1. 公共事業は諸悪の根源 長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ

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2013年05月24日 (金曜日)

公共事業は諸悪の根源 長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ

世間は、アベノミックスに浮かれています。でもその間に、公共事業見直し問題の象徴でもあった八ツ場ダムの関連に多額の予算がつき、いよいよ本格着工に向けて動き出しました。

「無駄な公共事業を中止し、官僚利権国家から脱皮する」として政権を取ったはずの民主党政権。でも、官僚に取り込まれで瓦解…。民主を批判、「本気で行政改革し、この国の姿を変える」として、国民の支持を得て来たはずの維新も、憲法改正の方に熱心。従軍慰安婦を巡る発言で橋下氏の底も見えました。自らの発言の言い訳に四苦八苦で、「聖域なき行政改革」どころか、八ツ場ダムさえ全く無関心です。

そんな風潮に悪乗り。この国の財政を破たん寸前にした責任などどこ吹く風て゛、懲りもせず、公共事業の復活を声高に叫ぶ官僚と利権政治家の高笑いが、私には聞こえます。彼らが我が世の春を謳歌、アベノミックスに乗じて、この国をますます食い潰してしまわないか、本当に心配になります。

「利権国家からの脱皮」を、人気取りで口にする政治家は多くいます。でも、本気で目指す政治家など、この国にはほとんど居ないことは、民主と維新の現状を見ても明らかです。ただ残念ながら、政治家だけでなく、私の古巣の「朝日」と言う「ジャーナリズム」も同様でした。

◆長良川河口堰から八ツ場ダムへ

私はこれまでこの欄で、私は記者時代、「無駄な公共事業の典型」として、解明に取り組んで来た長良川河口堰報道が朝日新聞社から止められたことを何度も書きました。

編集局長に異議を申し立てたことを発端に、記者職を剥奪されブラ勤になったこと…。その後、人事の不当差別を訴えた訴訟では、ありもしない「取材不足」を、審理もせずに「あった」とデッチ上げ判決されたこと…。「表現・報道の自由」、国民の「知る権利」が、国家権力に隷属する司法により、いかに急速な侵害が進んでいるかについても訴えて来たつもりです。

しかし、「いくら最近の朝日が劣化したとはいえ、記者がまともに取材したのなら、露骨に記事を止めることはないのでは」「取材不足が本当にないなら、裁判所も『ある』などとのデッチ上げ判決まではしないはずだ」「記者の勝手な思い込みに過ぎないのでは?本当は取材不足があったのでは」といった疑問も寄せられました。

長良川河口堰取材については、拙書「報道弾圧」(東京図書出版刊)に詳しく書いています。しかし、こうした疑問がある以上、改めてこの欄でも概要を書いておこうと思います。

今更、何故、過去の長良川河口堰問題をこの欄で蒸し返すのか。筆者の朝日や裁判所に対する恨み・つらみだけではないのか。そんなご意見もあろうかと思います。

しかし、八ツ場ダムが「公共事業見直し問題」の現代の象徴であるとすれば、長良川河口堰は「無駄な公共工事」について、住民・国民が初めて本格的に気づき、運動を始めた原点。古くて新しい問題です。長良川河口堰の建設のため旧建設省がついたウソ・言い訳の手口が、八ツ場ダムなど現在のダム問題でも国交省によって引き継がれていると言っても過言でないからです。

長良川河口堰の本質を知れば、八ツ場ダムの本質も分かります。だからこそ今、多くの皆さんにもう一度、長良川で建設省が、いかに住民・国民を騙し、無駄な公共事業を推し進めたのか。朝日が私の記事を止めたことで、読者・国民の皆さんに知らせることが出来なかった真相を、改めて知って戴きたいと思います。

◆選挙対策としての公共事業か?

