読売の検索結果

2024年03月25日 (月曜日)

読売「押し紙」裁判控訴審、28日に判決

大阪高裁は、3月28日(木)の13:20分に702号法廷で、読売新聞「押し紙」裁判の控訴審判決を言い渡す。当初、判決は3月7日に予定されていたが、急遽、28日に変更になっていた。

大阪地裁での第一審判決は、読売が勝訴したが、裁判所は読売の独禁法違反を一部認めた。控訴審でそれが維持されるかどうかがひとつの注目点になっている。維持された場合、新聞業界への影響は甚大なので、裁判所がそれに配慮するのではないかという見方が販売関係者らの間で広がっている。

「押し紙」問題は1960年代にはすでに浮上しているが、今だに解決のめどは立っていない。インターネットで「押し紙」を検索すると、2500万件もの記述が確認できる。しかし、日本新聞業界と新聞社は、「押し紙」をしたことは一度もないと主張してきた。公正取引委員会も取り締まろうとはしない。日本のジャーナリズムの恥部にほかならない。

読売の代理人には、人権擁護団体のひとつである自由人権協会の代表理事を務めている喜田村洋一弁護士も名を連ね、読売に「押し紙」は1部も存在しないと主張してきた。

 

2024年03月01日 (金曜日)

読売新聞「押し紙」裁判、判決日を3月28日に急遽変更、不自然な裁判の進行

大阪高裁は、3月7日に予定していた読売新聞(大阪)を被告とする「押し紙」裁判の判決日を、急遽延期した。新しく指定した判決日は、3月28日(木)の13:20分である。法廷は702号。

このところ「押し紙」裁判で物議をかもす現象が立て続けに起きている。判決の直前になって判決日が延期されたり、担当裁判官が交代する例が相次いている。いずれのケースでも、最終的に裁判所は、新聞社を勝訴させ販売店を敗訴させている。

「押し紙」裁判が公正に実施されていないのではないかという指摘は以前からあった。わたしもかねてから、この点に疑惑を持っている。

「押し紙」は、今や多くの人が知っている新聞社の汚点であり、しかもそれが半世紀以上も続いてきた。新聞販売店が内容証明で「押し紙」の買い取りを断っていても、損害賠償は認められない。なんとも不思議な現象が続いてきた。

公平な裁判と「押し紙」問題を考える上で、参考までに2つの重要文書を紹介しておこう。

【1】 下記のURLで確認できる文書は、公正取引委員会と新聞協会が、新聞の商取引について話し合ったときの議事録(1999年)である。情報公開請求で入手したものであるが、肝心な部分が黒塗りになっている。

わたしは、「押し紙」ついての公正取引委員会と新聞協会の話し合いの内容を記録した箇所の情報公開を請求したのだが、それに該当する箇所は全部黒塗りになっていた。従って、両者が何を話し合ったかは分からない。

http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2022/09/1ef02ee05325114bdb6d10e32b6a8402.pdf

わたしは「押し紙」問題の取り扱いに関して、公正取引委員会と新聞協会の間に密約があるのではないかと疑っている。

「押し紙」は、新聞社に想像以上に莫大な利益をもたらす。新聞1部の卸値を月額1500円とすれば、10部の「押し紙」で1万5000円の不正収入が生まれる。それが新聞社に入る。100部で15万円、1000部で150万円、1万部で1500万円である。

日本の権力構造の一部である公正取引委員会やそれを管轄する内閣府が、この莫大な金額に着目すれば、新聞社を世論誘導に利用することができる。「押し紙」を取り締まらない代わりに、新聞紙面の内容を暗黙のうちにコントロールできる。裁判所が「押し紙」を断罪しない事情がここにあるとわたしは見ている。

【2】 下記のURLで確認できる文書は、最高裁事務総局が開示した下級裁判所から最高裁に充てた裁判の報告書である。個々の裁判は独立しているように考えられているが、最高裁事務総局が指定した事件については下級裁判所が審理内容を最高裁に逐一報告する制度が存在することをこの文書は裏付けている。この種の裁判は、「報告事件」と呼ばれている。1部の元裁判官らが問題視している。

http://www.kokusyo.jp/justice/16651/

中央紙が被告となっている「押し紙」裁判が報告事件に指定されているという確証はないが、URLリンク先の文書が示すように少なくとも「報告事件」そのものは存在する。従って不自然な裁判の進行が繰り返されれば、一応は報告事件を疑ってみる必要がある。わたしは、最高裁事務総局の指示によって、「押し紙」裁判の判決の方向性が決められていると見ている。

 

2024年01月23日 (火曜日)

読売新聞「押し紙」訴訟・控訴審判決期日のお知らせ

福岡・佐賀県押し紙訴訟弁護団  弁護士 江上武幸

正月早々、能登半島地震・日航機と海保の飛行機の衝突事故など、驚くニュースが次々と飛び込んでくる波乱の年明けとなりました。犠牲になられた方々やご遺族の方々に対し謹んでお悔やみを申し上げます。

読売新聞大阪本社を相手方とした「濱中押し紙訴訟」の大阪高裁判決の言渡期日は、3月7日(木)午後1時20分からと決まりました。また、読売新聞西部本社を相手方とした「川口押し紙訴訟」の福岡高裁判決の言渡期日は4月19日(金)午後1時10分からと決まりました。

濱中訴訟の大阪地裁判決は、濱中さんが販売店経営を開始した月の仕入れ部数の約半分が押し紙であることを認める画期的な判断を示しています。大阪高裁が引き続きこの押し紙を認めるかどうかが注目されます。

川口訴訟の福岡地裁判決は、川口さんが950部の減紙を申し出たのに対し読売新聞が減紙を認めなかった点について減紙拒否の押し紙は認めませんでした。福岡高裁が減紙拒否の押し紙であるとの判断を示す可能性は残されていると考えています。

それぞれの高裁の裁判官達が、独占禁止法新聞特殊指定の「押し紙禁止規定」についてどのような解釈を示すのか、全国的な関心を呼ぶ判決となることは間違いありません。

販売店経営者の方から、押し紙裁判を起こしてもどうせ新聞社には勝てないのでしょうと言われることがありますが、「やってみないとわかりませんよ。勝ち負けは裁判官次第ですから。」と答えています。

福井県の関西電力大飯原発運転差し止め判決を下した裁判官やパンツの裁判官で有名な裁判官もおられます。押し紙裁判でも、販売店が勝訴した判決や勝訴判決に等しい和解で解決した例もあります。

公正取引委員会や国会・裁判所等で押し紙問題が長い間取り上げられてきているにもかかわらず、何故、いつまでも解決しないのかといった疑問についての回答は、黒薮さんの押し紙問題シリーズの最新版「新聞の公権力の暗部『押し紙』問題とメディアコントロール」(鹿砦社刊)が答えてくれています。是非、ご購入されることをおすすめします。

最近、「一月万冊」・「金子吉友」・「原口一博(議員)」・「管理人のぼやきラジオ」などのネット番組をよく視聴するようになりました。これらの番組の主催者は、失われた30年といわれる日本社会の没落の原因は、日本がアメリカの半植民地である状態が戦後ずっと続いているためであるとの認識で一致しておられるように思われます。

黒藪さんにも、押し紙問題に限らず様々な分野の知識・経験をネット番組で全国に発信されることをおおいに期待しております。

高裁判決の結果については、判決が出てその内容を見てから報告させていただきます。

最後になりますが、昨年は多額の活動資金のご寄付をいただき有難うございました。重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 

 

2023年09月17日 (日曜日)

2023年7月度のABC部数、朝日364万部、読売630万部、夕刊廃止も時間の問題か?

