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2013年11月14日 (木曜日)

公共事業は諸悪の根源  ジャーナリズムでなくなった朝日 その4(前編)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

維新・橋下氏の出自差別報道の痛手も癒えないまま、朝日から出向で再建を託された週刊朝日編集長の解任・懲戒解雇処分が伝えられています。朝日OBとしては、情けない限りです。

伝えられる週刊誌報道が事実に近いとしたら、上司の立場を利用した行為は、人として、まして社会的弱者を慮ることが職業的倫理であるはずのジャーナリストなら絶対にあってはならないことです。

私が朝日を批判するのは、現役時代の恨みつらみが原因ではありません。戦前回帰の風潮が強くなっている今の社会・政治状況からも、権力の監視役が是非とも必要です。これからも朝日の役割りは大きいはずです。真っ当なジャーナリズムとして再生してもらわなければなりません。しかし、現状を見ると、その道がいかに遠いか、改めて感じざるを得ません。

組織の末端が腐り、様々な不祥事が続発するのは、必ずと言っていいほどトップが腐っている時です。私は役所や企業を相手にした多くの調査報道で、嫌と言うほどそのことを見て来ました。しかもトップが腐っていた組織では、その頃育った社員により、その後何年、何十年と不祥事が繰り返される傾向にあります。

そんな組織でも建前では立派なことを言います。しかし、本音、つまり言っていることとやっていることは違っています。トップが腐敗していると、中堅、末端社員に至るまで不満がうっ積します。幹部が建前で倫理観の順守を言っても、組織には根付いていないのです。

残念ながら、国の官僚、政治家もさることながら、朝日もそうした組織の一つだったと言わざるを得ません。問題を起こした週刊朝日二人の編集長は、私より1世代若く、私が上司による報道弾圧・人事差別に苦しんでいた頃、まだ若手記者だった人たちです。現経営陣になって少しは改善されたようではありますが、朝日の長い歴史の中でも、最も派閥体質の強かった時期とも言えるでしょう。

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2013年10月11日 (金曜日)

公共事業は諸悪の根源? ジャーナリズムでなくなった朝日 その3(後編)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

名古屋編集局では、部長会を開き、その日の紙面について評価・検討するのが日課です。内容は、「部長会行政」という表題で、支局にもファクスで流れます。

ある日の部長会で「河口堰に反対しているのは他地区の外人部隊ばかりだ」と、部長が発言しているのが目にとまりました。同じ日の別の項目では、名古屋社会部が実施した独自の地域世論調査を、「地域の声が分かる」と部長は自画自賛していました。

しかし、以前に行った中部地区住民を対象にした同じような地域世論調査では、河口堰反対の方が多いという結果が出ていたことを私は知っていました。私は「あなたが重要性を指摘した地域世論調査では、この地域の住民は、河口堰に反対の方が多い。『堰反対は外人部隊ばかり』という発言は事実と違うのではないですか。相反する発言を、同じ日の部長会でするのはおかしい。もう一度、私の取材内容を検証すればどうか」と、支局から電話で指摘をし、河口堰問題を話すきっかけにしたのです。

でも、部長の答えは予想通りです。「豊田のおめぃに、河口堰は関係ないだろ」との怒鳴り声が返ってきました。私が「私に河口堰報道をさせないための豊田転勤だったのですね」と尋ねると、「うるせぇ」と電話は音を立てて切れました。

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2013年10月10日 (木曜日)

共事業は諸悪の根源? ジャーナリズムでなくなった朝日 その3(前編)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

安倍首相は、予想されていたこととはいえ、消費税増税を正式に記者会見で表明しました。しかし、何故、無駄な公共事業でここまでの大借金を溜め、増税を国民にお願いするしか道がなくなったのか。残念ながら、安倍首相の言葉に、これまでの自民党長期政権時代の責任、真摯な反省の言葉は何もありませんでした。

次世代に大借金をツケ回しするのではあまりにも無責任です。こんな政権を選択した私たち国民にも、責任の一端はあります。ですから、消費税増税は受け入れるしかないと、私は思っています。しかし、それは増税で確実に借金が減る保証があっての話です。「景気対策」のためなら、増税しないことが何より一番です。