理由は次の二つです。 一つは自民党政権になり、公共事業が大手を振って復活していることです。安倍政権の悲願は、憲法、とりわけ9条の改正にあるのは疑う余地はありません。そのためには何としてでも夏の参院選では、改正発議に必要な3分の2を改憲勢力で確保したいと考えているのも間違いないでしょう。

なら、旧来の自民党の票田・資金源であり、選挙の手足となって来た土建業者を潤わせ、選挙に万全を期す必要があります。そのための党利党略・選挙・世論対策で公共事業による利権のバラマキを、借金のこれ以上の積み重ねによって賄うことなどあってはならないからです。

もう一つは、その結果、何が起きるかです。無駄な公共事業は、建設に巨額な税金が注ぎ込まれるだけで済まないのです。その後も多額の維持費が毎年必要になり、ますます財政赤字が積み上がります。国の借金だけで1000兆円近くまで膨れ上がってしまったのも、そのためです。

これまではまだ、日銀の国債買い入れ枠の制限もあり、国は市中で消化出来る範囲を大幅に超える国債を発行出来ないという制約がありました。それで無駄な公共事業に抑制されてきた面もあります。しかし、アベノミックスで国債が実質無制限に日銀引き受けとなれば、歯止めを失い、これまで以上に無駄な公共事業が乱発される危険が大きいからです。

東北大震災の復興のためにと、国民が乏しい家計の中から工面して出している税金まで流用して平気なのが、この国と官僚と政治家です。彼らに、「税金をくすねるな」と諭しても無駄と、私はとっくに諦めています。でも、くすねるのに、公共事業を介在させることだけは、何としても止めなければなりません。

何故なら、そっくり税金をくすねられる方がまだましだからです。私は現役記者時代、公共事業の場合、政治家や官僚に回り回って還流するのは、事業費の10?20%とよく聞いていました。例えば、政治家・官僚が1億円を自分たちに還流させたいと考えるなら、直接くすねられるなら1億円の税金で済みます。でも、無駄な公共事業を介在させての還流なら、使われる税金はその5―10倍の5億円―10億円も掛かってしまうのです。

でも、超高齢化社会を迎えているこの国はもう、巨額の国債を返す能力をほとんど失っています。その点を国際投機筋に突かれ、市場で国債の売り浴びせが起きるなら、金利は暴騰。ますます返済不能になり、円は紙切れ同然。国の破滅に繋がります。日銀の思惑に反し、10年物国債金利が急上昇を始めたのは、大手銀行の国債売りが発端とも言われていますが、市場は10年後のこの国の国債返済能力に不安を感じ始めたからでしょう。

◆利権政治の復活

別に私は安倍首相を敵視するつもりはありません。民間の資金需要不足というこの国を取り巻く金融環境の中では、取り得る金融政策は限られています。黒田・日銀が国債購入することにより市中に金をだぶつかせ、市中金利の低下を促すと言う手法は円安にも繋がります。

金融政策としては、この国が取り得る一つの手段であり、その政策そのものまで全否定するものではありません。民間活力によってこの国の再生を目指すアベノミックスの規制緩和策には、幾つか見るべきものがあるとも、正直、私は思っています。

でも、古来、放漫財政で借金を溜め続けた国が繁栄した例はありません。「従来のような無駄な公共事業に手を染めるつもりはない。施設の老朽化で、補修のための公共工事が必要だ」との政治家の言い訳があります。でも、これもウソです。その証拠に,八ツ場ダムが動き出しました。今年度公共事業予算のうち、4分の3は従来型のハコもの建設です。

私は前回までのこの欄の憲法論で心配したことが現実となり、安倍首相の国家・憲法観、外交姿勢には、中国、韓国のみならず、案の定、米国からも強い反発が出始めました。橋下発言もしかりです。

アベノミックスの最大のリスク要因は、安倍首相自身やその取り巻き、憲法改正を目指す人たちの国家観と、旧来の既得権益層に媚びを売り、懲りもせず無駄な公共事業のバラマキを続けて財政を膨らませる自民党の利権体質であると、私は思っています。

前置きが長くなりました。どこまで官僚や政治家がウソ、理不尽な言い訳を弄して、無駄を承知で国家財政を食い潰す公共事業を強行するものか。今だからこそ、無駄な公共事業批判の原点、長良川河口堰で国民・住民を騙す手口を、具体的に多くの人に知って戴きたいと私が思う理由も、そこにあります。 そのため、私が「長良川河口堰建設理由のウソ」の解明に本格的に乗り出した1987年に、時計の針を一旦戻します。