2023年7月度のABC部数が明らかになった。それによると、朝日新聞は約364万部で、前年同月比で約-48万部だった。読売新聞は約630万部で、約-46万部だった。毎日新聞は約166万部で、約-23万部だった。

ABC部数の下落にまったく歯止めかかっていないことが明らかになった。詳細は次の通りである。

朝日新聞:3,636,675(-484,565)
毎日新聞:1,659,153(-226,010)
読売新聞:6,295,920(-464,491)
日経新聞:1,473,712(-230,103)
産経新聞:951,020(-62,663)

夕刊廃止の動きも顕著になっていて、たとえば9月1日から北海道新聞が夕刊を廃止した。夕刊廃止が中央紙に及ぶのは時間の問題となった。

2023年08月11日 (金曜日)

読売新聞大阪本社の辣腕ジャーナリストに公開質問所を送付、「押し紙」問題についてジャーナリスト個人としての見解を求める

筆者は、8月10日、読売新聞大阪本社の柴田岳社長宛てに公開質問状を送付した。柴田社長は日経新聞によると、アメリカ総局長、国際部長、東京本社取締役編集局長、常務論説委員長などを務めた辣腕ジャーナリストである。

公開質問状の全文を読者に公開する前に、事件の概要を手短に説明しておこう。

 

発端は今年の4月20日にさかのぼる。大阪地裁は、読売新聞を被告とする「押し紙」裁判の判決を下した。判決は、原告(元販売店主)の請求を棄却する内容だったが、読売新聞の取引方法の一部が独禁法違反に該当することを認定した。「押し紙」の存在を認めたのである。

このニュースを筆者は、デジタル鹿砦社と筆者の個人サイトで公表した。その際に、判決文もPDFで公開した。ところが6月1日に読売新聞大阪本社の神原康之氏(役員室法務部部長)から、判決文の公開を取り下げるよう求める「申し入れ書」が届いた。それによると判決文の削除を求める理由は、文中に読売社員のプライバシーや社の営業方針などにかかわる箇所が含まれていることに加えて、同社が裁判所に対して判決文の閲覧制限を申し立てているからというものだった。他の裁判資料の一部についても、読売新聞は同じ申し立てを行っていた。

確かに民事訴訟法92条2項は、閲覧制限の申し立てがあった場合は、「その申立てについての裁判が確定するまで、第三者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない」と規定している。

そこで筆者は判決文を一旦削除した上で、裁判所の判決を待った。しかし、裁判所は読売新聞の申し立てを認めた。公開を制限する記述を黒塗りにして提示した。

筆者は、黒塗りになった判決文を公開することを検討した。そこで念のために神原部長に、この点に関する読売新聞の見解を示すように求めたが、明快で具体的な回答がない。「貴殿自身にて、弊社の営業秘密や個人のプライバシーを侵害しないように十分にご留意頂き、ご判断ください」(6月28日付けメール)などと述べている。読売側の真意がよく分からなかった。

そこで筆者は、読売新聞大阪本社の柴田岳社長に公開質問状を送付(EメールによるPDFの送付)したのである。公開質問状の全文は次の通りである。

《公開質問状の全文》

2023年8月10日

公開質問状

大阪府大阪市北区野崎町5-9
読売新聞大阪本社
柴田岳社長
CC: 読売新聞グループ本社広報部

発信者:黒薮哲哉(フリーランス・ジャーナリスト)
電話:048-464-1413
Eメール:xxxmwg240@ybb.ne.jp

貴社が2023年の4月21日、大阪地裁で手続きを行った訴訟記録の閲覧制限申し立て事件についてお尋ねします。

貴社から訴訟記録の閲覧制限の申立を受けた大阪地裁は、同年6月5日付で、当事者以外の者が、判決文を含む28通に及ぶ文書の内、貴社が公開を望まない部分についての閲覧・謄写、正本、謄本若しくは抄本の交付又はその複製を請求することを禁止する決定を言い渡しました。貴社が閲覧制限を求めたのは、貴社の残紙の規模を示す購読者数と仕入れ部数(定数)との誤差がわかる部数や、押し紙行為の実態が判明する取引現場における原告と販売局幹部や担当との生々しいやり取りが記録された箇所がメインです。

そこで、以下の点について質問させていただきます。

1,まず、判決理由中に、「実配数を2倍近く上回る定数」の新聞を貴社が原告対し注文部数として指示した事実が認められています。つまり、原告が経営していたYCでは、搬入される新聞の約50%が残紙であったことを裁判所が認めました。新聞ジャーナリズムの信用にかかわるこのような重大な司法の判断が下されたことに対し、貴社はどのように考えておられるでしょうか。読売新聞社としての見解と、ジャーナリストとしての貴殿個人の見解を回答ください。

2,「押し紙」問題は1980年ごろから、その深刻な実態がクローズアップされてきました。販売店の残紙の性質が「押し紙」なのか、それとも「積み紙」なのかの議論は差し置き、貴社の発行部数の中には、膨大な量の残紙が存在してきたことは紛れもない事実です。貴社が閲覧制限の対象とした判決文にも、2012年4月時点で、定数の内、約半分が購読者のいない残紙であることが記載されています。わたしが、このような押し紙裁判史上画期的な司法判断を示した大阪地裁判決を、判断の資料となった当事者双方の主張書面や書証、引いては公開の法廷における証人尋問調書等を含めて公開することにより、貴社に、どのような不利益が生じるのかを具体的に教えてください。抽象論ではなく、具体的に教えてください。

3,わたしが、大阪地裁の画期的な司法判断を広く社会に報じるにあたり、裁判官の判断の裏付けとなった当事者の主張書面や証拠や判決文全部を読者に示す必要があります。つまりこの問題を報じる側に身を置かれた場合、貴社や貴殿は、黒塗りされた判決文と閲覧謄写が禁止された訴訟記録で、どのようにして読者に対し真実を正確に伝えることが出来るとお考えですか。読売新聞社としての見解と、ジャーナリストとしての貴殿個人の見解を教えてください。

4,判決文を含む訴訟記録に閲覧制限をかけた場合、ジャーナリズムの取材活動や学術研究活動にも重大な支障が生じますが、押し紙裁判資料の公共性・歴史的意義についてどのようにお考えでしょうか。読売新聞社としての見解と、ジャーナリストとしての貴殿個人の見解を教えてください。

