1. 公共事業は諸悪の根源? ジャーナリズムでなくなった朝日 その1(前編)

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2013年09月02日 (月曜日)

公共事業は諸悪の根源? ジャーナリズムでなくなった朝日 その1(前編)

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

いよいよ来年度の予算編成作業が始まりました。参院選で自民が圧勝。恐れていた通り、概算要求では各省庁に上限を示さず、青天井です。一応、公共事業は今年度、10%削減とされてはいます。でも、「新しい日本のための優先課題枠」と言う特別枠が設けられ、3.5兆円まで要求が認められます。

震災被災地への復興費までいろいろ名目を考え出し、流用したのがこの国の官僚です。特別枠に見合う名目など難なく見つけ、公共事業の大復活が目に見えています。来年度、予定通り消費税を増税しても、4.5兆円。その大半が公共事業に食い潰され、借金減らしに回らないまま、また増税と言うことになりかねません。

◇「水害から住民の命を守る」というウソ

これまで4回にわたりこの欄で、多額の税金を注ぎ込み、官僚・政治家が利権目当てに進める大型公共事業の内実がいかなるものだったのか、私が解明しながら朝日が記事を止めたことで、読者・世間の皆さんに伝えることが出来なかった長良川河口堰事業の「真実」について書いてきました。

当時の建設省は水余りの中、もともと利水目的が主だった河口堰事業を、1976年9月の長良川安八・墨俣水害を格好の理由づけに、「水害から住民の命を守る」として推し進めました。でも、この水害での最高水位は、堤防下2メートルに建設省が定めた安全ライン(計画高水位)より、さらに1メートル以上も下。堤防上からは3メートル以上下にしか水は来ていなかったのです。

このことを手掛かりに、実は治水上も堰は必要ないのではないかと考え、建設省の数々の極秘資料を入手。同省の行政マニュアル『河川砂防技術基準〈案〉』通りの結果を打ち出すウソ発見器のパソコンを完成させ、解明を進めました。

その結果、90年に1度(90年確率)の毎秒7500トン(計画高水量)の大水でも、堤防の安全ライン以下しか水が来ないのを、建設省は十分承知しながら公表していなかったのです。しかも、私の取材に気付き、川底の摩擦の値(粗度係数)まで改ざん、長良川を「水害の危険のある川」との偽装工作までしていました。

朝日が明文化している記者に求める仕事の第1は、「権力監視」です。それに何より、ジャーナリズムの基本中の基本は、国民の「知る権利」に応えることです。応えないジャーナリズムはジャーナリズムではないのです。

例え、利権に目がくらんだ官僚・政治家が無駄な公共事業をしようとしても、ジャーナリズムが健全で権力監視の役割りを果たせば、歯止めが出来ます。事実を知らせていけば、やがて国民・住民による自浄作用が働くはずです。

ジャーナリズムが腐敗、監視の役割を放棄すれば権力は野放し、やりたい放題です。実際、長良川河口堰では、朝日は恣意的に記事を止め、「権力の陰謀」を知らすことが出来ませんでした。その結果、工事に「待った」がかからず、その後のバブル崩壊で、「不況対策」の名の下に無駄な公共事業が際限なく続きました。この国が1000兆円を超える借金を抱え、今日の苦境に迎えたのも、そのためだと言えなくもないのです。

◇報道・表現の自由を守る厳しさ

「報道・表現の自由を守れ」は、御念仏のようによく語られます。腐敗したメディアも建前論を言うので、白々しく感じる方も多いと思います。でも、本当に「『報道・表現の自由』を守る」言うことは、抽象論ではなく、国民・住民自らの権利と生活を守ることなのです。ぜひ、私の実例からそのことを分かって戴きたいのです。

私に「『報道・表現の自由』を守る」気概・勇気があったなら、朝日を辞めて、個人でも出来たことだったかも知れません。「何を今更」とのご批判があるなら、甘んじてお受けする以外にありません。その点では、皆様に大変申し訳なく思ってもいます。

古巣を批判するのも、私の勇気のなさを正直に告白するのも辛いものがあります。でも、黒薮哲哉氏が主宰するこのブロクは、「MEDIA KOKUSHO」です。ジャーナリストなら、あらゆる分野でタブーを作らず、知った事実を報告する義務があります。メディア内部の腐敗も例外ではないのです。