◆長良川河口堰問題とは

その年、私は朝日新聞名古屋本社の社会部記者として、今の八ツ場ダムのように本体着工に向けて大きく動き出した長良川河口堰報道をする連載チームに組み込まれていました。

霊峰白山に近い岐阜県奥美濃に源を持つ長良川は、全長166キロ。岐阜県を縦断。やがて木曽、揖斐川に接するようにして三重県桑名市の伊勢湾に注ぐ木曽川水系の一つです。四万十川、柿田川とともに「日本三大清流」の一つに数えられ、途中、適地がなく、ダムは建設されていませんでした。そのため、「本州で唯一ダムのない自然の大河川」として、自然愛好家や釣り人からも熱い視線を受けていました。

その長良川に河口堰計画が持ち上がったのは、1950年代の高度成長期です。河口の南、四日市市に工業コンビナートが造られ、鉄鋼、化学などの重厚長大産業は、大量の工業用水を必要としていたからです。

上流にダムが造れなければ、増え続ける工業用水を賄うには、河口に堰を作って水を溜め、取水する以外にありません。堰直近の上流川底の土砂を深く浚渫すれば、河口に水を溜める容量が生まれ、大量貯水は可能です。でも、河口近くなので、掘れば海水が逆流、溜めた水は塩水化します。工業用水としては真水が必要です。海水の溯上を食い止める堰の建設が不可欠と言う訳です。

しかし、着工に向け本格的に動き出した1980年代は、バブル崩壊手前で経済は隆盛を極めていても、すでに重厚長大産業の時代は去り、コンビナートの水需要が増える要素は全くありませんでした。でも、談合で10年、20年先の受注業者まで決まっていると言われていたのが、公共工事です。

当時から経済環境の変化で、必要性の低下した公共事業は、全国至るところにありました。しかし、1ヶ所見直せば、ドミノのよう次々他の見直しも迫られます。談合全体を組み替えなければならず、業界秩序、利権構造も大きく混乱します。巨大事業の裏でうごめく利権、政治献金、天下り……。水需要がないからと言って、河口堰の着工を見直すことなど、この国の政治・官僚・業界体質ではあり得ることではなかったのです。

一方、これまでの自然保護的な堰反対運動をして来た人たちは、そんな公共事業の無駄に気付き始めていました。「堰は自然破壊に留まらない。水はもう要らないのだから、税金の無駄遣いに過ぎない堰中止は当然だ」と、反対運動の論点も変わって来ていたのです。

◆「水害の危険」というウソ

建設省が、河口堰の建設理由・名目を「利水」から、「治水」に大きく転換させたのはこの時です。水需要が全く伸びていないのは、誰の目からも明らかです。「利水面」からの住民運動を説得することは、無理。そう感じ始めたから、「治水」を堰建設理由の前面に押し立て始めたのでしょう。

格好の理由付けになったのは、1976年9月に起きた長良川安八・墨俣水害でした。台風17号の集中豪雨で、岐阜市より少し下流、岐阜県安八町の長良川堤防が決壊。濁流が隣の墨俣町などにも流れ込み、浸水被害約4万5千戸、被害総額は約130億円、死者・行方不明者9人も出る大水害です。

古来から水害に悩まされ続けてきたのがこの地域です。「水害の危険」はもっとも敏感な問題で、何としても着工に漕ぎ着けたい建設省にとっては、「水害から住民の命を守るためには、堰は不可欠」と主張することは、「税金の無駄遣い」との建設反対運動の高まりに対抗する最も好都合な理由だったという訳です。

私が長良川河口堰の取材チームに組み込まれたのは、こんな時期でした。取材班は3人。テーマを「利水」「治水」「自然」の3つに分けました。私には、いつも通り最も取材が困難で、難解な「治水」が押し付けられました。

私はそれまで利水問題を追い続けていました。今まで「利水」を強調していた建設省が、急に「治水」を持ち出したことに不自然なものも感じてもいましたが、何より長良川では水害が起きている現実があります。

河川管理の専門家である建設省が「堰がないと危険」と言う限り、そうそうウソだとも思えませんでした。多分、取材を進めてもこのテーマで書く限り、建設省の主張に沿い「自然も大切だが、命の問題もある」と、治水上、堰建設の必要性を、結局、連載で書くことになるだろうと思い、取材をスタートさせたのです。

ただ、よく調べてみると、建設省が「治水」、「治水」と声高に言う割には、データがすべて公開されている訳ではなかったのです。私は、最後は建設省の言い分を書くことになっても、記者なら予断を持たず、安八水害のデータを一から精査してみようと思いました。