5,貴社は今後、「押し紙」裁判の訴訟記録を閲覧制限が認められた箇所を含め、全部公開する意思がおありでしょうか。公開する予定があるとすれば、その時期を教えてください。それとも閲覧制限が認められた箇所は、永久に封印する方針なのでしょうか。

以上の5点をお尋ねします。回答は、2023年8月21日までにお願いします。

■公開質問状PDF版

 

【初出はデジタル鹿砦社通信】

2023年07月06日 (木曜日)

【投稿】読売新聞は何を恐れているのか 、―判決文の閲覧制限申立に関して―

執筆者:江上武幸(弁護士)

 

既報のとおり、読売新聞大阪本社と西部本社は、一審で全面勝訴判決を受けたにもかかわらず、判決文の閲覧制限の申立を行いました。読売が閲覧制限を求めたのは、原告販売店の購読部数や供給部数が記載された個所です。

当事者以外の第三者、例えば、新聞や週刊誌の記者、フリーのジャーナリスト、大学の学者・研究者等が、押し紙問題を調査報道し、研究発表するために判決の閲覧謄写を請求しても、肝腎の部数については黒塗りした判決文しか入手できないことになります。もちろん、全面開示を求める訴えをする道は残されていますが、そのためには多大な労力と時間と経費を費やす覚悟が求められます。

国民にかわって憲法上の知る権利を行使する使命を担う新聞社が、自社を当事者とする裁判の判決について閲覧制限を求めるという身勝手な姿勢を示したことは、厳しく非難されるべきです。

押し紙問題はインターネット上ではすでに公知の事実となっており、何ら隠しだてするところはありません。

そうは言っても、押し紙裁判の被告になった新聞社が、判決に購読部数と定数が記載されておれば、ABC部数(公表部数)や折込広告部数がいかに実態とかけ離れた部数であるかが一目瞭然となるため、その部数を知られないよう判決の閲覧制限を求める誘惑に駆られることはあり得ることです。しかし、良識を備えた新聞社であれば、自社の利益と国民の知る権利及び裁判の公開の原則を天秤にかけた場合、後者を優先すべきであるとの判断を下すのは当然のことです。

押し紙裁判を提訴する原告は、購読部数と定数(供給部数)を整理した別紙「押し紙一覧表」を作成して訴状に添付するのが一般的です。しかし、訴状に添付した資料と裁判所が判決に添付した資料の重みは決定的に違います。

押し紙問題に関心を寄せる公正取引委員会やABC協会、国会議員あるいは大学の学者・研究者等は、判決に購読部数と供給部数が明示されておれば、裁判で争われた販売店の押し紙の実態を正確に知ることが出来、各々の立場で押し紙問題を分析し解決の方向を指し示すことができます。

ちなみに、黒藪さんは、読売新聞社以外の新聞社で、判決文の閲覧制限を申し立てた例があるかどうか調査してみるとのことです。

どの業界にも超えてはならない一線があります。新聞社にとって、判決文の閲覧制限を申し立てるのは言論機関にあるまじき一線を越えた暴挙といって差し支えないでしょう。

読売新聞は発行部数1000万部の世界一の新聞であることを豪語してきましたが、2007年(平成19年)6月の真村福岡高裁判決以降、福岡県内の複数の読売新聞販売店から押し紙問題の相談を受けた私の経験では、当時、すでに3割から5割近い部数が読者のいない新聞で占められていました。

日本特有の宅配制度のもとで、読売新聞に限らず多くの新聞社は優越的地位を濫用し、実際の購読部数よりはるかに多い新聞を販売店に買い取らせる「押し紙」を行ってきました。「押し紙」は我が国の新聞社の「ビジネスモデル」であると評されたことがあるほどです。

新聞社がこのような有様ですから、日本に民主主義の精神が根付かなかったのもむべなるかなと思います。

他方、押し紙問題の解決に真摯に取り組んだ新聞社が多数あることも指摘しておく必要があります。私の知る限りでは、熊本日々新聞社と新潟日報社は独占禁止法を忠実に守って押し紙とは無縁の新聞社経営を行ってきています。ほかにも同じような新聞社があると思います。このような新聞社があることを知ることが出来たことは救いです。

私は、わが国のモラル崩壊の元凶は小選挙区制と新聞の押し紙にあると確信をもっていえるようになりました。また、最近では押し紙裁判の担当裁判官の意図的ともいうべき人事配置の問題についても歴史に刻んでおく必要があると感じるようになっております。そのことに踏み込む力量は持ち合わせていませんが、ユーチューブの報道番組を見ていると、かっての新聞記者を凌駕する知性と情報発信力の持ち主が多数活躍されており、その中の誰かが司法の闇に切り込んでくれることを期待しているところです。【2023年(令和5)7月5日】

 

2023年06月29日 (木曜日)

「営業秘密」の中身を解明する作業が不可欠、読売が申し立てた「押し紙」裁判の判決文に対する閲覧制限事件⑤

濱中裁判(読売を被告とする「押し紙」で、読売が勝訴。原審は大阪地裁)の判決文に対して読売が閲覧制限をかけ、それを野村武範裁判官が認めた件に関する続報である。この判決をメディア黒書で公開するに際して、読売に対して黒塗り希望箇所を問い合わせていたところ、29日の夕方に回答があった。

本来であれば、回答の全文を公開するのがジャーナリズムの理想であるが、読売側がそれを嫌っているので、回答のポイントをわたしの言葉で説明しておこう。ポイントは次の2点である。

❶読売は民事訴訟法92条を根拠に、判決文の閲覧制限を申し立てた。92条は次のように述べている。

第92条
次に掲げる事由につき疎明があった場合には、裁判所は、当該当事者の申立てにより、決定で、当該訴訟記録中当該秘密が記載され、又は記録された部分の閲覧若しくは謄写、その正本、謄本若しくは抄本の交付又はその複製(以下「秘密記載部分の閲覧等」という。)の請求をすることができる者を当事者に限ることができる。

一 訴訟記録中に当事者の私生活についての重大な秘密が記載され、又は記録されており、かつ、第三者が秘密記載部分の閲覧等を行うことにより、その当事者が社会生活を営むのに著しい支障を生ずるおそれがあること。

二 訴訟記録中に当事者が保有する営業秘密(不正競争防止法第2条第6項に規定する営業秘密をいう。第132条の2第1項第三号及び第2項において同じ。)が記載され、又は記録されていること。

前項の申立てがあったときは、その申立てについての裁判が確定するまで、第三者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない。

秘密記載部分の閲覧等の請求をしようとする第三者は、訴訟記録の存する裁判所に対し、第1項に規定する要件を欠くこと又はこれを欠くに至ったことを理由として、同項の決定の取消しの申立てをすることができる。

第1項の申立てを却下した裁判及び前項の申立てについての裁判に対しては、即時抗告をすることができる。

第1項の決定を取り消す裁判は、確定しなければその効力を生じない。

❷読売は、黒塗り希望箇所を提示するように求めているわたしの要求に対して、回答を控えると回答してきた。その理由として次のように述べている。「弊社の見解は、弊社の閲覧等制限の申立て及び裁判所の決定内容に含まれ、それ自体が営業秘密にかかわる事項になりますので、(訴訟当事者ではない第三者である貴殿に)弊社からお答えすることは控え」る。