自民党の今の顔ぶれを見ても、私が政治記者をしていた時代とそれほど大きく変わったとは思えません。増税で予算枠が拡大されたことをいいことに、また政・官の利権拡大のために「景気対策」と称し、これまで同様、無駄な公共事業に走ることは目に見えています。

その証拠に民主党時代、曲がりなりにも凍結状態だった多くのダムが建設に向けて動き出しています。でも、その大半はこの欄で私が報告している長良川河口堰同様、無駄な事業です。消費税増税の前提は、「徹底的に財政の無駄を省く」だったはずです。しかし、財政の見直し、行財政改革は具体性に欠け、ほとんど手付かずのまま、「消費税増税に見合う景気対策」では、すり替えも甚だしいと言わざるを得ません。

「監視役」は、ジャーナリズムしかないのです。しかし新聞だけ、消費税をまけてもらおうと、こそこそ政府に働きかけをしている新聞界の姿を見ると、本当に情けなくなります。もし、「新聞が国民にとってかけがえのない『知る権利』を守る必需品」として本当に軽減税率を適用すべきだと思うなら、何より「権力の監視役」を果たし、新聞界が国民の信頼・支持を回復することから、始めるべきだと私は考えます。

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2013年09月15日 (日曜日)

公共事業は諸悪の根源? ジャーナリズムでなくなった朝日 

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

2020年、東京五輪の開催が決まりました。前回の五輪では、戦後復興の希望に燃える多くの若者がいました。しかし、今は閉塞感、内向き志向が強まっています。それを外に向け敵対心に変えてみても、何の進歩もありません。世界の人々と友情を育み、未来に向かってこの国の立ち位置を探る……。そんな若者を育てるためには、五輪は良い機会です。私は、東京五輪そのものに水を差すつもりはありません。

しかし、「新しい五輪」なら「新しい革袋」にです。五輪のインフラに期待。投入される税金の何割かをかすめ取ろうと言う政治家、官僚、古い体質の経営者の食い物にされ、借金が溜まるだけの五輪なら、止めたほうがましです。 衰えたとは言え、この国の民間企業には、まだまだ多くの蓄えと技術力があります。

五輪は、その日本の技術力を世界に宣伝するいい機会です。民間資金で、必要なインフラを整備。誇示した技術力でビジネスチャンスを見つけ、出資した企業は投資した資金を回収する。私はそんな新しいタイプの経営者が参加する「完全民営化五輪」を提案します。官に頼り、分け前を手に入れようとする姑息な経営者は、もうこの国に必要ないのです。

◇ジャーナリズムの役割は権力の監視

「公共事業は諸悪の根源」のこのシリーズ、今回で6回目です。前回までで官僚がいかに腐敗し、自らの利権のために無駄な公共事業を進めていたか、皆さんにお分かり戴けたと思います。この国を壊した責任は彼らにあります。口が裂けても、彼らを「国を支えて来た優秀な集団」などと呼ぶ訳にはいきません。しかし、監視するジャーナリズムがしっかりしていれば、何とか歯止めが出来ます。でも、残念ながら、そのジャーナリズムも壊れていたのです。

記者の仕事は、「論」より「事実」の報告です。長良川河口堰報道を朝日がどう止めたか。「今更」との読者のご批判も覚悟の上、恥も顧みず、私が具体的経過を書くのは、ジャーナリズムが監視役を放棄した場合、何が起こったかを後世に記録として残して置かねばならないと思ったからです。

既成メディアは、この朝日による長良川河口堰報道弾圧を教訓に、ジャーナリズム本来の精神を取り戻し、五輪報道では権力監視の役割を誠実に果たして行って欲しいと、私は切に願っています。

今回は、私が数々の建設省極秘資料を入手、完全に証拠固めが終わっている河口堰報道を、社会部長から「転勤だから、後輩に引き継げ」などと訳の分からない理由で1行も記事に出来ないまま止められ、1990年9月、名古屋本社社会部から、東京本社政治部に異動してからの話です。

◇朝日4本社にも序列が

朝日には、東京、大阪、名古屋、西部(九州)の4つの本社があります。新聞社が言う「本社」とは、一般会社のそれとは少し意味合いが違います。紙面の編集権を持っているところを「本社」と呼ぶのです。

