1. 公共事業は諸悪の根源? 長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ 【再掲載】

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2013年06月26日 (水曜日)

公共事業は諸悪の根源? 長良川河口堰に見る官僚の際限ないウソ 【再掲載】

◆吉竹幸則(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者)

 アベノミックスで第3の矢、「成長戦略」が出た途端、株価は大暴落しました。参院選で従来の自民の票田である既得権層に媚びを売り、肝心の規制緩和にはほとんど手付かず。具体策を欠く一方で、道路など大規模補修を隠れ蓑に「国土強靭化計画」と称して公共工事の大復活です。八ツ場ダムも建設に向けて大きく舵を切りました。これでは借金漬けで、この国はやがて沈没するのではないかと、市場が心配しても無理からぬところです。

 前回のこの欄で、官僚・政治家がいかに国民・住民を欺き、利権目当てに無駄な公共事業を押し進めるものか、私が解明を始めた長良川河口堰について、取材の経過を具体的に書いてきました。今回はその続き、二回目です。

 建設省が国交省と名前は変わっても、やっていることは、長良川河口堰も、八ツ場ダムも大きな違いがないと、私は思っています。だから、長良川河口堰で、何が行われてきたか。官僚たちにこれ以上無駄な税金を使わせないためにも、朝日が記事を止めたことで、国民・住民に知らせることが出来なかった、その「真実・内情」をぜひ、多くの皆さんに知って戴きたいのです。

◇口実となった安八水害につてのウソ  

前回のおさらいをまず、しておきましょう。 長良川河口堰計画が持ち上がったのは、1950年代の高度成長期。河口の南、四日市市に工業コンビナートが造られ、鉄鋼、化学などの重厚長大産業は、大量の工業用水を必要としていたからです。

しかし、1980年年代後半、バブルで経済は隆盛でも重厚長大産業時代は去り、水需要は全く伸びていませんでした。建設省が、河口堰の建設理由・名目を「利水」から、「治水」に大きく転換させたのはこの時です。

 格好の理由付けになったのは、1976年9月に起きた長良川安八・墨俣水害でした。何としても着工に漕ぎ着けたい建設省にとっては、「水害から住民の命を守るためには、堰は不可欠」と主張することは、水余りの中で、「税金の無駄遣い」との建設反対運動の高まりに対抗する最も好都合な理由だったという訳です。

  安八水害は、台風の影響でシャワーのような大雨が4日間も降り続いたことで起きています。しかし、この時の決壊場所付近の実測最大流量は毎秒6400トン。でも、よく取材してみると、その時の水位は4日間の最高でも、堤防下2メートルに建設省が定めた安全ライン(計画高水位)より、さらに1メートル以上も下。堤防上から見れば、3メートル下にしか水は来ていなかったのです。

 このデータから言えることは、毎秒6400トン流れる大水程度では、長良川堤防には十分な余裕はありました。「安八水害は堤防高や川幅、川底の深さが足りない流下能力(河道容量)の不足によって起きた洪水ではなかった」とまでは明確に言えます。それでも大量の濁水が家屋や田畑を飲み込んで、大水害になったのは、堤防に弱い個所があり、その場所に穴が開き、もろくも崩れたのが原因です。

◇民間なら「悪徳商法」に

 しかし、当時の建設省はそれには口を塞ぎ、「水害を防ぐためには、河道容量を拡げる河口堰は不可欠」と大宣伝。強引に着工に向けて突き進んでいました。タンクに例えれば、自らの管理が悪くタンク側壁の欠陥で穴が空き、水が漏れた事故を、タンクの容量不足のせいにして、より大きなタンクを売りつけようとしていたようなものです。

 民間なら、「悪徳商法」と言われても、言い訳は出来ないはずです。私はここまでの取材に基づき1987年、「安八水害程度の大水を防ぐには、堤防強化が先決。河道容量を増やす河口堰を着工する理由にはならない」と、連載記事で書き、釘を刺しました。

 でも、この程度の記事で河口堰建設を諦めるような軟で良心的な官僚・政治家はこの国にはいません。何故なら、治水のために長良川河口堰を建設する目的は、安八水害程度の毎秒6400トンの大水に備えるためではありません。90年に一度(90年確率)のとてつもない大雨が降った時の毎秒7500トン(計画高水量)の大水でも水害を起きないようにするのが目的です。