細かい指摘になるが、引用した文章は論理が曖昧でどうにでも解釈できる余地がある。達意という作文の機能をはたしていない。閲覧制限の申立書と野村裁判官が下した決定内容に、閲覧制限の範囲(黒塗りの箇所)についての読売の見解が含まれており、それ(黒塗りの部分)自体が「営業秘密にかかわる事項」なので、回答できないと述べているのだが、この記述だと、読売が提出した申立書はいうまでもなく、判決文の中のどの箇所が黒塗りになっているかも「営業秘密」になるという解釈になってしまう。つまり申立書と判決の全文の非公開を求めているように解釈できる。しかし、裁判所は、黒塗りにした箇所以外は公開していると説明している。

◆今後の対応

ただ、「営業秘密」の中身が具体的な販売政策を指している可能性もあるので、❶と❷を踏まえた上で、わたしは読売の法務部へ次のように再質問をした。

文中にある「営業秘密」とは、具体的に何を指しているのかをご説明ください。たとえば部数内訳のことを言っているのか、補助金制度の運用方法のことを言っているのかなどをご説明ください。どうにでも我田引水に解釈できるようであれば、文書で意思疎通を図る意味がありません。揚げ足取りの原因になります。

わたしが読売からの回答の細部にこだわるのは、2008年に当時の法務室長が、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士と協働して、わたしに対してとんでもない裁判を起こした過去があるからだ。それがどのような事件であったかは、次の転載記事を参考にしてほしい。若干長くなるが、判決文も含めて全文を引用しておこう。

なお、読売が「営業秘密」の箇所を具体的に提示しないのであれば、わたしとしては他のジャーナリストとも共同して、野村裁判官が下した判決の取り消しを裁判所へ申し立てざるを得ない。というのも、濱中裁判では読売による独禁法違反は認定されており、「営業秘密」の中に、あるまじき行為が含まれている可能性もあるからだ。

【転載記事】読売・喜田村洋一・自由人権協会代表理事らによる口封じ裁判から9年目に、今後も検証は続く(2016年12月20日付け)

12月21日は、読売新聞社(西部本社)の江崎徹志法務局長がメディア黒書(旧新聞販売黒書)に対して、ある文書の削除を求める仮処分を申し立てた日である。代理人弁護士は、喜田村洋一・自由人権協会代表理事だった。2016年の12月21日は対読売裁判が始まって9年目にあたる。

江崎氏の申し立ては、わたしがメディア黒書に掲載した江崎名義の1通の催告書の削除を求めるものだった。しかし、江崎氏は法務室長という立場にあり、実質的には、江崎氏個人ではなく、読売新聞社との係争の始まりである。

事実、その後、読売から3件の裁判、わたしから1件の裁判と弁護士懲戒請求を申し立てる事態となった。

◇真村事件から黒薮裁判へ

この裁判の発端は、福岡県広川町にあるYC広川(読売新聞販売店)と読売の間で起こった改廃(強制廃業)をめぐる事件だった。当時、わたしは真村事件と呼ばれるこの裁判を熱心に取材していた。

係争の経緯については、長くなるので省略するが、2007年の12月に真村氏の勝訴が最高裁で決定した。日本の裁判では、地裁と高裁で連勝すれば、最高裁で判決が覆ることはめったにない。そのために最高裁の判断を待つまでもなく、高裁判決が出た6月ごろから真村氏の勝訴確定は予想されていた。

そのためなのか、読売も真村氏に歩み寄りの姿勢を見せていた。係争になった後、中止していた担当員によるYC広川の訪店を再開する動きがあった。そして江碕氏は、その旨を真村氏に連絡したのである。

しかし、読売に対して不信感を募らせていた真村氏は即答を控え、念のために代理人の江上武幸弁護士に相談した。訪店再開が何を意味するのか確認したかったのだ。江上弁護士は、読売の真意を確かめるために内容証明郵便を送付した。これに対して、読売の江崎法務室長は、次の書面を返信した。

前略  読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
    2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。

わたしは、メディア黒書で係争の新展開を報じ、その裏付けとしてこの回答書を掲載した。何の悪意もなかった。むしろ和解に向けた動きを歓迎していた。

しかし、江崎氏(当時は面識がなかった)はわたしにメールで次の催告書(PDF)を送付してきたのである。

冠省 貴殿が主宰するサイト「新聞販売黒書」に2007年12月21日付けでアップされた「読売がYC広川の訪店を再開」と題する記事には、真村氏の代理人である江上武幸弁護士に対する私の回答書の本文が全文掲載されています。

しかし、上記の回答書は特定の個人に宛てたものであり、未公表の著作物ですので、これを公表する権利は、著作者である私が専有しています(著作権法18条1項)。  貴殿が、この回答書を上記サイトにアップしてその内容を公表したことは、私が上記回答書について有する公表権を侵害する行為であり、民事上も刑事上も違法な行為です。

 そして、このような違法行為に対して、著作権者である私は、差止請求権を有しています(同法112条1項)ので、貴殿に対し、本書面到達日3日以内に上記記事から私の回答を削除するように催告します。  

貴殿がこの催告に従わない場合は、相応の法的手段を採ることとなりますので、この旨を付言します。

わたしは削除を断った。先に引用した、

前略  読売新聞西部本社法務室長の江崎徹志です。
    2007年(平成19年)12月17日付け内容証明郵便の件で、訪店について回答いたします。当社販売局として、通常の訪店です。

と、いう回答書は著作物ではないからだ。催告書の形式はともかく、書かれた内容自体はまったくのデタラメだった。著作権法によると、著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」。上記の回答書は、著作物ではない。催告書の内容そのものが間違っている。

そこで、今度はこの催告書をメディアで公開した。これに対して、江崎氏は、催告書は自分の著作物であるから、著作者人格権に基づいて、削除するように求めてきたのである。

そして喜田村弁護士を立てて、催告書の削除を求め、仮処分を申し立てたのである。(回答書の削除は求めてこなかった。)

こうして江崎氏名義の催告書が、著作物かどうかが争点となる係争が始まったのだ。書かれた内容の評価とは別に、催告書が著作物かどうかという点に関しては、一応は議論の余地があった。書かれている内容そのものがデタラメであっても、それに著作物性があるかどうかは、別問題である。

結論を先に言えば、仮処分申立は、江崎氏の勝訴だった。催告書が著作物と認めれらたのだ。

判決に不服だったわたしは、本訴に踏み切った。代理人は江上弁護士ら、真村裁判の弁護団が無償で引き受けてくれた。わたしは東京・福岡間の交通費もふくめて、1円の請求も受けなかった。