ニュースは起きたところに近い程、関心が高くなります。遠いと関心は薄く、ニュース価値も小さいのです。全国紙だからと言って、全国一律の紙面を作っていては、読者の関心と一致しません。全国に散らばっている朝日記者は、自分の持ち場に応じた原稿を書きます。編集権を持つそれぞれの本社では、地域のニュース価値に応じ、記者の書いた原稿を取捨選択、見出しの大小も判断し、一つの紙面に作っていきます。

しかし、「本社」と名がついていても、それぞれに社長がいて、対等と言う訳ではないのです。朝日では、社長が常駐する東京が「本社」、発祥地である大阪が「準本社」、名古屋と西部は「支社」と言う位置付けです。

サラリーマン経験のある人なら、その「悲哀」は、お分かり戴けるでしょう。「支社」である名古屋では、幹部の人事権は東京が握っています。東京の「本社」からおかしな人物を幹部に送り込まれると、彼らは自分に都合のいいように「本社」に報告します。地方採用が多い名古屋では、そんな幹部に取り入って、身の安泰を図る人もいます。そんなこんなで、幹部の横暴をなかなか名古屋で止めることは出来ません。

朝日の人事制度は後述しますが、一応、いわゆるキャリア採用の端くれだった私は、とっくの昔に東京本社に異動してもおかしくはなかったのです。でも、前回のこの欄にも書いた通り、当時、名古屋の編集局長や本社代表を歴任した経営幹部との対立で異動が見送られ、40歳を前に初めての「本社」勤務です。

でも、本社なら様々に派閥が拮抗しています。そうそう名古屋のように一人の幹部による横暴は通じません。東京で名古屋社会部長の所業を訴えれば、そのうち潰された河口堰報道も復活出来るに違いないと、私は秘めた思いを持ちつつ上京しました。

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2013年09月04日 (水曜日)

公共事業は諸悪の根源? ジャーナリズムでなくなった朝日 その1(後編)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

新部長が赴任したのは、7月1日です。私は、「完全に、建設省のウソは解明した。証拠も万全だ。説明したい。早く検討会を開いて、報道開始のゴーサインを出して欲しい」と、デスクを通じ即座に申し入れました。

しかし、部長は「とにかく今は忙しい。しばらく待て」の一点張りなのです。確かに新しい部長が来ると、直後は各方面の役所や団体などへの挨拶回りで、多忙な日程が組まれます。しかし、新聞社は何と言っても、報道・記事が大事です。重要な報道が正念場を迎えていたなら、何を差し置いても、そのことから優先的に進めていくのは、これまでの部長なら誰でもしていたことです。

◇「その話なら、おめぃの激励会も兼ねて・・」

「どうも様子がおかしい」と、思い始めたのは、その時からです。ただ、部長が「忙しい」と言う以上、待つしかありません。もう赴任して半月余りが経った頃です。やっと部長から私に「話がある。社に戻れ」と連絡がありました。

「やっと検討会を開いてくれる気になったのか」と、私は勇んで戻りました。でも、「ちょっと内緒で」と、別室に呼び込まれました。部長はうやうやしく「君には、9月から東京本社政治部に行ってもらうことになりました」と、言い渡しました。

もちろんこの話は前にもこの欄で書いたように、その年の正月前後に前部長から聞かされていたことです。だから私は、何とか早く河口堰を記事にしなければと、急いでいたのです。でも、部長はさも自分の努力の結果かのように、人事に恩を売る口ぶりでした。

9月転勤が本決まりなら、連載を実現するまでには、なおさら時間はありません。私は、人事の話はそそくさに、「とにかく、前からお願いしている河口堰報道の打ち合わせを」と、迫りました。

しかし、部長は「その話なら、そのうちゆっくり聞く。そうだ。今月末に人事発表の部会がある。そのあと、おめぃの激励会も兼ねて、飯を食いながらでも聞こうじゃないか」と、言ってきました。

最初はうやうやしく私に「君」を使いました。しかし、この部長は、もともと部下のことを「おめぃ」呼ばわりすることでも、社内で有名でした。新聞記者の言葉遣いは、私も含めて決して褒められたものではありません。しかし、朝日広しと言えども、部下に「おめぃ」呼ばわりする部長は、他にはいませんでした。