◆公共事業の口実となった安八水害の真実

まずは、安八水害時、どの程度の水量があり、どこまで水位が上がり、どうして堤防が決壊したかの基礎データを知ることからです。名古屋市内にある建設省の拠点、中部地方建設局に出掛けました。しかし、私の取材趣旨を聞いた担当者は、なぜかおろおろ。水害時の長良川の水位すら、言葉を濁し、満足に教えようとはしなかったのです。

どうもうさん臭い。記者魂がむくむくと頭をもたげ始めたのはこの時からです。私は、それまで一度、安八水害の取材をしたことがありました。担当者が教えてくれなくても、基本的なデータは、建設局よりさらに出先の事務所に行けば、公開されていることは知っていました。洪水対策にもおいしい利権があります。建設省は出来るだけ国の予算を多くつけるために半ば宣伝に利用し、水害時の水位などのデータは公開していたのです。

私は改めてデータを出先で入手してみて、中部地建の担当者が教えなかった理由がすぐに分かりました。安八水害は、台風の影響でシャワーのような大雨が4日間も降り続いたことで起きています。この時の決壊場所付近の実測最大流量は、毎秒6400トンです。でも、破堤現場近くの長良川墨俣水位観測所で記録した水位は、この4日間の最高でも、堤防下2メートルに建設省が定めた安全ライン(計画高水位)より、さらに1メートル以上も下だったのです。

つまり、堤防上から見れば、一番水かさが増した時でさえ、3メートル下にしか水は来ていなかったことになります。堤防高には、十分な余裕はあったのです。それでも、大量の水が家屋や田畑を飲み込んで、大水害になったのは堤防に弱い個所があり、その場所に穴が開き、もろくも崩れたのが原因です。

この取材から明確になったのは、安八水害は、長良川の堤防高や川幅、川底の深さ、つまり流下能力(河道容量)の不足によって起きた水害ではなかったと言うことです。

分かり易くするため、タンクに例えてみましょう。タンクの一番上から2メートルに安全ラインが引かれていて、「ここまでは水を張っても安全」と、メーカーは保証していたとします。ところが、このラインよりさらに1メートルも下しか、水を張っていない段階でもう水が漏れ始め、タンクは壊れてしまったようなものです。

メーカーがタンクの側壁に亀裂・欠陥があったのを見逃していたのが原因です。当然、対策は亀裂のあった側壁の補修・強化です。ところが、当時のメーカー(建設省)は亀裂を見逃していたことには口を拭い、住民が知らないのをいいことに、「タンクから水を漏れないようにするには、タンクの容量をもっと増やす必要がある」と言うような主張をしていたのです。

少なくとも、私が取材した水位と水量データからはっきりしたことは、安八水害の毎秒6400トン程度の大水なら、安全ライン以下の水量では崩れない程度の堤の強度(完成堤防)があれば、水害対策としては十分だったと言うことです。河口堰の建設・浚渫ももちろん必要ありません。

安八水害では、多くの家が流され、命を失った人もいます。水害の自らの責任に触れず、堰建設の口実にするのは許されることではありません。

建設省は、川底を浚渫で堀下げ、水を流す河道容量を増やすことを目的とする堰工事を宣伝している暇と金があったなら、堤防を点検して弱い個所を見つけ、対策工事をすることが先決だったのです。まして、この水害を理由に、「治水のために河口堰を」と声高に叫んでいる建設官僚は、厚顔無恥としか言いようがなく、被災者への裏切りです。

私はこの時の連載で、建設省に対する怒りを込め、「安八水害を二度と起こさない」は、「堰を建設する理由にはならない」と明確に書き、建設省に釘を刺しました。

この連載は普通に記事になりましたし、私もこれをもって、「報道弾圧」などと騒ぐ理由もありません。ただ、建設省の官僚や政治家も、こんな連載程度で「悪うございました」と、堰建設を断念するほど生易しい、素直な人ではありません。その頃の建設省は、着工に少しでも都合の悪い記事が載ると、揚げ足を捉えてでも強硬に抗議。議論をすり替えてでも、何とか平行線に持ち込み、その間に事業を遂行していくのも常でした。

