辛淑玉氏が名誉毀損裁判で勝訴、増える言論人による名誉毀損裁判、なぜ言論で闘わないのか疑問
辛淑玉(シン・スゴ)氏がジャーナリストの石井孝明氏を名誉毀損で訴えた裁判の判決が、25日にあった。東京地裁は石井さんに対して慰謝料55万円の支払いを命じた。
訴因は、「ツイッター上で、北朝鮮の工作員やテロリストだと受けとられる投稿をされ、名誉を傷つけられた」(弁護士.com)というものである。
今世紀に入ってから、言論・表現をめぐる裁判が増えている。周知のように武富士が複数のフリーランス・ライターや出版社に対して高額訴訟を提起した事件(武富士敗訴)を通じて、裁判による言論抑圧の方法があることが広く知れわたった。
おりしもこの時代には、小泉構造改革の中で首相を長とする司法制度改革が進行していた。これに日弁連が全面的に協力していた。こうした流れの中で、国会の場でも、高額訴訟の「必要性」が議論されるようになった。たとえば次の発言である。
私は過日の衆議院予算委員会で、メディアによる人権侵害・名誉毀損に対し、アメリカ並みの高額な損害賠償額を認めるよう森山法務大臣へ求めました。
善良な市民が事実無根の報道で著しい人権侵害を受けているにもかかわらず、商業的な一部マスメディアは謝罪すらしていません。
これには、民事裁判の損害賠償額が低い上、刑事裁判でも名誉毀損で実刑を受けた例は極めて少なく、抑止力として機能していない現状が一因としてあります。■出典
2002年、公明党の漆原良夫議員の発言である。つまり国策として高額訴訟を奨励する政治的空気も生まれていたのである。
なぜ、高額訴訟なのか?裁判を提起する側が言論の萎縮効果を狙っていることはいうまでもないが、大きな政治的背景としては、新自由主義を導入する過程の中で、司法も市場原理に乗せる政策があったことが大きい。法科大学院を設置して、弁護士を「大量生産」するわけだから、訴訟が増えなければ、弁護士が生きていけない事情がある。
弁護士同士に競争させて、無能な人は自然淘汰しようという考えである。
こうした時代の空気と力学の原理に感染したかのように、次々と高額訴訟が提起されるようになった。スラップという言葉の概念もようやく生まれた。
筆者が取材した高額訴訟としては、次のようなものがある。
■ミュージックゲート裁判:2億3000万円を請求
この裁判は、キャンディーズの「春一番」や「微笑がえし」などで有名な作曲家・穂口雄右氏を被告とする裁判だった。ソニー・ミュージックレコーズ、日本コロムビア、キングレコードなど日本を代表するレコード会社31社が著作権違反を理由に、穂口氏が経営するミュージックゲート社(株)に対して、2億3000万円の支払いを求めたものである。穂口氏の和解勝訴だった。
【参考記事】ソニーなどレコード会社31社が仕掛けた2億3000万円の高額裁判に和解勝利した作曲家・穂口雄右氏へのロングインタビュー(上)
■読売裁判:約8000万円を請求
筆者が被告になった裁判である。2008年から2009年夏までに3件の裁判を起こされた。結果は次のとおりだ。
①著作権裁判:黒薮の完全勝訴
②名誉毀損裁判:地裁・高裁は黒薮の勝訴。最高裁で読売が逆転勝訴。
③名誉毀損裁判:読売の完全勝訴
これらの裁判の他にも、オリコン、JR東日本、東進予備校、ユニクロ、DHCなどたくさんの企業が名誉毀損裁判を起こしている。
さらに最近の顕著な傾向として、企業ではなく個人が名誉毀損裁判を起こす例が増えていることだ。その中には、本人訴訟も少なくない。
筆者もこの種の裁判の被告にされたことがある。高額訴訟ではないが、対応に追われて大変な迷惑を被った。なにしろ原告の主張を理解するだけでも骨が折れた。弁護士が書いた書面ではないので、理解するのに苦労した。
【参考記事】黒薮・志岐の勝訴が確定、対八木啓代氏の名誉毀損裁判、浮き彫りになった本人訴訟の「暴走」
森裕子氏が志岐武彦氏を訴えた裁判も有名だ。
【参考記事】前参議院議員が痛恨の完全敗訴で控訴断念
◇言論の軽視
筆者は、社会的な弱者が名誉を回復する手段を持たない場合は、司法制度を利用して裁判を起こし、名誉を回復することもやむを得ないと思う。
しかし、辛淑玉氏はメディア関係者である。言論で反論する機会はいくらでもあったはずだ。あえて司法に判決をお願いした理由が分からない。
八木啓代氏のケースも同じだ。彼女は国際的な歌手であるばかりではなく、作家であり、社会運動家でもある。自分の主張をなぜ言論を使って拡散できなかったのか疑問が残る。
改めていうまでもなく、読売新聞は日本を代表する言論機関である。その言論機関がなぜ、言論で「押し紙」問題に反論できないのだろうか。
どこかピントが外れてはいないか?