「なるほど、社内の評判通りだった」と、内心思いましたが、そんな言葉に腹を立てている余裕はありません。「それでは遅い。建設省にもかなり当たっています。一刻も早く、記事にしたい。調査報道のプロなら、いかにタイミングが大事か、お分かりでしょう」と、説得はしました。しかし、「今は忙しい」の一点張りです。

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2013年09月02日 (月曜日)

公共事業は諸悪の根源? ジャーナリズムでなくなった朝日 その1(前編)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

いよいよ来年度の予算編成作業が始まりました。参院選で自民が圧勝。恐れていた通り、概算要求では各省庁に上限を示さず、青天井です。一応、公共事業は今年度、10%削減とされてはいます。でも、「新しい日本のための優先課題枠」と言う特別枠が設けられ、3.5兆円まで要求が認められます。

震災被災地への復興費までいろいろ名目を考え出し、流用したのがこの国の官僚です。特別枠に見合う名目など難なく見つけ、公共事業の大復活が目に見えています。来年度、予定通り消費税を増税しても、4.5兆円。その大半が公共事業に食い潰され、借金減らしに回らないまま、また増税と言うことになりかねません。

◇「水害から住民の命を守る」というウソ

これまで4回にわたりこの欄で、多額の税金を注ぎ込み、官僚・政治家が利権目当てに進める大型公共事業の内実がいかなるものだったのか、私が解明しながら朝日が記事を止めたことで、読者・世間の皆さんに伝えることが出来なかった長良川河口堰事業の「真実」について書いてきました。

当時の建設省は水余りの中、もともと利水目的が主だった河口堰事業を、1976年9月の長良川安八・墨俣水害を格好の理由づけに、「水害から住民の命を守る」として推し進めました。でも、この水害での最高水位は、堤防下2メートルに建設省が定めた安全ライン(計画高水位)より、さらに1メートル以上も下。堤防上からは3メートル以上下にしか水は来ていなかったのです。

このことを手掛かりに、実は治水上も堰は必要ないのではないかと考え、建設省の数々の極秘資料を入手。同省の行政マニュアル『河川砂防技術基準〈案〉』通りの結果を打ち出すウソ発見器のパソコンを完成させ、解明を進めました。

その結果、90年に1度(90年確率)の毎秒7500トン(計画高水量)の大水でも、堤防の安全ライン以下しか水が来ないのを、建設省は十分承知しながら公表していなかったのです。しかも、私の取材に気付き、川底の摩擦の値(粗度係数)まで改ざん、長良川を「水害の危険のある川」との偽装工作までしていました。

朝日が明文化している記者に求める仕事の第1は、「権力監視」です。それに何より、ジャーナリズムの基本中の基本は、国民の「知る権利」に応えることです。応えないジャーナリズムはジャーナリズムではないのです。

例え、利権に目がくらんだ官僚・政治家が無駄な公共事業をしようとしても、ジャーナリズムが健全で権力監視の役割りを果たせば、歯止めが出来ます。事実を知らせていけば、やがて国民・住民による自浄作用が働くはずです。

ジャーナリズムが腐敗、監視の役割を放棄すれば権力は野放し、やりたい放題です。実際、長良川河口堰では、朝日は恣意的に記事を止め、「権力の陰謀」を知らすことが出来ませんでした。その結果、工事に「待った」がかからず、その後のバブル崩壊で、「不況対策」の名の下に無駄な公共事業が際限なく続きました。この国が1000兆円を超える借金を抱え、今日の苦境に迎えたのも、そのためだと言えなくもないのです。

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2013年08月05日 (月曜日)

公共事業は諸悪の根源? 長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

参院選で自民が圧勝しました。アベノミックス効果なのでしょう。でも、消費者物価が0.4%上がったとはいえ、中身は円安でエネルギー価格が上昇。電気・ガス料金に跳ね返っただけです。給料が上がらず、公共料金の高騰では、ますます家計はひっ迫します。

自民の選挙を支えたのは、既得権益を持つ強大な利権組織です。これから彼らは、大手を振って見返りを要求するでしょう。自民の多くの議員の言動を聞いても、これまで大借金を溜めてきたことや、原発を安全策を怠ったまま推進してきたことにも真摯な反省はありません。高市早苗政調会長の発言が、その典型です。

