈からすれば「押し紙」の意味である。以下、ポイントとなる部分を引用してみよう。

この恒例拡販、不定期の拡張を問わず、拡張の場合は、本社と売捌人との間に、責任部数の契約を行うのを常とした。たとえば、

1,何月何日現在の取扱部数を基本数と定め

1,其の基本数以上に増した部数を純増と称し

1,純増1部に付き金銭幾何の拡張料を交付する

1,従って若干の増紙部数を契約する。其の引受け部数に対して、同数若くは幾倍、または幾数の拡張紙を幾日間交付する。

1,増紙は2ヶ月または3ヶ月の縛りとする

 といった条項がとりきめられるのである。この場合の引受部数はすなわち「責任紙」であって、それを「縛り」と称し、2ヶ月~3ヶ月間は、引受数のものが売れても売れなくても、代金は売捌人として本社へ支払わねばならないのである。責任紙とは引受部数に対するある契約期間代金支払いの責任あることを意味する。

この責任紙の制度もまたいつごろから始まったか不明であるが、日露戦争後盛んに行われるようになった。しかしこれは売捌人としては可なり苦痛なものである。

■出典PDF

厳密に法的な観点からすれば、責任紙の部数を契約で取り決めているわけだから、「押し紙」には該当しないが、新聞販売店と新聞社が対等な立場にあったとは考えられず、この責任紙 を拒否すれば、販売店は経営を持続させてもらえない事情があったと推測される。その意味では、やはり責任紙は「押し紙」を意味すると考えるのが妥当だ。

◇「押し紙をしたことは1回もございません」

日本新聞協会も、新聞社も「押し紙」は一部も存在しないという見解を取ってきた。明治時代の責任紙の論理がそのまま「押し紙」否定論の理論的主軸として受け継がれている。それゆえに配達されない新聞が新聞販売店に山積みになっていても、「あれは新聞社が押しつけた新聞ではない」という詭弁を弄することになるのだ。

参考までに、「押し紙」を否定する新聞経営者がどのように「押し紙」を否定するのか、具体例を紹介しよう。次の引用は、読売が『週刊新潮』とわたしに対して、名誉を毀損されたとして5500万円のお金を支払うように求めた「押し紙」裁判で、読売の宮本友丘専務(当時)が、読売の代理人である自由人権協会代表理事・喜田村洋一弁護士の質問に答えるかたちで証言した内容である。

喜田村:この裁判では、読売新聞の押し紙が全国的に見ると30パーセントから40パーセントあるんだという週刊新潮の記事が問題になっております。この点は陳述書でも書いていただいていることですけれども、大切なことですのでもう1度お尋ねいたしますけれども、読売新聞社にとって不要な新聞を販売店に強要するという意味での押し紙政策があるのかどうか、この点について裁判所にご説明ください。

宮本:読売新聞の販売局、あと読売新聞社として押し紙をしたことは1回もございません。

喜田村:それは、昔からそういう状況が続いているというふうにお聞きしてよろしいですか。

宮本:はい。

喜田村:新聞の注文の仕方について改めて確認をさせていただきますけれども、販売店が自分のお店に何部配達してほしいのか、搬入してほしいのかということを読売新聞社に注文するわけですね。

宮本:はい。

なお、喜田村弁護士は、YC久留米文化センター前店(福岡県)を廃業に追い込んだ裁判でも、読売の「押し紙」を否定している。YC広川の裁判でも、やはり「押し紙」の存在を否定した。