 私のこの取材では、6400トンの大水では、治水のために河口堰が必要ないことは証明出来ています。しかし、7500トンの大水でも堤防下2メートルの安全ラインを越えず、「水害は起きない」との立証は出来ていません。彼らはそれをいいことに、相変わらず「このままでは治水上、危険」として着工準備を進めたのです。

  では、7500トン流れた時の水位は、どうなのか。もちろん私は、建設省に何度も取材しました。しかし、肝心の部分になると口を塞ぎ、明らかにしません。隠すなら、より怪しいことは分かります。でも、記事に書くなら、明確な根拠が必要です。その解明を自力でする以外になかったのです。

 なんとも食えないこの国の官僚のことですから、学者の分析程度を根拠にするのでは、建設省は御用学者を押し立て、簡単に反論して来ます。対抗するには、「現状の長良川に7500トン流れた時でも、水位は堤防下2メートルの安全ライを下回り、河口堰のような河道容量を増やす治水工事は必要ない」との動かぬ証拠を、建設省の内部資料から見つけ出す以外にないのです。

 前回の本欄で、その方法が「1989年末、やっとその方法が見つかった」と書きました。今回はここからです。

◇決定的な証拠―建設省の極密資料を入手

 きっかけは、堰反対派の住民勉強会の取材に出掛けた時でした。講師の学者は河川工学の専門家ではないのですが、医師免許も持つ理科系の人でした。学者は、古本屋で建設省が昔に発行した長良川の『河床年報』という資料を見つけ、手に入れていました。

 年報には、長良川の川幅、深さなど200メートル毎に詳細に測量した数字がぎっしり書き込まれています。学者は、そのデータから独自の簡易な計算式で長良川の流下能力を算定。「7500トンを安全に流す河道容量があるのでは」との推論を、この勉強会で発表したのです。

 「えっ。どうしてそんなことが分かるのか」。私は眼からウロコでした。学者と私の問題意識はぴたっと一致し、意気投合。何度かお宅を訪ね、教えを乞うことが出来ました。

 学者が手に入れたのは、建設省が昔に発行した古い『河床年報』でした。この年報は2年毎に長良川河床を測量・発行され、河川管理の実務に使われています。しかし、河口堰反対運動が激しくなった時期から、新しい年報は外部には門外不出の極秘資料扱いになっていました。

 学者は、「建設省の目をくぐり、何とか最新の年報が手に入らないか。それと、どう計算するかだ。僕の自己流の簡易計算では、建設省にごまかされ逃げられる」と、残念そうに語りました。

 一方、私にとっては、大きなヒントです。『河床年報』と言うキーワードが分かると、それまで手探りだった取材は一気に加速します。仕事の合間を縫いながら、『河床年報』をどのように使い、河川の流下能力を計算するか、いくつもの河川工学の専門書を買い込んで読み漁りました。

 そのうち意外にも一番参考になったのは、他ならぬ建設省自らが監修、市販もしていた同省の行政マニュアル『河川砂防技術基準〈案〉』(山海堂)でした。

 行政マニュアルには、建設省がどのような手順で治水計画を進めるか、私が知りたい最大水量が流れた時の水位計算の仕方もズバリ書かれ、治水行政のバイブルそのものだったのです。

 『(案)』が入っているのは、住民などからマニュアルを逆手にとられ、建設省が批判された場合、「これはあくまで案に過ぎない」と逃げ道を残しておくためだとも、建設省関係者から教えてもらいました。

少しややこしくて恐縮です。河川がどれだけの水量の大水にまで耐えうるか。マニュアルに定められている建設省の検証方法を、この本に基づいて、簡単に紹介しておきましょう。

 対象となる河川の川幅、水深など河道容量を200メートルごとに細かく測量。地点ごとの詳細な断面図を何百枚も作り、それを数値化した『河床年報』を作成する。  

 大水が起きた時、水量を実測する。同時に堤防のどの高さまで水が来たか、堤防についた痕跡から、地点ごとに実際の水位も測る。流れた水量、河道容量が同じでも、川が曲がりくねっているか、川底が石か、平坦な砂地か、つまり川底の摩擦の強さによっても、水位は変わる。水量と水位の相関関係からその川ごとに水が流れる時の川底の摩擦抵抗の値(『粗度係数』)を『不等流計算式』(これも『河川砂防基準』の中にその計算方法の数式が示されている)使って割り出す。