結果、消費税を上げても、また税収は既得権益層を潤す公共事業に注ぎ込まれます。家計が潤ってこそ、人々に買う意欲が芽生え、デフレ脱却の好循環が生まれます。でも、とてもそうなりそうにありません。来年の今頃、ますます物価は上がり、需要は落ち込む消費税不況に見舞われるのではないかと、私は恐れています。

そうならないためには、公共事業の大盤振る舞いをまず止めることです。官僚利権を排し、規制緩和で民間活力を強め、この国の経済を復活させる以外にないのです。

これまで3回にわたりこの欄で、多額の税金を注ぎ込み、官僚・政治家が利権目当てに進める大型公共事業の内実がいかなるものだったのか、私が解明しながら朝日が記事を止めたことで、読者・世間の皆さんに伝えることが出来なかった長良川河口堰事業の「真実」について書いてきました。今回はその4回目です。今回も、前回までのおさらいから始めます。

(参考:毎秒7500トンが流れた時のシミュレーション水位)

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2013年07月15日 (月曜日)

長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ  公共事業は諸悪の根源

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

参院選の投票日が近付いてきました。私はもう、投票所に足を運ぶ気力さえありません。「利権政治を変える」のが、民主だったはずです。でも、既得権益を持つ団体や労組に媚びを売りました。

そこをしたたかな官僚に取り込まれ、この有様です。維新も官僚と対決するよりも、憲法改正にご執心では、今の惨状は最初から予想されました。結果、ブーメランで元祖利権政治の自民一党支配に戻るなら、ここ何十年、国民と野党政治家は何を学んだかです。

責任は幻想を振りまき、失望させた民主、維新にもあります。でも、何より有権者である国民が政治家任せで、自ら定見を持たずに政策を検証して来なかったことにあると思います。

G8でも、日本の財政再建が急務であると、釘を刺されました。国際社会の方が、この国の現状を余程客観的に見ています。足元を見れば、「異次元の金融緩和」との振れ込みにかかわらず、長期の国債金利は高止まりしています。このまま金利が上がり続ければ、巨額の借金を抱えるこの国は沈没しかありません。

問題は、溜まり溜まった官僚・政治家の腐敗により肥満化した財務体質からいかに脱却し、強靭な筋肉質にこの国を変えられるかです。「国土強靭化」などと称して、自民の進める公共事業の大盤振る舞いなど、もってのほかです。

財政再建のために増税が不可避なら、官も身を切る。私は「強靭化」という「肥満化法案」ではなく、増税するなら、増税分と同額の政策経費削減を義務づける法案を提案します。つまり、1兆円増税するなら、これまでの予算からも1兆円削る法案です。それなら2兆円の財政改善効果が生まれ、改革が加速します。そんな法案作ってくれる党があれば、私は喜んで投票所に行きます。

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2013年06月26日 (水曜日)

公共事業は諸悪の根源? 長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ 【再掲載】

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

アベノミックスで第3の矢、「成長戦略」が出た途端、株価は大暴落しました。参院選で従来の自民の票田である既得権層に媚びを売り、肝心の規制緩和にはほとんど手付かず。具体策を欠く一方で、道路など大規模補修を隠れ蓑に「国土強靭化計画」と称して公共工事の大復活です。八ツ場ダムも建設に向けて大きく舵を切りました。これでは借金漬けで、この国はやがて沈没するのではないかと、市場が心配しても無理からぬところです。

前回のこの欄で、官僚・政治家がいかに国民・住民を欺き、利権目当てに無駄な公共事業を押し進めるものか、私が解明を始めた長良川河口堰について、取材の経過を具体的に書いてきました。今回はその続き、二回目です。

建設省が国交省と名前は変わっても、やっていることは、長良川河口堰も、八ツ場ダムも大きな違いがないと、私は思っています。だから、長良川河口堰で、何が行われてきたか。官僚たちにこれ以上無駄な税金を使わせないためにも、朝日が記事を止めたことで、国民・住民に知らせることが出来なかった、その「真実・内情」をぜひ、多くの皆さんに知って戴きたいのです。

◇口実となった安八水害につてのウソ

前回のおさらいをまず、しておきましょう。 長良川河口堰計画が持ち上がったのは、1950年代の高度成長期。河口の南、四日市市に工業コンビナートが造られ、鉄鋼、化学などの重厚長大産業は、大量の工業用水を必要としていたからです。