◇重大な疑惑の浮上

本訴の中で重大な疑惑が浮上した。

既に述べたように、この裁判は、江崎氏が書いたとされる奇妙な内容(例の回答書が著作物であるという内容)の催告書が争点だった。内容が奇妙でも催告書が江崎氏の著作物であると認定されれば、わたしは削除に応じなければならない。

仮処分では負けたわたしだが、裁判の途中から様相が変わってきた。特に江崎本人尋問を機に流れが変わった。

確かに催告書の名義は江崎氏になっているが、催告書は喜田村弁護士が作成したものではないかという疑惑が浮上してきたのだ。

著作者の権利は、著作権法では、「著作者人格権(公表権などが含まれる)」と「著作者財産権」に別れるのだが、前者は他人に譲渡することができない。一身専属権である。

江崎氏は、著作者人格権を根拠に、わたしを提訴したのである。と、なれば江碕氏が催告書の作者であることが、提訴権を行使できる大前提になる。仮に他人が書いたものなら、それはたとえば、わたしが村上春樹氏の作品を自分のものだと偽って、著作者人格権による権利を求める裁判を起こすのと同じ原理である。

催告書の本当の作成者が喜田村弁護士だとすれば、喜田村氏らは催告書の名義を「江碕」偽り、それを前提にして、著作者人格権を主張する裁判を起こしたことになる。

◇東京地裁・知財高裁の判決

東京地裁は、わたしの弁護団の主張を全面的に認めて、江崎氏の訴えを退けた。喜田村洋一弁護士か、彼の事務所スタッフが催告書の本当の作者である可能性が極めて強いと認定したのである。

このあたりの事情については、地裁判決直後の弁護団声明を参考にしてほしい。弁護団は、この事件を「司法制度を利用した言論弾圧」と位置づけている。

次の引用するのは、知財高裁判決の重要部分である。催告書の名義人偽り疑惑について、次のように言及している。

上記の事実認定によれば、本件催告書には、読売新聞西部本社の法務室長の肩書きを付して原告の名前が表示されているものの、その実質的な作者(本件催告書が著作物と認められる場合は、著作者)は、原告とは認められず、原告代理人(又は同代理人事務所の者)である可能性が極めて強い。

繰り返しになるが、江崎氏は、元々、著作者人格権を主張する権利がないのに、催告書の名義を「江崎」に偽って提訴し、それを主張したのである。

■判決の全文(知財高裁)

喜田村弁護士は、自分の行為が弁護士としてあるまじき行為であることを自覚していたはずだ。弁護士職務基本規定の第75条は、次のようにこのような行為を禁止している。

弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。

ところが名義を偽った催告書を前提にして、裁判所へ資料を提出し、自己主張を展開したのだ。

裁判が終わった後、今度はわたしの方が攻勢に転じた。喜田村弁護士が所属する第2東京弁護士会に対して、喜田村弁護士の懲戒請求を申し立てた。2年後に、申し立ては却下されたが、多くの法律家が前代未聞のケースだとの感想を寄せた。弁護士会の判断は誤りだと話している。現在、再審を検討している。曖昧な決着はしないのが、わたしの方針だ。

今後も検証は続く。

2023年06月28日 (水曜日)

「押し紙」問題の到達点と今後の争点、読売が申し立てた「押し紙」裁判の判決文に対する閲覧制限事件④、

「押し紙」問題が指摘されるようになったのは、1970年代である。日本新聞販売協会が販売店の苦痛をくみ上げ、1977年にアンケート調査を実施して「押し紙」の実態を公表したのが最初だ。(全国平均で8.3%)。その後、1980年代の初頭から85年まで、共産党、公明党、社会党が超党派で新聞の商取引に関する問題を国会質問で取り上げた。その中に当然、「押し紙」問題も含まれていた。

しかし、日本がバブル経済に突入すると、折込広告の需要が急増したために、「押し紙」が存在しても損害を受けない販売店が増えた。特に都市部ではその傾向が顕著になった。残紙が販売店に利益をもたらす「積み紙」の性質に変化したのである。これは販売店にとっては触れられたくないことであるが、客観的な事実である。販売店は、「もうかる仕事」だった。

しかし、バブルが崩壊すると徐々に折込広告の需要が減った。それにともない残紙が販売店の負担になってきたのである。言葉を替えると、残紙の性質が「積み紙」から「押し紙」に再び変化したのである。

◆新聞社と販売店の共通認識

新聞社と販売店の間には、残紙の責任が誰にあるのかという議論がある。販売店は新聞社に責任があると主張する。注文部数を新聞社が設定しているからである。

これに対して新聞社は、残紙の責任は販売店にあると主張してきた。折込広告の水増しをしたり、より多額の補助金を獲得するために、販売店が自主的に仕入れ部数を増やして、広告主や新聞社を欺いてきたとする主張である。たとえば、読売の代理人で自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士は、20年以上もこの持論を展開してきた。読売に「押し紙」は1部も存在しないと主張している。

販売店の主張が正しいにしろ、新聞社の主張が正しいにしろ、紛れのない客観的な事実は、読者に配達されない新聞が大量に発生している事実である。この点に関しては、読売の濱中裁判でも裁判所が認定した。それゆえに、読売は判決文に閲覧制限をかけてきたのではないか。

判決の結果とは別に、 残紙は重大な社会問題なのである。というのも残紙を含む部数がABC部数として報告されているからだ。100万部を自称して広告営業を展開しても、実際には50万部しかない可能性もある。当然、折込広告の一部は廃棄されている。大量の広報紙が廃棄されてきた事実も、東京の江戸川区などで発覚している。残紙を隠すための2重帳簿(順路帳)も存在する。

今後、この点に公正取引委員会や裁判所、それに警察などがどのようなかたちでメスを入れるのか注視しなければならない。放置することがあってはならない。
 
◆「押し紙」の定義をめぐる議論

「押し紙」裁判のもうひとつの争点は、「押し紙」の定義である。

1964年に改訂された新聞特殊指定が定めた「押し紙」の定義は、新聞の実配部数に予備紙(2%)を加えた部数を「注文部数」と捉え、それを超えた部数は理由のいかんを問わず、「押し紙」に該当するというものである。「押し紙」を取り締まるために、このような定義が定められたのである。

1964年に新聞特殊指定で定められたこの定義に関しては、裁判所も認定している。

しかし、1997年になって新聞人はやっかいな問題と対峙する。公正取引委員会が1964年の新聞特殊指定を根拠として、北國新聞に対して「押し紙」の排除勧告を行ったのだ。その際、新聞協会に対しても、「押し紙」問題で釘を刺した。北國新聞と類似した状況が他の新聞社でも見られるという警鐘だった。

これを受けて、以後、日本新聞協会と公正取引委員会は話し合いを重ねるようになる。そして1999年に公正取引委員会は、新聞特殊指定の改訂を行った。改訂された特殊指定は、主旨こそ同じだったが、たとえば従来の「注文部数」という用語を「注文した部数」に変更した。