どのように朝日が記事を止めたか。拙書「報道弾圧」(東京図書出版)に詳しく書いています。でも、サイトの趣旨に沿い、今回からこの欄でも恥を忍んで概要の報告をして行きたいと思います。それが「報道・表現の自由」と、人々の「知る権利」を守ることに真剣なジャーナリズムがいかに大切か。最も具体的に分かって戴ける早道と考えるからです。

前回のおさらいです。私が取材で解明した建設省の記者会見のウソの系譜・手の内は、時系列・年代で整理すると、以下のようになります。

◇長良川河口堰問題の年表

1962年 建設省は、治水ための必要浚渫量を「1300万トン」、利水からの必要量を「3200万トン」と算出。極秘の「長良川河口堰調査報告書」を作成。

1968年 建設省は「治水」、「利水」を区別することなく、「治水・利水に必要な浚渫量は3200万トン」として、閣議決定に持ち込む。

1972年 「河口堰建設事業」の一環の長良川川底の土砂を浚渫する事業開始(1990年までに900万トンの浚渫と地盤沈下で300万トンの同様効果)。  1976年 安八水害発生。建設省は水余りの中、「治水のために、堰建設は不可欠」と大宣伝を始める。 1984年 安八水害のデータから、コンサルタント会社に依頼して、長良川の最新の現況粗度係数を算出。マニュアルではこの値で直ちに治水計算しなければならない。しかし結果は、最大大水時の水位は完全に安全ラインを下回り、「治水のためには堰不要」との結論になる。公表せず、ひた隠しにした。

1988年 木曽三川の改修100年記念事業として『木曽三川?その流域と河川技術』を発刊。頭隠して、尻隠さずで、安八水害のデータで算出した本物の「長良川の現況粗度係数」を掲載。

1989年 岐阜県は、建設省から渡された72年の河床データと「計画粗度」で計算した水位シミューレーションをパネルにして県庁正面に掲げ、「堰を造らないと、洪水の心配がある」と、住民を説得。

1990年2月 建設省が記者会見。計算根拠を明らかにしないまま、「現況の長良川は最大大水時、水位は安全ラインを1メートル弱上回り、洪水の危険がある。治水のためにあと1500万トン以上の浚渫が必要で、堰は不可欠」と説明。

1990年3月 私たちが取材で、『河床年報』を要求。「不等流計算」され、結果が露見するのを恐れた建設省は、さらなる取材対策のために、新しい「粗度係数」の算出にとりかかる。

1990年4月 新しい「粗度係数」の値を作り上げる。「4.9」の日付でペーパーを作成。この係数で計算すると、安全ラインを上回り、「堰必要」との結論にひっくり返る。 1990年6月 私たちが取材。建設省は「待ってました」とばかり、新しく算出した「粗度係数」のペーパーを示し、「この係数が正しい」として、堰建設の論拠とする。

◇「役所が無茶なウソまでつくとは思えない」

私は1990年4月、社会部長から「建設省も役所だから、無茶なウソまでつくとは思えない」として、補足取材を命じられたことも、前回のこの欄に書きました。

具体的な補充点は、?「治水上必要ない」との結果について、もう少し別の学者の意見を聞き、実名で計算結果を発表してくれる学者を探す?少なくとも,計算結果が,水理学的に正しいとのコメントを出してくれる学者を見つける?建設省がどのような計算をし,記者発表をしたのか。これまでのルートを通じて、その手の内をさらに深く探る――の3点です。このどれか1つでも条件を満たせば、記事にしてくれる約束でした。

私はまず?を満たす学者を見つけました。6月末までさらに取材を続け、いかに建設省が記者会見でウソをつき続けて来たか、建設省が記者会見で並べたウソの根拠も突き止め、前記時系列の通りの手の内をすべて解明しました。?が分かれば、??は蛇足に過ぎません。それに?は、私が入手した極秘資料で全て裏付けられていて、「真実性」の証明も十分です。

6月末に社会部長が異動、私はその間も時間を惜しみ、皮切りになる原稿のほか、その後連日キャンペーンがはれる10本ほどの続報原稿も書き終えました。もちろん水害の危険のない長良川を、あるかのように見せかけ、「治水のため」と強引に堰を着工しようとする建設省の姿を、解明。ウソの系譜・時系列に沿い、読者の皆さんにあますところなく知らせるものです。