しかし、1980年年代後半、バブルで経済は隆盛でも重厚長大産業時代は去り、水需要は全く伸びていませんでした。建設省が、河口堰の建設理由・名目を「利水」から、「治水」に大きく転換させたのはこの時です。

格好の理由付けになったのは、1976年9月に起きた長良川安八・墨俣水害でした。何としても着工に漕ぎ着けたい建設省にとっては、「水害から住民の命を守るためには、堰は不可欠」と主張することは、水余りの中で、「税金の無駄遣い」との建設反対運動の高まりに対抗する最も好都合な理由だったという訳です。

安八水害は、台風の影響でシャワーのような大雨が4日間も降り続いたことで起きています。しかし、この時の決壊場所付近の実測最大流量は毎秒6400トン。でも、よく取材してみると、その時の水位は4日間の最高でも、堤防下2メートルに建設省が定めた安全ライン(計画高水位)より、さらに1メートル以上も下。堤防上から見れば、3メートル下にしか水は来ていなかったのです。

このデータから言えることは、毎秒6400トン流れる大水程度では、長良川堤防には十分な余裕はありました。「安八水害は堤防高や川幅、川底の深さが足りない流下能力(河道容量)の不足によって起きた洪水ではなかった」とまでは明確に言えます。それでも大量の濁水が家屋や田畑を飲み込んで、大水害になったのは、堤防に弱い個所があり、その場所に穴が開き、もろくも崩れたのが原因です。

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2013年05月24日 (金曜日)

公共事業は諸悪の根源 長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

世間は、アベノミックスに浮かれています。でもその間に、公共事業見直し問題の象徴でもあった八ツ場ダムの関連に多額の予算がつき、いよいよ本格着工に向けて動き出しました。

「無駄な公共事業を中止し、官僚利権国家から脱皮する」として政権を取ったはずの民主党政権。でも、官僚に取り込まれで瓦解…。民主を批判、「本気で行政改革し、この国の姿を変える」として、国民の支持を得て来たはずの維新も、憲法改正の方に熱心。従軍慰安婦を巡る発言で橋下氏の底も見えました。自らの発言の言い訳に四苦八苦で、「聖域なき行政改革」どころか、八ツ場ダムさえ全く無関心です。

そんな風潮に悪乗り。この国の財政を破たん寸前にした責任などどこ吹く風て゛、懲りもせず、公共事業の復活を声高に叫ぶ官僚と利権政治家の高笑いが、私には聞こえます。彼らが我が世の春を謳歌、アベノミックスに乗じて、この国をますます食い潰してしまわないか、本当に心配になります。

「利権国家からの脱皮」を、人気取りで口にする政治家は多くいます。でも、本気で目指す政治家など、この国にはほとんど居ないことは、民主と維新の現状を見ても明らかです。ただ残念ながら、政治家だけでなく、私の古巣の「朝日」と言う「ジャーナリズム」も同様でした。

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2013年05月03日 (金曜日)

言行一致で表現・報道の自由を守る覚悟を 、5・3の憲法記念日に複雑な思い

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

北朝鮮問題で中国、韓国との緊密な関係が何よりも必要な時です。でも、連携をぶち壊す靖国神社への閣僚・国会議員の参拝です。両国のみならず、米国からも強い反発が出ています。

憲法9条が改正されたなら…、万一、この国が核武装まで言い出すならなおさら、この程度の反発では済まないでしょう。東アジアの安定からも、憲法9条の堅持がこの国の政治・外交にとって、最もふさわしい現実政策であることを私は何度もこの欄で言って来ってきました。このことからも改めてご理解戴けたのではないでしょうか。

私も含め、過去の戦争で命を失った人とご遺族に対し、深い哀悼の念を持たない人はいないでしょう。しかし、靖国参拝の是非となると、人々の心は様々に分かれます。まして、国土が戦場になり、占領に近い状態の中で多くの人が亡くなった他国の人たちの気持ちは、察してあまりあるものがあります。

勇ましい言葉は、誰にも吐けるのです。しかし、言葉には、相手の気持ちに対する思いやりと説得力、自分の言葉への責任が伴います。言葉を操ることを生業とする政治家やジャーナリストなら、なおさらです。