 今度は逆に、先に算出したその川の『粗度係数』と『河床年報』のデータを用い、不等流計算式を使って、想定される最大大水時(計画高水量=長良川の場合、毎秒7500トンが流れた場合)のシミュレーション水位を200メートルごとに算出。その最高水位をつなぎ合わせ、曲線にした水位図を作成する。

 その結果、得られたシミュレーション水位曲線がその河川の堤防下の安全ライン(計画高水位=長良川の場合、堤防下2メートル)以下であれば、少なくとも河道容量をそれ以上増やすような「治水対策」は必要としない。安全ラインを上回るなら、何らかの追加対策が必要と判断する。

 以上の通りです。

◇最強無敵のウソ発見器  

若干、ややこしかったかも知しれません。もう少し分かりやすく解説してみます。 河道容量が同じ二つの川に、同じ水量を流しても、水位が同じになるとは限りません。曲がりくねっていたりして川底の摩擦が大きく、つまり『粗度係数』の高い川では、水位が高くなります。摩擦が少なく、係数の小さい川では、水位は低いのです。大水の時、実際の水位と流量を測定、その相関関係から、川ごとの摩擦の強さ・係数の値を『不等流計算』により、あらかじめ算出しておくのです。

  想定される最大大水時、どこまで水位が上がるかを知りたければ、その水量(計画高水量)と算出しておいた『粗度係数』を、『不等流計算式』に与えて逆算。その水位が、安全ライン(計画高水位)を上回るかどうかで、その川の安全度を判定します。

 つまり、水量と水位の相関関係から、摩擦抵抗、つまり『粗度係数』の値を割り出す。今度はその値を使い、知りたい水量が流れた時の水位を逆算してシミュレーションする。難解な用語を使っていますが、考えてみるとごく当たり前の計算方法ではあるのです。

 ただ、関係者によると、『不等流計算』は極めて複雑な数式。昔は熟練した技術者が対数尺を使い、一つの川で半年以上もかけて計算していたということでした。でも今では、不等流計算ソフトの入ったパソコンに、『河床年報』に記載されている河道容量のデータを打ち込みさえすれば、たちどころに結果が出ると教えてもらいました。

  もし私が、建設省の技術者が使っているのと同じ不等流計算ソフトが組み込まれたパソコンを完成出来たとします。入力するのは、『河床年報』のデータと『粗度係数』。すべて建設省が内部で使っている実務数字であり、計算式も同一。一切の主観が入り込む余地はありませんから、このパソコンは、建設省がひた隠しにしている行政マニュアル通りの水位を正確に打ち出してくれます。

 建設省がどんなにウソをつこうとも、パソコンがウソをつくことはありません。つまり、私はこのパソコンさえ作り上げることが出来れば、最強無敵のウソ発見器が手に入ります。前回のこの欄の最後に、「1989年末、やっと見つかった方法」とは、このことだったのです。

◇『河床年報』を入手

 自分たちの行政マニュアルに沿った河川の洪水危険度に関わる判定方法です。国民の血税を使うのが、建設省です。本来は、記者から最大大水時の水位の質問を受けたなら、この行政マニュアルに沿った計算結果を明らかにするのは、当然の姿勢です。でも、前述の通り、私の質問に何も答えていません。

しかし、このマニュアルが分かったからといって喜び勇み、「結果を出せ」と、建設省に強く迫るのでは、調査報道記者としては、どうしようもないほどのど素人です。相手は確信犯です。こんな質問を記者がしたなら、建設省はさらに警戒レベルを上げ、入手出来る資料まで手に入らなくなります。

 パソコンに入力しなければならないのは、?『河床年報』に記載されている川幅や水深など長良川の河道容量のデータ?『粗度係数』?『不等流計算』ソフト――です。つまり、この「3点セット」、3つのカギを建設省に悟られないよう深く潜行し、入手出来るかどうかで、取材の成否が決まります。

 ハリウッド映画流に言えば、この3つのカギが揃う時、秘密の壁の扉が音を立てて開く。その先には国民の貴重な税金を食い潰す「物の怪」の正体が、はっきり見えるに違いない。私にはそんな予感がしたのです。