実は、この「注文した部数」が濱中裁判で争点になった。濱中さんは、1964年の新聞特殊指定に基づいて、新聞特殊指定でいう「注文部数」とは、既に説明したように、実配部数に予備紙を加えた部数であると主張した。従って「注文部数」を超えた部数は、すべて「押し紙」であるという主張だ。

これに対して裁判所は、1999年に改訂された新聞特殊指定に明記された「注文した部数」という用語を持ち出して、「注文した部数」とは販売店が注文書に書き込んだ外形的な数字であると認定した。つまり残紙はすべて販売店が注文したもので、そもそも「押し紙」など存在しないという論理である。

そもそも公正取引委員会と新聞業界は、北國新聞の「押し紙」問題を受けて、話し合いを重ねたのである。その結果、1999年に特殊指定を改訂して、より「押し紙」をしやすい規定に変更したとすれば、「押し紙」を取り締まるという新聞特殊指定の趣旨にすら合わない。
外形的な注文部数の中に残紙が大量に含まれているからこそ、社会問題になっているのであるのに、外形的な注文部数が真の注文部数であるという見解に立ってしまうと、この問題は永遠に解決しない。

 

 

2023年06月27日 (火曜日)

読売が申し立てた「押し紙」裁判の判決文に対する閲覧制限事件③、具体的に何を希望しているのか不明、「のり弁」でもOK

読売新聞大阪本社が「押し紙」裁判の判決文に対して、閲覧制限を申し立て、裁判所(野村武範判事)がそれを認めた件について、その後の経緯を報告しておこう。

既報したように、5月30日付けのメディア黒書に、濱中裁判(大阪地裁で行われた読売の「押し紙」裁判で、読売が勝訴するも、ある一時期の商取引に関しては、読売による明確な独禁法違反を認定)の判決を掲載した。これに対して、読売は、裁判所に閲覧制限を申し立てたことを理由として、判決文の公開を中止するように申し入れてきた。

■読売新聞「押し紙」裁判(濱中裁判)の解説と判決文の公開

閲覧制限の申し立てが行われた場合、裁判所が判断を下すまで、当該文書の公開は禁止されている。読売の言分には、一応の道理があるので、わたしは暫定的にメディア黒書から判決文を削除した。

※ただ、情報を公衆に提供するというジャーナリズムの使命からすれば、削除は検閲を認めるに等しく適切ではないという考えもある。言論統制への道を開くという懸念である。

 その後、野村武範裁判官は、読売の申し立てを認める判決を下した。しかし、判決の全文ではない。読売が非開示を申し立てた部分だけである。

裁判所の判断を受けて、わたしは念のために読売に判決文全文の非開示を希望しているのか、それとも黒塗りの部分だけなのかを問い合わせた。過去に読売が、自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士を立てて、やえこしい裁判を起こしてきた経緯があるからだ。(文尾の記事を参照)

ところがわたしに対して申し入れを行った読売の法務担当者からは、明確な返答がない。以前に連絡したとおりだ、などと曖昧な答えが返ってくる。しかも、読売がわたしに送付した文書類の扱いは、メールのやりとりも含めて公表しないように念を押している。公開した場合は、裁判を提起する可能性までほのめかしている。裁判になれば、なぜか圧倒的に強い読売のことであるから、わたしとしては慎重に対処する必要があった。

そこでわたしは次のメールを送信した。

(略)書面で意思を伝達する意義は、相手に対して情報を正確に伝達することですから、もう一度お尋ねします。貴社は法的な観点から、判決文の全文を非公開にすべきだとお考えなのでしょうか、それとも裁判所が非公開を決めた箇所だけを非公開にすべきだとお考えなのでしょうか。ご回答ください

しかし、読売からは返答がない。そこで法務担当者に対して、社長宛に公開質問所を送付する意思を伝えた。現時点での到達点はここまである。

繰り返しになるが、わたしは読売が何を希望しているのかよく分からない。出来る限り、読売に配慮するように努めているが、要求の中身があいまいで、現段階では対処の方法がない。

「押し紙」はジャーナリズムの根幹にかかわる問題である。濱中裁判の判決を公の場に晒して、議論することは日本のジャーナリズムの実態を検証する上で欠くことのできないプロセスだ。しかし、大企業の業務にも配慮する必要がある。それゆえに、わたしは読売に対して、隠しほしい情報を黒塗りにするように求めているのである。もちろん応じる意思がある。「のり弁」でもOKだ。

 

 参考記事:喜田村洋一弁護士(自由人権協会代表理事)と読売裁判に関する全記事

 参考記事:野村武範裁判長が執筆した判決文にみる論理の破綻、「押し紙」は認定するが賠償は認めない、産経新聞「押し紙」裁判の解説、判決全文を公開

 

2023年06月21日 (水曜日)

読売が申し立てた「押し紙」裁判の判決文に対する閲覧制限事件②、福岡地裁の「押し紙」裁判判決についても閲覧制限の申し立て

読売新聞を被告とする「押し紙」裁判は、濱中訴訟(1審は大阪地裁)だけではない。5月17日に、福岡地裁(林史高裁判長)が判決を下した「押し紙」訴訟もある。この裁判も販売店の敗訴だった。そしてこの判決に対して、読売新聞が閲覧制限を申し立てている。情報の遮断に走ったのだ。

この裁判の判決については、弁護士ドットコムが報じている。

https://www.bengo4.com/c_18/n_16027/

弁護士ドットコムの報道によると、原告の元店主が請求していた金額は、約1億5000万円である。搬入される新聞の2割から3割が、広義の「押し紙」(残紙)になっていたという。

わたしもこの裁判は取材してきた。判決を読んで最も着目したのは、元店主が注文部数をみずから決めて、それを書面で通知したところ、書面の修正を指示された事実である。店主は、担当員から指示された部数に「注文部数」を修正した。そして、それを再提出した。

社会通念からすれば、担当員が「注文部数」を指示したわけだから、当然、独禁法に抵触する。ところが林裁判長は、修正した書面の数字を公式の「注文部数」とみなし、「押し紙」とは認定しなかったのだ。論理が完全におかしくなっている。

読売新聞はこの判決文についても、濱中訴訟と同様に閲覧制限を申し立てている。従って現段階では、判決文をインターネットで公表することはできない。情報提供というジャーナリズムの役割を果たすことができない。

◆◆
大阪地裁の池上尚子裁判長にしても、福岡地裁の林史明裁判長にしても、販売店が書面に書き込んだ部数を「注文部数」と定義している。従ってこの「注文部数」を越えて新聞を提供していなければ、いくら残紙があっても、それは「押し紙」ではないという論理になる。

しかし、「押し紙」は、書面に記された「注文部数」の中に残紙が含まれているからこそ問題になり得るのである。残紙が含まれていなければ、そもそも「押し紙」はクローズアップされない。裁判官は、こんな基本的なことすら理解していないのである。あるいは新聞社を勝訴させるために故意に「注文部数」の定義を捻じ曲げているのだ。