靖国参拝をした議員と9条改正を口にする議員は大半が重なるでしょう。しかし、彼らが中国や韓国に行き、自らの靖国参拝の正しさについて説得力を持って説き、相手の納得を得たと言う話を、私は聞いたことがありません。その結果、北朝鮮にスキを与え、万一の事態を招いてしまったら、誰がどう責任を取るのでしょう。支持者受けし、票にもつながるとの安易な考えで、後先考えず靖国参拝している議員がいるとしたなら、あまりにも無責任です。

◇朝日襲撃事件と朝日の報道姿勢

そんな中で、今年も「5.3」迎えます。この日は言うまでもなく、1947年、この国が戦後の再出発を誓い、平和憲法が施行された記念日です。ただ、私の古巣の朝日新聞社にとっては、もう一つの特別な日でもあるのです。

1987年5月3日夜、兵庫県西宮市にある阪神支局が襲撃され(警察庁指定116号事件)、当時、29歳だった小尻知博記者の命を奪われたからです。

実は私はその日をいつも複雑な思いで迎えています。人々の命と生活を何より大事にしなければならない政治家が、それに真剣に取り組んでいない現実があるのと同様、何よりも「表現・報道の自由」を守らなければジャーナリズム、とりわけ朝日が、人様に格好のいいことを言っても、言行一致で心からこの権利を守ることに真剣に取り組んでいるのか、という疑問を感じざるを得ないからです。

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2013年03月18日 (月曜日)

憲法9条の未来、自然再生エネルギーは、争いを防ぐ

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

これまでの記者経験に基づき、私はこの欄で、憲法9条をこの国が堅持する必要性を考えて来ました。今回でいったん憲法論に、1区切りをつけます。そこで、この国が人類史的にも画期的とも言える憲法9条を、将来的にも堅持するために何が必要かに思いを巡らしたいと思います。

「憲法9条は、観念的な理想論に過ぎない」「米国からの押し付け憲法」との意見もあります。でも、9条は現実論です。この国に住む人々のDNAからも受け入れる素地があり、むしろ誇りであることを、これまでの4回の連載から分かって戴けたのではないでしょうか。

「9条の未来」も、もちろんその延長で考えれば、自ずと方向性は見えます。9条を支えたのは何か。足らざるものは、何だったのか。もう一度、前回までの4回をおさらいしてみれば、この国が9条に基づき未来を切り拓くカギは、原子力などではなく、自然再生エネルギー技術を磨くことにあると、私は思っています。

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2013年02月28日 (木曜日)

領土侵略なき戦後日本の繁栄 憲法9条を支えたのは、技術力

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

前回の本欄で、私は東北赴任の経験からこの国の古き祖先、縄文人のDNAから憲法9条が根付いた訳を考えました。

今回は、東京・政治部記者から理不尽な人事で愛知県・豊田市に赴任・幽閉された時の体験に基づいた話です。実はその時、縄文人が世界史的には類い稀な人類であったのと同様、戦後の日本人は、人類史の中で類い稀な一つの実証をしたことに気が付いたのです。つまり、資源もない小さなこの国を、領土の拡張なしに世界第2位のGNPを持つまでに成長させたことです。

戦時中、空襲でほとんど工場が狙い撃ちされ、戦後、働きたくても働く場所のない焼け野原の中で、人々は立ちすくみました。乏しい資金の中でやっと工場を建て、真面目に働き、技術力を磨いたことが、今の繁栄に繋がったのです。

戦争によって国土を拡げなくても、世界屈指になるまでに国力を伸ばせた……。その基盤が人類の理想とも言える「9条」を堅持する道を世界で初めて切り開いたとも、言えるのではないでしょうか。

ただ、欲に目がくらみ、おごり高ぶったことでバブル崩壊を招き、今ではGNPでも中国に抜かれ、この国は元気を失くしています。でも今は、9条を簡単に捨て去る時ではないと思います。もう一度この国の戦後の歩みを振り返り、人々が自信を取り戻して欲しいのです。

9条で可能になった「軽軍備」が、いかにこの国を支えて来たか。逆に9条によりもたらされた「侵略なき繁栄」が、9条を支える基盤をこの国に作り出したか。「自主独立」とは、何も軍備で独立することだけではないはずです。豊田で私が見たことをヒントに、この国の「戦後の繁栄」の原点は何だったのかを、冷静に見つめ直して戴ければ、いかがでしょうか。

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