◇土木学会の壁

 でも、河口堰で反対運動が盛り上がって以降、『河床年報』でさえ、門外不出の極秘扱いになっているのも、前述の通りです。『粗度係数』も不明。『河川砂防基準』に書かれている『不等流計算』の複雑な数式を見ても、文科系の私には、チンプンカンプン……。やっと、秘密の扉がある山へたどり着く地図が見つかったに過ぎません。まだその山の頂ははるか遠く、かすんで見える程度だったのです。

 しかし、私はどんなに建設省が極秘扱いしている資料で、何とか手に入れる自信はありました。もちろんその方法は取材源の秘匿にかかわることなので、ここでは明らかに出来ません。

 ただ、幾つもの入手ルートを作ることだけは、私は常に心掛けていました。一つのルートだけだと、建設省に悟られ、相手にも迷惑が掛かります。それに、そのルートが潰されるともう情報が入らないのでは、調査報道記者としては失格です。

 だから私はこの時も、方々に手を打ちました。そんな作業が実り、当時の最新の『河床年報』が手に入ったのは、1989年も暮れようとしていた頃でした。

 でも年報は、長良川河床を測量した膨大な数字の羅列だけの資料です。これから、最大7500トン流れる大水時の水位をどのように算出するか。私が数字の羅列を眺めているだけでは何も進みません。数字のパソコンへの打ち込み方が分かり、建設省のマニュアル通りの『不等流計算』の出来る専門家をどうしても探し出さねばなりません。

 こんな時、記者は専門家・学者の名簿を調べ、信頼出来るその筋の人にお願いに行くのが常道です。普通、「記者の頼みとあれば」と、快く引き受けてくれる人は比較的容易に見つかります。ところが、水理学者が所属する「土木学会」の世界だけは、かなり事情が違っていたのです。

 事情通の一人は、最初にこう忠告してくれていました。

「土木学会に所属する学者を、普通の学者と思って取材に行くと、とんでもないことになる。彼らは学者というより、建設省と一体となった技術者と考えた方がいい。建設省のデータで研究し、成果も建設省や傘下の業界でこそ生かされる。建設省を敵に回したら、学者生命すら脅かされる。大学の先生なら、教え子まで多大の迷惑がかかる。学者の素性も調べないで、下手に取材に行くと、協力してもらえるどころか、朝日は何を入手し、何を狙っているか、建設省にたちまち筒抜けになる」

◇「君には、負けたよ」

 まだ、どんな資料が追加で必要になるか。それさえ、十分に分かっていませんでした。この時期に、建設省に私の動きが察知されれば、バリアの警戒が強化され、秘密の壁はますます厚くなります。何とか、建設省に察知されずに、協力してくれる学者を見つけ出せないか。私は改めて取材の難しさを感じました。

 でも、いくら官庁権力は強力でも、協力してくれる良心的な学者は必ずいるものです。そんな思いで、建設省のバリアにひっかからないように細心の注意を払いながら、協力者を探し続けました。その結果、年も明けた1990年初頭、やっと「この人なら」という人が、一人見つかったのです。

 何としても、ひたすらその人にお願いするしかありません。しかし反応は、予想通りでして。

「せっかく来て戴きましたが、今、忙しいので、とても協力出来そうもありません」。誠実そのものといった学者は、いかにも気の毒そうにやんわり断ってきました。でも、他にもうあてはありません。

 ここで断られたら、今までなんで苦労して『河床年報』を手に入れたのか。その努力がすべて水の泡になります。実直な学者の態度にひょっとしたらという翻意の可能性も見て取った私は、ひたすら頭を下げ、説得を続けました。

 丸一日たった頃です。「君には、負けたよ」。ついに不等流計算をすることを承諾してくれたのです

「実は、私も長良川の問題に関心はある。建設省の説明は何とも歯切れが悪い。『河床年報』があれば、分析は出来る。しかし、昔は簡単だったのに最近は私たち学者にも絶対に手に入らない。だが、君がそれを持ってきた。建設省がなぜ『河床年報』を秘密にしてきたのか。それを考えると、計算結果はだいたい想像はつく。でも、計算して発表すれば、私は完全に建設省を敵に回してしまう。私の学者生命はともかく、教え子にまで迷惑をかける。あなたが私に会うのに細心の注意を払われたのだからお分かりと思う。この学会は一般の学者の世界とは違います。絶対、私の名前は出さないという条件でどうでしょうか」