◆◆

1964年に改訂された独禁法の新聞特殊指定では、「注文部数」の中に残紙がふくまれている実態を解決するために公正取引委員会は、「注文部数」を「実配部数+(2%の)予備紙」と定義して、それを超える部数は理由の如何を問わず、「押し紙」と定義した。こうして「注文部数」の中に残紙を紛れ込ませる新聞社の販売政策を規制したのである。

この点については、池上裁判長も林裁判長も認めている。いろいろな文献を調べてみても、特殊指定の下での「注文部数」とは、「実配部数+(2%の)予備紙」を意味することを示している。これは、争いのない事実である。

ところが1999年に公正取引委員会が新聞特殊指定が改訂した。この改訂によって、従来の「注文部数」の定義は無効になったというのが、池上裁判長や林裁判長の解釈であるが、果たしてそれは真実なのだろうか。結論を先に言えば、事実ではない。事実であれば、公正取引委員会と新聞協会の間で「密約」があった公算が強くなる。

1999年の改訂により、「注文部数」の定義が変わってないことは、たとえば1999年の改訂当時、新聞再販と特殊指定に関するプロジェクトチームの座長を務めていた滝鼻卓雄氏(読売の)が『新聞経営』に掲載した報告でも明らかになっている。滝鼻氏は、特殊指定について次のように述べている。

新しい新聞特殊指定は、発行社と販売店の取引方法について、一般指定の禁止行為のほか、新聞業の特殊指定に鑑み、発行本社による差別定価の設定と価格の割引、販売店による定価割引の行為をそれぞれ禁止し、あわせていわゆる「押し紙」を
禁止したものである。
 この原則は、いままでの特殊指定と何ら変更はない。すなわち旧特殊指定の精神をそのまま新特殊指定のなかに盛り込むことができた。

◆◆

現在の「押し紙」問題の最大の争点は、新聞特殊指定でいう「注文部数」、あるいは「注文した部数」の定義である。定義がどのようなものであれ、「注文部数」の中に、残紙が含まれている実態が横行していることは紛れない事実である。しかも、かなり大量の残紙が含まれている。

読売のように、「押し紙」裁判の裁判資料に閲覧制限をかけてしまうと、残紙の実態が分からなくなってしまう可能性が高い。閲覧制限は必要な情報を読者に届けるジャーナリズムの精神にも反するものだ。

※東京地裁の「押し紙」裁判に関しても、今後、調査が必要だ。

 

読売が申し立てた「押し紙」裁判の判決文に対する閲覧制限事件①、その後の経緯と自由人権協会代表理事・喜田村弁護士への疑問

読売新聞の「押し紙」裁判(大阪地裁、濱中裁判、読売の勝訴)の判決文に対して、読売新聞が閲覧制限を申し立てた件について、その後の経過を手短に説明しておこう。既報したように発端は、メディア黒書に掲載した『読売新聞「押し紙」裁判(濱中裁判)の解説と判決文の公開』と題する記事である。この記事は、文字通り読売「押し紙」裁判についてのわたしなりの解説である。

この記事の中で、わたしは判決全文を公開した。ところがこれに対して読売(大阪本社)の神原康行法務部長から、書面で判決文の削除を要求された。理由は、読売が判決文の閲覧を制限するように裁判所に申し立てているからというものだった。法律上、閲覧制限の申し立てがなされた場合、裁判所が判決を下すまでは、当該の文書や記述を公開できない。神原部長の主張には一応道理があるので、わたしはメディア黒書から判決文を削除した。

※ただし、ジャーナリズムの観点からは、はやり公開を認めるべきだと思う。「押し紙」という根深い問題を公の場で議論する上で大事な資料になるからだ。

ここまでは既報した通りである。その後、裁判所は読売の申し立てを認めた。法律を優先すれば、判決文は公開できないことになる。しかし、裁判所が判決文全文の閲覧を制限したのか、それとも読売にとって不都合な記述だけに限定して閲覧を制限したのかは不明だ。そこでわたしは、読売の神原部長に対して、判決文全文の非公開を希望しているのか、それとも部分的な記述だけに限定した非公開を希望しているのかを問い合わせた。

現在、その回答を待っている段階だ。

◆◆

この閲覧制限の手続きを行ったのは、喜田村洋一弁護士ら6人の弁護士である。喜田村弁護士は、日本を代表する人権擁護団体である自由人権協会の代表理事を務めている。古くから読売の代理人として働いてきた人で、読売の販売店訴訟を処理するために福岡地裁へも頻繁に足を運んでいた。元店主に対して家屋の差し押さえの手続きなどを行ったこともある。

読売は喜田村弁護士を代理人に立て、わたしに対しても2008年から1年半の間に3件の裁判を起こしている。請求額は、約8000万円。(このうちの1件は、新潮社とわたしの両方が被告)。

3件のうち最初の裁判は、わたしが読売の法務室長から受け取った催告書(ある文書の削除を求める内容)を、わたしがメディア黒書で公開したことである。法務室長が書いた催告書をわたしが無断で公開したというのがその建前だった。法務室長は、催告書の著作権人格権が自分に属していることを根拠として裁判を起こしたのだ。

ところが裁判の中で、この催告書は法務室長名義になっているものの、実際の執筆者は喜田村弁護士である高い可能性が判明した。著作権人格権は他人の譲渡することはできない。つまり法務室長には、著作権人格権を根拠として裁判を起こす資格がなかったことが判明したのだ。当然、読売の法務室長は門前払いのかたちで敗訴した。

催告書の執筆者である喜田村弁護士は、法務法務室長による提訴が成立しないことを知りながら、訴状を作成し、この裁判の代理人として働いたのである。

この裁判の判例は、裁判提起により「押し紙」報道の弾圧を試みて失敗した例と、わたしは考えている。参考までの判決(知財高裁)の全文を紹介しておこう。

■判決の全文

◆◆

さて「押し紙」問題はすでに周知の事実になっている。「押し紙」とは何かという定義の議論は決着しておらず、それゆえに「押し紙」裁判が複雑化しているわけだが、俗にいう残紙が大量に発生している事実だけは否定できなくなっている。

実際、濱中裁判でも大量の残紙があった事自体は認定されている。濱中さんが敗訴したとはいえ、一時期に限定して読売による独禁法違反も認定された。

残紙の責任が販売店にあるにしろ、新聞社にあるにしろ残紙が発生していることは、紛れのない事実なのである。

これは読売に限ったことではなく、日本の新聞社に共通した暗部である。それが生み出している利益を試算すると驚異的な数字が浮かび上がってくる。

日本全国で印刷される一般日刊紙の朝刊発行部数は、2021年度の日本新聞協会による統計によると、2590万部である。このうちの20%にあたる518万部が「押し紙」と想定し、新聞1部の卸卸価格を1500円(月額)と仮定する。この場合、「押し紙」による被害額は77億7000万円(月額)になる。この金額を1年に換算すると、約932億円になる。

旧統一教会による被害額が35年間で1237億円であるから、この金額と「押し紙」による被害額を比較するためには、1年間の「押し紙」による被害額932億円を35倍(35年分)すれば、その金額が明らかになる。結論を言えば、32兆6200億円である。