私にとっても、この程度の取材は序の口です。これで堰工事が止められるとも、思っていませんでした。連載記事は出発点であっても、私の取材の到達点ではありません。「治水上、堰が必要ない」と言う決定的な証拠を握るため、ここから隠された極秘資料を巡り、建設省と私との血みどろの闘いが始まったのです。

◆建設省の言い分

ここで建設省が、「治水のために」河口堰を建設するとしていた理由を簡単に紹介しておきます。

建設省の言い分によると、長良川の流域で90年に一度(90年確率)という、とてつもない大雨が降った場合、岐阜県南部から三重県の河口にまで繋がる下流部では、毎秒7500トンという大量の水(計画高水量)が流れます。

ところが当時の現況の長良川では、河道の容量、つまり流下能力が不足するから、その時の水位が堤防2メートル下に設定している安全ライン(計画高水位)を超え、堤防から水が溢れたり、堤防が崩れたりで、水害になる。防ぐには、流下能力、つまり河道の容量を増やす河川改修工事が必要、と言うものです。

工事には3つの方法が考えられました。?堤防を拡幅して、川幅を広げる?堤防をかさ上げする?川底を浚渫、深くして河道の容量を増やす??というものです。

しかし、?では、堤防をさらに外に出すため、民有地の買収など費用もかかり過ぎる?では、堤防には多くの道路や鉄道の橋が架かっていて、それも一緒にかさ上げすると費用もかかる??として退けられました。残るは?の浚渫です。

でも、先に書いた通り長良川の場合、河口近くでは、海面とほぼ同じ高さで水が流れています。これ以上川底を掘ると、海水が逆流します。せっかく溜めた水も塩水では利用価値がありません。周囲の田畑にも塩害が拡がるため、堰で海水の遡上を防ぐ??これが「治水のために」堰を建設する根拠です。

安八水害での私の取材が、「治水上、堰が必要」か否かを検証する報道の出発点ではあっても、ゴールではないのは、前記の記述から、読者の皆さんも気付かれたと思います。毎秒6400トンが流れた安八水害程度の大雨なら、堰を必要とするような大規模治水工事が必要ないことは先の取材で立証出来ています。ても、7500トンではどうなのか?…は、素人的には建設省の言い分が怪しいと思っても、何一つウソだと証明する証拠はないのです。

先のタンクの例に置き換えてみましょう。6400トンの水を入れた時、タンク上から3メートル下しか来ないのに壊れたのは、側面の亀裂が原因です。この程度をもう一度水を入れるだけなら、タンク内部の補強で済むことは、先の連載記事で誰の目にも明らかになったことです。

しかし、問題は7500トン入れた時、タンク最上部から2メートル下の安全ラインを上回るかどうかです。上回るなら、タンクの容量を増やす容量拡大工事が必要になりますから、建設省がそう言い張れば、議論は平行線にならざるを得ないのです。

もちろん、安八水害連載の後、私は何度も建設省に「堰が治水上必要と言うなら、7500トン流れた時、堤防の安全ラインをどれくらい上回るのか。明確な水位を数字で明らかにして欲しい」と、質問していました。でも、建設省がまともに答えることはありませんでした。

そうなら私が記者である以上は、建設省がひた隠しにしたデータを自力で掘り起こし、7500トン流れた時の長良川水位を明らかにする以外にありません。それが私の得意とする調査報道でもあるのです。

報道は、何も自己満足のためや、社内評価を高めるためにするものではありません。社会で多くの人の共感を得て、政策変更などの結果が伴わなければ意味がないのです。そのためには、建設省が「あなたの勝手な計算でしょう」などと、簡単にあしらわれない、相手にグーの音も出ない方法でなければならないことも、お分かり戴けると思います。

そんなやり方を追い求めていくうち、その方法が1989年、やっと見つかったのです。

ここまで書いて来たところで、私の前置きが長かったせいもあり、今回の本欄の紙数も尽きました。もともとややこしい数字の多い河川工学の難解な話です。私にお付き合い下さり、読んで戴いた読者の皆さんもさぞかしお疲れになったと思います。そこで、私が、この解明をどのようにしたのか。続きは次回の本欄で書きたいと思います。ぜひ、次回の本欄もご愛読下さい。

 

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える「報道弾圧」(東京図書出版)著者。