 学者は、引き受ける前提として、こんな条件を持ち出して来ました。

 有難い話です。しかし、難しい水理計算・分析の話です。記事にする時、「記者の分析・計算によれば」ということで、読者に納得してもらえるだろうか。そのことが私の頭をよぎりました。私は学者にこう言いました。

――先生、それでは記事の作りようがないのです。何とか、先生の名前も記事の中に出すことで、お願い出来ないでしょうか。

 「君は、『河川砂防基準』を随分読み、勉強したんだろ。その努力に報いようと、私も引き受ける気になった。『不等流計算』は、あの本にきちんと計算式が示されている。複雑な計算で、昔は、熟練した技術者しか出来なかった。でも今ではデータの打ち込みさえ頑張ってやれば、計算ソフトがあるから、パソコンで誰でも瞬時に計算出来る。誰がやっても同じなんだから、分析者の名前は、必要ない。何なら、君に計算ソフトを渡すから、自分でパソコンを使って算出したらどうか」

◇答えはひとつ、誰が計算しても同じ

――私が、パソコンを扱うなんて、とてもとても……。それにやはり、こんな記事では、新聞に分析者の名前は必須なのです。

 「私が言っているのは、どれだけ複雑の数式でも所詮、計算式。誰がやっても式は一つしかないから、データを正確に打ち込めば、結果も一つ。足し算、引き算と何ら本質的に変わりはない。新聞で『1+1=2』と書く時、『この学者の計算では、答えは2』と書くのかね。計算者の名前を書かなくても、『不等流計算したところ』で、記事として十分通じる。建設省やどれだけ建設省寄り、つまり君たちの言う『御用学者』でも、この計算には文句のつけようはないはずだ。この計算結果の正しさを担保するのに、学者の名前は必要ないでしょう」

 言われてみれば、その通りです。足し算、引き算の結果を、学者の名前を出して書く新聞はありません。『河床年報』にあるデジタル数字を、パソコンを使った変換で、水位シミュレーションというデジタル数字に置き換えるだけの話です。アナログ的な学者の主観の入る余地は全くないのです。

「よろしくお願いします」。

 私は頭を深々と下げ、学者に計算をお願いしました。

 実はその時、私は比較的簡単に考えていました。しかし、年報の膨大な数字の羅列をひたすら間違いなく、計算ソフトに打ち込むのは、単純ですが、極めて時間のかかる面倒な作業です。学者は、「忙しい」と言いながら、多分、打ち込みに、まるまる1週間を費やしてくれたはずです。いくら感謝しても感謝しきれない気持ちでした。

 いよいよ河口堰建設の議論が煮詰まった1990年初春、そろそろ梅が咲く季節を迎えようとしていた頃です。

 これで3つのカギのうち、『河床年報』『不等流計算式』の2つが揃ったことになります。建設省のバリアをなんとかくぐり抜け、秘密の扉がある山にまではたどり着いたのです。実は、私と建設省の血みどろの闘いが本格化したのは、この時からだったのです。

 申し訳ありません。ここまで書いて来たところで今回の紙数が尽きました。読者の皆さんも、さぞお疲れになったと思います。この問題は、専門的で何とも宿命的に難解なのが難点です。前提も多く、その一つ一つを皆さんに理解して戴かないと、先に進めません。

 じらすつもりはないのですが、この続きは次回の本欄で続けます。いよいよ私の解明はクライマックスを迎えます。これに懲りず、ぜひ次回もご愛読頂ければ幸いです。

≪筆者紹介≫ 吉竹幸則(よしたけ・ゆきのり)

?フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。名古屋本社社会部で、警察、司法、調査報道などを担当。東京本社政治部で、首相番、自民党サブキャップ、遊軍、内政キャップを歴任。無駄な公共事業・長良川河口堰のウソを暴く報道を朝日から止められ、記者の職を剥奪され、名古屋本社広報室長を経て、ブラ勤に至る。記者の「報道実現権」を主張、朝日相手の不当差別訴訟は、戦前同様の報道規制に道を開く裁判所のデッチ上げ判決で敗訴に至る。その経過を描き、国民の「知る権利」の危機を訴える『報道弾圧』(東京図書出版)著者。