この莫大な金額に公権力機関が着目すれば、メディアコントロールが可能になる。公権力機関は、「押し紙」政策の取り締まりを控えさえすれば、暗黙のうちに新聞社を配下に置くことができる構図になっている。それにゆえに「押し紙」問題は、ジャーナリズムの根幹にかかわる問題なのである。単に商取引の実態だけを問題としているのではない。

◆◆

何人もの販売店主とその家族が、「押し紙」により人生を無茶苦茶にされてきた。喜田村弁護士は、そのことを想像してみるべきではないか。自由と人権の旗をかかげるのであれば、プライバシーに配慮した上で判決文を公開して、「押し紙」問題を議論する方向で動くべきではないか。それが多くのメディア企業がかかわっているこの問題を解決するための道筋である。

 

 

2023年06月08日 (木曜日)

読売新聞が「押し紙」裁判の判決文の閲覧制限を請求、筆者に申し入れ、筆者「御社が削除を求める箇所を黒塗りに」

メディア黒書に掲載した記事、「読売新聞「押し紙」裁判(濱中裁判)の解説と判決文の公開」(5月8日付け)(http://www.kokusyo.jp/oshigami_c/17608/)を改編したので、改編部分とその理由を説明しておきたい。この記事は、読売新聞を被告とする「押し紙」裁判(大阪地裁)の判決を解説したものである。判決は、原告の元販売店主の請求を棄却したが、商取引の一部分に関しては、読売による独禁法の新聞特殊指定違反を認定する内容だった。

今回改編したのは、判決文の取り扱いである。当初、原告の元店主の承諾を得た上で判決文を全面公開していた。ところが6月1日になってメールで、読売新聞大阪本社の役員室法務部部長・神原康之氏から、判決の公開を取り下げることを求める「申し入れ書」が届いた。その理由は、判決の中に読売社員のプライバシーや社の営業方針などにかかわる箇所が含まれていることに加えて、同社が裁判所に対して判決文の閲覧制限を申し立てているからというものだった。

確かに民事訴訟法92条2項は、閲覧制限の申し立てがあった場合は、「その申立てについての裁判が確定するまで、第三者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない」と述べている。

 裁判の審理が進んでいる中で、裁判所に提出された証拠類を含む書面に対して閲覧制限の申し立てが起こされ、裁判所がそれを認めることはよくあるが、判決に対して閲覧制限を請求した例は、わたしが知る限りでは過去に一件もない。判決文に対する閲覧制限は極めてまれだ。しかも、判決文は元店主の請求を棄却した内容である。

読売の神原氏が指摘するように、法律上では裁判所が判決を下すまでは判決文を公開できないルールになっている。それを理解した上で、わたしは削除に応じた。申し入れ書では削除の期限が6月5日の夕刻になっていたが、3日は削除を完了した。

しかし、裁判所が判決を下した後、判決内容によっては再度判決文を掲載する旨を伝えた。その際に読売が秘密扱を希望する記述を黒塗りにして、2週間を目途にわたしに提示するように求めた。次の回答書である。

前略
貴殿の2023年6月1日付「申し入れ書」に対し、次のとおり回答します。
申し入れ書によると、御社は2023年4月21日付で、大阪地裁に対し判決文を含む訴訟記録の閲覧等の制限を申し立てられたとのことです。

それを前提に、その申立てがあった場合には、「その申立てについての裁判が確定するまで、第3者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない」(民事訴訟法92条2項)との規定を根拠に、5月8日と30日に、インターネットサイト「MEDIA KOKUSYO」に掲載した、大阪地裁令和2年(ワ)第7369号等判決を、6月5日(月)午後5時までに、上記サイトからの削除を求めるとともに、その他媒体等での公開、頒布も控えるようにとの申し入れが為されました。
御社の担当者のプライバシーや御社の営業秘密に関する問題について、御社との間で無用な紛争に発展することは有害・無益と考えますので、当方は次の通り対応することと致します。

1 判決文のインターネットサイトからの削除について
申し入れどおり、6月5日(月)午後5時までに全文を削除することに同意します。

2 御社が求める削除箇所の特定について
   本書面送達後、2週間を目処に、判決文のうち、御社が削除を求める箇所を黒塗りにした判決文をご呈示ください。なお、黒塗りにした部分について非開示を求める理由も、併せてご説明ください。

 御社の非開示を求める部分が、裁判の公開原則や国民の知る権利を侵害しないかどうか、検討の上、今後の対応を決め、御社に御連絡することと致します。

 なお、本書面到達後、2週間以内に前記2の回答をいただけない場合は、判決文全文の公開を了解されたものと判断させて戴きますので、あらかじめ御了解ください。

◆野村武範裁判長が判決予定

 わたしは読売「押し紙」裁判の判決を書いた池上尚子裁判長が所属していた大阪地裁の民事24部に、読売が判決文に対して閲覧制限を申し立てていることが事実かどうかを確認した。対応した職員は、事実だと答えた。

「判決の時期はいつになりますか」

「おそらく来週には出ると思います」

「判決を下すのは、野村武範裁判長ですか」

「そうです」

野村武範裁判長とは、5月1日付けで東京地裁から大阪地裁へ異動して、民事24部に配属された裁判官である。池上裁判官から、この「押し紙」裁判を引き継ぎ、5月17日に、読売勝訴の判決を代読した人物である。東京地裁に在籍中は、産経新聞「押し紙」裁判を途中から担当して、産経新聞を勝訴させた人物でもある。そんな経緯があったので、わたしは野村判事が大阪地裁へ異動して読売「押し紙」裁判を担当したことを知ったとき、読売の勝訴を予測した。その予測は的中した。

その野村裁判長が今度は、読売が申し立てた判決文の閲覧制限を認めるかどうかの判決を下す。判決が下りしだいに結果を報告したい。

※野村武範裁判官と「押し紙」裁判については、『紙の爆弾』(7月号)の「新聞の部数偽装 『押し紙』をめぐる密約疑惑」に詳しい。

2023年06月07日 (水曜日)

読売新聞のギネスブック登録について日本ABC協会が回答、「報告することはない」

日本ABC協会は、読売新聞の発行部数がギネスブックで認定されている件で筆者が送付した質問に対して、6月5日に回答した。結論を先に言うと、読売のABC部数をギネスブックに報告しているのは、日本ABC協会ではないとのことだった。

質問と回答を、以下に引用する。

【質問】読売新聞社のウエブサイトに、「22年11月現在の朝刊発行部数は657万4915部(日本ABC協会報告)。読売新聞の発行部数世界一は、英国のギネスブックに認定されています。」と記されています。この記述によると、貴協会がギネスブックに、読売新聞のABC部数を報告されていることになっていますが、事実関係に間違いはないでしょうか。事実であるとすれば、ギネスブックのどの部署にデータを送付されているのでしょうか?差し支えのない範囲で教えていただければ幸いです。

【回答】
お世話になっております。
当協会からギネスブックに部数データを報告することはございません。
以上、よろしくお願い申しあげます。