1. 【投稿】読売新聞は何を恐れているのか 、―判決文の閲覧制限申立に関して―

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2023年07月06日 (木曜日)

【投稿】読売新聞は何を恐れているのか 、―判決文の閲覧制限申立に関して―

執筆者:江上武幸(弁護士)

 

既報のとおり、読売新聞大阪本社と西部本社は、一審で全面勝訴判決を受けたにもかかわらず、判決文の閲覧制限の申立を行いました。読売が閲覧制限を求めたのは、原告販売店の購読部数や供給部数が記載された個所です。

当事者以外の第三者、例えば、新聞や週刊誌の記者、フリーのジャーナリスト、大学の学者・研究者等が、押し紙問題を調査報道し、研究発表するために判決の閲覧謄写を請求しても、肝腎の部数については黒塗りした判決文しか入手できないことになります。もちろん、全面開示を求める訴えをする道は残されていますが、そのためには多大な労力と時間と経費を費やす覚悟が求められます。

国民にかわって憲法上の知る権利を行使する使命を担う新聞社が、自社を当事者とする裁判の判決について閲覧制限を求めるという身勝手な姿勢を示したことは、厳しく非難されるべきです。

押し紙問題はインターネット上ではすでに公知の事実となっており、何ら隠しだてするところはありません。

そうは言っても、押し紙裁判の被告になった新聞社が、判決に購読部数と定数が記載されておれば、ABC部数(公表部数)や折込広告部数がいかに実態とかけ離れた部数であるかが一目瞭然となるため、その部数を知られないよう判決の閲覧制限を求める誘惑に駆られることはあり得ることです。しかし、良識を備えた新聞社であれば、自社の利益と国民の知る権利及び裁判の公開の原則を天秤にかけた場合、後者を優先すべきであるとの判断を下すのは当然のことです。

押し紙裁判を提訴する原告は、購読部数と定数(供給部数)を整理した別紙「押し紙一覧表」を作成して訴状に添付するのが一般的です。しかし、訴状に添付した資料と裁判所が判決に添付した資料の重みは決定的に違います。

押し紙問題に関心を寄せる公正取引委員会やABC協会、国会議員あるいは大学の学者・研究者等は、判決に購読部数と供給部数が明示されておれば、裁判で争われた販売店の押し紙の実態を正確に知ることが出来、各々の立場で押し紙問題を分析し解決の方向を指し示すことができます。

ちなみに、黒藪さんは、読売新聞社以外の新聞社で、判決文の閲覧制限を申し立てた例があるかどうか調査してみるとのことです。

どの業界にも超えてはならない一線があります。新聞社にとって、判決文の閲覧制限を申し立てるのは言論機関にあるまじき一線を越えた暴挙といって差し支えないでしょう。

読売新聞は発行部数1000万部の世界一の新聞であることを豪語してきましたが、2007年(平成19年)6月の真村福岡高裁判決以降、福岡県内の複数の読売新聞販売店から押し紙問題の相談を受けた私の経験では、当時、すでに3割から5割近い部数が読者のいない新聞で占められていました。

日本特有の宅配制度のもとで、読売新聞に限らず多くの新聞社は優越的地位を濫用し、実際の購読部数よりはるかに多い新聞を販売店に買い取らせる「押し紙」を行ってきました。「押し紙」は我が国の新聞社の「ビジネスモデル」であると評されたことがあるほどです。

新聞社がこのような有様ですから、日本に民主主義の精神が根付かなかったのもむべなるかなと思います。

他方、押し紙問題の解決に真摯に取り組んだ新聞社が多数あることも指摘しておく必要があります。私の知る限りでは、熊本日々新聞社と新潟日報社は独占禁止法を忠実に守って押し紙とは無縁の新聞社経営を行ってきています。ほかにも同じような新聞社があると思います。このような新聞社があることを知ることが出来たことは救いです。

私は、わが国のモラル崩壊の元凶は小選挙区制と新聞の押し紙にあると確信をもっていえるようになりました。また、最近では押し紙裁判の担当裁判官の意図的ともいうべき人事配置の問題についても歴史に刻んでおく必要があると感じるようになっております。そのことに踏み込む力量は持ち合わせていませんが、ユーチューブの報道番組を見ていると、かっての新聞記者を凌駕する知性と情報発信力の持ち主が多数活躍されており、その中の誰かが司法の闇に切り込んでくれることを期待しているところです。【2023年(令和5)7月5日】