自然と人命のどちらが大事か。このようなテーマであれば、意見は様々に分かれます。「自然」に対して思い入れの強い記者が書いた原稿をどう扱うか。朝日の編集方針、組織・上司の考えで、記事にするか否かでは様々な議論になり、正直、上司がブレーキを掛ける時もあります。 しかし、私が求めたのは、そんな次元の問題ではないのです、無駄を承知で建設省は2500億円もの公共工事をしようとしているとの事実を、人々に知らせる記事です。「権力監視」が「ジャーナリズムの使命」で、人々の「知る権利」に応える責務がある朝日なら、当然のこととして紙面を使い、人々に知らせなければならない「事実」です。

◇リクルート報道の立役者・調査報道の神様が・・

前任は、慎重の上にも慎重を期す官僚タイプの部長でした。でも、7月に着任した新部長は、「談合」「公費天国」など数々の調査報道で名を馳せ、何より、未公開株による政官界工作を暴いた「リクルート事件」報道の立て役者、ベテラン調査報道記者でもあったのです

「調査報道の達人なら、私の手法、証拠の万全性は良く分かるはずだ」と、私も期待していました。でも半面、「この人物は何を言い出すか分からない」との一抹の不安も感じていたのです。

何故なら新部長は、内情を知らない若い記者の中には「調査報道の神様」と、素直に信奉する者もいました。しかし、近くで一緒に仕事した人であればあるほど、評判は決して好ましいものではなかったからです。

「○○氏はアンタッチャブル」「あの○○が……」「○○さんのやることなら」……。人・立場によって呼び方は異なっても、華々しい調査報道の戦果とは裏腹にそんな枕詞のつく毀誉褒貶の多い人物です。建設省に強い影響力を持つ大物政治家との親密な関係や、同僚・先輩との聞くに耐えない確執のいくつかは、私も耳にしていました。

何より、私が社内で理不尽な体験をし、その糸を手繰っていくと必ずと言っていいほど影がちらついて見えた当時の社会部畑の経営幹部と、「急接近している」とのウワサも流れていました。

◇愛知県警の裏金問題も闇に葬る

私がこの経営幹部と最初にぶつかったのは、私が殺人や強盗などの凶悪事件を追う愛知県警1課担当の警察記者時代です。その時、東京・社会部からこの部長と並んで調査報道で誉れの高いベテラン記者が愛知県警の裏金資料を持って、名古屋に現れました。

私もその記者とはそれまでも親しい関係でした。「これを記事にしたい」と見せてくれた資料を見ると、警察幹部のよく出入りする飲食店名が並んでいました。私は一目で信ぴょう性が高いと判断、「裏付けを取り、記事にしましょう」と、答えました。

ただ、その時確かに「時期が悪い」と思わないでもなかったことも事実です。当時、警察官から奪った拳銃を使った連続殺人事件など一面で報じる重要事件が目白押しで、取材競争も過熱。一つでも特ダネになる警察情報が欲しい時でした。捜査情報を独占、小出しに報道各社にばら撒き、裏金など警察の痛い腹を、記者たちに嗅ぎまわらせないように報道機関対策をしていたのが県警幹部です。

朝日が「裏金」を記事にしたら、県警幹部の怒りを買い、どんな嫌がらせを受けるかも知れません。少なくとも幹部からの情報は入らず、事件報道で遅れを取ることは覚悟しておく必要があります。

ただ、私は本当に警察の仕事を愛し、出世にも興味もなく、事件の解明だけを純粋に目指す、何人ものたたき上げの刑事(デカ)さんと親しくしていました。

◇「こんなネタは、警察との取引に使えばいい」

こんなデカさんは、幹部の腐敗を常々苦々しく思っています。裏金が記事になり、私や朝日が幹部に嫌われることになっても、その時はこんなたたき上げのデカさんが、私を助けてくれるとの確信もありました。 ? 資料の裏付け取材もほぼ終わり、この記者が記事にしようとした時です。当時、名古屋の編集局長だったこの幹部は、「こんなネタは、警察との取引に使えばいい」と、露骨に記事を止めたのです。

事件取材に正面に立っている警察担当記者として、私は「事件は事件。この問題はこの問題。きちんと記事にすべきではないですか」と、もちろん反論しました。すると、幹部は気色張り、「生意気言うな。これからお前は、事件で他社に抜かれるなんてことは一切ないのだろうな」と、私を一喝しました。

名古屋編集局長は、朝日の取締役に昇任するための最終関門です。幹部は、大事件の報道で遅れを取れば、自分の昇任にも響くと考えていたのかも知れません。

テレビ局も含めて10数社がしのぎを削る警察取材です。5勝5敗なら、よほど優秀な事件記者。3勝7敗、2勝8敗でもまあまあです。全部勝つという自信は、私にもありません。でも、親しいデカさんが支えてくれるので、何とか他社と対等の勝負は出来るとの自信はあります。私は、「裏金を記事にしよう」という主張を曲げませんでした。

幹部は私が抵抗すると、上司の県警キャップやデスクに指示。キャップは、最後は渋々従い、県警幹部のところに出掛けて行きました。よほど嫌な思いをしたのでしょう。キャップは戻っても多くを語らず、県警幹部とどんな話になったのか、私も詳しくは知りません。ただ、裏金が記事として日の目を見ることはなく、先輩は悔しい思いで、東京に帰りました。

◇愛知県政のマスコミ接待取材も没に

2度目は、私が県警から愛知県政へ担当替えとなった時です。「県庁各部署の中に、億単位の裏金を作る仕組みがある。金の使途も、部署ごとにあらかじめ役割が決められている」という県庁の裏金情報を入手しました。

情報には、「マスコミ関係者を接待する金を捻出する部署も、各社ごとに複数ある」「朝日の担当部署で捻出した金は、記者にまんべんなくということではなく、特定の人物が大半を使っている」という話もありました。

もちろん、こんな組織です。朝日の問題に触れたら、記事にしてもらえるはずはありません。県庁全体の裏金にメスを入れれば、朝日への裏金もなくなり、社内浄化も進むだろう……。そんな思いで私は社内にも知られないよう、潜行取材を始めました。ところが、キーマンとなる関係者に当たり始めてまもなくの頃です。社会部長から「遊軍に移って欲しい」と通告され、私は県政担当から突然外されたのです。

県政担当とは、県庁の行政などを追いかけるとともに、選挙取材がもっとも重要な仕事です。総選挙が目前に迫っていた時期です。そんな時に3人いる担当のうち、1人をはずすことは通常考えられません。私は理由を尋ねましたが、「とにかく、とにかく……。悪いな」と言うだけ。それ以上、部長は何も語らず、それ以降、私と会うと伏し目がちになりました。

この時、例の幹部は、編集局長から名古屋本社代表に昇任していました。私は県警の時のように、直接この幹部から怒鳴られた訳ではありませんから、背後にこの幹部がいたと言う確証はなく、そう決めつけるつもりもありません。

ただ、この社会部長は、記者としての華々しい実績は、それまで聞いたことがありませんでした。「幹部が自分の思い通りに社会部を操縦するため、引っ張ってきたのだろう」との部内のウワサや露骨な派閥人事が絶えず、この問題に限らず、「何でも上の言いなり」と、部員の評判は決して芳しいものではなかったのは事実です。

私は、こんなこともあり、飲み屋で同僚・先輩にこの幹部を批判することもありました。でも、その話を幹部にご忠信する人物がいるのも、朝日と言う組織です。

幹部が東京・編集局長に移る時、「俺の目の黒いうちは、あいつは絶対に東京本社には来させない」と言い残したと、当時の上司の一人から聞きました。こんな訳で、私の名古屋本社在籍は10年近くになっていました。

私はウワサ通り新部長がこの幹部と繋がっているのなら、何でもあり。たとえ建前でも、朝日社内でまだ語られている「ジャーナリズムの使命」とか「倫理」と言う言葉さえ、まともに通じる相手ではないと思わざるを得なかったのです。当たり前に記事になるはずのこの河口堰報道もどうなるか。実はこの時から強い不安を感じ始めました。結論から先に言うと、残念ながらこの不安が現実になりました。(後編へ続く)

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。